始業式を始める前の教室は、寮同様に降誕祭の話でおおいに盛り上がっていた。
人だかりの中心にいたランハートが、私に気付いて手を振る。
「リオル、おはよう!」
「おはよう」
ランハートはこちらにやってきて、背中を軽くポンと叩く。
以前であれば、「二週間ぶりだな、リオル!」と言って体当たりしていたはずだ。
それをしなくなったのは、私が女だと知っているからだろう。
ランハートは驚くほど以前と変わらない。これまで通り賑やかな友達でいてくれる。
けれども、肩を組んだり、腕を組んだりと、接触してくる回数はぐっと減っていた。
男同士のスキンシップはいささか乱暴なところがあるので、その点は助かっている。
その反面、少しだけ物足りないと思うところもあった。
アドルフも私がリオニーだと知ったら、態度が変わってしまうのか。
彼はランハートのように、激しいスキンシップはしない。けれども、リオルでいるときにしか見せない、くしゃっと笑う表情が見られなくなるのは寂しい。
人を騙しておいて、これまで通りの付き合いなんてできるわけがないのだ。
これは私の罪なのだと言い聞かせて諦める。
始業式ではアドルフが生徒を代表して、四旬節学期の抱負を発表していた。
教室に姿がないと思っていたが、大役を任されていたからだったようだ。
立派に読み上げると、拍手喝采が巻き起こる。
隣で、鼓膜が破れそうなくらいの音で手を叩く音が聞こえた。誰だと思って横目で盗み見ると、アドルフの元取り巻き達だった。
まだ、取り巻きに戻れると思っているのだろうか。いい加減、諦めたらいいものの。
最後に校長のありがたいお話の時間となったのだが、アドルフと内容が被っていたようで、話すことがなくなってしまったと訴え、生徒達の笑いを誘う。
三分という短い時間で終了となった。
毎度、校長の話は要領を得ず、ただただ長いだけなので、アドルフは生徒達の心の英雄となっただろう。
始業式を終えると、選択制の授業がある者は教室に残り、ない者は寮に帰っていく。
私は魔法生物学の授業を受けるため、授業の前に復習しておく。
教科書をチキンがめくってくれる。視線を向けただけで、嘴で突いて次のページにしてくれるのだ。教えていないのに、身に着けてくれた芸である。
隣の席に座ったアドルフが、チキンの芸を見て物申す。
「リオルのところの使い魔、そんな繊細な作業もできるんだな」
「まあね。たまに枝毛があったら抜いてくれるし」
「毛繕いまでできるのか」
アドルフが感心したように言うと、チキンは誇らしげに胸を張る。
『チキンは嘴で、チェリーの軸を結ぶこともできるちゅりよ』
「それはすごいことなのか?」
『もちろん、すごいことちゅりよ』
なんてどうでもいい会話をしているうちに、授業が始まる。
教室にいる生徒は七名。
魔法生物学は一学年と二学年のみ必須科目で、三学年からは専門的な内容になるため、選択制となっているのだ。
週に一度授業があって、毎回楽しみにしている。
ローター先生がやってきて、点呼を取る。全員揃っているのが確認されると、授業が始まった。
「えー、今日は使い魔の本契約について、学びましょう」
一学年のときに召喚した使い魔は、仮契約のまま一緒に過ごしていた。二学年の最後の授業で契約解除を学び、ほとんどのクラスメイトが各々のタイミングで使い魔を手放したらしい。
ここにいる七名は、使い魔との契約を解除せずに、継続していた者ばかりである。
フェンリルを使い魔に持つアドルフが契約を継続するのは納得していたようだが、私のチキンは意外だとクラスメイト達に言われた。
チキンは寝るのが趣味で、性格は喧嘩っ早く、かと言って特殊な能力があるわけではない。何か命令したら反抗するときもあるので、扱いが難しい小さな暴君としてクラスや寮の中で名を馳せていたのだ。
