「ちょ、ちょっと! 何すんだよ!」
オディールが怒ると、レヴィアは悪びれもせず満足そうに伸びをする。
「あぁ、いい湯じゃ!」
まるで小学生のようなドラゴンの自由奔放さに二人は呆れ、ため息をついた。
オディールがジト目でレヴィアを見ていると、星明りの中、どうも何かがヒラヒラして見える。
「あれ? レヴィア、何着けてるの?」
「何って? 服じゃよ」
なんと、レヴィアは服のまま飛び込んでいたのだ。
「服のまま入るバカがいるかよ!」
頭にきたオディールはレヴィアにつかみかかり、服をはぎ取ろうとする。
「何すんじゃ! エッチ!」
レヴィアは暴れ、逃げ回る。
「いいから脱げーー!」
怒って追いかけるオディール。
「ヤなこった!」
レヴィアは両手でお湯をバシャバシャとオディールにぶっかける。
「やったな! このぉ!」
応戦するオディール。浴槽は二人の掛け合うしぶきでグチャグチャになった。
「ちょっと、止めて!」
ミラーナは怒るが、二人は熱くなってお湯のかけ合いはヒートアップする一方だった。そのうち、流れ弾がミラーナを直撃し、ミラーナの堪忍袋の緒が切れる。
「止めてって言ってるでしょ!!」
絶叫するミラーナ。
あまりの剣幕に二人は凍り付く。
ふぅふぅというミラーナの荒い息がその場を支配した。
「……。風呂では、はしゃがない。分かったわね?」
低い声でミラーナは諫める。
「はい……」「分かったのじゃ……」
二人はお互いをジト目でにらみながら答えた。
◇
家に戻るとヴォルフラムは毛布にくるまっていびきをかいていた。
「じゃあ、我も寝るわ。おやすみちゃーん」
レヴィアはそう言いながらあくびをし、毛布をもって二階へと上がって行く。
「じゃあ、僕らも寝ようか?」
歯ブラシをくわえながらオディールはミラーナに聞いた。
「そうね、今日はいろいろあって疲れちゃった……」
「ほいほいっと……、あれ……?」
オディールはマジックバッグから毛布を出そうとしたが、三枚しか買っていなかったことを思い出す。
「あちゃー……」
「どうしたの?」
「ゴメン、毛布足りなかった……」
「あら、でも一緒に寝ればいいじゃない」
ミラーナはニコッと笑う。
「い、一緒!?」
さすがに十七歳の少女と一緒に寝るのはマズいだろう。オディールは両手をブンブンと振って後ずさる。
「あら? 私と寝るの……嫌なの?」
ミラーナはオディールを寂しそうな目で見つめる。
「そ、そ、そ、そ、そんなことないよ。いやでもほら、僕、寝相すっごく悪いからさ」
オディールはうつむき、真っ赤な顔を隠しながら必死に言い訳をする。
「寝相は私も悪いから……。毛布なしじゃ寒いわ。二人で温め合お?」
ミラーナはオディールの手を取る。その柔らかな温かさにドキドキが止まらなくなるオディール。
「ま、まぁ、そうだけど……」
「じゃ、行こっ」
ミラーナはオディールの手を引き、階段を上っていく。
「あっ、ちょっ……」
オディールは早鐘を打つ心臓を押さえながら、引かれるままについていった。
三階にはさっき作っておいた玉砂利のベッドがある。ビー玉サイズの石のプールだ。寝心地は実に快適ではあるが、それでも毛布がないとさすがに寒い。
「さぁ、寝るわよー」
ミラーナは玉砂利をジャラジャラ鳴らしながら飛び込んで、隣をポンポンと叩きながら嬉しそうにオディールを誘った。
「う、うん……」
オディールは、『い、妹と寝るようなものだと思えばいいな。手を出さなきゃいいだけだし、うん』と、一生懸命自分に言い訳しながら、恐る恐る隣に横たわった。
「はい、どうぞ」
ミラーナは毛布をオディールにかけようと、オディールの上に覆いかぶさる。風呂上がりの黒髪がオディールの真っ赤な頬をなで、ふわっと湯上りの甘い香りが鼻をくすぐった。
『くぅっ! 妹、妹!』
オディールは目をギュッとつぶって何とか平常心を保とうと頑張る。
そんなオディールの気持ちをぶち壊すように、ミラーナは
「玉砂利って冷たいわね……。ねぇ、もうちょっとこっち来て……」
と、オディールに抱き着き、引っ張る。
『あひぃ……』
ふわふわと柔らかく温かいミラーナの身体にオディールは目がグルグルしてしまう。
「ふふっ、オディ、温かいわ……」
ミラーナはオディールの腕に抱き着いて幸せそうに言った。
オディールは深呼吸を繰り返し、頑張って返す。
「ミ、ミラーナも、あ、温かいよ」
「私、誰かと寝るの初めてかもしれない……」
ミラーナはポツリと言った。
え?
「そうよ? オディが初めて……」
愛し気な瞳でミラーナはオディールを見つめる。
オディールはゴクリと唾をのんだ。
「ぼ、僕がイケメンの金持ちだったら良かったのにね」
目を逸らし、平静を装うものの声が上ずってしまうオディール。
「うーん、そういうのってピンとこないのよね……」
意外なミラーナの返しにオディールは首をかしげる。女の子というのはイケメンに魅了される存在ではなかっただろうか?
「イケメン……、嫌いなの?」
「男の人ってなんか怖いのよね……。会うと必ず胸を見てくるのよ、あの人たち」
おうふ……。
オディールは思わず変な声が出た。
ミラーナは怒気のこもった声で続ける。
「なんだろうね? こっちが分かってないとでも思ってるのかしら?」
自分も昔、胸の大きな人と会うとつい目が胸に引き寄せられていたのを思い出し、冷や汗をかくオディール。
「あ、あれは……、本能……なんじゃないかな? 男は胸に吸い寄せられるようにできてるんだよ」
「あら? オディは男の肩を持つの?」
口をとがらせるミラーナ。
「と、と、と、とんでもない! 僕もたまにジロジロ見られて不愉快になってるんだから!」
冷や汗を流しながら必死に否定するオディール。
「不愉快よねぇ……。オディがあの王子と結婚しなくてホッとしたわ」
え?
