また学校でともやくんの前から逃げてしまった日の夕方、わたしはバイト先であるめし屋にいた。
あのあとのわたしは、公園のベンチでしばらく泣き続けて、そしてなぜだかあのレジの優しいお兄さんに会いたくなってしまい、コンビニにいつものホットココアを買いに行って・・・・・・。
お兄さんに「なんか疲れていますね」って言われた時は、思わず「いろいろ悩んでいるんです」って答えてしまい、すぐに「自分なに言ってるんだろう」って恥ずかしさに襲われてしまったけれど。
「みなみちゃん」
「はい。なんですか?」
エプロンをつけながら振り返ると、さちえさんがおぼんでグラスを運びながら、なんだか慌ただしい様子でこちらをチラチラと見ていた。
「これから団体さんの予約が来るから、急いで食器を洗っておいてくれる? もうすぐしたらゆうくんも来ると思うんだけど・・・・・・。それまでひとりで大変だとは思うけど、おねがいね」
団体さんか・・・・・・。学校関係か、会社関係の人たちかな?
ここ最近、団体客の予約が増えて忙しくなっている。
もちろん地元の常連客も多いけれど、ネットでの口コミが増えたみたいで、それを見た人たちから「団体でも予約できますか?」っていう問い合わせが増えたらしい。
特別店内が広いわけではないけれど、貸切にしてしまえば団体客でも受け入れることができる。
だからさちえさんも毎日忙しそうにはしているけれど、なんだかやっぱり嬉しそうで。
もちろん何もすることがなくて暇にしているよりも、お店が繁盛している方がわたしもやりがいがあって楽しい。
急いで終わらせないと。
わたしは流し場に向かうと、溜まっていたお皿とグラスを洗ってタオルで綺麗に拭きあげた。
こういったひとりで黙々とする作業は結構好きだし、自分に向いているんだと思う。
と、その時。
「おつかれさまでーす。あれ、みなみさん、今日はもういたんですね。また一緒にならないかなって思って、いちごチョコも用意しておいたんで。あとで渡すから楽しみにしておいてくださいね」
ゆうくんの明るい声が店内に響き渡った。
ゆうくんがここにくると店内の雰囲気が一瞬で変わって、賑やかさが一気に増す。
そんな不思議な力を持っているし、これって才能だって思うから、ゆうくんが不登校だっていうことが今でもたまに信じられないなって思う時がある。
「ゆうくん、今日は忙しくなると思うから頼んだよ」
「はーい。俺、バリバリ頑張るんで」
荷物をロッカーに置いたゆうくんが、大きなあくびをしながら流し場に入ってきた。
頑張るって言いながら、そうやってのんきでいられるのも羨ましい。
いつも張り詰めているわたしには絶対に真似できない。
「ゆうくん、もう食器は今のところ全部洗い終わったから大丈夫よ。またあとでお願いね」
わたしは手を拭きながらゆうくんに言った。いつも通りに・・・・・・言ったつもりだった。
「あれ? ゆりなさん今日泣きました? 目が真っ赤ですよ。どうしたんですか?」
「え? そうかな。コンタクトがずれただけかもしれない」
「いや、違うでしょ。だって両目とも真っ赤っすよ」
わたしの顔を覗き込んでくるゆうくんの顔があまりにも近くて、思わず後ろに下がってしまった。
バイトに来る前に、ちゃんと鏡で確認したはずだったのに・・・・・・。
泣いただなんて、絶対に誰にもバレたくなかったのに。
「人生相談ってやつしません? 俺も昨日兄ちゃんと久しぶりにけんかして結構凹んでるんですよねー。ま、原因は俺にあったから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど」
ゆうくんが流し場にもたれかかりながら、上を向いて言った。
その姿が一瞬ともやくんと重なってしまい、思わず視線を逸らしてしまう。
ゆうくん、もしかしてわたしが泣いていたこと、心配してくれてる?
だから、相談とか言ってくれてるの?
