本当は部活も勉強も人間関係も、全部やめてしまいたかった。


いつもみんなと一緒にバカ騒ぎをして、たまに先生から怒られるくせして、勉強だけは死ぬ気で毎日やって。


本当はひとりきりで自分の時間を大切にして過ごしたかったし、みんなと無駄な交友関係を結んで遊びたいとも思ってもいなかった。


だけど、今の俺は学校では明るくてみんなに平等に接している優しいやつ、みたいなイメージだけがひとり歩きをしていて、かなり居心地が悪い。


それに家に帰ると母さんと父さんの奴隷のようになって、ひたすら勉強を頑張り続けることしかしていない。


いつも友だちに囲まれているからか寂しいとか、孤独とかそういった気持ちになることはないけれど、誰とも分かり合える気はしないし、本音で語れる存在がいるわけでもない。



ゆりなはどうなんだろう・・・・・・?


毎日みんなから離れて学校生活を送っている彼女は、いったい何を考えて過ごしているのだろう?



もっとゆりなと話してみたいって思うし、心のうちを聞いてみたいって思う。


だけどいつも俺は避けられているような気がするし、今までまともに会話が続いたこともないような気がする。


こんなにもゆりなのことばかりが気になってしまう俺は自分でもどうしてなんだろう、と思ったりもするけれど今、1番関わってみたいって思っているのは他の誰でもないゆりな。