私個人としては、チキンがいたおかげで、ずいぶんと癒やされた。
振り返って見ると、気質なども似ているところがあったのかもしれない。二年と約半年の間、私達は仲良くやってきたのだ。
チキンさえよければ、これからも一緒にいる予定だ。
「これまでは仮契約だったということで、使い魔の実力は三分の一以下でした。しかしながら、本契約を交わすと、実力はそれ以上となり、これまで以上に活躍してくれるでしょう」
仮契約は強制力があるものの、本契約は使い魔側の意思も重要視される。無理矢理従わせることも可能だが、対価として多くの魔力を与えなければならないらしい。
「一学年のときに召喚、仮契約を交わし、二年もの間信頼関係を築いてから本契約をするという流れは、使い魔契約でもっとも理想的な形となっています」
ただ、使い魔は本契約となると、主人が死ぬまで縛られる。そのため、すぐに応じるわけではないらしい。
肩に飛び乗ってきたチキンに、問いかけてみる。
「ねえ、チキン。私と本契約をしてくれる?」
チキンは小さな体だが、自尊心は誰よりも大きい。きっと、説得に説得を重ねないといけないだろう。そう思っていたのだが――。
『いいちゅりよ!』
あっさりと応じてくれた。
言葉を失っていたら、目の前に魔法陣が浮かび上がる。それは、チキンとの本契約を記録したものであった。
「え、嘘!」
今の軽い会話が、本契約が締結されたと見なされたようだ。
ローター先生はすぐに気付き、拍手する。
「ああ、ヴァイグブルグ君が、使い魔との本契約を交わしました。皆さん、拍手しましょう」
パラパラと拍手される中、チキンは翼をあげて『どうもちゅり』なんて偉そうに応じている。
本契約を交わしたら、チキンが三倍の大きさになったらどうしよう。なんて思っていたのに、チキンはいつもと様子は変わらなかった。
その後、授業に参加していた生徒達は、次々と本契約に挑む。
ローター先生が話していたとおり、すぐに受け入れる使い魔はいなかった。
最後に、アドルフが挑む。
勇ましいフェンリル、エルガーを呼び寄せ、本契約を持ちかけた。
「我が名はアドルフ・フォン・ロンリンギア。汝、我と共に人生を歩み、影のように従うことを誓え」
エルガーは伏せの体勢を取る。その瞬間に、本契約を結んだことを示す魔法陣が浮かび上がった。
「さすが、ロンリンギア君ですね!」
私もあんなふうに、カッコよく本契約を結びたかった。
後悔しても遅いのだが。
◇◇◇
勉強に追われていると、月日が瞬く間に流れていく。休暇期間中、一日を長く感じていたのが嘘のようだった。
窓の外では雪がしんしんと降り積もり、一学年の生徒達が楽しそうに遊ぶ声が聞こえる。 私も一学年のときは、ああして無邪気に遊んだものだ。
二学年から本格的な紳士教育が始まると、あのように遊べなくなるのである。
机に出していた手紙を書く道具を見下ろし、ため息を零す。外で遊べないから、憂鬱になっているわけではなかった。
一ヶ月に一度ある二連休に、アドルフからのお誘いがあると想定し、外出届を提出していた。しかしながら、アドルフからのお誘いの手紙は届かない。空振りだったわけだ。
ただ、実家に帰るだけでは惜しい。以前、アドルフと行った魔法雑貨店に制服を着て行ってみようか。二割引きは大きいだろう。
ちょうど、輝跡の魔法に使う魔石が不足していたのだ。父からお小遣いを貰っていたので、使わせてもらおう。
週末――明日から二連休なので、実家に戻るために、必要な勉強道具を鞄に詰め、チキンはコートの内ポケットに突っ込んでおく。
休日は翌日からだが、授業が終わったら帰っていいことになっている。
外は夕暮れ時だ。早く行かないと、あっという間に日が暮れてしまうだろう。
