「ごめんなさい!」

 あたしは謝った。ごめん、好きなになった子がこんな子でほんとごめん。
 でもあなたとは付き合えない。
 別に顔が嫌いだとか、性格が無理とかじゃない。友だちとしては全然アリなんだけど、どうしても付き合えないの。

 だってあたし、二次元にしか興味ないんだもん。


***


「断ったぁー!?」

 驚いたように声を挙げたのは、親友の美香(みか)だ。あたしは慌てて美香の口を押える。いくら人が少ないとはいえ、教室でこの話をバラまかれたら大変だ。

 美香もしまったというように口を押さえ、ひそひそと声を潜めながら話を続けた。

「うそでしょ、夏樹(なつき)くんって言ったら、テニス部の元部長じゃん! えー! 狙ってた子いっぱいいるんだよ、もったいない!」

「無理無理、あたしは、そういうのいいもん」

「のんちゃんはさあ、顔もかわいいし頭もいいじゃん。なんでそれでパートナー作んないのかなって、私は思うわけよ」



 中学三年生の三月中旬。
 もう受験組もあらかた落ち着いて、短縮授業ばっかりだ。あとは卒業を待つばかりのこの時期を見計らって、周囲では告白ラッシュが続いている。もれなくあたしもそれに巻き込まれたわけなんだけど。


「だって、あたし、二次元にしか興味ないから……」

「でた。それそれ、ほんと意味わかんない」


 美香はふてくされた顔で机に突っ伏した。

「あのね、笹本(ささもと)のぞみさん?」

「はい」

「あなたは人間です」

「はい」

「二次元は、この世に存在しません」

「そ、そんなことない! だってほら、これ今のあたしの()しなんだけどさ、ほらこれ、存在してるもん。動いてるし、しゃべってるよ! 見てこれ、ほら!!」

 あたしはスマホに保存していた推しの動画を美香に見せる。
 今ハマってるのは、恋愛シミュレーションのアプリゲームだった。その中に出てくるキャラクターの一人、ユージーンっていうキャラクターにめちゃくちゃハマってるんだよね。

 影があって、メインキャラクターの王子の影武者っていう役どころがホントやばい。
 あふれ出る主人公への愛情と、王子への忠義心で揺れ動く感じとか、しんどすぎて言葉にならないくらい、ホント、何度見てもかっこいいんだ。

 まくしたてるように言葉を重ねたあたしに、美香は呆れたようにため息を吐いた。

「……のんちゃん」

「……はい」

「……まあ、いいけどさ。考え方は人それぞれだから、いいけどさ」

 美香はそう言ってクシャっと笑った。

「まあ、今はその推し? に夢中なのはわかったから。あんたが幸せならそれでいいや」


 ***


 本屋に寄るっていう美香と別れて、あたしはぶらぶらと帰路につく。なんとなくまっすぐ帰るのがイヤで、学校の側にある河原の土手を目指した。

 夜には真っ暗になるこの土手も、昼間なら怖くない。犬の散歩やジョギングをしている人とすれ違いながら、あたしはゆるゆると歩く。

 もう学校も終わっちゃうんだな、なんてセンチメンタルな気分になっていた時だった。



「――だって、言ってるだろ!」



 緊迫感のある声に、声のする方を見る。
 ケンカかな、だったら怖いなと思ったけど、予想に反して声の主は一人だった。



「……河村(かわむら)じゃん」

 河原のグラウンドで、一人。何やら声を挙げていたのは、クラスメートの河村辰也(かわむらたつや)だった。目の前にスマホを(かか)げて、先ほどから何かを叫んでいる。


「だから、俺はお前が好きだって、言ってるだろ!」

 え、なに、これ、公開告白!?

