「た、たまらねぇ。背びれだけであのサイズだ。本体はきっと……」

 ライフジャケットに入れてある、ペットボトルのお茶を軽く一口。
 のどを通り過ぎる冷たい感覚が、ゾクリと心臓をふるわす。
 これが武者震い? なんて思いながら、息を吸うように手は高強度の仕掛けを作り出す。
 
 超大物用にセッティングしなおした針と糸。それの先に特大の疑似餌(ルアー)をつけてかまえる。
 WSL(ロッド)がルアーの重みでずしりとするが、それが最高にアツイ。
 そして思い切り振り抜き、「行ってこおおおおい!!」と言いながら、電子制御の糸巻き機械(リール)音の心地よさに酔いしれ、虹色が弧を描きながらルアーを飛ばす。

 赤い魔物の十メートル向こうへ、激しい音とともに着水したルアー。
 それに気がついたのか、逃げもせずそこへ突っ込む赤い影。

「きた……来た来たキタア! そのまま食ってくれッ!!」

 水面を泳ぐルアーへ赤い影が近寄った瞬間、水面が爆発したと思える水しぶきがおこる。

「フィィィィッシュッ!! うぉッ!? マジかよ! ルアーを全部飲み込んだ!!」
 
 全長三十センチ、百六十八グラムでジョイント式の冗談みたいな大きいルアーが一瞬で食われ、一気に糸が引き出されないように自動でブレーキ(ドラグ)がかかる。
 巻取力が強くウインチ式のベイトリールで、ドラグ力が六キロのこのリールだがまったく歯が立たない。

 釣り竿(WSL)も驚くほどに弧を描き、釣り糸(ライン)をリールへ導く、丸いドーナツ状のガイドが悲鳴を上げ、上から四つ目と五つ目が吹き飛ぶ。
 ありえない、こんな場所のガイドが吹き飛ぶとか聞いたこと無いぞ!?

「ぐぅぅッ!? な、なんだこの引きはああああ!! このままならロッドが折れるッ!」

 ますますリールから強くラインを引き出し、ドラグも効かずに恐ろしい速さで糸が引き出される。
 大物用に太い糸を巻いたせいで、糸巻き部分(スプール)にある糸の量はもうすでに限界だ。
 
「ぐぞぅ……ごのままなら……」

 息も絶え絶えになりながら、額から汗が目にしたたり落ちて目が痛い。
 が、頭は異常にクールであり、だからこそわかる。
 このままなら、竿と糸巻き機械(タックル)が赤い怪物に奪われ、海の藻屑となるだろう。

 
 しかもこの力だ。無理やり押し止めれば、体ごと海の中へ引きずり込まれてしまうし、ラインを切ろうとカッターを出そうと片手になった瞬間、同じ事になるだろう。
 だから思う。あきらめてタックルを投げ捨てるか――。

「――なんてアホなことは思わん! ぜってぇ~ぶっこ抜いてやるぜえええ!!」

 その思いが力となり、右手は糸を巻き取り始める。
 ずるずると海中より赤い魚影が浮き上がり、海面まであと二メートル。
 ブルリと赤い巨体がふるえ……のこり一メートル。
 分厚いクチビルが浮かび上がり……海面より八十センチ……え!?

「は……ぇ……?」

 それしか言葉がでない。なぜなら海面より真っ赤なサカナ? の顔が浮き上がり「みぃつけたぁ」と言ったのだから。

「な、なんだお前は!?」
「ふ~ん。今度のボーイはいいじゃなぁ~い。さ、行くわよ」
「行くってどこにだよ!! って、ちょ……まあああああああ?!」

 ヤツが思い切りたくましい手(・・・・・・)釣り糸(ライン)を引くと、残りのラインが一気に放出してしまう。
 空になったリールを見てゾっとした。このままなら確実に奴に引き込まれると。
 捨ててやる。タックル一式全部を海へ投げ捨ててやる。
 
 そう思ったが、驚くことに走馬灯を見た。フィッシングショーで国王が高らかと掲げ持った、釣り竿(WSL)と星座の名を持つ電子制御の糸巻き機械(リール)
 それを手に入れるまでの懐かしい日々が、脳内でフラッシュバックして幸せな時を思いだす――。

「――あぁ、思い出した。もぅカップラと十九時の惣菜争奪戦はこりごりだ……って、ボヴォヴォヴォ?!」

 悲しき(楽しい)思い出の涙が頬をつたい、手放すタイミングを失う。
 その瞬間を狙ったように、真っ赤な怪魚は海中へと潜り込む。
 思い切り海水を飲み込み、必死に息を止めてもがくが、あの怪魚がいない。

