【お天気】スキルを馬鹿にされ、追放された公爵令嬢。不毛の砂漠に雨を降らし、美少女メイドと共に甘いスローライフ~干ばつだから助けてくれって言われてももう遅い~

 セント・フローレスティーナに戻り、オディールとミラーナは表面的にはいつもと変わらない暮らしを送っていた。ただ、ミラーナは安堵しつつも将来のことを考えなければと、物思いにふけることが多くなる。オディールの未来、自分の未来、そして二人の未来―それらはまだ十七歳の彼女には深く、難解な問題であった。

 一週間ほどして――――。

 二人はフローレスナイトに乗って、新しい武器【ロックライフル】を試していた。フローレスナイトが巨大なライフルを構え、ミラーナが土魔法でライフルから岩の弾を高速に射出するというものである。

「よーし、フローレスナイト! あそこの岩に照準合わせて!」

 グォォ!

 フローレスナイトは全長十メートルはあろうかという巨大なライフルの砲身を岩に向けた。それはライフルというよりはもはや大砲だった。

「ファイヤー!」

 オディールは調子に乗ってミラーナの肩をパンパンと叩く。

「ほ、本当に撃つわよ?」

 ミラーナは攻撃魔法など使ったことが無いのであまり乗り気ではない。

「OK! バンバン行っちゃってー!」

 気軽に言うオディールをジト目で見たミラーナは、大きくため息をつき、おっかなびっくり土弾(アースバレット)を唱えた。

 オディールから流れ込んだ膨大な魔力は、ミラーナで土弾(アースバレット)へと変換され、フローレスナイトを通じてライフル内で実体化される。

 ロックライフルが黄金色に輝いた直後、ズン! とコクピットが激しく揺れ、ターゲットの岩が火を吹いて粉々に吹き飛んだ。

 ズガーーン!

 辺りに爆発音が響き渡り、爆煙がもうもうと上がる。

「うっひゃーー!」

 オディールは大喜び。しかし、ミラーナはあまりの破壊力に青ざめてしまう。

「い、一体こんなの、どこで使うのよ……」

「備えあれば憂いなし。フローレスナイトは今やセント・フローレスティーナの守護神だからね、武器ぐらい持っておかないと」

 オディールは上機嫌でミラーナの肩を揉んでいたわった。

 水筒を手に取り、のどを潤すとふぅとため息をつくミラーナ。花の都を作るという話がこんな大砲作りにまで発展していってしまうことには、どうしても抵抗を感じてしまうのだった。

 と、その時、遠くの方に赤い筋が立ち上っているのが目に入る。

「え? あれは何かしら?」

 ミラーナが遠くを指さした。

「へ……? ……。て、敵襲!?」

 オディールは目を真ん丸に見開き、思わず立ち上がる。それは侵入者を知らせる狼煙(のろし)だった。

 狼煙の方向は西、その先は数百キロ延々と砂漠であり、川も何もない。明らかに異常な侵入者だった。

 オディールは事態の深刻さにキュッと口を結びしばらく狼煙をにらむ。

「ど、どうしよう……」

 ミラーナがオディールの腕をつかんだ。ミラーナの恐怖がかすかな震えとなってオディールに伝わってくる。

 オディールはそっとミラーナの震える手に手を重ねると、大きく息をついた。

「大丈夫……。僕に任せて」

 モコモコと湧き上がってくる不安をオディールはギュッと押しつぶし、狼煙に厳しい視線を向け、決意を込めて指さし叫ぶ。

「フローレスナイト、GO!」

 重苦しい雰囲気の中、二人は警備やぐらを目指した。


       ◇


 やぐらまでたどり着くと、緑の卵型ゴーレム【ピィ太郎】が砂漠を指さしている。その先には砂煙が上がっているのが見えた。王都の方からやってくる大部隊。それは威嚇行為とかそういう生易しいものでは無い殺意を感じる襲来だった。

「【第一種戦闘配置】の狼煙を焚いて!」

 ピュィッ!

 オディールはいきなりやってきた戦争にブルっと武者震いすると、もうもうと迫りくる砂煙を鋭い視線でにらんだ。


        ◇


 やがて敵の姿が見えてくる。それは魔道トラックだった。魔塔が開発したという魔力で走る最新鋭のトラック、それが五、六台砂煙を上げながらセント・フローレスティーナ目指して爆走してくる。

「ミラーナ、ロックライフルの用意を……」

「えっ! そ、そんなこと、人が死んじゃうわ!」

「何を言ってるの? やらねばやられるんだよ? これは戦争だよ?」

 ぬるいことを言っているミラーナの瞳を、イライラしながらのぞきこむオディール。

「で、でも……」

 自らの魔法で人を殺すということは、ミラーナにはとても耐えられない。ミラーナの目には涙が浮かんでいる。

 オディールはハッとして、戦争に巻き込んでしまった申し訳なさに胸がキュッと痛む。戦闘要員でもない彼女に砲撃を頼むこと自体筋違いだったのだ。だが、【お天気】スキルでは爆走してくる敵への威嚇は難しい。

「ごめん、僕も殺したいわけじゃないから大丈夫。あくまで威嚇(いかく)だからさ。お願い」

 オディールは手を合わせて頼み込む。

「い、威嚇なら……」

 ミラーナは目をギュッとつぶり、何度も大きく息をついた。

「ありがとう……。よし、フローレスナイト! 奴らの鼻先に威嚇射撃だ!」

 ガウッ!

 フローレスナイトはロックライフルの照準を合わせる。

「ファイヤー!」

 刹那、魔道トラックの手前が激しい閃光を放ちながら大爆発を起こす。

 ズン!

 大穴が開き、もうもうと上がる爆煙。

 しかし、魔道トラックは止まらない。巧みに穴をよけ、突っ込んでくる。余程覚悟を決めた手練れということだろう。オディールの額にツーっと冷汗が流れた。

「くっ! もう少しぎりぎりを狙って連射だ!」

 グッ!