「あの王子、私の胸ジロジロ見てたのよ。相当スケベよアレ! あんなのにオディが穢されなくてよかった……」
ミラーナはそう言うと、オディールを自分の世界に引き込むかのように、全身を使って覆いかぶさりながら抱きついてきた。
『おほぉ……』
オディールはミラーナの甘い香りの漂う中、その温かくやわらかい肌の感触に包まれ、視界がふわふわと揺らいでしまう。
「オディ、温かいわ……」
『いやちょっと、これ、どうすんの? え?』
身体も男だったら完全に落ちていたが、幸い自分は女である。そもそも落ち方も分からない。
『これって、そういうこと? いや、しかし、でも……』
オディールは混乱の極みにあった。
どうしたらいいか必死に考えていると、スースーと寝息が聞こえてくる。
「あれ……? ミ、ミラーナ?」
恐る恐る声をかけてみるが、何の反応もなく、ただ穏やかな寝息が聞こえるばかりである。
なんと、ミラーナはオディールの上で幸せそうに寝てしまったのだ。
『なんだよぉ……。く、くぅぅぅ……』
オディールはギュッと目をつぶり、持て余した気持ちに苛まれる。
よく考えればこれは自分を慕ってくれている少女の純粋なスキンシップであり、それ以上を求めている訳じゃないのだ。
重いため息を一つ押し出し、そっとミラーナを隣に下ろすと、じっとその安らかな顔を見つめた。
きめ細やかな滑らかな肌に流れるような鼻筋、美しくカールしたまつ毛、こんな美しい少女が自分を慕い、無防備に寝ている。それはなんだかとても幸せな奇跡に思えた。
オディールは心が温まる幸せの灯火に照らされて、自然と顔がほころんでいく。
ミラーナにかかる毛布を整えると腕にそっと抱き着くオディール。
柔らかく温かい……。
じんわりと伝わってくるそのぬくもりに癒され、ゆっくりと眠りの世界へと引き込まれていった――――。
◇
「オディ! 起きて! 大変よ!」
ミラーナに叩き起こされて、オディールは寝ぼけ眼をこすった。
薄暗いがらんとした丸い部屋、オディールは一瞬自分がどこにいるのか思い出せず、ポカンとしながら辺りを見回す。
「外見てよ! ほら!」
窓から差し込む朝日がパジャマ姿のミラーナを鮮やかに照らし、まるでスポットライトのようにミラーナの美しさを際立たせている。
おぉ……。
偶然生まれたそのアートにオディールは息を呑み、その美しさに一瞬動きを止めた。
「もう! 早く、早く!」
しびれを切らしたミラーナはオディールの手を引っ張って窓に連れてくる。
「はいはい、なんだよもぅ……。ふぁーーぁ……。へっ?」
あくびをしながら外をのぞいたオディールは驚きで固まった。なんと、限りなく広がる花々の海が広がっていたのだ。赤、青、黄色の大小さまざまな花たちが朝日に輝き、まるで天上の景色が地上に現われたかのようだった。
はぁっ!?
オディールはいっぺんで目が覚め、窓から身を乗り出して辺りを見回した。巨大なロッソは朝日を浴びて黄金色に煌めき、昨日と変わらぬ静寂を纏っている。場所は昨日と同じだったが、ひと晩で砂漠が一面の花園へと生まれ変わっていた。
「な、なんだよこれ……」
オディールはパジャマのまま、慌てて階段を転がるように駆け下り、外に飛び出す。
そこには黄色い菊にタンポポ、純白の百合、空のような深い青色のネモフィラ、情熱を込めたような真紅のポピーなど、さまざまな花々が一斉に咲き乱れ、朝日に輝き揺れていた。それもみんなサイズが異常にでかい。タンポポなど手のひらサイズもある。
オディールが困惑し、立ち尽くしていると、レヴィアがポンポンと肩を叩いた。
「お主の昨日の雨で咲いたんじゃ」
「雨で?」
「砂漠ではたまに降る雨に合わせて一斉に花を咲かせることがあるんじゃ」
「いやいや、一晩じゃ咲かないでしょ? さすがに」
「んー、まあ、そうなんじゃが……。あれを見てみぃ」
レヴィアは困惑気味に微笑むと、ロッソを指さした。
え?
朝日に輝くロッソだったが、よく見るとキラキラと煌めく黄金色の微粒子を上の方から吹き出している。
「龍脈じゃな。大地を流れる聖気が昨日の豪雨で活性化され、ロッソから溢れ出しているようじゃ」
「あれ全部聖気!?」
オディールは目を大きく見開いて驚く。聖気というのは聖女が治癒などに使う奇跡の力であり、生命力の根源に連なる貴重な力とされていた。
「そうなるのう。あれでこの辺り一帯の生物は異常に活性化され、流れる水は全部聖水になっておる」
言われてみると、オディール自身も体が軽く、湧き上がる活力を自分の体中で感じることができた。
「これ……、とんでもない事……じゃない?」
オディールは花畑を見回し、砂漠を一晩で見渡す限りの花の海にしてしまったその圧倒的な聖気に気おされる。
「そうじゃな、大聖女一万人分くらいのとてつもない聖気じゃ。我もこんな現象は生まれて初めてじゃよ」
「一万人!? うはぁ……」
世紀の大発見の圧倒的な規模に、オディールは言葉を失い、首を振りながらただただ感嘆の息をついた。
「オディーー!」
声の方に目をやると、花畑の中に立つミラーナが爽やかな朝の風を浴びながら、楽しそうに大きく手を振っている。朝日で黒髪をキラキラと煌めかせながら、その手には美しい純白の百合を優雅に持ち、はつらつとした笑顔からは幸せが溢れていた。
お、おぉ……。
その刹那、雷が落ちるような衝撃とともにオディールに一つのビジョンが舞い降りる。天啓のように示されたビジョン、それは楽しそうなミラーナと一緒にこの花畑で幸せに暮らすイメージだった。そう、この花畑こそが旅の終着地『目的の地』だったのだ。
「そ、そうか!」
オディールはギュッとこぶしを握った。
この奇跡の地こそが求めていた新天地であり、ここでミラーナと暮らすことが自分の生きる道だとオディールは確信を持つ。転生後、長い間もやもやとまとわりついていた霧がすっと消え去り、あるべき人生の姿にようやくたどり着いた瞬間だった。
思わず一筋の涙が頬を伝い落ち、ミラーナが涙に霞んで見える。
「そうだよ……、ここでミラーナと……」
オディールは無心に花畑の中を駆け出す。
「ミラーナーー!!」
朝日に煌めく花々をかき分けながら、オディールは一直線にミラーナに飛び込んだ。
きゃぁ!
