どうやら全員無事救助できたことにホッと胸をなでおろすオディール。ただ、ミラーナと楽しく暮らしたいだけなのに人殺しになんてなんてなりたくないのだ。
さて、どうするか……。
ボロボロの王子の兵士たちを見わたし、オディールはニヤッと笑うとグッとこぶしを突き上げながら叫ぶ。
「王子を捕虜として差し出しな! それで許してあげる。まだ戦うなら今度は雷百連発だよ!」
特大の雷が一発ピシャーン! と兵士たちの目前に落ちた。
その地響きを伴う激しい落雷に兵士たちは恐れおののき、お互い顔を見合わせる。王子を敵に差し出すなど重罪だ。本国に知れたら家族もろとも厳罰に処されてしまう。しかし、こんな雷を次々と落とされたらとても逃げる自信などない。そもそもオディール達には救助までしてもらっている。もはや恩人なのだ。
やがて、うなずきあった兵士たちは王子を取り囲む。
「敗戦の責は将にあり。お覚悟を」
兵たちは王子に剣を抜いた。元々みんな王子には失望していたので、王子をかばうものは誰もいなかった。
「き、貴様ら! 王族に剣を抜くとは重罪だぞ!」
王子はトラックの上で剣を振り回しながら喚き散らすが孤立無援、なすすべがなかった。
やがて石つぶてが投げられ始め、必死にそれを避けていたが王子だったが、風魔法の小さな竜巻が王子を襲う。
ぐわぁ!
王子はぐるぐると回されて巻き上げられるとそのまま地上に転落。あっという間に捕縛されてしまった。
「俺の彼女の恨みだ! 思い知れ!」
一人の兵士が怒りを込め、王子の顔を蹴る。
「そうだ! 好き勝手やりやがって!」「そうだそうだ!」「思い知れ!」
他の兵士たちも次々と王子を蹴り始めた。
「ぐはっ! 止めて! 止めてくれよぉぉぉぉ!」
泣きながら叫ぶ王子だったが、こうなってはもう止まらない。
今までの王子の乱暴狼藉への恨みが吹きだし、王子はボコボコにされてしまう。
「驕れるものも久しからず、ただ春の夜の夢の如し……」
オディールはその無情な結末を見ながらつぶやいた。権力におぼれた者の末路は悲惨であり、それは領主である自分の未来にもなりうる。オディールはその光景を一生忘れないようにしようと唇を強く結び、誓いを立てた。
◇
魔道トラックを修理した兵士たちはオディールたちに一礼をすると、王都へと帰っていく。
顔がボコボコに腫れあがった王子は、自警団に連れられ牢屋へと運ばれていった。
王子は捕らえたものの、王家とはどういった交渉をすればいいのだろうか? オディールは腕を組んで考えてみるが、戦後処理などやったこともないので皆目見当がつかない。
オディールは大きくため息をつくとミラーナを見た。
「ミラーナ、僕らも帰ろう」
しかし、ミラーナはショックを受けているようで、無言のままうつむいている。三百人のむき出しの悪意に晒された衝撃は十七歳の少女には耐えがたいものだった。
「これからも……、こんなことが続くのかしら……」
ポツリとミラーナがこぼす。
その悲痛な声がオディールの心に刺さった。十七歳の少女を戦争に巻き込んでしまったことは本来なら許されるような話ではない。メイドを続けていればこんな目には遭わなかったのだ。
オディールは何か言おうとして口を開けたが、どんな言葉も空虚に思えてすべて消えてしまう。言葉を失ったオディールは、沈み、うつむくミラーナをそっと引き寄せるとハグをした。トクントクンとミラーナの心臓の鼓動が伝わってくる。
「ごめん……」
オディールはキュッとミラーナを抱きしめた。
戦争は世の常、これで終わりとは到底思えない。今回は無難にこなせたからいいものの、自分たちの弱点を徹底的に研究されてきたらどうだろうか? ボコボコにされるのは次は自分たちかもしれない。破滅の預言がオディールの脳裏をかすめ、キュッと胸が苦しくなる。
『街は捨て、ミラーナと安全なところへ逃げれば……』
オディールは自然と湧き上がってくる弱気な誘惑にハッとして、ブンブンと首を振った。
セント・フローレスティーナは自分が主導したみんなの夢と希望の詰まった花の都なのだ。今さら逃げるなんて到底許されることではない。それこそレヴィアに焼き殺されてしまう。
オディールはゆっくりと何度か大きく息をつくと覚悟を決め、ニコッと微笑むとミラーナをまっすぐに見つめる。
「大丈夫! 何があっても必ず僕が守るからさ」
ミラーナは涙を浮かべた目でチラッとオディールを見ると大きくため息をつき、目をつぶると静かにうなずいた。
◇
オディールはメンバーを会議室に集め、王家との交渉について相談する。
ローレンスは手を組み、オディールを見据えると淡々と言った。
「ハーグルンド国王に仲裁役に入ってもらい、王子の身柄と引き換えに賠償金を請求しましょう」
「でも、あのバカ王子また攻めてくるよ?」
オディールは渋い顔で首を振る。
「なるほど、そういう人ですか。なら処刑しましょう」
当たり前のように言うローレンスにオディールはドン引きする。
「え? いや、それはちょっと……」
「侵攻してきた以上、殺されても文句言えないと思いますが?」
ヘーゼル色の瞳がオディールを射貫くように見つめる。そこには『領主として毅然たる態度で臨んで欲しい』というローレンスの想いが映っていた。とは言え、オディールの基本は平和を謳歌してきた日本人サラリーマン、王子を処刑するという決断など到底無理だった。
「ま、そうなんだけどさ……」
オディールは苦虫をかみつぶしたような顔で視線を逸らす。
ローレンスはふぅとため息をつき、トントントンとペンの後ろでノートを軽くたたいた。
「では、廃嫡、島流しも条件に入れましょう」
クルっと器用にペンを回すとノートにメモしていく。
元婚約者のキラキラとした王子との確執がまさかこんな結末を迎えようとは……。思いもよらない結末へと運命の歯車が回る中、オディールは感慨に浸りながらため息をつき、肩を落とした。
この高慢な女好きの男も、王子として生まれなければ他人に愛される好青年であったかもしれないのだ。そういう意味では歪んだ貴族社会の犠牲者とも言える。
それにしても、廃嫡島流しなんてして大丈夫なのだろうか? 王家内で相当の反発が予想される案に、オディールは眉をひそめる。もし、破滅の預言が現実化してしまうのだとしたら、このトラブルがきっかけかもしれない。そんな考えがオディールの脳裏をよぎり、胸がキュッと締め付けられる思いがして、思わず胸に手を当て、目を閉じた。
「後は何か?」
ローレンスは顔を上げ、無機質な視線をオディールに向けた。
「そもそもなんであいつ、攻めてきたんだろう?」
