夕食を食べたあと、アドルフが焚き火をしたいと言い出す。
 仕方がないので、付き合ってあげることにした。
 帰り道に落ちてあった枝を拾い集めながら、小住宅に戻った。
 アドルフが火を起こし、私は紅茶の用意をする。朝、紅茶を飲みたいので、別荘からお茶セットを持ってきていたのだ。

 ポケットの中で爆睡していたチキンは、枕の下に突っ込んでおく。たぶん、朝まで目覚めないだろう。
 チキンは枕の下で眠るのが大好きで、私が頭を置こうが関係なしに爆睡するのだ。

 バルコニーに出ると、すでに焚き火台に火が灯っていた。

「ひとりでできたんだ。偉いじゃん」
「まあな。これくらい、たやすいことだ」

 焚き火台に網を置き、その上にヤカンを設置する。
 しばし、ぼんやりと燃える火を眺めていた。

「リオル、リオニー嬢は何か言っていたか?」
「別に……」

 スワンボートに乗って、恋を自覚して、ランハートと出会ってしまって、それから支離滅裂な言動をするアドルフとかみ合わない会話をして――。

「いや、楽しかったって言っていたよ」
「そうか、よかった」

 胸に手を当てて安堵するアドルフの様子を見ていると、どうしてか泣きたくなる。
 彼の心には、私以外の大切な女性(ひと)がいるのだ。

「湯が沸いたな」
「そうだね」

 紅茶に蜂蜜とミルクをたっぷり入れて、あつあつのうちに飲んだ。
 寒空の下だったからか、アドルフが隣にいたからか、いつもよりおいしく感じてしまった。

 アドルフはこのあとお風呂に入ってくるという。
 私は先に眠ることにした。
 寝間着に着替え、寝台に横たわる。
 アドルフが戻ってくる前に眠ってしまいたかったが、今日に限って眠れない。
 就寝前の紅茶がよくなかったのか。
 茶葉には神経を興奮させる成分が入っているので、夜に飲むのはオススメしない。
 わかっていたが、猛烈に紅茶が飲みたい気分だったのだ。
 枕の下で眠るチキンを覗き込むと、羨ましいくらい爆睡していた。
右に、左にと寝返りを打つ。しかしながら、眠れない。
 もしかしたら、枕や布団がいつもと違うので、眠れない可能性がある。
 別荘の寝具は、実家にあるものと同じ職人が作ったものだったので、ぐっすり眠れたのだろう。
 ため息をひとつ零したのと同時に、アドルフが戻ってきた。

「リオル、もう寝たか?」

 その問いかけはどうなのか。眠っていたら、返事なんてあるわけがないだろう。
 アドルフと話したらさらに眠れなくなりそうなので、申し訳ないが寝ているということにしておいた。
 アドルフはそのまま灯りを消す。もう眠るようだ。
 ぎし、と寝台が軋む音が聞こえる。それから、布団やブランケットがこすれて鳴る音も妙に耳につく。
 アドルフがこの下で眠っている。それだけなのに、妙に緊張してしまった。
 寝返りを打たずに、じっと息をひそめる。二時間はそうしていただろうか。
 そうこうしているうちに、私は寝入ってしまった。

「リオル、リオル、起きろ! 遅刻だ!」
「ん……んん!?」

 アドルフの声――それから自分の声を聞いて、ギョッとする。声変わりの飴の効果が切れているのだろう。
 枕の下を探って、飴を入れた袋を掴む。

『ちゅり~?』

 握ったのはチキンだった。大きさが同じくらいなので、紛らわしい。
 枕をひっくり返し、飴が入った袋を手に取る。飴を口に含んでから返事をした。

「すぐに行く!」
「外で待っているぞ」

 三日目の朝は、レポートの成績を発表する日だ。あと五分で、朝礼が始まるらしい。
 急いで着替え、顔は濡れたタオルで拭うだけにしておく。口も濯ぐだけにしておいた。
 髪を櫛で梳り、紐で纏める。寝ぼけ眼のチキンをポケットに詰め、タイを結んだ。
 起床から三分で、身なりを整えた。人生最短記録である。

