それから数日経って、わたしは放課後の教室にいた。


今日もともやくんと一緒に図書室でパズルをすることになっていたけれど、ともやくんが先生に職員室に呼ばれたから、それが終わるまでひとりで待っているところ。


前は別々に図書室に行っていたけれど、最近はこうやってふたりそろって行ったりもしている。


この前、バイト前にゆうくんに聞いた話の内容はたぶんわたしの人生の中で1番飛び跳ねるくらい嬉しいことだったし、本当にそうだといいなって思ったりはしていた。


だけど、実際直接ともやくんを目の前にすると何を話していいのかわからなくなるし、緊張してしまうし、やっぱりわたしなんかと一緒だったら退屈なんじゃないかなって思ったりもしてしまい、なんだかぎこちなくなってしまう。


そんなともやくんは相変わらずみんなには優しく接しているし、告白事件があってからもみなみとの関係は気まずくなっていないみたい。


もしわたしだったら、告白してきた人とどう接していいのかわからなくなってしまって避けてしまうだろうなって思うから、やっぱりともやくんはすごい。


それにみなみが今、ともやくんのことをどう思っているのかハッキリとは知らないけれど、まだ諦めていないっていう噂もあって少し複雑な気持ちにもなっている。


ともやくんはわたしのものじゃないし、みんなにとっても大切な存在だっていうことはわかっているのに。


だけど、もし誰かがともやくんと付き合うってことになったりなんかしたら、それこそわたしはショックを受けて学校を休んでしまうかもしれない。



今までどんなことがあっても学校を休んだことなんて1度もなかったのに・・・・・・。



わたしはカーテンを開けて、窓から差し込んでくる眩しい夕日をぼんやりとながめた。


あんなに学校が大きらいだったのに、今はともやくんに会えるって思うだけで頑張れそうな気がするし、勇気をもらえる気がする。


もちろんそんなのわたしの一方的な想いで、ともやくんはそんなこと思っていないと思うから、この想いは絶対に誰にも知られたくないわたしだけの秘密。


だけど、ともやくんは毎日学校でやわらかい笑顔を浮かべながら、わたしに話しかけてくれる。


ほかのクラスメイトはわたしがひとりきりでいたとしても、全く見えていないかのように素通りしていく中で、唯一ともやくんだけは違う。


まぁ、テスト前になると「わたし、こんなに友だちいたっけ?」って思うくらい、みんながノートを見せてもらいにわたしのところへやってきたりはするけれど。



だけど、それでいいんだと思う。



この想いをともやくんに伝えることは多分ありえないと思うし、もし何かのきっかけでバレてしまって、今よりも遠い存在になってしまう方がもっといやだ。


だから、会話をすることはないけれど、こうやって一緒の時間を過ごせるだけで十分しあわせだと思うし、これ以上のことを求めようとは思わない。


今の関係が平和にずっと続いてくれれば、それだけで十分だって思う。





「ねぇ、ちょっと」


と、その時。わたししかいないはずの教室で、聞き慣れた声が響き渡った。


誰に向けられての言葉なのかわからないはずなのに、わたしは瞬間的に自分へ向けられた言葉だと理解した。


男子用の使う可愛らしい声ではなくて、悪口や嫌味を言う時の鋭く、低くて、トゲのある口調。


たった一言しか聞こえていないけれど、わたしは今からよくないことが起きてしまうっていうのがすぐにわかった。


だって、今まで何回も同じようなことがあったから。


こんなの嫌になってしまうくらい、十分に経験済み。




「ゆりな、最近調子に乗ってるでしょ? 見ててムカつくんだよね」



先生がいる時は膝まで伸ばしているスカートを短く折り曲げたみなみが、わたしの方に近寄ってきながら話しかけてくる。


すごく怒っているのが態度から伝わってきて、すごく怖い。



「ごめん。本当にごめんね。わたし、何か悪いことした?」



自分が一体何をしたのかわからないのに、思わず反射的に何度も「ごめん」って言う言葉が出てきて、謝り続けてしまった。


どうしてなのかわからない、何が起こったのかわからない、なんて答えればいいのかわからない。


こんな時にともやくんがいてくれたら、きっと助けてくれるかもしれないのに、と思うわたしはただ逃げているだけなのだろうか。


教室の壁時計の秒針の音が聞こえてくるくらい静かで、無言の時間が数秒過ぎたけれど、窒息してしまいそうなくらい息が苦しい。


わたしはこの張り詰めた恐怖の場所から今すぐにでも消えてしまいたいっていう衝動に襲われて、頬を奥歯ぎゅっと噛み締めた。



だれか来て。お願いだから、だれか助けて。



そう心の中で叫び続けた。



「わからないの? 自分がやってること?」



