三人がソファに座ったところで、扉がノックされる。
 飲み物を持ってきてくれたのは、馬車でもいっしょだった補助魔術師のジェマだ。今は旅装を解いて、馬車の時よりゆったりしたローブ姿をしている。
 お礼を言って飲み物を受け取ると、ノアはあらためてパイクとエミリーに向き直った。エミリーの隣に、ジェマも座る。
「パイクがギルド長だったなんて、本当にびっくりした」
「ね? だから緊張しなくていいって言ったでしょ?」
「黙ってて悪かったな。レイリアまで戻ってきちまえば面も割れてるし、どうでもいいんだがな。よそではわざわざ名乗るのは控えろってまわりがうるさくてよ」
「こんなんでも一応、うちのトップだからね。何かあっても困るじゃない?」
 そうそうやられやしねえっての、と口を尖らせるパイクは、昨日今日といっしょに旅をしてきたままの自然体で、ノアはなんだか嬉しくなった。
 シーヴでは、地位の高い者や、実力や功績が上の者へ意見することはよしとされていなかったし、パイクとエミリーのような関係性は滅多にないことだったからだ。
 同じ態度で自分にも接してくれることに驚いたし、ノアにとってそれは、とても新鮮な体験だった。
「もうひとつ種明かしをすると、色々と道中でお話を聞きはしたものの、ノアくんの素性が知れなかったこともあります」
 冷たい飲み物に口をつけて一呼吸おいてから、ジェマが苦笑いした。
「お前さんが言ってたとおりっつうかな。いくらエミリーの昔馴染みっつっても、ギルド追放に処刑寸前となりゃあ……まあ一応な」
 パイクがつんつんの金髪をかきあげて、申し訳なさそうにする。
「結果的に、お前さんの考え方やら、とんでもねえ力やらを間近で確認できた。そんなわけだ、何度も試すような真似をしてすまなかった!」
「そんな、謝らないでよ。エミリーの知り合いっていうだけで、ものすごく怪しかったはずの僕を快く馬車に乗せてくれたし、ここまで来る途中もすごくよくしてもらったから」
 頭を下げたパイクを、ノアは慌てて制する。
 ギルド追放、処刑寸前、果ては家を焼かれるほどの恨みを買っている得体の知れない人物……普通なら、馬車に乗せようなどとは思わない。ギルド長として都市を預かる立場なら、なおさらだ。
 それとなく事情を聞かれる質問は何度かあったが、そこにも一定の配慮があった。ノアにしてみれば、感謝こそすれ、頭を下げて謝られることではない。
「当然だと思うし気にしないよ。むしろ、僕の話を信じてくれてありがとう」
「そうか、ありがとよ。まあ、エミリーの顔を見てりゃ、悪いやつじゃないだろうとは思ってたさ。それに、何かあっても全員でかかりゃ、たいていの相手は組み伏せられるっつう計算もあったしな」
 パイクが勢いよく顔をあげて、にやりと笑う。
 直感を信じ、仲間を信じ、自身の目で見極め、何かあったときの対処も冷静に考えられる。
 しかも、そんな種明かしをさらりとやっても許される雰囲気が、彼をギルド長たらしめているのだろうと、ノアは感心する。
「さて、しっかり腹を割って話せたところで本題だ。お前さん、これからどうしたい? 変わりたくねえかなんて煽りはしたが、決めるのはノア、お前さん自身だからな」
 ノアはこくりとうなずき、背筋を正して考える。 
 シーヴでの扱いに憤りや思うところはもちろんあるし、できるなら形見を取り戻したい気持ちもある。しかし、根本を辿れば、自身の無自覚と不勉強にも原因はあると、ノアは考えていた。
 まずはシーヴの外……つまりはここレイリアで生活基盤を整え、自分の能力をちゃんと知り、それを活かせる道を探したい。しっかりと一人前になって、シーヴの面々と対等に話せるようになったその時こそ、形見を取り戻すときだ。
 そのためには、兎にも角にも先立つ物がなさすぎる。ノアは今、硬貨一枚すら持っていないのだ。
