無限魔力の追放魔術師は辺境都市で第二の人生を謳歌する~無自覚だった魔力譲渡スキルを自覚したので、新しい仲間全員でとことん無双させていただきます!?~

「あっはっは! お前さん、すげえな! 無実の罪で危うく処刑されかけて? 命のカタに親の形見を持ってかれた上に? 手持ちの武器もぶっ壊されて? あげくの果てにギルドと都市を永久追放されたってのか!?」
 ゆっくりと進む馬車の中に、外まで聞こえそうな豪快な笑い声が響きわたった。
 十人程度が乗れる、二頭立ての四輪馬車だ。乗り心地は決して良いとはいえず、あちらこちらが軋む音がする。
 乗っているのは一人の御者と四人の男女で、空いたスペースには食料や日用品、武器などが所狭しと積まれていた。
 その後ろには馬車をもう二台引き連れており、そちらにも同じような荷が詰め込まれている。二台の馬車にはそれぞれ御者が一人と三人ずつの護衛が乗り込み、合計十三人での旅路だ。
「全部そのとおりですけど……そんな、手を叩いて笑わなくても……」
 促されて話したとはいえ、ノア・ターナーはすっかり肩を落としてうつむいていた。
 灰色の柔らかい髪に隠れた金色の瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
 正面で大笑いする大男の言うとおり、先端の赤い石が割れ、二つに折られてしまった鈍色のロッドが、傍に置かれた革袋から寂しげに顔を出していた。
 髪の色と同じ色の着古したローブまで、心なしかくったりして見えるようだった。 
 散々としか言いようのない話ではあるし、いっそ笑い飛ばしてもらった方が、気分が沈まなくていいのかもしれない。
 それにしたって、この笑いようはあんまりではないか。
「そうだよ。ちょっとパイク、笑いすぎだって! ノアが泣いちゃってるじゃない!」
 ひいひいと腹を抱えて笑い転げる、パイクと呼ばれた大男を、ショートヘアの少女がたしなめる。
 この少女はノアの昔馴染みで、名をエミリー・ウッドという。
 ライトブラウンの明るい髪が、馬車の揺れにあわせてさらさらと踊る。髪より少し明るい色の大きな瞳が、パイクをたしなめ、ノアを心配そうに見つめて、その表情を次々と変えた。
 よく磨かれた白銀の軽鎧が、線の細い身体にぴったりと合っている。
「悪かったって、そう睨むな。まあよ、命があっただけでもよかったんじゃねえか? ちょうど俺たちが通りかかったのも、何かの縁ってやつだろ」
 にやりと笑って、パイクがつんつんと逆立つ金髪をざらりとかきあげる。その拍子に、黒々とした分厚い鎧に覆われた肘が積荷にあたり、小さな包みが崩れ落ちた。パイクは「おっと」といかつい姿に似合わない軽い声を出して、それを拾い上げる。
 十人が乗れる馬車の中で、パイクのまわりだけ縮尺が狂ったように見えた。それくらい、パイクは大きかった。
 鎧の肩当て部分に『J.S.Pike』と本名らしき殴り書きがしてあるあたり、かなり自己主張が強そうだ。
「それは……そうかもしれません。荷物がいっぱいだったのに、乗せていただいてありがとうございます」
 ノアは素直に頭を下げる。
 これだけ大笑いされても、強く言い返せずにいる理由がこれだ。
 着の身着のまま、行く当てもなく露頭に迷うところだったノアが、この馬車に乗りこめることになったのは、隣のエミリーと、目の前のパイクのおかげだった。
 路上にへたりこみ、絶望に打ちひしがれているところへ、たまたまパイクたちの一行が通りかかった。
 その中に、ちょっとした昔馴染みであったエミリーがいたことは、群れをなしてやってきた不幸の中の、唯一の幸いであったのは間違いない。 
 一行が向かう先は、レイリアという都市だ。
 かつては知恵の都として栄えた都市だが、近年はさまざまな事情で衰退し、その存在感に影を落としている。
 ノアも、レイリアについていくつかの噂を耳にしたことはあった。荷の多さに比べてずいぶんとおんぼろな馬車を見ても、あまり余裕があるようには見えない。
「それにしてもびっくりしましたよね。小屋全焼の大火事でしたもの、私たちでなくても足を止めてしまいます。そのおかげで、ノアくんと偶然会えましたけど」
 斜め向かいに座っていたローブ姿の女性、ジェマ・ドレイクが苦笑いする。
 こんな言い方をすると怒られそうだが、エミリーとは対照的な人だなというのが、ジェマに対するノアの第一印象だった。
 黒と紫を基調としたローブが、肩の下まであるライトパープルの髪によく似合っている。髪より少し濃い色の瞳は切れ長で、涼やかな印象を受けた。口ぶりからしても佇まいからしても、大人の雰囲気が漂っている。
「ありゃあ自然に燃えちまったとか、火の不始末なんかじゃねえな。火をつけたやつがいる燃え方だった。ひでえことしやがるぜ。あのサイズなら物置か何かだろうから、人死にが出てなさそうだったのが救いってとこか」
 ジェマの言葉にうなずいて、パイクが腕を組んで苦い顔をした。
 それを聞いていたノアは、きゅっと胸を締め付けられたような気持ちで、おそるおそる口を開く。
「確かに物置みたいな狭さでしたけど……あれ一応、僕の家、だったんです」
 馬車に乗っていたほぼ全員の顔がひきつる。聞き流していたはずの御者ですら、ぴくりと肩を震わせたほどだ。
「ギルドを追放された後、とりあえず家に戻って荷物だけでも持ってでなくちゃと思ったんです。そうしたら、家のあたりに人だかりができていて、燃えていたのは僕の家で。気がついたら、懐のお金もなくなっていました」
 ノアはひきつった口の端を無理やり持ち上げて、笑顔の形を作ってみた。
 エミリーとジェマが、同じようにぎこちなく口の端を持ち上げたのを見て、ノアは自分の笑顔が失敗していることを悟る。
 人生、色々あるにせよ、これだけ立て続けに不幸に見舞われることはそうはないに違いない。事実、ノアにとって今日は、ぶっちぎりで人生最悪の日だ。
 もし、他の誰かからこんな話をまとめて聞かされたら、それこそぎこちない笑みを返すのが精一杯だろう。
 ただ一人、パイクだけは様子が違っていた。肩を振るわせてうつむいている。
 あの、と声をかけようとしたところで、パイクがぐいと顔をあげ、耐えきれないとばかりに声をあげた。
「あっはっはっは! 放火された上に有り金まですられちまってるじゃねえか! ひでえな、不幸全部乗せの特盛大サービスかよ! 悪かったな、物置とか言っちまってよ!」
 何がおかしいのかわからず、ノアはきょとんとしてしまう。
 そんなに落ち込むな。何があったか知らないが、話してみれば少し気がまぎれるかもしれないぞ。
 優しい顔で微笑んでくれた、頼りがいのありそうな男の姿はすでにない。目の前にいるのは、げらげらと笑い転げ、こちらを指さす人相の悪いおっさんだけだ。
「パイクってば! ごめんね、ノア。悪い人じゃないんだけど、ちょっとかなり、馬鹿みたいにずれてるところがあって」
「全然フォローできてねえぞ、あっはっは!」
 大粒の涙を流して笑うパイクを、今度こそ引っ叩いて、エミリーが申し訳なさそうにした。
 仕方なく、ノアは話題を変えることにした。
 暗い話はもう十分にしてしまったし、これ以上はパイクの腹筋がよじれるばかりで、なんともいえない空気が続くだけだろう。
「あの、皆さんはどうしてシーヴに? レイリアからなら、確か王都の方が近いはずですし、品もいいものが揃いますよね」 
 馬車は確かにおんぼろだが、三台を引き連れてくるからには、それなりの商店か、ギルドとして受けた依頼だろう。
 都市単位の依頼ならそれなりの資金もあるはずだ。そう予想して切り出したのだが、返ってきた反応はなんとも言えない沈黙と、苦笑いだった。