 思わず周りを見渡した。でも、誰もいない。グラウンドには河村だけだ。
 河村は頭をかき、スマホを耳に当ててしかめっ面をする。舌打ちをしてもう一度。

「だから、俺はお前が……好きだって言ってるだろ!」

 頭を金づちで殴られたみたいな衝撃だった。
 さっきと、全然声が違う。

 ……ううん、声は一緒。
 でも、その空気というか、声の持ち主は確かに河村なのに、まるで別人のような雰囲気に聞こえたんだ。

 あたしは心底驚いたものだから、自分の手からカバンが落ちてから初めて、その場に突っ立っていたことを自覚した。
 ドサッと小さくはない音がして、河村がハッとこちらを見る。

「さ、笹本……」

 気まずい。

「あ、ううん、あの、ごめん!」

 思わず謝る。
 誰かに告白してたのなら、邪魔しちゃったってことだよね。

「いや、違うんだ、これは……!」

 慌てたように河村が手を振ふる。

「あ、あたしすぐ消えるからさ、だからその、頑張って!」

「いや、だから違うんだって、俺、別に告白とかしてるんじゃないから!」

「へ……?」

「ちゃんと話すから……こっち、来いよ」

 河村は恥ずかしそうに頭をかき、手招きをした。


 ***


「えっ……声優に!?」

 グラウンドに降りるための階段に腰掛けて、あたしは河村の話を聞いていた。

「声優って、あの声優? アニメとか映画とかの!?」

「そうだよ! くそ……なんで笹本がここに来るんだよ……しくったわ……」

 そう言って河村は手で顔を(おお)った。

「誰にも言うなよ。……実は、この間、事務所に入ったんだ」

「声優事務所?」

「そう。で、オーディションに送るためのボイスサンプルってやつを()らなきゃいけなくて……その練習」

 なるほど、とあたしは手を打った。

「さっきのはセリフの練習だったってこと?」

「そう」

「そっか……! すごいじゃん、河村!」

 本音だった。だって河村、普段と全然違ったから。

「一回目に聞いたのと、二回目に聞いたのとで印象が全然違ったよ。すごいよ、河村! オーディションも絶対合格するよ!」

 つい、はしゃいでしまう。
 身近な人が、あたしの大好きな二次元の世界に飛び込んでるんだ。こんなの、興奮しないわけがない。

 あたしがそう言うと、河村は疲れたみたいに笑った。

「……いや、無理だよ。このセリフ、これじゃダメなんだ」

「ダメ?」

「そう。今度のオーディションさ、恋愛アプリゲームのやつなんだけど。俺が受ける予定のキャラのイメージがまだつかめてないんだ。だから、なんか上滑(うわすべ)りしてるんだよなあ」

 恋愛アプリゲーム?

「ねえ」

 ワクワクが止まらなかった。

「あたし、手伝えるかもしんない」

「は?」

「あたし、今、三度の飯より恋愛アプリゲームが好きだから! どんなキャラなの!? 王子系? やんちゃ系? それともかわいい系!? 大体のキャラならやりこんでるから、意見とか言えると思うよ!」

 そう高らかに宣言すると、河村は一瞬ぽかんとした顔になる。そのまま体をくの字に折って笑い始めた。

「……っく、はは、お前、すげえな」

「笑うことなくない!?」

「悪い、熱量が……。いや」

 河村はまだ唇に笑いを残したままこう言った。

「ごめん、そうだな、俺はお前みたいにゲームが好きな人に楽しんでもらいたくて、オーディション受けるんだ。笑ったりしたらバチが当たるな」

「なんか、急に真面目じゃん」

「最初から真面目だっつの。……じゃ、悪いけど、意見聞いてもいいか?」

「もちろん!」

 河村が見せたスマホには、細かなメモが書いてあった。
 そっか、キャラビジュアルとかは見せられないんだ。

「えっと、ちょっと影があって、真面目で、主人公のことを好きになっちゃいけないと思っている。でも本当は激情家で……」

 あれ、このキャラクターの感じ、もしかして。あたしの今の推し、ユージーンとおんなじタイプなんじゃない?

