***


それから学校を休むようになった。
自分の顔は、鏡で見えたり、見えなかったりを何度も繰り返している。

最初の二、三日は部活のメンバーからメッセージが個別で届き、そのたびに私は体調が悪いとだけ答えていた。

けれど、一週間を過ぎるとだんだんとそれが減っていき、グループメッセージのみが届くようになった。
部活で私がいないから、誰がこの役割をやったとか、桑野先生が何度も私の家に電話しているなど、聞いてもいない情報が流れてくる。


おそらく桑野先生の電話はお母さんが対応しているのだろう。
私の耳にはいってこないのは、お母さんがあえて聞かせないようにしているのかもしれない。


フードつきの服を着て、顔を隠しながら家を抜け出す。部屋にこもっていると気が滅入るので、こうして時々と外に出ている。

夕焼けに染まる道を歩きながら高架下のあたりで立ち止まり、ため息を漏らした。


最初は学校に行きなくないと思いつつ罪悪感を抱いていたけれど、今では開き直ってきている。無理する必要はない。だけど辞めたいのかというと、少し違う。

私はどうしたいのだろう。

『構って欲しくないなら自分が一番辛いみたいな顔すんな』
『助けて欲しかったら、誰かに頼ったほうがいい』
柏崎くんの言葉が頭を過ぎる。今の私は、どんな顔をしているのだろう。

こんな場所までくるなんて、どうかしている。
前に彼と会った場所は、このすぐ傍だ。学校にも近いからリスクがあるのに、足を運ぶのはもう三度目だった。


この間、彼がこっち方向へ歩いていっているのを見たので、もしかしたらまた会えるかもと思ったのだ。
連絡する勇気もなく、ただ彼に私はなにか言ってほしかった。今の無様な姿に、彼はどんな言葉を投げかけるのだろう。

今までクラスの子とは当たり障りない会話をして、部活では機嫌取り。私に悪意なくオブラートに包まない言葉を投げかけてきたのは、彼くらいだった。

「あ……」
彼らしき後ろ姿を見つけて、慌てて後を追っていく。

偶然を装って話しかけたほうがいいだろうか。それとも会いたくて探していたと素直にいうべきなのか。けれど、それでは気持ち悪がられる気がして、追っていた足を止める。


「なにしてんだろ」
あまりにも格好が悪い自分の行動に嫌気が差す。
久しぶりに再会したからって、こんなふうに会いに来られてもいい迷惑に決まっている。


引き返そうとしたところで、少し先にいた男の子が振り返った。

「あれ? 金守じゃん」
屈託なく笑う彼が眩しくて、こんな自分を見てほしくないと顔を逸らしてしまう。
自分から会いにきたくせに最低だ。

失った顔を隠すように俯くと、足音が近づいてくるのがわかった。


「今日私服なんだ?」
もっと他に言うことがあるだろうと顔を上げる。すると柏崎くんが仕方なさそうに笑った。


「頼りたくなった?」
私はつくづく自分が人の気持ちを考えていないと痛感した。
不登校になった柏崎くんだって、なにか抱えているに決まっているのに、自分の感情を優先して寄りかかろうとしている。


「ごめん」
ただの元クラスメイトなのに、彼のことが気になってこうして何度も探しにきたのは、本当はきっと別に理由があるのだと思う。

自分でもこうして彼の前に立つまでは、抱えている感情の正体がわからなかった。


「たぶん俺、金守が聞きたいことわかるよ」

柏崎くんの手が、私がかぶっているフードに伸びてくる。


「暑いのに、こんな格好して顔を隠してまで俺に会いにきたんでしょ」

柏崎くんは男女から人気があった。特に仲が悪い人がいたわけでも問題を起こしたようにも思えない。成績だってよかったし、運動もできる人だった。そんな彼が、突然教室から姿を消したのだ。