部屋を出ると、アドルフも続けて出てきた。
鞄を背負う私とは異なり、アドルフは一冊の魔法書のみ手にしていた。
「リオルも実家に帰るのか?」
「そうだけれど、アドルフも?」
「ああ。国王陛下の晩餐会に呼ばれていて」
表情が暗い上に、ため息まで吐いている。よほど、参加したくなかったのか。
「嫌なの?」
「そんなわけあるか。ただ、二連休はリオニーと会おうと思っていたのに、叶わなかったから」
アドルフが憂鬱そうにしていた理由は、婚約者に会えないからだった。
心配して損したと思う。アドルフにとっては、重大な問題だったらしい。
「リオル、リオニーにまた今度会おうと伝えておいてくれ」
「わかった」
アドルフとは馬車乗り場まで一緒に歩く。私は乗り合いの馬車で、アドルフはロンリンギア公爵家の馬車で帰るのだ。
「アドルフ、また週明けにね」
「ああ。風邪を引くなよ」
「そっちこそ」
アドルフと別れ、乗り合いの馬車に乗りこむ。央街で下り、魔法雑貨店を目指した。
『ご主人、鞄は重くないちゅりか?』
「平気だよ」
魔法学校に入学する前ならば、一度、家に帰っていたかもしれない。
今は体力がついているので、魔法書や教科書が十冊は入っている鞄を背負っていても、平気で歩き回れる。
ただ道を歩いているだけで、周囲からちらちらと視線を感じてしまう。というのも、王都にある魔法学校は少数精鋭の選ばれた者だけが通える、エリート学校である。外出もあまりできないため、もの珍しさから注目を集めてしまうのだ。
これも二割引きのため、と自らに言い聞かせる。
必要な物を買い物かごに入れ、生徒手帳と共に会計を行うと、本当に二割引きになった。
なんともお得な制度である。
ほくほく気分でお店から出たところ、突然声をかけられた。
「君、魔法学校の生徒? そのネクタイの色、三年生だよね?」
「……誰?」
帽子を深く被った、見るからに怪しい中年男性のふたり組である。
「おじさん達、こういう者なんだ」
いきなり名刺を渡される。グリムス社というのは、国内でも有名な新聞社である。
「アドルフ・フォン・ロンリンギア君のこと、知っているかな?」
なぜ、アドルフについて聞くのか。一気に警戒心が高まった。
「知っているけれど、どうして?」
「今、彼についての情報を探していてね」
質問の答えになっていない。なぜ、アドルフの情報について聞きたがっているのか問いかけたのに。
子どもだと思ってそれらしいことを言い、けむに巻くつもりなのだろう。
もしもアドルフにとっていい記事を書くつもりであれば、ロンリンギア公爵家に直接交渉を持ちかけるに決まっている。
明日開催される晩餐会で、インタビューだってできるかもしれない。それをしないということは、何かしら悪い記事を書こうとしているのだろう。
「彼について何か情報を提供しているのであれば、謝礼を出そう」
記者らしき男のひとりがちらつかせた謝礼は、金貨一枚だ。魔法雑貨店の割引制度を使っている生徒ならば、喜んで飛びつくような金額である。
なるほど、いい場所で待機していたというわけだ。
「ある方面からの噂では、彼は婚約者がいるにもかかわらず、グリンゼル地方に古くから付き合いのある恋人を匿っている、という話なんだ。それについて、何か知っているかい?」
「――!」
もうすでに、アドルフについていろいろと嗅ぎつけているようだ。
そんなことを記事にして、どうするつもりなのか。
ロンリンギア公爵家を敵に回したら大変なことになるくらい、彼らもよくわかっているだろうに。
「なんでもいいんだ。たとえば、女癖が悪かったとか、こっそり飲酒していたとか」
何かあるだろう、と下卑た様子で問いかけてくる。
アドルフの評判を落とすために、誰かが画策したに違いない。
