あれから二時間くらい経ったか。私は息をひそめ、階段に座り込んでいた。
 恐ろしかった。思い返しただけでも、ガタガタと震えてしまう。
 ひとりだったら、泣いていたかもしれない。しかしながら、私の肩には頼りになる相棒チキンがいた。

「記者の人達、そろそろいなくなったかな?」
『外に気配はないちゅり』
「そう」

 ずいぶんと遅くなってしまった。懐から懐中時計を取り出すと、二十時過ぎとなっている。
 この二連休で実家に戻ることは告げていない。きっと、捜索騒ぎにはなっていないはずだ。
 帰宅が遅いと父に怒られそうなので、今日は裏口からこっそり帰って、明日の朝に帰ってきたことにしておこうか。
 こういう悪知恵ばかり働くのだ。

 外に出ると、真っ暗だった。記者に追いかけられた時間帯はまだ夕日が沈んでいなかったのだ。
 幸い、貴族街へ向かう馬車は、まだ残っている。もうすぐ最終便が出る時間だろうから、急がなければならない。

 人の多さが夕方の比ではなかった。きっと、飲み歩いたり、夜遊びをしたりしている者達に違いない。
 この人込みと暗さの中では、魔法学校の制服でも目立たないだろう。
 乗り合いの馬車は――いた!
 急げば間に合う。駆けて行こうとした瞬間、背後から叫びが聞こえた。

「いたぞ! あの金髪の学生だ!」

 耳にした瞬間、ゾッとした。けれども、声はずっと遠い。だから、振り向かずに馬車に乗りこんだら大丈夫。馬車の出発時間も迫っていた。

 一歩、強く踏み出した瞬間、服から婚約指輪を通したチェーンが飛び出してきた。
 アドルフ、助けて。そう呟くも、守護魔法は発動しない。
 きっと、私に衝撃がいかないと、発動されない仕組みなのだろう。 
 馬車まであと少し、あと少しだと思っていたが――ゴッ! と後頭部に衝撃が走る。

『ご主人ーーぢゅん!!』
「おっと、お前はこっちだ」

 白くなっていく視界の端で、チキンが鳥カゴに入れられているのが見えた。
 どうやら、味方が近くにいたらしい。
 帰宅するよりも、騎士に助けを求めればよかったのだ。
 何もかも、遅い。

 ◇◇◇

「おい、いつまで寝てるんだよ!」

 腹部に衝撃を受け、目を覚ます。どうやら腹を蹴られたらしい。
 反撃しようにも、手足を縛られているようで、思うように動けなかった。
 魔法は呪文と魔力、そして杖や指輪、魔法陣などの媒介があって初めて発動させる。どれかが欠けていたら、不完全な魔法となって術者に牙を剥くのだ。
 
「ううう……」

 さらに、言葉を発しようとしたが、上手く喋ることができない。
 
「むぐ、うぐぐ」

 どうやら手足の拘束だけでなく、布を噛まされているらしい。外れないように、後頭部のほうでしっかり結んでいるようだ。
 ケガをしたときに口を切ったのか。布は血の味がする。
 殴られた頭も、ズキズキ痛んでいた。学生相手に、加減なんてしなかったようだ。
 ぱち、ぱちと瞬きしたら、ぼやけた視界に数名の男がいる様子が見えた。
 人数は四……いや五人いるのか。
 服装は先ほどの記者達よりも、粗暴な印象である。グリムス社の記者に雇われた、無頼漢なのだろうか? 視界から得られる情報は、薄暗いのであまり多くない。

「目が覚めたようだな」
「うぐぐ、うぐ!」

 男が手下に、布を外すように命令する。
 
「あ、あなた達は、グリムス社の記者?」
「答える義務はねえ」

 すぐに、口に新しい布が当てられ、喋れないようにされてしまう。
 おそらく、魔法を警戒しているのだろう。

 夕方に付きまとってきた記者とは別人だった。かなり大人数で、アドルフの情報収集をしていたのか。
 
 それにしても、ここはいったいどこなのか。
 薄暗くてよくわからないが、木箱がたくさん置かれている。工場のような、物置のような、そんな雰囲気である。埃臭く、人の手入れが頻繁にされているような場所ではない。天井が高く、上部にある窓から太陽の光が差し込んできた。