オディールは腕を組んで首をひねる。
「干ばつ対策を我々にやらせたかったんでしょうね」
「はぁ? 僕にただ働きさせたかったってこと? 頼んで来たら手伝ってあげたのに」
「頭を下げたくなかったんでしょう」
ローレンスの言葉にオディールは目を丸くする。
「はぁぁぁ、ばっかじゃないの!?」
「馬鹿ですよ? 支配者層なんて馬鹿だらけですよ」
ローレンスはため息交じりに肩を軽くすくめた。
「でもまぁ、困ってるってことだよね……。そうだ! 賠償金たんまりもらって代わりに雨降らせてあげるっていうのはどうかな?」
「えっ!? そんな敵に塩を送るようなこと……」
ローレンスは顔をしかめる。
「だって、干ばつで困るのは庶民だしね」
オディールは溌剌とした笑みを見せた。
「はぁ……。領主様はお優しいですな。分かりました」
ローレンスは首を傾げつつ、渋い顔でノートに筆を走らせた。
◇
王子捕縛の一報で王都の宮殿は騒然となった。王子が勝手に魔道トラックを持ち出し、他の街を攻撃したことは疑いようのない違法行為であり、王族といえども許されることではない。
「あの馬鹿もんが!」
緊急会議の席上で、王都を統べるへーリング国王は激昂し、机をたたきつけると顔を真っ赤にして怒鳴った。
大陸随一の大国であるへーリング王国、その軍隊の敗北は国の威信を損なう重大問題だった。それも追放した元婚約者の少女にあっさりと全滅させられ、人質として王子は拘禁されているという。考えうる限り最悪の展開だった。
「恐れながら、王子様は王位継承順位第一位のお方、全勢力を上げてでも救出せねばなりません」
宰相は額に脂汗を浮かべながら、絞り出すように言った。
「分かっとる! で、オプションは?」
「はっ! 交渉か、攻めるか……ですが、攻めるにしても準備に数週間はかかります。開戦準備を進めながら先方の動きを待つのが得策かと」
「数週間も!? 何とかならんのか?」
「次は必ず勝たねば王国は滅びます。万全を期すためにも数週間は必要かと。本来なら数カ月は欲しいところです」
「くぅっ! 公爵家の小娘ごときになぜ王国の存亡がかかるのか!」
国王は怒りに震え、テーブルをガン!と叩くと、奥歯をきしませた。
その時、伝令が飛び込んでくる。
「急報です。ハーグルンド国王より緊急の書簡が入っております!」
国王は不機嫌な顔つきで手紙を受け取ると、急いで封を剥がし、中を見た。
怒りで国王の頬がピクピク動くのを、会議のメンバーは固唾を飲んで見守る。
「あ奴め! 小娘の肩を持ちおったわい!」
国王は書簡を宰相に放り投げ、頭を抱えた。
そこには『仲裁してやるから十万金貨をもってセント・フローレスティーナに来い』ということが書かれており、会議のメンバーにどよめきが広がる。十万金貨というのは国家予算の一割ほどの金額、そう簡単には用意できない。しかし、戦争となれば戦費はもっとかかるだろう。そういう意味では受け入れられなくもない、しっかりと考えられた賠償額だった。
「あのバカ一人に十万金貨! 親不孝者めが!」
国王は憤怒に燃える瞳で奥歯をギリギリと鳴らした。
◇
翌日、急ぎハーグルンドへ赴いた国王は、次の日、ハーグルンド国王と共に船でセント・フローレスティーナを目指した。
船は砂漠のど真ん中を軽快に飛ばしていく。しかし、見渡す限り岩だらけの荒野が広がるばかり。心労の重い国王には気が滅入る光景だった。
「ハーグルンド殿、お主はなぜあんな小娘の小国なんぞと国交を持ったんじゃ?」
疲労の滲む国王は紅茶をすすりながら聞いた。
「こういうと信じられんかもですが、国を守るためですな」
ハーグルンドは肩をすくめ、首を振って見せる。
「あの小娘の国が脅威? そんな馬鹿な……」
「事実、お主のせがれは完敗。それを裏付けてますな」
ハーグルンドはニヤリと笑いながら豊かなヒゲをなで、国王は忌々しそうに唇を強く結んだ。
半年ほど前、追放された十五歳の小娘。それがあっという間に力をつけ、ハーグルンドにすら恐れられている。一体なぜこんな存在にまで大きくなってしまったのか? 国王は首をひねり、憂いに満ちたため息を漏らした。
船に揺られること五時間余り、終わりの見えない砂漠の風景に国王はうんざりし、肩をすくめた。
「こんなところに街なんてあるのかね? ワシら騙されておらんか?」
「いやいや、そろそろ近そうですぞ。見てみなされ」
ハーグルンドは土手にちらほらと咲いている花を指さした。
「ふんっ! 川が流れてれば花ぐらい咲くじゃろ」
国王は鼻で笑う。しかし、進むにつれて花々は次第に大きくなり、密集して広がり、ついには見渡す限り目にも鮮やかな花畑に変貌した。
砂漠のど真ん中に現れた壮麗な花畑。それは、見たことも聞いたこともない圧巻の絶景で、国王は圧倒され、戸惑いを隠せなかった。
やがて、船が大きくカーブして湖に入っていく。
「はぁっ!?」
国王は目を見張り、言葉を失う。湖上にそびえる白亜のビル群、巨大なセントラルとロッソは、圧倒的な異次元の迫力を持ち、国王の心に深く刺さった。いままで大陸一の大都市と自慢だった石造りの王都ですら、この湖上のビル群を見てしまうと色あせてしまう。
「ほほう、これは予想以上ですな……」
話には聞いていたものの初めて見たハーグルンドは、ヒゲをなでながら感嘆の声を上げる。
「ちょ、ちょっと待て! これがあの小娘の作った街か? ありえんぞ!」
国王は気色ばんで叫んだ。
砂漠のど真ん中にいきなり現れた未来的な水上の街、それはまるで宇宙人が作り上げたかのような異質さで、とても十五歳の少女が作れるようなものではない。
国王は夢か幻かと疑い、自らの頬をつねるも、目の前の壮大な未来都市は現実そのものとして迫ってくる。ゾワっと全身に鳥肌が立ち、国王は自分たちが築き上げた国や社会が根源から揺らぐような恐怖に襲われた。
『なるほど、ハーグルンドが脅威だと考えた理由がよく分かった。これは危険じゃ』
国王は冷汗を流しつつ、この壮大な花の街とどのように共存すべきか懸命に考えてみる。しかし、自分たちが築いてきた世界観がここでは全く役立たないだろうという思いに胸が苦しくなっただけだった。十五歳の少女が創り出した街は、自分たちの旧態依然とした街とは別次元であり、まるで別の宇宙が広がっているかのようにすら感じられる。
やがて、先の土手の上に、ビルのような巨大な人形が立ち、多くの人たちが待ち構えているのが見えてきた。
「な、なんじゃあれは……?」
すると、その巨大な人形がいきなり動き始め、巨大な樽のようなものを棒で叩き始める。
ドン、ドン、ドン! パァーー! パパッ!
