オディールは、軽快な走りで広場を横切り、大きな岩の上にピョンと跳び乗ると、広大な畑が続く大地を見渡した。確かにところどころ黄色くなってしまっていて元気がない。
「よーし、いっちょやってみっか!」
オディールは自信に満ちた笑顔で、力強くこぶしを握った。
大きく息をつくと、オディールは目をつぶり、雨のイメージを丁寧に紡いでいく。やりすぎたら洪水になってしまうし、局所に降らしても被害が出る。畑全体に広く潤すような雨のイメージを固めていく。
よし……。
オディールは快晴の青空に向けて両手を広げ、神妙な面持ちで祭詞を唱えた。
「【龍神よ、猛き息吹で恵みを降り注げ】」
詠唱と同時にオディールの全身からは青く光る微粒子がブワッと飛び出し、渦を巻きながら大空へと立ち上っていく。
それはまるで青く輝く龍が空へと昇っていくように見えた。
キラキラ光る龍が大空へ吸い込まれていった直後、にわかに掻き曇り、暗雲がもこもこと立ちこめていく。
ポツリポツリと天からの恵みは畑へと降り注ぎ始め、やがてザーっと本格的な雨になる。
久しぶりの雨は乾ききった大地にどんどんと吸い込まれ、ひんやりとした風が雨の香りを運んできた。
眼を凝らすと、畑の中に点在する家々からは次々と人々が飛び出してくる。彼らは雨に打たれながら口々に神への感謝を叫び、大空に手を広げた。雨はまさに生命の源、干天の慈雨はこの上ない恵みだったのだ。
やがて大人も子供もずぶ濡れになりつつ、溢れんばかりの喜びで踊り出す。
オディールはその情景を眺めながら、ほろりと涙が零れ落ちた。お前など要らないとバカにされ、王都を追い出されたオディールの心には自身が予想していた以上に深く、切ない傷痕が刻まれていた。どんなに気丈にふるまったとしても、人から否定されることによる心の傷はごまかしきれない。
しかし、今、目の前で歓喜に包まれる人たちを見て、オディールは全ての呪縛から解放されたのだ。前世でもこんなに人に喜んでもらったことなどなかったのだから。
もちろん、オディールがこんな奇跡を引き起こせたのは、女神から授けられたチートのお陰である。だが、危険をものともせずに王都を後にした彼女の決断が、それを可能にしたのだ。
旅に出て良かった……。
オディールは手の甲で涙をぬぐうと、喜びに舞う人々に両手を広げ、『幸あれ』と願った。
「おぉぉぉ! すごいです!」
ヴォルフラムは感動して駆け寄ってくると、両手を組んでオディールを崇める。天候を操れるとは聞いていたが、ここまで完璧に雨を降らせるとは思っていなかったのだ。ヴォルフラムにはここまでできるオディールはもはや神と映っていた。
オディールは急いで涙をぬぐい取ると、ニヤッと笑ってヴォルフラムを見下ろす。
「ふふーん、どう? 僕ってすごいでしょ?」
少しおどけた調子で腰に手を当てたオディールは、モデルのようにドヤ顔でポーズを取る。
「姐さん! 僕は一生姐さんについていきます!」
ヴォルフラムのまっすぐな熱い言葉がオディールの涙腺を緩ませた。
「や、やだなぁ、ちょっと重いんだけど……」
オディールはさりげなく後ろを向いて溢れてくる涙を隠す。
顛末を知るミラーナは少し涙ぐみながら、そんなオディールを温かいまなざしで見守っていた。
雨雲はオランチャの畑一帯を潤しながら風に流され、徐々に山の方へと消えていく。乾いた大地に降り注いだ雨は、畑の作物を緑色に輝かせ、心なしか元気になったように見えた。
◇
「あれ、何かしら?」
ミラーナが眉をひそめ、山の方を指した。
見ると、巨大な鳥のようなものが稜線を越え、雨の中を優雅に舞い、ゆっくりと羽ばたいている。
「も、もしかして、ドラゴン!?」
オディールは色めき立ち、鳥とは一線を画すその雄大な姿に釘付けになった。
「あぁ、あれがドラゴンですよ……。でも……、何だか様子がおかしいですね」
ヴォルフラムは眉をひそめ、首をひねった。
「うぉぉぉ、すごいすごい! イッツ・ファンタジー!」
興奮に身を任せ、オディールは岩の上でピョンと飛び上がる。
旅客機に匹敵する大きさを誇る幻想的な巨体が、壮大な山脈を背景に翼を大きくはばたかせ優雅に空を舞っている。それは一幅の絵画のような異世界ならではの光景であり、オディールは目を輝かせ、食い入るようにドラゴンを見つめた。
「な、何だかこっちを目指してますよ。こんなこと今までなかったのに……」
ヴォルフラムは青い顔をしながら後ずさる。
「え? こっちにやってくるの? すごいじゃん!」
オディールはのんきにそう言うが、ヴォルフラムは泣きそうになりながら頭を抱える。
「もしかして、雨を降らせたことを怒っているんじゃ? ど、ど、ど、どうしよう……」
「へ? 怒らせちゃった? ど、どうなるの?」
「し、知りませんよ。今までドラゴンを怒らせた人なんて聞いたこともないですから」
オディールはドラゴンを見つめながらアゴをなで、しばらく考えると、ニヤッと笑って聞いた。
「ドラゴンって……、強い?」
「そりゃぁ全ての生き物の頂点ですからね。口から吐く炎、ドラゴンブレスはありとあらゆるものを焼き尽くすと言われてますよ。そんな攻撃されたら僕らなんて一瞬で炭……、ひぃ!」
ヴォルフラムは巨体を丸くしてガクガクと震えた。
「ミラーナ、岩壁よろしく!」
「えっ!? ドラゴン相手に戦うの!?」
「売られたケンカは買わなきゃ!」
オディールはワクワクを押さえきれずに、いたずらっ子の笑みを見せる。
ミラーナとヴォルフラムは眉をひそめ、顔を見合わせた。
そうこうしているうちにもすさまじい速度で迫ってくるドラゴン。漆黒の鱗に包まれた巨体はほのかに黄金色の光をまとい、巨大な牙、鋭い爪を光らせながら泰然と大きな翼をはばたかせ、空を駆けてくる。
「総員戦闘配置につけ!」
オディールはノリノリでこぶしを突き上げるが、ミラーナもヴォルフラムもどうしたらいいか分からずオロオロしている。
「大丈夫だって。ドラゴンって言ったってトカゲの一種でしょ? ガツンと一発ぶちかましてやれば瞬殺だよ。一緒にドラゴンスレイヤーになるぞ! オーッ!」
のんきに勝つ気満々なオディールに、ヴォルフラムは冷汗を垂らしながら説得する。
「いやいやいや、ドラゴンは神の使いですよ? 人間じゃ勝てませんって!」
しかし、オディールは逆に燃えてしまう。
「ふふーん、では僕らが人類史上初のドラゴンスレイヤーだぞ。いいから魔法の用意して!」
二人は渋々、魔法陣の描かれた魔法手袋を取り出すと右手につけた。
見る間に迫ってきたドラゴンは、バサッバサッと大きな翼をはばたかせながら減速し、一旦宙に止まると、真紅の巨大な目でオディール達を睥睨した。
鱗に覆われたティラノサウルスのような恐ろしい顔、巨大な口から覗く牙、この世界の頂点に君臨する王者の圧倒的な迫力が場を支配する。
ギュォォォォーーーー!
