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 四年と少し前――高校三年の初夏。
 その日、私は人生で初めて家出を体験した。

 小学生の頃に両親が離婚して以来、私は父とふたりで暮らしてきた。だが、父子ふたりきりの生活は、その年の春に唐突に揺さぶりをかけられた。
 父に恋人ができたのだ。相手は父よりもむしろ私に齢が近い、母と呼ぶには抵抗を覚えざるを得ない、若々しく美しい女性だった。なぜそんな人が父のような疲れたおじさんを選ぶのかと、訝しくなるほどの。

 気持ち悪くて仕方なかった。
 大学受験を控えた大事な時期、ふたりとも大層私を気遣ってくれる。その気遣いすら厭わしかった。
 気を揉むくらいなら付き合うな、いい齢して馬鹿じゃないのか。当時の自分はそうとしか思えなかったのだ。

 特別なきっかけがあったわけではなかった。それまでに静かに積み重ねられてきたものが、その日ついに私の中で沸点を超えたというだけだ。
 三人一緒に夕食を取ろうと提案してきたのは、父の彼女さんだった。自分の恋人が前妻との間にもうけた年頃の娘相手に、ものすごく神経を遣って接している。それが痛いくらいに分かって、さすがに申し訳ない気分になって、でも。

 気分が悪いから外を歩いてくる。ご飯、せっかく作ってくれたのにごめんなさい。
 それをきちんと伝えられただけでも、私は心底ほっとしていた。父を気持ち悪いとは思うけれど、だからといって、苛立ちに任せてふたりの関係をぶち壊してしまいたいとまでは思えなかったからだ。

 細いながらもやや強めの雨が降りしきる中を、あてもなく歩く。
 そういえば、先週梅雨入りしたのだったか。何日か前、朝のニュースで気象予報士がそんなことを言っていた。

(傘、忘れてきちゃったな)

 ぼんやりと考えながら、弱々しい街灯に導かれるまま、自宅近くの公園にふらりと立ち寄る。びしゃびしゃに濡れた白塗りのベンチに座る気には到底なれず、途方に暮れてしまう。

 どうしようか。
 どこに行こうか。
 テストだって近いし、さっさと帰って勉強したほうがいい。

 けど、私に帰る場所なんて、もうないんじゃないのか。
 信じられないほど心細くなった、そのときだった。

「……(かみ)()?」

 聞き覚えのない低い声が背後から聞こえ、弾かれたように振り返った。
 その先で、黒い傘を差しながら、驚いた様子で立ち尽くす男の人と目が合った。