【お天気】スキルを馬鹿にされ、追放された公爵令嬢。不毛の砂漠に雨を降らし、美少女メイドと共に甘いスローライフ~干ばつだから助けてくれって言われてももう遅い~

 日が落ちてきてオレンジ色に輝き始めた砂漠の上を、レヴィアは気持ちよさそうに軽やかに飛び、大陸の奥へ奥へと進んでいく。

 延々と続く草一つ生えていない砂漠、それは生き物の姿一つ見えない不気味な死の領域だった。大地を引き裂いたような岩の山脈を越え、渓谷を越え、東へ東へと飛んでいく一行。

 やがて、オディールは広大な砂漠の大地にポッコリと盛り上がる奇妙な岩山を見つけた。まるでオーストラリアのエアーズロックのような不思議な形をしているその岩山は、夕日に照らされて赤く輝いていた。

「うわぁ……、何あれ……?」

 オディールはその奇妙な造形にくぎ付けとなった。まるで誰かが作ったかのように広大な砂漠にそこだけ盛り上がっているのだ。

「ただの岩山じゃろ」

 レヴィアは重低音の声を響かせ、通り過ぎようとする。

「ねぇ! 降りて! 降りて!」

 オディールはせがんだ。何か岩山に呼ばれたような気がしたのだ。

「へ? 海行くんじゃなかったんか?」

「いいから降りて!」

 オディールは漆黒の鱗をバンバン叩く。

「砂漠の岩山に何があるんじゃ……。しょうがないのう……」

 レヴィアは面倒くさそうにため息をつくと、首をもたげ、翼を斜め前に出し、急遽着陸態勢に入った。


       ◇


 岩山をゆったりと旋回しながら高度を落とし、ふもとの荒れ地に着陸したレヴィア――――。

 オディールはピョンと飛び降りて、岩山を見上げた。

 夕日に照らされて赤く輝く岩山の高さは三百メートルくらい、幅は数キロはあるだろうか、断崖絶壁に囲まれて、登るとしたら骨が折れそうである。

「うわぁ、すごい岩山ねぇ……」

 ミラーナも降りてきて岩山を見上げた。

「すごいよね。なんて山なんだろう。知ってる?」

 オディールは金髪娘に戻ったレヴィアに聞いてみるが、レヴィアは、肩をすくめ首を振った。

「知らん。ここは周囲数百キロ砂漠しかないから、まだ誰も見たことない山かもな。せっかくだから名前を付けてみたらどうじゃ?」

「名前かぁ……赤い岩だからレッドロック……、いや、ダサいな……」

 腕を組み、首をひねるオディール。

 ヴォルフラムが岩山を不思議そうに見上げながら、つぶやく。

「赤ならロッソ……という言い方もありますねぇ」

「ロッソ……、いい響きね……」

 ミラーナはにこやかにうなずいた。

「ロッソかぁ……、うん、いいかも。こいつはロッソだ! ヴォル、ナイス!」

 オディールは嬉しそうにヴォルフラムの背中をパンパンと叩く。

 えへへへ……。

 ヴォルフラムは猫背で照れ笑いをしながら頭をかいた。


      ◇


 砂漠の地平線に大きな真っ赤な夕日が沈み込み、その輝きを受けたロッソはまるで燃え上がるかのように真紅に煌めく。みんなは息をのんで、その揺らぎゆく色彩の美しさに見入っていた。

 夕暮れの茜色から群青色へと続くグラデーションを背景に赤い輝きを放つロッソは、大自然の巨大なキャンバス上の繊細で感動的なアートとして心を打つ。

 周囲数百キロ、誰もいない砂漠のステージで毎日繰り広げられていたショーは、今、オディールたちを迎えて初めて観客を得たのだった。

 うわぁ……。

 オディールは思わずため息をつき、ミラーナの手をそっと握る。

 くだらない貴族社会でずっと窮屈な思いをして硬直していた心が少しずつほぐれていく感覚にオディールは身をゆだねた。知らないうちに頬を涙が伝っていく。

 オディールは流れる涙をぬぐいもせず、ただ静かに刻々と表情が変わっていくロッソを眺めていた。

 この先、何があるか分からないが、心揺るがす旅に人生の本質が埋まっているに違いない。

 オディールは涙をぬぐうとミラーナの手をギュッと握って、嬉しそうにミラーナを見た。

 ミラーナは一瞬キョトンとしたが、優しい笑顔でほほ笑み、ゆっくりとうなずいた。


       ◇


「よーし! 今日はここでキャンプだゾ!」

 太陽が沈み、(よい)の明星が輝き始める中、オディールが腕を突き上げる。

「え? ど、どこで寝るの?」

 ミラーナは、不安そうに聞く。

「これから簡単な小屋を建てよう。岩壁(ロックウォール)でね」

 そう言うと、オディールはマジックバッグからひもを出し、コンパスの要領でガリガリガリっと地面に十畳くらいの広さの円を描いた。

「ミラーナ、この円に沿って岩壁(ロックウォール)を生やしてみて」

 いきなりミラーナに無茶振りするオディール。

「えっ? 岩壁(ロックウォール)で小屋作るの!? そんなのやったことなんてないわよ」

 しり込みするミラーナだったが、オディールはいたずらっ子の笑みを浮かべながら言う。

「野宿より小屋があった方がいいと……思うよ?」

 えぇ……?。

 ミラーナは眉をひそめるとため息をつき、渋々地面に描かれた線をたどってみる。

「えーっと……、これ、どうやって……ええーー……」

 どうやって円弧の岩壁(ロックウォール)を出したらいいのかピンとこないミラーナは両手で口を覆い、うつむいた。

「失敗したっていいんだよ。ほら、やるよ!」

 オディールは無責任にミラーナの背中を叩く。

 ミラーナはジト目でオディールをにらんだが、確かに野宿よりは小屋が欲しいのはその通りだった。

 大きく息をつき、精神を集中して岩壁(ロックウォール)のイメージを固めていくミラーナ。

 夜の風がそよぎ始め、ミラーナの黒髪をさらさらと乱した。

「分かったわよ。じゃ、練習だと思って一気に行くわよ!」

 ミラーナは円の中心に立つと、手をのばして呪文をぶつぶつと唱え始める。

 直後、ぼうっと黄色い光がミラーナを包み、地面も円形に光り始めた。

「いいね、いいね! いくよっ!」

 オディールはニヤッと笑うと、キラキラと黄金色に輝く光の微粒子をまといながら、ミラーナの背中に当てた手のひらから魔力を一気に注ぐ。

 ミラーナは一瞬、眼がくらむほどの光を放った。その刹那、地面はまるで生き物のように円形に膨らんだと思うと、瞬く間に円筒状の岩壁が湧き出て天高くせり上がっていく。

 地響きが響き渡り、土ぼこりをたてながら円筒の岩の壁は夕暮れ空めがけて伸び、やがて高さは十メートルはあろうかという壮観な構造物となった。

「やったぁ!」

 期待を遙かに超えた成果にオディールは、心からの歓喜に手を振り上げ、軽やかに跳びはねる。

 御影(みかげ)石のように白地に黒い粒を散らした高級感のある岩は、夕暮れの空を精巧に円形に切り取り、一つの立派な構造物として完全に機能していた。それどころかこれまで目にしたどんな建造物よりも、気高く美しい存在に見えたのだ。

