中学三年のある日、僕はいつものように動画投稿サイトを開いた。ただ何の目的もなく、あると
すれば受験からの現実逃避のために今日も動画の世界へ逃げていく。すると今まで見たことの
ない投稿者の動画が目に入る。特に何も考えることもなくただの興味本位で開いてみる。内容は
視聴者からの質問返信のようだ。ありふれた、何の面白みもない動画。ただ、声が気に入った。
僕は最後まで動画を見ることにした。すると何故だろう、何の面白みも感じなかったはずなのに
次第に動画に引き込まれていった。声の出し方だろうか、考えてみるけれど結局結論はでなかっ
た。その日は彼女の歌動画を見てサイトを閉じた。彼女の声は少しダウナーで、可愛いというより
はカッコよくて、心に響くような声だった。その日以来暇があれば彼女の動画を見ていた。今まで
はただの現実逃避だけで開いていたサイトだったのにいつからか彼女の動画を楽しみにして開く
ようになっていた。僕はすっかり彼女の虜になってしまっていた。
あれから僕の受験勉強のお供はずっと彼女の動画だった。朝起きてその寝ぼけた眼で準備を
し、机に向かう、そして勉強をしながら彼女の動画を聞く、ひとつの動画が終わればまた次の動
画、こうやって何度も動画を見続ける。当然、彼女の動画も無限ではなく、いずれは全てを見きっ
てしまう、だがそうなればまた一周する。それを夜になるまで繰り返し 、夜寝る前には新しく上
がった動画を見る。これは僕のルーティンであり、僕の生きがいだった。その時からずっと、僕は
彼女の虜だった。そんな彼女の活動だっていつかは終わる、動画なんてのはそんなものかもしれ
ないけれど、そんなものは僕にはどうでもよかった。
それからしばらくして、遂にやってきた受験当日。僕は緊張した面持ちで受験会場に向かった。
緊張こそしていたが午前のテストはなかなか良い結果を出せたと思う。残りは午後のテストだけ。
そう思い昼食をとっていたら、ふと聞き覚えのある声が聞こえた。その少しダウナーでカッコいい
声はまさに今まで毎日のように聞いていた彼女の声だった。聞き間違えるはずもない、あの声
だった。その声の主は友人と会話しているようだ。でも僕は少し怖くなって声の主を確認すること
はなかった。きっと自分の幻想が崩れるのが嫌だったんだろう。テストが終わった帰り際、またあ
の声が聞こえた。僕は逃げるように帰った。そしてその日は彼女の動画を見ることなく寝てしまっ
た。次の日僕は昨日のことを考えないようにしながら彼女の動画を見た。でも、今までとは違う。
どうしても素直には聞くことが出来ない。どうしてこんなにも彼女のことが気になるのだろうか。
合格発表の日、僕は第一志望のあの高校に合格していた。あの日のことはもうすっかり記憶か
ら抜け落ちていた。その日は彼女の声は聞こえなかった。でも、心のどこかに安堵の気持ちがあ
り、そっと胸を撫で下ろす。これが彼女の声を聞かなかったが故なのか、第一志望校に合格出来
ていたからなのかは分からない。ただ、その日は彼女の動画を久しぶりに素直に楽しむことがで
きた。
しばらく時は経ち、入学式、僕はあまりにも想定外のところで彼女の声を聞いた。それは新入生
代表挨拶だ。つまりそれは彼女が主席で入学したことを示していた。僕はそこで初めて彼女の顔
を見た。とても整った顔立ちだった。彼女の声によくあっていた。その瞬間僕は心のどこかで安堵
していた。夢が、幻想が、壊れなかったことに安堵したのだろう。それと同時により一層彼女に惹
かれていった。その後、最初のHR。彼女は僕と同じクラスだった。でも、僕は無関心なふりをして
中学の頃の友人と話をした。そして、帰った後また彼女の動画を見た。以前とは違った視点で、
でも楽しく彼女の動画を楽しめた。きっと今後もそうなるんだろう。
それからしばらくして、ある程度友人関係も固まり、それぞれのグループが形成されていった