オディールのあまりの勢いに倒れそうになるミラーナ。
オディールははぁはぁと肩で息をしながらギュッとミラーナを抱きしめる。
「あらあら、どうしたの?」
ミラーナはふぅと息をつくと、優しく微笑みながらオディールの背中をポンポンと叩いた。
「ここ、ここだよ……」
「え?」
「ねぇ、ミラーナ。ここで暮らそ?」
オディールはバッと顔を上げると、流れる涙を拭きもせず、溢れてくる想いそのままに伝えた。
「ここ……?」
オディールは澄み通る碧眼でミラーナをまっすぐに見つめ、情熱を込めて口説く。
「そう、ここ。ここで畑を耕して、美味しいもの作って花に囲まれて暮らそ?」
「ここ、ねぇ……」
ミラーナは朝日に輝く花畑を静かに一望するも、あまりピンと来ていない様子で首をかしげる。
「お店も何もないド田舎じゃない。旅で来るのはいいけど住むとなるとねぇ……」
「じゃ、こうしよう。ここに街を作るんだ、花の都にしよ?」
「花の都……? 本気?」
ミラーナは呆れたように眉間にしわを寄せ、オディールの顔をのぞきこむ。
「本気、本気! 大本気だよ!」
オディールは真剣な目でミラーナの手をギュッと握った。
砂漠のど真ん中に街を築くという荒唐無稽な発想に、ミラーナは面食らい、思わず宙を仰ぐ。
王都を始め、街というのは歴史の中で長い時間をかけて育っていくもので、そんな簡単に作ろうと思ってできるようなものではないのだ。
でも……。
ミラーナはどこまでも広がる煌びやかな花の海に目をやる。
『こんな奇跡のような花畑にみんなが来てくれたらとても楽しいだろうな……』ミラーナはついそう思ってしまう。それだけロッソのもたらす聖気が起こした奇跡には魅力が詰まっていた。
ミラーナは口元をキュッと結んでじっくりと考え込み、オディールをちらりと見た。
「何て名前にするの?」
「な、名前?」
「そう、素敵な名前の街だったら……、いいわよ?」
小首をかしげ、朝の風に髪を躍らせたミラーナは、いたずらっぽい笑顔を向けた。
「な、名前かぁ……」
オディールは悩む。ありきたりなものではいけないし、かといって凝りすぎてもダメ。実に難題だった。
「聖なる巨岩、ロッソのおひざ元の花畑……。うーん、セント……、フローラル……、ディーナ?」
オディールは眉間にしわを寄せながら絞り出すように言った。
「ふふっ、一杯詰め込んできたわね……。音から行くと、セント・フローレスティーナ……かな?」
「ど、どう……かな? へへへ……」
ミラーナは幸せを灯すような笑顔で、無垢で純白の百合をオディールに向けて静かに差し出した。
えっ……?
「いいじゃない。住もっ、セント・フローレスティーナに」
「ほ、本当に……いいの?」
オディールは恐る恐る百合を受け取りながら、チラッと上目づかいでミラーナを見た。
「だって、こんな素敵なところ、私たちで独占するのはもったいないわ」
ミラーナは朝日に輝く花畑に向け、愛おしげに両手を大きく広げる。
「あ、ありがとう! 住もう! セント・フローレスティーナに!」
オディールはミラーナを抱き締めた。その甘美で柔らかな香りに包まれながら、オディールは新たな人生の幕開けを告げる鐘の音が鳴り響くように感じ、心は感動で溢れていった。
「きゃぁ! もうオディったらぁ」
きゃははは! ふふふふ。
二人はお互いを見つめ、愛おしげに笑いながら軽やかに舞い回った。
広大な砂漠の中に花の都を作るという壮大な挑戦は、一体どんな景色を見せてくれるのだろう。
花咲き乱れる花畑で二人は見つめあい、まだ見ぬ花の都セント・フローレスティーナを思い描いてほほ笑みあった。
◇
ミラーナが作った岩のベンチに座り、ミラーナに教えてもらいながらオディールは華やかな花々を織り交ぜ、花冠を編んでいた。
「おーい、そろそろ朝飯にせんかー?」
レヴィアとヴォルフラムが手を振りながらやってくる。
「ねぇ、ちょっといいかなー? お願いしたいことがあるんだ」
オディールは手を大きく振って二人を迎えた。
キョトンとする二人に、オディールはセント・フローレスティーナについて熱っぽく語った。
「と、いうことで、ここに花の都を作ろうと思うんだけど……、手伝ってくれないかな?」
オディールは両手を組んで小首をかしげ、レヴィアとヴォルフラムに頼む。
「ここを街にすんのか!? カッカッカ! こりゃまた大きく出たな。じゃが……」
レヴィアは大笑いすると、渋い顔でヴォルフォラムと顔を見合わせた。旅をするという話から街を作るという話には大きな飛躍がある。
「頼むよ。ここはさ、街になるべきなんだ。ロッソの偉大な恵みは多くの人で分け合わないともったいないよ」
オディールは青く澄んだ瞳を潤ませながら頼み込む。
レヴィアは大きく息をつくと、急に真剣な目になり、ジロっとオディールの瞳をのぞきこんだ。
「ここは大陸一の聖地、確かに街になれば素晴らしいじゃろう。じゃが……、食料はどうする? 家は? 道は? ごみ収集もしないとならんし、警察も消防も必要じゃぞ? 思い付きでできる事じゃないぞ?」
「だから手伝って欲しいんだよ」
オディールはレヴィアの手を取り、ギュッと握る。
「お主、ドラゴンに手伝わせるということを軽く見るなよ? 途中で放り出したりしたら……。噛み殺すぞ?」
レヴィアは真紅の瞳を鮮烈に輝かせ、獰猛な仕草でその鋭い牙を見せた。
「放り出したりなんてしないよ! 僕がここに来たのは運命だったんだ。この命尽きるまでセント・フローレスティーナに捧げるよ」
オディールは臆することなく、グッとこぶしを握って見せる。
レヴィアはじっとオディールの輝く碧い瞳をじっと見つめた……。確かにその瞳には不退転の決意が映っている。
「よーし、その言葉忘れんなよ?」
レヴィアはガシッとオディールのこぶしを握った。
二人はニヤッと笑いあい、心を通わせるように見つめあう。
「ぼ、僕も混ぜて!」
ヴォルフラムも慌ててごつい大きな手でオディールの手を握る。
ミラーナは嬉しそうに三人の顔を見まわすと、みんなの手の上に手を乗せた。
「ふふっ、じゃあ決まりね! 今日がセント・フローレスティーナ創立記念日よ!」
「みんなありがとう!」
期待に満ちた好奇心で目をキラキラさせているみんなと、一人一人目を合わせるオディール。
「よーし! お前らぁ、世界一の都にすっぞ! 気合入れろぉーー!?」
オディールは急に真剣な顔になって叫んだ。
「はい!」「入れるー!」「任せろ!」
みんなノリノリである。
一瞬ウルッとしかけて、深く息を吸った後、満面の喜びを見せながらオディールは、みんなに聞く。
「お前らぁ! セント・フローレス?」
「ティーナ!」「ティーナ!」「ティーナ!」
みんなの情熱がこもった声が一斉に花畑に響き渡り、一陣の風が吹き抜けて花のウェーブを描いた。
Yeah!
