白川に手を引かれるまま辿り着いたのは、職員室の奥にある空き教室。空欄の室内札と埃臭い教室内を見るに、年単位で使われていなかった事が窺える。
「ほい」
私から手を離した白川が、スラックスのポケットから取り出した何かを私の手の内に落とす。
「とりあえず応急で」
よく見てみると、それは購買で売っている掌サイズの小さなリングメモ帳とボールペンだった。ぺらりと表紙を捲り、ボールペンをメモに走らせる。
こうして紙で筆談するのは久しぶりだ。タブレットの方が便利ではあるが、紙の方が書いていて落ち着く。
掌の上だった為安定感が無く殴り書きになってしまったが、なんとか書いた文字を白川に見せる。
〈女装、した事あるのか〉
メモを見た白川が、あからさまにその顔に不快感を表した。しかし心成しか、先程八神と話していた時の顔とは違って見える。
「嘘に決まってんじゃん」
何だ嘘だったのかよ。〈結構期待してたのに〉
「期待されても困る」白川が溜息をついて、「仮に女装した写真があっても、絶対に見せねぇからな」
つまらない奴だ。女装写真の一枚や二枚あれば、一生笑いものに出来るというのに。密かに落胆すると、そんな私を見抜いた白川が「お前まで食いつくなよ」と呆れた口調で言った。
会話が途切れ、溜息をひとつ。
何故、白川は私を助けてくれたのだろう。私に用事がある、というのは、あの場から連れ出すただの口実だ。そんなの、今の彼を見ていれば分かる。
もし、あの時白川が来てくれなかったら、私はどうなっていたのか。本当に、不良の先輩の元へ連れていかれてしまったのか。もし連れていかれていたら、どんな目に遭っていたのか。考えれば考える程、胃から何かがせり上がってくる様な恐怖感を覚える。
遅れてやってきた感情に手が震え、ボールペンの先がメモに擦れミミズが這った様な線を生み出した。
「あいつ、名前なんだっけ? 壮馬? とか呼ばれてたな」白川が私の感情に気付いているのかいないのか、独言を漏らす様に言う。「あいつは何もしてこないだろ。これ以上は」
胡乱な目を白川に向けると、「だって、あの女……えっと、椎名? だっけ。が、宥めてただろ」と軽い口調で続けた。
手の震えを抑えつけ、無理矢理メモに文字を紡ぐ。
〈そうとは限らない〉
「いや、大丈夫だって」スラックスのポケットに差し込まれていた白川の手が、徐に此方に伸ばされた。「遠海の事見てる奴、ちゃんと居るから。なんかあったら、その時は助けるから」
彼の手がぽんと頭の上に乗り、少々ぎこちない手付きで髪を撫でられる。
普段なら、振り払っていたはずの手。だが何故だか、今はその手が心地良く感じぎゅっとペンを握り締めた。
この男は何を思い、何を考えているのだろう。人付き合いも友達作りも怠い、恋愛もする気は無い、なんて自己紹介をしておいて、鬱陶しい程に私に構ってくる。こうして、私を助けてくれる。
顔を上げ、白川の目を真っ直ぐに見据える。色素の薄い茶色の目が私を見つめ返し、不覚にも鼓動が早まった。
「 」
ゆっくりと唇を動かし、紡いだ感謝の言葉。当然声は出ず、音も無い。しかし、メモを使わなかったのは、私なりの誠意であった。
「うん」白川が頷いて、柔らかく笑う。「どういたしまして」
昨日見た笑顔と同じだ。私を魅了させた、もう一度見たかったあの笑顔。
今朝バスの中で、心の内に芽吹いた感情。それは小さな植物の様で。
ざわざわと風が吹いた様にそれが揺れ、ゆっくりと、葉を開いた気がした。
彼の行動は私への同情か、それとも――
「ほい」
私から手を離した白川が、スラックスのポケットから取り出した何かを私の手の内に落とす。
「とりあえず応急で」
よく見てみると、それは購買で売っている掌サイズの小さなリングメモ帳とボールペンだった。ぺらりと表紙を捲り、ボールペンをメモに走らせる。
こうして紙で筆談するのは久しぶりだ。タブレットの方が便利ではあるが、紙の方が書いていて落ち着く。
掌の上だった為安定感が無く殴り書きになってしまったが、なんとか書いた文字を白川に見せる。
〈女装、した事あるのか〉
メモを見た白川が、あからさまにその顔に不快感を表した。しかし心成しか、先程八神と話していた時の顔とは違って見える。
「嘘に決まってんじゃん」
何だ嘘だったのかよ。〈結構期待してたのに〉
「期待されても困る」白川が溜息をついて、「仮に女装した写真があっても、絶対に見せねぇからな」
つまらない奴だ。女装写真の一枚や二枚あれば、一生笑いものに出来るというのに。密かに落胆すると、そんな私を見抜いた白川が「お前まで食いつくなよ」と呆れた口調で言った。
会話が途切れ、溜息をひとつ。
何故、白川は私を助けてくれたのだろう。私に用事がある、というのは、あの場から連れ出すただの口実だ。そんなの、今の彼を見ていれば分かる。
もし、あの時白川が来てくれなかったら、私はどうなっていたのか。本当に、不良の先輩の元へ連れていかれてしまったのか。もし連れていかれていたら、どんな目に遭っていたのか。考えれば考える程、胃から何かがせり上がってくる様な恐怖感を覚える。
遅れてやってきた感情に手が震え、ボールペンの先がメモに擦れミミズが這った様な線を生み出した。
「あいつ、名前なんだっけ? 壮馬? とか呼ばれてたな」白川が私の感情に気付いているのかいないのか、独言を漏らす様に言う。「あいつは何もしてこないだろ。これ以上は」
胡乱な目を白川に向けると、「だって、あの女……えっと、椎名? だっけ。が、宥めてただろ」と軽い口調で続けた。
手の震えを抑えつけ、無理矢理メモに文字を紡ぐ。
〈そうとは限らない〉
「いや、大丈夫だって」スラックスのポケットに差し込まれていた白川の手が、徐に此方に伸ばされた。「遠海の事見てる奴、ちゃんと居るから。なんかあったら、その時は助けるから」
彼の手がぽんと頭の上に乗り、少々ぎこちない手付きで髪を撫でられる。
普段なら、振り払っていたはずの手。だが何故だか、今はその手が心地良く感じぎゅっとペンを握り締めた。
この男は何を思い、何を考えているのだろう。人付き合いも友達作りも怠い、恋愛もする気は無い、なんて自己紹介をしておいて、鬱陶しい程に私に構ってくる。こうして、私を助けてくれる。
顔を上げ、白川の目を真っ直ぐに見据える。色素の薄い茶色の目が私を見つめ返し、不覚にも鼓動が早まった。
「 」
ゆっくりと唇を動かし、紡いだ感謝の言葉。当然声は出ず、音も無い。しかし、メモを使わなかったのは、私なりの誠意であった。
「うん」白川が頷いて、柔らかく笑う。「どういたしまして」
昨日見た笑顔と同じだ。私を魅了させた、もう一度見たかったあの笑顔。
今朝バスの中で、心の内に芽吹いた感情。それは小さな植物の様で。
ざわざわと風が吹いた様にそれが揺れ、ゆっくりと、葉を開いた気がした。
彼の行動は私への同情か、それとも――