「ファイヤー! ファイヤー! ファイヤー! ファイヤー!」

 次々と火を吹くロックライフル。

 撃つたびに激しい衝撃でフローレスナイトは揺れ、二人は手すりにしがみつく。

 岩弾(アースバレット)は次々とトラックの手前に着弾し、爆煙が次々と上がっていった。

 さすがにこれ以上は無理だと悟ったのか、トラックは次々と停車する。

 目の前に展開する未知の攻撃部隊。その殺気を肌に感じ、さすがのオディールも手に汗を握った。これから始まる命の奪い合い、果たしてどんな結末になるのか全く予断を許さない。しかし何があってもミラーナとセント・フローレスティーナだけは守らねばならなかった。

 オディールはガバっと立ち上がると、キャノピーを開け、大声で叫ぶ。

「ここはセント・フローレスティーナの領土である! 貴様らの行為は軍事侵攻であり、ゆるされない。次は威嚇ではないぞ。死にたくなければ立ち去れ!」

 パラパラと小石が地面に降り注ぐ中、オディールの叫びが砂漠に響き渡った。
 魔道トラックから一人の金髪の男が出てきて叫ぶ。

「貴様、オディールだな! 我が王都を脅かす魔女よ、成敗してくれるわ!」

 それは王子だった。

 二度と見たくなかったクソ王子。オディールはウンザリしてため息をつく。

「あのさぁ、僕が一体何をしたって言うんだよ。勝手な理由こじつけて暴力に訴えてくるなら、もう実力行使しかないよ?」

「ふん! ほざけ! お前らに軍隊などないことは調査済みだ。この街は俺が支配してやるんだよ!」

 王子はそう叫ぶと、自身の持つ【英雄】のスキル、【覇者の軍団】を唱えた。

 数百人の兵士たちの身体が黄金色に光り輝き、攻撃力も防御力も一気に何倍にも跳ね上がる。これはへーリング王族に代々伝わるチートスキルで、このスキルのおかげでへーリング王国は長年大陸一の王国として君臨できていたのだ。

 くっ!

 オディールは悩む。何倍に強くなろうが、【お天気】スキルによる大自然の猛威は圧倒的である。しかし、手加減しないと殺してしまうのだ。王子は自業自得としても個々の兵士には罪もないし、家族もいるだろう。いい感じに手加減をして戦意を喪失させないといけないが、それは簡単ではなかった。

「魔道部隊、砲撃用意!」

 王子の号令でトラックからワラワラと魔法使いが降りてきて呪文を唱え始める。

「あのバカ! フローレスナイト! 防御だ!」

 ガウッ!

 フローレスナイトは身を縮め、盾を立ててキャノピーを守る。

 直後、炎槍(フレイムランス)風刃(ウインドカッター)が嵐のように押し寄せて激しい爆発音とともに盾を穿(うが)っていく。

 キャァッ!

 その衝撃はすさまじく、ミラーナは思わずオディールに抱き着いた。

「ハッハッハーー! 見ろ! これが王族の力だ!」

 王子はガッツポーズをを振りかざし、興奮と歓喜の声を上げる。

「あのバッカ野郎め……」

 オディールは好き放題やるクソ王子への怒りが抑えられなくなり、ギリッと奥歯を鳴らした。

 楯もいつまでも持たない。もうもうと上がる爆煙からは盾の破片がパラパラと降ってくる。

 小刻みに震えるミラーナ。二人で花に囲まれてのんびりと暮らすはずだったのに、なぜこんなことになってしまったのか? オディールは申し訳なくて胸がつぶれるような思いがする。

 オディールは大きく息をつくと覚悟を決めた。理想ばかり言ってても殺されてしまう。これはれっきとした軍事侵攻、例え死者が出たとしても、それは正当防衛なのだ。

 オディールはミラーナの背中をやさしくなでる。

「大丈夫だって。見てて」

 オディールはキュッと口を結ぶと天に向かって両手を伸ばし、祭詞を叫んだ。

「【風神よ、砂をもて愚者を飲みこまん】!」

 澄み渡った砂漠の青空が一瞬ピカッと閃光を放つと、ゴゴゴゴゴと、地鳴りが響き渡る。

 魔道部隊の一方的な攻撃に動けなくなっているフローレスナイトを見て、ニヤニヤしていた王子だったが、いきなりの地鳴りに顔色を失った。

「へ……? な、なんだ?」

 横の方に何かがもくもくと巨大な黄色い壁のように立ち上がっていく。

 見上げんばかりに成長した黄色の壁はやがてものすごい速度で迫ってきた。その、見たこともない不気味な存在は王子に底知れぬ恐怖を呼び起こす。

「な、何だあれは!? 総員防御態勢! 来るぞーー!」

 王子が叫び終わると同時に激烈な砂嵐が王子の軍隊を襲った。

 グハァ! うぎゃあ!

 一気に何も見えなくなり、強烈な暴風が兵士たちを吹き飛ばし、魔道トラックを転がした。

 それはまるで地獄絵図だった。数百人もの屈強な兵士たちがあっという間に、何もできぬまま砂嵐の中吹き飛ばされていく。

 全てを無に帰す大自然の猛威は辺りを強烈な轟音で覆った。

 ミラーナはオディールにギュッと抱き着いてくる。オディールは苦々しい表情で壮絶な景色を見つめ、そっとミラーナの髪をなでた。

 幸せを紡ぐために使うべき【お天気】スキル、オディールは人を傷つけるために使ってしまったことに良心の呵責を感じる。

 先日の破滅の預言もこの先にあるのではないかと思うと、オディールは胸が苦しくなり、ミラーナをギュッと抱きしめた。

 しばらく響いていた轟音もやがて収まり、砂漠には静寂が訪れる。

 砂嵐が通った後には何も残っていなかった。

 ただ、一面の砂の海が広がるばかりとなっている。

「くっ……、あのバカのおかげで大惨事だ……」

 オディールは辺りを見回し、やりすぎてしまったことに困惑と後悔の色を浮かばせた。

 やがてあちこちでモコモコと砂が盛り上がると、中から兵士たちがよろよろと出てくる。

 もはや戦闘どころではなく、兵士たちは一生懸命仲間を掘り出し始めた。

「【ピィ太郎】! 手伝ってやりな!」

 オディールはゴーレムに指示を出し、ピィ太郎は『ピィ!』と敬礼して急いで救助へと走っていった。

「お前ら何やってる! 攻撃だ! 攻撃しろ!」

 砂まみれになった王子は、必死に救助している兵士たちに向かって怒鳴るが、誰も言うことを聞かない。ただ、声を掛け合いながら仲間を探し、掘り起こし続ける。

「くぅぅぅ……。情けない!」

 王子は転がった魔道トラックの上に座り頭を抱えた。

 卵型ゴーレムたちに乗ったケーニッヒたちもやってきて救助を手伝う。

 意識のないものには聖水を飲ませ、治療していった。

 いくら攻めてきた敵とは言え、命を奪うことはなるべく避ける。この世界では珍しい考え方ではあったが、それが日本的な発想から生まれたセント・フローレスティーナの矜持(きょうじ)だったのだ。
 どうやら全員無事救助できたことにホッと胸をなでおろすオディール。ただ、ミラーナと楽しく暮らしたいだけなのに人殺しになんてなんてなりたくないのだ。