いきなり始まった吹奏楽の演奏。土手に並んだ自警団のメンバーがそれぞれに楽器を持って軽快なJポップミュージックメドレーを奏ではじめたのだ。
国王は巨大人形の動きにも驚かされたが、聞いたこともない旋律のメロディーに心が動かされ、体が勝手にリズムを取り始めてしまったことにもがく然としてしまう。
もちろん、この世界にも騎士団などが楽団を持っていたりもするが、基本的にラッパを単調に吹くだけのもので、こんな華やかさなど全くない。
「こりゃぁたまげた。立派なものですなぁ」
ハーグルンドはニコニコとしながら手拍子をする。
ファニタが工夫を凝らして作り上げた楽器群を、自警団は夜な夜な練習してきたのだった。演奏そのものは高校生バンドのようでまだつたないものではあったが、それでもJポップの軽快なサウンドは異世界の人たちの心をぐっとつかんでいた。
船がはしけに近づくと、ぶわっと盛大な花吹雪が辺り一面を覆う。ヴォルフラムが風魔法で花びらを舞わせたのだ。
赤、青、黄色の花びらが空を覆う中を、国王は神妙な面持ちで下船する。こんな歓迎方法は、聞いたこともなかったのだ。
国王たちが上陸すると、演奏が終わる。盛大な拍手が巻き起こり、最後に巨大な雷がピシャーン、ドン! ドン! ドン! とセントラルの避雷針に次々と落ちたのだった。
その、腹の底にまで響く激しい雷鳴に国王は唖然とし、言葉を失う。タイミングよく正確に落とされた雷、それは明らかに人の手によるもので、こんな雷を軍隊に次々と落とされたら一瞬で全滅してしまうだろう。
文化、技術、軍事、全ての面でセント・フローレスティーナは圧倒的だった。ハーグルンドが国を守るために国交を持った、という意味が痛いほどわかってしまう。確かにまだ人口そのものは少ないだろうが、ここに移住したい者がすぐにあふれるだろう。王都からここに来たいものはいくらでもいるが、逆はどうだろうか?
国王は改めてこの街がへーリング王国の存亡に関わることを実感し、湧き上がってくる嫌な汗を力任せにゴシゴシとふき取った。
セントラルの応接間に通された国王たちは背後に騎士たちを立たせ、席に着いた。
応接間はオディールが外資系金融企業のオフィスを参考にしたインテリアになっている。大きな無垢材を組み合わせたテーブル、高い天井から吊り下げられた丸く大きな魔法のランプ。そして、壁に配された高級な間接照明。その見たこともない洗練された異質なインテリアにみんな居心地の悪さを感じ、互いに困惑した表情を交わした。
ガチャリ。
奥のドアが開かれ、純白の礼服に身を包んだオディールがにこやかに挨拶しながら入ってくる。丁寧に編み上げた金髪にはティアラが光り、彼女の若々しい美しさが、まるで花が咲いたかのように部屋を明るく彩った。
「遠いところをありがとうございます。セント・フローレスティーナへようこそ」
ケーニッヒやレヴィアもオディールに続いた。
騎士の面々はケーニッヒの登場にゴクリと唾をのみ、冷汗を浮かべる。すでに彼の【瞬歩】の間合い内なのだ。次の瞬間、いつ彼に斬られていてもおかしくない。そしてそれを避ける方法がないことは騎士たちに異常な緊張を強いた。
ケーニッヒはそんな騎士たちの緊張を知ってか知らずか、鋭い視線で騎士たちを見回す。
国王は立ち上がり、テーブル越しにオディールと握手を交わした。
「お久しぶりです。お元気そうで何よりですわ」
オディールはニッコリと笑う。
「少し見ぬ間にお美しくなられましたな。この度は愚息が迷惑をかけた」
国王はこわばった笑顔でオディールに目をやった。
「若いのですからある程度のヤンチャは仕方ないかと思いますけど、度が過ぎてると思いますわ」
「ワシからもキツく言っておく。それで……【廃嫡】の条件は何とかならんだろうか?」
オディールはキュッと口を結んだ。身の安全を考えればこの条件は譲歩できない。
「彼が力を持っている限り、また同じことを繰り返しますわ。メンバーの間では処刑すべきという意見もありますのよ?」
「しょ、処刑!? それは……戦争になっても構わんということか!?」
国王は【覇王】のスキルを放った。ズン! という衝撃音と共に精神を支配する圧倒的な【威圧】をオディールに繰り出し、その凄まじい眼光で睨みつける。全身からは紫色のオーラが立ち上り、騎士たちはガタガタと震えた。
オディールは秘かに自分の手の甲をつねった。その痛みですさまじい威圧にひるむことなく正気を保ち、あえてニコッと笑う。威圧が来ることは織り込み済みであり、レヴィア相手に何度も練習していたのだった。
「戦争になったら王都は火の海になりますわ。それでもやりますの?」
「ひ、火の海……だと……? 貴様ぁ!!」
さらに激しくオーラを放つ国王。
「降りかかる火の粉は払わねばなりませんわ」
オディールは激烈な威圧になんとか耐えながら、キッと鋭い視線で国王をにらむ。
ケーニッヒはいざと言う時に備えてすっと剣に手を伸ばし、それに呼応して騎士たちも臨戦態勢に入る。
応接室の空気は凍りつくほど緊迫し、一触即発の危うさが部屋全体を圧迫する。
「まあまあ、お二方。ここは和解の場、煽るような言葉は慎んでいただけますかな?」
慌ててハーグルンドが間に入った。
二人はしばらくにらみ合ったものの、深刻な事態は避けたいという思いは同じだった。双方とも視線をそらし、大きく息をつくと、席に着く。
その場にいた者たちも緊張から解放され、深く息をついて臨戦態勢を解除する。