こんな卑劣な行為など、許せるわけがなかった。
「アドルフ・フォン・ロンリンギアは――」
記者らは前のめりになりつつ、深々と頷く。
「模範的な生徒で、成績は極めて優秀、曲がったことが大嫌いで、学校のいじめを撲滅した。正義感に溢れ、悪を憎むような人物だよ」
期待していた情報が得られず、記者らは明らかに落胆する。
「じゃあ、この際嘘でもいい。この録音できる魔技巧品に向かって、証言してほしい。そうしたら、報酬を与えよう」
そこまでして、アドルフを陥れたいのか。呆れてしまった。
「じゃあいくよ、せーの!」
息を大きく吸い込み、力の限り叫んだ。
「――おじさん達の記事は、インチキ!!」
周囲の視線が一気に集まる。私は咎められる前に、路地裏へと逃げた。
「この、クソガキが!!」
「待て!!」
私の発言に激怒した記者らは、あとを追いかけてくる。
この辺りは以前、アドルフと一緒にやってきた場所だ。
ならば、アレがある。
「へへ、この先は行き止まりだ!」
「捕まえて、とっちめてやる!」
悪役みたいな台詞を吐いているが、彼らは本当に記者なのか。それすら怪しいところである。
記者らの宣言通り、行き止まりに行き着いた。
目くらましとして、火の魔法巻物を発動させる。小さな光が、記者達の前に飛び出していった。
この魔法巻物は攻撃性がないもので、火も記者に届かない。
けれども突然火が現れたら、攻撃だと思うだろう。
「うわ!」
「ぐう!」
記者が顔を逸らした隙に、私は壁の中へと飛び込んだ。
「き、消えた!?」
「馬鹿な!!」
私が避難した先は、魔法書を販売するお店の地下通路である。アドルフが私ひとりでも行き来できるよう、オーナーに交渉してくれたのだ。
薄暗い中、階段に蹲る。
大変なことになった。アドルフの悪評を流そうとしている記者がいるなんて。
どうしてそうなったのか。考えてもわからなかった。
人だかりの中心にいたランハートが、私に気付いて手を振る。
「リオル、おはよう!」
「おはよう」
ランハートはこちらにやってきて、背中を軽くポンと叩く。
以前であれば、「二週間ぶりだな、リオル!」と言って体当たりしていたはずだ。
それをしなくなったのは、私が女だと知っているからだろう。
ランハートは驚くほど以前と変わらない。これまで通り賑やかな友達でいてくれる。
けれども、肩を組んだり、腕を組んだりと、接触してくる回数はぐっと減っていた。
男同士のスキンシップはいささか乱暴なところがあるので、その点は助かっている。
その反面、少しだけ物足りないと思うところもあった。
アドルフも私がリオニーだと知ったら、態度が変わってしまうのか。
彼はランハートのように、激しいスキンシップはしない。けれども、リオルでいるときにしか見せない、くしゃっと笑う表情が見られなくなるのは寂しい。
人を騙しておいて、これまで通りの付き合いなんてできるわけがないのだ。
これは私の罪なのだと言い聞かせて諦める。
始業式ではアドルフが生徒を代表して、四旬節学期の抱負を発表していた。
教室に姿がないと思っていたが、大役を任されていたからだったようだ。
立派に読み上げると、拍手喝采が巻き起こる。
隣で、鼓膜が破れそうなくらいの音で手を叩く音が聞こえた。誰だと思って横目で盗み見ると、アドルフの元取り巻き達だった。
まだ、取り巻きに戻れると思っているのだろうか。いい加減、諦めたらいいものの。
最後に校長のありがたいお話の時間となったのだが、アドルフと内容が被っていたようで、話すことがなくなってしまったと訴え、生徒達の笑いを誘う。
三分という短い時間で終了となった。
毎度、校長の話は要領を得ず、ただただ長いだけなので、アドルフは生徒達の心の英雄となっただろう。