 さて、どうするか……。

 ボロボロの王子の兵士たちを見わたし、オディールはニヤッと笑うとグッとこぶしを突き上げながら叫ぶ。

「王子を捕虜として差し出しな! それで許してあげる。まだ戦うなら今度は雷百連発だよ!」

 特大の雷が一発ピシャーン! と兵士たちの目前に落ちた。

 その地響きを伴う激しい落雷に兵士たちは恐れおののき、お互い顔を見合わせる。王子を敵に差し出すなど重罪だ。本国に知れたら家族もろとも厳罰に処されてしまう。しかし、こんな雷を次々と落とされたらとても逃げる自信などない。そもそもオディール達には救助までしてもらっている。もはや恩人なのだ。

 やがて、うなずきあった兵士たちは王子を取り囲む。

「敗戦の責は将にあり。お覚悟を」

 兵たちは王子に剣を抜いた。元々みんな王子には失望していたので、王子をかばうものは誰もいなかった。

「き、貴様ら! 王族に剣を抜くとは重罪だぞ!」

 王子はトラックの上で剣を振り回しながら喚き散らすが孤立無援、なすすべがなかった。

 やがて石つぶてが投げられ始め、必死にそれを避けていたが王子だったが、風魔法の小さな竜巻が王子を襲う。

 ぐわぁ!

 王子はぐるぐると回されて巻き上げられるとそのまま地上に転落。あっという間に捕縛されてしまった。

「俺の彼女の恨みだ! 思い知れ!」

 一人の兵士が怒りを込め、王子の顔を蹴る。

「そうだ! 好き勝手やりやがって!」「そうだそうだ!」「思い知れ!」

 他の兵士たちも次々と王子を蹴り始めた。

「ぐはっ! 止めて! 止めてくれよぉぉぉぉ!」

 泣きながら叫ぶ王子だったが、こうなってはもう止まらない。

 今までの王子の乱暴狼藉への恨みが吹きだし、王子はボコボコにされてしまう。

(おご)れるものも久しからず、ただ春の夜の夢の如し……」

 オディールはその無情な結末を見ながらつぶやいた。権力におぼれた者の末路は悲惨であり、それは領主である自分の未来にもなりうる。オディールはその光景を一生忘れないようにしようと唇を強く結び、誓いを立てた。


        ◇


 魔道トラックを修理した兵士たちはオディールたちに一礼をすると、王都へと帰っていく。

 顔がボコボコに腫れあがった王子は、自警団に連れられ牢屋へと運ばれていった。

 王子は捕らえたものの、王家とはどういった交渉をすればいいのだろうか? オディールは腕を組んで考えてみるが、戦後処理などやったこともないので皆目見当がつかない。

 オディールは大きくため息をつくとミラーナを見た。

「ミラーナ、僕らも帰ろう」

 しかし、ミラーナはショックを受けているようで、無言のままうつむいている。三百人のむき出しの悪意に晒された衝撃は十七歳の少女には耐えがたいものだった。

「これからも……、こんなことが続くのかしら……」

 ポツリとミラーナがこぼす。

 その悲痛な声がオディールの心に刺さった。十七歳の少女を戦争に巻き込んでしまったことは本来なら許されるような話ではない。メイドを続けていればこんな目には遭わなかったのだ。

 オディールは何か言おうとして口を開けたが、どんな言葉も空虚に思えてすべて消えてしまう。言葉を失ったオディールは、沈み、うつむくミラーナをそっと引き寄せるとハグをした。トクントクンとミラーナの心臓の鼓動が伝わってくる。

「ごめん……」

 オディールはキュッとミラーナを抱きしめた。

 戦争は世の常、これで終わりとは到底思えない。今回は無難にこなせたからいいものの、自分たちの弱点を徹底的に研究されてきたらどうだろうか? ボコボコにされるのは次は自分たちかもしれない。破滅の預言がオディールの脳裏をかすめ、キュッと胸が苦しくなる。

『街は捨て、ミラーナと安全なところへ逃げれば……』

 オディールは自然と湧き上がってくる弱気な誘惑にハッとして、ブンブンと首を振った。

 セント・フローレスティーナは自分が主導したみんなの夢と希望の詰まった花の都なのだ。今さら逃げるなんて到底許されることではない。それこそレヴィアに焼き殺されてしまう。

 オディールはゆっくりと何度か大きく息をつくと覚悟を決め、ニコッと微笑むとミラーナをまっすぐに見つめる。

「大丈夫! 何があっても必ず僕が守るからさ」

 ミラーナは涙を浮かべた目でチラッとオディールを見ると大きくため息をつき、目をつぶると静かにうなずいた。


       ◇


 オディールはメンバーを会議室に集め、王家との交渉について相談する。

 ローレンスは手を組み、オディールを見据えると淡々と言った。

「ハーグルンド国王に仲裁役に入ってもらい、王子の身柄と引き換えに賠償金を請求しましょう」

「でも、あのバカ王子また攻めてくるよ?」

 オディールは渋い顔で首を振る。

「なるほど、そういう人ですか。なら処刑しましょう」

 当たり前のように言うローレンスにオディールはドン引きする。

「え? いや、それはちょっと……」

「侵攻してきた以上、殺されても文句言えないと思いますが?」

 ヘーゼル色の瞳がオディールを射貫くように見つめる。そこには『領主として毅然(きぜん)たる態度で臨んで欲しい』というローレンスの想いが映っていた。とは言え、オディールの基本は平和を謳歌してきた日本人サラリーマン、王子を処刑するという決断など到底無理だった。

「ま、そうなんだけどさ……」

 オディールは苦虫をかみつぶしたような顔で視線を逸らす。

 ローレンスはふぅとため息をつき、トントントンとペンの後ろでノートを軽くたたいた。

「では、廃嫡(はいちゃく)、島流しも条件に入れましょう」

 クルっと器用にペンを回すとノートにメモしていく。

 元婚約者のキラキラとした王子との確執がまさかこんな結末を迎えようとは……。思いもよらない結末へと運命の歯車が回る中、オディールは感慨に浸りながらため息をつき、肩を落とした。

 この高慢な女好きの男も、王子として生まれなければ他人に愛される好青年であったかもしれないのだ。そういう意味では歪んだ貴族社会の犠牲者とも言える。

 それにしても、廃嫡島流しなんてして大丈夫なのだろうか? 王家内で相当の反発が予想される案に、オディールは眉をひそめる。もし、破滅の預言が現実化してしまうのだとしたら、このトラブルがきっかけかもしれない。そんな考えがオディールの脳裏をよぎり、胸がキュッと締め付けられる思いがして、思わず胸に手を当て、目を閉じた。
「後は何か?」

