まだ薄暗い時間に、ノアは目を覚ました。
染みついた生活リズムは、多少の夜更かし程度で変わることはないが、さすがに少し体がだるい。
昨日はずいぶんと大騒ぎをしてしまった。あんな体験をするのはほとんど初めてだった。
シーヴのギルドでも、昨日のような宴が催されることはもちろんあった。しかし、輪の中にノアが入っていた記憶は数えるほどしかない。
その数少ない記憶にしても、片付けをやっていたり、飲み物の補充に駆け回ったり、そんなものばかりだ。
ノアは、そんな自分の立ち位置に疑問を抱いてこなかった。夢と希望を抱いて加入したギルドではあったが、実力不足は自分の責任だと思っていたからだ。
仲間に比べて劣っている自分が、何の活躍もしていない自分が、輪の中心でいっしょに笑う資格なんてないと思っていた。
「昨日は楽しかったな」
ぽつりとつぶやいてみる。
あれやこれやと質問ぜめにはされたが、それらは悪意のあるものではなく、これから共に過ごす仲間として歓迎するものであったし、即答できないものを無理強いされることもなかった。
飲み物がなくなっても、補充に駆け回る必要がなかったばかりか、主役なのだからと輪の中心に押し戻され、笑顔に囲まれて過ごすことができた。
「できる限りがんばってみよう」
ふわふわした暖かい何かを、自身を鼓舞する言葉に変えて、ノアはうんと伸びをして起き上がった。
服を着替えて廊下に出る。しんとした廊下に人の起きている気配はなく、ギルド全体がまだ眠っているようだった。
昨晩、何度か往復したのでギルドの構造はおおむね頭に入っていた。
外に出て、共同の手洗い場で顔を洗う。
ひんやりした風が濡れた肌を撫でていく。
見上げた空には雲ひとつなく、夜明け前の濃紺が広がっている。
「ずいぶん早いんだね、おはよ」
「おはよう、エミリー。なんとなくこの時間に起きる癖がついてるだけだよ。いつもこの時間に起きるの?」
「普段はもう少し遅いかな。昨日はギルドで部屋を借りて寝たから、なんとなく早くに目が覚めちゃった」
「いつもは家から通ってるんだ?」
うなずいて、エミリーも顔を洗う。
「酒場の仕事、今日は夕方の仕込みからだよね?」
「うん。大図書館は夜には閉まっちゃうからって、パイクが調整してくれた」
「そっか。そしたら、早速行ってみる?」
「うん、行ってみたい」
「じゃあ朝ご飯食べて一息ついたら、ギルドの前に集合しよっか」
「エミリー、忙しいんじゃないの? 昨日も案内してもらったし、一人でも大丈夫だよ」
「すごい。ノアが私に気を遣えるようになってる! 大人になったんだね!」
「さすがにあの頃と比べたら、そりゃあそうだよ」
そっか、とくすくす笑って、エミリーは「大丈夫、私も調べ物があるからそのついでだし」と続けた。
「そうだ。図書館に行く前に、商店街に寄ってもいい?」
「もちろんいいよ、家に顔を出しておく?」
「家にも戻りたいけど、魔道具の工房に連れていきたくて。魔物の討伐にも出るなら、あのロッド、そのままじゃ困るでしょ?」
「……そうだね」
ノアは、部屋の隅にそっと立てかけてある折れたロッドを思い浮かべた。
父の形見として大切にしてきたものだ。できれば修理したい。
もしそのまま使うのが無理でも、先端の石だとか、一部だけでも残せる方法があればそうしたい。
「修理の前にちょっと頼みたい事もあるんだけど、大丈夫?」
「もちろんいいよ」
ノアは中身も聞かず、ふたつ返事でうなずいた。
それを見たエミリーが、目をじっと細めて口をとがらせる。
「ノアっていつでも誰にでもそうなの?」
「いつでも誰にでも?」
「どんな頼み事かもわからないのに、ノールックで返事しちゃっていいのかってこと。ちょっとどころか、ものすごく大変な頼み事かもしれないよ?」
