アドルフは私をじっと見つめたまま、動かなくなってしまった。
 そんな私達のもとに、騎士が駆けつけてくる。

「ロンリンギア様! ご無事でしょうか!」

 彼らはグリンゼル地方に駐屯する騎士隊だという。アドルフはまず、私を探す前に、騎士隊に行って調査を依頼したらしい。
 調査本部を作り、部隊を集めるのに時間がかかるらしく、待ちきれなくなったアドルフはひとりで飛び出してしまったらしい。
 微弱な私の魔力と指輪の反応、さらにエルガーの鼻を使って見事、探し当てたようだ。 負傷したエルガーには、回復魔法が使える衛生兵が治療を施していた。

「俺は平気だ。彼……は負傷しているから、回復魔法をかけてほしい」

 魔法薬を飲んだので平気だと断ったが、アドルフからじろりと睨まれてしまった。
 逆らわないほうがいいと察し、回復魔法をかけてもらう。
 ちなみにチキンは眠っていただけのようで、ダメージはないらしい。その辺はホッとした。

「それで、婚約者のほうは――」
「ああ、それは、もう大丈夫だ。安全な場所にいる」
「そうでしたか。よかったです」

 事情を話すため、私とアドルフは騎士隊の駐屯地に向かった。
 グリンゼル地方の騎士隊長が聴取に参加し、私は誘拐されるに至った事情を打ち明けることとなった。

「最初に接触してきたのは、グリムス社の記者を名乗る男達でした」

 金品と引き換えにアドルフについての情報を聞きたがった。
 それを拒否すると乱暴な挙動を見せるようになり、私は逃げる。それから二時間、隠れたのち、帰宅しようとしたところ、襲撃を受けた。

 そんな経緯を聞いたアドルフは、傷ついた表情を浮かべている。
 きっと、自分のせいで事件に巻き込んでしまったと、思っているのだろう。
 今回の件にかんしては、全面的に私が悪い。ここ最近もロンリンギア公爵に気を付けるように言われていたのに、供も付けずに歩き回っていたのだ。
 さらに、誘拐犯は魔法学校に属する三学年の生徒だったら、誰でもよかったように思える。つまり、私が事件に巻き込まれたのは、運が悪かったとしか言いようがない。

 事情聴取が終わると、私には宿で休むように言われた。侍女やメイドがいて、部屋には女性用の服と男性用の服が用意されている。
 アドルフが手配してくれたのだろう。

 彼は一度、王都に戻らなければならないらしい。ロンリンギア公爵に事件について報告するように命令されていたようだ。

 別れ際、アドルフは思い詰めた様子で話しかけてきた。

「リオル……いいや、リオニー。戻ってきたら、ゆっくり話そう」
「わかった」

 アドルフは踵を返し、去っていく。
 彼の姿が見えなくなるまで、私は見送った。

 ◇◇◇

 ドレスとフロックコート、どちらを着るのか、考えるまでもなかった。
 私の正体はバレてしまった。もう、男のふりをして魔法学校に通うなんて無理は通用しない。
 迷わずドレスを手に取り、メイドの手を借りて着たのだった。

 アドルフと入れ替わるように、リオルがやってきた。ワイバーンが用意され、飛んできたという。
 出会い頭、知りたくなかった情報を伝えてくれる。

「姉上、父上が大激怒だ」
「そう」

 ヴァイグブルグ伯爵家の姉弟が同時に行方不明となった――という事件は、王都で大きく報じられていたらしい。
 アドルフが昨晩、晩餐会を飛び出して行ったので、騒ぎが大きくなったようだ。
 父は私を心配していたようだが、安否が確認されると、激しく怒り始めたらしい。

「息子の代わりに娘を魔法学校に通わせているのがバレて、自分の立場が悪くなるって思っているのかも」
「その辺の責任をお父様が担うことも含めて、許してくださったのだと思っておりました」
「小心者の父上が、そこまでできるわけないでしょう」
「まあ、今回の事件で父上が解雇されても、うちは僕の収入だけで十分暮らしていけるから、心配ないよ」