ほとばしる喜びで跳ねたオディールは、一人ずつ情熱的なハグで心を一つにしていった。
「やったるでー!」「やりましょう!」「頑張るわよ!」
みんな口々に決意を表して、まだ見ぬ前代未聞の花の都、その壮大な風景を思い描く。
周囲数百キロ延々と砂漠しかないこの不毛の地に世界一の花の都を築く、という荒唐無稽なチャレンジは、こうして四人の想いが集まり、熱いスタートを切ったのだった。
まずは都市計画を立てようと、オディールはレヴィアの背中に乗り、上空へと飛び立った。
壮麗な翼が力強く羽ばたく度にぐんぐんと高度は上がり、クレヨンの家は小さくオモチャのように小さく縮んで見える。
やがてロッソも小さくなっていって花畑の全貌が見えてきた。ロッソの南側を中心に半径十キロくらいに花が敷き詰められ、それより外は昨日と同じく延々と数百キロ見渡す限り砂漠が広がっている。
「この花畑の範囲が龍脈の効果の効くところじゃな」
レヴィアはゆったりと旋回しながら言った。東京23区くらいのサイズである。
「なるほど、花畑の範囲で計画しないとダメだね」
「そうじゃ、そこに畑と建物を詰め込む。ただ、産業地域なら龍脈外れててもまぁええじゃろ」
さらに旋回していくと大きな水たまりが見えてくる。
「あそこは湖になるね。魚を養殖してもいいかも?」
「聖水でできた湖じゃな、何とも贅沢じゃわい」
「そうか、聖水か……」
オディールは首をひねり考え込む。この世界で唯一の聖水の湖、それを何かもっと創造的で特別な用途に使いたかったのだ。
レヴィアはしばらく広い花畑の上空をゆったりと飛んだ。昨日降らせた雨の跡から地形の起伏がなんとなくわかる。全体的に北から南にわずかに下っていて、ロッソあたりから湖の方向に昨日の雨の残りが小川になって流れていた。
「で、街をどう作るかイメージは湧いたか? 道をどう通すかも大切じゃぞ」
「あそこに街を作ろう」
オディールはニヤッと笑うと湖を指さした。
「ん? 湖畔の街か? まぁ、ええじゃろ」
「違う違う! 湖の中だよ」
オディールは嬉しそうに言った。
「はぁっ!? そういうイレギュラーなことしたら大変じゃぞ?」
「だって、聖水の上に住んだらきっと身体にもいいよ?」
「そうかもしれんが、街というのは構造物の集合体。地上が基本じゃ」
「いやいや、水上の街だってあるんだよ」
レヴィアは翼をはばたくのを一瞬止め、考え込む。この世界にそんな街などなかったのだ。
「……。お主、ヴェネツィアのことを言っとるか?」
「えっ!? なんで知ってる……」
懐かしい地名にオディールはつい驚いてしまう。そして、自分の秘密、すなわち転生者であるという事実を暴露してしまったことに気付き、思わず宙を仰いだ。
「カッカッカ! なるほど、我がお主に負けた理由が分かった。お主は【星を渡りしもの】じゃったか!」
オディールはガックリとうなだれ、鱗をさすりながら声を絞り出す。
「あのぅ……。このことは……」
「大丈夫じゃ、誰にも言わんよ。安心せい」
レヴィアはバサバサッっと力強く羽ばたかせ、大きく旋回する。
「……。ありがとう……」
「お主の星は女神さまのお気に入りでな。気まぐれで現れた時によく情報をもらうんじゃ。次に現れた時にはお主の分も貰ってやろう。続きを読みたい本もあるじゃろ?」
「えっ? そ、それは助かる。続きが気になってるのあるんだよぉ」
オディールは目を生き生きと輝かせ、レヴィアの鱗をパシパシ叩いた。もう二度と読むことも叶わないだろうと諦めていたあのラノベの続きが読める。そう思うだけで興奮が身体全体を貫き、鳥肌が立つほどだった。
「はっはっは、そういうもんじゃろうな。で、ヴェネツィアを作るって?」
「そう、ゴンドラで行き来できて、橋で歩いてくることもできるような立体の街がいいんだ」
「かーっ! 欲張りじゃのう。ミラーナには随分頑張ってもらわんとならんぞ?」
「最初だけだよ、人材を募集して、建築部隊はそのうちに編成するから」
「お主な……、軽く考えるでないぞ? あんないい娘はなかなかおらん。大切にしてやれ」
レヴィアは振り向いて巨大な真紅の瞳をギョロっと光らせる。
「わ、わかってるよ……」
「ちゃんと、『ありがとう』って感謝を伝えとるか?」
「えっ!? そ、それは……」
オディールは視線を落とした。ミラーナが以前自分のメイドであったため、彼女が自分の言うことに従うのは当たり前だという思い込みがあったのは否めない。だが、その思い込みはもはや自分勝手なわがままでしかなかった。
「言葉にすることも大切じゃぞ」
「……。分かった。ありがとう」
オディールは少し恥ずかしそうに鱗をさすった。
「うむうむ。で、話しは戻って、道はどう通す?」
「それなんだけど、道じゃなくて運河にしようかと」
「運河かぁ……、どうかなぁ。具体的にはどこを通すんじゃ?」
「えーっとね、そこの丘を避けてだね……」
二人はしばらく地形を確認しながら構想をまとめていった。
多くの人が暮らすことになるセント・フローレスティーナ。この街が快適に生活できる魅力的な場所に成長するのか、それとも見捨てられてしまう廃墟になってしまうのかは都市計画の出来が左右する。二人は砂漠の澄み切った空をあちらへこちらへと飛びながら、激論を交わし続けた。
「ただいまー!」
オディールが家に足を踏み入れたとたん、パンの焼ける香ばしい香りが彼女を包み込んだ。
「おかえり、丁度朝食ができたところよ」
ニコッと輝く笑顔でミラーナが振り向き、オディール達を迎える。
オディールはテッテッテとミラーナに近づくと、ピタッとその背中に顔をうずめて言った。
「あ、ありがとう……」
「あらあら、どうしたの?」
ミラーナは温かな表情で、静かに笑う。
「いや、感謝をね、伝えておかないとって」
「ふふっ、ありがと。でも、私もこんな素敵なところに連れ出してくれて感謝してるのよ?」
ミラーナはオディールの手をそっと、愛おしく取った。
「感謝だなんてそんな……」
オディールは気恥ずかしく顔を伏せる。
ミラーナはそんな彼女の可愛らしい姿に微笑み、金髪を優しく撫でた。
「トーストが冷めちゃうわ、早く食べましょ?」
オディールのほほにチュッと軽くキスすると、ミラーナは微笑んでテーブルの方向へと足を向ける。
え……?