腹をえぐるような重低音の咆哮を放つとドラゴンは、ズン! と地響きを響かせながら広場に着陸した。
ミラーナもヴォルフラムもその大いなる神の使いに圧倒されて言葉を失い、震えながら立ちすくんでしまう。
ただ、オディールだけはキラキラと目を輝かせ、興奮に駆られてこぶしを振り、夢にまで見た異世界の象徴にくぎ付けとなっていた。
「雨を降らせたのはお主らか?」
ドラゴンは巨大な真紅の瞳をギョロリと動かし、重低音の声を響かせる。
「そうだよ! まずかった?」
オディールはひるむこともなく、ニコニコしながら答えた。
「我の住処が水浸しなんだが? 人間の分際で勝手に天気を変えるとは何事じゃ! クワッ!」
ドラゴンは口から衝撃波を放ち、三人はあっさりと風圧で吹き飛ばされる。
うわっ! きゃぁ! グフッ!
岩から転げ落ちたオディールは挑戦的な視線でドラゴンをにらむと、ワンピースの土ぼこりを払いながら立ち上がり、ドラゴンを指さして吠えた。
「何よ! 偉そうに! 濡らしたのは悪かったけど、日照りに苦しんでる村に雨降らすくらいで文句言われる筋合いないんだけど?」
「姐さん、マズいって!」
ヴォルフラムは慌ててオディールの腕をつかんだが、オディールはそれを振り払い、逆に叫ぶ。
「二人とも! 準備して!」
「何じゃ? お主ら我に楯突こうというのか? ん?」
「そうよ? 先に手を出したのはあんた。お仕置きしてやるんだから!」
オディールはグッとこぶしを突き出すと言い放った。
「お仕置き……? 人間ごときが生意気な! 勝てるとでも思っとるのか?」
「僕の方が強いもん! 勝ったらいうこと聞いてもらうからね?」
オディールは腰に手を当て、ドヤ顔でまだ発達中の胸を大きく張った。
ドラゴンはオディールの不敵な挑発にその真紅の瞳を怒りで細め、身体を震わせながら、のどをグルルルと雷鳴のように響かせる。
「痴れ者が……。消し炭にしてやるわ!」
ドラゴンは天高く仰ぐと巨大な口を開け、大きく息を吸った。
「あわわわわ……。来ますよぉ!」
真っ青になって後ずさるヴォルフラム。
「ミラーナ! 岩壁!」
オディールはミラーナの背中をパンパンと叩き、ミラーナは慌てて呪文を詠唱する。
直後、地面がボコボコボコっと湧き上がり、巨大な岩の壁が地面からそびえ立った。
同時にドラゴンは巨大な口をパカッと開き、オディール達めがけて口から一億度を超える超高温のプラズマの眩しいジェットを放つ。まるでジェットエンジンのような轟音が村中に響き渡り、プラズマはオレンジ色に光り輝きながら岩壁を襲った。
ひぃぃぃ! きゃぁ!
岩壁は超高温に晒されて徐々に赤く光を放ち始め、角から溶け落ちていく。
周りをすっかり超高温のプラズマに囲まれ、ヴォルフラムもミラーナも頭を抱えてうずくまった。
しかし、オディールだけはアドレナリンが全開となって、きゃははは! と、ハイテンションの笑い声を響かせる。
「見せてあげるわ、女神に愛された者の力を!」
ドラゴンの上空に向けて手のひらを掲げたオディールは祭詞を叫んだ。
「【龍神よ、凍てつく息吹で氷のつぶてを降り注げ】」
一瞬空に閃光が瞬き、直後、スイカのような巨大な雹がものすごい速度で降ってきてドラゴンの脳天を直撃し、グシャァ! と衝撃音をたてながら砕け散った。
グハッ!
何が起きたか分からないドラゴンは空を見上げたが、バラバラとさらに雹は降り注いで鱗や翼に直撃し、重く鋭い衝撃音が辺りに響き渡った。
「な、なんじゃこりゃぁ!?」
最初のうちは耐えていたドラゴンだったが、雹はどんどん数も増え、サイズも巨大化していくので、たまらず逃げようとする。
「こ、小癪な! 痛てっ! 痛いっ! グワァァ!」
しかし、ドラゴンは雹を踏んでしまって転倒、そこにさらに膨大な量の雹が落ちてきて、あっという間に雹の山に埋もれていく。
「トカゲなど冷やしてしまえば動けまい。くふふふふ」
オディールは岩壁の脇からひょこっと顔を出し、徐々に高くなっていく雪山を見ながら嬉しそうに笑った。
しかし、雪山はもこっと盛り上がると、亀裂が入り、ガラガラと雪崩を起こす。
「くっ! 雪じゃダメか……。作戦変更! ヴォル、行くゾ!」
オディールは丸くなって震えているヴォルフラムの背中を叩いた。
「嫌ですよぉ! 僕は恐い事やらないって言ったじゃないですかぁ!」
ヴォルフラムは涙声で返す。
「何言ってんの! あいつの横暴を許したらもう二度と干ばつを救えないって事だよ? 村はもう救えないよ?」
「えっ!?」
ヴォルフラムは慌てて顔を上げ、指で涙をぬぐった。
「ヴォルは村を救いたいんだろ? 手伝ってよ」
オディールはニコッと笑ってヴォルフラムに手を差し伸べる。
しばらくうつむいていたヴォルフラムだったが、ゆっくりとうなずくとオディールの手を取った。
「へ? ゆ、雪が……」
ヴォルフラムは恐る恐る岩壁の脇から前をのぞき、巨大な雪山に呆然としている。
「早く、早く! 来ちゃうぞ! 風刃用意!」
オディールはヴォルフラムのデカいお尻をパンパンと叩いて気合を入れた。
直後、雪山はまるで息を吹き込まれたかのようにふくらむと、中のドラゴンがみなぎる闘志で力任せにグルンと回り、強靭なシッポを振り回して雹を辺りに吹き飛ばす。
ギュォォォォーーーー!
