死の谷から王都へ向かうには、レイリアに戻る途中の道で、南へ進路を変える必要がある。
 ひとまず死の谷を抜け出し、馬車まで戻ったノアたちは、飲まず食わずで走ってきたというティムと、彼の乗ってきた馬をケアしながら詳しい話を聞くことにした。
 ノアたちが乗ってきた馬車は、昨晩のうちに周辺の魔物を一掃したうえ、ジェマ特製の簡易結界魔法で守ってあった。もちろん、ノアが魔力をたっぷり譲渡した強化版だ。仕込みに時間がかかるので魔物との戦闘中に使ったりはできないが、こういうときには頼もしい。
「皆さんが出ていった昨日の夕方、王都が魔物の襲撃にあっているって緊急の依頼があったんです」
 王都からの依頼は、基本的には使者がやってきてギルドに直接伝えられる。
 しかし緊急の場合は、訓練された鳥を使い、書状として主要な都市に要請されるのだ。
 各都市に返信用の鳥がいるわけではなく、王都からの鳥もすぐに飛び立ってしまうので、実質的には命令のようなものだ。
「五大都市でもねえうちにまで、緊急の依頼だあ?」
 ノアは、シーヴギルド在籍中に緊急依頼を受けたことはないが、それがどういうことかはわかっていた。
 王都が頼りにするのは基本的に五大都市までで、それ以上の人手が必要な場合は、あらかじめ五大都市宛の依頼にその旨を記載し、五大都市それぞれが周辺の都市に声をかけるようになっている。
 それを飛び越えて依頼がくるのは、まさしく緊急事態に他ならない。持てる限りの鳥を各都市に放ち、一人でも多くの戦力をかき集めたい、それほどの危機だということになる。
「かなりの規模の群れで、王都の騎士たちも苦戦しているって話です」
「前に魔物が溢れてから十年以上が経っているとはいえ、まだ兆候はなかったはずでしょう。一体どうして……」
「まさか、死の谷のあれが、無理やり魔力の流れを変えたせい?」
 ジェマが眉をひそめ、エミリーが仮説を立てる。
 大陸中でよどんだ魔力が少しずつ溜まっていく以上、それは定期的に溢れて、大規模な魔物の襲撃となる。
 そのような襲撃は、十五年に一度あるかないかの間隔で発生するが、各都市周辺の魔物が増えたり、あきらかに魔力のよどみが深い場所が増えたりといった前兆もあり、予測しやすいもののはずだった。
「原因をあれこれやるのは後だ。レイリアとしてはどう動いてんだ? まさか、俺たちの戻りを待たせてあるってんじゃねえよな?」
「シャロンさんがまとめてくれて、出れる面子は先に出てます」
 王都からの依頼に、人を出さない選択肢はない。しかもそれが緊急依頼となれば、一刻を争う。出遅れることがあれば、この大陸における都市としての信頼を失いかねない。シャロンは、ジェマが留守中の右腕としての役目をしっかり果たしてくれているようだ。
「悪くねえが……俺たちが間に合うかは微妙なところだな」
「そうですね。この馬車を引いているのは買い出し用の子たちよりは元気ですが、全速力で駆けつけられるほどの力はありません」
「ティム一人じゃ、馬四頭引き連れてってわけにもいかなかったろうしな」
 これ以上ないタイミングで報告を受けることはできたが、ここから馬車で王都を目指しても、丸一日かかる。
「とはいえ、行くしかねえか。ティム、お前も乗ってけ。馬を休ませたらすぐ出発だ」
「ちょっと待って」
 ノアの言葉に、全員の視線が集まる。
 王都の状況は芳しくない。レイリアから人を出してはいるものの、大規模な魔物の討伐となればやはり、パイクやジェマが指揮系統としての主力であることは間違いない。馬車ではここから一日遅れの到着で、王都からの緊急依頼達成に支障をきたすだけでなく、レイリアギルドの仲間たちの身も危ぶまれる。
 何か手はないかと、会話を聞きながら考えていたノアは、あることを思いついたのだった。
「試したいことがあるんだ」
「わかった! 馬車を引く馬に魔力をぶん投げて、ジェマの補助魔法も使って加速しようってんだろ!」
「それも考えたんだけど、違うよ」
 補助魔法で馬たちの力や速度を強化することも、おそらくできなくはない。
 しかし馬は、補助魔法で強化された身体を扱うことに慣れてはいない。