「む――うぐぐ!?」

 なぜ、どうして? そんな疑問を口にしようとしたが、噛んでいる布のせいで言葉を発することは叶わなかった。

 私が襲撃を受けたのは、夜の二十時くらいだったはずだ。それがどうして、日中になっているのか。
 ……どうやら私は殴られたあと、太陽が昇るまで気を失っていたらしい。
 
 男のひとりが、何やら手元で小さな物をぶんぶん振り回している。
 よくよく見たら、それはアドルフがくれた婚約指輪だった。

「ぐう、うぐぐ! うう!」

 返せ、という言葉は発することができなくても伝わったのだろう。男は馬鹿にしたように笑いつつ、私の訴えに対して答える。

「魔法が刻まれた指輪なんか、渡すわけないだろうが」

 男達は多少、魔法の知識があるらしい。奥歯を噛みしめる。
 ここでふと、チキンがいないことに気付く。周囲を見回したら、木箱の上に鳥かごがあった。鳥かごの中には、苦しげな様子でいるチキンの姿があるではないか。なんて酷いことをするのか。

「使い魔に酷いことをしやがって、とでも言いたげな顔だな。だが、酷いのはお前のほうだ。嘘を言って、大人達を欺くなんて」

 どの口が言うのだ。なんて言葉は喉から出る寸前で呑み込む。
 彼らを刺激したら、きっと酷い目に遭う。これ以上、痛い目になんか遭いたくない。
 まずは、取り引きをして、この場から脱出する必要がある。

 まずは、ここがどこなのか把握しなければならない。
 おそらく、王都のどこかか、離れていても郊外くらいだろうが。
 キョロキョロしている私の様子に気付いた男が、現在地を教えてくれる。

「ここはグリンゼル地方の某所だ」
「むぐ!?」

 グリンゼル地方!? 馬車でも一日半かかる距離にいたなんて、思いもしなかった。

「転移魔法の魔法巻物でやってきたんだよ」

 ひらひらと、目の前で見せつけられる。間違いなく、転移魔法が使える魔法巻物であった。
 なぜ、彼らがそれを持っているのか?
 もしかしたら、裏社会では流通しているのかもしれない。

 想定外の移動距離に、呆れてしまう。
 私をグリンゼル地方まで連れてきて、望むのはアドルフについての情報だろう。

「ここからが取り引きなんだが、アドルフ・フォン・ロンリンギアについて知っている情報を提供したら、ここから解放してやろう。もしも応じない場合は、二度と、家に帰れないと思え」

 そんなの取り引きでもなんでもない。ただの脅迫だろう。

「グリンゼルに、アドルフ・フォン・ロンリンギアの愛人がいるんだろう? その女はどこにいる?」

 再度、口元の布が外される。

「……どうして、自分達で調べないの?」

 次の瞬間には、布を噛まされる。
 新聞社の記者ならば、独自に調査し、情報を得ることが可能だろう。魔法学校の生徒を誘拐するという危険で手荒な手段なんて使うわけがない。

「どうしてって、それは見つけられなかったからに決まっているだろうが。街の奴らが話していた赤い屋根の屋敷は、別の貴族の家だったからな」

 グリンゼルの街では、以前、ちょっとした噂になっていた。たしか、〝観光地から北に進んでいくと、霧ヶ丘って呼ばれる場所があるらしい。そこに赤い屋根の屋敷がある。その屋敷に、薔薇と恋文が届けられているんだ〟という話だったか。
 それらはもしかしたら、ロンリンギア公爵家の者が流した、偽情報だったのかもしれない。家に押しかけられたら困るからだろうか? 工作をする理由はよくわからない。

「いくら王都から荷物を追いかけても、いつの間にか忽然(こつぜん)と消えているらしい。魔法か何かで配達している可能性もあるようだが、お前、何か聞いていないか?」

 男はぐっと接近し、にたにたと笑いながら問いかけてくる。

「あれくらいの年齢の男は、愛人なんて持っていないだろう? 学校で、自慢して回っていたんじゃないか?」

 返答を聞くため、布が外された。その瞬間、私は叫ぶ。

「アドルフはそんな人じゃない!」

 とっさに言い返すと、またしても腹を蹴らしてしまう。
 
「う……ぐっ」

 こうなることは想定できたはずなのに、好き勝手言われることが許せなかったのだ。

「それで、何か情報を提供してここから脱出するのか、それともここの倉庫が死に場所となるのか」
「死に、場所?」
「そうだ。お前が喋らないのであれば、ここの倉庫にうっかり火を放つかもしれない。新聞にはこう報じられるだろう。魔法学校の生徒が家出し、潜伏していた倉庫で火の扱いを誤り、焼死してしまった、とな」