 まったく励ましにならない言葉である。父が聞いたら、泣いてしまうかもしれない。

「あまりにも怒っているから、姉上を殴りかねないと思って、僕が代わりに来たんだ」
「あら、お父様とは、一度殴り合いの喧嘩をしてもいいと思っていましたのに」
「父上が負けそうだから、やめたげなよ」

 行方不明の記事に加えて、父娘(おやこ)の殴り合いも報じられるところだった。
 
「なんと言いますか、今回の件に関しては、わたくしの日頃の行いが悪かったとしか言いようがありませんわ」
「わかっているじゃん」
「当然です」

 アドルフは何を思っているだろうか。二年半ほど、彼を騙し続けていたのだ。
 もしかしたら、婚約破棄されるかもしれない。
 非難されても、軽蔑されても、甘んじて受け入れようと思ってる。

「しばらく、僕もここにいるよ」
「リオル、あなた、本当は優しい子なのですね」
「いや、父上から、姉上が暴走しないように見張っておけって言われたから」
「信用がありませんのね」
「当たり前だよ」

 リオルと話しているうちに、気分が晴れてきた。
 やってきたのが父ではなく、彼でよかったと思った。

 ◇◇◇

 翌日――アドルフがグリンゼル地方へ戻ってきた。
 目の下には隈が色濃く残っており、目も充血している。顔色は真っ青だった。
 昨晩、よく眠れなかっただろうことは、一目瞭然である。
 アドルフは初めて、私達姉弟が揃っているところを見たのだ。

「リオルは、リオルじゃない。こんなに大きくない」

 アドルフは小さな声で、抗議する。
 入学前の私達の背丈は同じくらいだったが、そこからリオルだけぐんぐん伸びたのだ。

「このリオルは、可愛げもない」
「悪かったね」
「生意気なところは、そっくりだ」

 性格はリオルに似ていると認定され、なんとも複雑な気持ちになる。

「本当に、リオルはリオニーだったのか?」

 その問いに、私は深々と頷いた。

「リオル……と呼ぶのは違和感があるが、すまない。リオニーとふたりきりで話をしたい。しばらく席を外してくれるか?」
「いいよ」

 父に見張りを命じられていたリオルは、役割をあっさり放棄し、部屋の外へと出て行った。
 アドルフとふたりきりになり、しばし沈黙に支配される。
 まだ、信じられないのだろうか。それも無理はないだろう。私は二年間、彼を騙していたのだから。

「アドルフ、ごめんなさい」
「何か、事情があったのか?」

 首を横に振り、自分自身の我が儘だったと告げる。

「わたくしはどうしても魔法が習いたくて、弟が魔法学校に行きたくないと言うものだから、無理を言って通わせてもらっていたのです」

 アドルフは眉間に皺を寄せ、苦しげな表情でいた。私が許せないのかもしれない。
 まだ、怒鳴られたほうが楽なのに、彼は感情を剥き出しにはしなかった。

「魔法が習いたい。たったそれだけの理由で、男所帯の中で、二年以上過ごしていたのか」
「ええ」
「無理がある」

 とは言っても、一人部屋だったし、お風呂や洗面所は部屋にあった。
 貴顕紳士を育てる場でもあったので、男子校と言っても乱暴な振る舞いをする生徒はいなかったし、監督生や教師の睨みが利いていたので、秩序も保たれていたように思える。

「リオニー、どうして……」

 ぎゅっと拳を握り、頭(こうべ)を垂れる。婚約者が魔法学校に忍び込み、性別を偽って暮らしていた、なんて事実が報じられたら、ロンリンギア公爵家にとっては恥となるだろう。本当に、申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうになる。

「どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ」
「え?」
「もしも知っていたら、いろいろとしてあげられることがあったのに」

 アドルフは今、何を言っているのか。
 疑問符(はてな)が雨のように、降り注いでくるような感覚に陥る。

「これまで、よく頑張った。これからは、リオニーが快適に過ごせるよう、俺も手を貸そう」
「ちょ、ちょっと待ってください! どういうことですの?」
「どういう、というのは?」
「アドルフは、二年以上もの間、わたくしに騙されて、怒っていませんの?」
「いや、とてつもなく驚きはしたが、怒ってはいない」