「まあなんだ、俺たちも訳ありでよ」
「隠したってしょうがないでしょ。簡単に言うと、質より量を選ぶしかなかったの。確かに王都の方がいいものは揃うけど、そのぶんお高いでしょ? シーヴならまだ手が届くから。馬車と馬は自分たちのだし、距離が伸びてかかるのは馬のご飯くらいだからね」
 まあ、シーヴもぐんぐん値上がりしてるから、次はどうなるかわかんないけど。エミリーが肩をすくめてへらりと笑った。
 レイリアの状況は、噂以上によくないようだ。ノアは話題の振り方を間違えたことに気づき、頭を下げる。
「なんだかすみません。大変な時に乗せてもらっちゃって」
「まったく冗談じゃねえな。立てよ、悪いがここで降りてもらう」
「ちょっとパイク!」
「黙ってろ。立てっつってんだろ、ノアさんよ」
 あえて呼び方を変えてきたパイクに、ノアはびくりとする。さっきまでの緩い空気が嘘のような、張り詰めた空気だ。
 おずおずと立ち上がったノアは、パイクが顎先で促すのにしたがって、馬車の出入り口へと向かう。
 エミリーはともかくパイクにとっては、よほど触れてほしくない事情だったらしい。鋭い視線に射抜かれ、ノアは反論を諦めた。
「……短い間でしたが、お世話になりました」
 頭を下げようとしたノアに、パイクは思わず吹き出した。
「ぶは、何言ってんだ。もう少し自分の主張ってやつは通しにいった方がいいぜ。それと確かにお前さん、あんまり戦いには向いてねえのかもな。とはいえ人出不足にはかわりねえ。ちょっと手伝え」
「え? 手伝うって、どういうことですか?」
 状況を飲み込めずにいるノアに、パイクがぐるりとあたりを見回した。
「気づかねえか? ちょいと荷に食い物を詰めすぎたかな。わんさかいやがるぞ」
 はっとして、ノアも慌ててあたりの気配を探る。
 がたごとと馬車が揺れる音に交じって、低いうなり声がいくつも聞こえてきた。
「魔物……囲まれてる?」
「そういうこった。御者は戦力外だからな、こっちはお前さんを入れて十人。あちらさんは数十体ってとこか。まあ、これも不幸特盛のおまけだと思って気合入れるんだな。あっはっは!」
 斧を構えて馬車から飛び出したパイクが、ノアの追放をからかったのと同じ空気で、口を大きく開けて笑い飛ばした。
 パイクとエミリー、そしてジェマは、シーヴギルドの主戦力にも引けを取らないくらい、圧倒的な強さだった。
 大斧を振り回し、大盾を掲げて突進するパイクは、大きな身体からは想像もつかない機敏な動きで、魔物の群れを引き裂いていく。
 なんらかの強化魔法を併用しているのは間違いないが、パイクの倍はあろうかという巨大な熊の魔物を、軽々と空中にはねあげる力は並大抵のものではない。
 エミリーも負けてはいない。細身の剣を構え、遠距離から次々と魔物を斬りさいていく。
 剣撃の性質と鋭さからすると、風の魔法だろうか。目にもとまらぬ速さで、魔物たちの群れを縫うように駆け抜ければ、その後に息をしている魔物はほとんどいなかった。
 ジェマが操る補助魔法も、魔力の流れがはっきり目に見えるほど強力で、静かで落ち着いた所作以上の存在感を放っている。
 三人の活躍が際立ってはいるが、他の護衛メンバーも、しっかりとした連携で堅実な仕事をこなしている。全員がかなりの使い手であることは、ノアから見ても明らかだった。
 ノアは力の差を痛感し、焦る気持ちを必死に抑えていた。
 今のノアはほとんど丸腰だ。父親の形見であり、魔術師にとって戦いの要であるロッドは折れてしまっている。母親の形見であり、魔力の制御を補助する効果を持つといわれていた首飾りも失ってしまった。
 そのせいで、元々速くなかった魔法の発動が、輪をかけて遅くなっている。
 魔力を必死で手のひらに集中させている間に、次々と味方の魔法やら斬撃やらが飛んでいき、そちらに気を取られている内に、集中させた魔力が霧散してしまう。その繰り返しだった。
 どうにか組み上げて放り投げた火球も、俊敏な動きの魔物にひらりとかわされ、あやうく馬車に飛び火しそうになる大失態を演じてしまった。
 水魔法を使う青年が助けてくれたおかげで大事には至らなかったものの、恥ずかしいやら情けないやらで、魔物たちが片付く頃には、ノアは身も心もへとへとになっていた。
 戦いが終わっても、誰一人しゃべらず無言のままだ。馬を落ち着かせたり、あたりを警戒している間、気まずい時間が流れていく。
 ノアはいてもたってもいられない。パイクたちもきっと、ノアがここまで何もできないとは思っていなかったに違いない。昔馴染みのエミリーですら、一言も発さないのだ。きっと愛想をつかされたに決まっている。 
「ノア……どういうことか説明してくれる?」
 場が落ち着くと、パイクたちは顔を見合わせ、おずおずとエミリーが前に出た。
 顔を合わせたばかりのパイクたちより、せめてエミリーから口火を切った方がいいと判断したのだろう。
 ノアは観念して、力なくうなずいた。
「……ごめんね、あれが僕の全部だよ」
「本当かよ。ありゃあ、魔法の発動が遅いだのって問題じゃねえだろうが」
 ノアの返事を聞くなり、我慢しきれなかったとばかりに、パイクが食ってかかる。
「そ、そんなにでしたか……」
 がっくりと肩を落としたノアが次に聞いた言葉は、到底信じられないものだった。
「信じられないくらいすごかったよ!」
「え?」
「特別な補助魔法ってわけでもねえんだろ? 見たとこ、魔力切れも起こしてねえし……とんでもねえな」
「補助魔法……? あの、どういうことでしょうか?」
 え? はい? とお互いに困惑した間の抜けた声をゆるりと飛ばしあう。
 ノアにしてみれば、わけがわからない。
 何もできなかった情けなさしかないはずなのに、皆が鼻息を荒くして、ノアのことをすごいすごいと褒めてくれているのだ。
「いやいやいやいや、待て。ちょっと待て。順番に聞いていいか?」
「はい、なんでしょうか」
「さっきの戦い、お前さんはどう思った?」
 ざっくりとした問いにノアは首をひねるが、ひとまず自分の思ったことをそのまま口にして頭を下げた。
「何もできないどころか、もう少しで馬車に火が移ってしまうところでした。本当にすみませんでした」
 しかし、どれだけ待っても、上から降ってくるはずの怒声や罵声、弁償の命令だとかの言葉がやってこない。
 不思議に思ってそっと顔をあげると、そこには口をぽかんと開けて、信じられないものを見るような顔が並んでいた。
「あの……?」
「本気かよ。あんだけのことを無自覚でやってたってのか!?」
「戦ってる間ずっと、私たち全員に魔力を分けてくれてたよね!? しかも、とんでもない量の!」
「普段の何倍もの魔力が溢れてくるものですから、びっくりしてたんですよ!?」
 パイク、エミリー、ジェマが次々と熱弁するが、ノアにはいまいちぴんときていない。
「魔力を……僕が、皆さんに?」
 まったく響かないノアに業を煮やして、パイクが大きくため息をつく。
 そして、吐き出した息を思いきり吸い込んでから、一気にまくしたてた。
「いいか? お前さんがやってた魔力譲渡ってのはな、熟練の魔術師でも、緊急時にほんの少し、どうにか場を繋ぐような使い方が本来なんだ。例えば、治癒術師に魔力を渡して瀕死の仲間の命を繋ぐとか、アタッカーに渡してどうにか紙一重でとどめの一撃をぶっぱなすとかな。それにしたって、十の魔力があったら渡せるのはせいぜいが一かニってとこだ。ここまで、いいか?」
「はあ、まあ、なんとなく」
「ところがだ、お前さんはどうだよ。俺たち全員に、戦ってる間ずっと、俺たちが元々持ってる魔力以上のもんをぶん投げてきやがる」