 ミラーナのこの力を使えばアパートでも橋でもスタジアムでも何でも作れてしまうのではないか? オディールは岩壁(ロックウォール)の無限の可能性に気が付き、ワクワクが止まらなくなってくる。

「ミラーナすごい! すごぉぉい!」

 ミラーナの背中に抱き着くオディール。

 はぁはぁと肩で息をついていたミラーナは苦笑いを浮かべると、しがみついているオディールの金髪をなでる。

「こんなので良かったかしら?」

「いやもう最高! これなら街でも作れるよ!」

「ま、街? 街よりもまず寝床が要るわよ?」

 目をキラキラするオディールを見ながらミラーナは苦笑した。

「いやまぁ、そうなんだけど……。何にしてもミラーナはすごいんだ!」

 オディールはギュッとミラーナを抱きしめ、柔らかく優しい匂いに包まれながらミラーナの持つ無限の可能性に思わずブルっと身震いをした。


         ◇


 円筒だけじゃ建物にならない。二人は壁から階段のステップを土魔法で生やしながら螺旋(らせん)階段のように上の方へと登っていく。

「じゃあ、この辺で二階の床を作ろう!」

 オディールはミラーナに指示して床を作っていく。土魔法を駆使し、壁から(はり)を生やして向かい側へとつなげていくのだ。やがて、多少凸凹しているものの二階が出来上がる。

「こんなのでいいのかしら……?」

「大丈夫だって!」

 不安がるミラーナに、オディールはピョンピョンと床を飛び回って見せた。

 太い御影石でできた(はり)は人間の体重くらいではビクともしなかったのだ。オディールは改めて土魔法の有用さに感服する。

 三階も作り、最後に円すい形の屋根を形作り、あっという間に家が完成してしまった。その形はまるでクレヨンだった。

 土魔法で出入り口を開けて外に出ると、レヴィアが感心しながら声をかけてくる。

「いやぁ、お主ら凄いのう……」

 いまだかつて土魔法で建物を建てた人なんて聞いたことが無かったのだ。それだけミラーナには才能があったし、オディールのチート魔力は異常だった。

「ふふーん、僕もミラーナも凄いんだゾ!」

 オディールはミラーナの腕にしがみつくとドヤ顔を見せる。

「うんうんお主ら、息が合っていてよかったぞ。ちなみにお主らはどういう関係なんじゃ? 付き合っとるのか? ん?」

 レヴィアは真紅の瞳を光らせ、嬉しそうに二人の顔を交互に見た。

「つ、つ、つ、付き合うだなんて……僕ら女同士……だよ?」

「性別なんてどうでもええじゃろ、心の問題じゃ」

「ただの友達ですよ、ねっ、オディ?」

 ミラーナは屈託のない笑顔で言った。

「えっ? あ、う、うん……」

 オディールはうなずきながらも、『ただの友達』という言葉に心の奥底にチクリととげが刺さったような痛みを感じ、うつむく。

 自分はずっとミラーナと一緒に居たいのに、彼女にとって自分はただの友人でしかないという過酷な現実。その切ないギャップが、オディールの心に寂しさを深く刻んでいた。

 群青色に染まる夕暮れ空の下、ロッソを背景に美しくそそり立つ白亜のクレヨンの家を見上げながら、オディールは口をキュッと結んだ。


        ◇


「あー、風呂入りたいな、露天風呂!」

 オディールはもやもやを吹き飛ばしたくて、風呂を造ろうと提案する。

「ふ、風呂……?」

 ミラーナはオディールが何を言い出したのか困惑していた。

「こういう絶景を見ながら入る風呂って言うのは、ほんと最高なんだよ! ね、レヴィア?」

 オディールはレヴィアに振るが、レヴィアは渋い顔で返す。

「そりゃあ露天風呂は最高じゃが、そろそろ晩飯にせんか? 酒が飲みたいんじゃが……」

「今すぐちゃっちゃと作るからちょっと手伝ってよ。ディナーは終わってから!」
 
 オディールは口をとがらせると、タッタッタと少し走り、地面にまた丸い円を描いた。

「ミラーナ、ミラーナ! もう一回岩壁(ロックウォール)お願い!」

 ピョンピョン跳びながら手招きをするオディールに、ミラーナはやれやれという感じで肩をすくめた。
 ミラーナに浴槽を作ってもらうと、オディールはクレヨンの家まで戻ってきて三階に駆け上がった。

「ハーイ! みんな! 雨降らすから家に入って!」

 窓用に開けた穴からそう叫んで、オディールは夕暮れ空に向かって両腕を高く掲げる。

「え? 雨?」「マジですか……」

 浴槽に雨で注水するという、トンデモ発想にみんな渋い顔をして家へと駆けこんでいく。

「【龍神よ、天の恵みをかの地に降らせたまえ】」

 祭詞が部屋に響き、キラキラと光の微粒子に囲まれるオディール。

 直後、ぶわっと湧き上がってきた暗雲から雨がパラパラと降り始める。

 サラサラと降る雨は一面の乾ききった大地に久しぶりの湿り気をもたらした。大地にしみ込んでいく雨が、新鮮な雨の香りを広げていく。しかし、浴槽に溜まるほどの水の量ではなかった。

「こんなんじゃ風呂にはならんぞ。ディナーにして酒でも飲むか? クハハハ」

 笑いながらレヴィアはオディールの背中をパンパンとはたいた。

「ちょっと、邪魔! あっち行ってて!」

 オディールはレヴィアをドンと押しやると、奥歯をギリッと食いしばり、腹の奥底に全ての魔力を集結させる。

 くぉぉぉぉぉ!

