「なつちゃんは俺ら兄弟の“共有花嫁”になって後悔してるか?」
「していないよ。実家に帰りたいとも思わない。」
「そっか。」
正明は夏都に彼女の前世のことは黙っていた。
ひょんな疑問が夏都の頭によぎる。
「正兄ちゃんは、シャニが喋っても驚かないの?」
「あーそのことね。まもり猫は花嫁の力が強ければ強いほど人間の言葉を喋ったり、場合によっては人に化けることもできるんだ。」
「え?そうなの?」
「泰明だって海外に売り飛ばそうとか思っていなかっただろ?」
「確かに……」
普通ならしゃべる猫と聞くと、売り飛ばそうとか、実験材料にしようとブリーダーや研究員がとっくに押し寄せているだろう。
「なつちゃん、君の花嫁としての力やシャニへの愛情がそれだけ強いってことだよ。」
「そうなの?そこまで考えていなかった。」
「ただ、花嫁の力でまもり猫が喋るのは初めてみたから俺もたまげたよ。もしかしたらシャニが人の姿になるのもそう遠くはないかもね」
正明は「くく」と笑う。
食事も終わり、しばらくしてから帰路に着いた。
その後も車の中で他愛のない話をする。
こんな光景泰明がみたら確実に嫉妬するだろう。
家に帰ったあと、夕飯の支度にかかる。
塩焼きは翌日の昼にしようと。
「ごちそうさま。なつちゃん、いつもありがとう。今日も美味しかったよ」
「お粗末様です。お口にあってよかった。」
この正明は、卵焼き一品だけ作っても感謝してくれる“家族”だ。
夏都は正明への恋愛感情を再認識してしまう。
「私……正兄ちゃんの子どもを生みたいな」とぽつりとつぶやいた。
正明は「君が大人になってからね」と夏都の額にキスをして、自室に消えた。
この抱いてもらえない日がいつまで続くのだろう。もどかしい気持ちだ。
正明も気持ちは嬉しいけどその気持に答えられないといったところだ。
――――――――――――
4日目。大学院から3日間休みをとってもいいと許可が降りた。
教授からすると「共有花嫁をもらったならなんで言わないんだ!」という気持ちだろう。
実際、そのように怒られたのだ。それを理由に休んでも単位に響かないからありがたいことだ。
正明の生真面目さがここで裏目に出てしまった。
「隠していたわけではないのにな」
正明はぼやいてしまう。
でも、夏都への愛とは?と問われている1週間のうち3日間は自問自答だった。
「俺、何してるんだろ……もう他の人を愛してもいいよね?亜里沙……」
亜里沙とは正明の死んだ恋人の名前だ。
本当に愛おしくて命に変えてでも守りたい存在。そんな亜里沙が目の前で事故にあいそのまま助からなかった。
「亜里沙……」
正明は自己嫌悪で今でも涙が流れる。
“亜里沙”を守れなかった自己嫌悪が正明に取って大きな足かせになっていた。
『正明、わたしね赤ちゃんできたの』
『お腹の中の子、男の子?それとも女の子かな?』
『名前、どうしよう、男の子も女の子。どっちがうまれても“翼”にしよう』
亜里沙との思い出と夏都への愛情が板挟みになっていく。
家に帰ると夏都が「おかえり」と出迎えてくれた。
その出迎えてくれた夏都の姿が一瞬、死んだはずの亜里沙と面影が重なった。
愛おしくなり、我慢できず抱きしめてしまう。
「正にいちゃん?どうしたの?」
「ごめん。しばらくこうしてていいかな?」
夏都は無言で正明の抱擁を受け止めた。
抱きしめている間、正明の目頭が熱くなる。
好きな人に抱きしめられるのがここまで心が満たされるとは思わなかった。
「昔を思い出してしまっただけだから……気にしないで。」
正明は笑顔だが目はどこかさみしげだった。
その日の夜――。
夏都は喉の乾きに目がさめた。
台所まで向かおうとしたとき、風呂上がりの正明が洗面所から出てきた。
瞳の色を見るやいなや――。
「正にいちゃんの目……すごくきれい」
「!?」
夏都は、正明のリビアの近くにある地中海や沖縄の海のような美しい目に見とれてしまう。夢を見ているような気分だ。
正明は夏都から視線をそらそうとする。
「お願いもっとよく見せて!」
「なつちゃん?」
夏都は夢中になって正明の目をジーと見つめた。