(どこだ?! いったいあのバケモノはどこ――)
「ここよボーイ? むちゅ♪」

 振り向いた瞬間、怪魚の分厚いクチビルに頭を優しく包まれる。
 驚きと悲しみと恐怖で、一気に酸素を吐き出してしまい視界パニックになりながら思う。
 あぁ、山爺の言うことを聞いておけばよかった、と。

 妙に生暖かいヤツの口の中で、徐々に酸欠になっていき、意識が消失するのがわかる。

(あぁ……もぅだ……め……だ……もっと魚……釣りたかっ……た……)

 それが最後の記憶だと気がつく暇もないまま、意識は完全に消え失せた。




 ◇◇◇◇◇




「ん…………げっふぉ! ヴぁはっ!!」

 急激に肺が苦しくなった事で目を覚ます。
 激しく咳き込むと大量の水が口より吐き出され、白い砂浜に小さな水たまりを作る。
 人ってこんなに水を飲めるのかと、妙な感覚をおぼえつつ、なんとか息をととのえる。

「ハァハァ、ぶはぁぁぁあ!! し、死ぬかと思った……って、ここはドコだ?」

 落ち着き周囲を確認すると、まるで南国に来たのかと思うほどに気温が高く、さらに景色がソレだった。

 純白の砂浜が広がり、ヤシに似た大きな木が海岸沿いに生え、雲ひとつ無い突き抜けるスカイブルーが広がっている。
 絵に書いたような南国の島。だが一点おかしな部分があるとすれば、遠くになにか蜃気楼みたいなものが見えることか。

「冗談だろ? まさか沖縄まで流されたとか言うんじゃねぇよな?」

 砂浜にどさりと倒れ込み、青空を眺め見る。
 あまりの現実感のなさで体の感覚が麻痺をしていたのか、体をおおう暑苦しさに気がつく。
 その原因を手で触ると、それはライフジャケットだと気が付き上半身を起こす。

「暑っつ。あぁ、コイツを着ているせいか」

 ドクロ柄がポイントの、朝と夕まずめ時に似合う真っ赤なライフジャケット。
 それを無造作にぬぎすて、やっと体が重さと暑さから開放された事で気がつく。
 今ある装備が全てなのだと……が。

「って、待て。マテマテマテ、ちょ~っと待ってくれ! 無い。ないぞ? 俺のWSLと電子制御の糸巻き機械(ブラックリール)があああ!?」

 がばりと起き上がり、周囲を見渡しながら走る。全速力で探し回る。さらに海にまで潜る。勢い余って砂の中まで探る。が。

「なああい!! 俺の右腕と左腕ともいえる相棒がなあああい!!」

 あまりの現実に両膝から崩れ落ち、「馬鹿な……」と南国の風より熱い涙を落とす。
 だが人間の体は無情だ。悲しみよりも溺れたことと、全力で動いたせいでノドがひりつくほどに乾く。
 
 冷たい水を探し、周囲を見るが建物らしきものすらない。
 あるのは冗談みたいに透き通る青い海と、白い砂浜だけだ。
 ヤシに似た木には実があるが、到底あんな場所まで登って取れない。

 途方にくれて元の場所へと戻ってきたが、ライフジャケットだけでも残っていたことに感謝する。

「こいつだけでもあってよかった。ん? ぁ、お茶があった!!」

 ライフジャケットのペットボトルホルダーに入れてあった、緑茶を半分ほど一気飲みする。
 人生でこれほど美味いお茶は飲んだことがない。そんな勢いでのどへと流し込む。

「ぷっはぁ~! た、助かった。けど待て、まさかここって無人島なんじゃ……」

 ゴクリと生唾をのみこむと、現実という恐怖が襲ってくる感覚にゾっとした。
 ペットボトルの残りのお茶を確認し、元気なうちに人を探そうと決め動く。

 海岸線をぐるりと歩く。相変わらず家や電柱らしきものもなく、道路すらない。
 海上には船もなく、見たこともない大きな鳥が飛んでいるだけだ。
 と、その時遠くに人の足跡を発見。前かがみになるほどの勢いで、その足跡の元へと向かう、が。
 
「はは……マジすか。これ俺の足あとかよ」

 出発した地点に、釣り用シューズの独特な靴裏のパターンが刻まれていた。
 どうやら出発点に戻ってきたらしい。
 左手首の時計を見る。歩き始めて一時間数十分ほどで、八千歩あるいたようだ。
 どうやら一周六キロほどが、この島の全てのようだと思いまたヒザから崩れ落ちた。

「もうだめかも……って、なんだ? ライフジャケットの背中になにかあるぞ」

 肩に担いでいたライフジャケットの後ろのファスナーに、ジップロックの切れ端が見える。
 そんな物は入れた覚えがなかったが、見つけたからにはそれが何かが気になった。