カンテラ祭へ向かう日の朝、ちょっとしたトラブルが発生した。当然、僕一人で行くと思っていたのに、なぜかすみれが同伴することになっていた。

 洞窟探検にふさわしくトレッキング姿で現れたすみれは、ちゃんと一緒に行くと約束したの一点張りで、何度メモ帳を見返してもそんな約束のワードは見つからなかったので、僕としては途方にくれるしかなかった。

 結局、母と兄の説得もあり、最後は僕が折れる形ですみれと一緒に行くことになった。とはいえ、カンテラ祭がある場所は日帰りで行けるような場所にはない。つまり、一泊を要するのだけど、その点はなぜかすみれは問題視していなかった。

「うちの親、そういうの無関心なんだよね。ていうか、そもそも親はいないから、結局はどうでもいいんだけどね」

 久しぶりの外の世界に目がくらむ中、電車に乗って灰色の車窓に目を向けたところで、すみれが唐突に切り出した。

「どういうこと?」

「なんかさ、泰孝が泊まりで出かけるのを気にしてるみたいだから。別に気をつかわなくていいってことを言いたいの」

「いや、そうじゃなくて、親がいないっていうのを聞いたつもりだけど」

「ああ、そういうこと? それなら簡単な話かな。わたしには両親がいなくて、今は両親の親戚みたいな人と暮らしてるの。まあそこが笑えるくらいにひどくてね。自分の娘にしか関心なくて、わたしはいてもいなくてもどうでもいい存在ってわけ」

 けらけらと笑いだしたすみれだったけど、その目が笑ってないことに気づいた。つまり、今のすみれの言葉は精一杯のつよがりでしかなかった。

「つらい?」

「なにが?」

「いや、親がいなくて一人だとつらいのかなって思っただけ」

「別に。それに、願ったところで昔に戻れるわけでもないし、そんなこと考えたら余計つらくなるだけだもん。だったらおとなしくあきらめたほうがいいし、お父さんもお母さんも好きでいなくなったわけじゃないからね」

 わずかに瞳の端に涙を滲ませながらも、すみれは変にハイテンションで言葉を紡ぎ出していた。きっとそこには僕なんかでは想像できないような苦しさがあるのだろう。そう考えたら、それ以上すみれの傷に触れるのはやめたほうがよさそうだった。

「それより、カンテラ祭に参加できてよかったよね。実際、抽選に当たった時は人生の運を使い切ったかと思ったよ」

 妙になり始めた空気を払うかのように、すみれがガッツポーズをとりながら無理やりのような笑顔を見せてくる。すみれのいうとおり、カンテラ祭は知る人ぞ知る祭だけど、気軽にいつでも参加できるものではなかった。

 その理由に、カンテラ祭にまつわる特別な事情が関係している。カンテラ祭は、もともと都市伝説的な話のあったものを町おこし的に利用した背景がある。一部の人で行っていたことを自治体が一般に公開して観光スポットにしたのが始まりで、当初は狙い通りの効果があったらしい。

 けど、その反響とは裏腹に、洞窟内で命を断つ者が多発したことで事態は一変していったという。なぜ命を断つ者が多発するのかについては諸説あるみたいだけど、最も言われているのが、亡くなった人に会ったことによる後追い自殺だった。

 そうした背景もあり、一度は洞窟の立ち入りを禁止したらしいけど、目を盗んで入る者が後をたたなくなったたことで、かえって事故が多発する結果となってしまい、苦肉の策として、今では夏前の一定期間公開し、参加者を抽選にするという方式で対応しているとのことだった。

 その抽選に、すみれは見事当選した。参加にあたって当初はすみれ一人で参加するつもりだったけど、三人までペアを組めるとわかって急遽僕を誘ったわけだ。すみれがなぜ応募しようと思ったのかは知らないけど、僕としては偶然にもありがたいチャンスをもらったことにはなる。

「すみれは、なぜカンテラ祭に参加しようと思ったの?」

「秘密」

 ひょっとしたら、すみれの参加理由を聞いていたかもしれない。そのため、忘れたのかと怒られるのを覚悟しながらさり気なく聞いてみると、返ってきた答えは素っ気ないものだった。

「秘密?」

「そう、秘密なの。ていうか、女の子になんでもかんでもしつこく聞くのは、ぬれたままの雑巾で床をふくぐらい最悪なことだからね」

 ビシッと人差し指を向けながら、すみれが鋭く睨んできた。相変わらずなたとえはともかく、要するに聞かれたくないというのはなんとなくわかった。

 ――両親に会いたいのかな?

 スマホを手にショート動画の吟味を始めたすみれを盗み見ながら、すみれのカンテラ祭に参加する理由を考えてみる。思いつくのは、やはりすみれの両親だった。

 すみれの口ぶりからして、すみれの両親はもうこの世にいないのだろう。その結果、辛い人生を送っているとしたら、ちょっと、いや、だいぶかわいそうに思えてきた。

「なにじろじろ見てるの?」

「え?」

「さっきから気持ち悪いくらいじろじろ見られてるんだけど」

「ああ、ごめんごめん。ただ――」

「ただ?」

「真剣にスマホを見てる顔がかわいいなって思っただけ」

 適当にごまかすつもりでついた言葉だった。

 なのに、すみれはいきなり特大級の右ストレートを僕に浴びせると、顔を真っ赤にして前髪をいじり始めるだけだった。