頃、クラスの大半が参加する集まりがあった。その集まりには僕の友人が全員参加するということで、僕も参加することにした。集合場所に着いた時、まだそこには彼女しかいなかった。ちょうど
いいと思い、僕は彼女にあのことについて尋ねる決心をした。どうしてそんな決心ができたのか
は今でさえ僕には分からない 。彼女はあっさり教えてくれた。ただ、それと同時にこのことを口外
しないようにとも言われた。無論、僕はこのことを誰かに言う気はさらさら無かった。僕と彼女、2
人の秘密が僕らを少し親密にしたようだった。そして彼女と連絡先を交換したところで他のクラス
メート達も少しずつ集まってきた。その後はお互いに何事もなかったかのように過ごし、帰宅し
た。帰宅してすぐ僕は彼女からメッセージが来ていることに気がついた。それは「いつ自分のこと
を知ったのか?」という内容だった。僕は偽ることなく答えた。その後も少し会話をして互いに寝る
ことになった。僕はいつも通り彼女の動画を少し見て寝た。やはりまた、彼女の動画を見る視点
が少し変わったようだった。
それから彼女とは友達となり、他愛もない日々を過ごし数ヶ月が経った。時折、放課後に一緒
に帰ったり、休日にその他の友人たちと一緒に集まって遊んだり、高校生にありがちな楽しい
日々を過ごした。その日常は非常に楽しく彼女とはあの秘密のこともあり、少し仲が深まったよう
に感じていた。だが、少しづつ違和感を感じていたような気がするのは今だからだろうか。ただ、
その時の僕はその違和感に気づかないように目を背けていた。
ある日彼女は急に僕のメッセージをブロックし、動画投稿をやめた。あまりにも急なことで、僕
だけでなく、ほかの視聴者も混乱していたようだった。その日以来、彼女は明確に僕を避けるよう
になった。それ以外に変わったことといえば彼女の髪が短くなったことだった。それまではロング
とまではいかないけれど少なくとも短くはなかった彼女の髪型が明らかに短くなっていた。僕は察
した。そして次の日彼女が彼氏と別れたという噂が当然のように広まった。誰もがわかっていた
が誰も言及していなかった。ただ、皆一様に驚いていたことは、優等生だった彼女に彼氏がいた
こと、そしてそのことを誰も、彼女の友人もそして秘密を唯一共有している僕でさえも気づけな
かったことだ。しかも噂によると彼女は自分から彼氏をフったらしい。なのに髪を切っている。謎し
か残らなかった。
あれから彼女は明らかに変わっていった。成績は変わらないし、授業態度は変わらない。教師
から見れば髪以外の変化はなかっただろう。だが、生徒から見ればその変化は一目瞭然だっ
た。今までは休憩時間などは友人たちと楽しそうに話し、放課後は友人たちと寄り道したりして普
通の高校生のように暮らしていた。なのに、今の彼女は人との関わりを避け、ただひたすらに周
りから避けられるような行動をしていた。
3年生の夏、その日は僕も流石に高3の夏ということで受験勉強に励んでいた。そのとき急にス
マホに通知が入った。別に通知が入るのはよくあることでいつものように無視しようかとも思った
が、勉強を始めて3時間が経っていたということもあって僕は息抜きがてらスマホを見てみた。す
ると、どういうことだろうブロックされていたはずの彼女からメッセージが来ていた。僕は少し動揺
しながらそのメッセージを開いてみた。そのメッセージには、「この動画を見て」という内容とともに
動画のURLが送られてきた。その動画は30分ほどの少し長いものであった。その動画はURLを
知っている人間しか視聴できない所謂「限定公開」というものだった。その動画の内容を要約する
とこうだった。彼女は僕に恋していたらしい。2年前、話しかけられた時は何とも思っていなかった
が、話をしていくうちに自分のことを語ってくれる僕に恋したらしい。その時付き合っていた彼氏は