だけど今日あったことなんて、ゆうくんには話せない。
でも・・・・・・。
誰かに聞いてほしい。辛かったねって言ってほしい。
そんな優しい言葉をかけられると、わたしの弱い心が助けを求めてしまって、つい甘えてしまいそうになる。
「じゃあ、ゆりなさんから話してください。俺、こう見えて人の話を聞くの上手いんですよ。ま、学校のやつらとは折り合いつけれなかったけど」
ごく自然にわたしの隣に並んだゆうくんから、ともやくんと同じ優しい香りがする。
兄弟だからもしかしたら同じ香水を使っているのかもしれない。
なんだかゆうくんの存在がいつより近く感じて、喉の奥で引っかかっていた言葉が自然とあふれ出てきてしまい、止めることができない。
「ゆうくんはさ、自分の気持ちを素直に相手に伝えることできる?」
「気持ちっすか? 俺はかなりストレートに言っちゃいますよ。多分言い過ぎなくらいだと思うし、そもそも相手の気持ちを考えることが苦手だから、それで傷つけちゃうこともあるんですけどね。ゆりなさんはどうなんですか?」
「わたしは・・・・・・」
頭の中にともやくんの姿が思い浮かんでしまい、唇をギュッと噛み締めた。
ともやくんに伝えたいこと。
みなみやクラスメイトにはっきりと言いたいこと。
本当は心の中では伝えたいって思うことはたくさんある。
はじめて学校で嫌がらせをされた小学生の頃からわたしは、自分の気持ちには蓋をしてずっと押し殺してきた。
自分なんかがそんなこと言ったらダメだって言い聞かせて、気がつかないふりをし続けてきた。
だけど、本当は毎日苦しくて、辛くて、しんどくて、相談したくて・・・・・・。
でも、今なら・・・・・・。
「わたしは自分の気持ちを相手に伝えることがすごく苦手なの。いつも我慢してる。本当は泣きたくても、いやでも、もっと話したいって思っても。何も話すことができない。ねぇ、ゆうくん。わたし、どうしたらいいかな・・・・・・?」
はじめてこんなに自分の気持ちを伝えてしまった。
こんなことをしてしまったら・・・・・・。
自分の気持ちを伝えるということをしてしまったら、耐えられなくなってしまいそうなことが多すぎて。
これから、またひとりきりになった時に、もっと辛くて、苦しくなってしまいそうで・・・・・・。
だけど、今までこらえていた思いが言葉としてあふれ出てきてしまう。
「相手には言葉にしないと自分の想いってきちんと伝わらないと思うし、それに悔しくないですか? 何も伝わっていないって? だから俺は兄ちゃんとか、学校のやつらとかにも嫌だったら嫌だって言うし、嬉しかったらきちんとお礼を伝えるし。もし明日地球が滅びるってなった時に、何も言えなかったらすげー後悔すると思うんですよね。だから、ゆりなさんも自分の気持ち、しっかり伝えたほうがいいっすよ」
ゆうくんの言うことは妙に落ち着いていて、大人びていて、説得力があった。
学校のことがうまくいっていないというところに親近感を感じているからだろうか。
それとも、ゆうくんがともやくんの弟だからそう思うだけなのだろうか。
だけど、ゆうくんの言葉はすごくあたたかくて、わたしの真っ暗闇だった心の中をゆっくりと照らしてくれる。
「ゆりなさんって本当は自分の気持ちを正直に伝えたい大切な人がいるんじゃないんですか?」
わたしのことをじっと見つめながら、落ち着いた声でゆうくんは言った。
どう答えたらいいかわからなくて、目を泳がせていると、「誰でもいると思いますよ、そんな風に大切に想う人って」と付け加えられ、少しだけホッとする。
いつもなら何も答えられなくなってしまいそうな質問だったけれど、ゆうくんはバイトでの仲間だし、学校で会うこともなければ、普段一緒に遊ぶこともない。
なにを話しても大丈夫な気がして、ゆっくりと唇を開いた。
「うん・・・・・・。いるよ。大切な人。大切だけど遠くて、わたしの手の届かないところにいる人」
不安で、息が苦しくて、消えてしまいたくて。
わたしはずっとひとりきりで耐えてきた。誰の邪魔にもならないように、息をひそめて生きてきた。
それなのに、先が見えない真っ暗なトンネルの中で、一筋の明かりを求めるかのようにともやくんを思い出してしまう。
ともやくんはわたしとは関係ないはずだった。
生きてる世界も全く別物のはずだった。
でも、わたしが思っていた以上にともやくんの存在は大きくて、かけがえのないものになっていた。
「その大切な人に気持ちって伝えれませんか?」
ゆうくんの瞳はまっすぐで、真剣そのものだった。
「むりだと思う。言えないよ、何も・・・・・・」
学校でどんなに嫌なことがあっても、しんどいことがあっても、ともやくんだけには自分の想いを伝えるだなんて、絶対にできない。
「じゃあ、これ、お守りです。これ食べたらゆりなさんもその人に自分の気持ち、ちゃんと相手に伝えられるようになりますよ」
にかっと真っ白な歯を見せながら笑ったゆうくんの右手には、あの時と同じいちごチョコレートがあった。
「ありがとう。いつもありがとう。なんかゆうくんに相談したら少しスッキリした気がする。お守りも嬉しい・・・・・・」
わたしはそっとチョコレートを受け取ると、エプロンのポケットにしまった。
ゆうくんの優しさは、ともやくんとすごく似ている気がする。
あのあとのわたしは、公園のベンチでしばらく泣き続けて、そしてなぜだかあのレジの優しいお兄さんに会いたくなってしまい、コンビニにいつものホットココアを買いに行って・・・・・・。
お兄さんに「なんか疲れていますね」って言われた時は、思わず「いろいろ悩んでいるんです」って答えてしまい、すぐに「自分なに言ってるんだろう」って恥ずかしさに襲われてしまったけれど。
「みなみちゃん」
「はい。なんですか?」
エプロンをつけながら振り返ると、さちえさんがおぼんでグラスを運びながら、なんだか慌ただしい様子でこちらをチラチラと見ていた。
「これから団体さんの予約が来るから、急いで食器を洗っておいてくれる? もうすぐしたらゆうくんも来ると思うんだけど・・・・・・。それまでひとりで大変だとは思うけど、おねがいね」
団体さんか・・・・・・。学校関係か、会社関係の人たちかな?