 碧眼が鮮やかに輝き、金髪が逆立っていく。

 黄金色に煌めく微粒子がオディールを包み込み、まぶしく輝いた刹那、再度バッと両腕を空に掲げる。

「【龍神よ、猛り狂え! (しずく)の猛威をここに!】」

 明らかにヤバそうな祭詞が部屋に響いた。

 直後、ビュウと不穏な風が吹き荒れ、ドッシャーッと滝のような集中豪雨が襲ってくる。

「あわわ……。なんちゅうことを……」

 レヴィアは渋い顔をして、窓から降り込んでくる雨から避けるように奥に逃げた。

 荒れ狂う風が吹きすさび、雨が容赦なく降り込んでくる中、オディールはびしょ濡れになりながら歓喜の声を上げる。

「きゃははは! 猛り狂え! ヒャッハー!」

 初めて使う全力の雨スキル。それは想像を超えた威力で砂漠をあっという間に水で覆いつくしていく。

 ヴォルフラムは激しく打ちつけてくる雨音に頭を抱えて丸くなり、ミラーナは雨の降り込まない隅っこでレヴィアと顔を見合わせて肩をすくめた。


      ◇


 雨が上がると、オディールはレヴィアを連れて浴槽に行った。幸い、家の周りは少し高台だったため水は引いていたが、周囲は水びたしであり、ゴツゴツとした荒れ地も今は見渡す限り水面が広がっている。

 十畳くらいの大きさはあろうかという浴槽には、なみなみと水がたたえられており、オディールは大満足。

「ほら、風呂になっただろ?」

 ドヤ顔でレヴィアに声をかけるオディール。

「はいはい、じゃが水風呂じゃぞ?」

「そこでレヴィちゃんの出番! 一億度で一気にやっちゃって!」

 オディールはノリノリでレヴィアの肩を叩いた。

「マジか!? 我はボイラー代わりかい!」

「いいじゃん、ドラゴン温泉。レヴィちゃんも入りたいでしょ?」

 レヴィアはドラゴンとしての尊厳にかかわるようなことは避けたかったが、確かに露天風呂は気持ちよさそうだ。その魅力には逆らい難い。

「今日だけじゃぞ!」

 レヴィアは、ボン! と爆発してドラゴン化し、カパッと巨大な口を開いた。

 果たしてドラゴンブレスをくらった風呂は、ボコボコと派手に沸騰し、かなり蒸発してしまうことにはなったが、無事に風呂らしくなる。

「さすがレヴィアちゃん! サンキュー!」

 オディールは嬉しそうにドラゴンの後ろ足のごつい鱗をペチペチと叩いた。


      ◇


 ただ、お湯が熱過ぎたため、とても入れない。一行は先にディナーを取ることにした。

 ミラーナは壁から石の板を生やしてテーブルにし、床から円筒を生やして椅子にする。

 オディールはマジックバッグから魔法のランプを取り出すと壁にかけ、パンやドライフルーツ、ハム、チーズを出し、食器を並べた。

「なんじゃ、これっぽっちかい?」

 レヴィアはハムを横からつまみ食いしながら不満をこぼす。

 オディールはムッとしながらレヴィアの手をパシッとはたいた。

「人間はこのくらいでお腹いっぱいなんですー!」

「ふん! しょうがないな……」

 レヴィアは指先で宙をツーっと裂き、できた空間の切れ目に両手を突っ込んだ。

「こんくらい用意せんかい!」

 レヴィアは嬉しそうに十キロはありそうな巨大な肉隗を取り出し、バン! とテーブルに叩きつけた。まるで屠殺(とさつ)したばかりのような新鮮な肉塊からは鮮血が流れ出し、ポタポタとテーブルからしたたる。

「へ?」「うわっ」「ひぃ!」

 唖然とする三人。

「そしてこうじゃ!」

 レヴィアは大きく息を吸って可愛いほっぺたをプクッとふくらませると、真紅の瞳をギラッと輝かせながらいきなり口から火を吹きだした。まるで火炎放射器のように、青紫に輝く超高温のプラズマジェットを直接肉塊に吹き当てる。肉塊はバチバチ! と激しい音を立てて脂を吹きだし、燃え上がる。

「おぉ……」

 肉が焼けるあまりにも美味しそうな香りに誘われ、オディールは思わず唾を飲み込んだ。
 ひとしきり炎を放ったレヴィアは、最後にブランデーの瓶を取り出して肉塊にぶっかける。ぼうっと壮麗な炎が噴きあがり、華やかな香りが部屋に満ちて美食の誘惑が彩り豊かに広がった。

「お、おぉぉぉ……。美味そう……」

 オディールがもう我慢できなそうにしていると、レヴィアはニヤッと笑う。

「分かるか? 肉はこうでないと」

 レヴィアは人差し指の爪をツーっと伸ばすと、シュッシュッシュと肉隗の表面をスライスした。それを三枚お皿に盛りつけ、テーブルに並べた。

「お主らはそれを食え。我はこれじゃ」

 レヴィアは中心部はまだ生の、血のしたたる肉塊にかぶりつく。口の周りを真っ赤にしながらおいしそうに肉を食いちぎり、飢えた獣のように貪り食う。

 オディールはその生々しい野性に圧倒され言葉を失う。見た目は可愛い女子中学生なのに、真紅の瞳を輝かせながら巨大な肉塊を貪るさまはひどく異様だった。

「くほー! 美味いのう! お主らも突っ立ってないでさっさと食え!」

 レヴィアはそう言うと、また肉にかぶりつき、力任せに引き裂く。鮮血があたりに飛び散って三人は渋い表情でお互いの顔を見つめあった。

 とはいえ、三人も肉の魔力には抗いがたい。貪り食うレヴィアからちょっと距離を取って席に着き、まだ表面が沸々(ふつふつ)としている肉片を思い思いに食べ始める。

 オディールはハーブソルトを出すと肉にかけ、ナイフで切ってひとくち口に含んだ。直後、溢れ出す芳醇な肉汁と、焦げた表面の香ばしい香りのハーモニーが一気に押し寄せてくる。

「うっ! うまーーーー!」

 思わず宙を仰ぐオディール。今まで食べたどんなステーキよりもおいしかったのだ。

「どうじゃ? 肉というのはこう食うんじゃ」

 レヴィアはポタポタと口の周りから血を滴らせながらニヤリと笑った。


        ◇


 肉を無心に貪って人心地着いた頃――――。

 レヴィアは、エールの樽を取り出すとげんこつで上蓋(うわぶた)をパカッと割り、樽のまま傾けてゴクゴクと飲み始める。

「あー、僕にもちょうだい!」

 オディールはマグカップを差し出したが、レヴィアは鼻で笑う。

「子供はリンゴ酒(シードル)にしとけ!」

 リンゴ酒(シードル)の瓶を差し出すレヴィア。リンゴ酒(シードル)にはアルコールはごくわずかしか含まれておらず、子供向けの飲み物だった。

 ちぇっ!

