僕の一日は、ほとんどがこの狭い部屋の中で虚無の時間を過ごすことになる。今日みたいにすみれが尋ねてくるのはレアなことで、僕が接触するのは母親か兄の二人ぐらいだ。

 その理由は、記憶障害による脳や体への過度の負担を避ける為だった。あまりに強い刺激を受けると、記憶障害はさらに進行する恐れがあるし、そうなるとワードを手がかりに記憶を思い出すことも難しくなると医者は力説していた。

 だから、今日も僕はなんの意味をなさない時間をただ消費していく。これが苦痛かというと、最初は気が狂いそうになったけど今はあまり感じることはない。そうなったのは、兄が与えてくれたスマホによるのが大きかった。

 スマホを使ってネットの世界を探索する。顔も名前も知らない誰かのつぶやきや、写真、動画といったコンテンツを通じて、いつしか僕はなにもない部屋の中にいながら世界とつながっているような気分を手に入れることができた。

 以来、眺めるだけでは飽き足らず、今では炎上したとはいえエッセイを投稿し、なにもわからない誰かと擬似的な交流を持つまでになっていた。その結果すみれという少女に出会ったのだから、人のつながりは考えてみたら不思議なものがあった。

 ――でも、ちょっと変だよな

 ベッドに転がり、炎上したエッセイを眺めながら腑に落ちないモヤモヤ感と向き合ってみる。過去の投稿にもたまにすみれはコメントしているけど、どうやって僕にたどり着いたのかがよくわからない。同じ高校というからには面識はあったかもしれないけど、だからといってこのエッセイだけで僕にたどり着くのは疑問が残るし、そもそもいつ出会ったのかもよくわからないままだった。

 ――やっぱり、すみれがもう一人の大切な人なんだろうか?

 すみれとの間に特に深い関係があったとしたら、エッセイから僕にたどり着いても不思議ではない。事故の後の詳細を記してきたから、読む人によってはピンとくる可能性は高いだろう。

 それに、心の中にある影も時間と共にすみれと重なろうとしている。さらに、そうなっていくにつれて、僕の感情にも愛しさが増していることは否定できなかった。

 ――なんだか変な気分だな

 自分の気持ちと向かい合い、その身勝手な感情の起伏に自分でも笑うしかなかった。大切だった人を事故で失ったショックも忘れ、もう一人いた大切な人の影に気持ちをたかぶらせているのだから、浮気だの最低な人だの叩かれて当然かもしれない。

 ――もし、カンテラ祭で真相がわかったとしたら?

 あまり考えないようにしていた疑念が、不意に顔を覗かせてくる。もし、すみれがもう一人の大切な人だったとしたら、僕は大切な人を裏切った上に死なせたことになる。

『こんな奴と出会わなければ、娘は死なずにすんだんだ!』

 不意に頭に響く男の声。事故からしばらくして、朦朧とする意識の中に聞こえた大切な人の父親であろうその声だけは、全ての記憶を失いながらも脳の奥底に刻まれていた。

「本当に最低な奴かもしれないな」

 僕に向けられた憎悪の声に耳をふさぎながら、ただ懸命に言葉にできない感情のうねりに耐えつつ、真相を知ることに恐怖を抱き始める身勝手な自分から目をそらすしかなかった。