俺に声をかけたその男は、ウォドムと名乗った。
ウォドム・ハーネット。
彼はアストリアのブリード家と並ぶ名門貴族の出で、彼女がいなければおそらく長に選ばれていた実力者だという。
筋力や敏捷性はアストリアよりも上。
ただ唯一、魔力だけが大きくアストリアに差を付けられていたため、惜しくも長の座を逃したと聞いていた。
ウォドムは魔王たるロゼッタに対し、片膝をついて臣下の礼をとる。
だが、俺に対してはことさらに見下す視線を向けてきた。
「はっ、拍子抜けだな。氷魔族の長を決める名誉ある戦いに、まさか惰弱な人間が参加しようとは」
その物言いにロゼッタが眉を寄せる。
「ウォドムとやら。このクロノは、四天王にして私がもっとも信頼する部下の一人です。口を慎みなさい」
しかし、ウォドムはロゼッタの叱責に怯むことなく、反論の口上を述べた。
「いいえ、魔王様。恐れながら慎みませぬ。私の聞いたところによると、このクロノとかいう人間は、最近軍籍を剥奪されたと聞きました。魔王軍ですらなくなった者に、敬意を払う必要がどこにありましょうか」
「それは元帥たちが勝手にやったこと。私は許可しておりません。もう一度言います。慎みなさい、ウォドム」
ロゼッタの声に苛立ちが混じり始めると、ウォドムは身を引いて彼女に謝罪する。
ただ、やはりこちらには軽視する態度を崩そうとしなかった。
「いずれにせよ、そこな人間を打ち倒すことで、此度の決闘にて我が剣の強さをご覧に入れましょう。……ま、本音を申し上げれば、相手にとって不足有りなのですが……そこまで無理は望みますまい」
そう言い捨てると、ウォドムは甲冑の上に羽織ったマントをひるがえして去っていく。
彼の姿が見えなくなった後、ロゼッタはしばし呆然としてしていたが、ハッと我に返り唇を尖らせた。
「何あれ。失礼な人ですね」
「……ロゼッタ。素に戻ってるぞ」
「あら」
俺が指摘すると、彼女は口に手をやり赤面する。
「……あの、それで、クロノさん。今のウォドムが明後日の対戦相手なんですが……どうでしょう。勝てるでしょうか……」
アストリアが不安げにこちらへと尋ねた。
とはいえ、一言二言話しただけで相手の強さがわかるわけでもなし。
こればかりは、やってみないことにはどうしようもなかった。
俺が「さあなぁ」と返すと、アストリアは「……そうですよね」と、申し訳なさそうに謝る。
ただ──
「ただ、あの偉そうな態度。あまり乗り気じゃなかったけど……ちょっとだけ、燃えてきたかな」
俺がそう言って笑みを見せると、アストリアは「はい!」と嬉しそうに拳を握った。
▽
そして、決闘当日。
氷魔族の北端にある大決闘場で、俺とウォドムは対峙する。
「すごい盛り上がりだな……」
詰めかけた人の熱気に、思わずそうつぶやいてしまった。
その屋外決闘場は数千人以上の収容人数を誇るが、今はほぼ満席となっている。
観客たちは誰もが好奇に満ちた視線で、中央の俺とウォドムに視線を注いでいた。
観客席からは歓声と野次が飛び交い、酒やつまみを売り歩く売子もいた。
一族の長を決める戦いだというのに、こんな娯楽じみたやり方でいいのかとも思う。
相対するウォドムに目を向けると、彼は不敵に笑って剣を抜いた。
「クロノとやら、逃げずにここに来たことだけは誉めてやろう。だが、哀しいかな。貴様は我が剣の錆びとなるのだ」
一昨日と変わらず、自信満々である。
ウォドムは剣の腕に覚えがあるという。
彼の得意技は魔法剣。
愛用する鋼の大剣に氷結魔法をかけ、威力を増した刃によって、いかなる敵をも両断するのだそうだ。
