無限魔力の追放魔術師は辺境都市で第二の人生を謳歌する~無自覚だった魔力譲渡スキルを自覚したので、新しい仲間全員でとことん無双させていただきます!?~

「なにあれ……あんなの、無理に決まってる……」
 死の谷の北側に位置する崖の上。じりじりと照りつける日差しを背中に受けながら、ノアたち四人はうつ伏せになって魔物から身を隠し、件の谷底を見下ろしていた。
 青ざめた顔のエミリーが凝視する先に、ノアも目をこらす。
 よどんだ魔力が渦を巻き、地上に吹きあがっていた。その中心には巨大な槍が突き立てられており、それが周囲のよどみを集めて、地下に流し込んでいる。
「あそこからよどみを吸い込んで、レイリアに流れ込む魔力流に無理やり渡していたのですね……なんということを」
 ジェマが唇を噛む。巨大な槍が作り出す渦の周囲には、よどみから力を得ようと集まった無数の魔物がうごめいている。
 一体一体がかなり強化されているようで、見たことのある魔物が数倍の大きさになっていたり、より凶悪などす黒い色に染まっていたり、通常ではありえないほどの魔力をほとばしらせていたりする。
「残念だが、ありゃあ刺さってからしばらく経ってるな。それこそ、レイリアがおかしくなり始めた頃から、あそこにぶっ刺さってるんだろうよ。冗談じゃねえな、まったく」
「あんな場所があるなんて知らなかった……」
 ノアは、何度もきていた死の谷なのにと、今更ながら悔しがる。
 槍が刺さっていたのは、ノアがシーヴギルドにいた頃に知っていたどの谷底とも違う場所だった。
 ちょうど何年か前から、死の谷の魔物討伐の難易度がやけに下がったという噂は聞いていた。
 当時は、自分たちが強くなったからだとジャックやバーバラが豪語していて、実際のところそれは、ノアの魔力を借りて強化されていた部分もあるのだが、皆がそれを信じていた。
 しかし、真相はまったく別のところにあった。
 何者かによって突き立てられたあの槍によって、魔力のよどみが強制的に変化し、ギルドが討伐を行っていたポイントに強い魔物が生まれにくくなっていたのだ。
 その裏でひっそりと、そして着実に、レイリアにも影響を与えながらよどみは深くなっていた。
 ノアたちが見下ろす先にいる魔物たちが、もしいっせいにシーヴになだれこめば、シーヴは無事では済まないだろう。
 同じように、あの魔物たちがレイリアに襲い掛かったらと思うと、ノアはぞっとした。
「あれをそのままにはしておけません。私たちがどうにかするしかなさそうですね」
 氷のような視線を谷底に送りながら、ジェマがぽつりと言う。
「最低でも、あの槍は引っこ抜いて、ぶち壊しておかねえとな」
 ぐるんと肩を回して、パイクも鼻息を荒くする。
「よどんだ魔力の流れからしたら、あそこに集まった魔物たちはきっと、シーヴよりレイリアを目指しちゃう。私たちが、やるしかないよね」
 自分に言い聞かせるように、エミリーも拳を握る。
「怖いか、ノア?」
 ただ一人、押し黙っていたノアに、パイクが声をかけてくる。
「僕は……」
 正直に言えば、怖い。
 この四人ならなんとかなる。昨晩は確かにそう思っていたのに、こんなことになっているなんて。失敗は許されず、相手は未知の力を持った強力な魔物たちだ。ノアの心のざわめきは、簡単には消えてくれなかった。
「大丈夫……とはいえないけど、私たちならきっとできるよ」
「ノアくんは、レイリアにきてからも成長を続けています。私が保証しますよ」
「だそうだ。ひとついいとこ見せてやろうや。なに、無理そうなら俺が全員かかえて逃げきってやるからよ。あっはっは!」
 三人の言葉が染みる。ノアは、自分の中に暖かい何かが流れこんでくるような感覚を覚えて、立ち上がった。
「そうだね、やれるだけやってみよう。それに……」
 大きな衝撃と破裂音がして、地面に突き刺さった槍の柄から、よどんだ魔力の塊が空中に吐き出された。ひりつくようなプレッシャーが膨れ上がっていく。
 空中でゆっくりと形を変えていったそれは、やがて翼を広げた巨大な竜となって、ノアたちを底の見えない暗い瞳でにらみつけた。
「僕たちが隠れてるの、ばれちゃったみたいだし」
 ノアが言い終わるか否かのタイミングで、四人は駆け出していた。
 パイクが斧と盾を構えて突進し、エミリーがそれに続く。
 ジェマとノアは二人の後方に控え、ジェマは補助魔法を、ノアは魔力の譲渡を開始する。
「きますっ!」
 空を蹴り上げて上空へと昇った竜が、旋回して突っ込んでくる。
 ノアは、身体が熱くなるほどの大量の魔力を三人に送り込む。ノアの魔力に呼応して、三人の身体がきらきらと光を帯びる。以前とはくらべものにならないほどの魔力量だ。
 パイクとエミリーが斬撃を飛ばして、滑空してくる竜を迎撃した。
 鋭い斬撃が竜の両翼をもぎとり、バランスを崩した竜は崖に激突して落ちていく。
「とんでもねえ力が湧いてきやがる!」
「まだくる! 油断しないでっ!」
 大笑いするパイクに、エミリーが叫ぶ。
 竜の姿を維持できなくなったのか、真っ黒な魔力の塊が崖から這い上がり、咆哮をあげた。
 耳をつんざくような高音に、四人は顔をしかめる。びりびりと全身を突き刺す衝撃波は、踏ん張っていても飛ばされそうだ。
 ぱん、ともがれたはずの翼が再び生え、ぬらりとした尾と竜の頭が現れる。
 最後に、先ほどよりひとまわり太い腕と脚がずるりと形作られ、漆黒の竜が四人の前に姿を現す。
「盾ぇっ!」
 ジェマが叫び、とっさにパイクが両手で盾を構える。
 くるりと後ろを向いた竜の尾が、パイクを盾ごとくの字にまげて、はねとばした。
「パイク! ジェマ、お願い!」
 跳ね飛ばされたパイクをジェマが追い、かわりにエミリーが前に出る。
 竜の前足に斬撃を集中させ、目にも止まらぬ連撃で、片足を斬りとばす。
「ノア、もっと魔力!」
「わかった、集める!」
 ノアは、エミリーへ魔力を集中させながら、巨大な氷塊を作り出し、竜の頭めがけて投げつけた。ここまでの間にストックしていた氷魔法二つ分を重ねた、ノアが今できる中で、もっとも威力の高い大技だ。
 片足を失い、側頭部に氷塊をぶつけられた竜が、バランスを崩して頭を下げる。
「はああああっ!」
 タイミングよく飛び込んだエミリーの刀身には、吹き荒れる暴風が宿っていた。
 真上から振り下ろした一撃が、竜の首をごとりと地面に落とす。
「やった!」
「……パイクは!?」
 竜が動かなくなったのを確かめてから、ノアが振り返ると、ジェマがパイクに治癒魔法を当てているところだった。
 パイクはぎりぎりのところでマッスルボムを発動させて、後ろに跳んでいたらしい。軽傷とは言えないが、戦線を離脱するほどではなさそうだ。ノアは急いで、ジェマに渡す魔力も数倍に増やす。
 みるみるうちに回復したパイクが、立ち上がってにやりと笑うが、すぐにその顔がこわばった。
「くそ……まだだ! お前ら、後ろだ!」
 ノアが慌てて振り返ると、地面に落ちた竜の頭を取り込んだどす黒い魔力の塊が、うねうねと空中でうごめいていた。
 エミリーがノアの隣まで下がり、呼吸を整えて構える。
「首を落としたのに……竜っていうより、魔力の塊の魔物ってこと?」
「魔力の集合体なら、必ず核があるはずだよ……まさか!?」
 突き刺さった巨大な槍。あれ自体がこの魔物の核だとしたら?
