金色を纏うあやかし皇帝は、無色透明な蓮花の娘を染めあげたい。

「ああ、まだ生きていたのね」

 村の中を歩く私を見つけた大姐(オババ)たちがちらちらとこちらを見ながら、決して小さくはない声で陰口をたたいた。

 まだ十七になったばかりの身寄りもない娘に言う言葉ではないことぐらい、学がない私でも分かる。分かるけど、この国にとって絶対的なモノ……。

「気味の悪い(いろ)なしなんて……」
「本当よね。あんなのがこの村に住み着いてるせいで、この村はどんどん貧しくなる一方さ」

 色なし。そう……それこそが、私がここで虐げられる原因だ。

「この国で霊力の色すらもない人間なんて、とっとと追い出せばいいものを」
「本当だわ。聞いたこともない。力も色も持たぬものなど」

 この国の者は少なからず霊力を持つ。霊力は四つの属性に分かれており、力の強さはその色によって表された。属性に最強はないけど、金色が一番強いんだっけ。

 でも私はそのどの属性も持っていなければ、色すらない無色。つまりは何の力も持たない異質な存在でしかなかった。

「……すみません阿姨(アーイー)、その御触書が見たいのですが」
「ああ、やだやた。無色に声をかけられちまったよ。寿命が縮まったらどうしてくれるんだい!」

 すでに80は超えてるだろうに、まだ寿命とか気にしていたのね。

 意外だわ。私だったら、こんな風に力のないものに嫌味をネチネチ言い続けてまで長生きするのとか、絶対に嫌なんだけど。まぁ、きっとこれも考え方の違いね。
 
「申し訳ありません。村長より必ず読むようにと言われてここまで来たもので」
「村長も何を考えてるのやら。息子に代変わりしてから、感じが悪いったらありゃしない」
「まぁでも今回の御触書(コレ)は仕方ないんじゃないんかい? 何せ、世代替わりした皇帝からのモノだろう」

「確かに皇帝に逆らうなどしたら、こんなちんけな村など一晩で焼かれてしまうからね」
「ああ、恐ろしや恐ろしや」


 私からしたら、十分あんたたちの方が恐ろしいけどね。だいたい、村が焼かれたって死ななさそうだし。それに村長も村長よ。

 婆さん二人から見たら若いかもしれないけど、ゆうに私の親の年齢を超えてるのよ。最近になって馴れ馴れしく家にやってきたりしてさ。魂胆が開け透けて見えてるのよね。爺さんの妾になんて絶対にならないんだから。
「えっと、なになに~?」

 後宮の入れ替わりが行われるから、婚姻を結んでいない16から21までの娘は一月後に後宮前の広場に集まるように、か。

 んー。ここから後宮までって、歩いてどれくらいかかるのかしら。たぶん私の足でも、半月はくだらないと思うけど……。ただ悪天候で動けなくなることもあるとして、数日後には出発しないと間に合わないわよね。

 遠い……。皇帝からの御触書じゃなかったら、絶対に無視してたのに。だけど米に綠かぁ。観光気分で行くにしても、お金貰えるわけだし損はないわね。

 どうせココにいても、狩りをしてただ一人生きていくしかないわけだし。万が一……ないだろうけど、女官にでもなれたらもう少しはマトモな生活が出来る。

 まぁ、そうじゃなくても皇帝陛下の顔が見られるかもしれないし。一生に一度なら、行く価値はあるわよね。

「蓮花じゃないか、見たのかぃ? 御触書を」

 ややでっぷりとして、頭が寂しくなった村長が見計らったかのように私に声をかけてきた。

 自分が見るようにとか言っていたくせに、見たのかいも何もないでしょうに。村長は撫でまわすように私の体を下から上まで見たあと、ぽんと肩に手を置いた。虫図が走るとは、たぶんこういうことを言うのだろう。触られた方から寒気が全身に走る。