「す、すみません」
「あっはっは! なんで謝ってんだ、わけわかんねえ! いっそ自慢してんのかこのやろう!」
「違います! すみません!」
 つんつんに逆立った金髪をぐしゃぐしゃといじるパイクをなだめて、エミリーが続きを引き継ぐ。
「おかげで私たち、とんでもない力が使えちゃって、ずっとそわそわしてたんだから」
「でも、エミリーの風魔法、すごかったよ。遠くの魔物も近くの魔物も、関係ないみたいに倒しちゃってたし」
「だから、それのほとんどがノアのおかげなんだってば! 普段は、少しだけ速く動けるようにしたり、ちょっと切れ味を鋭くするくらいの使い方なんだから」
「そう、なんだ?」
「そうなの! しかも、とんでもないレベルの支援を続けたままで、自分でも魔法を撃っちゃうとか、反則すぎだよ……まあちょっと狙いは外れたかもしれないけど」
 ノアは説明されてようやく、ことの大きさに気が付き始める。
 自分の両手をしげしげと眺めてみた。
 本当だろうか。しかし、エミリーたちが嘘をつく理由は見当たらない。
 能力をまったく自覚してこられなかった自分が残念なことに変わりはないが、それを上回る高揚感が、ノアの鼓動を急かす。
「ノアくん、処刑未遂と追放は事実なんですよね? 何があったのか、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか? パイクのように頭から笑い飛ばして話の腰を折ったりはしませんから」
 ジェマが優しげな笑顔を見せる。早くもにやつき始めるパイクを、杖でこづくのも忘れない。
「そうですね、わかりました。いくらエミリーの知り合いでも、犯罪者かもしれない相手を自分たちの街に連れて行くのは心配ですもんね」
「ノア……そんなつもりじゃないし、無理に言わなくていいよ」
 あわてて否定するエミリーに、ノアは首を横に振る。
 ここで何も言わなかったとしても、レイリアには連れていってもらえるだろう。しかしそれでは、エミリーの顔をつぶしてしまうことになりかねない。
 なによりノア自身も、無自覚だった自分の能力について、整理する時間が欲しかった。
「大丈夫だよ、ちゃんと話しておいた方がいいと思うから」
「ありがとうございます、そうと決まれば移動しましょうか」
 パンと手を叩いて、ジェマがにこやかに首をかしげる。
「お亡くなりになった魔物さんたちに囲まれて、立ち話を続けるのもなんですからね」
 ノアの手のひらに、深紅の球体が生み出される。揺らぎのない、つるりとした球体だ。
 それを、そっと組み上げられた薪の中心へ落とす。
 深紅の球体はなめらかな炎に姿を変え、よく乾いた薪に絡みつく。ぱちぱちと小気味よい音を立て、種火はあっというまに焚き火へと成長した。
 魔物の襲撃を受けた時点で、日が沈みかけていた。無理をして進めば、ここ数年で魔物が増え続けているレイリア近くで、夜を迎えてしまう。一行は、倒した魔物からある程度離れたところで野宿することにした。
 炎魔法を使える者はパイクの仲間にもいるらしいのだが、運悪く今回の旅には同行できず、手作業で火起こしをするかという話になったところで、ノアが炎魔法を披露する流れになったのだ。
「なんか、ノアってやっぱりすごいよね」
「ええ、こんなに美しい炎魔法は初めて見ました。まるでお手本のようです」
 次々と賛辞を口にするエミリーたちに、ノアは恐縮しきりで首を振る。
 魔法の造形や仕上がりを褒めてもらえたことなど初めてで、くすぐったい気持ちだった。
「お手本は言い過ぎですけど、ありがとうございます。でも、焚き火の火種とか、水場がないときの間に合わせの飲み水とか、そういうことには使えても、いざ戦いになると駄目なんです」
「そりゃ欲張りってもんだろ。あんだけの魔力をぶん投げながら、魔法も使いたいってのはよ」
「っていうか使ってたけどね。パイクもノアの向上心とか、見習った方がいいんじゃない? とりあえず禁酒から」
「待て待て、酒は関係ねえだろ! ちゃんと仕事して、一日の終わりの嗜みとしてだな」
「確かに、明け方まで嗜むのは、回数を減らしてもいいかもしれませんね」
 さらりとジェマが加わり、パイクが苦い顔になる。
 エミリーとパイクたちの関係性をノアはまだよく知らないが、軽口を言い合える関係は、信頼しあっている証拠なのだろう。
 ノアが追放された都市、シーヴで出会った頃の、そして別れる直前のうつむいたエミリーの顔をふと思い出す。隣で屈託なく笑う彼女を見て、ノアは少し嬉しくなった。
「僕の場合は向上心を持って、とかじゃなくて自分の能力に気づけてなかったので……正直、今でも実感がないですし」
 三人が顔を見合わせて、真面目な顔を作り直した。
「あれだけのことができるのに、あやうく処刑、形見も取られて家に火までつけられて……なんて普通じゃないよね。何があったの?」
 エミリーが心配そうに覗き込んでくる。
 パイクが火の加減を確かめて夕食の準備を始め、ジェマは他の護衛メンバーにやんわりと指示を出して遠ざけた。
 ノアは、どう話すべきかを整理しながらそれをぼんやりと眺めていたが、話す負荷を下げようとしてくれているのだとわかり、思わず口元が緩む。
 この人たちは優しい。今まで出会ってきた人たちの中で、だんとつに。
「シーヴギルドが受けた依頼で、大規模な魔物の討伐をする仕事があったんだ」
 ぱちぱちと小気味よく燃える焚き火を見つめて、ノアは目を細める。
「シーヴで大規模ってことは、例の死の谷?」
「そう。知ってたんだね」
 シーヴの南西、レイリアから見れば北東に位置する死の谷は、よどんだ魔力の吹き溜まりになっている。
 魔力がどうしてよどんでしまうのかは諸説あるが、よどんだ魔力の溜まる場所には魔物が生まれ、魔物は人や動物を襲う。
 各都市ギルドの最も重要な仕事は、溢れた魔物を討伐し、都市の安全を守ることだ。
 だから、どれだけ他の仕事を上手くこなせても、魔物の討伐に力を発揮できないギルドやギルドメンバーは、軽く見られる傾向にある。
 人を笑わせたり感動させたりする芸を披露してくれるよりも、身の安全を守ってくれる方が優先されるのは、魔物のはびこるこの大陸では当然の流れだった。
「いつもなら、そういう大規模な討伐では後ろの方に配置されるんだけど、今回はそれこそ、最後のチャンスだって言われて……最前列のアタッカーとして配置されたんだ。それで、結局ほとんど何もできなくて」
 寂しそうに笑うノアは、ギルドを追放されることについては、この時点である程度の覚悟ができていた。
 いつかはそういう日がくると思っていたし、それがそう遠くないことも予想していた。同じ時期に加入した他のメンバーについていけなくなっていることを、ずいぶん前から気にしていたからだ。
「最後のチャンスを、その、あんまり上手くできなかったから、追放ってこと?」
「そうだね。でも、問題はその後かな。最前線にいたのにわざと魔法を使わないで、仲間を危険に晒しただろうって言われて」
「わざと!? ノアはそんなことしないのに!」
「もちろん違うよ。違うけど、ギルド全体がそういう空気になっちゃって」
 怒りをあらわにするエミリーとは反対に、パイクはくつくつと笑い始める。
「なるほど、読めてきた。本来は処刑もののところを、命は助けてやるから身ぐるみ置いてどっか行けって、そういうことだろ?」
「……落ち着いて考えてみると、そうかもしれません」
「お前さんの親の形見とやら、なかなかイイモノだったんじゃねえのか? シーヴギルドのやつらは、最初からそいつが狙いだったのかもしれねえな」
「そんな、最初からなんて」
 そんな、最初からなんてっ!