 ノアの考えを察してエミリーが飛び出すが、それより先に、竜が崩れたような魔力の塊は動き出していた。
 どす黒い魔力の塊が槍の元へ戻っていく。それを追いかけるように、エミリーが風の斬撃を飛ばすが、一歩遅い。
 槍を守るように絡みついた魔力の塊によって斬撃は弾かれ、かわりに耳障りな、威嚇するような咆哮が槍から発せられた。
「遅かった! ってなにあれ……周りの魔物を、食べてる!?」
 追いついてきたパイクとジェマを加えて四人は槍を見下ろし、それぞれに表情を歪めた。
 槍に戻った魔力の塊が、魔力のよどみに引き寄せられて集まった魔物たちをまとめて飲み込んでいたのだ。
 ノアたちが削り取ったいくらかの魔力を補填し、それ以上の禍々しさに膨れ上がっていく。
 慌てて逃げ出した一部の魔物を除いて、ほとんどの魔物を喰らいつくした魔力の塊は、再び竜に姿を変え、槍を守るようにしてノアたちを睨みつけた。
「どうやら完全に怒らせたな。ま、考えようによっちゃ、相手すんのが一匹だけになったってとこか?」
 パイクの表情には、言葉ほどの余裕はなさそうだった。
 ノアは皆を自分の魔力で守るイメージで、大量の魔力を注ぎ込む。
 同時に氷魔法の構築も進めていくが、こちらはなかなか上手くいかない。発動の遅い自分の魔法がもどかしい。
 相手は竜の形をしているとはいえ、よどんだ魔力の塊だ。単純に剣や斧でも斬りつけても効果は薄い。なんらかの魔力を乗せて攻撃する必要がある。
 渡した魔力のおかげで、パイクとエミリーの斬撃は一定の効果を発揮しているが、もっとも効果が高いはずなのは、魔力そのもので構築した魔法による攻撃のはずだ。
 倒すにしても逃げるにしても、自分がもう少し魔術師としてもちゃんと役に立てていたらと思うと、歯がゆくて仕方ない。
「深追いはやめておきませんか。四人で戦うには、あれはあまりにも危険です。おそらく、槍から距離をとれば追ってはこないはずです」
 ジェマが補助魔法を次々とかけながら、厳しい声色で言う。
「でも、あれをどうにかしないとレイリアは駄目になっちゃうんでしょ? 時間が経ったらもっと強くなって、手がつけられなくなっちゃうんじゃない? それなら……ここで!」
「ばかやろう! 一人で出るんじゃねえっ!」
 果敢に前に出ていくエミリーを、パイクが追う。
 ノアも二人の背中を追いかけるが、アタッカー二人の速度にはついていけず、距離が開いてしまう。
 竜が翼を広げて空へ舞い上がった。頭を大きくのけぞらせると、開いた口にどす黒い魔力が集まっていく。
「だめだ、よけて! ブレスがくる!」
 早すぎる。ノアは竜と戦う場に居合わせたこともあるが、ブレスを吐くにはもっと長い溜めがいるはずだ。
 パイクが、立ちすくんでしまったエミリーの前に出て、盾を構えて立ち塞がった。
 竜がのけぞらせた頭を、はずみをつけてゆるりと前に出す。
 スローモーションのような動きから、真っ黒な帯が吐き出される。
 ノアは必死で、少しでもダメージを軽減できるようにと魔力をパイクとエミリーに流し込む。
 組みかけの氷魔法を投げつけるが、ブレスにかすっただけでかき消えてしまう。
 パイクがあげた雄たけびとエミリーの悲鳴が、ノアの頭の中でぶつかり、ブレスが発する爆音にかき消されていく。
 前衛二人を飲み込んだブレスが、そのまま地面を削ってノアに迫ってくる。
 視界が明滅する。振動と衝撃で鼓膜が破れそうだ。横っ飛びにかわす。竜が少しでも首をかしげれば終わりだったが、幸いにもブレスは、ノアの真横を駆け抜けていった。
 しかし、当然ながら無傷で済むわけはない。衝撃と爆発に囲まれ、木の葉のようになすがままに揺さぶられ、飛ばされ、叩きつけられ、全身を強く打った。
 パイクとエミリーは間違いなく飲み込まれた。ノアの後ろにいたジェマも、ブレスを受けたかもしれない。
 力の入らない身体をどうにか起こして、ふらふらと立ち上がった。
 パイクとエミリーが、うつ伏せになって倒れているのが見えた。
 ノアの魔力譲渡で数段階強化された補助魔法を重ねがけしていたおかげか、パイクの盾さばきのおかげか、かろうじて息はあるようだ。
 しかし、ダメージは決して浅くない。盾を構えていたパイクの両腕はあらぬ方向に曲がっているし、エミリーもブレスによる傷を全身に受けて、気を失っている。
 振り向いて、ジェマを探す。
 ジェマはブレスの直撃は避けたらしかったが、ノアと同じく衝撃に吹き飛ばされ、全身を強打したらしい。手にした杖に寄りかかってどうにか立ち、自身に治癒の魔法をかけている。その表情は苦悶に歪み、とても余裕があるようには見えなかった。
 翼を広げて、ゆっくりと竜が降りてくる。
 大技のブレスを吐ききった直後だからか、勢いをつけて襲いかかってはこなかったが、その視線はパイクとエミリーを捉え、すうと細められている。
 もはや四人とも、まともに戦える状態ではない。逃げるタイミングも失してしまった。
 ――全滅。
 ノアの頭をよぎった文字列が、鼓動を急かす。冷たい汗が背をつたった。
 レイリアにきて、自分は変われたと思っていた。
 能力を自覚して成長を実感したし、自分だけの新しい武器も手に入れた。仲間にも恵まれ、心の底から笑うこともできた。
 今までとは違う、新しい世界が開けたと思っていた。
「ああ……!」
 地上に降り立った竜が、パイクとエミリーに近づいていく。動けと必死に命令するが、重たくなった身体は言うことを聞いてくれない。 
 竜が鋭い爪をむき出しにして、前足を振り上げる。狙いはエミリーだ。
 ノアの全身が焼けるように熱くなる。自分の人生を変えてくれた幼馴染が、今まさにその命を散らそうとしている。
 どうすればいい? 何ができる?
 気を失っているエミリーに魔力を投げつけたところで、何の意味もない。両腕が使えないパイクにしても、同じことだ。
 ノアよりはるか後ろにいるジェマの治癒魔法が、パイクとエミリーの二人に届くとも思えない。
 魔法だ。ノアの魔法が届きさえすれば。無我夢中で、魔力の塊を炎に変えようとするが、全身の痛みで集中できず、手のひらに生まれた小さな火種が、儚げに揺れるだけだ。
 遅すぎる。弱すぎる。涙があふれてくる。もう、今にも、黒光りする爪が、大事な仲間を引き裂こうとしているのに。
 駄目だ。これでは駄目だ。もっと早く。もっと強く。大切な人を守る力が欲しい。
「ああああああああああああああ!」
 カチリと、ノアの中で何かが噛み合う音がした。
 図書館で唱えた魔導書の映像が、頭の中で鮮明に映し出される。
 反射的に、開かれたページに浮かび上がった文字をなぞる。
「『永続詠唱加速(絶)』……?」
 口にした瞬間、ノアの中でその瞬間を待っていた古代魔法が、正しく発動した。
 まだ火種程度だった炎魔法が、燃え盛る火球に姿を変えて、ロッドの一部である星のパーツに宿る。
 ノアが夢中で発射したそれは、まさに前足を振り下ろす寸前だった竜を、大きく後ろへ弾き飛ばした。
「テラフレア……」
 ノアは、先に投げつけたファイヤーボールとは桁違いの上位魔法の名を、ぽつりと口にする。
 もともと、扱える魔法の種類自体が少ないわけではない。発動までの時間が圧倒的に遅いため、ほとんど使う機会がなかっただけだ。
 迷いなく発せられたノアの言葉に呼応するように、星、月、剣、盾、鏃、円、正方形すべてのプレートが、一瞬で燃え盛る炎を宿す。
「テラフレアを、七つ同時に!? ノアくん、あなたは……」
 後ろにいるジェマが、驚きの声を漏らした。
「いっけえええええええええええええ!」
 一撃で魔物を群れごと焼き尽くせる威力の炎を、悲鳴をあげる竜に次々とぶつけていく。
 七つのプレートを、円を描くように回転させてテラフレアを連射する。
 熟練の魔術師でも発動までに時間を要するはずの上位魔法を、こともなげに連射するノアに、ジェマが息をのんだ。
「ジェマさん、大丈夫ですか? できれば、二人の回復をお願いします」
「え……あ……これは……!」
 連射を続けながら、ノアはジェマに、これまでよりさらに質の高い魔力を大量に譲渡する。
 流れ込んできたでたらめな量の魔力に、ジェマが困惑の表情を見せるが、すぐに切り替えて自身への治癒を済ませ、パイクとエミリーのところへ駆けていく。
 その間もノアは、竜の形を保てなくなっているよどんだ魔力の塊へ向けて、灼熱の炎を連射し続ける。
「助かったぜ。ありがとよ、ジェマ。しかしこいつは……」
「ノア……!?」
 譲渡された魔力によって数倍の効果を発揮した治癒魔法で、パイクとエミリーが起き上がる。