「誰にでもっていうわけじゃないけど。エミリーにはお世話になりっぱなしだし、僕にできることならなんでも手伝うよ。本当はものすごく大変な話なの?」
「うーん、多分ノアなら大丈夫、だと思う」
多分。だと思う。ずいぶんと含みのある言い方だ。
怪訝な顔をしたノアに、エミリーが苦笑いを返す。
「昨日でなんとなく気づいてるとは思うし、きっと色んな噂も耳に入ってると思うけど、うちってあんまり上手くいってなくてさ」
「昔はもっと活気があったって言ってたよね」
「うん。ノアは魔力炉って見たことある?」
魔力炉は、大陸中で発掘される、古代の遺物のひとつだ。ゼロから作り出せはしないが、破損が軽微であれば修理もできる。発掘され、まだ動くことがわかった魔力炉は、主に魔道具の工房や魔法灯などのエネルギーとして利用されている。
仕組みは単純なもので、球体の炉本体と、地面に突き刺すための脚から出来ていて、脚を突き立てるだけで、自動的に地面の下を流れる魔力流から必要な魔力を吸い上げてくれる。
そう珍しいものではないので、ノアもギルドの依頼で発掘を手伝ったことがあった。
「レイリアにある魔力炉、ほとんど動かなくなっちゃってるんだよね」
「どういうこと?」
「真下を流れてる魔力流が、すごい勢いでよどんでるんだって」
魔力のよどみは魔物を生み出し、生み出された魔物は人や動物を襲う。この大陸に暮らす者なら誰でも知っていることだ。
そして、魔力のよどみによる影響はそれだけではない。
ほとんどの魔力炉は、よどんでいない魔力でなければ、吸い上げても使うことができない。
また、人間にとってもよどんだ魔力はいいものではない。抵抗力が弱ければ、長時間そこにいるだけで体調を崩すことすらある。
「でも、都市の真下でなんて……そんなことってありえるの?」
魔力のよどみが発生するのは、死の谷のような特殊な地形や、都市から離れた場所であることがほとんどだ。
そもそも、大昔に主要な都市が作られたときから、そういうことが起きにくい地形や場所が選ばれているのだと、何かの本に書かれていたのをノアは思い出す。
「実際に起きてるんだから、なんとかしていくしかないよ。それでね、ギルドに依頼がきてるんだよね」
「原因を突き止めて、レイリアを元に戻すってこと?」
「それもあるけど、今回のは工房から。魔力炉に魔力を補給してほしいって。残念ながら、今のところ未達成。成功報酬だから報酬はもらえないわ、総出であたったうちの魔術師たちは自信をなくすわ、ギルドの評判も急降下中だわ……残念の連鎖ってわけ」
エミリーが肩を思いきり落として、首を横に振る。いっそわざとらしい仕草だと思ったら、ぱっと顔を上げてにっこり笑顔を見せた。
「というわけで、ノアの出番じゃない? 成功報酬をきっちりいただいて、ギルドの汚名も返上して、クライアントも大喜び! どう?」
「どうって、そりゃあ頑張ってみるけど……ギルドの魔術師総出で駄目だったって聞くと不安かも」
「何言ってんの! いい? ノアはお金をもってない!」
びしっと人差し指を突き出され、ノアは後ずさる。
「形見のロッドを修理するにしても、かわりを探すにしても、当たり前だけどお金はかかるでしょ?」
「……そうだね」
「ここで期待以上の成果を見せて、恩を売ってさ」
「ええ……」
「感動にむせび泣くクライアントさんにお願いすれば、ロッドの一本や二本、新しいローブ付きで作ってくれるかもしれないよ?」
「むせび泣くって……そんなことにはならないんじゃない?」
「いいからいいから! ノアは思いっきりやっちゃえばいいんだって。ほら、行くよ。明るくなったらみんな起きてくるから、とりあえず戻ってご飯にしよ!」
白み始めた空を背にして、エミリーが駆け出す。冗談のような言い方をしてはいたが、目の奥は本気だった。一抹どころではない不安を抱えつつ、ノアもひとまず駆け出した。
