「神谷!!」
また笑ってしまいそうになった。
……なんでだ。まだ電話、かけてないのに。
なんでわざわざ来てくれるんだ。なんでそうやって優しくするんだよ。
雪より冷たい大雨の中、私のために着の身着のまま部屋を飛び出して……そんなのは面倒くさがりな神崎くんらしくない。
嫌い。嫌いだ、あいつら皆。
でもね、私、私が一番、嫌いなの。
携帯を握り締めて声と涙を一緒くたに零し続ける私を、神崎くんはいつかのように自室へ連れていく。
今度は、タオルを手渡されるわけでも、馬鹿に大きなTシャツを差し出されるわけでもなかった。
玄関のドアを開け、私を室内へ押し込み、彼は空いた手でドアの鍵をかける。真っ暗闇のその場で、泣きじゃくる私の唇は、ひどく性急な仕種で神崎くんのそれに塞がれてしまった。
今まで交わしたどれよりも荒々しく感じたそのキスは、涙の味しかしなかった。
寒くて寒くて仕方なくて、なのに唇だけ意味が分からないほど熱い。
神崎くんとするキスが好きだ。
あたたかくて優しくて、頭の中身がどろどろに溶け落ちてしまいそうになって……おかしい。
……なんで今、私たち、こんなことしてるんだっけ。
この春から、神崎くんは地元の国立大へ、私は東京の大学へ進学する。
今までみたいに会えなくなっちゃうね、と先日つい零してしまった。泣きそうな気分をごまかしながら無理に笑って伝えたその言葉に、結局、神崎くんは黙ったきりで最後までなにも返してくれなかった。
好きになったのは、頼りたいと思ってしまっていたのは、私だけだった。
それがものすごく寂しくて、なのになんで今頃になってから、こんな。
腫れ始めていた頬を、長い指がそっと掠める。同じ場所を今度は唇が這う。不意に走った生温かさに、私は堪らず肩を震わせた。
わずかな反応を見逃さなかった神崎くんは、私の手を強く引き、ベッドへ押し倒した。パイプ製のシングルベッドはふたり分の体重に驚いてか、ぎしぎしと悲鳴じみた音を立てる。なんだか動物の鳴き声みたいだと、私はぼうっと思う。
いつかこんなことになるのではと、心のどこかでずっと思っていた。
それは期待であり、不安でもあった。そして別れが差し迫った今となっては、そんな気持ちよりも遥かに大きく、諦めに似た感情が膨れ上がってしまっている。
別に、私はこういう形を望んでいたわけでは……ああ、考えるの、もう面倒くさい。
ねぇ、神崎くん。
私、神崎くんが言ってた〝面倒くさい〟の意味、やっと分かったよ。
誰かと和解することは、他人と理解し合うことは、本当に面倒だ。
本当の気持ちを伝えるのが面倒。うまく伝わらないかもしれないから。
罵倒することさえ面倒。私を傷つける言葉が返ってくるかもしれないから。
――それでも私は、神崎くんにだけは、面倒だと思わないし思われたくもない。
言うべきだった。気持ちを自覚した時点で、きちんと伝えるべきだった。
好きだと伝えなかったのは、迷惑かもしれないと思ったから。それでもここへ通い続けたのは、少しでも一緒に過ごしたかったからだ。
けれどそれも、私はただ面倒ななにもかもから逃げたかっただけではないのか。そのことを、神崎くんは最初から見透かしていたのではないか。
そう思ったら最後、今からでも伝えるべきではなどという意志はあっけなく掻き消えてしまう。
たどたどしい手つきで、神崎くんは私に触れる。手慣れた感じは一切なかった。
玄関での強引なキスとは違い、私に触れる彼の指は震えていた。丁寧に丁寧に、冬の空気と冷たい雨に凍えた私の身体を指でなぞっては、同じ場所に唇を寄せる。
この部屋に避妊具があるという事実に、ショックを隠しきれなかった。
例の噂は多少なりとも真実なのかもしれない。そう思ったら怖くて怖くて、詳細を尋ねる勇気など私には少しも出せなかった。
心がじくじく痛む。息が詰まる。だからこそ、それ以上に身体を痛めつけてほしかった。
こんな心の傷なんかより、もっと痛くて苦しいものがこの世にはあって、それをどうしても神崎くんに証明してほしかった。神崎くんでなければ嫌だった。
それをしている間、神崎くんはなにも喋らなかった。
一度だけ『可愛い』と言われた気がするけれど、逼迫しきった頭ではうまく理解できなかった。次第に、そんなものは私の妄想が膨らんだ結果の幻聴なのかもしれない、とすら思えてくる始末。
好きな人と身体を重ねた。
それはとても嬉しいことだったはずなのに、幸せを感じられるはずだったのに、私の涙は止まらなかった。
その後、どれほど優しく口づけられても、どれほど丁寧に抱き締められても、全然止まらなかった。