 数倍に誇張した形で、パイクがノアの真似をしてから、「お人好しすぎたんだよ、お前さんは」と笑い転げる。
「落ち着いて、パイク。すごく辛いことを無理に話してもらってるのに。それ以上ノアを馬鹿にしたら、鍋の中身が偶然あなたの頭に全部かかっちゃうかも。焚き火つきで」
「ごめんなさい、エミリーさん」
 ぴたりと動きを止めて、すごすごと座りなおしたパイクを無視して、ジェマがため息をついた。
「命を助ける寛大さも見せて株を上げ、ノアくんの形見のレアアイテムを懐に入れたと。火を放ったのはついでの腹いせというところですか。私、シーヴが大嫌いになりました」
「そ、そこまでひどい人たちではなかったですよ? 役に立てない僕に何度もチャンスをくれて、何年もギルドに置いてくれましたし」
 シーヴのフォローに回ったノアを、パイクがぎろりとにらみつける。
「お前さんが抱えてるそのロッドはなんだよ」
 ノアの荷物は、着ているローブとブーツ、そしてパイクが指摘した、折れてひびの入ったロッドだけだ。
「これは……父の形見です。母の形見は渡さざるを得ませんでしたけど、こっちは折れて、石も割れてしまったので」
「シーヴのやつらに折られたんじゃねえのか? 石もそうだろ、割られちまったって感じに見えるがな」
 今度はエミリーも、パイクをたしなめることなく、無言のまま焚き火を見つめている。
 ノアは何も言い返せなかった。
 パイクの言うとおりだった。ロッドがこうなったのは、あやうく処刑かという問答の中で、激昂したシーヴギルドの主力メンバーによるものだったからだ。
「お前さんはそれでいいのか。不幸の特盛だっつって昼間は大笑いしたけどな、そいつを自分で引きよせちまってるんじゃ本当に世話ねえぞ」
 いい訳はない。ないが、これまでのノアにはどうしようもなかった。
 ノアに身寄りはなく、頼れるつてもない。唯一の拠り所であったギルドで、いくらか厳しい扱いを受けたからといって、そこを離れる勇気は出せなかった。
「でも本当にひどいよね。シーヴの人たちは何考えてたんだろ。ノアがすごすぎて嫉妬しちゃったのかな?」
 空気を変えようと、エミリーがわざと明るい声を出す。
「いや、多分違うな。ノアの話からしても、能力自体に気づいてなかったのさ」
「ええ……そんなことある? 普段の自分とまったく別の何かになれる勢いだよ? ちょっとした英雄気分だよ?」
「まあそうなんだけどな。なあノア、シーヴのギルドでいっしょに戦ってたやつらってのは、同じ時期に入ったやつらばっかりだったんじゃねえか?」
「そうです、よくわかりますね。同じ時期に入ったのに、みんなどんどん強くなっていきました。僕だけ伸び悩んでしまって」
「な? そういうことだよ」
 したり顔でエミリーを振り返るパイクに、「わかんないんだけど、どういうこと?」とエミリーが頬を膨らませる。
 ジェマも、不思議そうにパイクを見ている。
 当事者であるはずのノアも、思わずパイクを覗き込んでしまう。
「最初っからあれが普通な状態でやってきたらよ、自分たちが特別なんだって勘違いするに決まってる。なにしろ俺ですら、今日はずいぶん調子がいいぜ、なんて考えちまってたくらい、違和感なかったからな。他人様の魔力だってのによ」
「あ、なるほど」
「一人でむちゃくちゃに成長しまくってたのは、多分お前さんの方だな。こりゃあ楽しみになってきた」
 悪役にしか見えない、にんまりとした笑みを浮かべて、パイクは満足そうにうんと伸びをした。
「なあノア、変わりたいか? それとも、もうギルドはこりごりか?」
 問われて、ノアは考える。
 変われるのなら、もちろん変わりたい。小さな頃から、ギルドで活躍し、人の役に立つことを夢見てきた。
 追放される直前までそれを信じて努力を続けてきたつもりだし、追放された今も、その炎は心の中で熱を帯びている。
「変われるのなら、変わりたいです」
 ノアは、まっすぐにパイクを見つめ返して答えた。
「いいだろ、そんならレイリアのギルドに案内してやる。俺はこう見えて顔がきくからな」
「……いいんですか!」
「いいんですか、どころじゃありません。ノアくんなら大歓迎だと思いますよ。超強力なサポート役ですもの」
「うんうん! それがいいよ!」
 ジェマとエミリーも賛成し、ノアは大きくうなずく。
「ぜひお願いします!」
「おう、引き受けた。そんなら難しい話はここまでだ。飯も煮えた頃合いだろ。がつんと食って、明日に備えて寝ちまおうぜ」
 追放、処刑未遂、昔馴染みとの再会、自らの隠れた能力の自覚……整理しきれないほど濃厚なノアの一日は、ようやく終わりを迎えようとしていた。
「どうなってんだ、くそが!」
 円形のホールに、怒声が響きわたった。
 広々としたホールだ。シーヴのカラーである青を基調とした内装に、高い天井から吊るされた煌びやかな照明が色を添える。壁に施された複雑な銀色の文様は高価な魔法銀の細工で、ギルド本部であるこの塔を守る簡易的な結界の役目も果たしている。
 この大陸において、各都市の名を冠するギルドの力は、そのまま都市の力と権力の強さを表す。
 それは言葉のとおり、年に一度、大陸中の都市にランクがつけられ、大陸中に示される。
 大陸の中央にある王都への貢献や、日々の魔物討伐、各所から舞い込む依頼達成の質や量がスコアとなり、集計されるのだ。
 娯楽の少ない一般市民にしてみれば、年に一度のお祭りのようなものだが、各都市ギルドに所属する者たちにとっては、それどころではない。
 都市間における一年間のパワーバランスが決まってしまうのだから、死活問題だ。意地とメンツはもちろん、ギルドの運営そのものにかかわる一大事だ。
 シーヴギルドのエースと名高い槍使い、ジャック・グリフが、豪華なホールのど真ん中で悪態をついたのは、簡単なはずの魔物討伐が、あわや失敗かというぎりぎりの結果に終わったからだった。
 ここ数年で、大陸五大都市の一角にまでのしあがったシーヴは、このままの勢いで大陸トップを狙おうと息まいていた。そこへきて、このざまだ。こんなところでつまづいていては、トップどころか、五大都市からの陥落もありえる。
 ジャックは自身の装備に視線を落とす。
 新調した槍も鎧もぼろぼろで、特に槍は、最後の一撃でへし折れてしまっている。
 討伐に参加した他の十数人も、同じありさまだった。
 魔力が底をつきかけ、土気色の顔をした魔術師たち。盾役の三人は骨折した上、治癒も間に合っていない。
 どうにか目的の魔物の討伐を果たして逃げ帰ってきたものの、全員に疲労と憤りの色が見えている。
 あくまでジャックの感覚としてではあるが、相手は強敵だったわけではない。
 これまでなら、鼻歌混じりに適当にあしらって、飽きたらさっさと倒して終わりにしてきたような、そんな相手だ。
 それが余計に、ジャックの神経を逆撫でした。
「あんたたちがサボってくれたせいで散々よ。報酬はこっちで七割もらうからね」
 ジャックにしなだれかかりながら、取り巻きのバーバラ・スチュアートが、補助魔法を得意としていた術師三人を顎でさす。
「冗談じゃない。こっちはいつもどおりやってる。アタッカーのあんたたちがもたもたやってたから、陣形が崩壊したんだろ!」
「俺に口答えしようってのか?」
 ひしゃげた槍の切っ先を三人に向けてジャックがにらむと、三人は悔しそうに首を振った。
 危ういところではあったが、意地を見せて、今回の魔物にとどめを刺したのはジャックだ。補助術師たちが言い返せるはずもない。
「悪かったよ……でも本当だ、俺たちは手を抜いたりなんかしてない。そんなことするわけないだろ?」
「……いいだろう、もう行け。次に手抜きしやがったら俺のチームから外すからな」
 ジャックが三人を追い払うと、ギスギスした雰囲気と疲労感から、他のメンバーも次々とその場を後にしていく。
 残ったのは、ジャックとバーバラの二人だけになった。
「ねえジャック、あいつらの肩を持つわけじゃないけど、今日はちょっとおかしくなかった?」
「別に、たまたまだろ」
「そう……よね」
「お前まで何か文句があるのか?」
「そういうわけじゃないけど……なんとなくジャックも、調子悪そうだったかなって」
「んなわけねえだろ」
 バーバラを振り払って歩き出してから、ジャックは舌打ちをした。バーバラが息をのむのがわかるが、振り返りはしない。
 外野から言われなくとも、体が重く、いつもの調子が出ていないことにジャックは気づいていた。
 体調が悪いわけではない。いつもどおりにやっているのに、何かがおかしい。他の連中もそうだとすれば、原因は何だ?