怒りで瞳を真っ赤に光り輝かせながら、ドラゴンは天に向かって腹をえぐるような重低音の咆哮を放つ。
「小童どもがーー! もう許さん!!」
怒りで我を忘れたドラゴンは強靭な後ろ足で駆け、突っ込んでくる。その巨大な重機のような身体で、鋼鉄のようなシッポでオディール達をミンチに挽き潰すつもりに違いない。
「ひ、ひぃぃぃ! 来ますよぉぉぉ!」
「足だ! 足に全力で風刃!」
オディールは叫び、ヴォルフラムは慌てて呪文を詠唱した。
直後、ヴォルフラムの身体が緑色に輝き、巨大な風の刃、風刃がまばゆい光を放ちながら宙を舞う。
行っけーー!
オディールの叫び声が響き、無限の魔力を帯びた風刃は思いっきりドラゴンの脛に着弾し、強靭な漆黒の鱗を弾き飛ばした。
グハァ!
ドラゴンはたまらずその巨大な身体を地面に叩きつけ、地震のような激しい衝撃が辺りを襲う。
「ヴォル! グッジョブ! とどめだ、食らえ!」
オディールは嬉しそうに碧眼をキラリと光らせると、全身全霊の魔力を腹の底から絞り出し、両手を天に掲げながら祭詞を叫んだ。
「【雷神よ、裁きをあの身に降り注げ!】」
オディールの身体から放たれた黄金の微粒子たちは、まばゆい輝きを放ちながら軽い螺旋を描きつつ一気に天に上っていく。
次の瞬間、激烈な光の奔流が天と地を飲みこんだ――――。
耳をつんざく轟音、まるで無数の打ち上げ花火が一斉に爆発したような爆音の嵐が辺りを襲う。
空から降り注ぐ煌めく稲妻の一斉射撃がドラゴンの翼を頭を胴体を次々と貫き、鱗を吹き飛ばし、翼を焼く。大自然の猛威を一方的に浴びせかける攻撃、それはもはや無慈悲な公開処刑であった。
ウギャァァァ!
ドラゴンは断末魔の叫びをあげると、ビクンビクンと痙攣し、やがて力なく大地に身を投げ出した。
ボロボロになったドラゴンの身体からはいくつもの煙の筋が立ち上り、辺りに焦げ臭いにおいが立ち込める。
直後、ボン! という爆発が起こって、ドラゴンは爆煙の中に沈んだ。
「やったか!?」
ニヤリと笑うオディール。
ヴォルフラムは青い顔をしてワンピースの袖をつかみ、ブルっと震えた。
「姐さん、それ禁句ですって」
柔らかな風が少しずつ爆煙をおいやり、薄くなっていく煙……。
固唾を飲んで見守る一行。
ところが、煙が晴れるとドラゴンの巨体はなくなっていた。その代わり、金髪おかっぱの少女が横たわっている。
オディールは何が起きたのかよく分からず、ミラーナとヴォルフラムと顔を見合わせる。
「何あれ?」
しかし、なぜ少女が倒れているのか誰も分からなかった。
恐る恐る近づいてみると、女子中学生のような少女がグレーの近未来的なジャケットを着て、静かに眠っているかのように倒れていた。
ミラーナは彼女をそっと抱き起こすと、ペチペチとほほを叩いた。
う、うぅぅ……。
うめき声をあげる少女。白い雪のような肌に整った目鼻立ち。まだ幼いながらすでにその美しさは人々を引きつける力を持っていた。
「ねぇ、大丈夫?」
ミラーナは優しくほほをなで、美しい金髪がサラサラと流れる。
うぅぅ……。
少女は薄っすらと瞼を開け、ハッとすると、三人を見回した。
「おっといけない……。お邪魔しましたぁ……」
慌ててバッと起き上がった少女はそう言って逃げようとする。
「ちょいと待ちな」
オディールは鋭い目つきで少女を睨むと、少女の襟元をガシッとつかんで制止した。
「な、なんじゃ?」
少女は冷汗を浮かべ、目を泳がせながら必死に言葉を絞り出した。
「お前、ドラゴンだろ?」
オディールは少女を強引に引き寄せると、可愛い顔をのぞきこみながら嬉しそうに言った。
「な、何を言うんじゃ、こんな可愛い女の子つまえてドラゴンだなんて……」
女の子は必死にごまかそうとするが、その澄み通った真紅の瞳はさっきのドラゴンと同じ色であり、バレバレだった。
「勝ったら言うこと聞いてもらうって話だったよなぁ? え?」
オディールはドヤ顔で女の子のプニプニのほっぺたをツンツンとつつく。
「くぅ……、ぬかったのじゃ」
女の子はベソをかいてうつむいた。
◇
ドラゴンの名はレヴィア。千年近く前、女神により異世界から連れてこられた超常生物だった。当初は伝説にも登場するくらい存在感があったが、ここ数百年は隠居して山でスローライフを満喫していたらしい。普段は少女姿で暮らし、どこかへ外出する時はドラゴンの姿になって飛んで行くということだった。
「さて、罰ゲーム・ターイム!」
オディールは上機嫌に右手を突き上げる。
「な、何をやらす気じゃ? エッチぃのはダメじゃぞ?」
レヴィアはびくびくしながら上目遣いでオディールを見る。
オディールはポンとレヴィアの肩を叩き、嬉しそうにレヴィアの瞳をのぞきこんだ。
「ふふーん、君には仲間になってもらうゾ!」
へ?