また、国王の威圧を感じながらも決してひるまないオディールに、訪問者たちは一様に感服した。それは、彼女は単なる幸運でここにいるわけではなく、本物の領主の資質を持っているのだという証明でもあったのだ。
ここから長く激しい協議が続くことになる。最終的に調印に至ったのは夕方だった。
◇
「それではヴィルフリート・ヘーリング王子を解放しますわ」
オディールが手を上げると、ガチャリとドアが開き、自警団に連れられて王子が入ってくる。王子はビクビクしながら周りを見回すと、バツが悪そうに国王を上目づかいで見た。
「このバカ息子が!」
国王はドタドタッと駆け寄ると、王子のほほを力いっぱい張り倒す。
パァン! という音が部屋に響きわたる。
オディールは渋い顔でその様子を眺め、重いため息をついた。始めからこうやって教育しておいてくれたら、こうした煩わしい事態には陥らなかったはずなのだ。
その後、王子は滔々とお小言を食らい、最後に国王に廃嫡を告げられると、ピクッと頬を動かし、ため息を漏らしながら肩を落とした。
「晩餐の用意ができております。よろしければこちらへ……」
オディールが声をかけた時だった。
「こんの小娘がぁぁぁ!」
王子は急に激昂する。【英雄】スキルのバフを自分にかけ、身体を黄金色に光り輝かせるとオディールに殴りかかった。
その素早い身のこなし、眼にもとまらぬ速さの拳に、その場にいた者は皆悲劇の予感に凍り付く。
キャァッ!
オディールの悲鳴が部屋に響いた直後、
ドスッ……。と、何かが床を転がった。
それは長細い肉の塊……、王子の右腕だった。
う、うぎゃぁぁぁ!
鮮血を吹き出す肩口を押さえながら苦悶の表情を浮かべ、王子は地面へと崩れ落ちる。
「次は、首を落とします……。いいですね?」
ケーニッヒは冷たい視線を王子に投げかけながら、カチッと剣をさやへと収めた。
剣聖の凄まじさをまざまざと見せつけられた騎士たちは、恐怖に打ち震える。ケーニッヒが動いたことも見えなかったし、どうやって斬ったのかも分からなかったのだ。
王子は涙目でケーニッヒを見上げ、ブルっと体が震えた瞬間、貧血で意識が途絶えて床に倒れ伏す。
「医療班! 急いで!」
オディールは青い顔をしながら叫んだ。速やかに対応すれば、腕を元通りにすることができるかもしれない。
ドヤドヤと入ってきた医療班のメンバーが聖水を使った治療を続けていくのを眺めながら、国王は王子の愚行に頭を抱え、言葉を失っていた。
◇
王子の治療は上手くいったもののしばらくは安静ということで、晩餐会は中止となった。国王とハーグルンドは軽食ののち大浴場に案内される。
夕暮れの中、ロッソは聖気を噴き出して火山のような輝きを放ち、湖には聖気の粒子が蛍の群れのように煌めいている。空には天の川がくっきりと輝き、聖気の煌めきと共に光のシンフォニーを奏でていた。
二人はそんな幻想的な光景に驚嘆の表情を浮かべながら、そっと浴槽に浸かった。
「ハーグルンドよ、あの娘をどう見る?」
国王はジャバジャバと顔を洗う。
「いやぁ、あれは相当な玉だと思いますな。王の威圧に耐えられる者はそうはおらんでしょう。なぜ……、追放などされたのか?」
「あのバカ息子に任せておったのじゃ。公爵も見ぬけなかったのだから仕方ない」
国王は重いため息を吐きながら、無力感に満ちた顔で首を振った。
「この機会に国交を結ばれてはどうですか? はっはっは」
ハーグルンドは楽しそうに笑う。しかし、国王は押し黙ったままだった。
聞けばこの街には貴族制が無いらしい。このまま発展していけば大陸一の都市となるのも時間の問題だ。平民だけの街が大陸一になれば貴族の支配する王都は維持できない。革命が起こって王家断絶まで行ってしまうかもしれないのだ。革命にならなかったとしてももはや貴族制は維持できないだろう。そうなれば伝統あるハーグルンド家は没落必至である。
「……。あ奴は……」
「あ奴は?」
国王は大きく息をつくと、絞り出すような小声で言う。
「あ奴は危険じゃ。何とかせんとならん。手伝ってはくれぬか?」
ハーグルンドを見つめる目に滲む邪悪な光は、心を凍りつかせるほどの冷酷さを秘めていた。
ハーグルンドは背筋にゾクッと寒気を感じる。国王はオディールを暗殺するつもりなのだ。先ほどケーニッヒに息子の腕を斬られたというのに、懲りもせず命を狙う国王にハーグルンドはきな臭い破滅の匂いを嗅ぎ取った。
「いやいやいや! うちは協力できませんな。そりゃ、こんな恐ろしい国、なくなってくれた方が大陸のためでしょう。ですが、無理です。やるのは止めないですが、協力はできませんな」
「そうか……」
国王は浴槽の中でチラチラと光を放つ聖気の微粒子を眺めると、バシャッとまた顔を洗う。
やらねばやられる……。
キラキラと輝きを噴き上げるロッソを見る国王の瞳には、昏い決意が宿っていた。
◇
数か月後――――。
「ねぇ、明日はサンドイッチでいいかなぁ?」
オディールは久しぶりの休日をミラーナとのピクニックで過ごそうと、ウキウキしながら準備を進めていた。
ロッソのふもとに綺麗な花の咲く丘が現れていて、そこに案内すればミラーナはきっと喜んでくれるに違いない。また花冠を編んだり、他愛のない話でもして日ごろの疲れをいやそうとオディールは考えていたのだ。
その様子を見たミラーナは、申し訳なさそうな顔をして手を合わせる。
「ごめーん、明日は私、ちょっとダメになっちゃった」
え……?