 アドルフはあっけらかんと言ってのける。その発言は予想外過ぎた。
 リオルがリオニーのわけがないと信じられなかったようだが、本物のリオルを見た瞬間、入れ替わりの事実を受け入れられたのだという。

「正直に言えば、早い段階で打ち明けてほしかった、という気持ちはある。けれども、誰かに打ち明けたら、魔法学校を退学しなければならないと考えていたのだろう?」
「え、ええ。で、ですが、魔法学校は男子校です。女であるわたくしが、通っていい場所ではないのです」
「二年半も隠し通したんだ。残り数ヶ月、通っていても問題ないだろう」

 ただ、今回の事件で私とリオルの入れ替わりが露見しただろう。それをどう誤魔化すのか、その辺は疑問であった。

「事件については心配するな。行方不明になったのはリオニーのみで、弟のリオルは屋敷の地下に引きこもって勉強し、発見できなかった、ということにしておいた。何も心配しなくていい。これまで通り、魔法学校の生徒として、胸を張って通えばいいんだ」
「どうして? どうしてそこまでしてくださるのですか?」
「それは、魔法学校に通うリオルが、とても楽しそうだったから。それに、俺はライバルであるリオルがいないと、勉強がはかどらないからな」
「アドルフ……ありがとう、ございます」

 涙がぽろぽろと零れてきた。そんな私を、アドルフは優しく抱きしめてくれる。

「俺は果報者だ。世界で一番愛する女性と、もっとも大切な親友を、一度に得ることができるのだから」
「アドルフ……」

 アドルフは私自身のすべてを受け入れてくれるようだ。胸がいっぱいになる。
 チキンが私達を祝福するように、祝福の歌を贈ってくれた。

『こうしてふたりは~~、いつまでも、幸せに暮らしたちゅりよ~~』

 あまりにも歌が下手すぎた。何もかも、台無しである。ただ、気持ちは和んだ。

「チキン、お前にも助けられたな」
『事件が解決したのは、ちゅりのおかげちゅりね!』
「そうだな」

 まさか、チキンがケツァルコアトルとは想定もしていなかった。なんでも本契約を交わしたので、あの大きな姿に変化することができたのだという。

「俺はチキンのすごさに気付いていたぞ。召喚した日、リオルに言っただろう?」

 そういえばと思い出す。アドルフはチキンを召喚した日、私が一位だったと言い切ったのだ。

「言葉を喋ることができる使い魔なんて、高位的な存在に決まっているだろうが」
「そうかもしれないけれど、見た目が雀だったから」

 ずっと偉そうな発言ばかりする子だな、と思っていたが、実力が伴ったものだったのだ。
 心の中で、チキンに謝罪した。

 話が一段したところで、先ほどのアドルフの言葉で気になった点を聞いてみる。

「それはそうと、世界で一番愛すべき女性がわたくしだというのは、間違いではありませんの?」
「そうだが?」
「では、薔薇の花束と恋文を贈っていたお相手は?」

 問いかけた瞬間、アドルフの顔が青ざめる。

「知っていたのか?」
「ええ、ずっと」

 せっかくなので、洗いざらい打ち明ける。

「わたくし、アドルフが薔薇の花束と恋文を贈っていた相手を、探そうとしていましたの」
「そう、だったのだな」
「ですが、途中で諦めました」
「それは、なぜ?」
「彼女の存在に、嫉妬してしまって。それに、相手が打ち明けていないことを探るのは、悪い行為を働いているように思えて、遂行できなかったのです」

 ごめんなさい、と謝ろうとしたのに、なぜか先にアドルフのほうが頭を下げていた。

「リオニー、黙っていて、すまない。ずっとずっと、打ち明けようと思っていたのだが、いろいろと事情が重なって……」

 いったい、アドルフはどんな問題を抱えていたというのか。
 彼は静かに隠していたであろう真実を打ち明ける。