きっと周りの友だちは俺がこんなにも悩んでいることなんて想像もつかないだろうし、推測すらしてほしくない。


もちろん邪魔だってしてほしくない。


橋から飛び降りようとしたあの日、ゆりなに話しかけられてからというもの、ゆりなの存在が俺の中で日に日に大きくなっていっているのは紛れもない事実だと思う。


今日だって本当は部活があったけれど、予定があるって嘘をついて休んでしまった。


本当はすぐに家に帰って自分の部屋でひとりきりの時間を過ごしたかったけれど、早く帰ってしまっても母さんに勉強の話をうるさく言われるだけ。


だからこうやって、あてもなくぶらぶらとして時間をつぶしている。





「あれ、ゆりなじゃん」



学校で見かける時と同じように、ひとりきりで歩いていたゆりながおもちゃ屋さんに入っていくのが見えた。


こんな時にあとをつけて自分もおもちゃ屋さんに入ってしまうんてストーカーかよ、って思ったりもしたけれど、俺は勝手に足がゆりなを追いかけていた。


ここにおもちゃ屋さんがあるっていうことは前から知ってはいたけれど、実際中に入ったことはなくて多分今日が初めてだと思う。


店内は眩しいほどの照明に照らされていて、幼児番組で流れていそうな子ども向けの音楽がうるさいほどに鳴り響いていた。


俺はゆりなに見つからないように少し後ろをつけて、色鮮やかなおもちゃの箱をキョロキョロと見渡した。


探し物をしているようなゆりなが突然立ち止まって何かを手に取ったので、俺は目を凝らしてゆりなの手元を見つめた。



「パズルじゃん」



いくつものパズルを見比べ悩んでいるゆりなは真剣そのもので、その横顔が吸い込まれるほどに美しい。


俺はできるだけ自然を装ってゆりなの近くを通りかかってみた。



「あれ、ともやくん。また会ったね」



ゆりなは驚いたような表情を浮かべたけれど、意外にも俺に話しかけてくれた。



「弟に頼まれてたパズルを見に来たんだよね。弟もパズルにハマっててさ。そうだ、弟が完成させられなくて困ってて。よかったらうちに来て手伝ってくれない?」



なんて陳腐な嘘なんだろう。


俺は我ながら呆れてしまい、もう少しマシな言い方をすればよかったと後悔した。



「え、でも・・・・・・。わたし家に帰るつもりにしてるし・・・・・・」


「ちょっとだけでいいから。ね、お願い。俺の家ここから近いからさ。ほら、パズル得意な人がした方が早く完成させられると思うし、弟も喜ぶと思うんだよね。ダメかな?」


「わたしそんなに得意でもないよ。邪魔になるだけだと思う」


「そんなことないって。俺も手伝ってくれって言われてるんだけど、できなくて悩んでたんだよね。ゆりながいてくれたら、俺すごい助かるよ。少しだけでいいんだ。頼むよ」


「ーーー。じゃあ、ちょっとだけね。難しそうだったらわたし帰ってもいい?」


「もちろん無理なことはさせないから。まじでありがとう。助かるよ」



俺は自分でも何を言っているんだろう、って思ったけれど「弟の手伝い」という名目でゆりなを家に誘うことができた。


まさか本当に来てくれるとは思わなかったから、自分から誘っときながら少し驚いたけれど、それよりもゆりなとの距離が少し縮んだ気がして嬉しかった。


ゆりなは自分用のパズルの精算を済ませるためにレジに向かったけれど、その間も俺は内心緊張していたし、落ち着きがなくて。


そりゃ、そうだと思う。気になっている女子が今から俺の家に来ることになったんだから。


でも彼女でもあるまい、クラスの女子を家に呼ぶだなんて他のクラスメイトにバレたら一気に噂になるだろう。


だけど別に悪いことをしているわけでもないし、全く恥ずかしいことでもないって思う。


そんなことを頭の中でぐるぐると考えていると、レジ袋にパズルを入れたゆりなが小走りで俺の方へやってきた。


さっきまではストーカーのようなことをしていたのに、今は隣に堂々と並んで家に向かっている。


左胸がうるさいほどに騒いでいて、俺は手汗をかいた両手をギュッと握りしめた。



「本当ありがとう。もしかしたら家に弟いるかもしれないけど、気にしないで。よく喋るけど悪いやつではないから、適当に流しといて」


「わかった。大丈夫だよ」



俺とゆりなは隣に並んでおもちゃ屋さんの外に出た。


ゆりなとこうやってふたりで帰るのはもちろんはじめてで、緊張のあまり呼吸のリズムがわからなくなる。


たぶんゆりなも男子と一緒に歩くということに慣れていないのだと思う。


足元を見つめたまま歩いていて、顔を上げようとはしない。


いつもなら放課後は部活の仲間と「疲れたー」と言い合いながら寄り道をして帰るのに、今日は今から一日が始まるかのように気が引き締まっている。


自分から誘っているのだから、何か会話をしなければならないって思っていたけれど、何を話していいのかわからなくて無言になってしまった。


そもそも俺だって女子とふたりきりで帰るのははじめてかもしれない。