 得体のしれない苛立ちを覚えたジャックが危惧したとおり、快進撃を続けてきたジャックたちのチームは、この日を境に思わぬ苦戦を強いられることになる。
 大きな違和感を覚えながら、その原因に彼らが気づくことができるのは、しばらく先の話だ。
 初めて訪れるレイリアは、ノアが思っていたよりずっと大きな都市だった。
 シーヴを象徴するカラーは濃いブルーだったが、レイリアを象徴するのは淡いグリーンだ。
 屋根や窓枠、メインストリートの石畳など、ところどころにさりげなく同系色が使われているし、都市内のいたるところに草木が植えられていた。緑と調和した古い建物が立ち並ぶ様子は、知恵の都としての歴史を感じさせた。
 ただ、残念ながらというべきか、都市の広さに比べると圧倒的に人が少ない。
 都市全体が熱気と喧噪に包まれていたシーヴとは違い、昼間だというのに通りには人がまばらだ。
 よく言えば街全体が落ち着いていると言えなくもないが、どことなく影のある雰囲気がノアは気にかかった。
「素敵な街並みだね、緑も多いし穏やかだし」
「あはは、気を遣わなくて大丈夫だよ。昔はもう少し活気もあったんだけど、今はこんな感じなんだよね」
「人があんまり多くないのは、色々あるのかもしれないけど、街並みは本当に素敵だと思うよ」
 ノアの素直な感想だった。エミリーが少しだけ表情を崩す。
「ありがとう、ノアはあの頃から変わらず優しいんだから」
 ノアがエミリーと出会ったのは、十年以上前の話だ。
 両親を早くに亡くしたノアは、少年時代のほとんどをシーヴの孤児院で過ごした。
 父方の親戚はすでにおらず、母方の親戚にも事情があって頼れなかったからだ。
 エミリーの家は、孤児院のすぐ近くで商店をやっていた。ノアが出会った頃のエミリーは、商店の娘という恵まれた境遇にもかかわらず、いつもうつむき加減の物静かな少女だった。
 エミリーには年の離れた兄がいたが、商店を継ぐのが嫌で出ていってしまった。
 両親はひどく落ち込み、それから、エミリーに矛先を変えた。商店の跡取りとして、兄以上の厳しいしつけや教育が施されたのだ。
 エミリーはギルドに憧れを抱いていたが、実家の厳しいしつけと両親の期待を一身に受け、それを言い出せずにいたのだ。
 商店から孤児院へ日用品や食料品が納品されるにあたって、商店側の手伝いをエミリーが、孤児院側の手伝いをノアがやっていたことで、同い年だったこともあり、二人は少しずつ仲良くなった。
 最初の内は、ふさぎこんでいたエミリーをノアが一方的に構っている様子だったが、次第にエミリーも笑顔を見せるようになり、お互いに信頼するようになっていく。
 孤児院にいながら、将来の夢をきらきらした目で語るノアに同調するように、エミリーも少しずつ、自分の夢をノアに話すようになっていった。
 二人が十五歳になる年、ノアはギルドへの加入を機に孤児院を出て、シーヴの端にある小屋での一人暮らしを始める。同じ時期にエミリーは、一家で故郷のレイリアへ越すことになった。
 それから約二年のときを経て、二人は昨日、数年ぶりの再会を果たした。
「とりあえず、荷をおろしちまわないといけねえから、適当にやっててくれ。なるべく早く終わらせてギルドに連れてくからよ。そのまま長期滞在の申請もやっちまおう」
 エミリーからレイリアの歴史や街並みの説明をあれこれと受けていたノアのところへ、パイクがやってきた。
 数日ならともかく、一定期間以上の滞在や、その都市に住もうと思うのなら、まずはギルドへ相談するのが早道であり、ほとんど義務のようなものになっている。これはほとんどの都市で同じ話だ。
 毛色の違う一部の都市を除けば、大抵の都市には、都市の名を冠したギルドと、一般市民による議会とが存在している。
 ギルドがそのまま都市の力を表していることは事実だし、影響力がもっとも強いのは間違いないが、ギルドの独裁のようになるのはよろしくない。
 そこで、都市としての方針やさまざまな課題を議論する場として、議会が設けられるようになった。
 議会で決定した方針や課題を受けて、ギルドに課題の解決が依頼される形が確立されるのに、そう時間はかからなかった。
 議会は議論された課題のスムーズな解決を、ギルドは安定した仕事を享受できる持ちつ持たれつの関係になっているのだ。
「所属希望でいいか? ソロでもいいが今のところはおすすめできねえしな」
 ギルドには所属せず、個人でギルドから依頼を請け負う者はソロと呼ばれる。
 侮蔑を込めて野良と呼ぶ者も中にはいるが、あまりいい顔はされない呼び方だ。
「そうですね。できれば、所属のための説明を受けられると嬉しいです。おっしゃるとおり、ソロではとてもやっていけそうにないので」
 ノアは迷わずギルド所属を希望した。
 個人で依頼を請け負うには強力なコネクションや実力が必要で、それがない場合はギルド経由で依頼を受ける形になる。
 報酬面でギルド所属とソロに差をつけることは王都から禁止されているが、集団で動けるギルドの方が、どうしても優遇されるし、実際の依頼成功率も高い。
 依頼を受けずとも生活していけるような特別な能力を持っているか、ギルドや議会側が個別に依頼をしてくるくらい実力と名声があるか、どちらもない上にギルドに所属したくないのであれば、安い報酬で仕事を選ばず日銭を稼ぐか……一口にソロと言っても、幅は広い。
「いいだろ。それからよ、お前さんちとカタすぎる。ですます言ってねえで気楽にしろよ。さん付けもなしで頼むぜ。やりにくいったらありゃしねえ」
「わかりまし……あ、はは。わかったよ、パイク」
「ぎこちねえが、まあ慣れてくれ。じゃあ適当に頼んだぜ」
 パイクがエミリーに目配せし、エミリーも「任せて」と笑顔を返した。
「じゃあひととおり案内しちゃうね。ギルド本部は最後でいいから、やっぱりまずは大図書館かな。知恵の都の象徴! っていうほど今は活気はないけど、ノアが調べものするには必須だもんね。それから議会と商店街と……あ、うちのお店にも寄っていってくれるでしょ? お父さんとお母さん、絶対喜ぶから!」
「おいおい、久しぶりの再会だからって、あんまり連れ回しすぎんなよ? デート気分じゃ困るぜ」
 わかってるってば。口ではそう言いながら、エミリーはあれもこれもと上の空になっている。それを見てにんまりしたパイクが、ノアに一枚の紙切れをそっと手渡してきた。
「困ったらこいつを見るといい」
「これは……何かの地図?」
「ばか、困ったらっつったろ。なんで今見ちまうんだよ」
「なによ、これ?」
 ノアが広げた地図を、エミリーもひょいと覗き込む。
「見ちまったもんは仕方ねえ。聞いて驚け。レイリアでは数少ない、ご休憩オッケーな穴場の宿だ。時間帯別の予算も一目でわかる優れものだぞ」
「なんでノアにそんなもん渡してんの……っていうかこの道! こんな裏通り、危なくて二人で入りたくないんだけど」
「昼間なら運が悪くなきゃ何も起こらねえ。ちなみにこいつはきっちり俺の足で調べた生の情報だぜ、必ず役に立つ!」
「一人で。そりゃまたずいぶん気合の入ったことで。そりゃああんたが斧持ってへらへらしながら歩いてきたら、みんな逃げ出すでしょうよ。で? 同じことをノアと私にやれっての?」
「宿はもう調べてあるんだ、同じことはしなくていい! サクッとしけこむだけってなもんだ。それにまあなんだ、運が悪くてもお前さんの実力なら大丈夫……って顔が怖いぞ、エミリーさん」
「そんなこと、私たちがするとでも? おん?」
「いや、こんだけ仲良さそうにしてて、しかも久しぶりの再会っつったらよ。そりゃあ、な?」
「くそ変態おやじ! さっさと荷物運んできなさいっ!」
 不名誉な呼ばれ方を自ら体現するように、うひゃうひゃ笑いながらパイクが逃げていく。
 ぽかんとしたままのノアの隣で、エミリーが頬を膨らませる。
「まったく。デート気分じゃ困るぜ、じゃないってのよ。自分はデート飛び越してんじゃない」
「あはは、パイクって面白い人だね」
「どこが! ギルドに行ったら、みんなに言いつけてやるんだから」
 鼻息を荒くしてから、本当にしょうがないよねと歯を見せて笑うエミリーを見て、ノアはほっとした。
 あれから二年。レイリアに向かう途中にも感じていたことだが、引っ越すのが嫌だと泣いていたあの頃のエミリーはもういない。魔法剣まで使えるようになって、憧れだったギルドの仕事にかかわっている。