「……」
ふたりとも終始無言で見つめ合ってる。
夏都の唇にゆっくり正明の唇が重なった。
「ん……」
心地よくて自然と許してしまった。
好きな人の口づけだ。
そこからほとんど記憶がない。
朝起きるとベッドの上で正明と一糸まとわぬ格好で眠っていた。
「おはようなつちゃん。」
「う……ん……」
好きな人が至近距離で優しく微笑んでいる。
夏都も赤面気味だ。
「あの……」
「大丈夫だよ。最後まではしていないから。」
「そっか……」
「残念そうな顔しないで。大丈夫だよ。まだ君は若いんだから。」
「うん……」
そのままふたりは抱き合って二度寝をした。
正明のぬくもりで夏都も夢の中に……。
目が覚めたとき、シャニはいつの間にかふたりの間に割り込んで寝ていた。
夏都は優しく微笑んでシャニをゆっくり撫でる。
『まま……』
シャニは寝ぼけ眼になりながら、夏都を恋しがる。
隣で正明は未だに寝たままだった。
「そろそろ御飯作らないと……」
夏都は服を着て、そのまま台所に消えた。
――――――――――
6日目の朝。
正明と過ごす1週間も残すところあと1日。
終わってしまうと泰明のところへ行くことになる。
共有花嫁の運命とはいえ……。
夏都は泰明のことがけして嫌いというわけではない。
「なつちゃんは泰明のこと苦手か?」
「うん。でも誤解しないで。泰兄ちゃんのこと嫌いという訳では無いの。」
「そか。でもわかっているよ。あいつ俺でも何考えているかわからないからね。」
余計に夏都も不安になる。
「大丈夫だよ。泰明はいいやつだから。」
正明は笑顔を向けながら夏都の頭を撫でる。
「うん……あと一週間正にいちゃんと過ごしたいよ……」
「俺もそうしたいのは山々だけど、あまり待たせると泰明が可愛そうだよ。」
正明は夏都をなんとかなだめている。
「わかっているよー。」
「あんまり拒否すると泰明がかわいそうだよ。」
そんなやり取りを続けていく中、正明と過ごす1週間の最終日を迎えた。
「なつちゃん、そんな浮かない顔しないで。また2週間後にふたりで過ごせるからね。」
「うん」
「俺、なつちゃんの笑った顔が好きだな。大丈夫だよ。泰明はなつちゃんとすごせること楽しみにしていたから。」
泰明は夏都にベタ惚れだ。
きっと準備をしているだろう。
「明日、泰明が迎えに来るから荷造りして待っていればいいから。」
「うん。」
「あいつはなつちゃんに嫌なことは絶対にしないから……多分」
「多分……か。余計不安だよ。」
夏都はもたつきながらも荷造りをしている。
『ママーあいつがなんかしてきたら俺が猫パンチ御見舞するから安心して!』
「ありがとう。シャニ。あなたは私のナイトだね」
『えへへー』
シャニは夏都に頬ずりをされながら嬉しそうに目を細めた。
――――――
そして、最終日の朝。
朝食を食べてしばらくしたとき、チャイムが鳴る。
「泰明か?」
『そうだよ、なつちゃんを迎えに来たよ。』
「いくらなんでもまだ7時だぞ?近くのカフェで時間つぶしとけ。」
『わーたよ。』
泰明は不満そうな声を最後にインターフォンが途切れた。
「泰兄ちゃん、もう来てたの?」
『あいつママが絡むとやること早いな。』
「まあ、そう言うな。泰明もそれだけなつちゃんのことが好きなんだよ。」
『とか言って、まさあきもママとお楽しみだったみたいだな。裸で抱き合ってよー』
「えっ?」って顔をするふたりに対しシャニは『俺が何も知らないと思った?』と言わんばかりだ。
正明はシャニに好物であるまぐろ味のチュールを見せた。
「シャニ、これがほしいだろ?」
『ほしい!』
「だったらさ、ふたりで過ごした夜のこと泰明には黙っていてほしいんだ。お利口さんの君ならわかるよね?」
正明はニッコリと笑い、『早くくれ!』と急かすシャニにチュールを食べさせた。
「正にいちゃんって結構腹黒いな……」
夏都はあっけに取られた反面、好きな人の意外性を知ることができて嬉しくもあった。
正明と過ごした最終日の翌日に泰明が迎えに来た。
夏都は不安気だ。
5月15日の午前10時、泰明と過ごす1週間が始まりつつある。