なにがあったのか、当時は全くわからなかった。でも今なら、もしかしてとある予想が頭に浮かぶ。



「人に見られるの、怖いよな」
「……うん」
「俺もだよ。でも周りからは以前と変わらないから、余計に精神的に気が狂いそうになる」

明確な言葉にしなくとも、彼も私と同じ発症した人なのだと伝わってくる。
ひょっとしたら人気者の柏崎くんを追い込んでいたのは、私を含める周りの人間たちなのかもしれない。


「あの日……久しぶりにあった日に、柏崎くんに言われた言葉を何度も考えたけど……連絡していいって話が冗談だって言われたらどうしようって」
「金守が壊れそうな気がしたから、ああ言ったんだ。ちょっとだけ前の自分と似てたし」


砕けるように壊れた心は、どう修復したらいいのだろう。どうしたら完治ができるのかと聞いても答えが返ってこない気がした。
学校にきていないということは、柏崎くんもまだ治療中なのかもしれない。



「最近やっと少し落ち着いてきてるんだ。だから金守を気にかけるようなことを言えた。それまで自分のことで手一杯だったからさ」


どうやら柏崎くんは教室には行っていないものの、みんなと会わないタイミングで登校して個室で自習をしているらしい。そこまで回復してきたのはつい最近だそうだ。

「なんとか冬には教室に復帰できたらいいなって思ってる」

意思の強い瞳が私を見つめる。そんな彼が眩しく感じた。
だけど、きっと私が想像する以上に辛く苦しいことを乗り越えてきたのかもしれない。


「私……こんなに自分が弱いなんて知らなかった」

知ろうともしなかった。心が弱いと言って、陰でコソコソと噂話をしながら、自分がないと批判していた。
でも自分が発症してみてわかった。自分がないのではなく、見失ってしまったのだ。

手のひらをこぼれ落ちる水のように、掴むことはできずに消えていく。


「親にはまだ発症したこと話せてないんだ」
「話すの怖い?」
「……それもあるけど、私の本心を理解してくれない気がして」

きっとまたお母さんが思うがままのことを話されて、私の話を聞かずに大丈夫だと慰めてくる。それは優しさではあるけれど、私には息苦しい。


「学校休んでることだって……お母さんが味方してくれたの。嫌なことがあるなら休んだっていいよって。だけど、私がした過ちについてもお母さんは大丈夫だからって……それが嫌だってどうしてか思ったんだ。……こんなこと思うなんて酷いよね」
「叱ってほしかった、とか?」

その言葉が心にすとんと落ちてきて、今まではまらなかったピースがかっちりと合った感覚になる。

「叱る……そっか、そうかも。今までお母さんに叱られずに甘やかされてきたから、味方してくれる愛情よりも、きちんと悪いことは悪いって正してくれる愛情がほしかったんだと思う。うちの家族、いっつも私に甘いけど、でもちょっとそういうの疲れるっていうか……」
「案外金守ってわがままなんだな」

柏崎くんに呆れたように苦笑されて、私もそう思うと頷く。


「あのさ、金守。親の愛情は、無償だと思う?」
「え……それは、よく聞くけど……わかんない」
「俺は無償なんかじゃないと思う。家族といっても気遣いは必要だし」

彼の言うとおりだ。それになにかをしてもらうのは当たり前じゃない。……それなのに、私は家族の優しさを当然のように受け取っていた。

「金守は家族に感謝を伝えたり、家族のためを想って何かしたことはある?」
「……考えてみると特にないかも」

身近な存在だからこそ、ありがとうなんて伝えるのは照れくさかった。

「俺は家族だから大事にしなさいっていう考えでもないし、世の中には合わない家族だっていると思う。だけど金守の家族は、金守を想っているんだよね」
「……うん。それはそうだと思う」
「されて嫌なことがあるなら、自分はこうしたいって言葉にしたらいい。言いたいことも言わずにわかってもらえるはずもないから」