 ローレンスは顔を上げ、無機質な視線をオディールに向けた。

「そもそもなんであいつ、攻めてきたんだろう?」

 オディールは腕を組んで首をひねる。

「干ばつ対策を我々にやらせたかったんでしょうね」

「はぁ? 僕にただ働きさせたかったってこと? 頼んで来たら手伝ってあげたのに」

「頭を下げたくなかったんでしょう」

 ローレンスの言葉にオディールは目を丸くする。

「はぁぁぁ、ばっかじゃないの!?」

「馬鹿ですよ? 支配者層なんて馬鹿だらけですよ」

 ローレンスはため息交じりに肩を軽くすくめた。

「でもまぁ、困ってるってことだよね……。そうだ! 賠償金たんまりもらって代わりに雨降らせてあげるっていうのはどうかな?」

「えっ!? そんな敵に塩を送るようなこと……」

 ローレンスは顔をしかめる。

「だって、干ばつで困るのは庶民だしね」

 オディールは溌剌(はつらつ)とした笑みを見せた。

「はぁ……。領主様はお優しいですな。分かりました」

 ローレンスは首を傾げつつ、渋い顔でノートに筆を走らせた。


         ◇


 王子捕縛の一報で王都の宮殿は騒然となった。王子が勝手に魔道トラックを持ち出し、他の街を攻撃したことは疑いようのない違法行為であり、王族といえども許されることではない。

「あの馬鹿もんが!」

 緊急会議の席上で、王都を統べるへーリング国王は激昂し、机をたたきつけると顔を真っ赤にして怒鳴った。

 大陸随一の大国であるへーリング王国、その軍隊の敗北は国の威信を損なう重大問題だった。それも追放した元婚約者の少女にあっさりと全滅させられ、人質として王子は拘禁されているという。考えうる限り最悪の展開だった。

「恐れながら、王子様は王位継承順位第一位のお方、全勢力を上げてでも救出せねばなりません」

 宰相は額に脂汗を浮かべながら、絞り出すように言った。

「分かっとる! で、オプションは?」

「はっ! 交渉か、攻めるか……ですが、攻めるにしても準備に数週間はかかります。開戦準備を進めながら先方の動きを待つのが得策かと」

「数週間も!? 何とかならんのか?」

「次は必ず勝たねば王国は滅びます。万全を期すためにも数週間は必要かと。本来なら数カ月は欲しいところです」

「くぅっ! 公爵家の小娘ごときになぜ王国の存亡がかかるのか!」

 国王は怒りに震え、テーブルをガン!と叩くと、奥歯をきしませた。

 その時、伝令が飛び込んでくる。

「急報です。ハーグルンド国王より緊急の書簡が入っております!」

 国王は不機嫌な顔つきで手紙を受け取ると、急いで封を剥がし、中を見た。

 怒りで国王の頬がピクピク動くのを、会議のメンバーは固唾を飲んで見守る。

「あ奴め! 小娘の肩を持ちおったわい!」

 国王は書簡を宰相に放り投げ、頭を抱えた。

 そこには『仲裁してやるから十万金貨をもってセント・フローレスティーナに来い』ということが書かれており、会議のメンバーにどよめきが広がる。十万金貨というのは国家予算の一割ほどの金額、そう簡単には用意できない。しかし、戦争となれば戦費はもっとかかるだろう。そういう意味では受け入れられなくもない、しっかりと考えられた賠償額だった。

「あのバカ一人に十万金貨! 親不孝者めが!」

 国王は憤怒に燃える瞳で奥歯をギリギリと鳴らした。


       ◇


 翌日、急ぎハーグルンドへ(おもむ)いた国王は、次の日、ハーグルンド国王と共に船でセント・フローレスティーナを目指した。

 船は砂漠のど真ん中を軽快に飛ばしていく。しかし、見渡す限り岩だらけの荒野が広がるばかり。心労の重い国王には気が滅入る光景だった。

「ハーグルンド殿、お主はなぜあんな小娘の小国なんぞと国交を持ったんじゃ?」

 疲労の滲む国王は紅茶をすすりながら聞いた。

「こういうと信じられんかもですが、国を守るためですな」

 ハーグルンドは肩をすくめ、首を振って見せる。

「あの小娘の国が脅威? そんな馬鹿な……」

「事実、お主のせがれは完敗。それを裏付けてますな」

 ハーグルンドはニヤリと笑いながら豊かなヒゲをなで、国王は忌々しそうに唇を強く結んだ。

 半年ほど前、追放された十五歳の小娘。それがあっという間に力をつけ、ハーグルンドにすら恐れられている。一体なぜこんな存在にまで大きくなってしまったのか? 国王は首をひねり、憂いに満ちたため息を漏らした。
 船に揺られること五時間余り、終わりの見えない砂漠の風景に国王はうんざりし、肩をすくめた。

「こんなところに街なんてあるのかね? ワシら騙されておらんか?」

「いやいや、そろそろ近そうですぞ。見てみなされ」

 ハーグルンドは土手にちらほらと咲いている花を指さした。

「ふんっ! 川が流れてれば花ぐらい咲くじゃろ」

 国王は鼻で笑う。しかし、進むにつれて花々は次第に大きくなり、密集して広がり、ついには見渡す限り目にも鮮やかな花畑に変貌した。

 砂漠のど真ん中に現れた壮麗な花畑。それは、見たことも聞いたこともない圧巻の絶景で、国王は圧倒され、戸惑いを隠せなかった。

 やがて、船が大きくカーブして湖に入っていく。

「はぁっ!?」

 国王は目を見張り、言葉を失う。湖上にそびえる白亜のビル群、巨大なセントラルとロッソは、圧倒的な異次元の迫力を持ち、国王の心に深く刺さった。いままで大陸一の大都市と自慢だった石造りの王都ですら、この湖上のビル群を見てしまうと色あせてしまう。

「ほほう、これは予想以上ですな……」

 話には聞いていたものの初めて見たハーグルンドは、ヒゲをなでながら感嘆の声を上げる。

「ちょ、ちょっと待て! これがあの小娘の作った街か? ありえんぞ!」

 国王は気色ばんで叫んだ。

 砂漠のど真ん中にいきなり現れた未来的な水上の街、それはまるで宇宙人が作り上げたかのような異質さで、とても十五歳の少女が作れるようなものではない。

 国王は夢か幻かと疑い、自らの頬をつねるも、目の前の壮大な未来都市は現実そのものとして迫ってくる。ゾワっと全身に鳥肌が立ち、国王は自分たちが築き上げた国や社会が根源から揺らぐような恐怖に襲われた。

