工房の三倍はあろうかという巨大な炉を見上げる。
 高い天井。静まり返った室内。冷たい空気。集中力が高まっていくのを感じ、ノアはそっと両手で炉に触れる。
 やることは、工房のときと同じだ。炉に光が灯り、図書館の隅々に魔力がいきわたる光景を頭の中でイメージした。
 等間隔に並んだ魔法灯は、書棚と足元を優しく照らし、落ち着いた雰囲気を演出してくれるだろう。ノアは手のひらが暖かくなっていくのを感じる。
 続いて、各階に設置された端末が起動するところを想像する。膨大な量の蔵書から必要なものを探し、知識を蓄える手助けをしてくれるに違いない。ノアは手のひらから全身に、熱が広がっていくのを感じた。焼けるような熱さではなく、柔らかで心地のよい暖かさだ。
 自動昇降機が上下し、各階へのアクセスを容易にしてくれるところも想像してみる。
 中央の柱には、それらしき扉が二つあった。おそらく、二機の自動昇降機が並行して稼働することで、来館者が多くても動線が詰まらないようにしてくれるのだろう。
 ノアは集中させた魔力を炉へ送り込んでいく。気が付けば全身が、工房の炉に宿ったのと同じ光に包まれている。
 今度は目を閉じはしなかった。自分がどうやって魔力譲渡をやっているのか把握しておきたかったし、魔力の流れが見えるようにも意識した。
 ノアが生み出した光と熱は、外にこぼれることなく、するりと炉に吸い込まれ、細かく振動を始めた。
 送り込んだ魔力が炉の中で絡みあい、増幅していく。ノアの魔力譲渡は、渡す魔力の量と質、効率が高いだけではなかった。渡した後の魔力が何倍にも膨らむことによって、その膨大な魔力量を確保していたのだ。
「……すごい」
 後ろで誰かがつぶやくが、集中を続けるノアの耳には、その声はほとんど届いていなかった。
 魔法灯に光を宿し、検索用の端末を起動させ、二機の昇降機を動かす。
 それからどうする? 他には何ができる? 
 高鳴る鼓動に任せて、ノアは想像を続けた。
 そうだ。外壁に刻み込まれた複雑な紋様と、そこから都市中に伸びる魔法銀のラインがあったはずだ。
 あれに魔力が流せたら、きっと美しい輝きを放ち、図書館を彩ってくれるだろう。
 わくわくしながら、練りこむ魔力量をさらに増やしていく。
 自身の肉体がもうひとつ、魔力炉の中にあるような錯覚を覚える。ノアはそのもう一つの肉体を魔力で形作るようなイメージで、大量の魔力を送り込んでいく。
 炉の中心で生じた振動は、心地よい低音を伴って加速していった。魔力炉に、図書館に、そしてレイリア全体に、命を吹き込んでいくような、不思議な高揚感だ。
 いまや魔力炉も、そしてノア自身も煌々とした輝きを放っている。
 ノアは自分の身体が、高まり続ける魔力によって浮き上がっていることにも気づいていない。
 頭の中に巡るのは、都市中に広がる魔法銀のラインに、魔力が満たされていくイメージだ。
 すでにノアの頭の中は図書館の魔力炉とリンクし、都市中をめぐる魔法銀のラインの全容を捉えている。
 全方位に広がった幾何学模様は、レイリアの都市全体を使った複雑な魔術式だ。
 外周いっぱいまで広がった術式は、各方位に並び立つ巨大な円柱へ到達し、収束していく。
 まだだ。もっとできる。なんでもできる。もっと。もっともっと。
「ノア! そこまでにして!」 
 りんとした声に振り向くと、エミリーが必死な顔で叫んでいる。
 目は開けていたつもりだったが、意識がすっかり図書館を離れ、レイリアを上から俯瞰するような心持ちになっていた。
 はっとして炉に向き直ると、まばゆい光に包まれた炉の中で、大量の魔力が鳴動していた。
 外周まで魔力を伝えて、円柱に送り込んで、それからどうなる?
 そもそも、外周の円柱は何をするためのものだろうか?
 先の話に出てきた、都市全体を覆う結界ならまだいい。もしそれが、古代兵器の射出口だったら?
 全容を知らないまま、好奇心と高揚感で起動させてはまずい。
 我に返ったノアは、ほとんど自身の一部のような感覚になった魔力炉と、そこから流れ出る魔力を、図書館内まで一気に引き戻した。
 想定外の勢いで逆流した魔力に、一部の魔法灯が耐え切れずに破裂する。逆流した魔力が図書館中を暴れまわり、激しい揺れとなってノアたちを襲った。
「ちょっと、大丈夫なんでしょうね!?」
「わかりません、こんな量の魔力が一度に流し込まれたことなんて……きゃあっ!」
 サラの叫びに答えようとしたところで、ひときわ大きな揺れが襲い、フローレンスがよろける。
 まだ空中で両手をかざし続けるノアの腰に、エミリーがしがみつく。
 ぐいと引っ張られてようやく、ノアは自分の身体が、天井に向かってどんどん浮き上がっていたことに気づく。
 心地よかったはずの低音は地響きにかわり、図書館全体が悲鳴をあげているようだった。
「ノア、ゆっくりでいいから落ち着かせよう。あなたならできるって信じてる。大丈夫だから……ね?」
 エミリーの言葉が脳の奥に染みる。
 ノアは、引き戻した魔力を図書館にとどめるのではなく、許容量を超えた分を、自身に吸い上げようとした。
 吸い上げた魔力が、高鳴る鼓動とは別のリズムで全身をぐるぐると駆け回る。
 ぱん、と乾いた音がして、ノアの腕に裂傷が刻まれた。
「ぐうっ……!」
 思わずうめき声が漏れる。行き場を失った魔力が、出口を探してノアの身体を裂いていく。
 落ち着け。ついさっきまで、自分のものだったんだ。制御できる。大丈夫だ。
 自分に言い聞かせながら、魔力をならしていく。元の場所に戻すだけなんだ。できるはずだ。
 いくつかの深い傷を作って、ようやく床に足をつけたノアは、そのままぐったりと魔力炉にもたれかかった。
 ようやく揺れが収まり、静寂を取り戻した図書館の地下で、魔力炉だけが、満足したようにまばゆい光を放ち続けていた。