 パイクも、お調子者でとんでもないことを言い出したり、笑いのツボが失礼であったりはするものの、基本的にはいい人のように見えた。
 もう一度頑張ってみよう。そう思わせてくれる笑顔を、ノアはしばらくの間、眩しい気持ちで眺めていた。
 レイリアのギルドは、シーヴのような塔ではなく一階建てだ。中は酒場を兼ねていて、正面のカウンター兼受付では、食べ物や飲み物の注文もできるし、依頼の受発注もできる。
 もちろん、機密性の高い依頼の場合は奥に個室が用意されているが、基本的にはざっくばらんにやり取りする形式をとっていた。
 椅子やテーブル、カウンターをはじめ、よく手入れはされているが、どれも年季が入っているのは外の街並みと同じだ。
 カウンターの奥には、所狭しと様々な種類の酒瓶や樽が並べられており、外の看板や、カウンターの一部に置かれた依頼受付の札やギルドの紋章がなければ、酒場そのものの作りだ。
 まだ早い時間だというのに中はほとんど満席で、顔を真っ赤にして酔っ払った者たちも多い。一方で、依頼をやりとりしにきたであろう難しい顔もぱらぱらといて、なんだか不思議な空間だった。
 都市全体はともかく、ギルドの内部に限って言えば、シーヴよりよっぽど騒がしい。
 体験したことのない空気に、ノアは呆気にとられると同時に、少しだけほっとしていた。
 レイリアの閑散として影のある様子は、馬車の中でパイクやエミリーが濁していた、レイリアの抱える問題の深刻さを物語っていた。
 エミリーに案内してもらった街並みにも、ノアは内心で不安を覚えていた。
 頼りの大図書館は、いったん外から眺めただけではあるものの、人の気配がないように感じられたし、商店街にしても、エミリーの実家では明るい笑顔に出迎えられたものの、半分ほどが営業しておらず、客入りもまばらだった。
 議会にはそれなりの人が出入りしていたが、あまり明るい表情には出会えず、悲壮感すら漂っていた。
 この調子ではギルドもどうなっていることか、と心配していたところに、この活気だったのだ。
「どうだ、すげえだろ?」
 パイクが自慢げに腕組みをして、ふふんと笑う。
「うん、すごい」
「だろ? 依頼のきっかけになるネタは旨い酒場か飯屋に集まるもんさ。そんなら、ギルドでそいつを作ってやればいい。ギルドより酒場の方が盛りあがっちまう日が多いのは、ご愛嬌ってやつだな」
「すごい熱気というか、活気があるよね」
「うるさいって言っちゃっていいよ。まあ、すぐに慣れるし、これで意外と便利なんだよね」
 パイクとエミリーの姿を認めたギルドの客たちが、歓声をあげる。どこをほっつき歩いてやがっただの、こっちきて一緒に飲めだの、野太い声が次々にとんでくる。
 確かにパイクは、自分で言うようにギルドに顔がきくようだし、エミリーも大人気のようだ。
「ちょっとガラの悪そうな人が多く見えるかもしれないけど、基本的にはみんないい人だから」
 入り混じった歓声と野次を適当にあしらいながら、エミリーが説明してくれる。
 依頼のやり取りにはうるさすぎる気もするが、そこはレイリアに住む人たちの暗黙の了解があるのだろう。依頼受付と札のかかったカウンター付近は、他に比べれば落ち着いた雰囲気が出来上がっていた。
「とりあえず今日は奥だな。あれこれ手続きもあるし、説明事項も多い。そんなお堅いもんは、ばっと渡して本人が好きに読んでおけってなもんだと思うんだが、うるさいやつが多くてな」
「そういうところをちゃんとしなくなったら、ギルドが取り仕切ってる意味がないでしょ?」
 ほれ、うるさいやつの筆頭がここにいるだろ?
 わざとらしくエミリーに嫌そうな顔を向けてから、パイクは人でごった返した酒場の中をずんずん進んでいく。エミリーもそれに続いて歩き出し、するすると器用に人を避けていく。ノアだけがまだ慣れず、あちらこちらでぶつかっては謝りながら、どうにかついていった。
 酒場を抜けて、カウンターの切れた端にある扉をくぐると、いくつものドアが左右に並ぶ廊下に出た。
 機密性の高い依頼の詳細を聞いたり、今回のノアのように移住や長期滞在を希望している場合など、手続きに時間がかかるときに使う部屋なのだと、エミリーが説明してくれる。
 どの部屋にも入ることなく奥へ進んでいくことをノアは不思議に思っていたが、三人は結局、一番奥の立派な両開きの扉の前までやってきた。
「さて、ここを入ればギルド長の部屋だ」
「長期滞在の手続きで、いきなりギルド長さんが会ってくれるの?」
 手続きや説明事項があるのはシーヴでも同じだったが、担当はたいてい、ギルドでも新しいメンバーか、専門の事務方メンバーだった。よほどの重要人物でもない限り、ギルド長が直接対応することはまずない。
 恐縮した様子のノアに、パイクとエミリーは顔を見合わせて吹き出した。
「うちのはね、ギルド長っていっても全然まったく、いっさい緊張しなくて大丈夫だから!」
「そんなこと言われても」
「うははは! よーし開けるぞ!」
 両開きの扉を開けると、手前の酒場が嘘のような、洗練された部屋が現れた。
 目に優しいクリーム色の塗り壁に、シンプルな応接用のソファとテーブル。奥には執務用と思われるデスクが配置されている。
 天井の一角が吹き抜けのようになっていて、大きな窓が斜めについていた。壁には窓がひとつもないのに、ほんのりと明るい。日差しが強い日でも室内には直射日光が当たらず、快適に過ごせるよう設計されているらしかった。
「適当に座ってくれ」
 言いながら、パイクがソファにどっかりと腰をおろす。エミリーもその隣に座り、ノアにも正面に座るよう促した。
「あの、ギルド長さんは?」
 執務用のデスクにも、部屋のどこにも人はいない。
 おずおずと聞いたノアに、パイクとエミリーは部屋に入る前と同じように顔を見合わせて、にやりと笑う。
「あっはっは! そんだけきょとんとしてくれると、言わなかった甲斐があったな!」
 えほん、とわざとらしい咳払いをひとつして、パイクがこれまたわざとらしく背筋を伸ばし、どこまでもわざとらしい真面目そうな顔を作った。
「ようこそ、レイリアギルドへ。俺がギルド長のパイク、J・S・パイクだ」
 三人がソファに座ったところで、扉がノックされる。
 飲み物を持ってきてくれたのは、馬車でもいっしょだった補助魔術師のジェマだ。今は旅装を解いて、馬車の時よりゆったりしたローブ姿をしている。
 お礼を言って飲み物を受け取ると、ノアはあらためてパイクとエミリーに向き直った。エミリーの隣に、ジェマも座る。
「パイクがギルド長だったなんて、本当にびっくりした」
「ね? だから緊張しなくていいって言ったでしょ?」
「黙ってて悪かったな。レイリアまで戻ってきちまえば面も割れてるし、どうでもいいんだがな。よそではわざわざ名乗るのは控えろってまわりがうるさくてよ」
「こんなんでも一応、うちのトップだからね。何かあっても困るじゃない?」
 そうそうやられやしねえっての、と口を尖らせるパイクは、昨日今日といっしょに旅をしてきたままの自然体で、ノアはなんだか嬉しくなった。
 シーヴでは、地位の高い者や、実力や功績が上の者へ意見することはよしとされていなかったし、パイクとエミリーのような関係性は滅多にないことだったからだ。
 同じ態度で自分にも接してくれることに驚いたし、ノアにとってそれは、とても新鮮な体験だった。
「もうひとつ種明かしをすると、色々と道中でお話を聞きはしたものの、ノアくんの素性が知れなかったこともあります」
 冷たい飲み物に口をつけて一呼吸おいてから、ジェマが苦笑いした。
「お前さんが言ってたとおりっつうかな。いくらエミリーの昔馴染みっつっても、ギルド追放に処刑寸前となりゃあ……まあ一応な」
 パイクがつんつんの金髪をかきあげて、申し訳なさそうにする。
「結果的に、お前さんの考え方やら、とんでもねえ力やらを間近で確認できた。そんなわけだ、何度も試すような真似をしてすまなかった!」
「そんな、謝らないでよ。エミリーの知り合いっていうだけで、ものすごく怪しかったはずの僕を快く馬車に乗せてくれたし、ここまで来る途中もすごくよくしてもらったから」
 頭を下げたパイクを、ノアは慌てて制する。
 ギルド追放、処刑寸前、果ては家を焼かれるほどの恨みを買っている得体の知れない人物……普通なら、馬車に乗せようなどとは思わない。ギルド長として都市を預かる立場なら、なおさらだ。
 それとなく事情を聞かれる質問は何度かあったが、そこにも一定の配慮があった。ノアにしてみれば、感謝こそすれ、頭を下げて謝られることではない。