俺はそれを含めたいくつかの情報を、アストリアから事前に聞かされていた。
そうであるなら──ある程度戦い方がわかっているのなら、付け入る隙はある。
こちらの手札は、土魔法と契約魔法の恩恵で手に入れた魔力の結晶。通称、守護領域。
そして、後者の守護結晶はおそらくネタが割れていない。
であれば、これを最大限活用することが有効だろう。
「各々方、準備はよろしいか」
審判役の氷魔族が前に出て問う。
俺とウォドムが互いにうなずくと、彼は右手を挙げ、それを勢いよく下ろして開始の号令をかけた。
「それでは──始めいッ!」
「おおおおッ!」
その声と同時に、ウォドムがこちらに突っ込んでくる。
大剣にはすでに氷結魔法の属性付与がかかっており、氷の刃が陽光に強く反射していた。
「『守りの土壁よ、在れ』!」
俺は土魔法で防御の壁を作る。
「小賢しいわ! このような土くれなど、すべて叩き斬ってくれる!」
目の前に複数生み出した土壁を、ウォドムはいとも簡単に切断していく。
思っていたよりもスピードが速かった。
無駄がなく、洗練された動きだ。
このままでは防御が追いつかない。
俺は即座に後退して距離を取り、土壁の数を増やす。
「はっ、逃げるしか能がないのか、人間よ!」
生成した途端に防御壁は真っ二つに切り裂かれる。
二つ、三つ、四つ。
次々と斬られていく土壁たち。
さすがに剣技に自信を持っているだけのことはある。
だが、あえてそうさせるのがこちらの狙いでもあった。
「──終わりだ!」
(──ここだ!)
白刃が目の前に迫る。
最後の土壁ごと俺を斬ろうというのは、その剣の軌道からして明らかだった。
しかし、得意気に切り裂いていた氷の刃は、五つめの壁に食い込んだ瞬間、強く弾かれる。
ガキィン!
「何ぃっ!?」
「『硬き飛礫よ、降り注げ』!」
俺は剣を握った彼の右手に、石つぶての雨を叩き込む。
ウォドムはその攻撃によって、自らの武器を取り落とした。
実を言うと、俺が作った五つめの土壁には、連結した守護結晶を埋め込んであった。
だから、それまでの土壁とは硬さがまるで違う。
どんな剣の達人でも、たとえばプリンを斬る時と、石を斬る時では握り方は異なるものだ。
予想外の硬いもので弾かれれば握りは緩む。
その瞬間に、剣を持った手をはたき落とす。
つまり、俺の狙いは最初から彼の持ち手にあった。
「おっ、おのれ!」
ウォドムは慌てて大剣を拾おうとする。
その数瞬の隙こそが、こちらが求めたもの。
俺は自分の背後に土壁を生成し、その壁から、さらに真横に土の塊を生えさせ、自身の身体を押し出させた。
「──行けえッ!」
ドゥッ!
土の防御壁を発射台にした高速突進。
俺の身体は勢いをつけてウォドムにぶつかり、そのまま二人して決闘場の壁にぶち当たる。
ウォドムは剣を拾えていない。
魔力を高めつつ、彼の上に馬乗りになる。
苦し紛れに氷結魔法を当てようと、右手が突き出される。
そう来ることもわかっていた。
俺は空気中の魔力を収束させ、彼の右手を守護結晶で隙間なく覆った。
「な……!」
このまま魔法を発射すれば、守護結晶によって暴発し、自らの手が傷つくのみだ。
その恐れからウォドムは怯み、反撃が遅れる。
俺は土魔法を発動させ、右手に黒曜石の剣を具現化する。
それを相手の首へと降り下ろす。
視線が交錯し、死を覚悟した表情になるウォドム。
刃が肌に触れる直前でビタリと剣を止めると、彼はぐっと息を吞み、「……まいった!」と声をあげた。
「──勝負あり! 勝者、クロノ・ディアマット!」
審判が決着の声とともに右手を挙げると、闘技場を包むほどの大きな歓声が巻き起こった。