 三人の前に堂々と立って魔法を放ち続けるノアに、理解が追いついていないようだ。
「パイク、エミリー。悪いけど手伝ってくれる?」
「お、おう……?」
 振り向いてにっこりと笑顔を見せると、ノアは巨大な槍を指さした。
 柄のところに、真っ黒な宝石がはめ込まれている。
「あれが核だと思うんだけど、魔法を止めるとすぐに魔力が集まってきちゃうみたいで」
 炎、氷、風、雷、土、光、水。
 七つのプレートに七つの属性の上位魔法を立て続けに練り上げ、核を守ろうとする魔力を散らしながら、ノアが言う。
「後ろから援護するから、二人であれを壊してきてもらえると助かるんだけど、お願いできる?」
 ノアは両手を差し出し、目に見えるほどの魔力を前衛二人に流し込む。
「あっはっは! 援護っつうレベルじゃねえけどな! よおし、好き勝手やってくれたあのくそ槍、ぶっ壊してやるか!」
「うん、任せて!」
 ジェマの補助魔法も重ね掛けをやりなおして、完全に立て直した四人がそれぞれに飛び出す。
 むき出しになった核をどうにか守ろうと、槍が怪しい光を放つが、ノアの連続魔法を受け続けたことで、もうほとんど魔力は残っていなかった。
 パイクとエミリーが、斧と剣を構えて突っ込む。
「今度こそ終わりにしてやる!」
「はああああっ!」
 二人の斬撃が、核を粉々に砕き、槍が断末魔の悲鳴をあげる。
「ありがとう! 二人とも下がって!」
 ノアは、核が破壊されても手を緩めなかった。よどんだ魔力を集め、核を形成して魔物化させたのは、元をたどれば巨大な槍のせいだ。本体が残っている限り、安心はできない。
 七つのプレートにそれぞれためたテラフレアを、一つにまとめる。
 ノアの右手の腕輪についた紅魔石が、集束した高密度の上位魔法に反応してまばゆいばかりの光を放つ。
「くらえええええええええええ!」
 パイクとエミリーが飛びのいたのを合図に、ノアは漆黒の槍めがけて、渾身の魔法を放り投げる。
 灼熱の炎が縦横無尽に暴れまわった後には、焼き尽くされた土のみが残され、槍も、その場のよどんだ魔力もかき消えていた。
「いや、まあなんだ……すげえなお前さん」
 パイクが金髪のつんつん頭をがしがしとかきあげて、呆れたようにつぶやく。
「私はブレスで気を失っちゃってたけど……何があったの?」
「僕も夢中だったけど、前に読んだ詠唱加速の魔法が発動してくれたみたいなんだよね」
「魔力切れでノアが倒れちゃったときの?」
 目をぱちくりさせるエミリーに、ノアはうなずく。
「あの竜の爪が、エミリーに届くぎりぎりのところで、ノアくんの全身が光に包まれたんです」とジェマが付け加える。
「そうだったんだ……ありがとう。命の恩人だね、ノア」
「いいってことよ。愛の力の前には、どれだけよどんだ魔力も無力なのさ」
「パイク、それもしかして僕の真似? 本気で怒るよ?」
 隠れるようにして恥ずかしい台詞を口走ったパイクを、ノアはじろりとにらみつける。
「悪かったって。よせよせ、プレートこっちに向けるんじゃねえよ。しかしなあ。見事に跡形もねえな。できれば、槍は証拠と調査に持ち帰りたかったんだが……」
「え! ご、ごめんなさい」
「いいってことよ。あんだけのラブを見せつけられた上に、俺もついでに命を救われてるわけだからな」
「どうしてもそういう方向にもっていきたいわけ? 命がけでかばってくれて、せっかく見直してたのに」
 パイクがおどけ、エミリーが顔を赤くし、ジェマがくすくすと笑う。
 ほっとしたノアも、緊迫した空気からようやく解放されて、声をあげて笑った。
 誰があの槍をここに突き立てたのか、という謎は残ったが、レイリアを蝕んでいた原因を、誰一人欠けることなく取り除くことができた。
 一つの区切りがついた安心と喜びが、実感となって広がっていく。四人の間に弛緩した空気が流れた、そのときだった。
「ギルド長! ジェマさん!」
 叫んだのは、レイリアギルドのメンバーの一人、ティムだった。
 早馬に乗って死の谷を単騎で駆けてきたのだろう。全身にいくつかの傷を負っている。
「ティム! 一人できやがるとは……何があった!?」
 馬から転げるようにして四人の元にたどり着いたティムを、パイクが抱きかかえる。ジェマが冷静に治癒魔法の準備を始め、エミリーが持ってきていた水筒を手渡した。
「大変なんです……すぐに王都に向かってください!」
 死の谷から王都へ向かうには、レイリアに戻る途中の道で、南へ進路を変える必要がある。
 ひとまず死の谷を抜け出し、馬車まで戻ったノアたちは、飲まず食わずで走ってきたというティムと、彼の乗ってきた馬をケアしながら詳しい話を聞くことにした。
 ノアたちが乗ってきた馬車は、昨晩のうちに周辺の魔物を一掃したうえ、ジェマ特製の簡易結界魔法で守ってあった。もちろん、ノアが魔力をたっぷり譲渡した強化版だ。仕込みに時間がかかるので魔物との戦闘中に使ったりはできないが、こういうときには頼もしい。
「皆さんが出ていった昨日の夕方、王都が魔物の襲撃にあっているって緊急の依頼があったんです」
 王都からの依頼は、基本的には使者がやってきてギルドに直接伝えられる。
 しかし緊急の場合は、訓練された鳥を使い、書状として主要な都市に要請されるのだ。
 各都市に返信用の鳥がいるわけではなく、王都からの鳥もすぐに飛び立ってしまうので、実質的には命令のようなものだ。
「五大都市でもねえうちにまで、緊急の依頼だあ?」
 ノアは、シーヴギルド在籍中に緊急依頼を受けたことはないが、それがどういうことかはわかっていた。
 王都が頼りにするのは基本的に五大都市までで、それ以上の人手が必要な場合は、あらかじめ五大都市宛の依頼にその旨を記載し、五大都市それぞれが周辺の都市に声をかけるようになっている。
 それを飛び越えて依頼がくるのは、まさしく緊急事態に他ならない。持てる限りの鳥を各都市に放ち、一人でも多くの戦力をかき集めたい、それほどの危機だということになる。
「かなりの規模の群れで、王都の騎士たちも苦戦しているって話です」
「前に魔物が溢れてから十年以上が経っているとはいえ、まだ兆候はなかったはずでしょう。一体どうして……」
「まさか、死の谷のあれが、無理やり魔力の流れを変えたせい?」
 ジェマが眉をひそめ、エミリーが仮説を立てる。
 大陸中でよどんだ魔力が少しずつ溜まっていく以上、それは定期的に溢れて、大規模な魔物の襲撃となる。
 そのような襲撃は、十五年に一度あるかないかの間隔で発生するが、各都市周辺の魔物が増えたり、あきらかに魔力のよどみが深い場所が増えたりといった前兆もあり、予測しやすいもののはずだった。
「原因をあれこれやるのは後だ。レイリアとしてはどう動いてんだ? まさか、俺たちの戻りを待たせてあるってんじゃねえよな?」
「シャロンさんがまとめてくれて、出れる面子は先に出てます」
 王都からの依頼に、人を出さない選択肢はない。しかもそれが緊急依頼となれば、一刻を争う。出遅れることがあれば、この大陸における都市としての信頼を失いかねない。シャロンは、ジェマが留守中の右腕としての役目をしっかり果たしてくれているようだ。
「悪くねえが……俺たちが間に合うかは微妙なところだな」
「そうですね。この馬車を引いているのは買い出し用の子たちよりは元気ですが、全速力で駆けつけられるほどの力はありません」
「ティム一人じゃ、馬四頭引き連れてってわけにもいかなかったろうしな」
 これ以上ないタイミングで報告を受けることはできたが、ここから馬車で王都を目指しても、丸一日かかる。
「とはいえ、行くしかねえか。ティム、お前も乗ってけ。馬を休ませたらすぐ出発だ」
「ちょっと待って」
 ノアの言葉に、全員の視線が集まる。
 王都の状況は芳しくない。レイリアから人を出してはいるものの、大規模な魔物の討伐となればやはり、パイクやジェマが指揮系統としての主力であることは間違いない。馬車ではここから一日遅れの到着で、王都からの緊急依頼達成に支障をきたすだけでなく、レイリアギルドの仲間たちの身も危ぶまれる。
 何か手はないかと、会話を聞きながら考えていたノアは、あることを思いついたのだった。
「試したいことがあるんだ」
「わかった! 馬車を引く馬に魔力をぶん投げて、ジェマの補助魔法も使って加速しようってんだろ!」
「それも考えたんだけど、違うよ」
 補助魔法で馬たちの力や速度を強化することも、おそらくできなくはない。
 しかし馬は、補助魔法で強化された身体を扱うことに慣れてはいない。
 馬たちの身体を壊してしまいかねない上に、暴走する恐れもある。強化された馬が引く馬車に乗って、移動すること自体が危険を伴う。