「当然だと思うし気にしないよ。むしろ、僕の話を信じてくれてありがとう」
「そうか、ありがとよ。まあ、エミリーの顔を見てりゃ、悪いやつじゃないだろうとは思ってたさ。それに、何かあっても全員でかかりゃ、たいていの相手は組み伏せられるっつう計算もあったしな」
 パイクが勢いよく顔をあげて、にやりと笑う。
 直感を信じ、仲間を信じ、自身の目で見極め、何かあったときの対処も冷静に考えられる。
 しかも、そんな種明かしをさらりとやっても許される雰囲気が、彼をギルド長たらしめているのだろうと、ノアは感心する。
「さて、しっかり腹を割って話せたところで本題だ。お前さん、これからどうしたい? 変わりたくねえかなんて煽りはしたが、決めるのはノア、お前さん自身だからな」
 ノアはこくりとうなずき、背筋を正して考える。 
 シーヴでの扱いに憤りや思うところはもちろんあるし、できるなら形見を取り戻したい気持ちもある。しかし、根本を辿れば、自身の無自覚と不勉強にも原因はあると、ノアは考えていた。
 まずはシーヴの外……つまりはここレイリアで生活基盤を整え、自分の能力をちゃんと知り、それを活かせる道を探したい。しっかりと一人前になって、シーヴの面々と対等に話せるようになったその時こそ、形見を取り戻すときだ。
 そのためには、兎にも角にも先立つ物がなさすぎる。ノアは今、硬貨一枚すら持っていないのだ。
「ギルドの仕事を頑張りたい気持ちはあるんだけど、あの……どこか住み込みですぐに働けるところとか、ないかな……? そういう依頼でもいいんだけど」
「あっはっは! まあそうだよな。お前さんの場合、どうしたいっつうか、今のところどうしようもねえもんな。ギルドの依頼なら達成すりゃその場で報酬は出る、そこの仕組みはよそと大した違いはねえはずだ。しかし住み込みとなるとどうだろうな。食っていくために、なんでもやってやろうって覚悟はあるのか?」
「パイク、そんな問い詰めるみたいにしなくてもいいでしょ」
「駄目だね。俺は今、ギルド長として、ノアの考えを聞いてるんだ」
「……頑固なんですから。ノアくん、適当に答えて大丈夫ですよ。こういう言い方をするのは、気に入った相手だけなんです。めんどくさいおやじでしょう?」
「おま、ジェマさん!? せっかく真面目な顔してんのになんてこと言ってくれんだ」
 してやったりのジェマと、どうにか威厳を保とうとするパイクを交互に眺めて少し笑ってから、ノアははっきりと答えた。
「もちろん、僕にできることはなんでもやろうと思ってる」
「ノア……無理しちゃ駄目だよ」エミリーが心配そうに声をかけるが、ノアは小さく首を振った。
「パイクが言うとおり、僕は何も持ってない。ギルドの仕事も頑張りたいし、自分の能力についても調べてみたいけど、まずはちゃんと一人で暮らせるようにならなくちゃ」
「いいだろ」
 にやりと笑って、パイクが自分の膝を両手で叩く。
 その表情は満足そうで、頑張って作っていたらしい真面目な表情は、すっかりどこかへ消えている。
 隣でジェマが、「ギルド長らしくしようとか、本当に似合わないんですからやめておけばいいのに」とくすくす笑う。
「このギルド本部のどれか一部屋、好きに使っていいぞ。そのかわり、依頼の他に酒場も手伝ってもらいたい。まかないって形で飯も三食つけてやる。どうだ、悪かねえだろ?」
 ノアはぽかんとしてしまった。今のノアにとって、条件がよすぎて、断る理由が見当たらない。反対に、そこまでしてもらっていいのか迷ってしまう。
「僕なんかのために、そんなによくしてもらっていいの……?」
「気にすんな。お前さんの能力には期待してるんだ。一人で無茶な稼ぎ方して潰れられちまったら、こっちとしても困るってもんだ。持ちつ持たれつってやつだな」
「ありがとう……酒場の仕事も頑張って覚えるし、依頼も頑張るよ!」
 シーヴとはギルドとしての体制や考え方が、根本的に違うらしい。
 ノアは戸惑いながら、パイクから差し出された手を握り返して、頭を下げた。
「よし、そんじゃあ早速だが、これから酒場に出てもらう。そのローブじゃ酒場には向かねえか。とりあえずサイズは適当になるが、制服を貸してやるよ」
 パイクが立ち上がり、ノアもそれに続く。
「ちょっと。いくらなんでも今日からいきなりなんて」
「甘やかすな、エミリー。普通に移住やら長期滞在しようってんなら、宿に泊まれる金くらい持ってくるもんだ。ところがこいつは何も持っちゃいねえ。昨日聞いたろ、火事のどさくさで有り金すられちまってんだからよ。あっはっは!」
「すぐに手伝わせてもらえる方が、僕もありがたいよ。よろしくお願いします!」
 パイクがにやりとした笑みを浮かべ「本人はこう言ってるが、どうだ?」とエミリーに視線を移す。
 頬を膨らませながら、エミリーも渋々、わかったわよと返事をした。
 ギルド長の部屋を出ると、パイクはすぐ脇の部屋のドアを開けた。
「誰もいねえな。よし、部屋はここでいいだろ。制服は……こんなもんか。先に行ってる、着替えたら出てこいよ」
 部屋割りはかなり適当だ。
 きょとんとしてしまったノアに、反対側の部屋から制服を引っ張り出してよこすと、パイクは手を振ってのしのし歩いて行ってしまった。
 ノアは手早く着替えを済ませ、部屋を出る。
「あんまり無理しないで、わからないことがあったらなんでも聞いてね」
「なかなか似合っていますよ」
 部屋の前には、エミリーとジェマが待っていてくれた。
「ありがとう、できるだけやってみるよ」
 二人について酒場に出ていくと、カウンターに寄りかかって客といっしょに大笑いしていたパイクが、「お、きたな」と咳払いをして、姿勢を正す。
「よーしみんな、ちょいとこっちに注目してくれ!」
 酒場の喧騒をかきけす大声で叫び、パイクが両手を広げた。酒場中の視線が集まる。
 注目が集まったことを確認して満足そうにしてから、パイクはノアを皆の前にぐいと押し出した。
「今日からうちのギルドに入るノア・ターナーだ。エミリーの昔馴染みで、とりあえずは仮加入ってとこだが、酒場の手伝いもやってくれることになってる。顔を合わせる機会も多いだろう。みんな、よくしてやってくれ!」
 拍手と歓声、口笛が巻き起こる。
「よろしくな!」
「あんまり気張りすぎずに頑張ってね」
「エミリーの知り合いなら大歓迎だよ!」
 まだ素性もしれないはずのノアを、警戒する様子もなく迎え入れてくれることに、ノアは驚きを隠せなかった。
 それだけ、パイクたちが信頼されている証なのだろうが、それにしても、歓迎されたことがほぼないに等しいノアは、恐縮して頭を下げた。
「そんじゃあここからはギルドのおごりだ、じゃんじゃん飲んで食ってくれ! くそ生意気な新入りに乾杯!」
 酒場中から歓声があがり、隣のエミリーが「くそ生意気は余計だけど、そういうことね。やるじゃない」とにっこり笑う。
「ええと? 今日からすぐに働くんじゃ?」
「真面目か! んなわけねえだろ! 歓迎会で主役を働かせるやつがどこにいるってんだ。こういう時は大きな声でありがとうでいいんだよ!」
「だって、制服に着替えろって」
「せっかくのお目見えなのに汗臭いローブってわけにいかねえだろうが。心配すんな、ローブはきちんと洗濯して返してやる」
「でもそんな、何から何まで申し訳なくて」
「かーうるせえうるせえ! じゃあこうしてやる! 昨日、魔物を追っ払ったときにお前さんは働いたな? そのあとがっつり説明してやったように、大きく貢献してくれたよな? そうだな?」
「まあ……うん」
「その報酬で今日の飯代を持ちやがれ! これならどうだ!」
「まだちょっと申し訳ない気がするけど……そういうことなら」
「よーし、決まりだ! みんな悪いな、ギルドのおごりはなしだ!」
 とたんに、ふざけんな、金返せ、お前がおごれと野次がとぶ。
「待て待て、ちゃんと聞け! そのかわり、今日の酒と飯はこのノアのおごりだ! ちゃんと礼を言ってこいつの話を聞いてやれよ。ノアをスルーしやがったやつには後から酒代きっちり請求すっからな!」
 うおお、と先ほどより大きな歓声があがる。
 歓声と拍手に応えてから、パイクが呪文のように酒と食べ物の名前をずらずら叫ぶと、カウンターの奥にいた数人が、くすくす笑いながら準備を始めた。
 その間にノアは、ジェマとエミリーに引っ張られて、手近なテーブルに移動した。