『なるほど、ハーグルンドが脅威だと考えた理由がよく分かった。これは危険じゃ』

 国王は冷汗を流しつつ、この壮大な花の街とどのように共存すべきか懸命に考えてみる。しかし、自分たちが築いてきた世界観がここでは全く役立たないだろうという思いに胸が苦しくなっただけだった。十五歳の少女が創り出した街は、自分たちの旧態依然とした街とは別次元であり、まるで別の宇宙が広がっているかのようにすら感じられる。

 やがて、先の土手の上に、ビルのような巨大な人形が立ち、多くの人たちが待ち構えているのが見えてきた。

「な、なんじゃあれは……?」

 すると、その巨大な人形がいきなり動き始め、巨大な樽のようなものを棒で叩き始める。

 ドン、ドン、ドン! パァーー! パパッ!

 いきなり始まった吹奏楽の演奏。土手に並んだ自警団のメンバーがそれぞれに楽器を持って軽快なJポップミュージックメドレーを奏ではじめたのだ。

 国王は巨大人形の動きにも驚かされたが、聞いたこともない旋律のメロディーに心が動かされ、体が勝手にリズムを取り始めてしまったことにもがく然としてしまう。

 もちろん、この世界にも騎士団などが楽団を持っていたりもするが、基本的にラッパを単調に吹くだけのもので、こんな華やかさなど全くない。

「こりゃぁたまげた。立派なものですなぁ」

 ハーグルンドはニコニコとしながら手拍子をする。

 ファニタが工夫を凝らして作り上げた楽器群を、自警団は夜な夜な練習してきたのだった。演奏そのものは高校生バンドのようでまだつたないものではあったが、それでもJポップの軽快なサウンドは異世界の人たちの心をぐっとつかんでいた。

 船がはしけに近づくと、ぶわっと盛大な花吹雪が辺り一面を覆う。ヴォルフラムが風魔法で花びらを舞わせたのだ。

 赤、青、黄色の花びらが空を覆う中を、国王は神妙な面持ちで下船する。こんな歓迎方法は、聞いたこともなかったのだ。

 国王たちが上陸すると、演奏が終わる。盛大な拍手が巻き起こり、最後に巨大な雷がピシャーン、ドン! ドン! ドン! とセントラルの避雷針に次々と落ちたのだった。

 その、腹の底にまで響く激しい雷鳴に国王は唖然とし、言葉を失う。タイミングよく正確に落とされた雷、それは明らかに人の手によるもので、こんな雷を軍隊に次々と落とされたら一瞬で全滅してしまうだろう。

 文化、技術、軍事、全ての面でセント・フローレスティーナは圧倒的だった。ハーグルンドが国を守るために国交を持った、という意味が痛いほどわかってしまう。確かにまだ人口そのものは少ないだろうが、ここに移住したい者がすぐにあふれるだろう。王都からここに来たいものはいくらでもいるが、逆はどうだろうか?

 国王は改めてこの街がへーリング王国の存亡に関わることを実感し、湧き上がってくる嫌な汗を力任せにゴシゴシとふき取った。

 セントラルの応接間に通された国王たちは背後に騎士たちを立たせ、席に着いた。

 応接間はオディールが外資系金融企業のオフィスを参考にしたインテリアになっている。大きな無垢材を組み合わせたテーブル、高い天井から吊り下げられた丸く大きな魔法のランプ。そして、壁に配された高級な間接照明。その見たこともない洗練された異質なインテリアにみんな居心地の悪さを感じ、互いに困惑した表情を交わした。

 ガチャリ。

 奥のドアが開かれ、純白の礼服に身を包んだオディールがにこやかに挨拶しながら入ってくる。丁寧に編み上げた金髪にはティアラが光り、彼女の若々しい美しさが、まるで花が咲いたかのように部屋を明るく彩った。

「遠いところをありがとうございます。セント・フローレスティーナへようこそ」

 ケーニッヒやレヴィアもオディールに続いた。

 騎士の面々はケーニッヒの登場にゴクリと唾をのみ、冷汗を浮かべる。すでに彼の【瞬歩】の間合い内なのだ。次の瞬間、いつ彼に斬られていてもおかしくない。そしてそれを避ける方法がないことは騎士たちに異常な緊張を強いた。

 ケーニッヒはそんな騎士たちの緊張を知ってか知らずか、鋭い視線で騎士たちを見回す。

 国王は立ち上がり、テーブル越しにオディールと握手を交わした。

「お久しぶりです。お元気そうで何よりですわ」

 オディールはニッコリと笑う。

「少し見ぬ間にお美しくなられましたな。この度は愚息が迷惑をかけた」

 国王はこわばった笑顔でオディールに目をやった。

「若いのですからある程度のヤンチャは仕方ないかと思いますけど、度が過ぎてると思いますわ」

「ワシからもキツく言っておく。それで……【廃嫡】の条件は何とかならんだろうか?」

 オディールはキュッと口を結んだ。身の安全を考えればこの条件は譲歩できない。

「彼が力を持っている限り、また同じことを繰り返しますわ。メンバーの間では処刑すべきという意見もありますのよ?」

「しょ、処刑!? それは……戦争になっても構わんということか!?」

 国王は【覇王】のスキルを放った。ズン! という衝撃音と共に精神を支配する圧倒的な【威圧】をオディールに繰り出し、その凄まじい眼光で睨みつける。全身からは紫色のオーラが立ち上り、騎士たちはガタガタと震えた。

 オディールは秘かに自分の手の甲をつねった。その痛みですさまじい威圧にひるむことなく正気を保ち、あえてニコッと笑う。威圧が来ることは織り込み済みであり、レヴィア相手に何度も練習していたのだった。