「皆、僕を信じてくれる?」
「もちろんノアのことは信じてるけど、どうするの?」
 エミリーにありがとうとお礼を言って、ノアは『七つの死に至る罪』を取り出した。
 円、正方形、盾をパイク、ジェマ、エミリーの足元にふわりと並べる。
「これに乗って」
「はあ?」
 きょとんとする三人の前で、ノアは自分の足元に月を浮かべてひょいとその上に乗ってみせた。
「まさかとは思いますけど」
「はい、これに乗って飛んでいくのはどうかなって」
「あっはっは! さすがに厳しくねえか? 空中に浮かぶ魔法でまともな速度が出るのかよ? しかもこいつじゃ、片足が乗るかどうかってとこだぞ?」
「それも考えてたんだ。とりあえず足元はこれで大丈夫じゃない?」
 プレートを中心にして、両足を乗せてふんばることができる程度まで、魔力で作った足場を広げてみせる。続いて、星、鏃、剣を三人の顔の前に浮かべてみせた。
「念のため、これに掴まって」
「確かにこれならなんとか。あ、でもプレートは七つですよね。もしこれが飛べたとして、ノアくんはどうするんですか?」
 ジェマが心配そうに聞いてくる。これにも、ノアは笑顔で答えた。
「僕にはこれがあるから」
 本体である腕輪を右腕からするりと外して、しっかりと握ると、ノアはふわりと浮き上がった。
「あんまり時間もないと思うので簡単に説明というか、実際に試してみるね」
 言うが早いか、ノアは急加速して上空に飛び出した。
 普段、プレートを操って浮かべて飛ばしているのも、魔力の操作と制御だけだ。浮遊の魔法などは使っていない。それなら、普段より重量のあるプレートだと思えば、操れるのではないか。
 ノアの考えは的中し、空中に浮かぶ魔法を使わずとも、高速での飛行を可能としたのだった。
「ノア、私のもお願い!」
 ぎゅっと星に掴まってエミリーが叫ぶ。
 ノアは高速で飛び回りながら、エミリーのプレートを同じように操作して上空へ引き上げる。各プレートに流した魔力と、エミリー自身に譲渡した魔力を繋げて、手足が離れにくいように少しだけ工夫もした。
「こんなことができるなんて!」
「さっき倒した竜が魔力の塊に戻ったとき、そのまますごい速さで槍のところに戻ったりしてたでしょ? それでもしかしてって思ったんだ」
 空中を飛び回る二人を見て、おっかなびっくりプレートに掴まり、足を乗せたパイクとジェマも、続けて空中へ浮き上がらせる。
 今のノアは能力を完全に掌握し、詠唱加速の古代魔法まで会得している。
 よりスムーズに、効率よく魔力制御ができるようになったことにより、四人分の体重が乗ったプレートでも、いとも簡単に操作してみせた。
 ひとしきり飛び回ったあと、口をあんぐりと開けて驚くティムの元へ降り立つと、ノアはいったん魔力の制御を解いた。
「ティムさん。申し訳ないんですけど馬車をお願いしてもいいですか? 街道ぞいなら、行きがけに魔物はほとんど倒してきたので、まっすぐレイリアまで帰れるはずです」
「あ、ああ……それはかまわないけど、そのまま王都までいけるのか?」
「はい。試しにやってみた感じ、四人くらいなら大丈夫だと思います」
 はっきり言いきると、驚きに呆れが混じった視線を返される。
「もうノアくんが何をしても驚かないつもりだったのに、ここにきてまだ驚かされるなんて」
 ジェマがため息まじりに言い、飛びまわるのをいたく気に入ったパイクが、「馬も要らなくなっちまうとはな、もう難しいこと考えんのはやめだ!」と笑い転げる。
 エミリーはエミリーで「ねえ、これってどれくらいの速度が出せるの?」とわくわくした顔になっていて、頼もしいことこのうえない。
「少なくともこの馬車とか、馬よりは速く行けると思うよ」
 紅魔石がきらめく腕輪をくるりと手のひらで一回転させ、再び空中に浮かび上がると、ノアは三人にプレートに乗るよう促した。
「ギルドの皆も王都も心配だし、全速力で行くからね。落ちにくいようにはするつもりだけど、しっかりつかまって!」
 ノアを先頭に、ゆっくりと上昇した四人は、手を振って見送るティムをあっという間に置き去りにした。
「何度言ったらわかるのだ、守りに徹してくだされ! 何のための塀と堀だとお思いか!」
 背中に響くわずらわしい声を無視して、ジャックはチームを率いて突進した。
 魔物たちが迫ってきているのは、主に西側の塀だ。五大都市を中心に、等間隔で守りにつくよう言い渡されているが、じりじりと近づいてくる魔物たちをちまちまと削っていくのは、ストレスが溜まって仕方なかった。
 それにこれでは、目立った手柄もあげにくい。シーヴギルドの活躍にかげりが見えつつある今、他と同じことをしていたのでは駄目だ。
 幸い、小言と嫌味ばかりの忌々しいギルド長は、別件でここには来られない。ここであのくそやろう抜きで手柄を立てれば、黙らせることもできるはずだ。
「騎士連中は怖気づいちまってる。そんなに縮こまって守りたきゃてめえらでやっとけってんだよ。あの程度、つぶしちまった方が早いに決まってんだろうが! バーバラ、準備しろ!」
 騎士の言葉を無視して、固く閉じてあった門を開け放つと、ジャックは後衛の魔術師部隊に命令して突進し、手近な魔物に槍を突き出す。
 突けば貫き、薙ぎ払えば紙切れのようにちぎれ飛ぶ魔物たちを追い回す。久しぶりの爽快感に、ジャックは笑った。
 やはりそうだ。数こそ多いが、大した相手ではない。
 後衛のバーバラたちが放った魔法が前方に着弾し、いくつもの断末魔が響く。
 魔物の討伐はこうでなくては駄目だ。狩るものと狩られるものは、はっきりしていなくてはならない。
「突撃だ! 怖気づいて塀に張り付いてやがる他のギルドや騎士どもに、目にものみせてやれ!」
 ジャックを先頭に突出したシーヴギルドが、魔物の群れを右に左に切り裂いてその数を減らしていく。
 塀の上に集まった各都市ギルドのメンバーや騎士たちが、歓声をあげている。
「手のひら返して騒いでやがる……ははは! ははははははは!」
 ジャックは、ここしばらくの鬱憤を晴らすように、容赦なく槍を振り回しておおいに暴れまわった。
 しかし、快進撃はそう長くは続かない。
「なんだこいつら、急に硬くなりやがった!」
 突進を続けるにつれて、一振りでちぎれ飛んでいたはずの魔物たちが、槍を受け止めるようになってきたのだ。
 バーバラたちが放つ魔法も、一撃では致命傷を与えられず、反対に爆風や煙で前衛の視界を遮り、その連携の粗さを露呈し始めた。
「後ろは何やってる、ちゃんと狙ってんのか!?」
「ジャックさん、やばいですよ! 囲まれちまってる!」
「んだと!? てめえら、何してやがった!」
「そんな、あんたがどんどん前に突っ込めって言うからじゃないですか……!」
 バーバラたちの魔法が途切れ、場が一瞬静かになる。
「だから戻れと言ったのだ!」
「守りに穴をあけて何をやっているのです!」
 塀の上から聞こえていたのは歓声ではなく、注意喚起と叱咤の叫びだった。
 それを塗りつぶすように、魔物たちの咆哮が四方からとどろく。名前も知らない隣の男が叫んだとおり、囲まれているのか。
「ふざけんじゃねえっ!」
 渾身の力で突き出した槍が、牙の並ぶ口を開けて迫っていた魔物の喉元を貫く。
「俺は五大都市シーヴギルドのエース、ジャック様だ!」
 とびかかってきた魔物を薙ぎ払い、ジャックは吼えた。
「こんなとこで、雑魚どもに囲まれてる場合じゃねえんだよ!」
 ジャックの雄たけびに呼応するように、先ほどよりもたくさんの魔物の咆哮が、びりびりと空気を揺らす。
 何もかもが上手くいかない苛立ちからか、いつからか思うように動かなくなった自分の身体に対する焦燥からか、それとも魔物たちに無意識に気圧されたのか。じわりと槍を握る両手に汗がにじんだ。
「くそが……全部ぶち抜いて、余裕の凱旋キメるはずじゃなかったのかよ」
 突き出した槍を、がっしりと大型の魔物に掴まれ、思わずあっと声が漏れる。
 味方は孤立して魔物に囲まれ、突撃したせいで王都の守りには穴が空いた。そして、なんでもできると思っていた自分の槍が、あっけなく止められてしまった。
「こんなわけねえっ! ここで格の違いを見せつけられなきゃ、俺たちは……!」
 聞こえてくるのは味方の悲鳴と、魔物の咆哮ばかりだ。勝利を確信した雄叫びも、称賛の声もない。
 ぐいぐいと槍を引き抜こうとするが、目の前の魔物がそれを許さない。丸太のような両腕でがっしりと槍を掴まえ、口角をつりあげている。
 他の魔物も迫ってくる。
 槍を手放すか? 手放してどうする?
 いったん退がる? 囲まれているのに?