 パイクが、カウンターから直接、いくつかの料理と飲み物をもってきて、まだ戸惑うノアの前にどんと並べる。
「せっかくの縁だ。しばらくうちでやっていくなら、楽しくやりてえじゃねえか。騒がしいのが苦手だってんなら、明日からは無理は言わねえ。まあ、今日だけでもギルド長の顔を立てると思って付き合ってくれや」
「ノアくんのこと、かなり気に入ったみたいですね。照れ屋も大概にしろって言ってやってください」
 ジェマがさらりと通訳し、パイクが「なんてこと言いやがる」と真っ赤になる。
「あはは、パイクは照れ屋なんだね」
「ノア、てめえ!」
「冗談だよ。でも本当にありがとう。明日から、酒場もギルドの仕事も頑張るね!」
 この日、レイリアギルドの酒場は、夜遅くまで笑い声の絶えない大賑わいだった。
 まだ薄暗い時間に、ノアは目を覚ました。
 染みついた生活リズムは、多少の夜更かし程度で変わることはないが、さすがに少し体がだるい。
 昨日はずいぶんと大騒ぎをしてしまった。あんな体験をするのはほとんど初めてだった。
 シーヴのギルドでも、昨日のような宴が催されることはもちろんあった。しかし、輪の中にノアが入っていた記憶は数えるほどしかない。
 その数少ない記憶にしても、片付けをやっていたり、飲み物の補充に駆け回ったり、そんなものばかりだ。
 ノアは、そんな自分の立ち位置に疑問を抱いてこなかった。夢と希望を抱いて加入したギルドではあったが、実力不足は自分の責任だと思っていたからだ。
 仲間に比べて劣っている自分が、何の活躍もしていない自分が、輪の中心でいっしょに笑う資格なんてないと思っていた。
「昨日は楽しかったな」
 ぽつりとつぶやいてみる。
 あれやこれやと質問ぜめにはされたが、それらは悪意のあるものではなく、これから共に過ごす仲間として歓迎するものであったし、即答できないものを無理強いされることもなかった。
 飲み物がなくなっても、補充に駆け回る必要がなかったばかりか、主役なのだからと輪の中心に押し戻され、笑顔に囲まれて過ごすことができた。
「できる限りがんばってみよう」
 ふわふわした暖かい何かを、自身を鼓舞する言葉に変えて、ノアはうんと伸びをして起き上がった。
 服を着替えて廊下に出る。しんとした廊下に人の起きている気配はなく、ギルド全体がまだ眠っているようだった。
 昨晩、何度か往復したのでギルドの構造はおおむね頭に入っていた。
 外に出て、共同の手洗い場で顔を洗う。
 ひんやりした風が濡れた肌を撫でていく。
 見上げた空には雲ひとつなく、夜明け前の濃紺が広がっている。
「ずいぶん早いんだね、おはよ」
「おはよう、エミリー。なんとなくこの時間に起きる癖がついてるだけだよ。いつもこの時間に起きるの?」
「普段はもう少し遅いかな。昨日はギルドで部屋を借りて寝たから、なんとなく早くに目が覚めちゃった」
「いつもは家から通ってるんだ?」
 うなずいて、エミリーも顔を洗う。
「酒場の仕事、今日は夕方の仕込みからだよね?」
「うん。大図書館は夜には閉まっちゃうからって、パイクが調整してくれた」
「そっか。そしたら、早速行ってみる?」
「うん、行ってみたい」
「じゃあ朝ご飯食べて一息ついたら、ギルドの前に集合しよっか」
「エミリー、忙しいんじゃないの? 昨日も案内してもらったし、一人でも大丈夫だよ」
「すごい。ノアが私に気を遣えるようになってる! 大人になったんだね!」
「さすがにあの頃と比べたら、そりゃあそうだよ」
 そっか、とくすくす笑って、エミリーは「大丈夫、私も調べ物があるからそのついでだし」と続けた。
「そうだ。図書館に行く前に、商店街に寄ってもいい?」
「もちろんいいよ、家に顔を出しておく?」
「家にも戻りたいけど、魔道具の工房に連れていきたくて。魔物の討伐にも出るなら、あのロッド、そのままじゃ困るでしょ?」
「……そうだね」
 ノアは、部屋の隅にそっと立てかけてある折れたロッドを思い浮かべた。
 父の形見として大切にしてきたものだ。できれば修理したい。
 もしそのまま使うのが無理でも、先端の石だとか、一部だけでも残せる方法があればそうしたい。
「修理の前にちょっと頼みたい事もあるんだけど、大丈夫?」
「もちろんいいよ」
 ノアは中身も聞かず、ふたつ返事でうなずいた。
 それを見たエミリーが、目をじっと細めて口をとがらせる。
「ノアっていつでも誰にでもそうなの?」
「いつでも誰にでも?」
「どんな頼み事かもわからないのに、ノールックで返事しちゃっていいのかってこと。ちょっとどころか、ものすごく大変な頼み事かもしれないよ?」
「誰にでもっていうわけじゃないけど。エミリーにはお世話になりっぱなしだし、僕にできることならなんでも手伝うよ。本当はものすごく大変な話なの?」
「うーん、多分ノアなら大丈夫、だと思う」
 多分。だと思う。ずいぶんと含みのある言い方だ。
 怪訝な顔をしたノアに、エミリーが苦笑いを返す。
「昨日でなんとなく気づいてるとは思うし、きっと色んな噂も耳に入ってると思うけど、うちってあんまり上手くいってなくてさ」
「昔はもっと活気があったって言ってたよね」
「うん。ノアは魔力炉って見たことある?」
 魔力炉は、大陸中で発掘される、古代の遺物のひとつだ。ゼロから作り出せはしないが、破損が軽微であれば修理もできる。発掘され、まだ動くことがわかった魔力炉は、主に魔道具の工房や魔法灯などのエネルギーとして利用されている。
 仕組みは単純なもので、球体の炉本体と、地面に突き刺すための脚から出来ていて、脚を突き立てるだけで、自動的に地面の下を流れる魔力流から必要な魔力を吸い上げてくれる。
 そう珍しいものではないので、ノアもギルドの依頼で発掘を手伝ったことがあった。
「レイリアにある魔力炉、ほとんど動かなくなっちゃってるんだよね」
「どういうこと?」
「真下を流れてる魔力流が、すごい勢いでよどんでるんだって」
 魔力のよどみは魔物を生み出し、生み出された魔物は人や動物を襲う。この大陸に暮らす者なら誰でも知っていることだ。
 そして、魔力のよどみによる影響はそれだけではない。
 ほとんどの魔力炉は、よどんでいない魔力でなければ、吸い上げても使うことができない。
 また、人間にとってもよどんだ魔力はいいものではない。抵抗力が弱ければ、長時間そこにいるだけで体調を崩すことすらある。
「でも、都市の真下でなんて……そんなことってありえるの?」
 魔力のよどみが発生するのは、死の谷のような特殊な地形や、都市から離れた場所であることがほとんどだ。
 そもそも、大昔に主要な都市が作られたときから、そういうことが起きにくい地形や場所が選ばれているのだと、何かの本に書かれていたのをノアは思い出す。
「実際に起きてるんだから、なんとかしていくしかないよ。それでね、ギルドに依頼がきてるんだよね」
「原因を突き止めて、レイリアを元に戻すってこと?」
「それもあるけど、今回のは工房から。魔力炉に魔力を補給してほしいって。残念ながら、今のところ未達成。成功報酬だから報酬はもらえないわ、総出であたったうちの魔術師たちは自信をなくすわ、ギルドの評判も急降下中だわ……残念の連鎖ってわけ」
 エミリーが肩を思いきり落として、首を横に振る。いっそわざとらしい仕草だと思ったら、ぱっと顔を上げてにっこり笑顔を見せた。
「というわけで、ノアの出番じゃない? 成功報酬をきっちりいただいて、ギルドの汚名も返上して、クライアントも大喜び! どう?」
「どうって、そりゃあ頑張ってみるけど……ギルドの魔術師総出で駄目だったって聞くと不安かも」
「何言ってんの! いい? ノアはお金をもってない!」
 びしっと人差し指を突き出され、ノアは後ずさる。
「形見のロッドを修理するにしても、かわりを探すにしても、当たり前だけどお金はかかるでしょ?」
「……そうだね」
「ここで期待以上の成果を見せて、恩を売ってさ」
「ええ……」
「感動にむせび泣くクライアントさんにお願いすれば、ロッドの一本や二本、新しいローブ付きで作ってくれるかもしれないよ?」
「むせび泣くって……そんなことにはならないんじゃない?」
「いいからいいから! ノアは思いっきりやっちゃえばいいんだって。ほら、行くよ。明るくなったらみんな起きてくるから、とりあえず戻ってご飯にしよ!」
 白み始めた空を背にして、エミリーが駆け出す。冗談のような言い方をしてはいたが、目の奥は本気だった。一抹どころではない不安を抱えつつ、ノアもひとまず駆け出した。