結局、昨夜も気付けばソファーで寝落ちて、目を覚まして一番に改めてスマホを確認するけれど、芽依美のことは夢でも何でもなかった。
今日は芹菜との約束の日だ。出掛けようとしたタイミングで、ちょうど新しいメッセージが届く。
『ねえ。セリちゃんと待ち合わせしてるんだよね?』
彼女は何でもお見通しだった。いっそネットの中ではなく、そこら辺に幽霊として漂っていて、私へのコミュニケーション手段としてSNSのメッセージを使っているようにさえ思える。
同じ空間に幽霊が居て、一方的に見られているのを想像して何となくぞっとした。
けれど旧友とまた話せる懐かしさと、この状況の不気味さを天秤にかけたところで、ちょうど均衡を保ったものだから、私は靴を履いてから何食わぬ顔でメッセージを返した。
『そうだよ。でも、前使ってたSNSが使えなくて、連絡取れないんだ』
『なら、わたしが案内してあげよっか?』
『……案内?』
『うん。先に駅に行って、セリちゃん探しておくよ。わたしの家の方が、駅近いし』
待ち合わせ場所を教えた覚えはもちろんない。というか、その言い方からして、芽依美は今私の近くではなく自分の家に居るのだろうか。
そもそも高三で死んだはずの彼女は、私の大学からの一人暮らしの住所を知っているのか。
「……」
もう何もわからない。私は考えるのをやめた。
芹菜に会ってから、この状況について相談してみよう。私の手には余る。
まあ『幽霊とSNSでメッセージ交換してる』なんて言ったら、暑さに頭がやられたのかと思われそうだけど。芹菜なら、この芽依美が本物だとわかってくれるはずだ。
「暑さのせいで見てる幻とか……じゃ、ないよなぁ」
そういえば、連日の暑さのせいでゴミの匂いがすごい。どこかで生ゴミあたりが発酵しているかもしれない。
一人暮らしを始めた時に、やれゴミを溜めるなだの、夏は冷房に気を付けろだの、施錠はしっかりとだの、お母さんから口酸っぱく言われたことを思い出す。
我ながらぐうたらなのだからしかたないとは思いつつ、明日はゴミの日だから帰ったら忘れずに纏めなくてはと心に決めて、遅刻間際の私は慌てて家を出た。
『セリちゃん、白いモニュメントの前に居たよー。リアちゃんのこと待ちくたびれてるみたい』
「えっ、見つけるの早……というか、芹菜も早い! 待ち合わせ正午だよね!? あと十分あるのに……」
ちょうど駅に着く頃届いた芽依美からのメッセージに、私はスマホに表示された時間を確認して少し焦る。待たせてしまっているのなら、急がねば。
けれどスマホをしまう前に続けて届いたメッセージに、私は思わず足を止めた。
『まあ、何にも知らないんだから、しかたないよね』
『……? 何も知らない、って、何のこと?』
『セリちゃんに会えばわかるよ!』
要領を得ない返答に不思議に思いつつも、私は一旦スマホをポケットにしまい、芽依美からのメッセージを元に反対の改札口にある白いモニュメントを目指す。
すると、芹菜は本当にそこに居た。時間を確認しているのか、ずっとスマホを見ているようだった。
「おーい、芹菜、お待たせ! いやあ、SNSで連絡取れないと困るねー。急なサ終とかびびるし。でも昨日、新しいところ見付けたから……」
「うーん……」
「あ、っていうか聞いてよ、そこになんと、芽依美のアカウントあってさ! えーと、このSNSなんだけど……『May who』っていうの、知ってる? ちょっと芹菜も登録してみてよ」
「……」
「……? 芹菜?」
「……」
「ちょっと、何で無視すんの?」
最初は人混みによる喧騒で聞こえないのかと思ったものの、ぴったり隣に並んでも無視される。
時折「うーん」と唸るようにする芹菜に、何をそんなに熱心に見ているのかと、私は彼女のスマホの画面を覗き込んだ。
「……え?」
すると、そこにはサービス終了したはずの、いつも使っていたSNSが開かれていた。私とのDM画面を表示して、何度も更新している。
「……んー、遅いなぁ……DMも既読つかないし、さてはまだ寝てるな……?」
「え、待って、私ここに居るし、ていうかそのSNS……何で使えてるの?」
頭が追い付かず混乱してしまう。何かのドッキリ、悪戯、いろんなパターンを考えて、私ははっとして自分のスマホを取り出す。
もしかしたら、昨日はメンテナンスで開けなかっただけで、サービスが再開されたのかもしれない。たまたま昨日は電波が悪くて、開けなかったのかもしれない。メッセージに返信をしなかったから、拗ねて無視する悪戯をしているのかもしれない。
けれど何度試しても、私のスマホではそのSNSを開くことが出来なかった。
「なんで……? ねえ、芹菜! ごめんって、私、無視したつもりなくて……!」
相変わらず私を無視する芹菜に、さすがに冗談が過ぎると詰め寄ろうとした時、不意にメッセージ通知が届く。
それは芹菜からのドッキリのネタバラシではなく、芽依美からのものだった。
『セリちゃんも、無視してるつもりはないよ』
「え……?」
この状況をどこかで見ているのだろうか。思わず顔を上げ見渡すけれど、人混みの中に芽依美の姿を見つけることは出来なかった。
そして、追加メッセージが届く。
『あとね、セリちゃんは生きてる人だから、わたし達の使ってるこのSNSをすすめても使えないよ』
「……は?」
さらに、芽依美から何かのURLが届く。恐る恐るそれを開くと、そこには、最新のニュース記事が表示された。私の住んでいるアパートから、住人と思われる若い女性の死体が発見されたというニュースだった。
「これ、わた、し……?」
そこでようやく理解した。死んだはずの芽依美から連絡があったのは、私が彼女と同じ世界に来たから。
今まで使えていたSNSが開けないのは、芹菜が私を無視するのは、私がもう現実には存在しないから。
この『May who』というSNSを、誰が使えるのか。それは死んで、冥府に訪れた人間。
「あ……あ……」
『大丈夫! SNSは生活の一部だもん。死後の世界でも、念が残ってる限りこうしてお話出来るから、寂しくないよ!』
「……」
『ふふ。やっぱりまたこうして話せて嬉しいな。リアちゃんわたしが死んでから、セリちゃんと遊んでばっかりでつまんなかったもん。……これからもずっとよろしくね、リアちゃん!』
ふと、出掛け際に感じた、やけに鼻につく嫌な匂いを思い出す。
ひどく蒸し暑い夏の日、サービスが終了したのは、いつも使っていたSNSじゃない。私の人生の方だったのだ。