それは1908年のこと。
 長きにわたり閉鎖されていた国は、(ひら)かれるとわずか40年ほどで見違えるほどに変貌した。
 だが、そのことを知らずに育った少女がいた。

 彼女はしっとりと降り積もる雪の様子も、ひらひらと舞う桜の花びらも、ほとんど目にすることができなかった。
 何よりも、光を見ることができなかったのである。


 少女の名は月夜(つきよ)
 大きな屋敷の奥にある日の当たらない狭い部屋で、誰にもその存在を知られることなく暮らしていた。


 そんな月夜の唯一の楽しみは誕生日に見知らぬ者から届く手紙と贈り物だった。
 それは月夜が10歳の誕生日から続いている。

 美しい字で書かれたその手紙にはあたたかい言葉がいくつも並ぶ。
 誕生日の祝いの言葉、月夜の成長を祈る言葉、そしていつの日か会えることを願う言葉だ。
 それほど長い文章ではなく、ほんの数行のものだったけれど、月夜にとって年に一度のこの行事が生きる気力になっていた。


 手紙の最後にはいつも〈からす〉と書かれていた。


「どんな人だろう?」


 周囲から冷たく扱われている月夜にとって見知らぬ〈からす〉はただ優しさにあふれていた。
 毎年届けられる手紙を丁寧にしわを伸ばした状態で、古い抽斗(ひきだし)にしまっている。


 両親は新しい年が明ける日に兄や姉には歳を重ねる祝いをしていたが、月夜にはそれを与えなかった。
 新年は祖母への挨拶のために唯一家族全員と顔を合わせることになるが、月夜の存在など空気にすぎなかった。


 月夜は〈からす〉に返事を書いて、祖母に渡してもらった。
 しかし、家族から手紙を捨てられそうになったことが幾度とある。
 彼らは祖母のいないときを見計らって月夜にいやがらせをするのだ。


 手紙の返事が〈からす〉に届いたのかどうか、月夜にはわからない。
 けれど、わずかな希望はある。


『いつか、あなたに会える日を――』


 14歳のときの手紙から〈からす〉はそんな言葉を記すようになった。
 お飾りの言葉なのかもしれないが、それだけが月夜にとっての救いだ。


「からすさん、私も会いたいです」

 月夜は手紙を胸に当てて、ひとりそっと呟いた。


 空気の乾燥した小さな4畳半の畳部屋には、必要最低限に置かれた棚と薄っぺらい敷布団があるだけ。
 その他には冬を越すために必要な火鉢がひとつ。
 あとは、祖母から与えられたわずかな書物だ。


「……どうか、この身がなくなる前に」


 月夜は震えながら祈るように目を閉じた。
 窓がないので外の様子はわからないが、手足が冷えるので雪でも降っているのだろう。
 火鉢に手をかざしながら、両手をこすり合わせる。
 蝋燭の照明が月夜の狭い部屋の中をわずかに照らす。


「雪が見たいなあ」


 真っ白でふわふわの雪を、いつか兄と庭で雪を投げながら遊んだ幼い日のことを、月夜は思いだしていた。
 いつ、ここから出られるのかわからない今となっては、自由に雪を見ることはできない。

 去年は一度も外へ出してもらえなかった。
 今年は雪を見る機会があるだろうか。


「桜の花も、見たいなあ」


 それはあまりに贅沢な願いだ。
 桜は一瞬で散ってしまう。最後に桜を見たのは遠い昔のことである。それも夜の桜だ。
 ひらひらと舞う純白の花がじわりと淡紅色に染まり、やがて世闇(やあん)に消えていく。
 月夜はそんな景色を想像して心の中で楽しんだ。


 明治41年1月。
 16歳の誕生日を迎えるこの年、月夜の運命は大きく変わることになる。