「戦争になったら王都は火の海になりますわ。それでもやりますの?」

「ひ、火の海……だと……? 貴様ぁ!!」

 さらに激しくオーラを放つ国王。

「降りかかる火の粉は払わねばなりませんわ」

 オディールは激烈な威圧になんとか耐えながら、キッと鋭い視線で国王をにらむ。

 ケーニッヒはいざと言う時に備えてすっと剣に手を伸ばし、それに呼応して騎士たちも臨戦態勢に入る。

 応接室の空気は凍りつくほど緊迫し、一触即発の危うさが部屋全体を圧迫する。

「まあまあ、お二方。ここは和解の場、煽るような言葉は慎んでいただけますかな?」

 慌ててハーグルンドが間に入った。

 二人はしばらくにらみ合ったものの、深刻な事態は避けたいという思いは同じだった。双方とも視線をそらし、大きく息をつくと、席に着く。

 その場にいた者たちも緊張から解放され、深く息をついて臨戦態勢を解除する。

 また、国王の威圧を感じながらも決してひるまないオディールに、訪問者たちは一様に感服した。それは、彼女は単なる幸運でここにいるわけではなく、本物の領主の資質を持っているのだという証明でもあったのだ。

 ここから長く激しい協議が続くことになる。最終的に調印に至ったのは夕方だった。


        ◇


「それではヴィルフリート・ヘーリング王子を解放しますわ」

 オディールが手を上げると、ガチャリとドアが開き、自警団に連れられて王子が入ってくる。王子はビクビクしながら周りを見回すと、バツが悪そうに国王を上目づかいで見た。

「このバカ息子が!」

 国王はドタドタッと駆け寄ると、王子のほほを力いっぱい張り倒す。

 パァン! という音が部屋に響きわたる。

 オディールは渋い顔でその様子を眺め、重いため息をついた。始めからこうやって教育しておいてくれたら、こうした煩わしい事態には陥らなかったはずなのだ。

 その後、王子は滔々(とうとう)とお小言を食らい、最後に国王に廃嫡を告げられると、ピクッと頬を動かし、ため息を漏らしながら肩を落とした。

「晩餐の用意ができております。よろしければこちらへ……」

 オディールが声をかけた時だった。

「こんの小娘がぁぁぁ!」

 王子は急に激昂する。【英雄】スキルのバフを自分にかけ、身体を黄金色に光り輝かせるとオディールに殴りかかった。

 その素早い身のこなし、眼にもとまらぬ速さの(こぶし)に、その場にいた者は皆悲劇の予感に凍り付く。

 キャァッ!

 オディールの悲鳴が部屋に響いた直後、

 ドスッ……。と、何かが床を転がった。

 それは長細い肉の塊……、王子の右腕だった。
 う、うぎゃぁぁぁ!

 鮮血を吹き出す肩口を押さえながら苦悶の表情を浮かべ、王子は地面へと崩れ落ちる。

「次は、首を落とします……。いいですね?」

 ケーニッヒは冷たい視線を王子に投げかけながら、カチッと剣をさやへと収めた。

 剣聖の凄まじさをまざまざと見せつけられた騎士たちは、恐怖に打ち震える。ケーニッヒが動いたことも見えなかったし、どうやって斬ったのかも分からなかったのだ。

 王子は涙目でケーニッヒを見上げ、ブルっと体が震えた瞬間、貧血で意識が途絶えて床に倒れ伏す。

「医療班! 急いで!」

 オディールは青い顔をしながら叫んだ。速やかに対応すれば、腕を元通りにすることができるかもしれない。

 ドヤドヤと入ってきた医療班のメンバーが聖水を使った治療を続けていくのを眺めながら、国王は王子の愚行に頭を抱え、言葉を失っていた。


       ◇


 王子の治療は上手くいったもののしばらくは安静ということで、晩餐会は中止となった。国王とハーグルンドは軽食ののち大浴場に案内される。

 夕暮れの中、ロッソは聖気を噴き出して火山のような輝きを放ち、湖には聖気の粒子が蛍の群れのように煌めいている。空には天の川がくっきりと輝き、聖気の煌めきと共に光のシンフォニーを奏でていた。

 二人はそんな幻想的な光景に驚嘆の表情を浮かべながら、そっと浴槽に浸かった。

「ハーグルンドよ、あの娘をどう見る?」

 国王はジャバジャバと顔を洗う。

「いやぁ、あれは相当な(タマ)だと思いますな。王の威圧に耐えられる者はそうはおらんでしょう。なぜ……、追放などされたのか?」

「あのバカ息子に任せておったのじゃ。公爵も見ぬけなかったのだから仕方ない」

 国王は重いため息を吐きながら、無力感に満ちた顔で首を振った。

「この機会に国交を結ばれてはどうですか? はっはっは」

 ハーグルンドは楽しそうに笑う。しかし、国王は押し黙ったままだった。

 聞けばこの街には貴族制が無いらしい。このまま発展していけば大陸一の都市となるのも時間の問題だ。平民だけの街が大陸一になれば貴族の支配する王都は維持できない。革命が起こって王家断絶まで行ってしまうかもしれないのだ。革命にならなかったとしてももはや貴族制は維持できないだろう。そうなれば伝統あるハーグルンド家は没落必至である。

「……。あ奴は……」

「あ奴は?」

 国王は大きく息をつくと、絞り出すような小声で言う。

「あ奴は危険じゃ。何とかせんとならん。手伝ってはくれぬか?」

 ハーグルンドを見つめる目に滲む邪悪な光は、心を凍りつかせるほどの冷酷さを秘めていた。

 ハーグルンドは背筋にゾクッと寒気を感じる。国王はオディールを暗殺するつもりなのだ。先ほどケーニッヒに息子の腕を斬られたというのに、懲りもせず命を狙う国王にハーグルンドはきな臭い破滅の匂いを嗅ぎ取った。

「いやいやいや! うちは協力できませんな。そりゃ、こんな恐ろしい国、なくなってくれた方が大陸のためでしょう。ですが、無理です。やるのは止めないですが、協力はできませんな」

「そうか……」

 国王は浴槽の中でチラチラと光を放つ聖気の微粒子を眺めると、バシャッとまた顔を洗う。

 やらねばやられる……。

 キラキラと輝きを噴き上げるロッソを見る国王の瞳には、(くら)い決意が宿っていた。


           ◇


 数か月後――――。

「ねぇ、明日はサンドイッチでいいかなぁ?」

 オディールは久しぶりの休日をミラーナとのピクニックで過ごそうと、ウキウキしながら準備を進めていた。

 ロッソのふもとに綺麗な花の咲く丘が現れていて、そこに案内すればミラーナはきっと喜んでくれるに違いない。また花冠を編んだり、他愛のない話でもして日ごろの疲れをいやそうとオディールは考えていたのだ。

 その様子を見たミラーナは、申し訳なさそうな顔をして手を合わせる。

「ごめーん、明日は私、ちょっとダメになっちゃった」

 え……?