始業式を終えると、選択制の授業がある者は教室に残り、ない者は寮に帰っていく。
私は魔法生物学の授業を受けるため、授業の前に復習しておく。
教科書をチキンがめくってくれる。視線を向けただけで、嘴で突いて次のページにしてくれるのだ。教えていないのに、身に着けてくれた芸である。
隣の席に座ったアドルフが、チキンの芸を見て物申す。
「リオルのところの使い魔、そんな繊細な作業もできるんだな」
「まあね。たまに枝毛があったら抜いてくれるし」
「毛繕いまでできるのか」
アドルフが感心したように言うと、チキンは誇らしげに胸を張る。
『チキンは嘴で、チェリーの軸を結ぶこともできるちゅりよ』
「それはすごいことなのか?」
『もちろん、すごいことちゅりよ』
なんてどうでもいい会話をしているうちに、授業が始まる。
教室にいる生徒は七名。
魔法生物学は一学年と二学年のみ必須科目で、三学年からは専門的な内容になるため、選択制となっているのだ。
週に一度授業があって、毎回楽しみにしている。
ローター先生がやってきて、点呼を取る。全員揃っているのが確認されると、授業が始まった。
「えー、今日は使い魔の本契約について、学びましょう」
一学年のときに召喚した使い魔は、仮契約のまま一緒に過ごしていた。二学年の最後の授業で契約解除を学び、ほとんどのクラスメイトが各々のタイミングで使い魔を手放したらしい。
ここにいる七名は、使い魔との契約を解除せずに、継続していた者ばかりである。
フェンリルを使い魔に持つアドルフが契約を継続するのは納得していたようだが、私のチキンは意外だとクラスメイト達に言われた。
チキンは寝るのが趣味で、性格は喧嘩っ早く、かと言って特殊な能力があるわけではない。何か命令したら反抗するときもあるので、扱いが難しい小さな暴君としてクラスや寮の中で名を馳せていたのだ。
私個人としては、チキンがいたおかげで、ずいぶんと癒やされた。
振り返って見ると、気質なども似ているところがあったのかもしれない。二年と約半年の間、私達は仲良くやってきたのだ。
チキンさえよければ、これからも一緒にいる予定だ。
「これまでは仮契約だったということで、使い魔の実力は三分の一以下でした。しかしながら、本契約を交わすと、実力はそれ以上となり、これまで以上に活躍してくれるでしょう」
仮契約は強制力があるものの、本契約は使い魔側の意思も重要視される。無理矢理従わせることも可能だが、対価として多くの魔力を与えなければならないらしい。
「一学年のときに召喚、仮契約を交わし、二年もの間信頼関係を築いてから本契約をするという流れは、使い魔契約でもっとも理想的な形となっています」
ただ、使い魔は本契約となると、主人が死ぬまで縛られる。そのため、すぐに応じるわけではないらしい。
肩に飛び乗ってきたチキンに、問いかけてみる。
「ねえ、チキン。私と本契約をしてくれる?」
チキンは小さな体だが、自尊心は誰よりも大きい。きっと、説得に説得を重ねないといけないだろう。そう思っていたのだが――。
『いいちゅりよ!』
あっさりと応じてくれた。
言葉を失っていたら、目の前に魔法陣が浮かび上がる。それは、チキンとの本契約を記録したものであった。
「え、嘘!」
今の軽い会話が、本契約が締結されたと見なされたようだ。
ローター先生はすぐに気付き、拍手する。
「ああ、ヴァイグブルグ君が、使い魔との本契約を交わしました。皆さん、拍手しましょう」
パラパラと拍手される中、チキンは翼をあげて『どうもちゅり』なんて偉そうに応じている。
本契約を交わしたら、チキンが三倍の大きさになったらどうしよう。なんて思っていたのに、チキンはいつもと様子は変わらなかった。