 オディールは口をとがらせて、渋々リンゴ酒(シードル)をマグカップに注ぎ、ミラーナにも渡した。

「僕はいいですよね?」

 ヴォルフラムは恐る恐るレヴィアにマグカップを差し出す。

 レヴィアはチラッとヴォルフラムを見ると、ニコッと笑い、マグカップでガバっとエールを(すく)う。

「お主の風魔法は見事だったぞ。(すね)の鱗が割れとったからな」

 ミラーナはみんなを見回し、マグカップを高く掲げた。

「じゃあ乾杯しますか!」

「いいね!」「いぇい!」「乾杯じゃぁ!」「カンパーイ!」

 みんな嬉しそうに声を上げ、ゴツゴツッ!というマグカップがぶつかる音が部屋に響いた。

 オディールはシュワシュワと口の中ではじける炭酸、鼻に抜ける華やかな香りを楽しみながら、同じくリンゴ酒(シードル)を飲んでいた王子とのパーティを思い出していた。

 煌びやかなドレスに身を包んで、最高級のリンゴ酒(シードル)を飲んでいたはずだが、美味しかった記憶などないし、どんな味だったかも忘れてしまった。それだけ気を張っていたのだろう。

 レヴィアの突っ込みに照れ笑いをするヴォルフラム。それをミラーナが朗らかに笑っている。そんなほのぼのとした光景を眺めながら、オディールはチーズをひとかけらつまんで口に運んだ。濃厚なうまみがじんわりと口の中を広がっていき、それをリンゴ酒(シードル)で優しく洗い流す……。その瞬間、オディールの心は幸福感で満ちあふれた。

『そうか、幸せはここにあったのか……』

 オディールはゆっくりと瞳を閉じ、身体中を包んでいく喜びの感動に身をゆだねた。

 周囲数百キロ誰もいない砂漠のど真ん中で、明日はどうなるかもわからない状況だが、それでも自分でつかみ取っている人生の実感がじんわりとリンゴ酒(シードル)の酸味と共に身体に染みていくのを感じていた。


       ◇


 宴もたけなわとなり、ヴォルフラムは一杯しか飲んでないのにすっかり真っ赤になり、レヴィアは二つ目の樽を飲み干す勢いである。

「こいつのニックネーム知ってる?」

 オディールはヴォルフラムを指さして陽気にレヴィアに聞いた。

「姐さーん、それやめましょうよぉ」

 ヴォルフラムはニヤニヤしながら突っ込む。

 レヴィアはジロっとヴォルフラムの顔を見つめる。

「うーん……、子羊キン肉男?」

 きゃははは!

 オディールは当たらずとも遠からずの予想に大笑いすると、

「『子リス大魔神』なんだって! ひどいよね」

 と、言って手を叩き、ゲラゲラと笑った。

「子リスデース!」

 すっかり酔っぱらったヴォルフラムは、背を丸めてリスの真似をしながら両手でドライフルーツをかじった。

「あはは、ヴォルさん上手いわ」

 ミラーナも、ヴォルフラムのキョロキョロするリスのしぐさに思わず笑いだす。

「なんじゃ、お前ら仲良しじゃのう」

 ニヤッと笑うレヴィアに、ヴォルフラムが絡む。

「何言ってんですか! レヴィさんも仲良しですよ! さささ、カンパーイ!」

「お主、飲みすぎじゃぞ! はい、カンパーイ!」

「ホイ! カンパーイ!!」

 ヴォルフラムはマグカップを力いっぱいレヴィアの樽にぶつけ、ガシャーン! という音が響き渡った。

 粉々に砕け散るマグカップ、飛び散ったエールを頭からかぶって泡だらけのレヴィア。

 一瞬、静けさが場を支配する。

「あれ? どっかいっちゃった?」

 ヴォルフラムはトロンとした目で、取っ手だけになってしまったマグカップの名残を見て首をひねった。
 レヴィアは金髪からポタポタとエールをこぼしながら渋い顔でオディールを見る。

 つい吹き出してしまうオディール。

「ちょっともう! どうなってんじゃこいつは!」

 レヴィアは怒るが、ヴォルフラムはいつの間にか潰れてテーブルに突っ伏してしまっている。

 見かねたミラーナがタオルを出してレヴィアを拭いてあげた。

「あー、もう! 散々じゃ!」

「まあまあ、ヴォルさんも悪気がある訳じゃないですし……」

 なだめながら金髪を丁寧にふき取るミラーナ。

「じゃあ、今日はお開き。僕は風呂入ってくるよ」

 オディールは軽く後片付けをしながら立ち上がった。そろそろいい湯加減に違いない。

「あら、私も行くわ」

 ミラーナは目をキラキラさせながら嬉しそうにオディールを見る。

「えっ!?」

 予想外の展開にオディールは息を呑み、目を見開いたままミラーナの方を見つめた。

「あら、いつもオディの入浴には私が手伝ってたわよ? 恥ずかしくなんてないでしょ?」

 ミラーナは不思議そうにオディールを見る。どうやら自分が見られることを問題には感じていないようだった。

 十七歳の女の子と一緒にお風呂に入る、それは果たして許されるのだろうか? オディールは困惑し、キュッと唇をかんだ。もちろん、見た目は十五歳の女の子だ、誰も不審には思わないのは分かっているが、サラリーマンの良心が痛む。

 しかし、断るのもおかしな話である。何を理由に断るのだろうか?

「いいから行きましょ?」

 ミラーナはそう言うとバッグをもって、オディールを引っ張っていった。

「えっ!? ちょ、ちょっと……」

 オディールは言葉を思いつかず、ただ、引かれるままについていく。

 外に出て、オディールは息を呑んだ。天の川が地平線から雄大に立ち上がり、無数の星々が輝きを放ち、まるで宝石箱をひっくり返したような華やかさで夜空を飾っていた。

「うはぁ……これは凄い……」

 オディールは砂漠を覆う大自然のアートに感嘆する。王都ではこんなに綺麗な星空は見えないし、そもそも貴族の暮らしでは夜空を眺めるような余裕なんてなかった。これもまた勝ち得た自由の果実なのかもしれない。


