ひぃぃぃ!

 べっちょりと臭い唾液がつき、オディールは目を白黒させながら吐き気に耐える。

「あはあはっ! 小娘の恐怖……実に美味い、美味いぞぉ! ヒャッヒャッヒャ!」

「この化け物! 止めろ! 止めろって言ってんだろ!」

 オディールは渾身(こんしん)の力で脚を蹴ってみたが、それは電柱を蹴っているかのようで自分が痛いだけだった。

 くぅぅぅ……。

 オディールはポロポロと涙をこぼす。

「くははは、足掻(あが)け足掻け! やはり人間喰うならお前くらいの娘が一番だよな。ぐふふふ」

 男はまるで食材を見極めるように、オディールのしなやかで張りのある頬をつまんだ。

 目をギュッとつぶって耐えるものの、絶望で心がえぐられるオディール。

 【お天気】スキルも使えないこんな洞窟内ではもはや万事休すだった。

 ミラーナを助けることもできずにこんなところで喰われてしまう。オディールは無念で胸が張り裂けそうになる。

「くふふふ。いいね、いいよー! その絶望、まさに最高の調味料!」

 男はカパッと大きな口を開け、巨大な牙を光らせながらオディールの綺麗な白い首筋に迫る。

 ひぃぃぃぃ!

 オディールは必死に腕をのばし、脂ぎって薄くなった男の頭を全力で押さえた。

「ぐははは! 無駄な抵抗、いいね、いいよー!」

 しかし、男は信じられないような力で首筋に近づいてくる。

 くぅぅぅ……。

 オディールは破れかぶれになり、男の頭に多量の魔力を流しいれた。

「くははは、何やっとるんだ? 気持ちいいだけだぞ?」

 男は黄金色の光に包まれながらにやける。

 しかし、オディールは下腹部にある魔力の湧き出すところに渾身の力を込め、ありったけの無限の魔力を放出した。

「ぐっ? ぐっ、ぐおっ! な、なんじゃ!? や、止めろぉ!」

 男は予期せぬ大量の魔力に翻弄され、動揺を隠せない。どうやら魔力も膨大ならダメージに繋がるようだ。

 オディールは自らも黄金色の光で輝きながら、一筋の光明に命運を賭け、全精力を傾けて魔力を全力放出する。

「行っけーー! ぐぉぉぉぉぉぉ!」

 身体中から黄金色の光の粒子を吹きだしながら膨張し始める男。

「や、止めろぉぉぉ! ぐはぁぁぁぁ!」

 男が断末魔の叫びをあげた刹那、煌めく閃光が放たれ、壮大な爆発が巻き起こった。

 爆炎は洞窟内一杯に広がり、激しいエネルギーの奔流が蜘蛛の身体をバラバラにし、吹き飛ばす。

 きゃぁっ!

 悲痛な叫びと共に洞窟へと弾き飛ばされ、もんどりうってころがるオディール。

 辺りにははじけ飛び、バラバラになった巨大蜘蛛の脚が洞窟内に転がって騒がしい音を立てている。

 自身も魔力を放っていたためか、爆炎の影響は深刻ではなかった。それでも金髪の毛先はチリチリと焼け、床にたたきつけられた衝撃にオディールはしばらく息もできず身もだえていた。

 くぅぅぅ……、いててて……。

 オディールはよろよろと身体を起こす。黄色い蜘蛛の体液を全身に浴び、臭くてたまらない。

 顔をぬぐいながらあたりを見まわしたが男の気配はもはやなく、何とか危機は脱したようだった。

「勘弁してよもぅ……」

 オディールが立ち上がろうとしたその時、ズキッと足首に鋭い痛みが走った。

 うっ!

 思わずうずくまるオディール。足首をねんざしてしまったらしい。その痛みはジンジンと骨の髄まで穿(うが)ち、とても歩くどころではなかった。

 くぅぅぅ……。

 痛みで涙がポロリとこぼれてくる。

 こんな足では神殿まで行けないかもしれない。たどり着けねばミラーナも自分も破滅である。

 そっと足首をさすってみるが、痛みはひどく徐々に腫れてきて、もしかしたら骨をやってしまってるかもしれない。

 うっ……ううっ……。

 オディールは押し寄せる悲しみに耐えきれず、涙の奔流を止めることができなくなる。次々と押し寄せる試練の波に、心はもう疲弊しきっていつ折れてもおかしくないまでに追い込まれていた。

「うわぁぁん! ミラーナぁぁぁ……」

 辛い時、悲しい時、いつもミラーナが支えてくれた。ミラーナの甘く優しい匂いに包まれ、何とか乗り越えることができていたのだ。しかし、今ミラーナは生死の境をさまよい、自分は身動きもとれない。

 悲しみの波が堰を切って押し寄せ、オディールは悲痛な叫びを上げた。

「誰か……誰か助けてよぉぉ!」

 一体自分が何をしたというのだろうか? 追放され、大好きな女の子と一緒に街を作った。それのどこにこんな仕打ちを受ける筋合いがあるのか?

 オディールは全てが嫌になる。

 父親は人殺しだし、教皇は生臭坊主だし、策を見つけても、訳わからない洞窟を歩かされ、化け物の蜘蛛に喰われかける。一体どうなっているのか?

 オディールは赤ん坊のように泣き喚く。

 洞窟にはオディールの痛みに満ちた悲しみがいつまでもこだましていた。