ふんわりと香る甘く優しいミラーナの匂いの中、オディールは驚いて固まってしまう。
どういう意味があるのか分かりかね、オディールはキスされたところをそっとなでた。
◇
食後に一行は耕作予定地へと移動した。聖気に満ちた畑なら十数万人分の食料を作れる広さになっている。
街を作るうえで食糧の自給自足は基本である。畑を開墾して麦や野菜や果物を作ることはまずやらねばならないハードルだった。
花畑を開墾していくわけであるが、手段はミラーナの土魔法しかない。広大な畑をミラーナに掘り起こし続けてもらうのだ。
「えーー? ここ全部?」
広大な丘陵地を見渡し、さすがにミラーナは面食らう。
「い、一回の魔法でどれくらい耕せるかちょっとやってみて。それ見て計画を立てよう」
オディールは冷汗を浮かべながら言った。
ミラーナはジト目でオディールを見ていたが、ふぅと大きく息をつくと魔法手袋をつける。
「じゃあ行くわよ?」
背筋をピンと伸ばし、地面に両手を向けると目を閉じて呪文を唱え始める。それに合わせてオディールは魔力を全開で流した。
ミラーナの手から放たれる黄金色に輝く微粒子の群れが大きなうねりを伴いながら地面に吸い込まれて行く。
直後、ズン! と、地響きが起こり、十メートル四方くらいの花畑が土ぼこりを上げながら、一気にもこもこの地面に変わった。
「おぉ、すごい!」
「ふぅ……、どうかしら?」
ミラーナはドヤ顔でオディールを見た。
「もう最高だよ!」
オディールはミラーナの手をギュッと握り、満面の笑みを浮かべる。一瞬でそこそこの広さの畑が出来上がったのだ。
「この調子で耕していくぞーー!」
オディールが有頂天で腕を突き上げると、レヴィアが背中をポンポンと叩く。
「ちょっと待った、これを見てみぃ」
畑の中を指さした。そこにはすき込まれた花が顔をのぞかせている。
え?
「このままだと花がまた生えてきてしまうぞ?」
「そ、それは困るな……」
オディールが戸惑っていると、レヴィアがドヤ顔で自分の胸をポンと叩いた。
「そこで我の出番となる訳じゃ」
ニヤッと笑った直後、ボン! と、爆発音がしてドラゴンの巨体が宙に現れる。
いきなり現れた巨大なドラゴンに圧倒される一行をしり目に、レヴィアはバサッバサッと巨大な翼をはばたかせた。
辺りを気持ちよさそうに旋回すると、おもむろに隣の丘めがけて大きな口をパカッと開けて巨大な牙を光らせる。
刹那、オレンジ色に輝く鮮烈なプラズマジェットが花畑を覆い、丘は激しい炎を噴き上げながらあっという間に火の海となった。
「うひょー!」「あららら」「あわわわわ」
その豪快な野焼きに一行は圧倒される。いまだかつてこんなダイナミックな農業があっただろうか?
レヴィアは満足そうにゆったりと翼をはばたかせながら旋回し、今度は一行に向かってやってくる。
「お主らーー! どけ、どけぃ! 巻き込むぞ!」
重低音の声でそう叫んだレヴィアは口をパカッと開けた。
「ちょ、ちょっと、待ってよぉ!!」「きゃぁ!」「ひぃぃぃ!」
オディール達は慌てて駆け出す。一億度のプラズマジェットを浴びたら一瞬で炭になってしまう。
ガハハハハ!
楽しそうな重低音の笑い声が響いた直後、ドラゴンブレスが炸裂し、オディール達がいたあたりもあっという間に火の海に沈んだ。
「あちちち! もうっ!」
激しい熱気が一行を包み、オディールたちは必死に逃げる。
こうして数キロ範囲の耕作予定地はあっという間に野焼きされたのだった。
焼け野原を淡々と耕していくミラーナ。オディールも額に汗しながらミラーナに魔力を注入し続ける。
ヴォルフラムは区画整理用の杭を打ったりしながら、甲斐甲斐しく二人についていった。
そんな一行を、徐々に高く昇った砂漠の太陽がジリジリと照り付ける。
「姐さん、暑くないですか? これ以上暑くなったら倒れちまいますよ」
タオルで滝のような汗を拭きながらヴォルフラムが言った。
「あぁ、そうだね……、さすがに砂漠はキツいな……」
オディールはピーカンの青空を見上げ、額の汗をぬぐいながら少し考える。
「じゃあこうしよう。【清らかなる雲よ、我が空に集え】」
両手を空に掲げ、祭詞を告げるオディール。
すぐにモコモコと白い雲が湧き上がり、集まってきて辺り一帯が薄暗くなった。
「それでこれだ! 【龍神よ、凍てつく息吹で氷のつぶてを降り注げ】」
風上の方に祭詞を唱えたオディール。暗雲がブワッと渦を巻いたかと思うと巨大な雹が降ってくる。ドスドスドスと隣の丘の上に注いだ雹は一帯を白く彩った。
「あれ、痛いんじゃぞ……」
レヴィアは渋い顔で見守り、オディールは嬉しそうにパンパンとレヴィアの背中を叩いた。
さらに雹は降り注ぎ、やがて雪山と成長していく。
「おぉ、これは涼しい!」
ヴォルフラムは歓喜する。
ひんやりとした空気が大地を覆い、押し寄せてくる冷気はむしろ肌寒くすら感じるレベルだった。
「うわぁ、涼しい……」
ミラーナも冷気を浴びながら目をつぶり、幸せそうな表情を浮かべる。
「ふふーん、すごい? ねぇ僕ってすごい?」
オディールはまるでモデルのようにひじを高く掲げて腰をひねり、鼻高々にポーズを取っておどけた。
「うふふっ。もはや全然砂漠じゃないわねぇ……。オディはすごいわ」
ミラーナは、その暖かい視線でオディールの金髪に手を伸ばし、優しくなでる。
笑いを誘うつもりだったオディールは、調子が狂ってえへへへと照れ笑いした。
◇
その後も畑づくりは淡々と進んで行った――――。
ただ、百メートル四方を耕すだけで二時間もかかり、なかなかそう簡単にはいかない。途中、ミラーナのスキルランクが上がって、耕せる面積も増えていったが、それでも街のみんなを食べさせられるサイズは広大である。まだまだ時間はかかりそうだった。
ヴォルフラムが入れてくれたお茶を飲みながら一行は一休みする。