大きなため息をついたあと、先に口を開いたのは、みなみの隣にいたクラスメイトだった。


いつもみなみと一緒に移動教室をしたり、お弁当を食べたりしていて、何かあるたびに嫌味を言っていきたり、からかってきたりするようなわたしが苦手としている子。


グループ意識もすごく強くて、みんなと一緒にいるだけで自分は強くなったかのように振る舞い、すぐにわたしに命令をしてくる。



「わたしが、やっていること・・・・・・?」



上履きの中で足の指を思いっきり丸めて小さくしながら、わたしはおうむ返しのように小さな声で答えた。


自分がやってること、と言われてもわたしは学校ではみんなの邪魔にならないようにして生活をいるつもりだし、特別目立つようなことだって何もしていないはず。


誰かの悪口を言ったこともなければ、物を隠したりしたこともないし、もちろんわたしからいじめたりをしたことだってない。


じゃあ、一体みなみたちは何に怒っているのだろう? どんなに一生懸命頭をフル回転にさせて考えても、全く思い当たることが浮かばない。



「ゆりな、ともやくんと放課後一緒に過ごしてるでしょ? あれ何してるの? 目障りなんだよね。やめてくれない?」



みなみの声が震えている。



みなみはまだ、ともやくんのことが好きだったのかもしれない。


だから、わたしがともやくんとふたりきりで図書室で過ごしているのが気に食わないんだ。


でも、わたしだって本当はともやくんのことが・・・・・・。



「もう2度とともやくんに近寄らないでよね? ともやくんも絶対に迷惑してると思うよ? だってともやくんはみんなと一緒に遊んでる方が楽しそうなのに、ゆりなとふたりでいてもつまんないじゃん。そんなことも理解できないの?」



ともやくんはみんなと一緒にいる方が楽しくて、本当は迷惑している。


わたしといても、つまらない。


そうだよね、そうだったんだよね・・・・・・。


わたし、なんで今までともやくんの優しさに甘えていたんだろう。


当たり前のことなのに、どうして気がつかないふりをしていたんだろう。



「ごめん。本当にごめんなさい」



人前では泣かないって決めていたはずなのに、目からは大粒の涙があふれてきてしまい、視界がぐにゃりと大きく歪んでいく。



悲しかった。


悔しかった。


情けなかった。


申し訳なかった。


わたしはともやくんにとって、ただ迷惑な存在なんだということをはっきりと言われてしまったことが、どうしようもなく苦しかった。






ガラガラ・・・・・・。


再び静まり返った教室のドアが勢いよく開いた。


「ゆりな、ごめん、ごめん。今終わった。先生の話かなり長くてさ。待たせて悪かった」


右手にノートとプリントをひらひらとさせて握っているともやくんが、申し訳なさそうな表情を浮かべて教室の中へと入ってきた。


「あれ、みなみたちも一緒だったの? めずらしい組み合わせ」


ともやくんはみなみの方をチラリと見ると、頭をかきながら意外そうに言った。



ともやくん、話を聞いて。


お願い、助けて。


みなみのことを怒って。



そうやって喉まで出かかっている言葉はいくつもあるのに、わたしは何ひとつ言うことができなくて、その場に立ち尽くすことしかできない。


だけど、ともやくんを見てしまうと一気に安心してしまう自分もいる。


まだドクンドクンって心臓の鼓動がものすごく鳴り響いていて、みんなに聞こえてしまうんじゃないかって不安にもなる。



おねがい。静かにして。落ち着いてよ。



「おい、ゆりな大丈夫かよ? なんか泣きそうな顔してるぞ。なんかあったのか?」



ともやくんがわたしの顔を覗き込みながら、心配そうに言った。


サラサラとした前髪の間から見える大きな二重の瞳が、あまりにも輝いていて、吸い込まれそうで、優しくて。


わたしは瞳から涙がこぼれ落ちないように、必死に目を見開いた。



なんでともやくんはそうやって、いつもわたしの気持ちに気がついてくれるの?


だけど、これ以上ともやくんと一緒にいるとわたし・・・・・・。


苦しくて、もっと泣いてしまう・・・・・・。



わたしの顔はひきつっていたかもしれないけれど、それでも精一杯の笑顔を浮かべて、ともやくんの顔を見て言った。



「ごめん、今日はわたし帰るね。せっかく図書室行こうって言ってたのに、本当にごめん。でもわたし、今はともやくんと一緒にいれない」


「おい、どうしたんだよ? 大丈夫かよ?」



ともやくんがわたしを呼び止めている。


だけど、おねがい、今はひとりきりにして。


これ以上優しくしてこないで。



わたしは荷物をまとめると、後ろを振り返ることなく走って教室を飛び出した。


誰とも2度と関わりたくなかった・・・・・・。