「ギルドの仕事を頑張りたい気持ちはあるんだけど、あの……どこか住み込みですぐに働けるところとか、ないかな……? そういう依頼でもいいんだけど」
「あっはっは! まあそうだよな。お前さんの場合、どうしたいっつうか、今のところどうしようもねえもんな。ギルドの依頼なら達成すりゃその場で報酬は出る、そこの仕組みはよそと大した違いはねえはずだ。しかし住み込みとなるとどうだろうな。食っていくために、なんでもやってやろうって覚悟はあるのか?」
「パイク、そんな問い詰めるみたいにしなくてもいいでしょ」
「駄目だね。俺は今、ギルド長として、ノアの考えを聞いてるんだ」
「……頑固なんですから。ノアくん、適当に答えて大丈夫ですよ。こういう言い方をするのは、気に入った相手だけなんです。めんどくさいおやじでしょう?」
「おま、ジェマさん!? せっかく真面目な顔してんのになんてこと言ってくれんだ」
 してやったりのジェマと、どうにか威厳を保とうとするパイクを交互に眺めて少し笑ってから、ノアははっきりと答えた。
「もちろん、僕にできることはなんでもやろうと思ってる」
「ノア……無理しちゃ駄目だよ」エミリーが心配そうに声をかけるが、ノアは小さく首を振った。
「パイクが言うとおり、僕は何も持ってない。ギルドの仕事も頑張りたいし、自分の能力についても調べてみたいけど、まずはちゃんと一人で暮らせるようにならなくちゃ」
「いいだろ」
 にやりと笑って、パイクが自分の膝を両手で叩く。
 その表情は満足そうで、頑張って作っていたらしい真面目な表情は、すっかりどこかへ消えている。
 隣でジェマが、「ギルド長らしくしようとか、本当に似合わないんですからやめておけばいいのに」とくすくす笑う。
「このギルド本部のどれか一部屋、好きに使っていいぞ。そのかわり、依頼の他に酒場も手伝ってもらいたい。まかないって形で飯も三食つけてやる。どうだ、悪かねえだろ?」
 ノアはぽかんとしてしまった。今のノアにとって、条件がよすぎて、断る理由が見当たらない。反対に、そこまでしてもらっていいのか迷ってしまう。
「僕なんかのために、そんなによくしてもらっていいの……?」
「気にすんな。お前さんの能力には期待してるんだ。一人で無茶な稼ぎ方して潰れられちまったら、こっちとしても困るってもんだ。持ちつ持たれつってやつだな」
「ありがとう……酒場の仕事も頑張って覚えるし、依頼も頑張るよ!」
 シーヴとはギルドとしての体制や考え方が、根本的に違うらしい。
 ノアは戸惑いながら、パイクから差し出された手を握り返して、頭を下げた。
「よし、そんじゃあ早速だが、これから酒場に出てもらう。そのローブじゃ酒場には向かねえか。とりあえずサイズは適当になるが、制服を貸してやるよ」
 パイクが立ち上がり、ノアもそれに続く。
「ちょっと。いくらなんでも今日からいきなりなんて」
「甘やかすな、エミリー。普通に移住やら長期滞在しようってんなら、宿に泊まれる金くらい持ってくるもんだ。ところがこいつは何も持っちゃいねえ。昨日聞いたろ、火事のどさくさで有り金すられちまってんだからよ。あっはっは!」
「すぐに手伝わせてもらえる方が、僕もありがたいよ。よろしくお願いします!」
 パイクがにやりとした笑みを浮かべ「本人はこう言ってるが、どうだ?」とエミリーに視線を移す。
 頬を膨らませながら、エミリーも渋々、わかったわよと返事をした。
 ギルド長の部屋を出ると、パイクはすぐ脇の部屋のドアを開けた。
「誰もいねえな。よし、部屋はここでいいだろ。制服は……こんなもんか。先に行ってる、着替えたら出てこいよ」
 部屋割りはかなり適当だ。
 きょとんとしてしまったノアに、反対側の部屋から制服を引っ張り出してよこすと、パイクは手を振ってのしのし歩いて行ってしまった。
 ノアは手早く着替えを済ませ、部屋を出る。