ここ最近、団体客の予約が増えて忙しくなっている。
もちろん地元の常連客も多いけれど、ネットでの口コミが増えたみたいで、それを見た人たちから「団体でも予約できますか?」っていう問い合わせが増えたらしい。
特別店内が広いわけではないけれど、貸切にしてしまえば団体客でも受け入れることができる。
だからさちえさんも毎日忙しそうにはしているけれど、なんだかやっぱり嬉しそうで。
もちろん何もすることがなくて暇にしているよりも、お店が繁盛している方がわたしもやりがいがあって楽しい。
急いで終わらせないと。
わたしは流し場に向かうと、溜まっていたお皿とグラスを洗ってタオルで綺麗に拭きあげた。
こういったひとりで黙々とする作業は結構好きだし、自分に向いているんだと思う。
と、その時。
「おつかれさまでーす。あれ、みなみさん、今日はもういたんですね。また一緒にならないかなって思って、いちごチョコも用意しておいたんで。あとで渡すから楽しみにしておいてくださいね」
ゆうくんの明るい声が店内に響き渡った。
ゆうくんがここにくると店内の雰囲気が一瞬で変わって、賑やかさが一気に増す。
そんな不思議な力を持っているし、これって才能だって思うから、ゆうくんが不登校だっていうことが今でもたまに信じられないなって思う時がある。
「ゆうくん、今日は忙しくなると思うから頼んだよ」
「はーい。俺、バリバリ頑張るんで」
荷物をロッカーに置いたゆうくんが、大きなあくびをしながら流し場に入ってきた。
頑張るって言いながら、そうやってのんきでいられるのも羨ましい。
いつも張り詰めているわたしには絶対に真似できない。
「ゆうくん、もう食器は今のところ全部洗い終わったから大丈夫よ。またあとでお願いね」
わたしは手を拭きながらゆうくんに言った。いつも通りに・・・・・・言ったつもりだった。
「あれ? ゆりなさん今日泣きました? 目が真っ赤ですよ。どうしたんですか?」
「え? そうかな。コンタクトがずれただけかもしれない」
「いや、違うでしょ。だって両目とも真っ赤っすよ」
わたしの顔を覗き込んでくるゆうくんの顔があまりにも近くて、思わず後ろに下がってしまった。
バイトに来る前に、ちゃんと鏡で確認したはずだったのに・・・・・・。
泣いただなんて、絶対に誰にもバレたくなかったのに。
「人生相談ってやつしません? 俺も昨日兄ちゃんと久しぶりにけんかして結構凹んでるんですよねー。ま、原因は俺にあったから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど」
ゆうくんが流し場にもたれかかりながら、上を向いて言った。
その姿が一瞬ともやくんと重なってしまい、思わず視線を逸らしてしまう。
ゆうくん、もしかしてわたしが泣いていたこと、心配してくれてる?
だから、相談とか言ってくれてるの?