レヴィアは真意をはかりかね、言葉を失った。今、自分は彼らを全力で殺そうとしていたのだ。そんな自分をなぜ、仲間になどしようとするのか? そもそもなぜ、この可愛らしい少女は強大な力を秘めているのか? レヴィアはオディールのキラキラと光る碧眼に心を奪われつつ困惑する。
ミラーナとヴォルフラムも顔を見合わせ、一体何が始まるのか小首をかしげた。
「な、仲間……? お主らは何のパーティなんじゃ?」
レヴィアは眉間にしわを寄せながら三人を見回し、怪訝そうに聞く。
「僕らは世界中を旅行する旅行パーティ。楽しいことをする仲間なんだ」
オディールはそう言ってミラーナとヴォルフラムを引き寄せ、腰に手を回しながら嬉しそうに笑った。
「はぁ……?」
「何? その反応……。まぁいいや。じゃ、ちょっと僕らを乗せてひとっ飛び、大陸の果てまで飛んでよ!」
オディールは無邪気に依頼する。
「大陸の果てって……、どこ行くつもりじゃ」
「うーんと、この先って何があるの?」
オディールは広大な麦畑の向こうを指さす。
「延々と砂漠じゃよ。ずーっと砂漠」
「砂漠の向こうは?」
「んーーーー、何があったかのう? 最後は森があって海じゃったような……」
「おぉ! 海! じゃ、海までひとっ飛びヨロシク!」
オディールは上機嫌にポンポンとレヴィアの肩を叩いた。
「う、海まで……本気か……?」
レヴィアは渋い顔をする。何も考えて無さそうなこのお気楽少女の言うことなど聞いていたら、大変な目に遭いそうである。
「本気も本気、レヴィアならひとっ飛びでしょ?」
レヴィアは大きなため息をつくと、ミラーナとヴォルフラムの方を見る。
「お主らはそれでええのか?」
「私、海見たことないの。見てみたいわ!」
ミラーナは、嬉しそうに両手を組みながら上機嫌に答える。
ヴォルフラムはやや困惑気味に、小首をかしげながら『二人にお任せ』という感じで二人の方を手のひらで指した。
レヴィアは目をつぶって腕を組む。
ドラゴンを圧倒した奇妙なパーティ、その目的は観光だと言う。この能天気な小娘が癪に障るが、無茶な冒険をするわけでもなし、暇つぶしにはいいかもしれない。思えば数百年、ずっと孤独を満喫してきたがさすがにそろそろ飽きてきていたというのもある。
レヴィアは片目を開いてオディールの碧い瞳を見つめた。
それに、自分を圧倒したこの小娘の恐るべき力。その気になれば世界征服すら可能であろうその脅威的な力を使って、彼女がこれから何をするのかも気になった。
「まぁ、ええじゃろ。しばらくつきあってやろう」
レヴィアはニヤッと笑うとオディールに右手を差し出す。
「ふふっ、よろしくね!」
オディールは満面に笑みを浮かべ、ギュッと握手をした。
こうして一行は思いがけず伝説の生き物、ドラゴンを仲間に加えることに成功する。空を飛べる仲間を得たことは、旅を大いに楽にしてくれるに違いない。
オディールは楽しい予感に心が舞い上がり、ピョンと跳び上がると叫んだ。
「イェーイ! 歓迎のダーンス!」
喜びに身を任せて、手を思い切り振り上げ、振り下ろし、下手ながらも幸せを全身で表現するダンスを披露する。
きゃははは!
楽しそうに笑うオディール。それは不格好でも見る者に楽しさが伝わってくるダンスだった。
「姐さん、楽しそうですねぇ……」
ヴォルフラムは嬉しそうにそう言うと、オディールの真似をして踊り始める。
「なんじゃ、そりゃぁ」
呆れるレヴィアに、オディールは背後から両手を取った。
「ほらほら、レヴィちゃんも踊った踊った!」
オディールはレヴィアの手を右右、左左、と伸ばさせると、くるりと回した。
「うわぁぁ」
「はい、自分で踊って!」
オディールは、そう言うとヴォルフラムの後ろについて踊る。
「しょうがないのう……。歓迎の舞じゃなかったんかい……」
レヴィアはそう言いながらも楽しそうにオディールに続いた。
「じゃあ、私も……」
ミラーナもレヴィアに続く。
こうして一行は盆踊りのように輪になって思い思いに楽しく踊りながら、仲間を得た喜びをかみしめ、まだ見ぬ大陸の果てを思い描いたのだった。
◇
「お主ら、しっかりつかまっとけよ!」
ドラゴン姿に戻ったレヴィアは三人を後頭部に乗せ、巨大な翼を雄大に広げてグンと天高くそびえたてた。その、翼の骨と広大な皮膜は、コウモリにも似た生々しい生き物の造形を感じさせるが、長さは十数メートル。まるで巨大な帆船のようであった。
その巨大な翼をバサッバサッとはばたかせると、レヴィアは太い後ろ足でグンと地面を蹴る。
うわぁ! きゃぁ! うぉぉ!
ものすごい加速で思わず振り落とされそうになる三人。
まるで嵐を巻き起こすかのように力強く羽ばたくドラゴンは、あっという間に高く舞い上がる。
チラッと下を見て、唖然としている商店のおばあちゃんを見つけたオディールは、大きく手を振り、嬉しそうに叫んだ。
「いってきまーす! きゃははは!」
風をつかみ、力強く、空高く駆け上がるドラゴン。村の建物は見る間に小さくなって、手のひらサイズのジオラマ模型のようになっていく。
「すごい! すごーい!」
はしゃぐオディールだったが、横を見るとミラーナもヴォルフラムも鱗のトゲにしがみついて、目をギュッとつぶって耐えている。
「なーにやってんの! ほら見て、いい景色だよ!」
オディールはミラーナの背中をポンポンと叩いた。
恐る恐る目を開けたミラーナは、一日がかりで超えてきた山脈がもう遥か下にに見えるのに驚き、唖然とする。
さらに、山脈の向こう、ずっと奥には、傾いてきた太陽のオレンジ色の光を浴びながら円形の構造物が小さく見えた。
「えっ? あれって……何かしら……?」
ミラーナが不思議そうに聞く。
「おぉ、王都だね。まだ見えるんだ。ちっちゃいねぇ。きゃははは!」
オディールは笑い飛ばした。
「王都ってあんなに小さいの!?」
驚きに息を呑むミラーナ。生まれてこの方ずっと王都の中にいて、王都が世界の全てだったミラーナにとって、その光景は一瞬で世界観をひっくり返されるほどの衝撃だった。
口をポカンとあけて呆然としているミラーナの手を、オディールはギュッと握り、ブラウンの瞳をのぞきこむ。
「これが世界だよ。来て良かったでしょ?」
風に乱れる美しい黒髪を片手でなだめつつ、圧倒されるミラーナは静かに首を振る。
「これが……、世界なのね……。ありがとう、オディ」
ミラーナは世界の壮大さに心を打たれ、オディールの手を強く握り返した。