 こんなはずはない。こんなはずはない。こんなはずがあってたまるか。
「う、うわ」
「あれはなんだ!?」
 ジャックの口からこぼれかけた悲鳴をかき消したのは、誰かが空を指さす声だった。
 つられて、空を見上げる。
 吐き気がするほど真っ青に塗りつけられた空を、ものすごいスピードで何かが飛んでいく。
 何かではない。人だ。しかも、間違いなく見知った顔が混じっている。灰色の髪に、灰色のローブ。あれは、まさか。
「ノア……だと……?」
 金色の瞳に宿る光は強く、ジャックが知る怯えた色のそれではなかった。
「テラ……フレア!」
 見知った顔がこちらを見向きもせず叫ぶと、魔物の群れに無数の火の玉が降り注ぐ。
 そこかしこに上がった火柱が、有無を言わさず魔物たちを飲み込んでいく。
 ありえない数の、ありえない威力の、ありえない速さの魔法だ。
 「包囲が崩れた! いったん退こう!」
 誰かが叫び、味方が駆け出す。つられて足を動かしたジャックの視線は、空に固定されていた。
 ありえない。そんなはずはない。どうしてあんなやつが。渦を巻く負の感情が、どくどくと鼓動を早めていく。
 空から見下ろした王都は、想像していたより悪い状況だった。西側の壁に迫る魔物たちはこれまで見たことがないほど多く、真っ白な壁を黒く塗りつぶそうとしているように見えた。
 前回、魔物が溢れたのは十年以上前で、ノアはまだ幼く、戦いの場にはいなかった。
 王都のみならず主要な各都市が襲われ、両親が命と引き換えにシーヴを守った戦いだ。
 それに比べれば、王都しか襲われていない今回の襲撃は、規模としてはまだ小さいのかもしれない。
 しかし、前もって十分な準備をしてこられなかったことで、王都はまさしく危機に瀕していた。
 明らかに前に出過ぎて魔物に囲まれていた一団を援護して、ノアたちはそのまま塀のところまで飛んでいく。
 まずは状況を確認して、レイリアの皆と合流する必要があった。守りを固めるにしろ、攻めに出るにしろ、勝手を知った仲間たちといっしょがいいに決まっている。
「シャロン! 待たせたな!」
 手足が外れにくいようにプレートから流していた魔力を力技で引きちぎり、パイクが塀に飛び降りる。
「本当にギルド長たちだ……どうやって空を!?」
 遠目から気づいてはいたようだが、先行して守りについていたシャロンたちが目を瞬かせる。
「死の谷からですよね? どんなに早くても到着は明日だと思っていたのに、早すぎませんか……何がどうなっているのか」
 混乱するシャロンたちを見て、パイクとエミリーがいたずらっぽく笑った。
 ノアは、流石に少し気だるさを覚えて、状況把握を三人に任せて軽く深呼吸した。魔力にはまだまだ十分な余裕があるが、プレートを操る集中力を休めておきたかった。
「ノアくんの秘密兵器で飛んできたんです」
「秘密兵器って? いや、それにしたって」
「何言ってもわけわかんねえよな。俺もわかんねえから気にすんな!」
「とにかく、ここをなんとかしちゃいましょ! 上からざっくりとは見てきたけど、各ギルドごとに固まって、担当を決めて守ってる感じだよね?」
 エミリーの言葉にシャロンがうなずく。
 緊急依頼で集まったばかりの各都市間で、細かな連携をとるのは難しい。下手にカバーしあうより、担当範囲を決めてそれぞれに守る形は、この場での最善策のように思えた。
「はい。担当範囲の取り決めだとかは王都の騎士様がやってくれましたが、基本的には各都市で動いています」
 エミリーがうなずき、ノアを見る。
 それだけでノアは、言いたいことがわかってしまった。
 今の布陣は、確かに緊急時の対応としては悪くない。しかし、各都市の実力がそのまま戦力になってしまうため、穴が多すぎるのだ。
 ここに降りる途中で援護した一団のところがもっとも危ういが、そこだけではない。
 おそらく五大都市と思われる面々はまだいいが、その隙間を埋める、レイリアのような中堅都市の担当箇所が押し込まれかけているのが、上からいくつか見えた。
 かといって、持ち堪えているところにも余裕があるわけではない。そこからの援軍は期待できないということだ。
「皆を助けようってことだよね?」
 ノアは空を見上げる。
 この急ごしらえの布陣で、危ういところを助けて回れるのは、空を飛べる自分たちだけだろう。
「お、いいな! だいぶ慣れてきたからな。そろそろ両手を離して斧も振れんじゃねえかと思ってたとこだ」
 パイクがにやりと笑い、ジェマもしっかりと杖を握りしめる。
「皆にもありったけを渡すから、このあたりをお願いします!」
 飛び回って遊撃隊をやるのはいいが、その間にレイリアの皆が倒れたりしては本末転倒だ。ノアは二十人のギルドメンバー全員に、大量の魔力を譲渡する。
 ジェマにも同じように魔力を渡し、強化された補助魔法も二十人にかけてもらった。
「すごい……前にご一緒したときより、さらに力がみなぎってくるようです! これなら、まわりのカバーもできそうです」
 シャロンが確かめるように腕を回す。他のメンバーも士気を高めているようだった。
「無理はすんな。後からくるやつらほど強そうだったからな。もうすぐ、そいつらがここまでくるだろうよ。つまり、これからが本番ってことだな」
 パイクがゆるみかけた皆の気を引き締め、「おら、行くぞ!」とプレートに足を乗せた。
「ノア、ごめんね。ありがとう」
 こっそりとエミリーが耳打ちしてくる。
 ノアは驚いて「何も謝ることしてないでしょ」と笑ってみせるが、エミリーの真剣な表情は変わらなかった。
「さっき、一人で深呼吸してたよね? 疲れてるはずなのに、これからさらに負担をかけようとしてる」
「……それなら本当に、謝ることじゃないよ」
 本心だった。
 役立たずだ、お荷物だと言われ続けてきた数年間に比べて、レイリアにきてからの数ヶ月は、ノアにとってとても充実している。
 信頼しあい、助け合いながら、人の役に立てる。
 少しくらい辛くても、隣に並ぶ顔を見れば不思議と力が湧いてくる。
 それは、ノアが幼い頃に思い描いた、ギルドの在り方そのものだった。
 王都を守る戦いで、自分たちにしかできない仕事をやろうとしている。
 感謝こそすれ、謝られるなんてもっての他だ。
「ありがとう、エミリー」
 満面の笑顔で応えたノアの心に、嘘はひとつもない。
「よし、行こう! 王都も皆も、絶対に守ってみせる!」
「ノア、次はあっちだ!」
「わかった、行こう!」
 見れば、塀の上にまで魔物が踏み込んできていた。ノアは速度をあげて急降下すると、塀そのものやそこで守りについている誰かを傷つけないよう、魔物本体だけを狙って、氷魔法を次々と投げつけた。
 全身、あるいは手足が凍って動けなくなった魔物へパイクとエミリーがとどめをさし、ジェマが治癒魔法をふりまいて再び上空へ舞い上がる。
「はっはっは、連携も完璧だな! けど飛ばしすぎんなよ、ノア! お前さん、ほとんど休んでねえだろ」
「大丈夫、まだまだいける!」
 襲ってくる魔物たちは、パイクが見抜いたとおり、遅れてやってくる魔物ほど強力になっていくようだった。
 特に連携をとって襲ってくるわけではないので、狙ってやっているとは思えなかったが、結果的に、疲弊したところへ強力な攻撃がやってくる形で、状況はより一層厳しくなってきていた。
 しかし、魔物が数を減らしているのも事実で、まさしくここが踏ん張りどころだ。
「あそこ! また前に出て……なんなのあの人たち!」
 エミリーが指さす先には、王都へやってくるときに助けた一団が、また門を抜け出して防御の陣形に穴を空けているところだった。
「多分、あれを狙っているんでしょうね」
 ジェマが冷静に見つめる先には、翼のない竜のような大型の魔物が突進してきていた。
「地竜……にしては大きすぎる! あんなのが相手ならそれこそ、わざわざ前に出なくても周りと連携すればいいのに」
「塀が壊されるかもって思ったのかもしれないよ」
「ノアは優しすぎ。そうだとしても、あの人たち、もう三回くらい出すぎて迷惑かけてるのに」
 頬を膨らませるエミリーに、ノアは苦笑する。
「それで、どうするんです?」
「もちろん、助けます!」
「だと思ったぜ! っつうか見たとこ、あれと似たようなのが後ろからも三体来てやがるな。今回の群れのボスってとこか。となりゃあ、出すぎのやつらはともかく、行くしかねえか」
 四人は塀と並ぶようにして飛んだ。上から見て苦戦しているところをサポートしながら、地竜のところへ向かっていく。
 ノアたちの動きはすでに、王都全体を鼓舞する大きな力となっており、通り過ぎる四人に向けて歓声が上がる。
「ありがとう!」「気をつけろよ!」「助かった!」
 投げかけられる言葉が、熱い力となっていく。ノアは口の端を持ち上げて、速度を上げた。