 予想もしなかった返事に、オディールは思わず持っていたパンを落としてしまう。

 ポンポンと床にバウンドしたパンがコロコロと転がった。

「ど、どういう……こと? 前から約束……してた……よね?」

 オディールはこわばった笑顔でミラーナに詰め寄る。

「ローレンスがね、有名なドレスデザイナーを呼んで、ドレスの採寸をしてくれるんだって」

 ミラーナは目をキラキラ輝かせながら手を組んだ。

「そ、それは明日じゃなくてもいいよね?」

「それが明後日には帰っちゃうんだって。ごめんね」

 オディールは呆然として首を振る。ミラーナが自分から離れていってしまう、それはオディールの心に受け入れがたい痛みを刻んだ。

「な、なんでそんな約束しちゃうのさ! 約束は僕の方が先だよ?」

「だからゴメンって言ってるわ! オディとはいつも一緒なんだからたまには他の人と会ったっていいじゃない!」

 ミラーナは不満げな表情で言い返した。

「い、いつもって何だよ! ピクニックは初めてじゃないか!」

「私はあなたのママじゃないのよ? たまには自由にさせて!」

 ミラーナは鋭い視線でオディールを貫く。それは今まで見せたことのない毅然とした否定だった。

 オディールはわなわなと身体を震わせる。まさか自分がここまで拒絶されるとは夢にも思っていなかったのだ。

 もちろん、ミラーナは自由だ。オディールには彼女を縛り付けることなどできない。その無力感がいっそう悲しみを加速させる。

「な、何? ミラーナは僕より……ローレンスの方が大切なんだ?」

「い、いや、そういうんじゃない……」

「もう知らない! ミラーナのバカーーーー!」

 オディールはテーブルのピクニック用具を全部床にぶちまけ、大声で叫ぶ。そして、自室に駆け込み、バン! とドアを壊さんばかりの勢いで閉めた。

 ピクニックを楽しみにしていたのは自分だけだったのだ。オディールは、悲しみに打ちひしがれてベッドに倒れ込む。

 いつも一緒だったミラーナが自分との約束を捨てて男の元へと行ってしまう。それはオディールに胸が張り裂けるような苦痛をもたらし、毛布の中で大粒の涙がポロポロととめどなくこぼれた。

 一体自分は何のためにこんな街づくりをしてきたのだろうか? ミラーナを失ってしまったらもう何の意味もない。オディールは絶望に打ちひしがれ、シーツが涙で濡れていくのを止められなかった。

 その晩、オディールが眠れぬ夜を過ごしていると、耳をつんざくような非常警報が部屋に鳴り響いた。

 ヴィーーン! ヴィーーン!

 セント・フローレスティーナに深刻な危機が迫っているという知らせだ。見過ごすわけにはいかない。

「よりによって、なんで今晩なんだよぉ……」

 オディールは腫れた目をこすりながら、重いため息をこぼし、ベッドから飛び降りると適当に上着を羽織った。

 部屋を出たが、隣室のミラーナが動いている気配は感じられない。ミラーナには招集義務はないので、問題はないのだが、オディールは寂しい想いを抱えて指令室へと急いだ。


         ◇


 指令室にはすでに自警団たちが集まっており、ケーニッヒとトニオが地図を指さし、深刻そうな顔をしていた。

「何があったの?」

「オディール殿、お休みのところ申し訳ない。東方に赤い狼煙ですが……そっちは延々と砂漠が続きその先は海。そちらから何かが来るとは考えにくいのですが……」

「そう? フローレスナイトを出そうか?」

「何を申されます! 領主殿は前線に出てはなりませぬ。ここは、それがしが見てまいりましょう」

 ケーニッヒはそう言うと、自警団から何名かを連れて、颯爽(さっそう)とした足取りで出ていった。

 オディールが窓から東を見つめると、遠くのやぐらで炎が燃え盛り、赤い筋が立ち上がっているのが見えた。

 その瞬く炎の明りにオディールはゾクッと寒気を感じる。かつて受けた破滅の予言が言い知れぬ恐怖と共にフラッシュバックしたのだ。オディールはあまりの息苦しさに思わず胸を押さえた。

 こんな時、ミラーナがいつもそばにいてくれたのに今は独りぼっち。心をえぐるような寂しさがオディールの細い胸を貫き、キュッと口を結んだ。

 やはり告白しておけばよかったのかもしれない。オディールの脳裏に後悔の念がよぎるが、同性愛の告白はリスクが高い。受け入れられなければ気持ち悪がられ、逃げられてしまう。そんなことになってしまったらもう生きていけない。そう考えると、どうしても踏ん切りがつかなかったのだ。

 ふぅと、大きく息をついて窓を閉めようとした時、オディールは西の地平線にも狼煙が上がっているのを見つける。

 は、はぁっ!?

 オディールは驚愕した。信じられないが、西からも侵入者が現れている。こんな状況に直面したことは今まで一度もなかった。

「西からも敵襲! た、大変だ!」

 突然直面した深刻な事態にオディールは恐怖に駆られ、声を裏返らせながら叫ぶ。

 作戦室に緊張が走った。ケーニッヒを始めとする主要メンバーは東へと出発してしまっている。西側へはどう対処したらいいのか対策が見つからず、室内はザワザワとし、不安が渦巻いた。

「何やっとんじゃ! 落ち着けぃ!」

 遅れてやってきたレヴィアは喝を入れる。

「あっ! レヴィちゃん!」

「いいから状況を説明せんかい!」

 説明を受けたレヴィアは地図を眺め、腕を組む。明らかに異常な敵の動き。これをどう考えたらいいのかレヴィアにもピンとこなかった。

「仕方ない、我がちっくら見てこよう」

 どんな敵が来ているかが分からないと対策の打ちようもない。レヴィアはピョンと窓枠に飛び乗ると、そのまま夜空へとダイブしていった。


       ◇


 その頃、卵型ゴーレムに乗り、東のやぐらを目指していたケーニッヒたちは怪しい魔道トラックを見つける。

 魔道トラックは月夜の花畑の中を爆走していたが、ケーニッヒたちを見つけると急に進路を変え、一目散に逃げ始める。

「あ、逃げるぞ!」

 後を追おうとするトニオだったが、ケーニッヒは違和感を覚えた。その姿にはどこか誘っているニュアンスが感じられたのだ。

 ふと、街の方を振り返ったケーニッヒは西の方でも狼煙が上がっているのを見つけ、唖然とする。

 そしてその瞬間、敵の本当の目的に気がついたのだった。

「マズい! 狙いは領主殿だ!」

 ケーニッヒは急いで反転し、全速力でゴーレムを駆って花畑を突っ走った。


       ◇


 同時刻、指令室――――。

 黄金色の淡い光をまといながら西のやぐらへと飛んで行くドラゴンを目で追いながら、オディールは言いようのない不安に包まれていた。

 深夜に東西から同時攻撃、それは手練れの軍師の策略の臭いがする。一体目的は何か……。

 直後、ガシャーン! ガシャーン! と、窓ガラスを割る音が室内に響き渡った。

 屋上から特殊部隊が次々と指令室になだれ込んできたのだ。

 キャァッ! うわぁぁぁ! ひぃぃぃ!

