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 卒業式には出席しなかった。
 引越の準備があるから、と言い訳した。父にも、自分自身にも。

 神崎くんのいない日常にはすぐ慣れた。
 けれど、心の中にぽっかりと穴が空いたような気分は、この三年あまり一度も消えてなくならなかった。
 在学中に何人かの男の人に告白されたが、断るばかりだった。そうこうしているうち、やがて私に声をかけたがる奇特な男性はひとりもいなくなった。

 帰省はほとんどしていない。
 就職活動の忙しなさが一段落した今月の中旬、私のアパートの近くまで立ち寄ったという父と彼女さんと一緒に、三人で食事に行っただけだ。
 そのとき、再婚するつもりだと伝えられた。でも、私の許しがないなら諦める、と。

 反射的に、私は首を横に振った。かつて確かに感じた嫌悪も意地も苛立ちも、最初からなにひとつなかったかのように。

『私のことはいいから、ふたりの気持ちを大事にして結論を出してほしい』

 そう伝えたとき、彼女さんは泣いていた。
 式は挙げないと言っていたから、それなら三人でお祝いしませんか、と提案した。今月末ならまとまった時間が取れそうだから、もし良かったら。それを聞いていた父の目も、妙に赤く染まって見えた。
 別に私は丸くなったわけではなく、かといって面倒だからと思考を放棄したわけでもない。ただ、余計なことは言わなくてもいいかと思ったのだ。そしてそれは多分、面倒だからという理由によるものではない。

 食事会の当日、帰り道。
 薄いピンク色のフォーマルタイプのワンピースに、それより少しだけ濃い色の花柄の傘。ここ一年伸ばし続けている肩下までの髪が、湿気を含んで重苦しく感じられてしまう。

 遊歩道に設置された白塗りのベンチは、以前よりも色褪せて見えた。
 しとしとと降り続ける雨はどことなく重い。しかし、遠目に覗く空の先では、雲の切れ間から陽の光がまっすぐ伸びている。神様でも舞い降りてきそうな雰囲気だ。

 六月末の夕方、一年で最も日の長い季節の雨。傘で弾ききれなかった残滓がじっとりと肌を湿らせる。
 その温度が、あの日と――初めて家出をした日と同じくらい生ぬるく感じられ、ふと傘を放り投げて走り出してしまいたい気分になる。
 結局、私は躊躇した。降って湧いた衝動を実行には移さず、ただ静かに深呼吸をして、思う。

(こういうことなのかな、大人になるっていうのは)

 思わず苦笑が零れ、私はおとなしくぱちんと傘を閉じた。途端に細い雨に全身を包み込まれ、本当にあの日みたいだと思う。
 ふ、と控えめな溜息が口をついた、そのときだった。

「……神谷」