「ここには何を植えるんじゃ?」
レヴィアはお茶をすすりながらオディールに聞いた。
「植えたいものはたくさんあるんだよね。麦は基本として、トマトやレタス、ナスにニンニク……、果物やオリーブも」
「ぬははは、なかなかに欲張りじゃな。でもそれぞれ土づくりも違えば育て方も違うじゃろ? どうするんじゃ?」
「え!? 同じじゃダメなの?」
「カーーーーッ! 無計画かい!」
「姐さん、水はけ悪いとトマトなんかは育たんですよ」
ヴォルフラムは農家出身だけにその辺は分かっているようだった。
「うーん、分かった! ヴォルを農業大臣に任命しよう」
オディールはヴォルフラムの肩をポンポンと叩く。
「いやいや、子供の頃に家を手伝わされてただけなんで、自分じゃ無理っす!」
「むーん……」
「しょうがないのう。種の買い出しがてらちょっと聞いてきてやろう」
レヴィアはお茶をゴクゴクと飲み干すと、ボン! と爆発音を発してドラゴンとなり、大きく羽ばたきながら悠然とどこかへと飛んで行った。
◇
緩やかな丘を耕し終わったころ、バサッバサッというはばたく音が聞こえてきた。日も傾き始め、そろそろ引き上げようかと思っていたタイミングだった。
見上げるとドラゴンの背に誰かが乗っている。作務衣を着た老人のようだった。
レヴィアはバサバサッと力強く羽ばたいて一旦空中で止まると、そのまますぅっと地面へと降り、地響きを響かせながら着地する。
おっかなびっくり降り立った老人の髪は真っ白で、木の杖をつきながらオディール達に手を上げた。
「やぁやぁ、お嬢ちゃんたち。話は聞かせてもらったよ。こりゃぁ凄いねぇ」
老人の笑顔は、日々の農作業による日焼けで黒々して、数多の経験が深くしわとして刻まれていた。
金髪おかっぱ少女に戻ったレヴィアは老人の肩を叩きながら言う。
「凄い味方を連れてきてやったぞ。老練の凄腕農芸家、ガスパルじゃ」
「よろしくな。ワシは農業オタクだから、農業のことなら何でも聞いてくれよ」
ガスパルは人懐っこそうな笑顔でオディールに笑いかけると、紳士的に右手を差し出した。
「ありがとう! よろしくお願いします!」
オディールは人のよさそうなガスパルの参画に嬉しくなり、力強く握手を交わす。どれだけ優秀で気持ち良い仲間を集められるかがセント・フローレスティーナの成否を左右するのだ。レヴィアの紹介なら間違いないだろう。
花の都へと続く壮大な一歩を始めた確信に、オディールの心は熱く高鳴っていた。
「コイツもついこないだまでは鼻タレ小僧じゃったのに、今じゃもうすっかり老人じゃ」
レヴィアは少し寂しそうにニヤッと笑いながら肩をすくめた。
「レヴィちゃんはな、昔、ワシのじいさんの友達だったんよ。でも見た目は当時と一緒、オカシイよね?」
苦笑しながらオディールに同意を求めるガスパル。
「一緒じゃないわ! あの頃から二センチは背が伸びたんじゃ!」
レヴィアは怒るが、ガスパルは両手のひらを上に向けて首をかしげる。
悠久の時を生き抜くドラゴンと人間とではスケールが違うのだ。だが、そんなに長い時間を生きてもなお子供のような感性を失わないレヴィアに、オディールはクスッと笑った。
◇
「早速なんですが、今、こんな感じで畑を耕したところなんです」
オディールは傾いた太陽のオレンジ色に染まる丘を指さした。
「ほぉーー……。こりゃあすごいことだよ。どれどれ……」
ガスパルはそう言うと畑に近づき、土をひとつかみ持ち上げて両手でもみほぐす。
「なるほど、土壌構造はいい感じだよ」
ジッと土の様子を眺めながらそう言うと、いきなり土を口に含んだ。
えっ!?
オディールは思わず声が漏れた。
ガスパルは真剣なまなざしで、味覚と嗅覚を総動員して微妙な土の成分を分析していく。
その農業に対する執念ともいえる凄みに、オディールは圧倒される。農業というのはこういう世界なのだ。オディールは彼の真摯な態度に接し、自分がこれまで農業を甘く見ていたと深く反省する。
ガスパルはペッと土を吐き捨てた。
「肥料が足りんのと少し酸性が強いよ。肥料と石灰を撒かんとならんよ」
「うーん、肥料と石灰……」
オディールは腕組みをして考えこむ。
「石灰はワシらが何とかしてやろう、な、レヴィちゃん?」
「な、我も手伝うのか!?」
「なーに、石灰岩に火を吹いてくれればいいだけだよ、カッカッカ」
楽しそうに笑うガスパル。
「お主、ドラゴンブレスは神聖な物であって、そう簡単には……」
「昨日お風呂沸かしてたじゃん!」
オディールはニコニコしながらレヴィアの背中をバンバンと叩いた。
「い、いや、あれは……」
「レヴィちゃん、湯沸かしよりは神聖な仕事だよ、カッカッカ」
ガスパルはレヴィアの真紅の目をのぞきこみながら嬉しそうに笑う。
レヴィアは口をとがらせてジト目でガスパルをにらむ。
「で、肥料は嬢ちゃん、あんたの出番だよ。頼んだよ」
「へ!? 肥料?」
「あんた天候を操れるそうじゃないか、雷をバンバン落とすんだよ」
「雷……? なんでそれが肥料に?」
「あー、窒素酸化物を作るんか……」
レヴィアは感心したように言った。
「なんか知らんが昔から雷が落ちたところは肥料たっぷりで育ちが良くなるんだよ。嬢ちゃんにはバンバン落としてもらうよ」
「え、じゃあ……、落としてみましょうか?」
「あー、雨もよろしくな。空に生まれた肥料分がちゃんと降り注がんとイカンのだよ」
「わ、わかりました……」
オディールはそう言うと畑の上空に向かって両手を上げる。夕暮れ時の白みがかった砂漠の空は澄み通り、とても静かだった。
「【龍神よ、天の恵みをかの地に降らせたまえ】【雷神よ、その猛き闘志を解き放て】」
祭詞が畑に響きわたる。
どこからともなくモコモコと雲が湧き上がると、空が暗雲に覆われていく。