「てめえノア! 調子にのりやがって、また手柄を横取りする気か!」
「ジャック……さん?」
 地竜のところまでやってきたノアはようやく、たびたび前に突出していた一団がシーヴの面々であることを認識した。
 視界がぐらりと揺れて、ノアは自分でも、顔が青ざめているのがわかった。
 レイリアにきて克服したつもりだった。それなのに、シーヴにいた頃の息苦しさが喉元までせりあがってくる。
「邪魔なんだよ、消えてろくそが!」
「そうよ。さっきから何度も横取りして! そんなに私たちの活躍がうらやましいわけ!?」
 ジャックとバーバラが騒ぎ、他のシーヴメンバーも、ノアを口汚くののしる。
 王都に住むたくさんの人の命がかかっているのに。見たことのない大きさの地竜がすぐそこまで迫っているのに。この人たちは何を言っているんだろう。
 何もかも理解できず、呼吸が荒くなる。目の奥がチカチカして、視界が回る。
「ノア! 大丈夫?」
 エミリーの心配そうな声にはっとする。
「あいつら、シーヴのやつらか。なるほどな」
 パイクがジャックたちを睨みつけ、それからにやりと笑った。
「もう何度も助けてやってんだ、ちったあ感謝して協力しやがれ。できねえんなら、そこでおとなしく震えてるんだな!」
「……なんだと? てめえ、おりてきやがれ!」
「そんな暇はねえだろうが、よ!」
 地竜に追われるような形で迫ってきていた魔物に、斬撃をいくつか飛ばしてパイクが吠える。
「ノア! あいつらに構うことはねえ! 俺たちは俺たちのやるべきことをやるんだ!」
「パイク……でも……」
「前とは違うんだってところを見せつけてやろうじゃねえか。お前さんは俺たちの大事な仲間だ、心配すんな」
「そのとおりです。今もこうしてノアくんの力を借りているように、私たちの力もノアくんにいくらでも貸しますからね!」
「いこう、ノア! 私たちなら大丈夫だよ!」
 ジェマが穏やかに微笑み、エミリーもにっこりと笑ってみせる。
 そのとき、塀の方からさらなる歓声があがった。
 ノアの魔力譲渡で力を増したレイリアギルドの面々が、一気に魔物を押し返したことで、称賛を浴びているのだ。
 エミリーも、パイクも、ジェマも、ノアに向ける視線は優しい。そこには、今も眼下から向けられているような、理不尽な侮蔑や怒りはひとかけらもない。レイリアの皆も、ノアたちを信じて戦ってくれている。
「ありがとう」
 驚くほど頭の中がクリアになって、縛られていた鎖がするするとほどけるような気がした。
「よし、やろう!」
「てめえノア、俺を無視するとはいい度胸じゃねえか」
 足元で叫ぶジャックと、後ろについてきていたシーヴの面々に視線を移す。
 よく見れば、度重なる無謀な突撃で明らかに疲弊しているようだった。
「……危ないので、下がっていてください」
「ああ!? 誰にそんな口きいてやがる! こら、無視してんじゃねえ!」
 言うべきことは言った。ノアは眼前に迫ってきた地竜に集中する。
 大きさだけなら、死の谷で倒した魔力の魔物と同じくらいはあるだろうか。岩のようにごつごつして、棘状の突起が無数に生えた土気色の皮膚。濁った茶色の鋭い爪と牙。爛々と光る目は緑に赤が混じっている。長く伸びた尾にも注意が必要そうだ。
「とりあえず試すか。おらあっ!」
 パイクが、魔力を乗せた斬撃を地竜に投げつける。大型の魔物を何体も切り裂いてきた斧から放たれた曲線の斬撃が、地竜の硬そうな背を削った。
「いけるじゃねえか! っつうかお前さん、ここにきてさらに力が増してねえか?」
「どうかな……ずっと夢中でやってるから」
「おしゃべりはそれくらいにして、倒してしまいましょう。場合によっては、他も回る必要があるかもしれませんし」
 ノアはプレートを巧みに操り、四人の波状攻撃が、全方位から地竜にダメージを与えていく。ノアの炎魔法が熱と衝撃で体力を削り、ジェマの補助魔法で強化されたパイクとエミリーの斬撃がいくつもの傷をつけ、地竜に苦悶の雄叫びをあげさせた。
「なによ、見た目より大したことなさそうじゃない!」
「ノアごときがあんだけ余裕でやれてんだ。とどめは俺たちがいただく! 行くぞお前ら!」
 バーバラとジャックが叫ぶ。その号令にしたがって、シーヴの面々が突撃をかけてくるのが見えた。
「どうしてまだそんなところにいるんだよっ……危ない!」
 ノアは思わず叫ぶが、遅い。猛攻に耐えて縮こまっていた地竜の瞳が、ぎらりと光る。
 勢いよく突進した地竜の巨体が、ジャックたちをはねとばす。
「痛い……血が……助けて……」
「俺の、俺の腕……ひいいい!」
 地面に叩きつけられてあえぐジャックたちへ、怒りをあらわにした地竜が追い討ちをかけようとなおも迫る。
「どうしますか!? 他の魔物もまだいますし、このままではまずいですよ」
 ジェマが叫ぶ。地竜を避けて遠巻きに並走していた魔物たちが、目の前に転がった獲物に歓喜の声をあげている。
 ジャックたちは、もはや自力で動ける状態ではない。
 地竜に踏み潰されるか、まわりの魔物に引き裂かれるか、どちらにしてもまともな道は残されていないように見えた。
「地竜を一気に倒して、あの人たちも助けたい。エミリー、パイク、ジェマさん、ちょっときついけどお願いしてもいい? やっぱり、見殺しにはできないから」
「しょうがないね。ノアがそういうなら頑張ってみちゃおうかな」
「それでこそノアくん、ですね」
「やるのはいいがいけるのか?」 
 パイクの言葉は厳しいものだったが、そこにはレイリアギルド長としての責任が滲んでいた。無理をすれば、なんとかなるかもしれない。しかし、魔物の群れの真っ只中でこちらが力尽きては意味がない。
 ノアは言葉のかわりに、三人の目にも見えるほどの魔力を纏い、同じ量の魔力を三人に渡すことで応えてみせた。
 さすがに、頭の奥がちくりと痛む。魔力量はまだ足りるが、それを制御する方に負荷がかかっている。
「いいだろ、大した覚悟じゃねえか」
 パイクがにやりと笑い、四人は地竜に意識を集中させた。
「いこう、ノア!」
「うん……よおし!」
 一気に加速した四人は、先ほどよりさらに勢いをつけて、地竜の硬い皮膚を削っていく。ノアはその間も、自身がつかんでいる腕輪の先から高火力の魔法を次々と撃ち出し、まわりの魔物を牽制することも忘れない。
「ジェマ、頼む!」「はい!」
 補助魔法を集中させたパイクが、プレートから完全に手を離して斧を両手で握りしめ、地竜の脳天めがけて飛び降りる。
「エミリー、あわせて!」「任せて!」
 それにあわせて、ノアもエミリーの剣に魔力を集める。エミリーの得意な魔法は風だ。地竜の皮膚を斬りさく鋭い風の刃。同時に、エミリーを守り、速度をあげる風の鎧。ノアがイメージした魔法が、エミリーの剣と全身に宿る。
「やりました……!」
 ジェマが叫んだとおり、二人の斬撃を受けた地竜は、断末魔の雄叫びをあげて完全に沈黙した。
「次だ! 時間ねえぞ!」
 パイクが叫び、プレートに飛び乗る。
 それを確認したノアは、四人を急上昇させてくるりと反転した。
 ノアがところどころで魔物に牽制を入れていたとはいえ、シーヴギルドのメンバーは虫の息だ。地竜の断末魔で他の魔物の動きが止まった一瞬を見逃さず、ノアたちは一気に加速する。
「こっちは私が!」
「俺はあそこを助ける!」
「ここは任せてください」
 ちりぢりにはね飛ばされたシーヴの面々は、どうにか数人ずつで固まって応戦していた。そこへ、三人が次々と飛び降りていく。
 最初は、落ちないようにとほとんど固定させていたプレートも、今では三人の意思で手足を離せるようになっている。ノアはこの戦いの中でも着実に成長していた。
 利き腕が折れ、どうにか片手で槍を振り回していたジャックと、傷は浅いものの、取り乱してまともな魔法が使えずにいるバーバラに、数体の魔物が飛び掛かろうとしている。
 間に合わない。咄嗟に判断したノアは、腕輪を二人に向けた。
「フレア……ウォール!」
 ノアが放った上級魔法は、ジャックとバーバラを飛び越えて、魔物との間に炎の壁を作りだす。
 数体の魔物がそれに巻き込まれて動かなくなるが、ジャックたちを囲む魔物の数はまだ多い。
 ノアは続いて、風の塊を炎の壁越しに撃ち出した。風は炎を纏い、ひとまわり大きくなって魔物を弾き飛ばして焼き尽くす。
 パイクがいるところでは魔物たちが次々と空中に突き上げられ、エミリーは目にも止まらぬ速さで魔物の首を身体から飛ばし、ジェマが放つ中級魔法も、ノアの魔力を借りて本来以上の威力を発揮する。
 地竜が倒れ、ノアたちが圧倒的な力を見せつけたことで、残った魔物たちが大慌てで退いていく。
「た、助かったの?」
「ふざけんなよ……てめえの助けなんか、いらなかった……!」