「ええ、見ました。皇帝からの~ですので、明日には出発いたします」
「女の一人歩きじゃあ大変だろう。そこで、どうだろう。うちから牛車を出すから一緒に都まで行くのは」
「は?」

 なんであんたと一緒に行かきゃいけないのよ。だいたい、保護者でもないのに。

「御触書にはダメだったとしても幾ばくかの禄が出る。それを旅費として渡してくれれば、帰りも一緒の牛車で行けるだろう?」
「……いえ、大丈夫です」
「困った時はお互い様ではないか」

 肩に置かれた手はもぞもぞと動き、気持ち悪さが加速していく。

 困った時はお互い様? 幼い頃、母を亡くして一人で必死で生きてきた時には何にも手を差し伸べてなんてくれなかったくせに。成長して欲しくなったから、手を伸ばしてきただけじゃない。

「結構です。元より、一人で生きてきた身です。鍛えてありますので、ひと月もかからぬうちに都へはたどり着くでしょう」
「な、生意気な! 着いたところで、お前のような色なしなど相手にされるものか!」
「そうですね」

 そんなこと、大声で言われなくたって自分が一番良く分かっている。何の力もない役立たずだって。

「途中で野垂れ死んでも知らぬからな!」
「ええ。大丈夫です。それなら私の命運はそこまでなのでしょう。どうぞお気になさらずに」
「くそっ。減らず口叩きおってからに。優しくしてれば付け上がりおって!」

 村長の振り上げた手を、私はひらりとかわした。外の動物などより動きはよほど鈍い。打たれてあげる必要性もないものね。
途中で私が死のうがどうしようが、本当はどうでもいい癖に。まったく良く言うわ。

 まぁそうね、各いう私もあまり執着はないのだけどね。怒りに震える村長を無視し、騒ぎが大きくなる前に私は一人暮らした家を出た。

 荷物は狩りに行く時と同じモノと、母が残した唯一の形見だけ持ってーー
 山道は森の中を一人で歩くことに苦はなかった。どうせ普段から森の中で狩猟を行って生活してきたし、何より自分のペースで進めるから。

 ずっと一人で生活していたから、むしろ人に気を遣う方が苦手なのよね。そう少なくとも、一人ならこんな目に合わなくてもいいし。

「いくら年頃の娘は皆集まるようにとは言ったってねぇ」
「本当よ。まさか、こんなハズレが来るなんて皇帝陛下も思ってもみないでしょうに」
「それよりもこんなのを出してきたなんて、どれだけ田舎なのよ。普通なら恥ずかしくて出してこないわ」
「言えてる……。あたしたちと同じ何て思われること自体、嫌だわ」

 後宮への門をくぐった私を睨みつけながら、壁のように並ぶ女の子たちは陰口をたたいていた。ああ、本人を目の前にして隠す気もないんだから、陰口というよりは悪口ね。

「どいていただけますか?」

 はっきり言って邪魔なのよね。そんな入り口のとこで壁のように立たれていても、他の子たちも入れなくなってしまうし。

「やだ、本当に入る気なの?」
「厚顔無恥なんじゃない?」
「皆さまは皇帝陛下の命に逆らえと、この場で言うのですか?」

 宦官や女官、それに私たちを検査した神官様までいるというのに。まぁ、こうなった原因はこの後宮前の広場に入る前に受けた検査のせい。

 危ないものの持ち込みがないかを確認されたあと、どこ出身や身分などの聞き取り調査がおこなわれ、最後に属性と力の測定がなされた。

 どうも広場(ココ)では、身分順で並ぶのではなく、属性ごとに分かれた後に力の色順に並ぶらしい。

 属性も色もないのは、やっぱり私だけだったわね。これだけの人が集まっても私しかいないって、国中だと片手くらいはいるのかしら。むしろ興味が湧いてくる。

「陛下のって言ったってねぇ。物事には限度があるでしょう? 自分が他人と同じだと思っているの?」
「むしろ一緒だったら気持ち悪いですけど?」
「はぁ? あんたねぇ!」

