梅雨が完全に開け、入道雲が青空に立ち昇る、夏休みに入った。
グラウンドの脇に植えられた樹木から、蝉の声が甲高く鳴り響く、うだるような暑さの日。
私は、文芸部の部室で黙々と原稿用紙に向かっていた。
文芸部では、毎年秋に、生徒それぞれが作品を書いて、冊子を作るならわしになっている。文化祭の日に合わせて印刷し、訪れた人々に配るらしい。そのため夏休みの間に作品を用意するのが、毎年の決まりだそうだ。
作品は、原稿用紙に書いて、先生のチェックを通ればいいらしい。あとはパソコンに入力する作業に入るだけ。
夏の部活が始まって数日で、私以外の部員、川島部長と桜人と田辺くんは、作品を完成させた。だから今は、三人で、原稿以外の部分――表紙のデザインだとかを話し合っている。
だけど私だけは、いまだ自分の作品を仕上げられずにいた。
なにを書いたらいいのか分からないのだ。
「今年は部員が少ないから、ボリューム減るけど、どうする?」
クーラーのない部室には、代わりに扇風機があるけど、強風にしていても窓からの熱風にかき消されるほど暑い。
そんな状況でもいつもと変わらない涼やかな顔で問いかける川島部長に、田辺くんが額の汗をタオルで拭きながら答えた。
「大丈夫ですよ、先輩。先輩の小説で、大分厚みとれますよね? 僕も三作品出してるし、いけるんじゃないですか? ちなみに小瀬川先輩は、どれくらいの文量なんですか?」
「去年の半分くらい」
桜人の淡々とした答えに、田辺くんが「ええっ」と声を荒げた。
「去年もたいがい短かったけど、半分って! 俳句かなんかですか?」
「別に、なんでもいいだろ。文字数に制約はないんだから」
桜人に睨まれ、田辺くんが肩を小さくしている。
「水田さんは、どれくらいの長さになりそう?」
川島部長が、眼鏡のレンズをくいっと上げて、原稿用紙と向かい合う私に身を寄せた。
原稿用紙は、相変わらず白紙のままだ。
「まだ決まってないです……」
「何にするの? 小説? 詩?」
「小説も詩も書けないから、エッセイですかね」
そこまでは、漠然と決めている。エッセイとは、過去の思い出などをもとに、感じたことや頭に浮かんだことを心のままに書けばいい、と桜人が教えてくれた。
「エッセイね。何をそんなに悩んでいるの?」
パソコンに、プロの作家並みにあっという間に文字をしたためれる川島部長には、一時間近く一文字も原稿用紙に書けていない
私の状況など、理解できないだろう。
「なにを書いたらいいかわからないんです」
「簡単よ。人生で、一番心に残っている思い出について、そのときの気持ちを、今の視点から書けばいいの。うれしかったことでも、つらかったことでも、なんでもいい。ありのままに、かざらず、あなたの心を文字にするのよ」
「人生で、一番心に残っている思い出……」
ぼんやりと宙を仰げば、ふとある思い出の残像が、頭をよぎった。
思わず、うつむく。あのときのことを書くのは、勇気がいる。
私は今でも、多分、立ち直れていないから。
「……なにか、思い浮かんだ?」
低めだけど耳心地のいい、桜人の声がした。
うん、と私は頷く。
あのときのことを書くのは、勇気がいる。クラスメイトが見るかもしれない文集に載るのだから。
でも、桜人の目を見ていたら、書く勇気が湧いてきた。
私は原稿用紙を手に取ると、バッグにしまう。
「今日の夜、家でゆっくり考えながら書いてみます」
「お、楽しみにしてます」
田辺くんが、無邪気に笑った。
個性的なメンバーが集う文芸部でのひとときは、今となっては私の楽しみのひとつだった。
文芸部に入ってまだ少しだけど、川島部長や田辺くんに勧められて、たくさんの本も読んだ。家でも持ち帰った本を読みふけっているから、急にどうしたの?ってお母さんが驚いている。
自分の書いた文章が載るのは恥ずかしいけど、文芸部の仲間と一緒の文集に収まるのはわくわくする。