予想もしなかった返事に、オディールは思わず持っていたパンを落としてしまう。
ポンポンと床にバウンドしたパンがコロコロと転がった。
「ど、どういう……こと? 前から約束……してた……よね?」
オディールはこわばった笑顔でミラーナに詰め寄る。
「ローレンスがね、有名なドレスデザイナーを呼んで、ドレスの採寸をしてくれるんだって」
ミラーナは目をキラキラ輝かせながら手を組んだ。
「そ、それは明日じゃなくてもいいよね?」
「それが明後日には帰っちゃうんだって。ごめんね」
オディールは呆然として首を振る。ミラーナが自分から離れていってしまう、それはオディールの心に受け入れがたい痛みを刻んだ。
「な、なんでそんな約束しちゃうのさ! 約束は僕の方が先だよ?」
「だからゴメンって言ってるわ! オディとはいつも一緒なんだからたまには他の人と会ったっていいじゃない!」
ミラーナは不満げな表情で言い返した。
「い、いつもって何だよ! ピクニックは初めてじゃないか!」
「私はあなたのママじゃないのよ? たまには自由にさせて!」
ミラーナは鋭い視線でオディールを貫く。それは今まで見せたことのない毅然とした否定だった。
オディールはわなわなと身体を震わせる。まさか自分がここまで拒絶されるとは夢にも思っていなかったのだ。
もちろん、ミラーナは自由だ。オディールには彼女を縛り付けることなどできない。その無力感がいっそう悲しみを加速させる。
「な、何? ミラーナは僕より……ローレンスの方が大切なんだ?」
「い、いや、そういうんじゃない……」
「もう知らない! ミラーナのバカーーーー!」
オディールはテーブルのピクニック用具を全部床にぶちまけ、大声で叫ぶ。そして、自室に駆け込み、バン! とドアを壊さんばかりの勢いで閉めた。
ピクニックを楽しみにしていたのは自分だけだったのだ。オディールは、悲しみに打ちひしがれてベッドに倒れ込む。
いつも一緒だったミラーナが自分との約束を捨てて男の元へと行ってしまう。それはオディールに胸が張り裂けるような苦痛をもたらし、毛布の中で大粒の涙がポロポロととめどなくこぼれた。
一体自分は何のためにこんな街づくりをしてきたのだろうか? ミラーナを失ってしまったらもう何の意味もない。オディールは絶望に打ちひしがれ、シーツが涙で濡れていくのを止められなかった。
その晩、オディールが眠れぬ夜を過ごしていると、耳をつんざくような非常警報が部屋に鳴り響いた。
ヴィーーン! ヴィーーン!
セント・フローレスティーナに深刻な危機が迫っているという知らせだ。見過ごすわけにはいかない。
「よりによって、なんで今晩なんだよぉ……」
オディールは腫れた目をこすりながら、重いため息をこぼし、ベッドから飛び降りると適当に上着を羽織った。
部屋を出たが、隣室のミラーナが動いている気配は感じられない。ミラーナには招集義務はないので、問題はないのだが、オディールは寂しい想いを抱えて指令室へと急いだ。
◇
指令室にはすでに自警団たちが集まっており、ケーニッヒとトニオが地図を指さし、深刻そうな顔をしていた。
「何があったの?」
「オディール殿、お休みのところ申し訳ない。東方に赤い狼煙ですが……そっちは延々と砂漠が続きその先は海。そちらから何かが来るとは考えにくいのですが……」
「そう? フローレスナイトを出そうか?」
「何を申されます! 領主殿は前線に出てはなりませぬ。ここは、それがしが見てまいりましょう」
ケーニッヒはそう言うと、自警団から何名かを連れて、颯爽とした足取りで出ていった。
オディールが窓から東を見つめると、遠くのやぐらで炎が燃え盛り、赤い筋が立ち上がっているのが見えた。
その瞬く炎の明りにオディールはゾクッと寒気を感じる。かつて受けた破滅の予言が言い知れぬ恐怖と共にフラッシュバックしたのだ。オディールはあまりの息苦しさに思わず胸を押さえた。
こんな時、ミラーナがいつもそばにいてくれたのに今は独りぼっち。心をえぐるような寂しさがオディールの細い胸を貫き、キュッと口を結んだ。
やはり告白しておけばよかったのかもしれない。オディールの脳裏に後悔の念がよぎるが、同性愛の告白はリスクが高い。受け入れられなければ気持ち悪がられ、逃げられてしまう。そんなことになってしまったらもう生きていけない。そう考えると、どうしても踏ん切りがつかなかったのだ。
ふぅと、大きく息をついて窓を閉めようとした時、オディールは西の地平線にも狼煙が上がっているのを見つける。
は、はぁっ!?