「別に貴女に呼ばれてここに来たわけではないので、関係なくないですか?」
「生意気な! あんたなんか女官にすらなれないわよ!」
「別に結構ですけど?」

 別に自分でも期待してココに来たわけでもないし。同じように集められた人間に何を言われても痛くもかゆくもなのよね。だいたいこんなとこで大声上げて張り合ったって、何の得にもならないでしょうに。

 私に突っかからないにしても、周りの目がどんな目で私を見ているかなんて確認しなくても分かる。だってずっとそうだったから。だから期待も何もしない。意味ないことに心を割いても無駄、無駄。

「あ、あんたなんかあの端に座って小さくなってればいいのよ!」
「あ、ありがとう?」

 うむ。あそこが属性がない私並んでも良さうなとこなのね。親切なんだか、なんなんだか。他の属性の子たちは三人ずつで横に、そして後ろにいればいるほど力のない色の子のようだった。

 私は一番隅に一人ぽつんと座った。そして全ての女の子たちが広場に入り座らされると同時に、大きな銅鑼の音が響き渡った。
 あれほどまでにおしゃべりをしていた女の子たちも口を閉じ、その場で(かしず)く。

 あああ、これだと皇帝陛下の顔見れないわね。でも一人だけ顔を上げるのはさすがに不敬罪となってしまうわ。諦めて下を向いたままの私たちの間を皇帝陛下と宦官らしき人が通りすぎていく。

「よく集まって下さいました。これより、陛下直々にお妃候補を選んで行きます。お声をかけられた方は、この後後宮へ移動となります」

 陛下が直接選ぶだなんて、なんかすごいわね。選定っていうから、お偉い様たちが勝手に決めるものなのかと思っていたけど、今帝はそうではないみたい。

 ここに並ぶのも身分とか一切の忖度もなかったし。実力重視って感じなのかな。ああ、でも顔の好みとかも……って、下向いてたら分からないわね。

「ただお妃候補に選ばれなかった方でも、その後の女官選定がございますのでその場でしばらくお待ちください」

 女官ねぇ。下級女官でも、衣食住は確か保証されるのよね。私みたいな身寄りのない者には最適なのだろうけど、力がないからなぁ。選ばれることはないだろうけど、さすがに王妃様が選ばれる瞬間は顔が見れそうね。

 帝国でただ一人、金色の力を持つ皇帝陛下。ある意味私とは真逆の存在だから、どんな方だろうって興味があったのよね。

「ではこれより陛下が皆さんのところを回られます。お声をかけられるまではそのままで居て下さい」

 みんな息をひそめているのか、木靴のようなコツコツという陛下の歩く音だけが広場に響き渡っていた。

 普段から緊張とは無縁の私ですら、息をするのを忘れてしまいそうになる。そしてその時間は長いものだったのか、ほんのわずかな時間だったのか。そんな感覚すらおかしくなるほどの時、ふと陛下の足が私の前で止まった。

 えっと?

 私の前にも後ろにも誰もいない。だって属性なしは私だけだもの。それなのに陛下が私の前に立つ意味って何があるのかしら。しかしそう思う私の頭の上で、陛下と宦官の小声での話し声が途切れ途切れに聞こえてくる。

 私だけが一人だったのが気になったのね、きっと。ため息をつきたくなる気持ちを抑えつつ、頭に突き刺さる視線がなくなるのをただじっと待った。

 大丈夫。どうせいつものことよ。好奇の目も、笑い声も……。

「うむ。そうだな……この娘にしよう」

 短くそう言った皇帝は、広場の一番隅で小さくなっていた私を軽々と担ぐ。

「えええ?」

 自分でも何が起こったのか理解できず、思わす私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
 陛下は私を荷物を担ぐように肩に乗せた。何が起きたのかなど、まったく分からない。しかも身じろぎして抗議した私を、陛下は抱きなおしただけで辞める気などないようだった。