 へたりこむバーバラとは違い、だらりと腕をたらしながらも、ジャックの顔は怒りに染まっていた。
 自分たちの力は通用せず、格下だと思っていたノアに助けられた。そのことが、命を拾った安堵や喜びを凌駕して、怒りを燃え上がらせているようだった。
「下がってください。魔物はまだ完全に退いたわけじゃない」
 ジャックの言葉には応えず、背を向けたままノアは言う。
「えらそうに指図してんじゃねえ! てめえの命令なんかっ」
「うるさい!」
「なっ……!」
 ジャックの言葉を遮って、ノアはついに吼えた。びりびりと鼓膜を揺らすほどの大声だった。
「まわりをよく見て」
「……!」
 エミリーたちも、シーヴのメンバーも、皆がノアに注目していた。
「仲間が傷ついて苦しんでるのに、どうしてそんな言い方しかできないんだ。あなた自身も、とてもこのまま戦えるとは思えない。あなたたちの勝手な行動で、王都に住む、戦う力がない人たちまで、傷ついてしまうかもしれない。本当に……本当にわからないの?」
 ノアは、ここでようやく振り向いて、ジャックの顔をまっすぐに見据える。ジャックは、文字通り目を丸くしていた。
 ジャックを見つめる金色の瞳には、怯えも遠慮も、そして侮蔑もない。
 ただ、この場で何をすべきか、それだけを訴えていた。ノアははっきりとした口調で、ジャックから視線をそらさず、再び口を開く。
「ここから退いて、王都を守るのに専念するんだ」
 呆然とするジャックたちに背を向けて、ノアは仲間と共に飛び立った。
 この日、レイリアギルドは、地竜四体のうちの実に三体を倒しきり、王都防衛に大きく貢献した。
 王都を象徴する色は白と金だ。
 各都市のギルド本部は、それぞれに都市のカラーを象徴した内装をしているが、この二色を基調とした内装が許されているのは王都のギルドと、王族が住む王城のみだ。
 高い天井には、金色に輝く巨大なシャンデリアが煌々と光を放ち、壁には金の繊細な紋様が白との調和を保ちながら空間を彩っている。
 戦いが終わった翌朝、王城の大広間には、今回の防衛戦にかけつけた各ギルドの中心メンバーと、王都を守る騎士団が一堂に会していた。
「いいか、こういうのはな、堂々としてりゃいいんだ。堂々と……な、ノア?」
「は、はい……!」
 ノアは、初めて足を運んだ王城の荘厳さに、緊張しきっていた。
 これまで少しずつ自信をつけてきたノアだったが、こういう場にはまだ耐性がついていない。
 母は王都の出身だが、祖父母や母方の親戚とは絶縁状態なので、そもそも王都自体に遊びに行く機会がなかった。シーヴギルドが五大都市に認定されて王城に招待されたときも、同行は許されずにシーヴで留守番をしていた。
 昨日の防衛戦では王都や王城の造りを気にする余裕はなかったし、終わったあとも極度の疲労で、城下にある豪華な宿屋に泊まっても、あっという間に眠り込んでしまった。
 今朝、ようやく冷静になったところで、謁見の席に同行して褒賞を受けるのだと聞いて、それからずっと心臓がバクバクと波を打っている。
 眠っている間に洗濯してもらえたとはいえ、戦いでぼろぼろになったローブ姿できらびやかな広間に並んで立っているだけで、逃げ出したくなる気持ちだった。
「あの、やっぱりどこかで待ってちゃ駄目? 僕、こんな格好だし、こういうところは苦手で」
 おそるおそる聞いてみるが、「それはだめ」とエミリーからかぶせきみに怒られてしまった。
「今回、一番がんばってくれたのは、ひいき目なしでノアなんだから」
「そうですよ。服装なんて、皆同じようなものです。気にすることはありませんよ。せっかくですから、いただけるものはいただいてしまいましょうね。万が一、足元を見てくるようなら物申してやりましょう」
「ジェマさん、言い方……」
 さらりと便乗したジェマの台詞にはやや不穏な空気がこもっていて、ノアは思わず苦笑いになる。
「この格好で、失礼になったりは……しないんでしょうか?」
「なるわけがありません。王都の緊急依頼にこたえて駆けつけて、死に物狂いで戦ったんですよ? それで、新しい服をお高い王都の仕立屋で揃えてこなければ失礼だなんて言い出すようなら、そんな王都は願い下げですね」
 ふんとそっぽを向いてしまったジェマに聞こえないように、ノアはエミリーにそっと耳打ちする。
「ジェマさんって、王都があんまり好きじゃないのかな? さっきから、ちょっと棘があるっていうか」
「そうみたい。何があったか詳しく聞いたことはないけど、王都にはあまりきたがらないし、来ても不機嫌なんだよね」
 そうなんだ、と答えてノアは改めてまわりを見回してみる。各ギルドから集まった数人ずつはいずれも、ジェマの言うとおり戦ったそのままの格好だった。
 服を新たに仕立ててきたり、緊急依頼で駆けつけるときに着替えをもってくるような余裕があった者はいない。
 ノアは少しだけほっとすると同時に、まわりが全く見えていなかったことが恥ずかしくなった。
「皆の者、静粛に。王様がお会いになる」
 騎士団の誰かがおごそかな口調で宣言すると、集まっていた皆がひざまずく。
 慌ててノアも、パイクたちにならってぎこちなく膝をついた。
 難しい作法など習ったこともなければ、経験したこともない。これで本当に合っているだろうか。そんなことを考えるだけで、心臓がどこかにいってしまうような気がした。
「皆、どうか顔をあげて楽にしてくれ」
 隣にいるエミリーがゆっくり顔をあげるのにあわせて、ノアもゆっくりと顔をあげる。
 初めて目にする王は、威厳と優しさを合わせもつ不思議な瞳をしていた。
 白と金に彩られたゆったりとした衣装に身を包み、集まった一人ずつに視線を合わせるようにして、全員が顔をあげたのを確認してから口を開く。
「皆、よく戦ってくれた。そなたたちのおかげで王都はこうして守られた。今回の依頼に応じてくれたこと、心から感謝する」
 大広間がざわつく。王が頭を下げたからだ。
「王様、そのような……!」
 騎士団長が慌てるが、「よいのだ」と王は首を振った。
「今回の魔物どもは、これまでのような兆しもなく、降ってわいたように現れおった……何かが起ころうとしているのかもしれん。王都に駆けつけ、戦ってくれたこと、本当に感謝している」
 改めて頭を下げた王につられて、ノアたちも頭を下げる。
 はるか昔、この大陸に国をおこした者たちの一族として、王族は王都に君臨し、各都市を見守り、統治してきた。
 中には狂王もいたというが、目の前で頭を下げる王は、謙虚さと、民への敬意を持っている。そのことがしっかりと感じられ、ノアはなんだか嬉しくなった。
「特に……レイリアの勇者たちよ、前へ出てくれるか」
 おお、とどよめきが起こり、ノアたちの前に道が開ける。
 劣勢になっているところを空から何度も助けて回り、三体の地竜を退けた奮戦ぶりは、その場で戦っていた誰もが知るところだ。
 空を飛ぶ四人だけではない。四人が現れてからの、レイリアギルド全体の働きぶりも目を見張るものだった。
 まるで別人のように強力な魔法を連発し、あっという間に持ち場の魔物を片付けると、四人が地竜に挑んでいる間の王都の守りに大きく貢献していたのだ。
「レイリアのギルド長パイク、そしてギルドの者たちよ。礼を言うぞ。レイリアギルドには特別な褒美を約束しよう」
「もったいないお言葉です。が、今回の一番の功労者は俺じゃありません。ここにいるノア・ターナーです」
「ほう」
「パ、パイク……!」
 ノアは慌てるが、パイクは止まらない。王の前でもまったく物おじせず、いつものようににんまりと笑ってみせた。
「言わせろって。こいつはどう考えても、俺やギルドの手柄じゃねえんだ。空を飛び回ったのも、地竜をどうにかできたのも、俺たちがいつも以上の力で立ち回れたのも、すべてこのノアのおかげです」
 とんでもないことを言ってくれた。そう思ったのはノアだけだった。
 大広間に巻き起こった拍手が、ノアの活躍ぶりが皆に認められていることを表していたからだ。
「まったく、王の御前でこの騒ぎ……前代未聞ですぞ」
 そう言ってため息をつく騎士団長も、口元には笑みが浮かんでいる。
「ほら見て、ノア」
 エミリーに促されて、振り向く。
「すごかったぞ!」「お前のおかげで助かった!」「どうやってるのか今度教えてくださいね」
 拍手と歓声、いくつかの野次と、たくさんの笑顔がノアを見つめている。
 自身の活躍を見せびらかしたいわけではない。ただ、誰かの役に立ちたかった。
 その強い思いが、少しずつ形になってきている。誰かの役に立てている。その実感が、ノアの鼓動を高鳴らせていた。
「ありがとう……ございます」
 涙をこらえて、ノアは深々と頭を下げる。「なんでお前さんが礼を言うんだよ」とパイクが笑う。
