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高校指定のジャージに着替えたオレは賢介とペアを組み、固まった体を伸ばしてほぐし合っていた。
1日の締めの授業が体育なのは体力的になかなかキツイが、例え午前中に体育があったとしたらそれもそれで文句を言っている自分の姿が想像できる。
まだ教室で授業を受けるよりはマシなので気分転換と捉えることにしよう。
帰宅部が運動する機会は学校の体育を除くとほぼ皆無に近い。
オレの場合は日課の散歩くらいだ。
別に運動が嫌いというわけではない。
中学では野球部として県大会に出場した経験もある。
ただ、辛い練習が3年間も待っていると思うと高校ではなかなか部活に所属する決断には至らなかった。
だから賢介のように365日努力を欠かさず勝利に向かって突き進む人を心の底から尊敬している。
まあ、そもそもオレにはそんな資格はないんだけどな。
「道長、グラウンド走ってくるけどどうする?」
「オレはいいや」
「分かった。んじゃ行ってくる」
賢介が軽く手を上げて走り去って行った。
放課後に部活を控えているというのに元気なものだ。
「さて」
今日の体育はソフトボール。
準備運動を終えた生徒からグラブを手にしてキャッチボールを始めているが我がクラスの元気印こと灯はグラウンドの隅でひっそりと壁当てをしていた。
「何を黄昏てるんだ?」
「道長くん」
グラブにボールを収めて灯が振り返る。
「灯が元気が無いと他の奴が心配するぞ」
「うん、そうだよね」
「結城さんのことか?」
オレが思い付く中で灯のメンタルを左右する直近の出来事と言えばそれくらいだ。
オレの予想が当たったのか灯は静かに頷いた。
「結城さん、学校にはもう来ないって。今日は早退するみたい」
「さっきの国語の授業が原因か?」
「それもあるけどそれだけじゃないみたい。理由を聞こうとしたらあなたには分からないって突き放されちゃった」
灯が力無く笑う。
こちらが寄り添おうとしても拒絶されてしまったらそれ以上は踏み込めない。
灯は自分の力の無さを痛感したのだろう。
「クラスで1番コミュニケーション能力の高い灯でダメだったんなら仕方が無いんじゃないか?」
「でも、クラスメイトが欠けちゃうのは寂しいよ」
とは言っても結城本人が決めたことに対して第三者が口出しすることはできない。
それに結城を引き留めたところで彼女が抱える問題を根本から解決しない限りただただ辛い日々が待っている。
それこそ生き地獄のような日々だろう。
新クラスになってからまだ日が浅い。
結城のように壁を作っている生徒と打ち解けるにはもう少し時間が必要だ。
結城に関してはもうその時間が無いのだが。
「ごめん! そっちにボール行った!!」
耳心地の良い金属音からやや遅れてそんな叫び声が聞こえてきた。
瞬時にボールの行方を探すべく声がした上空に視線を向ける。
「不味い」
飛んできたボールがオレたちの10メートル手前でバウンドした。
転がってきたボールを灯が拾って投げ返す。
「何が不味いの?」
灯がオレの顔を見てからオレの視線の先をゆっくりと追っていく。
「結城さん?」
どうやら灯も目が良いらしい。
校舎の屋上を映すオレの瞳は結城の姿を捉えていた。
あと一歩踏み出せば地上に落ちてしまうギリギリの所に立ち、グラウンドで運動しているオレたちの様子を観察している。
風で髪が靡き、スカートが翻るが微動だにしない。
「おい、2人で何見てるんだ?」
ランニングを終えた賢介がオレたちの元にやってきた。
オレと灯が何も言葉を発さないことに違和感を感じたのか顔を上に上げていく。
「あれは結城さんか? まさか飛び降りたりしないよな?」
目の前で誰かが死ぬ。
オレの脳裏に1年前の記憶が蘇る。
心臓が跳ねる。
次の瞬間、賢介の言葉が現実になる。
結城の両足が地面から離れた。
「死なせない……」
そう小さく呟いた灯が誰よりも早く駆け出していた。
僅かに遅れてオレも地面を蹴る。
どれだけ足が早くても絶対に間に合わない。
屋上から飛び降りた結城は校舎の2階を通り越し、1階へと迫っていた。
地面到達まで1秒も無いだろう。
