藤堂の一口一口は実に小さかった。学校だと給食の時間いっぱい費やしていたタイプだろうな、なんてことをぼんやり考えながら、カイはこの場を離れたい気持ちを募らせ始めていた。一人でのんびり過ごそうと思ってここに来たのに、これではまるで気も休まらない。だが、だからといってその場をあっさり離れてしまおうとするほど、彼は無神経な人間ではなかった。初日に避けられようものなら、この先の仕事のパフォーマンスにもきっと影響が出るだろう。そう思って、彼は缶コーヒーのプルタブを開けた。
「あの、ここの皆さんって、優しいですか……?」
 コーヒーを飲みながら、彼は部署の面々の顔を思い浮かべた。
「優しいか優しくないかで言うと、優しい方なんじゃないですかね。仕事に対してはみんな厳しめだけど、働き方って点で言うなら、割と融通も利く方です。少なくとも、世間で騒がれてるようなブラックな感じではないと思います」
「求人サイトを見てた時には、ネガティブなことも書いてあったので、どうなのかなって思ってたんですけど、それを聞いて安心しました」
「まあ、ああいうのは合わなかった奴が書いてるところありますしね」
 カイも一度自分の会社の評判が気になって、入社して少し経った頃に目を通したことがあった。実際そこに書かれていたことは根も葉もないようなことなんかではなく、働いていれば誰もが疑問に感じたり理不尽さを覚えたりする内容だった。それでも、そこに同調してやめたいという意志までは、彼の中には生まれなかった。やりがいなんてものを感じられるほど大層な職業観も持っていないけれど、自分の仕事にはそれなりに誇りを持っていたからだった。彼の働きによって、笑顔になる人がいる。自分の努力が目に見える結果として現れるというのは、恋に躓き続けてきた彼には重要なことだった。
「ただまあ、分からないことは自分から聞いて下さい。そうしないと多分、教えてくれないので」
「分かりました。えっと、それって赤間さんにでも良いですか?」
「俺で分かることなら、別に俺で良いですけど。なんでもかんでも分かるわけじゃないですからね」
 ああきっと、自分のこういう振る舞いから、俺は間違えていくんだろうな、とカイは感じた。それはいつも覚える感覚だった。つまるところ、彼は心根の優しい、端整な顔立ちの男性に映るのだ。特に心の荒れていた大学時代には、わざとそうして色々な女子の心を惹きつけてきた。今となっては、処世術の延長でそうしているだけのことなのだが、どうも彼は良い感じに映ってしまう。もっと邪険にあしらって、突き放した方がよっぽど良いだろうに、と思っても、彼はそんなふうに冷淡にはなれない。
 結局のところ、彼は優しさを与えることによって返ってくる、優しさを求めていた。
 野菜ジュースを飲み終えると、彼女はおもむろに立ち上がって、大きく伸びをした。スタイルの良さは、その動きだけでよく分かった。もし彼が平凡な恋路だけを歩いてきた男性だったなら、立派に恋をしたかもしれない。
「先、戻ってますね」
 そう言ってからすぐ、あ、と声に出したかと思うと、
「これからよろしくお願いします、赤間さん」
 藤堂は少し姿勢を正して、軽く会釈した。
 歩き去っていく後ろ姿もなかなか美しくて、普通はああいうタイプを好きになって、上手く行くことを望むんだろうな、なんて彼は思った。
 きっと美羽も、彼女のようにしっかりした社会人をやっているのだろう。たとえ束の間失恋に打ちひしがれたのだとしても、女子はすぐに立ち直る。結婚相手はどんな相手かも分からなかったが、きっと彼女と光差す道を共に歩んでいける人なんだろうなと思うと、カンナを家に転がり込ませている自分がつくづく惨めに思えてきた。
(戻りたくねえな、本当)
 とてもじゃないが、戻ったところで仕事が捗るとは思えない。だがそれでも、腕時計を見れば残り時間はほぼなく、早く家に帰りたい性格の彼は休み時間を引き伸ばすという選択肢は取れなかった。
 立ち上がった彼は、同じように伸びをしてみようかと考えた。けれど、いざ腕を伸ばそうとしたところで、恥ずかしくてとても出来そうになかった。
 そう感じた自分を、彼は酷く男性的だと思った。