「アドルフ、ごめん」
「走るぞ」

 アドルフは私の手を握り、走り始める。フェンリルもあとに続いていた。
 一分前に集合場所に辿り着く。他にも時間ギリギリの生徒は数名いたので、悪目立ちすることはなかった。

 教師が前に立ち、レポートについての所感を話し始める。

「皆、採りやすい食材に、釣りやすい魚、獲りやすい獲物を集めた結果、似たり寄ったりなレポートになっていた。そんな中で、リオル・フォン・ヴェイグブルグとアドルフ・フォン・ロンリンギアのペアは、独自の食材を集めただけでなく、食材の情報を絡めた読み応えのあるレポートを提出してくれた。よって、ふたりを一位とする。高位魔石は彼らにのみ進呈しよう」

 アドルフと顔を見合わせ、ハイタッチする。まさかここまで評価されるなんて、想定していなかった。
 景品である魔石を選んでいいという。教師のひとりが魔石を盆に載せ、持ってきてくれた。

「リオル、どの魔石がいい?」
「アドルフは?」
「お前が選んでくれ」
「だったら――」

 光の魔石を指差すと、革袋に入れた状態で進呈された。
 アドルフに渡そうとしたら、首を横に振る。

「それはリオルが受け取ってくれ」
「どうして?」
「昨日のスワンボート券のお返しだ」
「あ――!」

 あれは結局私も乗っていたのだが……。返そうとしても受け取ってくれない。

「あとで欲しいって言っても、返さないからね」
「ああ、そうしてくれ」

 本当の本当に、受け取ってもいいみたいだ。
 ありがたくいただいておく。

「アドルフ、ありがとう。嬉しい」
「そうか。よかった」

 これがあれば、輝跡の魔法を使える。胸がドキドキと高鳴った。

「それはなんに使うんだ?」
「輝跡の魔法を試してみたくて」
「ああ、なるほど」

 レポートの結果発表は終了し、お昼までの時間は自由行動となる。
 ここでアドルフと別れ、ランハートと合流した。

「おーい、リオル」
「ランハート」

 ちらりと横目でアドルフのほうを見る。懐から手帳のようなものを取り出し、険しい顔で見詰めていた。まだ、動き始めそうにない。
 その様子をランハートと確認する。アドルフが行動を開始するまで、適当な雑談をするしかないようだ。

「お前たち来るの遅かったから、ヒヤヒヤしたぜ。首席コンビが遅刻とか、ありえないからな」
「まあね」
「どうしたんだ?」
「僕が寝坊したんだ。なんだか眠れなくて」
「大丈夫なのか?」
「平気。たぶん五時間くらいは眠っているから」

 アドルフから光の魔石を貰ったからか、興奮している。今は眠気なんて欠片もなかった。

「あ、そうそう。これ、姉上から預かってきたんだ」
「お姉さん?」

 マフィンが入った缶を差し出すと、キョトンとした表情で受け取る。

「昨日、姉上に会ったんでしょう?」
「あー、そう。あったね、そんなことが」
「それで、迷惑をかけたみたいで、このお菓子はお詫び」
「お詫びだなんて。これ、もしかしてお姉さんの手作り?」
「違う」
「そっか。律儀なお方だな。昨日の出来事なんて、俺にとってはご褒美みたいなものだったし」
「どこが?」
「リオルのお姉さん、とんでもなく美人でさ、いい匂いで、体もふわふわだった」

 ランハートはいつもの調子だったが、脳内でそんなことを考えていたとは。

「あとなんか、面白い人だったなー。ドマイナーな毒ヘビの名前をスラスラ言ったところなんか、最高だった」
「そう」
「ああいう人と結婚したら、毎日楽しいんだろうなー。もしも、アドルフとの婚約が破談されたら、俺が結婚してほしいくらい」 
「は!?」
「なんでそんなに驚くんだよ」