だけど今日あったことなんて、ゆうくんには話せない。
でも・・・・・・。
誰かに聞いてほしい。辛かったねって言ってほしい。
そんな優しい言葉をかけられると、わたしの弱い心が助けを求めてしまって、つい甘えてしまいそうになる。
「じゃあ、ゆりなさんから話してください。俺、こう見えて人の話を聞くの上手いんですよ。ま、学校のやつらとは折り合いつけれなかったけど」
ごく自然にわたしの隣に並んだゆうくんから、ともやくんと同じ優しい香りがする。
兄弟だからもしかしたら同じ香水を使っているのかもしれない。
なんだかゆうくんの存在がいつより近く感じて、喉の奥で引っかかっていた言葉が自然とあふれ出てきてしまい、止めることができない。
「ゆうくんはさ、自分の気持ちを素直に相手に伝えることできる?」
「気持ちっすか? 俺はかなりストレートに言っちゃいますよ。多分言い過ぎなくらいだと思うし、そもそも相手の気持ちを考えることが苦手だから、それで傷つけちゃうこともあるんですけどね。ゆりなさんはどうなんですか?」
「わたしは・・・・・・」
頭の中にともやくんの姿が思い浮かんでしまい、唇をギュッと噛み締めた。
ともやくんに伝えたいこと。
みなみやクラスメイトにはっきりと言いたいこと。
本当は心の中では伝えたいって思うことはたくさんある。
はじめて学校で嫌がらせをされた小学生の頃からわたしは、自分の気持ちには蓋をしてずっと押し殺してきた。
自分なんかがそんなこと言ったらダメだって言い聞かせて、気がつかないふりをし続けてきた。
だけど、本当は毎日苦しくて、辛くて、しんどくて、相談したくて・・・・・・。
でも、今なら・・・・・・。
「わたしは自分の気持ちを相手に伝えることがすごく苦手なの。いつも我慢してる。本当は泣きたくても、いやでも、もっと話したいって思っても。何も話すことができない。ねぇ、ゆうくん。わたし、どうしたらいいかな・・・・・・?」
はじめてこんなに自分の気持ちを伝えてしまった。
こんなことをしてしまったら・・・・・・。
自分の気持ちを伝えるということをしてしまったら、耐えられなくなってしまいそうなことが多すぎて。
これから、またひとりきりになった時に、もっと辛くて、苦しくなってしまいそうで・・・・・・。
だけど、今までこらえていた思いが言葉としてあふれ出てきてしまう。
「相手には言葉にしないと自分の想いってきちんと伝わらないと思うし、それに悔しくないですか? 何も伝わっていないって? だから俺は兄ちゃんとか、学校のやつらとかにも嫌だったら嫌だって言うし、嬉しかったらきちんとお礼を伝えるし。もし明日地球が滅びるってなった時に、何も言えなかったらすげー後悔すると思うんですよね。だから、ゆりなさんも自分の気持ち、しっかり伝えたほうがいいっすよ」
ゆうくんの言うことは妙に落ち着いていて、大人びていて、説得力があった。
学校のことがうまくいっていないというところに親近感を感じているからだろうか。
それとも、ゆうくんがともやくんの弟だからそう思うだけなのだろうか。
だけど、ゆうくんの言葉はすごくあたたかくて、わたしの真っ暗闇だった心の中をゆっくりと照らしてくれる。
「ゆりなさんって本当は自分の気持ちを正直に伝えたい大切な人がいるんじゃないんですか?」
わたしのことをじっと見つめながら、落ち着いた声でゆうくんは言った。
どう答えたらいいかわからなくて、目を泳がせていると、「誰でもいると思いますよ、そんな風に大切に想う人って」と付け加えられ、少しだけホッとする。
いつもなら何も答えられなくなってしまいそうな質問だったけれど、ゆうくんはバイトでの仲間だし、学校で会うこともなければ、普段一緒に遊ぶこともない。
なにを話しても大丈夫な気がして、ゆっくりと唇を開いた。
「うん・・・・・・。いるよ。大切な人。大切だけど遠くて、わたしの手の届かないところにいる人」
不安で、息が苦しくて、消えてしまいたくて。
わたしはずっとひとりきりで耐えてきた。誰の邪魔にもならないように、息をひそめて生きてきた。
それなのに、先が見えない真っ暗なトンネルの中で、一筋の明かりを求めるかのようにともやくんを思い出してしまう。
ともやくんはわたしとは関係ないはずだった。
生きてる世界も全く別物のはずだった。
でも、わたしが思っていた以上にともやくんの存在は大きくて、かけがえのないものになっていた。
「その大切な人に気持ちって伝えれませんか?」
ゆうくんの瞳はまっすぐで、真剣そのものだった。
「むりだと思う。言えないよ、何も・・・・・・」
学校でどんなに嫌なことがあっても、しんどいことがあっても、ともやくんだけには自分の想いを伝えるだなんて、絶対にできない。
「じゃあ、これ、お守りです。これ食べたらゆりなさんもその人に自分の気持ち、ちゃんと相手に伝えられるようになりますよ」
にかっと真っ白な歯を見せながら笑ったゆうくんの右手には、あの時と同じいちごチョコレートがあった。
「ありがとう。いつもありがとう。なんかゆうくんに相談したら少しスッキリした気がする。お守りも嬉しい・・・・・・」
わたしはそっとチョコレートを受け取ると、エプロンのポケットにしまった。
ゆうくんの優しさは、ともやくんとすごく似ている気がする。