こう言ったら傷つける。泣くかもしれない。
そう考えて、言葉を飲み込んできた。だけど、もしかしたら私が本音を言わないから、家族に気を遣わせてきたのかもしれない。

私がなにも言えないなら守ってあげなくちゃと思って過剰に干渉していたのだとしたら、意見を言うことを怠けていた自分の怠惰が招いたことだ。


「私、周りにばかり変化を求めてたかも。それなのに、自分は本音を言うのが怖かった。酷い言葉を言っちゃいそうで……」
「本音を言うのが怖いなら、なるべく相手が傷つかない言葉を探して伝えればいいと思う」
「……うん」
「それは家族に対してだけじゃなくて、友達に対しても」

家に篭るようになって、どんどん感情がマイナスの方向へ向いていった。
人間関係なんてどうだっていい。このまま学校辞めちゃおうかな。そんなふうに全てを投げたくなる日もある。

私のことを大事にしてくれないのなら、理解してくれないのなら関わりたくない。
でもそれをしてしまったら、きっとどんどん傍にいてくれる人は減っていって、最後にはなにも残らなくなる気がした。


周りに理解されない。
そんな不満を抱えていたけれど、私も誰のことも理解しようとしていなかった。


「私……どうしたら……っ」
「まだ金守は間に合うよ。だから、ちゃんと自分の言葉でどうしたいのかを伝えていければいい」
ずっと心に溜め込んできた自分の言葉を、震える唇から声にのせる。

「……お母さんたち私の考えを決めつけてくることがあって、そういうのがちょっと苦しい。でも……好きなの。私が学校休むときだって、みんな心配してくれたのに……っ、ありがとうすら言ってない」

柏崎くんは黙ってあたしの話を聞いてくれている。目に涙を浮かべながら、私は訴えるように見つめて言葉を続けた。


「部活だってうんざりすることも多いけど、バスケが好き。誰かに押し付けるようなこと、したくない。自分も押し付けられたくない。私、本当……馬鹿だった」

朝葉に押し付けて安堵して、傷つけていることをわかっていたのに見て見ぬふりをしていた。
ごめんねなんて今更言っても都合がよくて、それなのに朝葉なら受け入れてくれるんじゃないかって甘い考えを抱いてしまった自分が嫌になる。


「私、いつも失敗してから気づいてばかりだ。なんでもっと周りのことを考えられないんだろう。自分の言葉を伝えられないんだろう。こんな自分で悔しい」


自分を好きになりたい。自信を持ちたい。だけど私の中身は醜い。

ぽつぽつと雨が降ってくる。
涙なのか雨なのかわからないものが頬に伝って落ちていく。


「言えるじゃん。自分の気持ち」
「……でも肝心なときは言えない」
「なら、少しずつでいいから変わっていけばいいよ」

心に渦巻く感情が雨に沈んでいく。
いっそのこと消えてしまいたいと願っても、私にはそんな勇気もない。


結局私はあの場所でしか生きられないのだ。
私たちはみんな、本当は平等のはずで、誰が意見を言ってもいいはずなのに、自然と誰かがリーダー格になり、言いたいことを飲み込む人ができてしまう。


「少しはすっきりした?」
「うん。聞いてくれて、ありがと」

嫌なことだってたくさんあるけど、私は自分を投げ出すことを辞めた。

「さっきよりも表情が明るくなったな」
「私、絶対自分を取り戻す」

雨が降り頻る中、目が合うと柏崎くんが笑った。
お互いにびしょ濡れになりながら、私たちは雨の中を歩いていく。

青年期失顔症を治すために、これから向き合わなければいけないことがたくさんある。
部活のこと、友達関係のこと、家のこと。そして、これからの自分のこと。

まだ勇気は出ないけど、それでも無理して笑って元気キャラを作っていた自分を解放していきたい。



そして別れ際、柏崎くんがあるアカウントを教えてくれた。
すぐに私はそれを検索して、書かれている内容に興味を持った。




***************


平明高校 青失部
『青年期失顔症のお悩みを
いつでも受け付けております!』
▶︎メッセージはこちらまで!


***************


誰かに頼ることを、少しずつはじめていこう。

これ以上、誰かを傷つけて、自分の心すらも見て見ぬふりをしないように。







群青に沈む 完