 広場にいた全員の視線が私に突き刺さる。

「陛下! お、お話を聞いていただけませんでしょうか?」

 私のすぐ隣で傅いていた女の子が、声を上げた。確か隣は陛下と同じ火属性。しかも最前列にいるってことは、上位の色の子ってことよね。

「なんだ」

 小春日和な陽気が、一瞬にして凍り付く。それほどまでに陛下の声は低かった。先ほどまでの陛下の表情や声色とは明らかに異なる。

 声を上げた女の子も、思わず顔を上げて陛下を見上げていた。そのあまりの蒼白さに、こっちまで気の毒に思えるほどだわ。

「そその娘は……最前列にはおりますが……その、力がなく。陛下が何か……その」
「この俺が勘違いをしたと言いたいのか?」
「いいいいえ、そうではなく! ただただ心配で」

「お前ごときが、俺の何を心配すると?」
「あの、それはその……」

 女の子が声を上げるたびに、どんどんと気温が下がって行くようだった。陛下の眉間にあるシワも、運河のように深くなっていく。私が選ばれたことへの戸惑いと、陛下を心配してのことなんだろうけど。

 元々、気安く殿上人に声をかけていいわけもない。しかも今帝は身内すら殺した血塗られ皇帝とまで言われる方。身分を考えたら、到底意見なんて出来ないはずなのに。

「俺はこの娘を皇后とする。これは決定事項だ。力がなんだとか言っていたな。俺は自分の妃に力を求めるほど、弱くはないつもりだ」

 そうね……。陛下は霊力の中で最も強い金色(こんじき)の色を持つほど。この何百年、金色を持つモノなんて現れたことがないって聞いたことがあるわ。

 それほどの力があるんだもの。普通ならば妃に力を~は確かに求めないでしょうね。

「それでもまだ、俺に意見をする者はいるか?」

 陛下は広場を見渡した。皆下を向き、誰一人声を上げようとする者はいなかった。でもだからこそ、私は陛下の行動が気になってしまった。

 なんで私なのか。確かに陛下に力のある妃など必要はない。だからといって、それが私を選ぶ理由になんてなりはしない。力がいらないと力がない者を選ぶということは別に同じコトではないから。
 
「……陛下、どうして私を選んで下さったのかお聞きしてもよろしいですか?」

 もう誰も声をあげないと思っていたのか、陛下はややキョトンとした顔をしていた。
「不服か?」
「……いえ、そういうわけではごさいません」

 むしろたぶん、この国で一番の名誉なことなのだとは思う。ただ如何せん、頭がこの状況についていけていないだけで。

「ははははは。そたなは面白いな」
「そうでしょうか?」
「普通は光栄なことでございますと言う場面ですら、自分の心の内を曲げようとも隠そうともしない
「陛下を前にそのようなことをする方が不敬に当たると判断したまでですわ」


 私はあくまでもただの平民。豪族の令嬢たちみたいに、振る舞うことは出来ない。だったら素直にキチンと隠さず伝えた方がいいと思ってしまったんだけど、やっぱりこっちの方が不敬罪だったかしら。

「そうか。そうだな、そなたとは中でゆっくり話すとしよう。蓮花(リェンファ)、そなたの部屋にまずは案内しよう」
「え、あ、はい陛下。あ、あの。ですが一度降ろしていただいてもよろしいでしょうか?」
「なぜだ?」

 なぜだ? いや、なぜって。普通なの? こんな風に陛下に抱っこされたまま後宮へ入るっていうのが。だって他の人たちの反応見てると、普通そうに見えないんだけど。

 陛下は私の言葉など微塵も気にする様子もなく、歩き出す。

「えっと、自分の足でちゃんと歩けますし」
「いや、こんなに細いからな。転んで怪我でもしたら困る」
「転んでって……陛下、私はこの後宮までは自分の足で来たのですよ?」