      ◇


 浴槽に手を入れると丁度いい温度になっていた。

 幸い星明かりでは裸体など見えない。オディールは覚悟を決めて、岩の衝立(ついたて)があるだけの脱衣場で服を脱ぎ、浴槽に入る。

「うはぁ、いい湯だ……」

 オディールはおおきくため息をつき、両手で顔を洗った。

「うわぁ、こんなに広いお風呂、贅沢ねぇ」

 ミラーナも嬉しそうに入ってくる。メイドの身分では入浴なんてできなかったのだ。もしかしたら初めてのお風呂かもしれない。

「あ、あれが……白鳥座かな?」

 オディールはドキドキする心臓を気づかれないように、天の川の方を指さした。

「え? そんな星座なんてあったかしら?」

 ミラーナは指さす方向をよく見ようと腕の上に顔を持ってきて、ふくよかな柔らかさがオディールの背中に触れる。

 うっ……。

 オディールは金縛りにあったように固まってしまった。

「ど、どうしたの?」

「あ、当たってる……」

 オディールが真っ赤になってつぶやく。

「何言ってるのよ、女同士で! はははは」

 オディールの背中をパン! と叩くミラーナ。

「そ、そうだけど……、ね?」

「オディの肌はきめ細やかで柔らかい……。羨ましいわ……」

 ミラーナは、オディールの腕をさすった。

「そ、そうかなぁ……」

「やっぱり貴族様って違うのねっていつも思っていたわ」

「今じゃ平民だけどね」

 オディールは自嘲(じちょう)気味に肩をすくめた。

「……。こ、後悔……、してる?」

 ミラーナは恐る恐る聞く。

「ぜーんぜん! こうやって露天風呂でさ、ミラーナと一緒に夜空眺めてる方が百万倍素敵な人生だもん」

 そう言いながらオディールはお湯をバッと空に放った。

 飛び散った水玉は、家の明かりを反射して、キラキラと星空を背景に流れ星のように煌めく。

「ふふっ、私も連れてきてもらって良かったわ」

「ほ、本当?」

「そうよ、実は出入りの商人の男にしつこく言い寄られていて困ってたのよ」

「えっ!?」

 オディールは、初めて聞いたミラーナの男関係の話に心臓がキュッとなる。

「中年の脂ぎった男なんだけどね、金はあるから食事だけでもってしつこいのよ……」

「そ、それでなんて答えたの?」

「もちろん、断ってたわよ」

 オディールはホッと胸をなでおろす。

「でもね、孤児院出身のメイドなんて将来ないのは確かなのよ。だから誰かと結婚しないとならないの」

「ダメ、ダメーー!」

 オディールは思わずミラーナの腕にしがみついた。

「ははは、今はもう結婚どころじゃなくなったから大丈夫よ」

 ミラーナは屈託のない笑い声をあげる。

 オディールは口をとがらせてじっと考える。思い付きでこんなところまでミラーナを引っ張りまわしてしまったが、結婚相手含めミラーナの人生もちゃんと考えなければならないのは事実だった。

「あ、あのさ……」

 オディールが口を開いた時だった。

 ドタドタドタっと足音が聞こえてくる。

「おう! ガールズトークじゃな、我も混ぜろ!」

 と、声がして、レヴィアが風呂に飛び込んでくる。

 バッシャーン! とものすごい水しぶきがあがり、二人に直撃した。
「ちょ、ちょっと! 何すんだよ!」

 オディールが怒ると、レヴィアは悪びれもせず満足そうに伸びをする。

「あぁ、いい湯じゃ!」

 まるで小学生のようなドラゴンの自由奔放さに二人は呆れ、ため息をついた。

 オディールがジト目でレヴィアを見ていると、星明りの中、どうも何かがヒラヒラして見える。

「あれ? レヴィア、何着けてるの?」

「何って? 服じゃよ」

 なんと、レヴィアは服のまま飛び込んでいたのだ。

「服のまま入るバカがいるかよ!」

 頭にきたオディールはレヴィアにつかみかかり、服をはぎ取ろうとする。

「何すんじゃ! エッチ!」

 レヴィアは暴れ、逃げ回る。

「いいから脱げーー!」

 怒って追いかけるオディール。

「ヤなこった!」

 レヴィアは両手でお湯をバシャバシャとオディールにぶっかける。

「やったな! このぉ!」

 応戦するオディール。浴槽は二人の掛け合うしぶきでグチャグチャになった。

「ちょっと、止めて!」

 ミラーナは怒るが、二人は熱くなってお湯のかけ合いはヒートアップする一方だった。そのうち、流れ弾がミラーナを直撃し、ミラーナの堪忍袋の緒が切れる。

「止めてって言ってるでしょ!!」

 絶叫するミラーナ。

 あまりの剣幕に二人は凍り付く。

 ふぅふぅというミラーナの荒い息がその場を支配した。

「……。風呂では、はしゃがない。分かったわね?」

 低い声でミラーナは諫める。

「はい……」「分かったのじゃ……」

 二人はお互いをジト目でにらみながら答えた。


        ◇


 家に戻るとヴォルフラムは毛布にくるまっていびきをかいていた。

「じゃあ、我も寝るわ。おやすみちゃーん」

 レヴィアはそう言いながらあくびをし、毛布をもって二階へと上がって行く。

「じゃあ、僕らも寝ようか?」

 歯ブラシをくわえながらオディールはミラーナに聞いた。

「そうね、今日はいろいろあって疲れちゃった……」

「ほいほいっと……、あれ……?」

 オディールはマジックバッグから毛布を出そうとしたが、三枚しか買っていなかったことを思い出す。

「あちゃー……」

「どうしたの?」

「ゴメン、毛布足りなかった……」 

「あら、でも一緒に寝ればいいじゃない」

 ミラーナはニコッと笑う。

「い、一緒!?」

 さすがに十七歳の少女と一緒に寝るのはマズいだろう。オディールは両手をブンブンと振って後ずさる。

「あら? 私と寝るの……嫌なの?」

 ミラーナはオディールを寂しそうな目で見つめる。

「そ、そ、そ、そ、そんなことないよ。いやでもほら、僕、寝相すっごく悪いからさ」

 オディールはうつむき、真っ赤な顔を隠しながら必死に言い訳をする。

「寝相は私も悪いから……。毛布なしじゃ寒いわ。二人で温め合お?」

 ミラーナはオディールの手を取る。その柔らかな温かさにドキドキが止まらなくなるオディール。

「ま、まぁ、そうだけど……」

「じゃ、行こっ」

 ミラーナはオディールの手を引き、階段を上っていく。

「あっ、ちょっ……」

 オディールは早鐘を打つ心臓を押さえながら、引かれるままについていった。

 三階にはさっき作っておいた玉砂利のベッドがある。ビー玉サイズの石のプールだ。寝心地は実に快適ではあるが、それでも毛布がないとさすがに寒い。

「さぁ、寝るわよー」

 ミラーナは玉砂利をジャラジャラ鳴らしながら飛び込んで、隣をポンポンと叩きながら嬉しそうにオディールを誘った。

「う、うん……」

 オディールは、『い、妹と寝るようなものだと思えばいいな。手を出さなきゃいいだけだし、うん』と、一生懸命自分に言い訳しながら、恐る恐る隣に横たわった。

「はい、どうぞ」

 ミラーナは毛布をオディールにかけようと、オディールの上に覆いかぶさる。風呂上がりの黒髪がオディールの真っ赤な頬をなで、ふわっと湯上りの甘い香りが鼻をくすぐった。

『くぅっ! 妹、妹!』

 オディールは目をギュッとつぶって何とか平常心を保とうと頑張る。

 そんなオディールの気持ちをぶち壊すように、ミラーナは

「玉砂利って冷たいわね……。ねぇ、もうちょっとこっち来て……」

 と、オディールに抱き着き、引っ張る。

『あひぃ……』

 ふわふわと柔らかく温かいミラーナの身体にオディールは目がグルグルしてしまう。

「ふふっ、オディ、温かいわ……」

 ミラーナはオディールの腕に抱き着いて幸せそうに言った。

 オディールは深呼吸を繰り返し、頑張って返す。

「ミ、ミラーナも、あ、温かいよ」

「私、誰かと寝るの初めてかもしれない……」

 ミラーナはポツリと言った。

 え?

「そうよ? オディが初めて……」

 愛し気な瞳でミラーナはオディールを見つめる。

 オディールはゴクリと唾をのんだ。

「ぼ、僕がイケメンの金持ちだったら良かったのにね」

 目を逸らし、平静を装うものの声が上ずってしまうオディール。

「うーん、そういうのってピンとこないのよね……」

 意外なミラーナの返しにオディールは首をかしげる。女の子というのはイケメンに魅了される存在ではなかっただろうか?