日が落ちてきてオレンジ色に輝き始めた砂漠の上を、レヴィアは気持ちよさそうに軽やかに飛び、大陸の奥へ奥へと進んでいく。
延々と続く草一つ生えていない砂漠、それは生き物の姿一つ見えない不気味な死の領域だった。大地を引き裂いたような岩の山脈を越え、渓谷を越え、東へ東へと飛んでいく一行。
やがて、オディールは広大な砂漠の大地にポッコリと盛り上がる奇妙な岩山を見つけた。まるでオーストラリアのエアーズロックのような不思議な形をしているその岩山は、夕日に照らされて赤く輝いていた。
「うわぁ……、何あれ……?」
オディールはその奇妙な造形にくぎ付けとなった。まるで誰かが作ったかのように広大な砂漠にそこだけ盛り上がっているのだ。
「ただの岩山じゃろ」
レヴィアは重低音の声を響かせ、通り過ぎようとする。
「ねぇ! 降りて! 降りて!」
オディールはせがんだ。何か岩山に呼ばれたような気がしたのだ。
「へ? 海行くんじゃなかったんか?」
「いいから降りて!」
オディールは漆黒の鱗をバンバン叩く。
「砂漠の岩山に何があるんじゃ……。しょうがないのう……」
レヴィアは面倒くさそうにため息をつくと、首をもたげ、翼を斜め前に出し、急遽着陸態勢に入った。
◇
岩山をゆったりと旋回しながら高度を落とし、ふもとの荒れ地に着陸したレヴィア――――。
オディールはピョンと飛び降りて、岩山を見上げた。
夕日に照らされて赤く輝く岩山の高さは三百メートルくらい、幅は数キロはあるだろうか、断崖絶壁に囲まれて、登るとしたら骨が折れそうである。
「うわぁ、すごい岩山ねぇ……」
ミラーナも降りてきて岩山を見上げた。
「すごいよね。なんて山なんだろう。知ってる?」
オディールは金髪娘に戻ったレヴィアに聞いてみるが、レヴィアは、肩をすくめ首を振った。
「知らん。ここは周囲数百キロ砂漠しかないから、まだ誰も見たことない山かもな。せっかくだから名前を付けてみたらどうじゃ?」
「名前かぁ……赤い岩だからレッドロック……、いや、ダサいな……」
腕を組み、首をひねるオディール。
ヴォルフラムが岩山を不思議そうに見上げながら、つぶやく。
「赤ならロッソ……という言い方もありますねぇ」
「ロッソ……、いい響きね……」
ミラーナはにこやかにうなずいた。
「ロッソかぁ……、うん、いいかも。こいつはロッソだ! ヴォル、ナイス!」
オディールは嬉しそうにヴォルフラムの背中をパンパンと叩く。
えへへへ……。
ヴォルフラムは猫背で照れ笑いをしながら頭をかいた。
◇
砂漠の地平線に大きな真っ赤な夕日が沈み込み、その輝きを受けたロッソはまるで燃え上がるかのように真紅に煌めく。みんなは息をのんで、その揺らぎゆく色彩の美しさに見入っていた。
夕暮れの茜色から群青色へと続くグラデーションを背景に赤い輝きを放つロッソは、大自然の巨大なキャンバス上の繊細で感動的なアートとして心を打つ。
周囲数百キロ、誰もいない砂漠のステージで毎日繰り広げられていたショーは、今、オディールたちを迎えて初めて観客を得たのだった。
うわぁ……。
オディールは思わずため息をつき、ミラーナの手をそっと握る。
くだらない貴族社会でずっと窮屈な思いをして硬直していた心が少しずつほぐれていく感覚にオディールは身をゆだねた。知らないうちに頬を涙が伝っていく。
オディールは流れる涙をぬぐいもせず、ただ静かに刻々と表情が変わっていくロッソを眺めていた。
この先、何があるか分からないが、心揺るがす旅に人生の本質が埋まっているに違いない。
オディールは涙をぬぐうとミラーナの手をギュッと握って、嬉しそうにミラーナを見た。
ミラーナは一瞬キョトンとしたが、優しい笑顔でほほ笑み、ゆっくりとうなずいた。
◇
「よーし! 今日はここでキャンプだゾ!」
太陽が沈み、宵の明星が輝き始める中、オディールが腕を突き上げる。
「え? ど、どこで寝るの?」
ミラーナは、不安そうに聞く。
「これから簡単な小屋を建てよう。岩壁でね」
そう言うと、オディールはマジックバッグからひもを出し、コンパスの要領でガリガリガリっと地面に十畳くらいの広さの円を描いた。
「ミラーナ、この円に沿って岩壁を生やしてみて」
いきなりミラーナに無茶振りするオディール。
「えっ? 岩壁で小屋作るの!? そんなのやったことなんてないわよ」
しり込みするミラーナだったが、オディールはいたずらっ子の笑みを浮かべながら言う。
「野宿より小屋があった方がいいと……思うよ?」
えぇ……?。
ミラーナは眉をひそめるとため息をつき、渋々地面に描かれた線をたどってみる。
「えーっと……、これ、どうやって……ええーー……」
どうやって円弧の岩壁を出したらいいのかピンとこないミラーナは両手で口を覆い、うつむいた。
「失敗したっていいんだよ。ほら、やるよ!」
オディールは無責任にミラーナの背中を叩く。
ミラーナはジト目でオディールをにらんだが、確かに野宿よりは小屋が欲しいのはその通りだった。
大きく息をつき、精神を集中して岩壁のイメージを固めていくミラーナ。
夜の風がそよぎ始め、ミラーナの黒髪をさらさらと乱した。
「分かったわよ。じゃ、練習だと思って一気に行くわよ!」
ミラーナは円の中心に立つと、手をのばして呪文をぶつぶつと唱え始める。
直後、ぼうっと黄色い光がミラーナを包み、地面も円形に光り始めた。
「いいね、いいね! いくよっ!」
オディールはニヤッと笑うと、キラキラと黄金色に輝く光の微粒子をまといながら、ミラーナの背中に当てた手のひらから魔力を一気に注ぐ。
ミラーナは一瞬、眼がくらむほどの光を放った。その刹那、地面はまるで生き物のように円形に膨らんだと思うと、瞬く間に円筒状の岩壁が湧き出て天高くせり上がっていく。
地響きが響き渡り、土ぼこりをたてながら円筒の岩の壁は夕暮れ空めがけて伸び、やがて高さは十メートルはあろうかという壮観な構造物となった。
「やったぁ!」
期待を遙かに超えた成果にオディールは、心からの歓喜に手を振り上げ、軽やかに跳びはねる。
御影石のように白地に黒い粒を散らした高級感のある岩は、夕暮れの空を精巧に円形に切り取り、一つの立派な構造物として完全に機能していた。それどころかこれまで目にしたどんな建造物よりも、気高く美しい存在に見えたのだ。
ミラーナのこの力を使えばアパートでも橋でもスタジアムでも何でも作れてしまうのではないか? オディールは岩壁の無限の可能性に気が付き、ワクワクが止まらなくなってくる。
「ミラーナすごい! すごぉぉい!」