「自分の……歩いて、か?」
「はい、そうですが……?」
「もしかして一人で来たのか?」

「そうですね」
「そうか……」

 あれ。私、何か変なこと言ったかしら。急に陛下の顔色が変わっった気がするんだけど。あーでもそうね。まさか自分の妃候補がトコトコ歩いて山を越えて来たなんて思わないわよね。

「そなたはどこの村から来たのだ?」
「え、あの私が住んでいた村ですか?」
「そうだ」

「一つ山を越えた白州という小さな村です」
「そうか……空燕(コンイェン)、焼き滅ぼすように言っておけ」
「はい。通達しておきます」

 私を担いだ陛下のすぐ後ろを歩いていた宦官に、ただの伝達事項のようにさらりと恐ろしい発言をする。

 えええ。滅ぼすって、私の知っている意味の滅ぼすよね? 私何かした? もしかして、私が平民出身だってバレたら困るとか?

「陛下、そんな恐ろしいことを」
「恐ろしい? こんなか弱い娘を一人でココまで来させることの方がよほど恐ろしいと思うが?」
「いえ、で、でも」
「しかもそなたは属性も色もないと言われてきたのだろう。だったら尚更なのではないか?」

 そっか。普通はそうよね。どこからどう見ても私は力のない人間なのだし。普通なら誰かが付き添ったりしてくれるものなのかもしれない。

 私にはそういう優しい世界は程遠いものだったけど。でも勘違いから滅ぼされてしまっても後味悪いし、ちゃんと説明をしないとダメね。

「陛下、確かに私は属性も色も持ちませぬが、剣や弓は使えます。元々、山の中で狩猟などをして生きて来たので、山道など苦にもなりません」
「……」
「しかも村長は一度牛車で送って下さると言っては下さったのですが……その、私から断ったのです」

「なぜ断った。牛車は足は遅いが、乗ってきた方が楽だろう」
「えっとその~。なんというか、村長と馬が合わないというか
「なんだ。急に歯切れが悪いな」

「その、なんていうか下心がありそうと言いますか……。ん-、妾にならないかと言われたこともございまして、防衛策というのですかねぇ」
「……村を焼き払ったのちに、村長の首だけここにもってこい」
「はっ」
「さっきよりも酷くなってますし!」

 ううう。私の説明が悪いの? でも全部真実なんだもん。他に言い様がなかったし。会ったばっかりの私のために、どうして陛下はこんなにも怒ることができるのかしら。

 今まで私のために怒ってくれた人なんて、母くらいしかいかなった。母が死んでしまってからは、庇う人すらいなかったのよね。
 そう考えると陛下の反応は本当に私には新鮮なモノだった。

 なんの利用価値もない私を皇后にすると言い出した上に、こんな風に怒ってもくれる。しかも今日会ったばっかりの人間なのに。胸のどこかがこそばゆいと同時に、なんで私だったのかって思いが大きくのしかかってきた。

 期待なんてしちゃだめ。これはきっとただの陛下の気まぐれか何かに決まってる。そうやって、私は自分の中にたくさんの予防線を引いていく。

 自分でもそれがいかに滑稽だってことぐらい分かってる。分かってはいるけど……。

「またそんな変な顔をして……。我が妃はよほど疑り深いと見える」
「そういうワケでは」
「まぁよい。ゆっくり時間をかけていけばいいことだ」

 陛下は私を抱えたまま、一つの大きな部屋へと入って行った。中はひと際大きな天蓋付きの(ショウ)があった。こんなに豪華な牀など見たことがないわ。

 木で出来たそれは全面も後面も細やかな花の細工が施され、両脇には同じ細工で作られた灯を置くものまである。

 そして牀の奥には飾りの施された丸い窓が、外からの柔らかい光を称えていた。

「すごい」

 平凡だけど、私にはそんな表現しか出来なかった。

 私の住んでいた山小屋なんかとは比べるのもおこがましいのは分かっているけど、村でもこんなに美しい部屋をみたことがないわ。皇后様のお部屋っていうのは、本当にすごいのね。