「イケメン……、嫌いなの?」

「男の人ってなんか怖いのよね……。会うと必ず胸を見てくるのよ、あの人たち」

 おうふ……。

 オディールは思わず変な声が出た。

 ミラーナは怒気のこもった声で続ける。

「なんだろうね? こっちが分かってないとでも思ってるのかしら?」

 自分も昔、胸の大きな人と会うとつい目が胸に引き寄せられていたのを思い出し、冷や汗をかくオディール。

「あ、あれは……、本能……なんじゃないかな? 男は胸に吸い寄せられるようにできてるんだよ」

「あら? オディは男の肩を持つの?」

 口をとがらせるミラーナ。

「と、と、と、とんでもない! 僕もたまにジロジロ見られて不愉快になってるんだから!」

 冷や汗を流しながら必死に否定するオディール。

「不愉快よねぇ……。オディがあの王子と結婚しなくてホッとしたわ」

 え?

「あの王子、私の胸ジロジロ見てたのよ。相当スケベよアレ! あんなのにオディが(けが)されなくてよかった……」

 ミラーナはそう言うと、オディールを自分の世界に引き込むかのように、全身を使って覆いかぶさりながら抱きついてきた。

『おほぉ……』

 オディールはミラーナの甘い香りの漂う中、その温かくやわらかい肌の感触に包まれ、視界がふわふわと揺らいでしまう。

「オディ、温かいわ……」

『いやちょっと、これ、どうすんの? え?』

 身体も男だったら完全に落ちていたが、幸い自分は女である。そもそも落ち方も分からない。

『これって、そういうこと? いや、しかし、でも……』

 オディールは混乱の極みにあった。

 どうしたらいいか必死に考えていると、スースーと寝息が聞こえてくる。

「あれ……? ミ、ミラーナ?」

 恐る恐る声をかけてみるが、何の反応もなく、ただ穏やかな寝息が聞こえるばかりである。

 なんと、ミラーナはオディールの上で幸せそうに寝てしまったのだ。

『なんだよぉ……。く、くぅぅぅ……』

 オディールはギュッと目をつぶり、持て余した気持ちに(さいな)まれる。

 よく考えればこれは自分を(した)ってくれている少女の純粋なスキンシップであり、それ以上を求めている訳じゃないのだ。

 重いため息を一つ押し出し、そっとミラーナを隣に下ろすと、じっとその安らかな顔を見つめた。

 きめ細やかな滑らかな肌に流れるような鼻筋、美しくカールしたまつ毛、こんな美しい少女が自分を慕い、無防備に寝ている。それはなんだかとても幸せな奇跡に思えた。

 オディールは心が温まる幸せの灯火に照らされて、自然と顔がほころんでいく。

 ミラーナにかかる毛布を整えると腕にそっと抱き着くオディール。

 柔らかく温かい……。

 じんわりと伝わってくるそのぬくもりに癒され、ゆっくりと眠りの世界へと引き込まれていった――――。


         ◇


「オディ! 起きて! 大変よ!」

 ミラーナに叩き起こされて、オディールは寝ぼけ眼をこすった。

 薄暗いがらんとした丸い部屋、オディールは一瞬自分がどこにいるのか思い出せず、ポカンとしながら辺りを見回す。

「外見てよ! ほら!」

 窓から差し込む朝日がパジャマ姿のミラーナを鮮やかに照らし、まるでスポットライトのようにミラーナの美しさを際立たせている。

 おぉ……。

 偶然生まれたそのアートにオディールは息を呑み、その美しさに一瞬動きを止めた。

「もう! 早く、早く!」

 しびれを切らしたミラーナはオディールの手を引っ張って窓に連れてくる。

「はいはい、なんだよもぅ……。ふぁーーぁ……。へっ?」

 あくびをしながら外をのぞいたオディールは驚きで固まった。なんと、限りなく広がる花々の海が広がっていたのだ。赤、青、黄色の大小さまざまな花たちが朝日に輝き、まるで天上の景色が地上に現われたかのようだった。

 はぁっ!?

 オディールはいっぺんで目が覚め、窓から身を乗り出して辺りを見回した。巨大なロッソは朝日を浴びて黄金色に煌めき、昨日と変わらぬ静寂を纏っている。場所は昨日と同じだったが、ひと晩で砂漠が一面の花園へと生まれ変わっていた。

「な、なんだよこれ……」

 オディールはパジャマのまま、慌てて階段を転がるように駆け下り、外に飛び出す。

 そこには黄色い菊にタンポポ、純白の百合、空のような深い青色のネモフィラ、情熱を込めたような真紅のポピーなど、さまざまな花々が一斉に咲き乱れ、朝日に輝き揺れていた。それもみんなサイズが異常にでかい。タンポポなど手のひらサイズもある。

 オディールが困惑し、立ち尽くしていると、レヴィアがポンポンと肩を叩いた。

「お主の昨日の雨で咲いたんじゃ」

「雨で?」

「砂漠ではたまに降る雨に合わせて一斉に花を咲かせることがあるんじゃ」

「いやいや、一晩じゃ咲かないでしょ? さすがに」

「んー、まあ、そうなんじゃが……。あれを見てみぃ」

 レヴィアは困惑気味に微笑むと、ロッソを指さした。

 え?

 朝日に輝くロッソだったが、よく見るとキラキラと煌めく黄金色の微粒子を上の方から吹き出している。

「龍脈じゃな。大地を流れる聖気が昨日の豪雨で活性化され、ロッソから(あふ)れ出しているようじゃ」

「あれ全部聖気!?」

 オディールは目を大きく見開いて驚く。聖気というのは聖女が治癒などに使う奇跡の力であり、生命力の根源に連なる貴重な力とされていた。

「そうなるのう。あれでこの辺り一帯の生物は異常に活性化され、流れる水は全部聖水になっておる」

 言われてみると、オディール自身も体が軽く、湧き上がる活力を自分の体中で感じることができた。

「これ……、とんでもない事……じゃない?」

 オディールは花畑を見回し、砂漠を一晩で見渡す限りの花の海にしてしまったその圧倒的な聖気に気おされる。

「そうじゃな、大聖女一万人分くらいのとてつもない聖気じゃ。我もこんな現象は生まれて初めてじゃよ」

「一万人!? うはぁ……」

 世紀の大発見の圧倒的な規模に、オディールは言葉を失い、首を振りながらただただ感嘆の息をついた。

「オディーー!」

 声の方に目をやると、花畑の中に立つミラーナが爽やかな朝の風を浴びながら、楽しそうに大きく手を振っている。朝日で黒髪をキラキラと煌めかせながら、その手には美しい純白の百合を優雅に持ち、はつらつとした笑顔からは幸せが溢れていた。

 お、おぉ……。

 その刹那、雷が落ちるような衝撃とともにオディールに一つのビジョンが舞い降りる。天啓のように示されたビジョン、それは楽しそうなミラーナと一緒にこの花畑で幸せに暮らすイメージだった。そう、この花畑こそが旅の終着地『目的の地』だったのだ。

「そ、そうか!」

 オディールはギュッとこぶしを握った。

 この奇跡の地こそが求めていた新天地であり、ここでミラーナと暮らすことが自分の生きる道だとオディールは確信を持つ。転生後、長い間もやもやとまとわりついていた霧がすっと消え去り、あるべき人生の姿にようやくたどり着いた瞬間だった。

 思わず一筋の涙が頬を伝い落ち、ミラーナが涙に霞んで見える。

「そうだよ……、ここでミラーナと……」

 オディールは無心に花畑の中を駆け出す。

「ミラーナーー!!」

 朝日に煌めく花々をかき分けながら、オディールは一直線にミラーナに飛び込んだ。
 きゃぁ!