その後、授業に参加していた生徒達は、次々と本契約に挑む。
ローター先生が話していたとおり、すぐに受け入れる使い魔はいなかった。
最後に、アドルフが挑む。
勇ましいフェンリル、エルガーを呼び寄せ、本契約を持ちかけた。
「我が名はアドルフ・フォン・ロンリンギア。汝、我と共に人生を歩み、影のように従うことを誓え」
エルガーは伏せの体勢を取る。その瞬間に、本契約を結んだことを示す魔法陣が浮かび上がった。
「さすが、ロンリンギア君ですね!」
私もあんなふうに、カッコよく本契約を結びたかった。
後悔しても遅いのだが。
◇◇◇
勉強に追われていると、月日が瞬く間に流れていく。休暇期間中、一日を長く感じていたのが嘘のようだった。
窓の外では雪がしんしんと降り積もり、一学年の生徒達が楽しそうに遊ぶ声が聞こえる。 私も一学年のときは、ああして無邪気に遊んだものだ。
二学年から本格的な紳士教育が始まると、あのように遊べなくなるのである。
机に出していた手紙を書く道具を見下ろし、ため息を零す。外で遊べないから、憂鬱になっているわけではなかった。
一ヶ月に一度ある二連休に、アドルフからのお誘いがあると想定し、外出届を提出していた。しかしながら、アドルフからのお誘いの手紙は届かない。空振りだったわけだ。
ただ、実家に帰るだけでは惜しい。以前、アドルフと行った魔法雑貨店に制服を着て行ってみようか。二割引きは大きいだろう。
ちょうど、輝跡の魔法に使う魔石が不足していたのだ。父からお小遣いを貰っていたので、使わせてもらおう。
週末――明日から二連休なので、実家に戻るために、必要な勉強道具を鞄に詰め、チキンはコートの内ポケットに突っ込んでおく。
休日は翌日からだが、授業が終わったら帰っていいことになっている。
外は夕暮れ時だ。早く行かないと、あっという間に日が暮れてしまうだろう。
部屋を出ると、アドルフも続けて出てきた。
鞄を背負う私とは異なり、アドルフは一冊の魔法書のみ手にしていた。
「リオルも実家に帰るのか?」
「そうだけれど、アドルフも?」
「ああ。国王陛下の晩餐会に呼ばれていて」
表情が暗い上に、ため息まで吐いている。よほど、参加したくなかったのか。
「嫌なの?」
「そんなわけあるか。ただ、二連休はリオニーと会おうと思っていたのに、叶わなかったから」
アドルフが憂鬱そうにしていた理由は、婚約者に会えないからだった。
心配して損したと思う。アドルフにとっては、重大な問題だったらしい。
「リオル、リオニーにまた今度会おうと伝えておいてくれ」
「わかった」
アドルフとは馬車乗り場まで一緒に歩く。私は乗り合いの馬車で、アドルフはロンリンギア公爵家の馬車で帰るのだ。
「アドルフ、また週明けにね」
「ああ。風邪を引くなよ」
「そっちこそ」
アドルフと別れ、乗り合いの馬車に乗りこむ。央街で下り、魔法雑貨店を目指した。
『ご主人、鞄は重くないちゅりか?』
「平気だよ」
魔法学校に入学する前ならば、一度、家に帰っていたかもしれない。
今は体力がついているので、魔法書や教科書が十冊は入っている鞄を背負っていても、平気で歩き回れる。
ただ道を歩いているだけで、周囲からちらちらと視線を感じてしまう。というのも、王都にある魔法学校は少数精鋭の選ばれた者だけが通える、エリート学校である。外出もあまりできないため、もの珍しさから注目を集めてしまうのだ。
これも二割引きのため、と自らに言い聞かせる。
必要な物を買い物かごに入れ、生徒手帳と共に会計を行うと、本当に二割引きになった。
なんともお得な制度である。
ほくほく気分でお店から出たところ、突然声をかけられた。
「君、魔法学校の生徒? そのネクタイの色、三年生だよね?」
「……誰?」
