日が沈み、夕餉も終わった頃のことだ。

 ひたひたと不気味な音が光汰の部屋へと迫っていた。
 ぴたりと音が止まると、何者かが廊下に立っていた。しかし声をかける様子はない。

 不思議に思った光汰が障子を開けると、そこには暁美がいた。


「なんだ、お前か」
「お兄さま、お部屋に入れてくださる?」

 やけにご機嫌の暁美に、光汰は眉をひそめた。


 ついこのあいだ暁美と喧嘩のような言い争いをしたばかりだ。
 それなのに、彼女はもう忘れてしまったようにけろりとしている。

 いつもの暁美なら機嫌が直るまで時間がかかる。
 光汰は不思議に思ったが、それでも彼女を部屋へ入れた。


「どうしたんだよ?」
「あたし、ちょっとお兄さまにお願いがあるの」
「月夜のことなら話は聞かないぞ。俺はもう月夜とは関わらないことにした。あいつはもう嫁に行くんだ。俺が邪魔するわけにはいかないからな」

 それを聞いた暁美は笑顔のまま、唇をぎゅっと噛んだ。


「そのことだけど、あたしも月夜を応援しようと思うの」

 光汰は意外だとでも言うように、驚愕の表情を暁美に向けた。
 暁美はにっこりと笑ったまま続ける。


「たしかにあの子は不憫だわ。今までずっとあたしが優遇されてきたもの。あの子にも一度くらい、いい思いをさせてあげようと思うの」
「お前、どういう心境の変化だよ?」


 暁美の言うことがいまいち信用できない光汰は怪訝な表情を彼女に向ける。
 暁美は両手を背後にまわしたまま、首を傾けて微笑んでいる。
 彼女の機嫌がいいときは、何かをねだるときだと光汰は思っている。


「何がほしい?」

 光汰はため息まじりに訊いた。
 すると暁美は口角を上げてにんまり笑った。


「お兄さまの血がほしいの」
「はっ……?」

 意味がわからないと言うように光汰が眉根を寄せる。


「お兄さまは昔、月夜に血をあげたでしょう? だから、あたしにもちょうだい」
「いや、お前やっぱりおかしいぞ」


 あとずさりする光汰に、暁美はじりじりと迫っていく。
 そして、暁美は背後から(はさみ)を取り出した。
 それを見た光汰は額に冷や汗をかき、狼狽えながら声を荒らげる。


「やめろよ。変なこと考えるなよ」
「お兄さまもわかっているでしょう? この家には強い妖力を持ったあやかしが必要だって」


 自身に向けられた(はさみ)と暁美の言葉で、光汰は彼女が何をするのか悟った。
 とっさに身をひるがえし、文机(ふづくえ)の分厚い本を手に取る。
 背後に殺気を感じてとっさに本を掲げると、暁美の突き出した(はさみ)が深く突き刺さった。


「やめろよ、お前。冗談じゃないぞ」
「ええ、冗談じゃないわよ」
「暁美!」
「あたしは月夜よりも強いあやかしになって、みんなに認められる存在になるの。平民の男になんか嫁いだりしないわ」


 暁美が本に突き刺さった(はさみ)を引き抜いた反動で、光汰はよろけて尻もちをついた。
 顔を上げると不気味な笑みを浮かべる暁美の姿。
 光汰は絶望感に打ちひしがれる。


「あけ、み……」
「ごめんね、お兄さま」

 暁美は笑いながらそう言うと、光汰に向けて(はさみ)を振り下ろした。