 オディールのあまりの勢いに倒れそうになるミラーナ。

 オディールははぁはぁと肩で息をしながらギュッとミラーナを抱きしめる。

「あらあら、どうしたの?」

 ミラーナはふぅと息をつくと、優しく微笑みながらオディールの背中をポンポンと叩いた。

「ここ、ここだよ……」

「え?」

「ねぇ、ミラーナ。ここで暮らそ?」

 オディールはバッと顔を上げると、流れる涙を拭きもせず、(あふ)れてくる想いそのままに伝えた。

「ここ……?」

 オディールは澄み通る碧眼でミラーナをまっすぐに見つめ、情熱を込めて口説く。

「そう、ここ。ここで畑を耕して、美味しいもの作って花に囲まれて暮らそ?」

「ここ、ねぇ……」

 ミラーナは朝日に輝く花畑を静かに一望するも、あまりピンと来ていない様子で首をかしげる。

「お店も何もないド田舎じゃない。旅で来るのはいいけど住むとなるとねぇ……」

「じゃ、こうしよう。ここに街を作るんだ、花の都にしよ?」

「花の都……? 本気?」

 ミラーナは呆れたように眉間にしわを寄せ、オディールの顔をのぞきこむ。

「本気、本気! 大本気だよ!」

 オディールは真剣な目でミラーナの手をギュッと握った。

 砂漠のど真ん中に街を築くという荒唐無稽な発想に、ミラーナは面食らい、思わず宙を仰ぐ。

 王都を始め、街というのは歴史の中で長い時間をかけて育っていくもので、そんな簡単に作ろうと思ってできるようなものではないのだ。

 でも……。

 ミラーナはどこまでも広がる煌びやかな花の海に目をやる。

 『こんな奇跡のような花畑にみんなが来てくれたらとても楽しいだろうな……』ミラーナはついそう思ってしまう。それだけロッソのもたらす聖気が起こした奇跡には魅力が詰まっていた。

 ミラーナは口元をキュッと結んでじっくりと考え込み、オディールをちらりと見た。

「何て名前にするの?」

「な、名前?」

「そう、素敵な名前の街だったら……、いいわよ?」

 小首をかしげ、朝の風に髪を躍らせたミラーナは、いたずらっぽい笑顔を向けた。

「な、名前かぁ……」

 オディールは悩む。ありきたりなものではいけないし、かといって凝りすぎてもダメ。実に難題だった。

「聖なる巨岩、ロッソのおひざ元の花畑……。うーん、セント……、フローラル……、ディーナ?」

 オディールは眉間にしわを寄せながら絞り出すように言った。

「ふふっ、一杯詰め込んできたわね……。音から行くと、セント・フローレスティーナ……かな?」

「ど、どう……かな? へへへ……」

 ミラーナは幸せを灯すような笑顔で、無垢で純白の百合をオディールに向けて静かに差し出した。

 えっ……?

「いいじゃない。住もっ、セント・フローレスティーナに」
 
「ほ、本当に……いいの?」

 オディールは恐る恐る百合を受け取りながら、チラッと上目づかいでミラーナを見た。

「だって、こんな素敵なところ、私たちで独占するのはもったいないわ」

 ミラーナは朝日に輝く花畑に向け、愛おしげに両手を大きく広げる。

「あ、ありがとう! 住もう! セント・フローレスティーナに!」

 オディールはミラーナを抱き締めた。その甘美で柔らかな香りに包まれながら、オディールは新たな人生の幕開けを告げる鐘の音が鳴り響くように感じ、心は感動で溢れていった。

「きゃぁ! もうオディったらぁ」

 きゃははは! ふふふふ。

 二人はお互いを見つめ、愛おしげに笑いながら軽やかに舞い回った。

 広大な砂漠の中に花の都を作るという壮大な挑戦は、一体どんな景色を見せてくれるのだろう。

 花咲き乱れる花畑で二人は見つめあい、まだ見ぬ花の都セント・フローレスティーナを思い描いてほほ笑みあった。


       ◇


 ミラーナが作った岩のベンチに座り、ミラーナに教えてもらいながらオディールは華やかな花々を織り交ぜ、花冠を編んでいた。

「おーい、そろそろ朝飯にせんかー?」

 レヴィアとヴォルフラムが手を振りながらやってくる。

「ねぇ、ちょっといいかなー? お願いしたいことがあるんだ」

 オディールは手を大きく振って二人を迎えた。

 キョトンとする二人に、オディールはセント・フローレスティーナについて熱っぽく語った。

「と、いうことで、ここに花の都を作ろうと思うんだけど……、手伝ってくれないかな?」

 オディールは両手を組んで小首をかしげ、レヴィアとヴォルフラムに頼む。

「ここを街にすんのか!? カッカッカ! こりゃまた大きく出たな。じゃが……」

 レヴィアは大笑いすると、渋い顔でヴォルフォラムと顔を見合わせた。旅をするという話から街を作るという話には大きな飛躍がある。

「頼むよ。ここはさ、街になるべきなんだ。ロッソの偉大な恵みは多くの人で分け合わないともったいないよ」

 オディールは青く澄んだ瞳を潤ませながら頼み込む。

 レヴィアは大きく息をつくと、急に真剣な目になり、ジロっとオディールの瞳をのぞきこんだ。

「ここは大陸一の聖地、確かに街になれば素晴らしいじゃろう。じゃが……、食料はどうする? 家は? 道は? ごみ収集もしないとならんし、警察も消防も必要じゃぞ? 思い付きでできる事じゃないぞ?」