ミラーナの背中に抱き着くオディール。
はぁはぁと肩で息をついていたミラーナは苦笑いを浮かべると、しがみついているオディールの金髪をなでる。
「こんなので良かったかしら?」
「いやもう最高! これなら街でも作れるよ!」
「ま、街? 街よりもまず寝床が要るわよ?」
目をキラキラするオディールを見ながらミラーナは苦笑した。
「いやまぁ、そうなんだけど……。何にしてもミラーナはすごいんだ!」
オディールはギュッとミラーナを抱きしめ、柔らかく優しい匂いに包まれながらミラーナの持つ無限の可能性に思わずブルっと身震いをした。
◇
円筒だけじゃ建物にならない。二人は壁から階段のステップを土魔法で生やしながら螺旋階段のように上の方へと登っていく。
「じゃあ、この辺で二階の床を作ろう!」
オディールはミラーナに指示して床を作っていく。土魔法を駆使し、壁から梁を生やして向かい側へとつなげていくのだ。やがて、多少凸凹しているものの二階が出来上がる。
「こんなのでいいのかしら……?」
「大丈夫だって!」
不安がるミラーナに、オディールはピョンピョンと床を飛び回って見せた。
太い御影石でできた梁は人間の体重くらいではビクともしなかったのだ。オディールは改めて土魔法の有用さに感服する。
三階も作り、最後に円すい形の屋根を形作り、あっという間に家が完成してしまった。その形はまるでクレヨンだった。
土魔法で出入り口を開けて外に出ると、レヴィアが感心しながら声をかけてくる。
「いやぁ、お主ら凄いのう……」
いまだかつて土魔法で建物を建てた人なんて聞いたことが無かったのだ。それだけミラーナには才能があったし、オディールのチート魔力は異常だった。
「ふふーん、僕もミラーナも凄いんだゾ!」
オディールはミラーナの腕にしがみつくとドヤ顔を見せる。
「うんうんお主ら、息が合っていてよかったぞ。ちなみにお主らはどういう関係なんじゃ? 付き合っとるのか? ん?」
レヴィアは真紅の瞳を光らせ、嬉しそうに二人の顔を交互に見た。
「つ、つ、つ、付き合うだなんて……僕ら女同士……だよ?」
「性別なんてどうでもええじゃろ、心の問題じゃ」
「ただの友達ですよ、ねっ、オディ?」
ミラーナは屈託のない笑顔で言った。
「えっ? あ、う、うん……」
オディールはうなずきながらも、『ただの友達』という言葉に心の奥底にチクリととげが刺さったような痛みを感じ、うつむく。
自分はずっとミラーナと一緒に居たいのに、彼女にとって自分はただの友人でしかないという過酷な現実。その切ないギャップが、オディールの心に寂しさを深く刻んでいた。
群青色に染まる夕暮れ空の下、ロッソを背景に美しくそそり立つ白亜のクレヨンの家を見上げながら、オディールは口をキュッと結んだ。
◇
「あー、風呂入りたいな、露天風呂!」
オディールはもやもやを吹き飛ばしたくて、風呂を造ろうと提案する。
「ふ、風呂……?」
ミラーナはオディールが何を言い出したのか困惑していた。
「こういう絶景を見ながら入る風呂って言うのは、ほんと最高なんだよ! ね、レヴィア?」
オディールはレヴィアに振るが、レヴィアは渋い顔で返す。
「そりゃあ露天風呂は最高じゃが、そろそろ晩飯にせんか? 酒が飲みたいんじゃが……」
「今すぐちゃっちゃと作るからちょっと手伝ってよ。ディナーは終わってから!」
オディールは口をとがらせると、タッタッタと少し走り、地面にまた丸い円を描いた。
「ミラーナ、ミラーナ! もう一回岩壁お願い!」
ピョンピョン跳びながら手招きをするオディールに、ミラーナはやれやれという感じで肩をすくめた。
ミラーナに浴槽を作ってもらうと、オディールはクレヨンの家まで戻ってきて三階に駆け上がった。
「ハーイ! みんな! 雨降らすから家に入って!」
窓用に開けた穴からそう叫んで、オディールは夕暮れ空に向かって両腕を高く掲げる。
「え? 雨?」「マジですか……」
浴槽に雨で注水するという、トンデモ発想にみんな渋い顔をして家へと駆けこんでいく。
「【龍神よ、天の恵みをかの地に降らせたまえ】」
祭詞が部屋に響き、キラキラと光の微粒子に囲まれるオディール。
直後、ぶわっと湧き上がってきた暗雲から雨がパラパラと降り始める。
サラサラと降る雨は一面の乾ききった大地に久しぶりの湿り気をもたらした。大地にしみ込んでいく雨が、新鮮な雨の香りを広げていく。しかし、浴槽に溜まるほどの水の量ではなかった。
「こんなんじゃ風呂にはならんぞ。ディナーにして酒でも飲むか? クハハハ」
笑いながらレヴィアはオディールの背中をパンパンとはたいた。
「ちょっと、邪魔! あっち行ってて!」
オディールはレヴィアをドンと押しやると、奥歯をギリッと食いしばり、腹の奥底に全ての魔力を集結させる。
くぉぉぉぉぉ!
碧眼が鮮やかに輝き、金髪が逆立っていく。
黄金色に煌めく微粒子がオディールを包み込み、まぶしく輝いた刹那、再度バッと両腕を空に掲げる。
「【龍神よ、猛り狂え! 滴の猛威をここに!】」
明らかにヤバそうな祭詞が部屋に響いた。
直後、ビュウと不穏な風が吹き荒れ、ドッシャーッと滝のような集中豪雨が襲ってくる。
「あわわ……。なんちゅうことを……」
レヴィアは渋い顔をして、窓から降り込んでくる雨から避けるように奥に逃げた。
荒れ狂う風が吹きすさび、雨が容赦なく降り込んでくる中、オディールはびしょ濡れになりながら歓喜の声を上げる。
「きゃははは! 猛り狂え! ヒャッハー!」
初めて使う全力の雨スキル。それは想像を超えた威力で砂漠をあっという間に水で覆いつくしていく。
ヴォルフラムは激しく打ちつけてくる雨音に頭を抱えて丸くなり、ミラーナは雨の降り込まない隅っこでレヴィアと顔を見合わせて肩をすくめた。
◇
雨が上がると、オディールはレヴィアを連れて浴槽に行った。幸い、家の周りは少し高台だったため水は引いていたが、周囲は水びたしであり、ゴツゴツとした荒れ地も今は見渡す限り水面が広がっている。
十畳くらいの大きさはあろうかという浴槽には、なみなみと水がたたえられており、オディールは大満足。
「ほら、風呂になっただろ?」
ドヤ顔でレヴィアに声をかけるオディール。
「はいはい、じゃが水風呂じゃぞ?」
「そこでレヴィちゃんの出番! 一億度で一気にやっちゃって!」
オディールはノリノリでレヴィアの肩を叩いた。
「マジか!? 我はボイラー代わりかい!」
「いいじゃん、ドラゴン温泉。レヴィちゃんも入りたいでしょ?」