 それは私が当事者だからだ、なんて言えるわけがない。
 私と結婚したいだなんて、ランハートはいったい何を考えているのか。

「ねえ、ねえ、弟の立場からして、俺がお義兄(にい)さんになるの、どう思う?」
「ランハートが身内になるの?」
「そう!」

 彼はきっと一途で、愛人なんか迎えないだろうし、妻となった女性を大切にしてくれそうだ。変なしがらみもなく、平和に暮らせるに違いない。
 もしも、アドルフとの婚約が決まる前に、どちらがいいか聞かれたら、確実にランハートを選んでいるだろう。

「ランハートがいたら、なんか、楽しく暮らせそう」
「だろう?」

 でも今は――……。
 アドルフの姿が思い浮かび、打ち消すようにぶんぶんと首を横にする。

「リオル、どうしたんだ?」
「どうもしない」

 虫でもいたのかと、ランハートは私の周囲を手で払ってくれる。本当にいい奴だと思った。

「そういえば昨日、うちの別荘を訪ねてきたって話を聞いたんだけれど、何の用事だったの?」
「ああ、そう。毎週、薔薇と恋文が届く家についての噂話を耳にしたんだ」

 それは、ランハートが友人らと居酒屋(パブ)の前を通りかかったときに、客引きの女性から引き留められたのだという。

「ひとりの女性へ、熱心に薔薇と恋文を届ける魔法学校の生徒がいるって、一部の界隈で話題になっているらしくて、誰か知らないかって聞かれたんだ。もちろん、答えなかったけれどね」
「そう、だったんだ」

 客引きの女性は、薔薇と恋文が届く先も教えてくれたという。

「この辺りの観光街から北に進んでいくと、霧ヶ丘って呼ばれる場所があるらしい。そこに赤い屋根の屋敷がある。その屋敷に、薔薇と恋文が届けられているんだ」
「そうだったんだ……。あ、アドルフが動き始めた」

 私とランハートは追跡を開始する。フェンリルを連れているため、あまり接近はできない。もしも見失ったときは、霧ヶ丘の赤い屋根の家を目指せばいいのだろう。
 つかず離れずの距離で、進んで行った。アドルフはいつもより急ぎ足で進んでいる。
 愛しい女性に一秒でも早く会いたいのかもしれない。
 途中、アドルフは花屋さんに寄り、薔薇の花束を購入する。
 いつもは真っ赤な薔薇を選んでいるようだが、今日は紫色の薔薇である。
 薔薇の花束を購入し、街を抜けると、アドルフはフェンリルに跨がって颯爽と駆けて行ってしまった。

「ああ、クソ! フェンリルを使ったかー」

 アドルフが薔薇の花束を買っている間に、街の人から話を聞いたのだが、霧ヶ丘まで徒歩ならば二時間はかかるらしい。
 話を聞いたとき、きっとフェンリルに乗って行くのだろうな、と想定していた。

「往復で二時間か」
「リオル、今から馬車を借りてこようか?」
「ううん、いい」

 走っていきそうだったランハートの服の袖を摘まみ、彼の行動を制止する。

「いいって、アドルフの想い人について、気になっていたんじゃないのか?」
「こういうふうに尾行するのは、アドルフに対して申し訳ない。彼は姉上に言ったんだ。時期がくれば、秘密について話すって」
「でも、そういうのって、婚約前に打ち明けるものじゃないのか?」
「そうかもしれないけれど、彼にも事情が、あるんだと思う」

 仕方がない――そう告げたのと同時に、涙が溢れ、零れてしまった。

「ランハート、帰ろ」
「それでいいのか?」
「いい」

 きっと、アドルフは想い人について話してくれる。それまで待とう。
 そして――素直に打ち明けてくれたら、私は彼と結婚する。

「婚約破棄はどうするんだ?」
「しない。姉上は、アドルフと結婚する」

 ロンリンギア公爵家と縁を繋ぎ、私はアドルフの子どもを産む。
 そのあとは、まだどうなるかわからない。
 けれども、アドルフには幸せになってほしいと思っている。

「なんで泣くんだよ。悔しいのか?」
「違う」

 自分でも信じられないくらい、私はアドルフのことが好きで、アドルフも私を好きであってほしいと望んでいるのだ。
 アドルフには愛すべき女性がいる。
 彼の気持ちがこちらに向くことは絶対にない。
 それがどうしようもなく悲しくって、涙が零れてしまったのだろう。