グラウンドの脇に植えられた樹木から、蝉の声が甲高く鳴り響く、うだるような暑さの日。
私は、文芸部の部室で黙々と原稿用紙に向かっていた。
文芸部では、毎年秋に、生徒それぞれが作品を書いて、冊子を作るならわしになっている。文化祭の日に合わせて印刷し、訪れた人々に配るらしい。そのため夏休みの間に作品を用意するのが、毎年の決まりだそうだ。
作品は、原稿用紙に書いて、先生のチェックを通ればいいらしい。あとはパソコンに入力する作業に入るだけ。
夏の部活が始まって数日で、私以外の部員、川島部長と桜人と田辺くんは、作品を完成させた。だから今は、三人で、原稿以外の部分――表紙のデザインだとかを話し合っている。
だけど私だけは、いまだ自分の作品を仕上げられずにいた。
なにを書いたらいいのか分からないのだ。
「今年は部員が少ないから、ボリューム減るけど、どうする?」
クーラーのない部室には、代わりに扇風機があるけど、強風にしていても窓からの熱風にかき消されるほど暑い。
そんな状況でもいつもと変わらない涼やかな顔で問いかける川島部長に、田辺くんが額の汗をタオルで拭きながら答えた。
「大丈夫ですよ、先輩。先輩の小説で、大分厚みとれますよね? 僕も三作品出してるし、いけるんじゃないですか? ちなみに小瀬川先輩は、どれくらいの文量なんですか?」
「去年の半分くらい」
桜人の淡々とした答えに、田辺くんが「ええっ」と声を荒げた。
「去年もたいがい短かったけど、半分って! 俳句かなんかですか?」
「別に、なんでもいいだろ。文字数に制約はないんだから」
桜人に睨まれ、田辺くんが肩を小さくしている。
「水田さんは、どれくらいの長さになりそう?」
川島部長が、眼鏡のレンズをくいっと上げて、原稿用紙と向かい合う私に身を寄せた。
原稿用紙は、相変わらず白紙のままだ。
「まだ決まってないです……」
「何にするの? 小説? 詩?」
「小説も詩も書けないから、エッセイですかね」
そこまでは、漠然と決めている。エッセイとは、過去の思い出などをもとに、感じたことや頭に浮かんだことを心のままに書けばいい、と桜人が教えてくれた。
「エッセイね。何をそんなに悩んでいるの?」
パソコンに、プロの作家並みにあっという間に文字をしたためれる川島部長には、一時間近く一文字も原稿用紙に書けていない
私の状況など、理解できないだろう。
「なにを書いたらいいかわからないんです」
「簡単よ。人生で、一番心に残っている思い出について、そのときの気持ちを、今の視点から書けばいいの。うれしかったことでも、つらかったことでも、なんでもいい。ありのままに、かざらず、あなたの心を文字にするのよ」
「人生で、一番心に残っている思い出……」
ぼんやりと宙を仰げば、ふとある思い出の残像が、頭をよぎった。
思わず、うつむく。あのときのことを書くのは、勇気がいる。
私は今でも、多分、立ち直れていないから。
「……なにか、思い浮かんだ?」
低めだけど耳心地のいい、桜人の声がした。
うん、と私は頷く。
あのときのことを書くのは、勇気がいる。クラスメイトが見るかもしれない文集に載るのだから。
でも、桜人の目を見ていたら、書く勇気が湧いてきた。
私は原稿用紙を手に取ると、バッグにしまう。
「今日の夜、家でゆっくり考えながら書いてみます」
「お、楽しみにしてます」
田辺くんが、無邪気に笑った。
個性的なメンバーが集う文芸部でのひとときは、今となっては私の楽しみのひとつだった。
文芸部に入ってまだ少しだけど、川島部長や田辺くんに勧められて、たくさんの本も読んだ。家でも持ち帰った本を読みふけっているから、急にどうしたの?ってお母さんが驚いている。
自分の書いた文章が載るのは恥ずかしいけど、文芸部の仲間と一緒の文集に収まるのはわくわくする。