オディールは驚愕した。信じられないが、西からも侵入者が現れている。こんな状況に直面したことは今まで一度もなかった。
「西からも敵襲! た、大変だ!」
突然直面した深刻な事態にオディールは恐怖に駆られ、声を裏返らせながら叫ぶ。
作戦室に緊張が走った。ケーニッヒを始めとする主要メンバーは東へと出発してしまっている。西側へはどう対処したらいいのか対策が見つからず、室内はザワザワとし、不安が渦巻いた。
「何やっとんじゃ! 落ち着けぃ!」
遅れてやってきたレヴィアは喝を入れる。
「あっ! レヴィちゃん!」
「いいから状況を説明せんかい!」
説明を受けたレヴィアは地図を眺め、腕を組む。明らかに異常な敵の動き。これをどう考えたらいいのかレヴィアにもピンとこなかった。
「仕方ない、我がちっくら見てこよう」
どんな敵が来ているかが分からないと対策の打ちようもない。レヴィアはピョンと窓枠に飛び乗ると、そのまま夜空へとダイブしていった。
◇
その頃、卵型ゴーレムに乗り、東のやぐらを目指していたケーニッヒたちは怪しい魔道トラックを見つける。
魔道トラックは月夜の花畑の中を爆走していたが、ケーニッヒたちを見つけると急に進路を変え、一目散に逃げ始める。
「あ、逃げるぞ!」
後を追おうとするトニオだったが、ケーニッヒは違和感を覚えた。その姿にはどこか誘っているニュアンスが感じられたのだ。
ふと、街の方を振り返ったケーニッヒは西の方でも狼煙が上がっているのを見つけ、唖然とする。
そしてその瞬間、敵の本当の目的に気がついたのだった。
「マズい! 狙いは領主殿だ!」
ケーニッヒは急いで反転し、全速力でゴーレムを駆って花畑を突っ走った。
◇
同時刻、指令室――――。
黄金色の淡い光をまといながら西のやぐらへと飛んで行くドラゴンを目で追いながら、オディールは言いようのない不安に包まれていた。
深夜に東西から同時攻撃、それは手練れの軍師の策略の臭いがする。一体目的は何か……。
直後、ガシャーン! ガシャーン! と、窓ガラスを割る音が室内に響き渡った。
屋上から特殊部隊が次々と指令室になだれ込んできたのだ。
キャァッ! うわぁぁぁ! ひぃぃぃ!
慌てて逃げようとしたものの、出入り口はすでに剣で武装した黒づくめの男たちに固められ、逃げ場などなくなっていた。
オディールは顔面蒼白となり、ガタガタと震える。そう、目的はここだったのだ。高度な隠ぺい魔法で屋上に潜み、ケーニッヒたちを引きはがす。それは敵ながらあっぱれな作戦だった。
オディールは部屋の片隅に放置されていた古びた剣を握りしめ、敵に対峙する。しかし、剣を練習したことすらない彼女にとって、それは単なる虚勢にしか過ぎない。オディールの運命はもはや、風に揺らぐか弱い灯火のように消えかかっていた。
いきなり訪れた絶望。オディールの心臓は早鐘を打ち、破滅の預言を回避できなかったことに深い無念さが胸を穿った。
「観念しろ! オディール。ここじゃお前の【お天気】スキルも使えまい」
ボスの男が勝ち誇ったように口を開く。その声は忘れもしないオディールの父、公爵の声だった。
「お、お父様……?」
オディールは驚きのあまり口を開けたまま言葉を失った。
「お前のおかげで王都は今、大騒ぎだ。お前を何とかしないと由緒ある公爵家はおとりつぶし……。親の責任としてお前を処分する」
公爵は幅広の大きな剣をギラリと光らせながらオディールに向けた。
「な、何を言うんだ! あんたが勝手に追放したんだろ!」
「とは言え俺も親だ。お前に選択肢をやろう。奴隷契約をするか……、今ここで死ぬか……だ。どっちがいい?」
公爵は傲慢な笑みを浮かべながらとんでもない条件を提示する。しかし、囲まれて逃げられないオディールには他に選択肢などなかった。
目をギュッとつぶり、しばらくうつむいていたが、絞るように声を出す。
「ど、奴隷になったら……どうなるの?」
「この街は公爵領とする。お前は雨降らし担当としてこき使ってやる」
ドヤ顔の公爵をにらみながら、オディールはギリッと奥歯を鳴らした。
奴隷契約は魔法による厳正な契約であり、主人の言うことに逆らうことはできなくなる。一生いいように使われてしまうだろう。しかし、殺されてしまう訳にもいかない。
「ミ、ミラーナはどうなるの?」
「あいつか。奴も同罪だな。性奴隷にしたら高く売れるだろう」
公爵がいやらしい笑みを浮かべるのを見て、オディールは身体中に怒りの炎が燃え上がるのを感じた。
「ふざけんな! 死んでもお前になど屈しない!」
金髪を逆立て、鬼のような形相で絶叫するオディール。
そんなオディールを公爵はつまらない物を見るような目で眺める。
「ほーん、なら死ね」
公爵はすっと手を上げる。それを見た弓兵たちがクロスボウを構え、ガチャリと安全装置を外した。
オディールは剣を構えてはみたものの、この距離ではとても避けられない。
くっ!
自分の選択は間違っていない。ミラーナを性奴隷にするなど、死んでも選べる選択肢ではないのだ。オディールはギュッと剣を握り、公爵をにらむ。まさに絶体絶命の危機に追い込まれ、早鐘を打つ心臓の鼓動がうるさいほど耳に響いていた。
公爵はそんなオディールを鼻で笑うと、すっとオディールへ向けて手を降ろす。
刹那、バシュッ! バシュッ! と弓が鋭く光りながらオディールに向かって無慈悲に光跡を描いた。
その時だった。
「だめぇ!」
ミラーナが覆いかぶさるようにしてオディールに抱き着く。
壁にそっと穴を開け、様子をうかがっていたミラーナは最後の瞬間に飛び出し、身を挺してオディールをかばったのだった。
ズスッ!
鈍い音を立て、矢じりはミラーナの背中を貫く。
ぐふっ!
血を吐きながらオディールの上で痙攣するミラーナ。
「ああっ! ミラーナ!!」
あまりのことに気が動転するオディールのほほに、ミラーナはそっと手を添える。
「約束……守らなくて……ごめんね……」
息も絶え絶えに言葉を絞り出したミラーナは最後の瞬間にかすかな笑顔を見せ、ガクッと崩れ落ちた。
「ミ、ミラーナ……? ねぇ! ミラーナぁ!」
オディールはミラーナを揺らすが、ミラーナに力は戻って来ない。
どうしようもなくあふれてくる涙。
「え……、ちょっと……、嫌だよぉ! ぐわぁぁぁぁ……」
半狂乱になったオディールの絶叫が部屋に響き渡る。
オディールにとって、ミラーナと過ごす花の都での幸せな日々こそが全てだった。その大切な全てが失われていく。ミラーナがいない人生には何の価値もない。夢や希望、人生そのものがガラガラと音を立てて崩れ去っていく音が、オディールの中に響きわたった。
「ふん! 馬鹿なメイドだ。そんなことしても結果は変わらんぞ」
公爵は鼻で笑うと、剣をブンブンと振りまわしてオディールにツカツカと迫る。
「貴様ぁーーーー!」
オディールはキッと公爵をにらみ、右手を公爵に向けてブツブツと祭詞を唱えた。
「はははっ! 建物の中では【お天気】など何の意味もないぞ」
公爵は笑ったが、直後、隕石が落ちてきたような激しい衝撃が天井に響いた。
「え?」「は?」
公爵たちはけげんそうな顔をして天井を見る。
衝撃はさらに次々と続き、強く激しく天井を穿ち続け、ベキベキと音をたてながら亀裂が広がっていく。
「ま、まずい! 逃げろ!」
公爵は叫んだが、直後天井は崩落し、一メートルはあろうかという巨大な雹が次々と土砂崩れのように部屋になだれ込んでくる。
ぐわぁ! ひぃ!