中学の頃から付き合っていたが互いに少し冷めてきてることに気づいていて、髪を切ったあの日
の前日、遂に彼をフってしまったそうだ。でもその理由が僕への恋であったことが後ろめたかった
らしく僕との関わりをほぼ全て絶ってしまったそうだ。動画もそもそも投稿自体が負担になってい
たこともあり、そのタイミングに合わせてやめてしまったそうだ。そうして、僕へのひっそりとした恋
心を消し去り、罪悪感から逃げようとしていたのだ。そして、遂にあることを伝える決心がついた
からこの動画を見終わったら会って話がしたいということだった。
再会の場所は初めて会話したあの場所だった。僕は足早にその場所へ向かう。大体動画が投
稿されてから50分が経過した頃だろうか。あの日と同じ服装の彼女があの日と同じように待って
いた。到着するなり彼女は、これまでの思いを動画よりも詳細に語ってくれた。あの楽しい日々を
過ごす度、僕に対する印象が少しづつ良くなっていったこと、彼氏と過ごすよりも友人たちと過ご
す日々が楽しかったこと、そういった日々を過ごす度に、僕への思いがドンドン深まっていってい
たことを。そして最後に告白をしてくれた。きっとそれは非常に苦悩の多い決断だったのだろう。
日常を壊し、ずっと抑え続けた思い。だが、抑えきれなかった思い。それらを一途に吐露したの
だ。あまりに一瞬の出来事であったが、状況を理解するのにそんなに長い時間は要さなかった。
なぜなら、僕はすでにこうなるであろうことを予想していたし、そう予想するのはあまりに容易だっ
たからだ。だがしかし、僕は返答に戸惑った。来る途中に何度も返答を考えた。でも、考えても考
えても僕がどうしたいのかがわからなかった。確かに彼女のことは好きだったが、それはあくまで
も「配信者」としての彼女であり、「友達」としての彼女だったのだ。1人の「異性」としての彼女を好
きであるかがわからなかった。そして静寂が訪れる。結局その時に返答が出せなかった。痺れを
切らした彼女が、返事は後日で良いと言って帰ってしまったからだ。僕はその場に数分ほど立ち
尽くしてしまった。どうしたら良かったのだろう。今でも僕はその決断を出すことが出来ないだろ
う。
それから時が経ち卒業式。僕はそれまで答えを出せないでいた。何度も何度も考えたが結論は
見つからず、どうしようもない日々が続いた。だが、彼女は昔のように動画投稿を再会し、僕や友
人たちともまた仲良くなった。まるでその間の2年間がなかったかのように。彼女の友人たちもあ
る程度の事情は察していたのだろう。彼女を受け入れ、また楽しい日々を過ごした。関わらな
かった日々に比べ、非常に短い期間だった。その間も受験で忙しく、あまり遊んだりすることはで
きなかったけど、ハロウィンやクリスマスのようなイベントでは楽しく遊んだ。そして、この日、また
あの日のようにクラスの集まりがあった。僕と彼女は別々のクラスではあったけど偶然にも集合
場所と時間が一緒だったのだ。僕は集合場所へ向かった。あの日のように彼女はその場所にい
た。まるで僕が来るのがわかっていたかのように、僕が来ると手を振った。その時、僕は決心し
た。最初、少しの間は他愛もないいつも通りの会話をした。そして会話が途切れたその時、僕は
遂に心に決めた言葉を発した。彼女はその言葉に驚き、言葉を失う。静寂が訪れる。そして彼女
は泣きながら頷いた。
4年後、僕は疲れながらも大学の卒業式終わりの道を急ぐ。なんせ今日は「あの日」なのだか
ら。家に着き、僕はスマホを開く。いつものように動画が投稿されている。だが今日はいつもとは
違う1時間の長尺動画だ。動画内の彼女は語り始める。そして、最後にこう述べられる「今まであ
りがとうございました」。彼女の投稿はまた、この日を境に終わった。彼女は今何をしているのだ
ろうか。彼女はこれから先も自分の道を歩み続ける。僕も自分の道を歩み始める。