うららかな春の昼下がり、豪奢なお屋敷の廊下では赤いじゅうたんが陽の光を浴びて鮮やかな輝きを放っていた。メイドのミラーナは、観葉植物の植木鉢の手入れに集中するため、目を閉じ、手を伸ばして土魔法の呪文をささやいている。

 すると、光り輝くブロンドの髪を編みこんだ美少女が、いたずらっ子の笑みを浮かべながら抜き足差し足、そっとミラーナの後ろに近づいていく。

 くふふふ……。

 水色のワンピースに包まれたまだ発達途中のきゃしゃな体に、透き通るような白い肌、そして静寂な森の泉を彷彿とさせる澄み通る碧眼。この公爵家の屋敷の令嬢、オディールだった。

 オディールはミラーナのところまで行くと、そっと背中に手を当てて気を込める。

 瞬く間に、ミラーナは神秘的な黄金色の輝きに全身をつつまれた。

 キャァッ! と驚くミラーナ。

 同時にボン! と、植木鉢が軽い爆発を起こして、もうもうとした土煙が廊下を覆う。

 オディールから注がれた膨大な魔力で土魔法が暴走してしまったのだ。

「もうっ!」

 全身土だらけとなったミラーナは、抑えきれぬ怒りで体をブルブルと震わせる。

「ご、ごめん! ちょっと驚かそうと……しただけなのよ」

 少女は想定外の爆発に焦り、冷や汗を流しながら弁解した。

 鬼のような形相をして振り向いたミラーナは、ドスの効いた声で怒る。

「お嬢様……。いたずらは止めてくださいって何度もお願いしてますよね?」

「ご、ごめんなさーい!」

 慌てて逃げるオディール。

 しかし、廊下の向こうから、ツカツカと足音が聞こえてくる。爆発音を聞いて慌てて飛び出してきた公爵だった。

「あわわわ、ヤベッ!」

 逃げ場を失ったオディールは顔をしかめ、あたふたする。

「またお前か! お前は王子と結婚してこの国の王妃となるんだぞ! いつまでそんないたずらしとるのか!」

 公爵はオディールを指さし、真っ赤になって怒鳴り散らした。

 後ろを振り向くオディールだったが、ミラーナが仁王立ちしていて逃げられない。

「せっかく婚約までこぎつけたんだぞ。お前がなすべきことは王子に気に入られ、子を産むことだ。他のことは一切するな!」

 ものすごい剣幕でまくしたてる公爵に、オディールは窓の外をチラッと見てニヤッと笑う。

「やなこった!」

 あかんべーをしたオディールは窓枠に足をかけるとピョンと跳び、トネリコの枝に飛び移った。

「あ、危ない!」「な、何だと!」

 あっけにとられる二人を見ながらオディールは、楽しそうに手を振って見せる。

「こっこまでおいでー!」

 そう言うと、オディールは水色のワンピースのすそをキュッと結び、するすると猿みたいに地面に降りていった。

「お前! 自分の立場を分かっとるのか!」

 公爵は窓から身を乗り出して真っ赤になって怒るが、オディールは嬉しそうに、

 きゃははは!

 と、笑いながら走り去っていった。

「あ、あいつめ……」

 公爵はギリッと歯を鳴らし、ガン! と柱を拳で殴る。オディールを政略結婚の駒としか考えていない公爵の父娘(おやこ)関係はすっかり破綻していた。

「も、申し訳ございません……」

 ミラーナは土まみれのメイド服のまま、深々と頭を下げて謝る。この四年間、オディールの世話をし続けてきたミラーナだったが、オディールのお転婆っぷりには振り回されてばかりだった。

「婚約が破棄になったりしたらお前はクビだからな!」

 公爵はミラーナを指さし、怒鳴りつける。いかつい体躯から繰り出される怒気にミラーナは圧倒され、青い顔でうつむくしかなかった。


        ◇


 オディールは古びた物置の秘密の屋根裏に寝転がり、小さな窓越しにゆったりと漂う白い雲の移ろいをぼんやりと眺めていた。

「何が公爵令嬢だよ、ただの政略結婚要員じゃねーか。そもそもなんで女なんだよ! はぁぁぁぁ……」

 口をとがらせながらパンと太ももを叩き、大きくため息をついた。

 オディールは東京で営業をやっていた若手サラリーマンだったが、交通事故であっさり死んでしまい、この世界に転生してきたのだった。女神には「貴族でチートで」とお願いして確かにその通りになった。しかし、女になるとは聞いていなかったし、こんな政略結婚させられる立場だというのも想定外である。

 チートの方は、魔力無限大というとんでもない物をもらったものの、これもスキルをもらわないと活用はできない。スキルは明日、教会の【神託の儀】で受け取ることになっているが、どんなスキルかはまだ分からない。【大聖女】など大当たりであれば国を挙げて祝われるが、外れスキルだったら一生役立たず呼ばわりされてしまうだろう。

 しかし、【大聖女】を引いたら幸せになれるのだろうか? オディールは首を傾げ、眉間にしわを寄せた。確かにチヤホヤはされるかもしれないが、それが幸せにつながるかがオディールにはピンとこなかった。

「あーあ……。異世界って言ったら、勇者になってハーレムで可愛い女の子たちとイチャイチャだろ常識的に考えて……」

 肩をすくめ、首を振る。

 その時、ガタっと後ろで物音が聞こえた。

 え……?

 慌てて振り向くと、ミラーナが不思議そうな顔をして立っている。

「ハーレムでイチャイチャがどうしたんですか?」

「ミ、ミラーナ! いたの!?」

「えぇ、お嬢様は嫌なことがあるといつもこちらですからね。……、王子様がハーレム作るのをご心配されているんですか?」

 心配そうにオディールの顔をのぞきこむミラーナ。

 オディールより二つ年上のミラーナは今年十七歳。すでに女性としての魅力が香り始めており、メイド服を盛り上げる豊満な胸、すっぴんながら整った顔立ちにはドキッとさせられるものがある。今は自分も少女ではあるが、心は二十代サラリーマン。無防備に近づかれるとどうにかなってしまいそうである。

「あ、あの女好きなら作るでしょ。王子様なら止めようもないし……」

 そう言いながら目をそらすオディール。

「あら、顔が赤いですね。熱かしら?」

 オディールが自分にドキドキしているなんて考えもしないミラーナは、額をくっつけてくる。

 ええっ!?

 目の前には美しくカールしたまつ毛に、澄み通ったブラウンの瞳。急速に高鳴る心臓に、オディールは本当に熱が出てしまいそうになった。

「うーん、少し高いかもしれませんね……。お部屋に戻りましょう」

 ミラーナはニコッと笑うと、オディールの手を取る。

 オディールは、柔らかいミラーナの手の暖かさに癒されながら、静かにうなずいた。