「わかるか?」

 心配そうに声を挙げる河村に、あたしは自信満々で頷いた。

「任せて!」

「じゃあ、さっそく」

 そう言うと、河村は立ち上がった。階段を数段降りて、あたしと同じ目線になる。

「だから、俺はお前が! 好きだって言ってるだろ!」

 姿勢を正して、力強い目で河村は叫ぶ。

「……どうだった?」

「うーん」

 悪くない。というか、むしろかっこいい。
 でも、さっきのキャラクターの感じとあっているかと言われると……。

「ちょっと激しすぎな気がする」

「激情家ってところを出してみたんだけど……」

「うん、まっすぐなキャラだったらいいと思うんだけど、今回のキャラは影があって真面目で、主人公のことを好きになっちゃいけないって思ってるんでしょ?」

「ああ」

「そしたら、もうちょっとこう……言っちゃいけないのに、我慢できずに言っちゃった! みたいな、ためらいみたいなのがあるといいかなって」

「よし、やってみよう」

 河村の声が耳に届く。なんだか不思議な感じだ。こうしてクラスメートの声に真剣に向き合ったことがないからかもしれない。なんだか心の奥がむずむずして、そわそわした気分になる。

 河村は真剣だった。あたしの言うことに納得してくれて、それを自分の声で表現しようとしている。何度も何度も言い方を変えて、そのたびに声の印象がどんどん変わっていく。

 少しずつ、陽が落ちてきた。

 金色の太陽の光が、ゆっくりグラウンドを染めていく。あたしは河村の声に溺れながら、まるで自分がアニメや映画の主人公になったみたいな気分になった。

 いったい何度目のトライだろう。河村はカバンから取り出したペットボトルの水を飲み干し、手の甲で唇を拭った。

 真剣な目であたしを見つめる。

 ひと呼吸。

 あたしも思わずごくりと喉を鳴らす。


「だから俺は! お前が……好きだって、言ってるだろ……!」


 体中の血が湧き上がるみたいな感覚に、思わず口を押えた。
 信じられない。胸がどきどきして、のどがカラカラに干上がって、今にも叫び出したいくらい。

「……やば」

 思わず声に出る。河村は不安そうに、でもまっすぐあたしを見ている。その視線がなんだかとても恥ずかしくて、思わずうつむいた。

「どうだった?」

 顔、上げらんない。うつむいたまま、あたしは何度も頷いた。

「そっか、ああ、よかった……!」

 その朗らかな声に、恐る恐る顔を上げる。
 河村は笑っていた。額には汗が浮いていて、夕陽がその汗をきらきらと輝かせていた。

「つかめた気がする。めっちゃうれしいわ」

 胸がドキンと跳ね上がった。なんだろう、まるで推しを初めて見たときのような、興奮と感動が入り混じった感覚に、戸惑う。

 河村はすっと片手を差し出した。

「笹本のおかげだ。まじ、ありがとな」

 おずおずとその手を握った。掌越しの温度の熱さに、あたしはなんだか涙が出そうになった。


 ***


 遅くなったし、送るわ。と言って、河村はあたしの隣を歩く。
 夕陽に照らされた土手に、あたしと河村の影が長く伸びている。

「あのさ」

 河村が声を挙げる。

「……俺、頑張るわ」

「うん」

 河村の声が耳にやさしく届く。さっきの、ユージーンみたいな声じゃない。いつもの河村なのに、なんでこんなにドキドキするんだろう。

「オーディション、落ちたらごめんな」

「そんなの関係ないよ」

 あたしは思わず声を挙げる。

「あたし、河村のファン一号だもん」

 そう言うと、河村は「ありがとな」と言って嬉しそうに笑った。



 ***



「のんちゃん、またアプリなの?」

 ファーストフード店のイスにもたれかかりながら、美香は呆れたようにため息を吐いた。

 あたしは息をつめながら、アプリのダウンロード画面に食いついている。今日は待ちに待ったアプリの先行配信の日。これだけは絶対に譲れない!

「やった、百パーセント! あ~楽しみ!!」

「あんたね……」

 美香は苦笑しながらあたしを見た。

「高校生になっても、二次元かぁ」

「……ううん、ちがうよ」

 タイトルコール。



「しいて言えば、二・五次元かな」



 スマホの向こうで、あたしの推しの声が聞こえた。