 慌てて逃げようとしたものの、出入り口はすでに剣で武装した黒づくめの男たちに固められ、逃げ場などなくなっていた。

 オディールは顔面蒼白となり、ガタガタと震える。そう、目的はここだったのだ。高度な隠ぺい魔法で屋上に潜み、ケーニッヒたちを引きはがす。それは敵ながらあっぱれな作戦だった。

 オディールは部屋の片隅に放置されていた古びた剣を握りしめ、敵に対峙する。しかし、剣を練習したことすらない彼女にとって、それは単なる虚勢にしか過ぎない。オディールの運命はもはや、風に揺らぐか弱い灯火のように消えかかっていた。

 いきなり訪れた絶望。オディールの心臓は早鐘を打ち、破滅の預言を回避できなかったことに深い無念さが胸を穿(うが)った。
「観念しろ! オディール。ここじゃお前の【お天気】スキルも使えまい」

 ボスの男が勝ち誇ったように口を開く。その声は忘れもしないオディールの父、公爵の声だった。

「お、お父様……?」

 オディールは驚きのあまり口を開けたまま言葉を失った。

「お前のおかげで王都は今、大騒ぎだ。お前を何とかしないと由緒ある公爵家はおとりつぶし……。親の責任としてお前を処分する」

 公爵は幅広の大きな剣をギラリと光らせながらオディールに向けた。

「な、何を言うんだ! あんたが勝手に追放したんだろ!」

「とは言え俺も親だ。お前に選択肢をやろう。奴隷契約をするか……、今ここで死ぬか……だ。どっちがいい?」

 公爵は傲慢な笑みを浮かべながらとんでもない条件を提示する。しかし、囲まれて逃げられないオディールには他に選択肢などなかった。

 目をギュッとつぶり、しばらくうつむいていたが、絞るように声を出す。

「ど、奴隷になったら……どうなるの?」

「この街は公爵領とする。お前は雨降らし担当としてこき使ってやる」

 ドヤ顔の公爵をにらみながら、オディールはギリッと奥歯を鳴らした。

 奴隷契約は魔法による厳正な契約であり、主人の言うことに逆らうことはできなくなる。一生いいように使われてしまうだろう。しかし、殺されてしまう訳にもいかない。

「ミ、ミラーナはどうなるの?」

「あいつか。奴も同罪だな。性奴隷にしたら高く売れるだろう」

 公爵がいやらしい笑みを浮かべるのを見て、オディールは身体中に怒りの炎が燃え上がるのを感じた。

「ふざけんな! 死んでもお前になど屈しない!」

 金髪を逆立て、鬼のような形相で絶叫するオディール。

 そんなオディールを公爵はつまらない物を見るような目で眺める。

「ほーん、なら死ね」

 公爵はすっと手を上げる。それを見た弓兵たちがクロスボウを構え、ガチャリと安全装置を外した。

 オディールは剣を構えてはみたものの、この距離ではとても避けられない。

 くっ!

 自分の選択は間違っていない。ミラーナを性奴隷にするなど、死んでも選べる選択肢ではないのだ。オディールはギュッと剣を握り、公爵をにらむ。まさに絶体絶命の危機に追い込まれ、早鐘を打つ心臓の鼓動がうるさいほど耳に響いていた。

 公爵はそんなオディールを鼻で笑うと、すっとオディールへ向けて手を降ろす。

 刹那、バシュッ! バシュッ! と弓が鋭く光りながらオディールに向かって無慈悲に光跡を描いた。

 その時だった。

「だめぇ!」

 ミラーナが覆いかぶさるようにしてオディールに抱き着く。

 壁にそっと穴を開け、様子をうかがっていたミラーナは最後の瞬間に飛び出し、身を挺してオディールをかばったのだった。

 ズスッ!

 鈍い音を立て、矢じりはミラーナの背中を貫く。

 ぐふっ!

 血を吐きながらオディールの上で痙攣(けいれん)するミラーナ。

「ああっ! ミラーナ!!」

 あまりのことに気が動転するオディールのほほに、ミラーナはそっと手を添える。

「約束……守らなくて……ごめんね……」

 息も絶え絶えに言葉を絞り出したミラーナは最後の瞬間にかすかな笑顔を見せ、ガクッと崩れ落ちた。

「ミ、ミラーナ……? ねぇ! ミラーナぁ!」

 オディールはミラーナを揺らすが、ミラーナに力は戻って来ない。

 どうしようもなくあふれてくる涙。

「え……、ちょっと……、嫌だよぉ! ぐわぁぁぁぁ……」

 半狂乱になったオディールの絶叫が部屋に響き渡る。

 オディールにとって、ミラーナと過ごす花の都での幸せな日々こそが全てだった。その大切な全てが失われていく。ミラーナがいない人生には何の価値もない。夢や希望、人生そのものがガラガラと音を立てて崩れ去っていく音が、オディールの中に響きわたった。

「ふん! 馬鹿なメイドだ。そんなことしても結果は変わらんぞ」

 公爵は鼻で笑うと、剣をブンブンと振りまわしてオディールにツカツカと迫る。

「貴様ぁーーーー!」

 オディールはキッと公爵をにらみ、右手を公爵に向けてブツブツと祭詞を唱えた。

「はははっ! 建物の中では【お天気】など何の意味もないぞ」

 公爵は笑ったが、直後、隕石が落ちてきたような激しい衝撃が天井に響いた。

「え?」「は?」

 公爵たちはけげんそうな顔をして天井を見る。

 衝撃はさらに次々と続き、強く激しく天井を穿ち続け、ベキベキと音をたてながら亀裂が広がっていく。

「ま、まずい! 逃げろ!」

 公爵は叫んだが、直後天井は崩落し、一メートルはあろうかという巨大な雹が次々と土砂崩れのように部屋になだれ込んでくる。

 ぐわぁ! ひぃ!

 逃げ惑う公爵たち。

 オディールは混乱の中、必死にミラーナを引きずって崩落してきた屋根のガレキの陰に逃げ込んだ。

 やがて雹は止み、月明かりにグチャグチャになった部屋が照らし出される。