—1—

「あ、おかえり! 随分と遅かったんだね」

 教室に戻ると灯が弁当箱に蓋をするところだった。

「ちょっと色々あってな」

 会話を流しながら席に着き、鞄の中から弁当箱を取り出す。

「結城さんと何かあったの?」

「なんで結城さんの名前が出てくるんだ?」

 ピンポイントで結城の名前を出したということは灯の中で何か引っ掛かる点があったのだろう。

「道長くん、自分じゃ気付いてないのかもしれないけど朝から様子がおかしいし、授業中も窓際の方に視線を向けて難しい顔をしてたよ。さっきだって結城さんが出て行ってから後を追うように出て行ったでしょ」

「よく見てるんだな」

「隣の席だから目に入るの。別に意識して見てた訳じゃないからね」

 灯はこう言っているが恐らくオレの些細な変化を感じ取っての発言だろう。
 灯の死を目の当たりにして、灯を守ろうとするがあまり変に距離を作ってしまっていたのかもしれない。
 これはオレのミスだ。

 オレ以外の人間にイレギュラーな行動を取られてしまうといざという時に対処できなくなる。
 なるべく前回の時間軸をなぞるように立ち回りつつ、結城本人に直接接触することで未来を変えようと試みたがこの先どうなるかは正直見当もつかない。

 ただ1つ言えることがあるとすれば1度確定している未来はそう簡単に塗り替えることができない。
 結城が自殺をする未来はきっとやってくる。
 だからこそオレはあらゆる方法で阻止しなくてはならない。

「悪いが今はまだ話せない」

「いつなら話せるの?」

「今日が終われば全部話せると思う」

「長いなー。私に何かできることがあったら協力するよ?」

 灯の申し出に縋りつきたいのは山々だが、巻き込むわけにはいかない。
 しかし、オレ1人でできることも限られている。
 行動をこちらでコントロールできるのであれば手足を増やしておくのは悪くない。

「じゃあ、今日1日何も言わずにオレの言うことを聞いてくれないか?」

「え、何それ? なんかドキドキするね」

 オレの言葉を変な意味で捉えたのか灯が自分の体を抱きしめる仕草を見せた。

「勘違いするなって。別にそういう意味じゃないから」

「じゃあどういう意味よ」

「灯は灯らしく、灯が正しいと思った行動を取ってくれ」

「う、うん? そういうことなら、了解!」

 灯はビシッと敬礼のポーズを取った。
 灯には自然体でいてもらった方がいい。
 オレが事細かに説明をしなくても周りが見えている灯なら今後オレが取る行動の意図も汲み取ってくれるはずだ。

—2—

 運命の分岐点とも言える国語の授業。
 授業風景は前回と変わらず。耳を澄ませれば音読をしている生徒の声に紛れて複数人の寝息が聞こえてくる。
 食後で睡魔に襲われているのか、はたまた次の体育の授業に備えて体力を温存させているのか。

 オレとしては他人に迷惑を掛けてさえいなければそれほど気にならないが、教師としては面白くないだろうな。
 毎回授業の準備をして、小テストを作り、定期考査までの授業回数で教科書の中身を進めなくてはならない。細かい段取りも組んでいるはずだ。
 それに加えて放課後はテニス部の顧問として生徒を指導している。練習試合や大会で土日は長時間拘束を余儀なくされる。

 そうなると授業の準備は他の企業で言うところの残業で補わなくてはならない。
 それだけの労力を掛けていざ授業に臨んだ結果がこれだ。
 そりゃ、山田先生が怒りたくなるのも分からなくはない。
 だが、だからと言って結城に八つ当たりをしていい理由にはならない。

「次、誰ですか?」

 ピリついた声色に思わず心臓を鷲掴みにされたかのような感覚に陥る。
 教室の空気が引き締まり、居眠り組も体を起こして背筋を正した。
 山田先生の視線が音読を中断させた張本人である結城に注がれる。

「結城さん、結城さんの番だよ」

 女子生徒が机に突っ伏していた結城の肩を揺らす。
 慌てて飛び起きた結城は急いで教科書を開くもどこから読むのかが分からない。

「ここ、ここからだよ」

 教科書に指をさしてもらってようやく結城が読み始めた。
 注目の的となり、強いプレッシャーを感じて声が震えている。
 恐らく無意識に力が発動しているに違いない。
 頭の中に複数の声が流れ込んでいるはずだ。

「結城さん、私の授業はそんなにつまらないですか?」

 なんとか読み終えた結城に山田先生が追い討ちをかける。
 先程まで居眠りをしていた生徒も他人のフリを決め込み、全ての責任を結城1人に押し付ける構えを取る。
 防衛本能が働いているのだろう。無条件反応なら責めることはできない。

「い、いえ」

「あなたは何のために学校に来ているんですか? 寝るためですか?」

「……」

 冷たい言葉が鋭利な矢となって結城に浴びせられる。
 学校という組織において教師は絶対だ。
 生徒は教師に逆らう術を持っていない。

 SNSが発達した現代では隠し撮りをして拡散するという手段もあるが、諸刃の剣であることは言うまでもない。
 それに今回に至っては居眠りをしていた事実もあるから結城も飲み込むしかない。
 例えそれが力の代償が原因だったとしても。

「どうなんですか、結城さん?」

「わ、私は、ただ普通に授業を受けて平凡な生活を送りたいだけなんです。でも、力が、この力のせいで……」

 結城が内に秘めていた思いを吐き出した。
 後半は言葉に詰まってしまったが心からの叫びを感じ取ることができた。

「力? 力が何ですか? 言い訳をしたところで寝ていい理由にはなりませんよ」

 山田先生の圧に負けて結城は言葉を返すことができない。
 緊張状態がピークに達しているのか立っているのでやっとといった様子だ。
 呼吸が乱れて焦点が定まっていない。
 これ以上は本当に限界だろう。

「先生、すいません。オレも寝てました」

 大きく手を挙げて立ち上がる。
 静まっている教室は声を張り上げなくてもよく響いた。
 動作を大きくすることで結城に向いていた周囲の視線を自分に集める。
 結城に詰め寄っていた山田先生もこちらに視線を向けざるを得ない。

「佐伯さん、どういうことですか?」

「いや、オレも寝てしまったので名乗り出た方がいいかと思いまして。同罪なのに結城さんだけが責められている状況も違うかなって」

「先生をからかっているんですか?」

「先生をからかって誰に得があるんですか?」

「……分かりました。もういいです。白幡先生に相談した上で結城さんと佐伯さんの処罰を決めたいと思います」

 溜め息混じりに山田先生がそう締めくくった。
 まあ、それが妥当な判断だろう。