 家出をする動機はないが、実家を詳しく調査されたら、私自身の秘密が明らかになってしまう。男装をし、魔法学校に通っていたなんて普通ではない。何かしらの悩みを抱え、家を飛び出し、問題を起こしてしまった――というのは、まったく不自然ではないだろう。
 つまり、私が死んでも、悪人は絶対に捕まらないというわけだ。

 話すつもりはないと判断されたのか、口に布を詰め込まれそうになった。その瞬間、私は証言する。

「き、霧ヶ丘には、いくつか屋敷がある。普段は魔法で隠されていて、外部の人間は入れないようになっているんだ」

 口からでる言葉に任せて、いい加減な証言をする。けれども、グリムス社の記者が嗅ぎ回っても見つけられないということは、おおよそ間違いではないだろう。

「僕を現場に連れていったら、案内できる! だから、殺さないで」

 必死になって訴えたが、口に布を当てられ、後頭部でぎゅっときつく結ばれてしまった。
 男は手下達に、再度霧ヶ丘を調査するように命令する。

「本当かどうか確かめてやる。もしもなかったときは、容赦しないからな」

 そんな言葉を残し、男は去って行く。倉庫には見張り役を一名置いていくようだ。
 薄暗くてよく見えないが、見張りはナイフを手にしているようだ。
 私を脅していた男とは違い、ひょろっとしていて、荒事に慣れているような雰囲気はない。
 先ほど、私の口に布を取ったり、外したりしていた者だろう。手つきは案外丁寧で、乱暴な様子はなかった。
 彼と何か交渉できないだろうか。話しかけようにも、口に布を詰め込まれているので、自由は利かない。
 ダメ元で、話しかけてみる。

「うぐぐ! ううううう!」
「え、なんだ?」

 言葉に少しだけ地方訛りがあった。王都に出稼ぎに来た者なのだろうか。
 無頼漢なんかの手下になって、家族が哀しんでいるのではないのか。そんな言葉すら、発することができない。

「うううううう、ううううう!!」

 苦しむ振りをしたところ、すぐに見張りはこちらへやってきた。

「ど、どうしたんだ? く、苦しいのか?」

 こくこく頷くと、見張りは口元の布を外してくれた。

「水、飲む?」
「飲む」

 やはり、彼は悪い者ではないようだ。
 横たわる私に水を飲ませる方法も知っているようだった。つまり、誰かを看病した経験がある人なのだろう。

「お、お礼に、胸ポケットに、懐中時計が、あるから」
「そんな! 貰えないよ」
「いい、から」

 魔法学校に入学すると配布される懐中時計は、他人へ譲渡すると学校側に警告が届く。
 その魔法が発動して、どうにか私の危機に気付かないかと願ったが――遠慮されてしまった。

「銀の、懐中時計、なんだ」
「銀だって!?」

 見張りはすぐさま私の懐を探り、懐中時計を手にする。

「本物の銀だ! よくわからないけれど」

 見張りの目付きが、一気に変わっていった。

「これがあれば、弟の病気も治る」

 独り言のように呟くと、見張りは勢いよく立ち上がる。そのまま出入り口のほうへ駆けていってしまった。
 あまりにも素早い判断に、呆然としてしまう。
 見張りの男は故郷に病気の弟がいて、薬代を稼ぐために王都にやってきたのか。
 ただ、魔法学校の懐中時計は転売できないようになっている。さらに、加工しようとしたら、防御魔法が働くのだ。
 なんだか悪いことをした――と思いつつも、同情なんてしている場合ではない。
 見張りはいなくなった。その間になんとかここから逃げ出さなければならないだろう。
 まずは、手足の拘束をどうにかしたい。
 見張りの男がナイフでも置いていってくれたらよかったのだが。
 口元だけでも解放されたことを、よかったと思うようにしなければ。

 足をさまざまな角度に捻ってみるも、縛られた縄は堅くてびくともしない。
 手元も同様に、力でどうにかできそうな状態ではなかった。

 チキンのほうを見てみると、先ほど同様にぐったりしていた。意識はあるように思えないが、声をかけてみる。

「ねえ、チキン。チキン、起きて……」

 反応はない。ここにくるまで酷いことをされたのだろうか。心配になる。
 今、私にできることは、何もないのか?
 手足が縛られているので、魔法は使えない。
 本当に、どうしたらいいものなのか……。