「あんまり無理しないで、わからないことがあったらなんでも聞いてね」
「なかなか似合っていますよ」
 部屋の前には、エミリーとジェマが待っていてくれた。
「ありがとう、できるだけやってみるよ」
 二人について酒場に出ていくと、カウンターに寄りかかって客といっしょに大笑いしていたパイクが、「お、きたな」と咳払いをして、姿勢を正す。
「よーしみんな、ちょいとこっちに注目してくれ!」
 酒場の喧騒をかきけす大声で叫び、パイクが両手を広げた。酒場中の視線が集まる。
 注目が集まったことを確認して満足そうにしてから、パイクはノアを皆の前にぐいと押し出した。
「今日からうちのギルドに入るノア・ターナーだ。エミリーの昔馴染みで、とりあえずは仮加入ってとこだが、酒場の手伝いもやってくれることになってる。顔を合わせる機会も多いだろう。みんな、よくしてやってくれ!」
 拍手と歓声、口笛が巻き起こる。
「よろしくな!」
「あんまり気張りすぎずに頑張ってね」
「エミリーの知り合いなら大歓迎だよ!」
 まだ素性もしれないはずのノアを、警戒する様子もなく迎え入れてくれることに、ノアは驚きを隠せなかった。
 それだけ、パイクたちが信頼されている証なのだろうが、それにしても、歓迎されたことがほぼないに等しいノアは、恐縮して頭を下げた。
「そんじゃあここからはギルドのおごりだ、じゃんじゃん飲んで食ってくれ! くそ生意気な新入りに乾杯!」
 酒場中から歓声があがり、隣のエミリーが「くそ生意気は余計だけど、そういうことね。やるじゃない」とにっこり笑う。
「ええと? 今日からすぐに働くんじゃ?」
「真面目か! んなわけねえだろ! 歓迎会で主役を働かせるやつがどこにいるってんだ。こういう時は大きな声でありがとうでいいんだよ!」
「だって、制服に着替えろって」
「せっかくのお目見えなのに汗臭いローブってわけにいかねえだろうが。心配すんな、ローブはきちんと洗濯して返してやる」
「でもそんな、何から何まで申し訳なくて」
「かーうるせえうるせえ! じゃあこうしてやる! 昨日、魔物を追っ払ったときにお前さんは働いたな? そのあとがっつり説明してやったように、大きく貢献してくれたよな? そうだな?」
「まあ……うん」
「その報酬で今日の飯代を持ちやがれ! これならどうだ!」
「まだちょっと申し訳ない気がするけど……そういうことなら」
「よーし、決まりだ! みんな悪いな、ギルドのおごりはなしだ!」
 とたんに、ふざけんな、金返せ、お前がおごれと野次がとぶ。
「待て待て、ちゃんと聞け! そのかわり、今日の酒と飯はこのノアのおごりだ! ちゃんと礼を言ってこいつの話を聞いてやれよ。ノアをスルーしやがったやつには後から酒代きっちり請求すっからな!」
 うおお、と先ほどより大きな歓声があがる。
 歓声と拍手に応えてから、パイクが呪文のように酒と食べ物の名前をずらずら叫ぶと、カウンターの奥にいた数人が、くすくす笑いながら準備を始めた。
 その間にノアは、ジェマとエミリーに引っ張られて、手近なテーブルに移動した。
 パイクが、カウンターから直接、いくつかの料理と飲み物をもってきて、まだ戸惑うノアの前にどんと並べる。
「せっかくの縁だ。しばらくうちでやっていくなら、楽しくやりてえじゃねえか。騒がしいのが苦手だってんなら、明日からは無理は言わねえ。まあ、今日だけでもギルド長の顔を立てると思って付き合ってくれや」
「ノアくんのこと、かなり気に入ったみたいですね。照れ屋も大概にしろって言ってやってください」
 ジェマがさらりと通訳し、パイクが「なんてこと言いやがる」と真っ赤になる。
「あはは、パイクは照れ屋なんだね」
「ノア、てめえ!」
「冗談だよ。でも本当にありがとう。明日から、酒場もギルドの仕事も頑張るね!」
 この日、レイリアギルドの酒場は、夜遅くまで笑い声の絶えない大賑わいだった。