オレと灯が走る姿を見て、周囲も結城の飛び降りに気が付き出した。
容易に想像できる結末から誰もが目を逸らす。
「瞬間移動!」
灯が叫ぶ。
刹那、オレの目の前には飛び降りたはずの結城の背中があった。
続いて女子生徒の悲鳴がグラウンドに響き渡る。
地上から屋上は約12メートル。
草や木がクッションになれば助かっていたかもしれないが残念ながら校舎の真下はコンクリートだ。
灯の身体はあり得ない方向に曲がっていた。
頭を強く打ったのか頭部からも酷い出血が見受けられる。
オレは瞬時に灯が助からないことを悟った。
いくら現代医学が発達しているからといってもこれは無理だ。手の施しようが無い。
結城を庇って灯が死んだ。
一瞬の出来事で頭が追いつかないが現実として起こってしまった。
結城はというとその場に立ち尽くしたまま遠目でこちらを見ていた。
灯は以前ハンバーガーショップで「この力が役に立つかは分からないけど誰かを助けることができるなら私は迷わずに使う」と言っていた。
自分の命と引き換えに有言実行して見せたのだ。
灯と過ごした短かったけど濃密な時間が脳内に流れる。
いつも明るくてクラスのムードメーカーで常にクラスメイトのことを考えていた。
わがままなところもあったけどそれも彼女の魅力だった。
身近な人間が目の前で死なれるのはもう懲り懲りだ。
あのとき2度と力を使わないと自分に誓ったけど、ここでやらないと一生後悔する。
力を使ったところで灯が助かる保証はどこにもない。
ただ、やらない後悔よりもやってみて後悔した方がいい。
「待っててくれ灯」
目を閉じて意識を集中させる。
強力な力ほど使用者に要求される代償は大きくなる。
オレの力は過去に戻ることができるというもの。
24時間以内のどこかに飛ばされる。時間の指定はできない。
代償は記憶の一部を失うというもの。
過去に戻って結城の自殺を阻止することが結果的に灯の死の回避に繋がる。
脳が焼けるように熱い。
力と引き換えに脳に保存されている記憶が消去されているのだろう。
家族との思い出が、友人と遊んだときの記憶が走馬灯のように駆け抜けていく。
もう後戻りはできない。
オレは進むしかない。
「時間跳躍」
高校指定のジャージに着替えたオレは賢介とペアを組み、固まった体を伸ばしてほぐし合っていた。
1日の締めの授業が体育なのは体力的になかなかキツイが、例え午前中に体育があったとしたらそれもそれで文句を言っている自分の姿が想像できる。
まだ教室で授業を受けるよりはマシなので気分転換と捉えることにしよう。
帰宅部が運動する機会は学校の体育を除くとほぼ皆無に近い。
オレの場合は日課の散歩くらいだ。
別に運動が嫌いというわけではない。
中学では野球部として県大会に出場した経験もある。
ただ、辛い練習が3年間も待っていると思うと高校ではなかなか部活に所属する決断には至らなかった。
だから賢介のように365日努力を欠かさず勝利に向かって突き進む人を心の底から尊敬している。
まあ、そもそもオレにはそんな資格はないんだけどな。
「道長、グラウンド走ってくるけどどうする?」
「オレはいいや」
「分かった。んじゃ行ってくる」
賢介が軽く手を上げて走り去って行った。
放課後に部活を控えているというのに元気なものだ。
「さて」
今日の体育はソフトボール。
準備運動を終えた生徒からグラブを手にしてキャッチボールを始めているが我がクラスの元気印こと灯はグラウンドの隅でひっそりと壁当てをしていた。
「何を黄昏てるんだ?」
「道長くん」
グラブにボールを収めて灯が振り返る。
「灯が元気が無いと他の奴が心配するぞ」
「うん、そうだよね」
「結城さんのことか?」
オレが思い付く中で灯のメンタルを左右する直近の出来事と言えばそれくらいだ。
オレの予想が当たったのか灯は静かに頷いた。
「結城さん、学校にはもう来ないって。今日は早退するみたい」
「さっきの国語の授業が原因か?」
「それもあるけどそれだけじゃないみたい。理由を聞こうとしたらあなたには分からないって突き放されちゃった」
灯が力無く笑う。
こちらが寄り添おうとしても拒絶されてしまったらそれ以上は踏み込めない。
灯は自分の力の無さを痛感したのだろう。