染みついた生活リズムは、多少の夜更かし程度で変わることはないが、さすがに少し体がだるい。
昨日はずいぶんと大騒ぎをしてしまった。あんな体験をするのはほとんど初めてだった。
シーヴのギルドでも、昨日のような宴が催されることはもちろんあった。しかし、輪の中にノアが入っていた記憶は数えるほどしかない。
その数少ない記憶にしても、片付けをやっていたり、飲み物の補充に駆け回ったり、そんなものばかりだ。
ノアは、そんな自分の立ち位置に疑問を抱いてこなかった。夢と希望を抱いて加入したギルドではあったが、実力不足は自分の責任だと思っていたからだ。
仲間に比べて劣っている自分が、何の活躍もしていない自分が、輪の中心でいっしょに笑う資格なんてないと思っていた。
「昨日は楽しかったな」
ぽつりとつぶやいてみる。
あれやこれやと質問ぜめにはされたが、それらは悪意のあるものではなく、これから共に過ごす仲間として歓迎するものであったし、即答できないものを無理強いされることもなかった。
飲み物がなくなっても、補充に駆け回る必要がなかったばかりか、主役なのだからと輪の中心に押し戻され、笑顔に囲まれて過ごすことができた。
「できる限りがんばってみよう」
ふわふわした暖かい何かを、自身を鼓舞する言葉に変えて、ノアはうんと伸びをして起き上がった。
服を着替えて廊下に出る。しんとした廊下に人の起きている気配はなく、ギルド全体がまだ眠っているようだった。
昨晩、何度か往復したのでギルドの構造はおおむね頭に入っていた。
外に出て、共同の手洗い場で顔を洗う。
ひんやりした風が濡れた肌を撫でていく。
見上げた空には雲ひとつなく、夜明け前の濃紺が広がっている。
「ずいぶん早いんだね、おはよ」
「おはよう、エミリー。なんとなくこの時間に起きる癖がついてるだけだよ。いつもこの時間に起きるの?」
「普段はもう少し遅いかな。昨日はギルドで部屋を借りて寝たから、なんとなく早くに目が覚めちゃった」
「いつもは家から通ってるんだ?」
うなずいて、エミリーも顔を洗う。
「酒場の仕事、今日は夕方の仕込みからだよね?」
「うん。大図書館は夜には閉まっちゃうからって、パイクが調整してくれた」
「そっか。そしたら、早速行ってみる?」
「うん、行ってみたい」
「じゃあ朝ご飯食べて一息ついたら、ギルドの前に集合しよっか」
「エミリー、忙しいんじゃないの? 昨日も案内してもらったし、一人でも大丈夫だよ」
「すごい。ノアが私に気を遣えるようになってる! 大人になったんだね!」
「さすがにあの頃と比べたら、そりゃあそうだよ」
そっか、とくすくす笑って、エミリーは「大丈夫、私も調べ物があるからそのついでだし」と続けた。
「そうだ。図書館に行く前に、商店街に寄ってもいい?」
「もちろんいいよ、家に顔を出しておく?」
「家にも戻りたいけど、魔道具の工房に連れていきたくて。魔物の討伐にも出るなら、あのロッド、そのままじゃ困るでしょ?」
「……そうだね」
ノアは、部屋の隅にそっと立てかけてある折れたロッドを思い浮かべた。
父の形見として大切にしてきたものだ。できれば修理したい。
もしそのまま使うのが無理でも、先端の石だとか、一部だけでも残せる方法があればそうしたい。
「修理の前にちょっと頼みたい事もあるんだけど、大丈夫?」
「もちろんいいよ」
ノアは中身も聞かず、ふたつ返事でうなずいた。
それを見たエミリーが、目をじっと細めて口をとがらせる。
「ノアっていつでも誰にでもそうなの?」
「いつでも誰にでも?」
「どんな頼み事かもわからないのに、ノールックで返事しちゃっていいのかってこと。ちょっとどころか、ものすごく大変な頼み事かもしれないよ?」