逃げ惑う公爵たち。
オディールは混乱の中、必死にミラーナを引きずって崩落してきた屋根のガレキの陰に逃げ込んだ。
やがて雹は止み、月明かりにグチャグチャになった部屋が照らし出される。
「くぅ! オディールを探せ! 見つけて確実に息の根を止めろ!」
公爵は雹とガレキに埋もれた部屋を見回しながら焦って叫ぶ。
その時だった。
ぐはぁ! ぐふっ!
一人また一人と、黒装束の男たちが倒されていく。
異常に気付いた公爵は、恐怖に追い込まれるように隅に逃れ、剣を構えた。
刹那、月明かりをギラリと反射しながら眼にもとまらぬ速さで剣が迫り、公爵はかろうじて剣を合わせる。
ギィィィン!
鋭い金属音が響き渡った。
ケーニッヒがガタイのいい公爵を剣で押し込んでいく。
「お前が首謀者だな?」
ケーニッヒは不気味に瞳を赤く光らせながら、公爵を威圧する。
くっ!
ケーニッヒの驚異的な剣圧に翻弄され、公爵は恐怖で冷や汗を浮かべた。剣の達人と呼ばれ、これまでに数多くの偉業を成し遂げてきた公爵だったが、ケーニッヒの剣さばきにははるか高みの色があり、到底及ばぬ絶望を感じる。
とは言え、オディールを処分できないままここで自分が倒れれば、代々続いてきた公爵家はおとりつぶしだ。
ぬぉぉぉ!
公爵は髪を逆立てながら渾身の気迫を込め、熱く燃える【剣気】を呼び起こす。筋肉はパワフルに膨らんで、身に纏っていた黒い装束がパン! と音を立ててはじけ飛んだ。
そのまま力ずくでケーニッヒの剣を跳ね上げ、一気に懐に入ろうとした瞬間だった。踏ん張ろうとした足に力が全く入らない。
えっ?
公爵はそのまま無様に床に転がり、同時に太ももから激痛がやってくる。見れば脚は失われ、横倒しに転がっていた。
「い、いつの間に……、くぅ……」
ガスッ!
ケーニッヒは公爵の頭を蹴り上げ、あっさりと意識を断つとオディールを探す。
「オディール殿! オディール殿ぉぉぉ!」
「ぼ、僕はここだ! ミラーナ、ミラーナがぁぁ!」
瓦礫と巨大雹の隙間からオディールは叫ぶ。その腕の中に抱えたミラーナの心臓は今にもとまりそうに弱弱しく、顔は真っ青でもはや風前の灯だった。
「今助けます、動かんように!」
ケーニッヒは氷塊にカンカンカン! と剣を叩きこむと、氷塊はバラバラとなり、ゴロリと転がりながら床に散らばった。
息も絶え絶えのミラーナをソファーの上まで運んだ時だった、ゴゴゴゴと建物全体が地震のように揺れ始める。
な、なんだ……?
顔を上げると街の入り口に立っていたフローレスナイトがバラバラに壊れ、崩れ落ちていくのが見えた。
「えっ!? どういうこと!?」
オディールは混乱の極みに達し、叫んだ。
「ミラーナが死ねばミラーナの土魔法はすべて解除される。つまり、この街全ては消え去るのじゃ。見せてみろ」
いつの間にか戻ってきていたレヴィアが、聖水の小瓶のふたを開けながら、ミラーナに刺さった矢を険しい目で眺めていく。
「ねぇ! どうしたらいいの!?」
涙を溢れさせながら、オディールは悲痛な叫びをあげる。
「んー、これはマズい……」
レヴィアは眉間にしわを刻みつつ、貫通して胸から飛び出ている矢じりをパキッと取り去ると、聖水をかけながら矢を背中の方から静かに抜いていく。
建物の揺れが地震のごとく激しさを増し、まるで今にも崩れ落ちそうな危うさが漂う中、レヴィアはいつになく慎重な手さばきで矢を引いていった。
わずかに抜くたびに、ピュッピュ! っと噴き出してくる鮮血。
うぅぅぅ……。
ミラーナが苦しそうにうめく。
「ミラーナ、頑張って!」
オディールはポロポロとこぼれる涙をぬぐいもせず、ミラーナの手を熱く強く握り締めた。
「引き抜くぞ! 頑張るんじゃ!」
レヴィアが矢を取り除くやいなや、鮮血が勢いよく吹きだしてくる。
「お主! 押さえとけ!」
レヴィアはハンカチで傷口を覆うと、オディールの手を引いてそこに押し当てた。
「ミラーナぁ……」
涙でにじむ視界の向こうでハンカチはあっという間に鮮血に染まっていく。オディールはひたひたと死神の足音が聞こえてくるような恐怖に襲われる。自分の命より大切なミラーナ、その命を支えている鮮血がどんどんと失われていく様に、オディールは蒼白となって今にも壊れてしまいそうな衝動に苛まれた。
「しっかりしろ! もういい! 我がやる」
レヴィアはガタガタと震えるオディールを下がらせ、ミラーナに少しずつ聖水を飲ませながら、傷口の周りを観察する。
「これは……、毒じゃな……。聖水の効きが悪いし、肌が黒ずんできている」
「ど、毒!?」
レヴィアは折り取った矢じりをジッと観察し、指先で矢じりをなぞるとペロッと舐めると、眉間にしわを寄せた。
「マズいな……。ズィールヘッグの血じゃ」
「えっ!? 何それ?」
「伝説の毒蛇の毒じゃ。血清は……ない」
「そ、それじゃ……」
レヴィアはキュッと口を結ぶと、沈痛な面持ちで首を振った。
「ぐわぁぁぁ! 嫌だ! 嫌だよぉぉぉ!」
オディールは苦悩に満ちた表情で頭を抱え、悲痛な叫びを空に向ける。聖水も効かない毒がミラーナの命を蝕んでいる。それは到底受け入れられない運命だった。
レヴィアはオディールの腕を力強くつかむと、燃えるような真紅の瞳でオディールをにらみつける。
「落ち着け! お主が取り乱してどうする!」
「だ、だって……。ミ、ミラーナが……。ミラーナが居なくなったらもう僕は生きていけない……」
パァン!