「だから手伝って欲しいんだよ」

 オディールはレヴィアの手を取り、ギュッと握る。

「お主、ドラゴンに手伝わせるということを軽く見るなよ? 途中で放り出したりしたら……。噛み殺すぞ?」

 レヴィアは真紅の瞳を鮮烈に輝かせ、獰猛な仕草でその鋭い牙を見せた。

「放り出したりなんてしないよ! 僕がここに来たのは運命だったんだ。この命尽きるまでセント・フローレスティーナに捧げるよ」

 オディールは臆することなく、グッとこぶしを握って見せる。

 レヴィアはじっとオディールの輝く碧い瞳をじっと見つめた……。確かにその瞳には不退転の決意が映っている。

「よーし、その言葉忘れんなよ?」

 レヴィアはガシッとオディールのこぶしを握った。

 二人はニヤッと笑いあい、心を通わせるように見つめあう。

「ぼ、僕も混ぜて!」

 ヴォルフラムも慌ててごつい大きな手でオディールの手を握る。

 ミラーナは嬉しそうに三人の顔を見まわすと、みんなの手の上に手を乗せた。

「ふふっ、じゃあ決まりね! 今日がセント・フローレスティーナ創立記念日よ!」

「みんなありがとう!」

 期待に満ちた好奇心で目をキラキラさせているみんなと、一人一人目を合わせるオディール。

「よーし! お前らぁ、世界一の都にすっぞ! 気合入れろぉーー!?」

 オディールは急に真剣な顔になって叫んだ。

「はい!」「入れるー!」「任せろ!」

 みんなノリノリである。

 一瞬ウルッとしかけて、深く息を吸った後、満面の喜びを見せながらオディールは、みんなに聞く。

「お前らぁ! セント・フローレス?」

「ティーナ!」「ティーナ!」「ティーナ!」

 みんなの情熱がこもった声が一斉に花畑に響き渡り、一陣の風が吹き抜けて花のウェーブを描いた。

 Yeah!

 ほとばしる喜びで跳ねたオディールは、一人ずつ情熱的なハグで心を一つにしていった。

「やったるでー!」「やりましょう!」「頑張るわよ!」

 みんな口々に決意を表して、まだ見ぬ前代未聞の花の都、その壮大な風景を思い描く。

 周囲数百キロ延々と砂漠しかないこの不毛の地に世界一の花の都を築く、という荒唐無稽(こうとうむけい)なチャレンジは、こうして四人の想いが集まり、熱いスタートを切ったのだった。

 まずは都市計画を立てようと、オディールはレヴィアの背中に乗り、上空へと飛び立った。

 壮麗な翼が力強く羽ばたく度にぐんぐんと高度は上がり、クレヨンの家は小さくオモチャのように小さく縮んで見える。

 やがてロッソも小さくなっていって花畑の全貌が見えてきた。ロッソの南側を中心に半径十キロくらいに花が敷き詰められ、それより外は昨日と同じく延々と数百キロ見渡す限り砂漠が広がっている。

「この花畑の範囲が龍脈の効果の効くところじゃな」

 レヴィアはゆったりと旋回しながら言った。東京23区くらいのサイズである。

「なるほど、花畑の範囲で計画しないとダメだね」

「そうじゃ、そこに畑と建物を詰め込む。ただ、産業地域なら龍脈外れててもまぁええじゃろ」

 さらに旋回していくと大きな水たまりが見えてくる。

「あそこは湖になるね。魚を養殖してもいいかも?」

「聖水でできた湖じゃな、何とも贅沢じゃわい」

「そうか、聖水か……」

 オディールは首をひねり考え込む。この世界で唯一の聖水の湖、それを何かもっと創造的で特別な用途に使いたかったのだ。

 レヴィアはしばらく広い花畑の上空をゆったりと飛んだ。昨日降らせた雨の跡から地形の起伏がなんとなくわかる。全体的に北から南にわずかに下っていて、ロッソあたりから湖の方向に昨日の雨の残りが小川になって流れていた。

「で、街をどう作るかイメージは湧いたか? 道をどう通すかも大切じゃぞ」

「あそこに街を作ろう」

 オディールはニヤッと笑うと湖を指さした。

「ん? 湖畔の街か? まぁ、ええじゃろ」

「違う違う! 湖の中だよ」

 オディールは嬉しそうに言った。

「はぁっ!? そういうイレギュラーなことしたら大変じゃぞ?」

「だって、聖水の上に住んだらきっと身体にもいいよ?」

「そうかもしれんが、街というのは構造物の集合体。地上が基本じゃ」

「いやいや、水上の街だってあるんだよ」

 レヴィアは翼をはばたくのを一瞬止め、考え込む。この世界にそんな街などなかったのだ。

「……。お主、ヴェネツィアのことを言っとるか?」

「えっ!? なんで知ってる……」

 懐かしい地名にオディールはつい驚いてしまう。そして、自分の秘密、すなわち転生者であるという事実を暴露してしまったことに気付き、思わず宙を仰いだ。

「カッカッカ! なるほど、我がお主に負けた理由が分かった。お主は【星を渡りしもの】じゃったか!」

 オディールはガックリとうなだれ、鱗をさすりながら声を絞り出す。

「あのぅ……。このことは……」

「大丈夫じゃ、誰にも言わんよ。安心せい」

 レヴィアはバサバサッっと力強く羽ばたかせ、大きく旋回する。

「……。ありがとう……」

「お主の星は女神さまのお気に入りでな。気まぐれで現れた時によく情報をもらうんじゃ。次に現れた時にはお主の分も貰ってやろう。続きを読みたい本もあるじゃろ?」

「えっ? そ、それは助かる。続きが気になってるのあるんだよぉ」

 オディールは目を生き生きと輝かせ、レヴィアの鱗をパシパシ叩いた。もう二度と読むことも(かな)わないだろうと諦めていたあのラノベの続きが読める。そう思うだけで興奮が身体全体を貫き、鳥肌が立つほどだった。

「はっはっは、そういうもんじゃろうな。で、ヴェネツィアを作るって?」

「そう、ゴンドラで行き来できて、橋で歩いてくることもできるような立体の街がいいんだ」

「かーっ! 欲張りじゃのう。ミラーナには随分頑張ってもらわんとならんぞ?」

「最初だけだよ、人材を募集して、建築部隊はそのうちに編成するから」

「お主な……、軽く考えるでないぞ? あんないい娘はなかなかおらん。大切にしてやれ」

 レヴィアは振り向いて巨大な真紅の瞳をギョロっと光らせる。

「わ、わかってるよ……」

「ちゃんと、『ありがとう』って感謝を伝えとるか?」

「えっ!? そ、それは……」

 オディールは視線を落とした。ミラーナが以前自分のメイドであったため、彼女が自分の言うことに従うのは当たり前だという思い込みがあったのは否めない。だが、その思い込みはもはや自分勝手なわがままでしかなかった。

「言葉にすることも大切じゃぞ」

「……。分かった。ありがとう」

 オディールは少し恥ずかしそうに鱗をさすった。

「うむうむ。で、話しは戻って、道はどう通す?」

「それなんだけど、道じゃなくて運河にしようかと」

「運河かぁ……、どうかなぁ。具体的にはどこを通すんじゃ?」

「えーっとね、そこの丘を避けてだね……」

 二人はしばらく地形を確認しながら構想をまとめていった。

 多くの人が暮らすことになるセント・フローレスティーナ。この街が快適に生活できる魅力的な場所に成長するのか、それとも見捨てられてしまう廃墟になってしまうのかは都市計画の出来が左右する。二人は砂漠の澄み切った空をあちらへこちらへと飛びながら、激論を交わし続けた。