「クラスで1番コミュニケーション能力の高い灯でダメだったんなら仕方が無いんじゃないか?」
「でも、クラスメイトが欠けちゃうのは寂しいよ」
とは言っても結城本人が決めたことに対して第三者が口出しすることはできない。
それに結城を引き留めたところで彼女が抱える問題を根本から解決しない限りただただ辛い日々が待っている。
それこそ生き地獄のような日々だろう。
新クラスになってからまだ日が浅い。
結城のように壁を作っている生徒と打ち解けるにはもう少し時間が必要だ。
結城に関してはもうその時間が無いのだが。
「ごめん! そっちにボール行った!!」
耳心地の良い金属音からやや遅れてそんな叫び声が聞こえてきた。
瞬時にボールの行方を探すべく声がした上空に視線を向ける。
「不味い」
飛んできたボールがオレたちの10メートル手前でバウンドした。
転がってきたボールを灯が拾って投げ返す。
「何が不味いの?」
灯がオレの顔を見てからオレの視線の先をゆっくりと追っていく。
「結城さん?」
どうやら灯も目が良いらしい。
校舎の屋上を映すオレの瞳は結城の姿を捉えていた。
あと一歩踏み出せば地上に落ちてしまうギリギリの所に立ち、グラウンドで運動しているオレたちの様子を観察している。
風で髪が靡き、スカートが翻るが微動だにしない。
「おい、2人で何見てるんだ?」
ランニングを終えた賢介がオレたちの元にやってきた。
オレと灯が何も言葉を発さないことに違和感を感じたのか顔を上に上げていく。
「あれは結城さんか? まさか飛び降りたりしないよな?」
目の前で誰かが死ぬ。
オレの脳裏に1年前の記憶が蘇る。
心臓が跳ねる。
次の瞬間、賢介の言葉が現実になる。
結城の両足が地面から離れた。
「死なせない……」
そう小さく呟いた灯が誰よりも早く駆け出していた。
僅かに遅れてオレも地面を蹴る。
どれだけ足が早くても絶対に間に合わない。
屋上から飛び降りた結城は校舎の2階を通り越し、1階へと迫っていた。
地面到達まで1秒も無いだろう。
オレと灯が走る姿を見て、周囲も結城の飛び降りに気が付き出した。
容易に想像できる結末から誰もが目を逸らす。
「瞬間移動!」
灯が叫ぶ。
刹那、オレの目の前には飛び降りたはずの結城の背中があった。
続いて女子生徒の悲鳴がグラウンドに響き渡る。
地上から屋上は約12メートル。
草や木がクッションになれば助かっていたかもしれないが残念ながら校舎の真下はコンクリートだ。
灯の身体はあり得ない方向に曲がっていた。
頭を強く打ったのか頭部からも酷い出血が見受けられる。
オレは瞬時に灯が助からないことを悟った。
いくら現代医学が発達しているからといってもこれは無理だ。手の施しようが無い。
結城を庇って灯が死んだ。
一瞬の出来事で頭が追いつかないが現実として起こってしまった。
結城はというとその場に立ち尽くしたまま遠目でこちらを見ていた。
灯は以前ハンバーガーショップで「この力が役に立つかは分からないけど誰かを助けることができるなら私は迷わずに使う」と言っていた。
自分の命と引き換えに有言実行して見せたのだ。
灯と過ごした短かったけど濃密な時間が脳内に流れる。
いつも明るくてクラスのムードメーカーで常にクラスメイトのことを考えていた。
わがままなところもあったけどそれも彼女の魅力だった。
身近な人間が目の前で死なれるのはもう懲り懲りだ。
あのとき2度と力を使わないと自分に誓ったけど、ここでやらないと一生後悔する。
力を使ったところで灯が助かる保証はどこにもない。
ただ、やらない後悔よりもやってみて後悔した方がいい。
「待っててくれ灯」
目を閉じて意識を集中させる。
強力な力ほど使用者に要求される代償は大きくなる。
オレの力は過去に戻ることができるというもの。
24時間以内のどこかに飛ばされる。時間の指定はできない。
代償は記憶の一部を失うというもの。
過去に戻って結城の自殺を阻止することが結果的に灯の死の回避に繋がる。
脳が焼けるように熱い。
力と引き換えに脳に保存されている記憶が消去されているのだろう。
家族との思い出が、友人と遊んだときの記憶が走馬灯のように駆け抜けていく。
もう後戻りはできない。
オレは進むしかない。
「時間跳躍」