エッセイで予期せぬ特別賞を貰ってから、一週間。

十一月に入ったばかりの、午後七時。

最寄り駅で下車せず、私はK大付属病院前で降り立った。

秋が深まるにつれ日没も早まり、すっかり闇に染まっている道路には、冷たい夜風が拭いていた。紺色のブレザーを着た上半身を縮め、寒さをしのぎながら歩道を行く。

ここのところ、光の容態はずっと安定していたから、ここに来るのは久しぶりだ。

闇の中、デニスカフェは、今日も煌々としたオレンジ色の明かりを灯していた。

通行人の素振りをして、そっとウインドウ越しに中を覗くと、トレイを片手に店内を歩いている桜人が見えてドキッとした。

せわしなく動いている桜人には、どことなく鬼気迫るものがあった。毎日同じ教室で何時間も過ごしているのに、こうして見ると、何の接点もない他人のようにすら見えてくる。それが、たまらなく悲しかった。

ずっと、桜人と話す機会を待っていた。

だけど学校では、とことん避けられてしまう。

だからここに来てみたはいいものの、急に怖気づいてしまう。

彼のことが好きだからこそ、前にも増して怖かった。

他人のような目で見られること、無視されること、冷たい態度を取られること――すべてがつらい。

恐怖から足が棒のようになってしまって、そのまま立ち尽くしていると、「ねえ」と突然声を掛けられた。見ると、店内から出てきた店員さんのひとりが、すぐそこにいる。

顎髭がダンディーな、二十代後半くらいの店員さんだ。

髭の店員さんは、にこりと笑みを浮かべると「小瀬川くんの友達でしょ?」と話しかけてくる。

「あ……はい」
「今、呼んでくるね」
「大丈夫です! バイト中だし」
「今手が空いてるから、気にしないで。ちょっと待っててね」

そのまま彼は、店内へと引き返していった。

入れ違うようにして、小瀬川くんが出てきた。

その顔は、みたこともないほど不機嫌そうだった。

途端に、心臓が激しく乱れ打った。

「なに?」

不愛想ではあるけれど、桜人はそう口にした。

文化祭の日、昇降口で別れて以来ひとことも口をきいていないから、それだけで感動が押し寄せる。

「用事があるなら、早くして。バイト中だから」

「あの、ごめんね……。聞きたいことがあって……」

私は、田辺くんから切り抜いてもらった新聞を、桜人に突き出す。エッセイコンテストの応募結果だ。桜人は黙って、カフェから漏れる明かりを頼りに、紙面に目を落としていた。

「で、なに?」

おめでとう、のひとこともなかった。

期待していたわけじゃないけど、非常識ともとれるその態度に、私と彼との間に取り返しがつかないほどの隔たりがあるのを感じて悲しくなる。

「それ、私、送った覚えがなくて。……出してくれたの?」

桜人、と名前呼びすることに抵抗を覚え、あえて呼ばなかった。

桜人は、黙ってかぶりを振っただけだった。

予想が外れて、私は肩を落とす。じゃあ、あのエッセイを送ったのは誰……?

今にも、店の中に戻りたそうな桜人。

「そう……。忙しいのに、ごめんね。あと、それから、私、就職じゃなくて進学することにしたの」

このことを報告したのは、私が進路を見いだせたのが、桜人のおかげでもあるからだ。

彼の書いた詩を見たり、彼と和歌の話をしたりしなかったら、私は文学の尊さを知らなかった。

「………」

だけど、桜人はもうなにも答えてくれなかった。

心底どうでもよかったのかもしれない。そんな答えに行き着いたとき、私は、また逃げ出したくなった。

なぜ嫌われてるのかわからない。

でもこれでは、同じクラスになったばかりのあの頃よりも遠い。あの頃はお互い関りがなかっただけで、嫌われてはいなかった。

苦しくて苦しくて、胸が張り裂けそうで。

これ以上、ここにはいられないと思った。

「……ごめん、バイト中に。帰るね」

泣きそうになりながらそう言って、背を向ける。

だけど数歩進んだところで、彼の声が聞こえた気がして、私は後ろを振り返る。だけどもうそこに桜人の姿はなかった。

きっと、風の唸りだったのだろう。

桜人は、変わってしまった。もしかしたらそもそも彼はずっと変わってなくて、不愛想で寡黙な小瀬川くんのままで、この数カ月私は夢を見ていたのかもしれない。

バス停までのわずかな道のりで、同じ制服を見つけた。

茶色のロングヘアーが、夜風にさらりと揺れる。それは、浦部さんだった。

「水田さん?」

「浦部さん……?」

浦部さんは、明らかに怪訝そうな顔をしていた。どうしてここに?と聞きかけて、ハッと押し黙る。

この頃、浦部さんは桜人とよく一緒にいる。付き合ってるんじゃないかという噂も流れている。きっと桜人がここでバイトをしていることを知っていて、来たのだろう。ひょっとすると、これまで何度も来たことがあるのかもしれない。

「桜人くんに会いに行くの」

案の定、浦部さんはそう言った。勝ち誇ったような顔だ。

桜人くん。その呼び方に、ぎくりとしてしまう自分がいた。

「……そう」

私はそれだけ答えると、足早に、浦部さんの隣を通り過ぎる。

バス停でバスを待っているとき、ふいに振り返れば、ウインドウ越しに、仲睦まじげに話している桜人と浦部さんの姿が見えた。

――心の何かが、音をたてて崩れていくのを感じた。