パラパラと小雨が降り始め、ゴロゴロと雷鳴が響いた直後だった。ピシャーン! と向こうの丘に眩しい閃光が走り、地面が揺れる。稲妻が落ちたのだ。
「おぉ、これは凄いよ!」
ガスパルはパチパチと拍手をしながら大喜び。
「お主の力は何度見てもチートじゃなぁ……」
レヴィアはちょっと悔しそうに腕を組んだ。
「ふふーん、じゃ、どんどん行くよ! 【雷神よ、その猛き雷の雨を降り注げ】」
オディールは満面に笑みを浮かべながらノリノリで空へ向かって両手を伸ばし、不穏な祭詞を唱える。
直後、天も地も閃光で埋め尽くされた。
辺り一帯に落雷の嵐が吹き荒れ、まるで爆撃機から空襲を受けている戦場のようなすさまじい衝撃が地震のように大地を揺らす。
「あわわわわ」「ひぃ!」
みんなが頭を抱え、小さくなって嵐の過ぎ去るのを待つ中、オディールは、きゃははは! と一人怪気炎を上げる。
ツンと鋭い焦げた匂いが飛び込んできて、生きた心地のしない時間が続き、みんな青くなって震えるしかなかった。
肥料という意味では成功かもしれないが、危険すぎる農業にみんな参ってしまう。
「嬢ちゃん! もういい、もういいって!」
ガスパルは必死に頭を低くしながら叫ぶ。
しかし、オディールは碧い目をキラキラと輝かせながら激しく明滅する天を仰ぎ、幸せそうな笑みを浮かべるばかりだった。
激しいエネルギーも肥料も生める、これが【お天気】スキルなのだ。
オディールは改めて【お天気】スキルの無限の可能性に気づき、小雨を浴びて全身濡れながらも女神からの力強い贈り物に心から酔いしれていた。
やがて、雷雲は去り、穏やかな静寂が一行を包んだ。
畑のあちこちからはブスブスとかすかな破裂音を響かせながら、淡い煙がゆらりと上空へと上がっている。
ガスパルはよろよろと立ち上がり、空襲に晒されたかの如く焦げ付いた畑をゆっくりと見渡した。
おぉ……。
驚愕の光景を目の当たりにし、心からのため息をつきながら首を振る。天から降り注いだ膨大な肥料。驚くような豊作となるに違いない。
ガスパルはオディールの透き通るような碧眼をのぞきこみ、優しく彼女の肩を軽く叩いて感慨深そうに言った。
「嬢ちゃんは神様の化身だよぉ……」
「いやぁ、それほどでもぉ」
照れ隠しで頭をかくオディール。
「これなら石灰を撒いて、一週間もしたら種まきだよ」
「え? 一週間?」
「そうだよ。土が落ち着くのを待つんだよ」
「えー……。二、三日になりませんかねぇ……?」
オディールは上目づかいでお願いしてみる。食料問題はなるべく早く解決しておきたかったのだ。
すると、ガスパルは突然不満げな顔を見せ、眼は危険なほどに閃いた。必要な日数は、彼が長年積み上げてきた経験からの鉄則で、それを動かすことなど考えられないのだ。
「バッカモーーン! いいか? 土というのは……」
真っ赤になって杖を振り上げるガスパルだったが、どうしたことか急にピタッと固まってしまった。
目を見開いたまま微動だにしないガスパルにレヴィアはけげんそうに声をかける。
「おい、どうしたんじゃ?」
「こ、腰が……」
ガスパルは杖を持つ手をプルプルと震わせ、脂汗をたらりと流し始める。
「腰!? 腰かぁ……。腰はマズいぞ。どうしようかのう……」
レヴィアの背に乗って数百キロも飛んできたことが腰に悪かったに違いない。レヴィアは眉を寄せ、オディールを見る。
しかし、オディールも治療については門外漢でオロオロしてしまう。
「病院なんてないし、どうしよう……。あっ! 聖水で治療できないかな?」
「おぉ! 聖水か……。よし! 聖水風呂にでも入れてみようかのう。お主らちょっと手伝ってワシに乗せろ」
レヴィアはピョンと跳び上がるとボン! と爆発音を立て上空でドラゴンに変身した。
◇
すっかり冷めてしまった露天風呂だったが、レヴィアが火を入れて湯気がふたたび立ち上りはじめる。お湯をすくってみると黄金色の微粒子が舞っており、それはまるで金箔がちりばめられているようであった。一晩中ロッソの聖気を吸収した風呂は、すでに聖水へと変わっていたらしく、まさに贅を尽くした聖水風呂となっていた。
「おぉぉぉ……、これは効くぅ……」
下着姿で慎重にゆっくりと浴槽に入れられたガスパルは、聖水の聖気を全身に浴び、恍惚とした表情を浮かべる。
「湯加減はどうですか?」
少し安心したオディールはタオルを渡しながら聞いてみる。
「ここは天国かね……。聖水の風呂だなんて夢にも見たことがなかったよ」
ガスパルは幸せそうにお湯をすくってゴクゴクと飲み始める。
「えっ!? 残り湯だから汚いよ!」
焦るオディールだったが、ガスパルは聞かずに美味い美味いと飲み続ける。
「カァァァッ! 聖水飲み放題、ここはまさに天国じゃ!」
ガスパルは満足そうに笑みを見せると、そのままブクブクと泡をたてながら浴槽の中に沈んでいった。
「えっ!? 溺れてる? いいの?」
オディールは心配になってレヴィアを見るが、レヴィアは腕を組んで首をかしげている。
「この聖水風呂はもしかしたらとんでもない代物かもしれんな……」
「え? どういうこと?」
「あ奴の身体を見てみろ」
オディールが浴槽の底に沈んでいるガスパルを見ると、ポコポコと口から泡を吐きながらかすかに黄金色に発光している。聖気が全身に満ちている証拠だった。さらに真っ白だった髪の毛も徐々に茶色に変色が進んで行く。
「こ、これは……?」
その直後、ガスパルはザバッと水しぶきを上げながら起き上がり、ピョンと浴槽から飛び出した。髪の毛は黒々として顔に刻まれた深いシワもとれ、つやつやだった。
「ぬはははは! 完全復活だよ!」
ガスパルは嬉しそうに笑うと、ボディビルダーのように腕を組んでムキムキっと筋肉を誇示した。
はぁ……? へ……?
一同は驚いた。さっきまで立つこともできなかった白髪の老人が、なんとも若々しい健康体になったのだ。二十歳は若返ってしまったのではないだろうか?