レヴィアはドラゴンとしての尊厳にかかわるようなことは避けたかったが、確かに露天風呂は気持ちよさそうだ。その魅力には逆らい難い。
「今日だけじゃぞ!」
レヴィアは、ボン! と爆発してドラゴン化し、カパッと巨大な口を開いた。
果たしてドラゴンブレスをくらった風呂は、ボコボコと派手に沸騰し、かなり蒸発してしまうことにはなったが、無事に風呂らしくなる。
「さすがレヴィアちゃん! サンキュー!」
オディールは嬉しそうにドラゴンの後ろ足のごつい鱗をペチペチと叩いた。
◇
ただ、お湯が熱過ぎたため、とても入れない。一行は先にディナーを取ることにした。
ミラーナは壁から石の板を生やしてテーブルにし、床から円筒を生やして椅子にする。
オディールはマジックバッグから魔法のランプを取り出すと壁にかけ、パンやドライフルーツ、ハム、チーズを出し、食器を並べた。
「なんじゃ、これっぽっちかい?」
レヴィアはハムを横からつまみ食いしながら不満をこぼす。
オディールはムッとしながらレヴィアの手をパシッとはたいた。
「人間はこのくらいでお腹いっぱいなんですー!」
「ふん! しょうがないな……」
レヴィアは指先で宙をツーっと裂き、できた空間の切れ目に両手を突っ込んだ。
「こんくらい用意せんかい!」
レヴィアは嬉しそうに十キロはありそうな巨大な肉隗を取り出し、バン! とテーブルに叩きつけた。まるで屠殺したばかりのような新鮮な肉塊からは鮮血が流れ出し、ポタポタとテーブルからしたたる。
「へ?」「うわっ」「ひぃ!」
唖然とする三人。
「そしてこうじゃ!」
レヴィアは大きく息を吸って可愛いほっぺたをプクッとふくらませると、真紅の瞳をギラッと輝かせながらいきなり口から火を吹きだした。まるで火炎放射器のように、青紫に輝く超高温のプラズマジェットを直接肉塊に吹き当てる。肉塊はバチバチ! と激しい音を立てて脂を吹きだし、燃え上がる。
「おぉ……」
肉が焼けるあまりにも美味しそうな香りに誘われ、オディールは思わず唾を飲み込んだ。
ひとしきり炎を放ったレヴィアは、最後にブランデーの瓶を取り出して肉塊にぶっかける。ぼうっと壮麗な炎が噴きあがり、華やかな香りが部屋に満ちて美食の誘惑が彩り豊かに広がった。
「お、おぉぉぉ……。美味そう……」
オディールがもう我慢できなそうにしていると、レヴィアはニヤッと笑う。
「分かるか? 肉はこうでないと」
レヴィアは人差し指の爪をツーっと伸ばすと、シュッシュッシュと肉隗の表面をスライスした。それを三枚お皿に盛りつけ、テーブルに並べた。
「お主らはそれを食え。我はこれじゃ」
レヴィアは中心部はまだ生の、血のしたたる肉塊にかぶりつく。口の周りを真っ赤にしながらおいしそうに肉を食いちぎり、飢えた獣のように貪り食う。
オディールはその生々しい野性に圧倒され言葉を失う。見た目は可愛い女子中学生なのに、真紅の瞳を輝かせながら巨大な肉塊を貪るさまはひどく異様だった。
「くほー! 美味いのう! お主らも突っ立ってないでさっさと食え!」
レヴィアはそう言うと、また肉にかぶりつき、力任せに引き裂く。鮮血があたりに飛び散って三人は渋い表情でお互いの顔を見つめあった。
とはいえ、三人も肉の魔力には抗いがたい。貪り食うレヴィアからちょっと距離を取って席に着き、まだ表面が沸々としている肉片を思い思いに食べ始める。
オディールはハーブソルトを出すと肉にかけ、ナイフで切ってひとくち口に含んだ。直後、溢れ出す芳醇な肉汁と、焦げた表面の香ばしい香りのハーモニーが一気に押し寄せてくる。
「うっ! うまーーーー!」
思わず宙を仰ぐオディール。今まで食べたどんなステーキよりもおいしかったのだ。
「どうじゃ? 肉というのはこう食うんじゃ」
レヴィアはポタポタと口の周りから血を滴らせながらニヤリと笑った。
◇
肉を無心に貪って人心地着いた頃――――。
レヴィアは、エールの樽を取り出すとげんこつで上蓋をパカッと割り、樽のまま傾けてゴクゴクと飲み始める。
「あー、僕にもちょうだい!」
オディールはマグカップを差し出したが、レヴィアは鼻で笑う。
「子供はリンゴ酒にしとけ!」
リンゴ酒の瓶を差し出すレヴィア。リンゴ酒にはアルコールはごくわずかしか含まれておらず、子供向けの飲み物だった。
ちぇっ!
オディールは口をとがらせて、渋々リンゴ酒をマグカップに注ぎ、ミラーナにも渡した。
「僕はいいですよね?」
ヴォルフラムは恐る恐るレヴィアにマグカップを差し出す。
レヴィアはチラッとヴォルフラムを見ると、ニコッと笑い、マグカップでガバっとエールを掬う。
「お主の風魔法は見事だったぞ。脛の鱗が割れとったからな」
ミラーナはみんなを見回し、マグカップを高く掲げた。
「じゃあ乾杯しますか!」
「いいね!」「いぇい!」「乾杯じゃぁ!」「カンパーイ!」
みんな嬉しそうに声を上げ、ゴツゴツッ!というマグカップがぶつかる音が部屋に響いた。
オディールはシュワシュワと口の中ではじける炭酸、鼻に抜ける華やかな香りを楽しみながら、同じくリンゴ酒を飲んでいた王子とのパーティを思い出していた。
煌びやかなドレスに身を包んで、最高級のリンゴ酒を飲んでいたはずだが、美味しかった記憶などないし、どんな味だったかも忘れてしまった。それだけ気を張っていたのだろう。
レヴィアの突っ込みに照れ笑いをするヴォルフラム。それをミラーナが朗らかに笑っている。そんなほのぼのとした光景を眺めながら、オディールはチーズをひとかけらつまんで口に運んだ。濃厚なうまみがじんわりと口の中を広がっていき、それをリンゴ酒で優しく洗い流す……。その瞬間、オディールの心は幸福感で満ちあふれた。
『そうか、幸せはここにあったのか……』
オディールはゆっくりと瞳を閉じ、身体中を包んでいく喜びの感動に身をゆだねた。
周囲数百キロ誰もいない砂漠のど真ん中で、明日はどうなるかもわからない状況だが、それでも自分でつかみ取っている人生の実感がじんわりとリンゴ酒の酸味と共に身体に染みていくのを感じていた。
◇
宴もたけなわとなり、ヴォルフラムは一杯しか飲んでないのにすっかり真っ赤になり、レヴィアは二つ目の樽を飲み干す勢いである。
「こいつのニックネーム知ってる?」
オディールはヴォルフラムを指さして陽気にレヴィアに聞いた。
「姐さーん、それやめましょうよぉ」
ヴォルフラムはニヤニヤしながら突っ込む。
レヴィアはジロっとヴォルフラムの顔を見つめる。
「うーん……、子羊キン肉男?」
きゃははは!