 ランハートは私を抱きしめ、背中をトントン叩いてくれる。

「リオル、泣き止めー! 泣き止めー! いい子だから」

 まるで、赤子をあやすように慰めてくれる。
 それが功を奏したようで、涙は比較的早く引っ込んでしまった。

 ランハートと肩を並べ、来た道をトボトボ帰る。

「なあ、リオル。やっぱり、アドルフと婚約破棄しない?」
「どうして?」
「アドルフにお姉さんはもったいないから。俺と結婚しなよって、助言してくれないかな~?」
「できるわけないじゃん。家庭内の発言力はゼロに等しいのに」
「そうなんだ」
「そうなんだよ」

 アドルフとの婚約破棄を目論見、父に反抗した結果、絶縁されそうになった。
 私の訴えなんて、父は聞く耳なんて持たないだろう。

「ランハート、大丈夫だよ。姉上は強(したた)かだから」
「そうかもしれないけれどさー」

 この先、結婚したことで新しい幸せの形を発見できるかもしれない。
 一度しかない人生だ。
 なるべく悲観しないようにしなければならないだろう。

「リオル、俺はいつでもお前の味方だからな」
「ランハート、ありがとう」

 彼という存在も、私が見つけた幸せの形だろう。
 けれども、私が女だと知ったらどうなるのか。
 いくら寛大なランハートでも、騙していたのかと怒るかもしれない。
 少しだけ、胸がちくりと痛んだ。

  ◇◇◇

 宿泊訓練はあっという間に終わった。
 後日、アドルフから私宛てに手紙が届く。
 グリンゼルで話していた、彼の事情を打ち明けるのを、もう少し待ってほしい、というものだった。
 なんでも、少し事情が変わったらしい。最後に必ず話すから、と書いてあった。
 何があったのかはわからないが、私はこのまま知らないほうがいいのではないか、と思っている。
 彼の長きにわたる愛なんて聞きたくないから。
 ひとまず、この件については忘れることにした。

 宿泊訓練が終わり、いつもの日常が戻ってくると思っていた。しかしながら、私を取り巻く状況は、がらりと変わる。
 朝――教室で予習をしていたら、私の顔を覗き込み、挨拶をしてくる者が現れる。
 ランハートだと思っていたが、違った。

「おはよう、リオル」
「おはようって、え!?」
「何をそんなに驚いている?」
「だって」

 私に笑顔で挨拶してきたのは、アドルフだから。
 まるで普通の友達のように接してきたので、びっくりしてしまった。

「朝の挨拶をするのはおかしいのか?」
「おかしくない」
「だろう?」

 アドルフの変化に、私だけでなくクラスメイトも驚いているようだった。
 それからというもの、アドルフはいつもの取り巻きを遠ざけ、私とばかり行動するようになった。

「ねえ、アドルフ。いつものお友達はいいの?」
「あいつらは友達でもなんでもない。俺が次期公爵だから、媚びへつらっている奴らばかりだ。もしも俺が次男か三男だったら、見向きもしないだろう」
「そんなことは――」
「ある」

 言い切ったアドルフの瞳は、少し悲しげだった。私まで、なんだか切なくなってしまう。

「僕は、アドルフが次期公爵じゃなくっても、すごい人だって思っているよ」
「お前はそうだろうと思ったから、今、一緒にいる」

 私を見つめるアドルフの瞳には、信頼が滲んでいるように思えた。
 それに気付いた瞬間、胸がじくりと痛む。
 私はリオル・フォン・ヴァイグブルグではない。彼に嘘を吐いているのだ。
 いつか本当のことを話したとき、アドルフはどう思うか。
 考えただけでも辛くなる。早く話したほうが、気は楽になるが――。

「リオル、次は実験室での授業だ。行くぞ」
「うん」

 残り少ない学校生活だ。それを無駄にしたくない。
 だから今は、リオルのままでアドルフと一緒に過ごそう。
 あと少しだけ、そう自分に言い聞かせながら、アドルフの隣に並んだのだった。