 今は炊いてもいないのに、染み付いているのかお香のすごくいい香りもするし。

「気に入らない家具があれば、そなたの好みに合わせて変えればいいのだぞ?」
「まさか。こんなに素晴らしい部屋を与えて下さるなんて、すごく嬉しいです」
「ふふふ、やっといい顔になったな」

 むしろ陛下の微笑んだ顔の方が貴重なんじゃないのかって思うのは、きっと私だけではないはず。だってやっと私を下ろしてくれた陛下の後ろにいた宦官の方も目を見開いていたし。

「さて、何から聞きたい?」

 陛下に促されるまま、私は部屋の中央に置かれた机の前の椅子へと腰かけた。そして私の対面に陛下が座り、宦官は陛下の後ろの立っていた。

 なんか一人だけ立たれていると変な感じなのだけど、身分的にはそんなものなのかしらねぇ。ちらちらと私が視線を送っても、宦官は素知らぬ顔をしていた。

「ではまず、どうして陛下は私をお選びになったのですか?」
「うむ……。暁明(シァミン)。俺の名は暁明だ、蓮花(リェンファ)

 皇帝陛下の御名って、そんなに容易く呼んでもいいものなの?

「……暁明様」
「そうだ。二人の時は名で呼んで欲しい」
「はい、あ……」

 そう言われて思わず、私は宦官を見た。
「ああ、それは空気だと思えばいい」
「えええ」
「陛下、さすがに空気は酷くないですか?」

「なんだ空燕(コンイェン)。さっきまで借りてきた猫のような顔をしていたくせに」
「そりゃあ、他の者たちの目がありますからね」

 先ほどと同一人物なのかというくらいの、変わりようね。あからさまに空燕と呼ばれた宦官は、不機嫌さを隠そうとはしない。

 あきらかに、皇帝とその妃に対する対応ではない気がするのだけど、こんなものなのかしら。それにこんなに不敬極まりない態度をとっても、陛下は気にもかけていないし。

 そして空燕は私をやや怪訝そうに見たあと、近くにあった椅子をとり、ドカっと腰かけた。

「オレも聞きたいとこでしたよ。どうしてその娘が皇后なのですか」
「なんだ。おまえまで不服なのか」
「不服ではないですが……。仮にもその娘は平民。見目が気に入っただけなら、側妃でいいではないですか」

 やや私を蔑むような目。ああ、そうね。これよ。いつでも人々が私を見てきた目だ。普通はそう。こういう反応なのよね。陛下が違うだけで。

「それにですよ? 何も属性も色もない人間を後宮に入れるだなんて」
「……そうですね」

 心の中が冷や水を浴びたように、冷静になっていくのが自分でも手に取るようにわかった。この人に言われたくても知っている。自分がこの世界でどういう人間なのか、なんて。

 ほんの少し、ただの一瞬でも浮かれそうになった自分がむしろ恥ずかしい。馬鹿ね、私。

「空燕、言い残すコトはそれだけか?」
「言いたいことではなく、言い残すって、いくらなんでも不穏すぎるでしょう陛下」
「自分が言った言葉の意味を考えろ」

「私なら気にしません。本当のことですから」
「……すみません。言い過ぎました」

 頭をかきながら、空燕は私に頭を下げた。

「先ほども言ったが、俺は妃に力など求めてはいない」
「陛下ほどの力がおありになる方でしたら、確かにそうでしょう。ですが、家臣からしたらそうではないのではないですか?」

 私は空燕を見た。彼の言いたいことは最もだ。陛下は良くても、周りがそんなことを認めるわけがない。例え私に力があったとしても、所詮は平民。平民の娘が皇后になったなんて話は今まで聞いたことがなかった。

「お世継ぎのことや、他の豪族などの兼ね合いもございましょう」
「オレもそれが言いたかったんです。力のない娘が後宮に入れば、荒れることは目に見えています。それにあいつらは確実に標的として狙ってくるでしょう。そうなったらどうするんです」