オディールは当たらずとも遠からずの予想に大笑いすると、
「『子リス大魔神』なんだって! ひどいよね」
と、言って手を叩き、ゲラゲラと笑った。
「子リスデース!」
すっかり酔っぱらったヴォルフラムは、背を丸めてリスの真似をしながら両手でドライフルーツをかじった。
「あはは、ヴォルさん上手いわ」
ミラーナも、ヴォルフラムのキョロキョロするリスのしぐさに思わず笑いだす。
「なんじゃ、お前ら仲良しじゃのう」
ニヤッと笑うレヴィアに、ヴォルフラムが絡む。
「何言ってんですか! レヴィさんも仲良しですよ! さささ、カンパーイ!」
「お主、飲みすぎじゃぞ! はい、カンパーイ!」
「ホイ! カンパーイ!!」
ヴォルフラムはマグカップを力いっぱいレヴィアの樽にぶつけ、ガシャーン! という音が響き渡った。
粉々に砕け散るマグカップ、飛び散ったエールを頭からかぶって泡だらけのレヴィア。
一瞬、静けさが場を支配する。
「あれ? どっかいっちゃった?」
ヴォルフラムはトロンとした目で、取っ手だけになってしまったマグカップの名残を見て首をひねった。
レヴィアは金髪からポタポタとエールをこぼしながら渋い顔でオディールを見る。
つい吹き出してしまうオディール。
「ちょっともう! どうなってんじゃこいつは!」
レヴィアは怒るが、ヴォルフラムはいつの間にか潰れてテーブルに突っ伏してしまっている。
見かねたミラーナがタオルを出してレヴィアを拭いてあげた。
「あー、もう! 散々じゃ!」
「まあまあ、ヴォルさんも悪気がある訳じゃないですし……」
なだめながら金髪を丁寧にふき取るミラーナ。
「じゃあ、今日はお開き。僕は風呂入ってくるよ」
オディールは軽く後片付けをしながら立ち上がった。そろそろいい湯加減に違いない。
「あら、私も行くわ」
ミラーナは目をキラキラさせながら嬉しそうにオディールを見る。
「えっ!?」
予想外の展開にオディールは息を呑み、目を見開いたままミラーナの方を見つめた。
「あら、いつもオディの入浴には私が手伝ってたわよ? 恥ずかしくなんてないでしょ?」
ミラーナは不思議そうにオディールを見る。どうやら自分が見られることを問題には感じていないようだった。
十七歳の女の子と一緒にお風呂に入る、それは果たして許されるのだろうか? オディールは困惑し、キュッと唇をかんだ。もちろん、見た目は十五歳の女の子だ、誰も不審には思わないのは分かっているが、サラリーマンの良心が痛む。
しかし、断るのもおかしな話である。何を理由に断るのだろうか?
「いいから行きましょ?」
ミラーナはそう言うとバッグをもって、オディールを引っ張っていった。
「えっ!? ちょ、ちょっと……」
オディールは言葉を思いつかず、ただ、引かれるままについていく。
外に出て、オディールは息を呑んだ。天の川が地平線から雄大に立ち上がり、無数の星々が輝きを放ち、まるで宝石箱をひっくり返したような華やかさで夜空を飾っていた。
「うはぁ……これは凄い……」
オディールは砂漠を覆う大自然のアートに感嘆する。王都ではこんなに綺麗な星空は見えないし、そもそも貴族の暮らしでは夜空を眺めるような余裕なんてなかった。これもまた勝ち得た自由の果実なのかもしれない。
◇
浴槽に手を入れると丁度いい温度になっていた。
幸い星明かりでは裸体など見えない。オディールは覚悟を決めて、岩の衝立があるだけの脱衣場で服を脱ぎ、浴槽に入る。
「うはぁ、いい湯だ……」
オディールはおおきくため息をつき、両手で顔を洗った。
「うわぁ、こんなに広いお風呂、贅沢ねぇ」
ミラーナも嬉しそうに入ってくる。メイドの身分では入浴なんてできなかったのだ。もしかしたら初めてのお風呂かもしれない。
「あ、あれが……白鳥座かな?」
オディールはドキドキする心臓を気づかれないように、天の川の方を指さした。
「え? そんな星座なんてあったかしら?」
ミラーナは指さす方向をよく見ようと腕の上に顔を持ってきて、ふくよかな柔らかさがオディールの背中に触れる。
うっ……。
オディールは金縛りにあったように固まってしまった。
「ど、どうしたの?」
「あ、当たってる……」
オディールが真っ赤になってつぶやく。
「何言ってるのよ、女同士で! はははは」
オディールの背中をパン! と叩くミラーナ。
「そ、そうだけど……、ね?」
「オディの肌はきめ細やかで柔らかい……。羨ましいわ……」
ミラーナは、オディールの腕をさすった。
「そ、そうかなぁ……」
「やっぱり貴族様って違うのねっていつも思っていたわ」
「今じゃ平民だけどね」
オディールは自嘲気味に肩をすくめた。
「……。こ、後悔……、してる?」
ミラーナは恐る恐る聞く。
「ぜーんぜん! こうやって露天風呂でさ、ミラーナと一緒に夜空眺めてる方が百万倍素敵な人生だもん」
そう言いながらオディールはお湯をバッと空に放った。
飛び散った水玉は、家の明かりを反射して、キラキラと星空を背景に流れ星のように煌めく。
「ふふっ、私も連れてきてもらって良かったわ」
「ほ、本当?」
「そうよ、実は出入りの商人の男にしつこく言い寄られていて困ってたのよ」
「えっ!?」
オディールは、初めて聞いたミラーナの男関係の話に心臓がキュッとなる。
「中年の脂ぎった男なんだけどね、金はあるから食事だけでもってしつこいのよ……」
「そ、それでなんて答えたの?」
「もちろん、断ってたわよ」
オディールはホッと胸をなでおろす。
「でもね、孤児院出身のメイドなんて将来ないのは確かなのよ。だから誰かと結婚しないとならないの」
「ダメ、ダメーー!」
オディールは思わずミラーナの腕にしがみついた。
「ははは、今はもう結婚どころじゃなくなったから大丈夫よ」
ミラーナは屈託のない笑い声をあげる。
オディールは口をとがらせてじっと考える。思い付きでこんなところまでミラーナを引っ張りまわしてしまったが、結婚相手含めミラーナの人生もちゃんと考えなければならないのは事実だった。
「あ、あのさ……」
オディールが口を開いた時だった。
ドタドタドタっと足音が聞こえてくる。
「おう! ガールズトークじゃな、我も混ぜろ!」
と、声がして、レヴィアが風呂に飛び込んでくる。
バッシャーン! とものすごい水しぶきがあがり、二人に直撃した。