「誰にでもっていうわけじゃないけど。エミリーにはお世話になりっぱなしだし、僕にできることならなんでも手伝うよ。本当はものすごく大変な話なの?」
「うーん、多分ノアなら大丈夫、だと思う」
多分。だと思う。ずいぶんと含みのある言い方だ。
怪訝な顔をしたノアに、エミリーが苦笑いを返す。
「昨日でなんとなく気づいてるとは思うし、きっと色んな噂も耳に入ってると思うけど、うちってあんまり上手くいってなくてさ」
「昔はもっと活気があったって言ってたよね」
「うん。ノアは魔力炉って見たことある?」
魔力炉は、大陸中で発掘される、古代の遺物のひとつだ。ゼロから作り出せはしないが、破損が軽微であれば修理もできる。発掘され、まだ動くことがわかった魔力炉は、主に魔道具の工房や魔法灯などのエネルギーとして利用されている。
仕組みは単純なもので、球体の炉本体と、地面に突き刺すための脚から出来ていて、脚を突き立てるだけで、自動的に地面の下を流れる魔力流から必要な魔力を吸い上げてくれる。
そう珍しいものではないので、ノアもギルドの依頼で発掘を手伝ったことがあった。
「レイリアにある魔力炉、ほとんど動かなくなっちゃってるんだよね」
「どういうこと?」
「真下を流れてる魔力流が、すごい勢いでよどんでるんだって」
魔力のよどみは魔物を生み出し、生み出された魔物は人や動物を襲う。この大陸に暮らす者なら誰でも知っていることだ。
そして、魔力のよどみによる影響はそれだけではない。
ほとんどの魔力炉は、よどんでいない魔力でなければ、吸い上げても使うことができない。
また、人間にとってもよどんだ魔力はいいものではない。抵抗力が弱ければ、長時間そこにいるだけで体調を崩すことすらある。
「でも、都市の真下でなんて……そんなことってありえるの?」
魔力のよどみが発生するのは、死の谷のような特殊な地形や、都市から離れた場所であることがほとんどだ。
そもそも、大昔に主要な都市が作られたときから、そういうことが起きにくい地形や場所が選ばれているのだと、何かの本に書かれていたのをノアは思い出す。
「実際に起きてるんだから、なんとかしていくしかないよ。それでね、ギルドに依頼がきてるんだよね」
「原因を突き止めて、レイリアを元に戻すってこと?」
「それもあるけど、今回のは工房から。魔力炉に魔力を補給してほしいって。残念ながら、今のところ未達成。成功報酬だから報酬はもらえないわ、総出であたったうちの魔術師たちは自信をなくすわ、ギルドの評判も急降下中だわ……残念の連鎖ってわけ」
エミリーが肩を思いきり落として、首を横に振る。いっそわざとらしい仕草だと思ったら、ぱっと顔を上げてにっこり笑顔を見せた。
「というわけで、ノアの出番じゃない? 成功報酬をきっちりいただいて、ギルドの汚名も返上して、クライアントも大喜び! どう?」
「どうって、そりゃあ頑張ってみるけど……ギルドの魔術師総出で駄目だったって聞くと不安かも」
「何言ってんの! いい? ノアはお金をもってない!」
びしっと人差し指を突き出され、ノアは後ずさる。
「形見のロッドを修理するにしても、かわりを探すにしても、当たり前だけどお金はかかるでしょ?」
「……そうだね」
「ここで期待以上の成果を見せて、恩を売ってさ」
「ええ……」
「感動にむせび泣くクライアントさんにお願いすれば、ロッドの一本や二本、新しいローブ付きで作ってくれるかもしれないよ?」
「むせび泣くって……そんなことにはならないんじゃない?」
「いいからいいから! ノアは思いっきりやっちゃえばいいんだって。ほら、行くよ。明るくなったらみんな起きてくるから、とりあえず戻ってご飯にしよ!」
白み始めた空を背にして、エミリーが駆け出す。冗談のような言い方をしてはいたが、目の奥は本気だった。一抹どころではない不安を抱えつつ、ノアもひとまず駆け出した。