泰明は夏都を車に乗せ、自宅に向かう。
緊張気味の夏都を見つめ、泰明は一言声をかける。
「そんなに緊張しないで。」
「はい……。」
「しかないか。徐々に慣れてくといいよ。」
泰明は笑顔で車を運転した。
「もうすぐ家に着くから一旦荷物置いたら、オランダ坂に行こうか。」
「オランダ坂?」
「うん。一度でいいからなつちゃんと二人で行きたいと思ってたんだ。」
夏都はキョトン顔だった。
オランダ坂に行ったのは小さい頃、母親や妹たちと4人で行ったきりだった。
――――
『夏都、ほらカステラよ。』
『わーい。お母さんありがとう』
『夏都は本当にカステラが好きよね。』
『うん!』
母親の優しい笑顔が脳裏によぎる。
――――――
「なつちゃん、もう俺の家、着いたよ」
車を降りると、豪華な戸建てだった。
庭付きで大きな家だ。
結納金の8割は泰明が負担したとはいえ、泰明の年齢で豪華な戸建てを買うのは相当稼いでいないと無理なのでは?と疑問がわく。
もはや豪邸レベルだ。
二階建ての温水プール付き。長崎の高い住宅街とはいえ目立つし維持費が大変なのでは?と疑問がわく。
「かなり大きな家だね。」
「うん。これ俺の持ち家。これから1週間、ふたりで過ごすところだよ。」
『すげぇ……』
シャニは泰明の家に度肝を抜かれていた。
泰明が戸建てを建てた理由は正明から話しを聞いていたから安易に想像がつく。
「シャニ、お前の遊び部屋も用意しているからそこで遊ぶといいよ。」
『俺の……遊び部屋?その部屋ママも一緒なの?』
「さあね。」
泰明は意味深に微笑んだ。
中に入ってみると正明のマンションと比べ物にならないくらい広い家だ。
ここで一人暮らしをしているのかと思っていた。
聞けば、虐待を受けた子どもを一時的に保護するため、子供部屋やおもちゃがあるのも納得がいくものだ。
夏都の泰明への見る目が少し変わった瞬間だ。
あためて家の中をみると、広いリビングやゲストルームも何部屋かある。
「なつちゃん、ここが俺たちの寝室だよ」
「え?ふたりと同じ寝室になるの?」
「え?そうだけど。だって君は“花嫁”じゃん。」
「そうだけど……」と言おうとするも喉元から来て飲み込んでしまう。
せめてシングルベッドが2つ並んでいる部屋であって欲しいと心の何処かで思ってしまう。
荷物を置くために恐る恐る見ると、広めの部屋の真ん中にキングサイズのベッドに大きめのクローゼット、スッキリと片付いた最新のデスクトップパソコンが置いてある部屋。
これから1週間、泰明とこのベッドで寝るのかと思うと緊張してしまう。
使用人のように扱っていた実家から自分を助け出してくれた人のひとり。
これは腹をくくるしかない。
「なつちゃん」
「ひゃ!」
「扉の真ん中にいたら通れないよ。」
「ごめんなさい」
「ううん。いいよ」
泰明は夏都の反応にクスリと笑った。
「荷物置いたら、出かけよ。あ、シャニも連れて行こう。」
「うん。」
泰明に誘導されるがまま、出かける。
シャニは夏都の腕の中で泰明を見つめた。
『やすあき、ままに何かしたらどうなるかわかてるだろうな?』
「おっ、ナイト気取りか?」
『ナイトとかライトとかわからないけど、俺は花嫁であるママのまもり猫だからな』
「ふっ、頑張れよ」
夏都は「?」の状態だ。
「泰兄ちゃんとシャニは仲良しだね」
「どこが……」
『ママの天然もここまで来ると呆れる……』
泰明とシャニは夏都の天然さに心底呆れている。
「なつちゃん、車に乗ろうか」
「うん」
泰明は夏都の手を取り、車まで誘導した。
なんとなくだけど、腰に手を回されるのは気恥ずかしい気持ちになる。
シャニを抱っこしながらも康明の運転する車に乗りながら長崎市内の町並みを眺めていく。
「ここ……お母さんや妹たちとよく行ったな……」夏都はポツリと呟いた。
泰明はその瞬間を逃さなかった。
「君のお母さん、いい人だよね。」
「うん……」
「でもね……なつちゃんの身内を悪く言いたくないけど、あんなひどい父親とわかっているなら君を守るために離婚するのも選択肢だと思うよ。」
「……」
泰明は横目で夏都を見ると「ごめん」と一言車の運転を再開する。