いつもは大人数であちこちに内容が飛ぶ中身のないおしゃべりをしながら、近くのゲーセンに行ったりショッピングセンターに行く程度。


せっかく一緒に帰っているのだから、本当は飛び跳ねるほど嬉しいはずだったし、もっとゆりなのことを知りたいって思っているはずだった。


だけど、いざこうやってみると静かな沈黙だけが続いてしまい、早く家につかないかなってばかり考えてしまう。




「あ、あれが俺の家。ついたよ」



10分ほど気まずい空気が流れたあと、俺たちはようやく家の玄関に辿り着いた。


隣にいたゆりなははじめて顔をあげ、キョロキョロとあたりを見渡している。



「おじゃまします」



ゆりなが綺麗に靴を並べて部屋の中に入る姿は礼儀正しくて、普段は脱ぎっぱなしにする俺も珍しく靴の向きを整えた。



「俺の部屋は2階だからそのまま上に上がって」



そう俺が言った瞬間、リビングからバタバタと足音が聞こえ、ドアが勢いよく開けられた。



「兄ちゃん、だれ? 彼女でもできたの?」



家にいた弟が相変わらずお構いなしにズカズカと聞いてきた。



「あれ? ゆりなさんじゃん。兄ちゃんと知り合いなの?」



俺は弟がゆりなのことを知っていることに驚いたけれど、それはゆりなも同じのようだった。



「え、お前、ゆりなと知り合いなの? なんで?」


「兄ちゃんこそゆりなさんと一緒にいるなんて、こっちが理由聞きたいくらいなんだけど。俺、バイト先ゆりなさんと一緒だよ」


「え、そうなん? まじ?」




弟は以前からアルバイトをしているのは知っていたけれど、まさかゆりなと一緒だっただなんて。


俺は隣にいたゆりなの顔と弟の顔を交互に見ては、ゆりなになんと説明しようか頭をフル回転させた。



「ゆうくんってともやくんの弟だったんだね。びっくりしちゃった。今日はちょっとだけおじゃまさせてもらうね」



あたふたとしている俺とは違い、ゆりなはにっこりと笑うと穏やかな口調で弟に挨拶を済ませた。



しっかりしろよ、俺。



「ゆりなさん、このうち何もないけどゆっくりしていってね。じゃまた今度」



弟が余計なことを喋り出さないかヒヤヒヤしたけれど、ゲーム機を片手に持っていたせいか、手短に挨拶を済ませるとまたリビングへと戻っていった。


ずいぶんとややこしいことになってしまった、と俺は頭を抱えてしまいそうになったけれど、そんな気持ちをゆりなに察されないように、そのまま2階の部屋へと案内した。



「ともやくんの部屋、なんだかイメージと違うね」



部屋を開けた瞬間、何を話そうかと悩んでいる俺の隣で先に口を開いたのはゆりなだった。



イメージと違う。



それはどういう意味なのだろう? 俺のイメージってなんなんだろう? 


返事に戸惑っているとゆりなが部屋を見渡しながら、ゆっくりと話し始めた。



「ともやくんって学校でもみんなの人気者だし、活発だし、はっちゃけてるっていう感じだし。だから部屋もごちゃごちゃしたイメージだったの。でもすっごいすっきりとした部屋だし、なんかSNSに出てくる女子みたいな部屋だなって。綺麗好きなんだね」



どうやら俺の部屋は散らかっているイメージを持たれていたらしい。


だけどなんとなく褒められたような気がして「ありがとう」とだけ小さな声で答えた。


ゆりながラグの上にちょこんと腰を下ろしたのを見て、俺は机の上に広げたままのパズルをテーブルの上に広げた。


本当はずいぶん昔に弟がハマっていて、途中で飽きてしまったからそのまま放置しているだけのパズルだったけれど、今の俺とゆりなを繋ぐものはこのパズルしかない。


手伝って欲しい、ということで家に来てもらったんだから、本当のことは口が裂けても言えない。



「すごいね、これ。難しそうだけどすごく綺麗。完成したら素敵だろうね」



弟が中途半端でやめたパズルはロンドンのビックベンの風景画で、ピースがとても多かったけれど、もし出来上がったらかっこいいだろうなっていうことはこの俺でもわかった。



「これ、手伝ってくれる?」


「いいよ。楽しそう」



ゆりなはパズルの箱から1ピースずつ取り出して、真剣な眼差しで見つめると慎重にパズルのピースは組み合わせ始めた。


その瞳はキラキラと光っていて、思わず吸い込まれそうになってしまう。


お互い喋ることはなくて静かな沈黙だけが続いているけれど、今はさっきとは違って同じ時間を共有できているのがわかる。


嬉しいってこういう感情だったけ。俺の胸は苦しくなるほど高鳴っている。


時計のカチカチという秒針の音だけが、時間が止まっていないことを知らせていたけれど、本当はこの瞬間がずっと止まってくれればいいのにって俺は心から思った。


学校ではこうやってふたりきりでこんなに長い間同じ空間にいたことはないから、なんだか不思議な気もしたけれど、今日思い切って誘ってみてよかったって少し前の自分を褒めちぎりたくなってしまう。


ゆりなの細くて透き通るような指先を俺はずっと目で追いかけながら、また今度もこうやって一緒に過ごせたらいいなって思うと自然と口元が緩んでしまった。