「もちろん、他の皆にも十分な褒美を与えると約束しよう。戦いの疲れも取れぬ間に呼びつけてすまなかったな」
 そう言って、王は場を締めくくった。
 ノアはまだふわふわした気持ちのまま、大広間を後にした。
「よお、ノア。ずいぶんご立派で、さぞいい気分だろうな」
 大広間を抜け、城門まで続く広い道の途中で、ノアは後ろから声をかけられた。
 尊大な物言いと人を上から見下したような口ぶりを、忘れるはずもない。声の主はジャックだった。
 とっさに、エミリーとパイクがノアの前に出る。ジェマもノアの隣に立って、冷たい目でジャックたちをにらみつけた。
 三人は、ノアがシーヴでどんな扱いを受けてきたかを聞いている。そのうえ、今回の魔物討伐での身勝手なふるまいを見せられて、腹に据えかねているのだろう。
「大丈夫だよ。ありがとう」
 ノアは三人に礼をいい、ジャックの正面に立つ。
「ジャック……皆も、身体は大丈夫だったんだね。何か用?」
 地竜によって壊滅寸前まで追い込まれたシーヴギルドの面々は、地竜の反撃を受けたあとはさすがに撤退し、十分な治癒を受けたらしい。
 後ろに控えるバーバラや数人のシーヴギルドメンバーも、服装こそぼろぼろだが、致命的な傷は治癒されているように見えた。
 大広間で注目を浴びたノアと、問題視されていたシーヴが話している。
 他の五大都市や各ギルドのメンバーも、思わず足を止めた。
「お前、シーヴに戻ってきていいぞ」
「はあ!? どの口がそんなこと言うわけ!?」
「待って、エミリー。戻ってきていいって、どういうこと?」
 即座に拒否反応を見せるエミリーを制して、ノアは問い返す。
「レイリアのやつらごときがあんなに動けるわけねえと思ってたが、聞いてりゃ、要はお前が何かしてたってことだよな?」
「何かしてたのはそうだけど、皆の力があってこそだよ」
「お前は俺たちにもそれをやっていた。何が気に入らなかったのかしらねえが、そいつを隠して追放されたフリなんかしやがって」
「知ってたら追放も、あんなこともしなかった……ってこと?」
「そりゃあそうだ。つまり俺たちの間には誤解があった。わかるよな?」
 エミリーが剣の柄に手をやるのがわかった。
 だめですよ、とジェマがそれをなだめる。
「……隠してたわけじゃなくて、本当に自分でもわかってなかったんだ」
「あのときは知らなかった、今は違うってわけか。そんな都合のいい話がとおると思うのか?」
「ノアを知ろうともしなかったくせに」
「エミリー……ありがとう、でも本当に大丈夫だから」
 振り向いて、エミリーに小さく笑顔を返す。
「とにかくだ。その力の権利はシーヴにあるってわけだ」
「そうよ、ありがたく戻ってきなさいよ」
 ジャックがにやりと笑い、バーバラが援護にならない援護射撃を飛ばす。
 この言いように、各五大都市のギルドメンバーもそれぞれに顔をしかめ、嫌悪感を示して見ていた。
 今までは、実力が伴っていたからこそ、シーヴの横暴な態度は許されてきた。
 しかし今は、防衛戦で皆を危機にさらした上に、大活躍だったレイリアの中心メンバーを無茶苦茶な理由で引き抜こうとしている。そんな連中に、好意的な目を向けられるはずもない。
「あんときのことをまだ根に持ってんのか? 誤解があったって言ったろ。バーバラ、返してやれ」
 うつむいてしまったノアを見て、ジャックが声色を変えてバーバラを促す。
「はい。あんたの首飾り。大事に保管しといてあげたのよ」
 バーバラの言い分は嘘だ。
 あわや売り払うところだったのをジャックに見つかり、腐っても英雄の遺品だからと念のため取っておいただけだった。
 それは確かに、色を失ってはいるものの、ノアの首飾りだった。
「そっか、ちゃんと保管しておいてくれたんだ」
「な? これでチャラだろ? お前はシーヴにいるべきなんだよ」
 首飾りを握りしめて、ノアは大きく息を吐く。
 割り切ったつもりだった。ロッドだけでも手元にあればと思っていた。それでも、再び母の形見を手にできたことに、喜びの気持ちがわきあがってくる。
「ノア……まさか、出ていっちゃったりしないよね?」
 黙って首飾りを握りしめるノアを見て、エミリーが不安そうな声を出す。
「出ていくいかないじゃねえんだよ。ノアはもともとうちのもんなんだ」
「そうよ。あんたたちは、その力を借りていい気になってただけ。残念ね」
 勝ち誇ったようなジャックとバーバラの声に、不穏な気配が漂う。
「返してくれてありがとう。でもごめん、僕はレイリアの皆といくよ」
「ああ? 形見も返して、追放は誤解だっつってんだろうが」
 ジャックが、露骨に不快感の混じった声を出す。
「シーヴにいた頃の僕は、自分の能力もわかってないくらい駄目だったと思う。だから、追放とかのことはもういいよ」
「なら、何が気にいらねえ」
「レイリアの皆が好きだし、何もわかってなかった僕のことも、信じてくれた。追放のことは仕方なかったって思えるようになったけど、ジャックたちと同じ関係を築けるとは思えないから。今回の戦いでそれがよくわかった。シーヴは一度、連携とか戦い方とかそもそもの考え方とか、ちゃんと話し合った方がいいと思う」
 きっぱりと、ジャックから視線を外さずにノアは言った。
 口調こそやわらかいが、背中は預けられない、ギルドのあり方を見直せと宣言したのと同じだ。
「だから、てめえが黙って前みたいに力をよこせば、うちの方が……!」
「さっきから力のことばっかり。そんな風にしか考えられないから、無謀な突撃しかできないんじゃない?」
 さらりとエミリーが口を出し、ジャックとバーバラが顔を真っ赤にする。五大都市の面々も苦笑いしていた。
「そうかよ。てめえら……覚えとけよ」
 レイリアの四人にしか聞こえない声で悪態をつくと、ジャックたちは肩をいからせて去っていった。
 不穏な気配が去り、場の空気が和らぐと、五大都市の面々もそれぞれに、ノアたちにお礼と別れの挨拶をして去っていく。
 残ったレイリアの四人は、しばらく立ち止まって、それを見送った。
「よかった。一瞬だけ、ノアがいっちゃうんじゃないかって心配になっちゃった」
「あはは、ごめん。母さんの首飾りが戻ってきたのが意外すぎて、いろいろ思い出してたんだ」
「ひやひやさせんな、あぶないとこだったぞ」
「え、パイクにも心配かけちゃってた?」
「お前さんがびしっと言ってやらなかったら、俺がぶちキレてたとこだ」
 ノアは目を丸くした。
 エミリーが怒っているのは伝わってきていたが、パイクはどちらかというと、いつもどおり飄々としていて、両者の言い分をじっくり聞いているように見えていたからだ。
「この人、こう見えて沸点が高いわけじゃないんです。大好きな仲間のことになると、居ても立ってもいられなくなっちゃうんですよね。しかも、バレバレなのに隠そうとするんだから……かわいいでしょ?」
 ジェマ、このやろう。
 パイクが顔を真っ赤にして、そそくさと逃げるジェマを追いかけていく。
 それをぼんやりと眺めて、ノアは自分の口元が緩んでいることに気が付いた。
「よかった」
 ぽつりとつぶやいたノアの顔を、エミリーが覗き込む。
「皆に会えてよかったなって」
「パイクとか、あんなんだけどね」
「あはは。でも本当に、あそこで皆に会えたのが、僕の一番の幸運だったなって思ってるよ」
 レイリアの皆に出会えなかったら、今も自分の力に気付かず、燻っていたかもしれない。
 それどころか、一人でシーヴの外に出て、何もできず魔物にやられていたかもしれない。
「そう言ってもらえるならよかった。でも、まだこれからだよ。とりあえず、すぐレイリアに戻らなくちゃ」
 死の谷に槍を突き刺したのは何者なのか。
 それを取り除いただけで、レイリアは本当に復興へ向かうのか。
 シーヴが落ち込み、レイリアが台頭したことで、ギルド間のパワーバランスも変わるだろう。
 問題は山積みで、解決するにはあまりにも、情報も人手も足りていない。
 ノアは、「そうだね」とエミリーに小さく笑みを返す。
 それでも、きっと大丈夫だ。
 今のノアには、信頼できる大切な友人が何人もできた。
 積み重なる問題を軽く飛び越えてしまうくらい、前向きな好奇心が溢れている。
「ノア」
「うん?」
「ありがとう」
「え、なんで?」
「私も……私たちも、ノアにすごく感謝してるんだからね。だからありがとう」
 真剣な顔でいわれて、顔が熱くなる。
「さすがにノアも疲れてるだろうし、帰りは馬車の手配とかしなきゃだよね。ジェマさんに聞いてこなきゃ」
 エミリーがそそくさと走っていき、ノアは一人になる。
 空は快晴。
 世界が抱えるあまり気前のよろしくない事情はともかく、絶好の旅立ち日和だ。

 了

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