 全面否定かと思ったんだけど、空燕の言葉はいつもの人たちと少し違う気がした。言い方は確かに武骨ではあるけど、私への気遣いが今はそこはかとなく感じられる。

「そこはおまえたちが上手くやればいいことだ。それに俺がそんなことを放っておくと?」
「目が行き届くのには限界があるというのです……」
「それは痛いほどわかっているさ。だが、次はない」

 二人の会話の中身までは分からないけど、目が行き届かず誰かが亡くなったか何かだということは察すれる。後宮は伏魔殿といわれるほど、女たちの争いが絶えないというし。

 私では確かに皇后の座は荷が重すぎる。せめて自分を守る力がないと、ココでは生き残れないかもしれないのね。そこまで考えて、私はなぜか自分の考えに笑いがこみ上げてきてしまった。
「ふふふ」

 急に笑い出した私を、二人は目を見開いて見ていた。

「急にどうした?」
「皇后なんて押し付けるから、おかしくなってしまったんじゃないですか?」
「いえ……こちらの話なだけです」

 そう。こちらの話。だってそう。巻き込まれるとか、生き残るとか。何も決まってないし、何も知らないのに勝手にそんな未来を想像していた自分が可笑しくなってしまっただけ。

 未来なんて今まで考えたコトもなかったのに。だって人間なんて所詮、成るようにしか成らないワケで、考えるだけ無駄だって思っていた。

 でもだからこそ私は無敵で、どんなことも臆することなく出来ていたのだけど。

 ただ行き先が……住む場所や環境が変わっただけで、考え方がこんなにも変わるだなんて可笑しい以外の何物でもないわ。

 私、らしくない。どうせ成るようにしか成らないのだから、今まで通り好きに生きないと。

「私は力はありませんが、まぁ成るように成りましょう。細かいコトは気にしないで下さって結構です」
「そうは言っても!」
「私も気にしませんので。ただ、やられたらやり返すだけです」

「そこで命を落としたらどーするんです」
「その時はその時。そこまでの命だったのでしょう」
「そこまでって」

「だってそうでしょう? 人なんていつ死んでどうなるかなど、誰が分かるのですか? それなら私は自分の思うようにテキトーに生きていきたい」
「それは……そうですが」
「心配して下さるのはとても嬉しいです。そしてその時はその時と言っても、簡単に死ぬつもりもありません」

 諦めてはいても、まだ手放すつもりはない。私は私の生きたいように生きたいだけ、だから。私は微笑みならが、真っ直ぐに二人を見た。

「ここで生きて行けというのでしたら、どうぞ手を貸して下さい。それに陛下は思うところがあって、私などを皇后にとおっしゃられたのでしょう?」

 そこだけは気になる。陛下は何を思って、私を皇后に言い出したのか。空燕の言うように、普通ならありえない。死んでもいい人材として据えるにしても、私はあまりに非力だから。

 他に本命がいるのならば、影武者としても私は力不足なのよねぇ。もっとも、恨みは集めやすそうだけど。

「なにを……か。先ほどから二人ともそればかり気にしているようだが、そうだな……。一番はその強い瞳と、あの広場での態度がな」
「広場の態度って、まさか入場した際の他の娘たちとのやり取りを見ていたのですか!?」
「まあ、そうなるな」

 あのやりとりを見られていただなんて。恥ずかしい。

「女官にすらなれないと囲まれていたのに、構わないと言って全く気にする様子もなかったしな」
「だって、だってそれは……」
「成るようにと言っていたが、周りに流されず、かつ何を言われても下を見ることもなく、自分の思うように生きる。そんな瞳に思えた」

「買いかぶりすぎです」
「そうか? 俺によく似た強い瞳だ。その強さは霊力などに負けぬ強さがある」
「ぅぅぅぅ」

「そしてその強く美しい瞳が欲しいと……何色にも染まっていないそなたが欲しいと純粋に思ったから選んだつもりなのだが?」
「も、もうそれぐらいにして下さい」