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 ここはどこだ?
 目を覚ますとオレはベッドの上にいた。

「お母さん! お兄ちゃんが起きた!!」

 ベッドの脇に座っていた莉緒がオレの顔を見るなり、慌ただしく部屋から出て行った。

「痛ッ!?」

 状況を把握するべく体を起こそうと背中に力を入れると信じられないほどの激痛が走った。
 左腕は包帯でぐるぐる巻きにされておりギプスで固定されている。
 まあ、屋上から飛び降りて生きているだけで奇跡だな。

 外の世界は夕焼けで赤に染まっていた。
 複数のカラスの群れが山に向かって帰っていく様子が見られるのも田舎ならではの光景だろう。

 見慣れている変わらない光景。
 どれだけ辛いことがあっても空を見上げれば変わらない景色がある。
 またこうしてこの景色を見ることができたということは自分の行いが正しかったという証明に繋がる。

 オレはやり遂げたのだ。

「道長! 体の具合はどう?」

 莉緒が母さんを連れて部屋に戻ってきた。
 オレの頭を優しく撫でる母さんの手が温かい。

「あちこち痛いけど大丈夫だよ」

「お兄ちゃん、ほんと心配したんだからね! 生きてて良かった」

 莉緒の言葉がチクリと胸に刺さる。
 いくら結城の自殺を阻止するためとはいえ、無茶をし過ぎた。
 タイムリープをしてからというもの絶対に失敗できないと自分自身にプレッシャーをかけ続けていた緊張の糸がようやく切れた。

「全身の打撲と左腕は骨折だって。落ちた場所にたまたまマットが敷いてあったからクッションになったけどそうじゃなかったらまず助からなかったって病院の先生が言ってたわ」

「しばらくは入院生活だね」

 怪我は時間を掛けて治せばいい。
 2学年のスタートダッシュに出遅れることになるが焦ることはない。

「そうだ。結城さんと灯はどうなった?」

 灯が瞬間移動を使っていたのだとすれば結城が無事なのは間違いない。
 問題は灯の安否だ。

「結城さんは道長に話したいことがあるって廊下で待ってるわ。児玉灯さんは別な病室で入院することになったそうよ」

「そう、なのか」

 誰も命を落としていない。
 その事実が知れただけでとりあえずは安心した。

「学校で何があったかは一通り結城さんから説明してもらったから把握はしてるつもり。怪我を治して頭の整理がついたら道長の口からも聞かせてね」

「うん、分かった」

 今は何も聞かない。
 母さんなりの優しさだろう。

「明日もお見舞いに来るからお医者さんの言うことは聞くんだよ」

 莉緒が悪戯っぽく笑った。

「うっさい。分かってるっつーの」

「それじゃあ、何かあったら携帯に連絡してね」

 タオルやら下着やらが入った紙袋をベッド脇のテーブルに置いて母さんと莉緒が病室を後にした。
 
—2—

 少しして病室に控え目なノックが響く。
 医者であればノックと同時に声を掛けてくるはずなので恐らく結城だろう。
 廊下で待ってるって言ってたもんな。

「どうぞ」

「失礼します」

 恐る恐るといった感じで結城が入ってきた。
 オレの左腕のギプスを見て表情を曇らせる。

「とりあえず座るか?」

 会話が弾むはずも無いので場を繋ぐ意味でベッド脇の椅子をすすめてみた。
 気まずい。
 オレが気まずさを感じる必要は無いのかもしれないが自殺未遂の後ともなれば話題に困る。

 一定のリズムで刻まれる時計の長針のカチッカチッという音が室内に響く。
 何もしない1分間って意外と長く感じるものなんだな。

「佐伯くん、私のせいで申し訳ありませんでした」

 結城が頭を深く下げた。

「結城さんは怪我とかしてない?」

「は、はい、私は大丈夫です。気が付いたらグラウンドに立っていたので」

「そっか」

 やっぱりあれは空耳じゃなかった。
 灯が力を発動させて結城と場所を入れ替わったみたいだ。

 訪れる沈黙。

 全てを終えても尚、色々と考えてしまう。
 自ら命を絶つ決断をした結城。相当の覚悟と勇気を持って屋上から飛び降りたはずだ。
 それをオレが阻止してしまった。でも阻止しなければ関係の無い灯が身代わりとなって命を落としていた。
 だからオレは力を使って全力で運命に抗ったんだ。
 オレの選択は本当に正しかったんだよな?
 後悔が残らないために力を使ったはずなのに答えの出ない疑問が次々と湧いてきてオレの思考を止める。
 こんな時は全て吐き出して頭の中を整理するしかない。

「昔の人は辛いことから逃げること=悪っていう風潮があったけど、現代では肯定され始めてる」

「そうですね」

「学校や会社が辛かったら辞めればいい。心が摩耗しきったら人は動けなくなってしまう。だから危険を察知したら自分で休息期間を設けるべきだ。心が回復したらまた復帰すればいい。大人達はそう言うよね」

「はい」

「オレもそうだと思う。でも結城さん、死ぬのは違う。お前が死んだら残された人はどう思う? 両親は? 親戚は? クラスメイトは? 結城さんがこれまで出会ってきた人達はきっと悲しむと思うぞ。少なくてもオレは悲しい」

 言っていて思う。
 これはあくまでも他人視点の意見であって、1番辛い思いをしている結城本人の気持ちは組み込まれていない。
 お前が死んだら周りが悲しむ。だから生きろ。こんなに無責任な言葉があるだろうか。

 辛い思いをしている結城を救わなければ何も解決しない。
 頭を使え。人はなぜ自ら命を落とす? 結城はなぜ命を落とそうとした?
 過去の辛い体験がトラウマとなり、未来に希望を持てなくなってしまった。
 苦しむ日々が続くのなら全てを投げ捨てて楽になりたい。

 結城は飛び降りる前にクラスメイトを眺めていた。
 心のどこかでは生きたいという思いも残っていたんじゃないか?

「屋上で話していたような嫌な思い出もあるかもしれない。だけどこれからはどうだ? オレや灯、2年6組のみんなと楽しい思い出を作ってみないか?」

 過去は消えない。
 だからこそ人は未来を向いて歩いていく。
 心に刻まれた深い傷は楽しい思い出で上書きすればいい。

「迷惑を掛けた私をみんなは受け入れてくれるでしょうか?」

「誰かを仲間外れにしたりするような人はあのクラスにはいないよ。もし仮にそんな奴がいたらまたオレや灯が力になる」

「ありがとうございます」

 オレの言葉がどれだけ結城の救いになったのかは分からない。
 だが、結城の目に僅かに光が戻っていた。

「佐伯くん、私もう少しだけ頑張ってみようと思います」

 心に傷を負った人間は他人の痛みを理解し、寄り添うことができる。
 なぜなら自分の経験と照らし合わせることができるからだ。
 これは誰もができるわけではない。

 その一方で他人の痛みに共感してしまう傾向にある。
 残念なことにこの世界は優しい心を持っている人間ほど傷つきやすい。実に生きにくい世の中だ。

 だが、人間という生き物はそうやって、傷つきながら成長していくのだろう。