 馬たちの身体を壊してしまいかねない上に、暴走する恐れもある。強化された馬が引く馬車に乗って、移動すること自体が危険を伴う。
「皆、僕を信じてくれる?」
「もちろんノアのことは信じてるけど、どうするの?」
 エミリーにありがとうとお礼を言って、ノアは『七つの死に至る罪』を取り出した。
 円、正方形、盾をパイク、ジェマ、エミリーの足元にふわりと並べる。
「これに乗って」
「はあ?」
 きょとんとする三人の前で、ノアは自分の足元に月を浮かべてひょいとその上に乗ってみせた。
「まさかとは思いますけど」
「はい、これに乗って飛んでいくのはどうかなって」
「あっはっは! さすがに厳しくねえか? 空中に浮かぶ魔法でまともな速度が出るのかよ? しかもこいつじゃ、片足が乗るかどうかってとこだぞ?」
「それも考えてたんだ。とりあえず足元はこれで大丈夫じゃない?」
 プレートを中心にして、両足を乗せてふんばることができる程度まで、魔力で作った足場を広げてみせる。続いて、星、鏃、剣を三人の顔の前に浮かべてみせた。
「念のため、これに掴まって」
「確かにこれならなんとか。あ、でもプレートは七つですよね。もしこれが飛べたとして、ノアくんはどうするんですか?」
 ジェマが心配そうに聞いてくる。これにも、ノアは笑顔で答えた。
「僕にはこれがあるから」
 本体である腕輪を右腕からするりと外して、しっかりと握ると、ノアはふわりと浮き上がった。
「あんまり時間もないと思うので簡単に説明というか、実際に試してみるね」
 言うが早いか、ノアは急加速して上空に飛び出した。
 普段、プレートを操って浮かべて飛ばしているのも、魔力の操作と制御だけだ。浮遊の魔法などは使っていない。それなら、普段より重量のあるプレートだと思えば、操れるのではないか。
 ノアの考えは的中し、空中に浮かぶ魔法を使わずとも、高速での飛行を可能としたのだった。
「ノア、私のもお願い!」
 ぎゅっと星に掴まってエミリーが叫ぶ。
 ノアは高速で飛び回りながら、エミリーのプレートを同じように操作して上空へ引き上げる。各プレートに流した魔力と、エミリー自身に譲渡した魔力を繋げて、手足が離れにくいように少しだけ工夫もした。
「こんなことができるなんて!」
「さっき倒した竜が魔力の塊に戻ったとき、そのまますごい速さで槍のところに戻ったりしてたでしょ? それでもしかしてって思ったんだ」
 空中を飛び回る二人を見て、おっかなびっくりプレートに掴まり、足を乗せたパイクとジェマも、続けて空中へ浮き上がらせる。
 今のノアは能力を完全に掌握し、詠唱加速の古代魔法まで会得している。
 よりスムーズに、効率よく魔力制御ができるようになったことにより、四人分の体重が乗ったプレートでも、いとも簡単に操作してみせた。
 ひとしきり飛び回ったあと、口をあんぐりと開けて驚くティムの元へ降り立つと、ノアはいったん魔力の制御を解いた。
「ティムさん。申し訳ないんですけど馬車をお願いしてもいいですか? 街道ぞいなら、行きがけに魔物はほとんど倒してきたので、まっすぐレイリアまで帰れるはずです」
「あ、ああ……それはかまわないけど、そのまま王都までいけるのか?」
「はい。試しにやってみた感じ、四人くらいなら大丈夫だと思います」
 はっきり言いきると、驚きに呆れが混じった視線を返される。
「もうノアくんが何をしても驚かないつもりだったのに、ここにきてまだ驚かされるなんて」
 ジェマがため息まじりに言い、飛びまわるのをいたく気に入ったパイクが、「馬も要らなくなっちまうとはな、もう難しいこと考えんのはやめだ!」と笑い転げる。
 エミリーはエミリーで「ねえ、これってどれくらいの速度が出せるの?」とわくわくした顔になっていて、頼もしいことこのうえない。
「少なくともこの馬車とか、馬よりは速く行けると思うよ」
 紅魔石がきらめく腕輪をくるりと手のひらで一回転させ、再び空中に浮かび上がると、ノアは三人にプレートに乗るよう促した。
「ギルドの皆も王都も心配だし、全速力で行くからね。落ちにくいようにはするつもりだけど、しっかりつかまって!」
 ノアを先頭に、ゆっくりと上昇した四人は、手を振って見送るティムをあっという間に置き去りにした。