また笑ってしまいそうになった。
……なんでだ。まだ電話、かけてないのに。
なんでわざわざ来てくれるんだ。なんでそうやって優しくするんだよ。
雪より冷たい大雨の中、私のために着の身着のまま部屋を飛び出して……そんなのは面倒くさがりな神崎くんらしくない。
嫌い。嫌いだ、あいつら皆。
でもね、私、私が一番、嫌いなの。
携帯を握り締めて声と涙を一緒くたに零し続ける私を、神崎くんはいつかのように自室へ連れていく。
今度は、タオルを手渡されるわけでも、馬鹿に大きなTシャツを差し出されるわけでもなかった。
玄関のドアを開け、私を室内へ押し込み、彼は空いた手でドアの鍵をかける。真っ暗闇のその場で、泣きじゃくる私の唇は、ひどく性急な仕種で神崎くんのそれに塞がれてしまった。
今まで交わしたどれよりも荒々しく感じたそのキスは、涙の味しかしなかった。
寒くて寒くて仕方なくて、なのに唇だけ意味が分からないほど熱い。
神崎くんとするキスが好きだ。
あたたかくて優しくて、頭の中身がどろどろに溶け落ちてしまいそうになって……おかしい。
……なんで今、私たち、こんなことしてるんだっけ。
この春から、神崎くんは地元の国立大へ、私は東京の大学へ進学する。
今までみたいに会えなくなっちゃうね、と先日つい零してしまった。泣きそうな気分をごまかしながら無理に笑って伝えたその言葉に、結局、神崎くんは黙ったきりで最後までなにも返してくれなかった。
好きになったのは、頼りたいと思ってしまっていたのは、私だけだった。
それがものすごく寂しくて、なのになんで今頃になってから、こんな。
腫れ始めていた頬を、長い指がそっと掠める。同じ場所を今度は唇が這う。不意に走った生温かさに、私は堪らず肩を震わせた。
わずかな反応を見逃さなかった神崎くんは、私の手を強く引き、ベッドへ押し倒した。パイプ製のシングルベッドはふたり分の体重に驚いてか、ぎしぎしと悲鳴じみた音を立てる。なんだか動物の鳴き声みたいだと、私はぼうっと思う。
いつかこんなことになるのではと、心のどこかでずっと思っていた。
それは期待であり、不安でもあった。そして別れが差し迫った今となっては、そんな気持ちよりも遥かに大きく、諦めに似た感情が膨れ上がってしまっている。
別に、私はこういう形を望んでいたわけでは……ああ、考えるの、もう面倒くさい。
ねぇ、神崎くん。
私、神崎くんが言ってた〝面倒くさい〟の意味、やっと分かったよ。
誰かと和解することは、他人と理解し合うことは、本当に面倒だ。
本当の気持ちを伝えるのが面倒。うまく伝わらないかもしれないから。
罵倒することさえ面倒。私を傷つける言葉が返ってくるかもしれないから。
――それでも私は、神崎くんにだけは、面倒だと思わないし思われたくもない。
言うべきだった。気持ちを自覚した時点で、きちんと伝えるべきだった。
好きだと伝えなかったのは、迷惑かもしれないと思ったから。それでもここへ通い続けたのは、少しでも一緒に過ごしたかったからだ。
けれどそれも、私はただ面倒ななにもかもから逃げたかっただけではないのか。そのことを、神崎くんは最初から見透かしていたのではないか。
そう思ったら最後、今からでも伝えるべきではなどという意志はあっけなく掻き消えてしまう。
たどたどしい手つきで、神崎くんは私に触れる。手慣れた感じは一切なかった。
玄関での強引なキスとは違い、私に触れる彼の指は震えていた。丁寧に丁寧に、冬の空気と冷たい雨に凍えた私の身体を指でなぞっては、同じ場所に唇を寄せる。
この部屋に避妊具があるという事実に、ショックを隠しきれなかった。
例の噂は多少なりとも真実なのかもしれない。そう思ったら怖くて怖くて、詳細を尋ねる勇気など私には少しも出せなかった。
心がじくじく痛む。息が詰まる。だからこそ、それ以上に身体を痛めつけてほしかった。
こんな心の傷なんかより、もっと痛くて苦しいものがこの世にはあって、それをどうしても神崎くんに証明してほしかった。神崎くんでなければ嫌だった。
それをしている間、神崎くんはなにも喋らなかった。
一度だけ『可愛い』と言われた気がするけれど、逼迫しきった頭ではうまく理解できなかった。次第に、そんなものは私の妄想が膨らんだ結果の幻聴なのかもしれない、とすら思えてくる始末。
好きな人と身体を重ねた。
それはとても嬉しいことだったはずなのに、幸せを感じられるはずだったのに、私の涙は止まらなかった。
その後、どれほど優しく口づけられても、どれほど丁寧に抱き締められても、全然止まらなかった。