帽子を深く被った、見るからに怪しい中年男性のふたり組である。
「おじさん達、こういう者なんだ」
いきなり名刺を渡される。グリムス社というのは、国内でも有名な新聞社である。
「アドルフ・フォン・ロンリンギア君のこと、知っているかな?」
なぜ、アドルフについて聞くのか。一気に警戒心が高まった。
「知っているけれど、どうして?」
「今、彼についての情報を探していてね」
質問の答えになっていない。なぜ、アドルフの情報について聞きたがっているのか問いかけたのに。
子どもだと思ってそれらしいことを言い、けむに巻くつもりなのだろう。
もしもアドルフにとっていい記事を書くつもりであれば、ロンリンギア公爵家に直接交渉を持ちかけるに決まっている。
明日開催される晩餐会で、インタビューだってできるかもしれない。それをしないということは、何かしら悪い記事を書こうとしているのだろう。
「彼について何か情報を提供しているのであれば、謝礼を出そう」
記者らしき男のひとりがちらつかせた謝礼は、金貨一枚だ。魔法雑貨店の割引制度を使っている生徒ならば、喜んで飛びつくような金額である。
なるほど、いい場所で待機していたというわけだ。
「ある方面からの噂では、彼は婚約者がいるにもかかわらず、グリンゼル地方に古くから付き合いのある恋人を匿っている、という話なんだ。それについて、何か知っているかい?」
「――!」
もうすでに、アドルフについていろいろと嗅ぎつけているようだ。
そんなことを記事にして、どうするつもりなのか。
ロンリンギア公爵家を敵に回したら大変なことになるくらい、彼らもよくわかっているだろうに。
「なんでもいいんだ。たとえば、女癖が悪かったとか、こっそり飲酒していたとか」
何かあるだろう、と下卑た様子で問いかけてくる。
アドルフの評判を落とすために、誰かが画策したに違いない。
こんな卑劣な行為など、許せるわけがなかった。
「アドルフ・フォン・ロンリンギアは――」
記者らは前のめりになりつつ、深々と頷く。
「模範的な生徒で、成績は極めて優秀、曲がったことが大嫌いで、学校のいじめを撲滅した。正義感に溢れ、悪を憎むような人物だよ」
期待していた情報が得られず、記者らは明らかに落胆する。
「じゃあ、この際嘘でもいい。この録音できる魔技巧品に向かって、証言してほしい。そうしたら、報酬を与えよう」
そこまでして、アドルフを陥れたいのか。呆れてしまった。
「じゃあいくよ、せーの!」
息を大きく吸い込み、力の限り叫んだ。
「――おじさん達の記事は、インチキ!!」
周囲の視線が一気に集まる。私は咎められる前に、路地裏へと逃げた。
「この、クソガキが!!」
「待て!!」
私の発言に激怒した記者らは、あとを追いかけてくる。
この辺りは以前、アドルフと一緒にやってきた場所だ。
ならば、アレがある。
「へへ、この先は行き止まりだ!」
「捕まえて、とっちめてやる!」
悪役みたいな台詞を吐いているが、彼らは本当に記者なのか。それすら怪しいところである。
記者らの宣言通り、行き止まりに行き着いた。
目くらましとして、火の魔法巻物を発動させる。小さな光が、記者達の前に飛び出していった。
この魔法巻物は攻撃性がないもので、火も記者に届かない。
けれども突然火が現れたら、攻撃だと思うだろう。
「うわ!」
「ぐう!」
記者が顔を逸らした隙に、私は壁の中へと飛び込んだ。
「き、消えた!?」
「馬鹿な!!」
私が避難した先は、魔法書を販売するお店の地下通路である。アドルフが私ひとりでも行き来できるよう、オーナーに交渉してくれたのだ。
薄暗い中、階段に蹲る。
大変なことになった。アドルフの悪評を流そうとしている記者がいるなんて。
どうしてそうなったのか。考えてもわからなかった。