レヴィアはオディールを平手打ちにした。
「街崩壊の危機に、領主が何をぬるいこと言っとる!」
ヒックヒックとしゃくりあげながら、オディールは真っ赤な泣きはらした目でレヴィアを見上げる。
「あー! もう! 住民の避難はケーニッヒに任せるぞ! ええか?」
レヴィアは困り切った顔で首を振り、大きくため息をついた。
ケーニッヒはじっとオディールを見つめ、すっとひざまずくとオディールの手を握る。
「オディール殿、住民の安全はそれがしに任せてください」
オディールは力なくうなずいた。
「崩壊する前に全員避難させるぞ! 動けるものはついてこい!」
地震のように揺れる建物がいつまで持つか分からない。ケーニッヒは自警団を何人か連れて飛び出して行った。
◇
オディールは沈痛な面持ちで、まるでろう人形のように生気を失ったミラーナを眺める。今、自分に何ができるだろう? 毒は取り除けない、となると、どうしたらいいか……。
「くぅぅぅ、このままじゃ死んじゃうよぉ……。死んだら……。……。死ぬ……?」
ここでオディールは自分も一度死んだことを思い出す。死んでもまだ終わりではなかったのだ。
と、なると……。
オディールはレヴィアの手を取り、碧い瞳を見開いて言った。
「め、女神様だ! 女神様に会わせて!」
たとえ死んでも女神様なら助けられる。女神様へ直談判することが唯一の解決策だろうと気が付いたのだ。
だが、レヴィアは顔をしかめ、視線を落とす。
「女神様は医者じゃない。助けてくれるとは限らんぞ? それに、女神様には連絡などつかん。我もすでにメッセージは送ってはおるんじゃが……、お忙しいので読まれることはないじゃろう。女神様はいつも気まぐれにふらっとやってくるだけなんじゃ……」
「次はいつ来そう?」
「前回は三十五年前なんじゃ……」
オディールは頭を抱える。そんな気まぐれを待っていられないのだ。
「誰か……、女神様に連絡がつく人……。あっ! きょ、教皇……?」
「えー……、教皇は……」
レヴィアは渋い顔で首を振る。
「いや、僕は大聖堂の神託の儀で女神様の声を聞いたんだよ。教皇なら何か知ってるはずさ!」
「うーん……」
腕組みをしながら首をかしげるレヴィア。
「いいから、大聖堂へ飛んでよ! 他に策なんてないじゃないか!」
オディールはガシッとレヴィアの腕をつかむと、感情にかられて悲痛な叫びをあげる。
レヴィアは溜息をもらし、オディールの切実な瞳にちらりと目を向けるとそっと頷いた。
「じゃが、命尽きてミラーナの魂が命のスープに溶けてしまったら、女神様でも助けられんぞ」
「えっ!? そ、そんな……」
「急ぐしかない。いいから乗れ!」
レヴィアは月夜に軽く飛び上がると衝撃音を立てて荘厳なドラゴンに変身し、オディールの前に巨大な頭を降ろした。
◇
ミラーナを医療班に託し、レヴィアはオディールを乗せ、全速力で王都へと飛ぶ。
月光が砂漠を静かに照らし出す中、いつもよりはるかに高い高度を超音速で飛び続けるレヴィア。シールドである程度守られてはいるものの厳寒と低酸素で限界ギリギリの中を必死に鱗の棘にしがみつくオディール。ミラーナの命は聖水によってかろうじて繋がれているが、いつまで持つかは分からない。緊迫した時間との闘いなのだ。
山脈を超え、徐々に大きく見えてくる王都。久しぶりに見る石造りの荘厳な街並みは夜の静寂に沈み、明かりもまばらである。レヴィアは少しずつ高度を落としながら大聖堂を目指した。
「教皇の部屋はどこじゃろうな? 昔は大聖堂の隣のタワーの最上階じゃったけどなぁ……」
大聖堂上空までたどり着いたレヴィアは、降下しながら巨大な翼をバサッバサッと大きく羽ばたかせる。
「あそこだね! 突っ込もう!」
オディールは冷え切った身体に震えながら、覚悟を決めた目で叫んだ。
「突っ込むってお主……」
「時間がないんだ! 僕を窓に放り投げて!」
「……。分かった」
オディールの身体を大きな前足で包み込むようにつかむと、レヴィアは翼を広げ、タワーの最上階の窓に向けて静かに滑るように迫った。
「『いっせーのせ』で放るぞ!」
「ちゃんと窓狙ってよ!」
「外したら勘弁な!」
「くぅぅ………。信じてる!」
ぐんぐんと近づいてくるタワーにオディールはゴクリとのどを鳴らす。突入に失敗すればそのまま墜落して即死だ。しかし、死の淵をさまようミラーナのことを思えば大したことではないのだと、オディールは自分を奮い立たせる。
「いっせーのー……」
タワーの直前まで滑空しながら慎重に迫ると、レヴィアは全力で羽ばたいて上空へと進路を変え、その隙にオディールの身体を放り投げる。
「せっ!」
月の光に照らされながら、オディールの身体はそのまま最上階の窓へと弧を描く。それはオディールの切なる願いを賭けた月夜のアクロバットだった。
リュックを盾にしてガラス窓へと飛んだオディールは、盛大なガラスの割れる音と共に部屋へと突っ込んでいく。ガラスが飛び散る音が響く中、オディールはあちこちに傷を負いながらも何とか侵入に成功したのだった。