「嬢ちゃん! 決めたよ、ワシはここに住むよ!」
ガスパルは精気みなぎる目でオディールの手を取るとブンブンと力強く振った。
「あ、そ、それはありがたいけど……」
オディールはその勢いに圧倒される。
「ここは天国だよ、村のみんなも呼んでいいかね?」
ガスパルは人懐っこい笑顔でオディールの顔をのぞきこむ。
「みんな? 人が増えるのは嬉しいけど、まだ畑しかないよ?」
「カッカッカ。街づくりから手伝わせればいいよ。大工も鍛冶屋もいるでよ」
「本当!? ヤッター! ぜひぜひ!」
オディールは目を輝かせてガスパルの手をブンブンと振った。
ガスパルの村は近年雨が降らなくなってきて作物の収量も落ち、村を出ていく人が後を絶たず、過疎化が進んでいるらしい。その中でロッソの龍脈に守られたセント・フローレスティーナはまさに理想の移住先とのことだった。
「良かったわ!」「いいですねぇ」
ミラーナとヴォルフラムは、仲間が増える見通しに心を弾ませ、喜びに満ち溢れた表情で、パチパチと賛同の拍手を贈った。
こうしてセント・フローレスティーナには一気に住民が流入してくることになる。オディールは、夕陽に照らされて赤く煌めき始めたロッソに向かってグッと拳を握り、いよいよ始まった花の都への本格的な挑戦に気合を入れなおした。
その頃、王都の宮殿に動きがあった。内務省の方で緊急の会議が招集されたのだ。
内務大臣以下、そうそうたる面子がそろう中、担当者から『今年は降水量が少なく、このままでは大飢饉になるかもしれない』との報告がなされる。
本来もっと早く報告すべきだった担当者は、ビクビクしながら内務大臣の方を見た。
「こんなになるまで何をやっとったんだ! で、教会の聖女はなんと言っとる?」
大臣は渋い顔で報告書をテーブルに放り投げ、担当者をギロリとにらんだ。
「『東方聖地の金髪少女オディールに頼れ』とのことで……」
「オディール? 誰だ?」
大臣は隣の側近をチラっと見る。
「元公爵令嬢のことかと。彼女のスキルは【お天気】と、聞いています。そのスキルを使えというお告げなのかと……」
ザワっと会議室に穏やかでない空気が流れた。王子が追放した元公爵令嬢、それに頼ることは王家の不興を買う施策であり、とてもそのままでは王様に進言できない。
内務大臣はギリッと奥歯を鳴らし、ガン! と、こぶしをテーブルに叩きつけた。
くぅ……。
目をギュッとつぶり、しばらく何かを考えた末、大臣は低い声を絞り出す。
「本件は王室マターだ。他言無用……。解散!」
参加者はお互いの顔を見合わせながら静かに立ち上がると、そのまま何も言わず退室していった。
◇
若い男が宮殿の王子の部屋のドアをノックする。
「ご報告があります」
男は辺りを気にしながら言った。
ほどなくガチャリとドアが開き、バスローブ姿の王子が乱れた金髪をそのままに、顔をのぞかせる。
「おう、間の悪い奴だな。早く入れ」
王子も周りを気にしながら部屋に招き入れた。
男が奥のベッドルームをチラッと見ると、若い女があられもない姿で横たわっている。 男は苦笑をすると、報告を始めた。
「王室マターの情報を得ました……」
「フンッ! 続けろ!」
王子は面倒くさそうに眉をひそめてソファにドカッと座ると、ティーカップを取る。
「はっ! 先ほどの臨時会議で……」
男は諜報の成果を報告していく。
ティーカップを傾けながら聞いていた王子は、オディールの名前を聞くと急に顔色が変わった。
「ちょっと待て! 誰だって?」
「オ、オディールです。殿下の元婚約者の……」
男はビクビクしながら説明する。
「あんの小娘がぁぁ!」
王子は激高し、ティーカップを壁に投げつけた。
パリーン! と、カップが砕ける鋭い音が部屋に響く。
ヒッ!
思わずおびえる男。
「小娘は俺が追放したんだ。今さら頼むなんてことできるか!」
王子はドカッとローテーブルを蹴飛ばし、ティーポットが転がり落ちる。
「い、いや、しかし、聖女のお告げを無視することはできません。このままでは……」
男は転がってくるティーポットをよけ、冷汗を流しながら食い下がった。
王子は上気した顔で爪をガリガリとかじりながら必死に何かを考える。啖呵切って追放した小娘に頭を下げるなんてそんなことはあってはならないのだ。
張り詰めた雰囲気が部屋を支配する。
やがて王子はピクッと眉を動かし、いやらしい笑みを浮かべた。
「ふふん。いいことを思いついたぞ。奴隷だ、奴を奴隷にしてしまえばいい。捕まえて奴のぺったんこの胸に奴隷の焼き印を入れてやれ!」
「いや、強引に奴隷にするのは違法では……?」
「知らん! 俺は国外の奴隷商から奴隷を買うだけだ? 何か問題が?」
ドヤ顔でニヤッと笑う王子。要は、第三者が国外で勝手にオディールを奴隷化した形にしてしまえば問題ないということだった。
「あ、そ、それなら……」
「上手くいったら褒美に一晩小娘を好きにさせてやる」
「ほ、本当ですか?」
「お前、ああいうツルペタが好きなんだろ? いい声で鳴かせてやれ」
悪い顔をして男の顔をのぞきこむ王子。
「えっ!? いや、そのぅ……」
「今すぐ手はずを整えろ!」
「ハッ!」
男は敬礼をすると足早に部屋を出ていく。
「小娘め! 俺を怒らせたらどうなるか見せてやろう……。クフフフ……、はっはっは!」
悪意を孕んだ不気味な笑い声が部屋に響いた。
◇
ところ変わってガスパルを仲間に迎えたセント・フローレスティーナ――――。
オディール一行は夜遅くまで飲んで歌って騒ぎ、翌朝、ガスパルはレヴィアに乗って村へと飛んで行った。村のみんなの勧誘をしてくれるらしい。
「みんな来てくれるかなぁ……」
花咲き乱れる丘の向こう、朝日を浴びながら空高く遠く小さくなっていくドラゴンを眺め、オディールはつぶやく。
「ふふっ、来てくれるわよ。セント・フローレスティーナみたいな素敵なところ、どこにもないんだもの」
ミラーナはニッコリとほほ笑み、オディールの手を取った。
「これもミラーナのおかげだよ。ありがとう……」
幸せに満ち溢れた笑顔を浮かべ、オディールはミラーナの手を愛情深く、ぎゅっと握りしめた。
「ふふっ、役に立ててよかったわ。私たちいいペアかもしれないわね」
「あれ? ずっと前からいいペアだったよ?」
「いたずらっ子だったくせにー」
えへへへ。うふふふ。
さわやかな朝日が花畑を色鮮やかに輝かせる中、二人は幸せいっぱいに笑い合った。
この微笑ましい光景の裏で、オディールに向けられた悪意が着実に彼女の運命に手を伸ばしてきていたが、二人はそんなことを知る由もなかった。