「……私のこと……思ってくれているんだよね?」
「うん。俺、なつちゃんのこと一人の女性として好きだよ。だから君を傷つけるもの全てが嫌いだし憎いんだ……」
「うん……」
「君が兄貴のことが好きなのはわかっているよ。」
「!?」
夏都は、泰明の言葉に戸惑った。
「隠さなくてもいいよ。いきなりとは言わない。いずれは俺だけを見てほしい。」
泰明は夏都の唇に「チュッ」と触れるだけの優しいキスをする。
後部座席を見ると、シャニはお腹を上にして眠っていた。
「頼りないまもり猫ね。」夏都は我が子を見つめるように夢の中にいるシャニの頭をゆっくり撫でた。
目的地につくと、シャニを抱えた状態で泰明とオランダ坂を巡った。
ハートの石を探したり、ペット同伴がいいところを探したりと様々な場所を巡った。
福砂屋のカステラをお土産に買いその日は帰宅した。
――――――――
二日目の朝。
泰明はすでに起きており、家の庭でタバコを吸っていた。
「泰兄ちゃん、おはよう」
「ああ、なつちゃんおはよう。」
泰明は夏都の存在に気づくと笑顔になり、灰皿でタバコの火をもみ消した。
「泰兄ちゃん、昨日はオランダ坂と福砂屋のカステラありがとう。」
「ううん、なつちゃん浮かない顔をしてたから息抜きも大事かなと思ったんだ。」
ふと夏都の中にひとつの疑問が浮かんだ。
「泰兄ちゃん、仕事は大丈夫なの?」
「うん。有給を消化しろって会社の人間がうるさかったしちょうどいいから昨日から1週間有給休暇を取ったんだ。」
泰明のそういう所は抜かりなかった。
正明とはそこが違うというものだ。
「朝ごはん、どうする?」
「なつちゃんの作るものならなんでもいいよ。」
その何でもいいが作る側としては困るものだ。
そのまま台所に向かい冷蔵庫をあけてみるやいなや……。
中を見ると食材の殆どがない。
その時に一服終わった泰明が戻ってきた。
「あー、なつちゃんのことで頭がいっぱいだったから見事に忘れてたわ……」
夏都はその言葉に「あのねぇー」といいそうになる。
「ごめん、そんな顔しないで。せっかくだから近くのカフェでモーニングを食べに行こ。ね?」
「うん。」
そのままシャニに留守番を頼んだ。
近くのカフェまで歩くなか、二人で過ごした部屋にあった手垢まみれの絵本のことを思い出した。
「あの絵本って、随分大事に保管してあるみたいだけどあれってどんなお話なの?」
「うさぎ姫。人魚姫のオマージュで切ないけど主人公の健気な恋心を描いた作品なんだ。子どものころ母さんによく読んでもらってたんだ。」
「ふーん」
「なつちゃんはそのうさぎ姫が人間になったときの姿によく似てるよ。背の高い、大人びた顔立ちの美少女なところがね」
「私が?そんなこと……」
泰明のストレートな感想に夏都は顔を赤くした。
「そんなに顔を赤くしてかわいいね。俺は事実をいっただけだから恥ずかしがらなくてもいいよ。」
カフェに到着後、化粧室まで消えた夏都を見つめたあと……。
泰明は不敵な笑みを浮かべた。
「本当にかわいいね。自分だけのものにしたい。俺だけのうさぎ姫。」
泰明の深すぎる愛情。
そのまま夏都はその愛に溺れることを知る由もない。
――――――
3日目の昼過ぎ。
夕はどれだけ泰明の愛に溺れていただろう。
まだ余韻が抜けない。
挨拶にしていたキスと比べ物にならない。
『君を俺だけの花嫁にしたい。』
『子どもの頃はじめて見たときからずっと愛してる』
『兄貴や宏明にも……触れさせたくない。』
そして、泰明の腕の中で眠りにつく寸前のところで……。
『君を……他の男に触れさせたくない。俺だけを見ていてよ。愛してるよ……俺だけのかわいいうさぎさん♡』
その言葉を皮切りに夏都の意識は途絶えた。
「あんなことをサラッと言えるんだな……」
気恥ずかしくなる。
ここまで愛されたのは初めてかもしれない。
「なんの話?」
泰明がいつの間にか後ろにいる。
「泰兄ちゃん……。」
「なつちゃん、おはよう」
いつもの優しいほほ笑みを浮かべる泰明だ。
夏都この人はずっと自分のことを愛してくれたのかと思った。