「ぼくはここまでのようだ……サラ……あとは頼んだよ……必ず……成功させ……て」
「父さん、まだ地上五階だから。もうちょっとがんばってよ。下手なお芝居してる暇があったら、足動かして」
「んふふふふふふふ」
 後方に聞こえる親子のやりとりに苦笑しながら、フローレンスの後についてらせん状の階段をおりていく。
 他より優先して魔力を確保しているとのことで魔法灯はまだ生きており、暖色の光が足元を照らしてくれていた。
 一歩ずつ階段を踏みしめながら、ノアは図書館の構造がよくわからなくなってきていた。
 真ん中に大きな柱があり、その左右に階段が二本。そして、外側の壁をぐるりと囲む形で、細い柱と書棚がずらりと並んでいるのが各階の造りだったはずだ。
 館長室からどういう隙間をぬっていけば、いま下りているような螺旋階段が通るスペースを確保できるのだろう。
「フローレンス、この階段ってどこを通ってるの?」
 ノアはそのままの質問をフローレンスにぶつけてみた。ここまでの会話で、同年代であるし、丁寧語はやめようという了承は取ってある。
「ノアも気になっちゃった? わたしも最初は自分のいる場所がよくわからなくなって、調べてみたんだけどね。ここは図書館の外側の壁の中を通っているみたい」
「そうなんだ、ちょっと不思議な感覚かも」
「中外それぞれから見ているより、一番外の壁が分厚くできているみたい。設計図のような本に書いてあったから、それが本当ならだけどね。もしかしたら古代魔法で、いったん別の空間を通って戻ってきたりしてるかもしれないよ」
「それは、ちょっと怖い……外側の壁説を信じておきたいかも」
「ええ、夢があっていいのに。別の空間に階段とか道を作って自由に行き来できたりしたら、もっといろんな導線が作れそうじゃない?」
 エミリーが瞳をきらきらさせるものだから、ノアはフローレンスといっしょに笑ってしまう。
 今では失われた魔法が、古代にはいくつも存在していた。
 もちろん、失われた魔法と言われているだけあって、実際にそれの再現はできていないが、古くから残っている本を読み解くと、たびたびそうした魔法や技術の記述が登場するのだ。
 この図書館そのものが古代の遺物であるなら、空間を超越するような技術が使われていないとも言い切れない。「まあ確かにありえなくはないかもね」とフローレンスもエミリーに同意し、それから真剣な顔を作った。
「この図書館は他にも、いくつかとんでもない機能があるみたいだからね。信憑性が高そうなところでいうと、都市全体を守る結界魔法とか。あとは冗談みたいな話だけど、図書館そのものを空に浮かべて移動したり、都市間戦争用の兵器もあるとかないとか」
「図書館そのものを、空に浮かべて」
 短時間であれば、人間一人が空中に浮かぶことのできる魔法は存在する。しかし、それこそ緊急避難用で実用性に欠けるため、使い手はほぼいない。
 人間一人でさえそうなのだから、空に浮かぶ建物なんて、現在この大陸には存在していない。というより、やろうとしても不可能であるし、どれだけの技術と魔力が必要になるのか想像もつかない。
「突拍子のない話だけど、わたしは全部あると思ってる」
「ええ……本当に?」
「兵器の方はあってほしくないけど、都市ごと守ってくれる結界なんて、それこそ夢があるじゃない? 小規模な結界魔法なら、大きな都市のギルドが本部に使っていたりするし。ノア、魔力炉が上手く動いたら、結界も起動させてみる?」
「ギルドのは、お守り程度の簡易結界だと思うよ……さすがに古代の結界を再起動は、厳しいんじゃない?」
「知恵の都から古代結界都市に肩書きが変わったら、面白そうだよね」
「それいいかも」
 くすくすと笑うエミリーとフローレンスにつられて、ノアもまた笑った。
 しばらくの間、談笑しながら階段を下りていき、いくつかの扉を抜けて、場所によってはフローレンスが何かしらの操作をして鍵を開き、一行は重々しい両開きの扉の前にたどり着いた。
「さて、皆さんお疲れさまでした。到着しました……けど、そちらのお二人は大丈夫ですか?」
 地下十階。
 魔法灯が生きていなかったら、真っ暗闇になりそうな冷たい廊下の上に、デイビットが大の字になって転がっている。サラも壁にもたれかかってぐったりと座り込んでいた。
「お水、念のためもってきましたけど、飲まれます?」
 サラがどうにかうなずき、もはや言葉も出ないデイビットが、右手を空中に泳がせる。
「本当にごめん。ノアの限界を測る目的からはずれちゃうけど、やっぱり上で待っててもらえばよかったかな」
 エミリーが申し訳なさそうにする。そこでノアはふと気づいて、おそるおそる口を開いた。
「もし僕が上手くできなかったら、もう一度十階まで戻って、それから一階に下りてこないといけないってこと?」
 それを聞いたデイビットが、びくんびくんと痙攣したかと思うと、しくしくと泣き始めた。
 顔を上げたサラも、信じられないという顔をしている。
「あ、はは……成功させなくちゃいけない理由が増えたね」
 エミリーが何とも言えない表情で言い、「とりあえず中に入ろっか」とフローレンスに促した。
 ひとつ咳払いをして空気を切り替えたフローレンスが、持っていた鍵を重々しい扉の鍵穴に差し込み、くるりと回す。
 すると、薄緑色の光が鍵から放たれ、扉に刻み込まれた紋様を伝って鍵穴から扉の外側へと広がっていく。
 この扉は、館長を含めたごく一部の人間しか開けることはできない。具体的には、図書館の館長と議会の議長、そしてギルド長の三人だ。
 フローレンスも、館長に任命されたときに自身の魔力を鍵と扉に登録することで、開ける資格を得ている。
 万が一、鍵が盗まれたとしても、それだけでは扉は開かないというわけだ。
 扉の先にある炉への魔力補充に権限は必要ないが、それを使って各機能を起動する権限は、歴代の図書館長のみにある。
 おそらく、先の話にあった古代兵器や結界などを悪用されないために、議会やギルドから権限を切り離した形が、今も続いているのだろうとノアはぼんやりと考えた。
「それでは中へどうぞ」
 フローレンスが扉を押し開け、中へと進んでいく。
「わ、すごい……!」
「でしょ? さすがは大図書館の中枢って感じよね」
 部屋の中には、工房にあったものと似た形の魔力炉が据え付けられていた。ただし、その大きさは比較にならない。工房のものより数倍はある。
 魔法灯に照らされた炉の表面には、工房のものよりいっそう複雑な紋様が刻まれているが、その光は完全に失われていた。
 部屋自体もかなり広く、天井が高い。壁も床も見たことのない金属製で、地下十階なので当然といえば当然かもしれないが、窓はない。
「炉は完全に止まっちゃってるみたいだけど、ここの明かりはどこから?」
「わたしでも魔力を補充できる、簡易的なものを取り付けてあるだけ」
「なるほど……魔力の補充は、あそこからでいいの?」
 ノアは、工房の炉にもあった質感の違う部分を指さす。
「大きさはすごいけど、それ以外の基本的なところは、よくある炉と同じだよ」とフローレンスが教えてくれた。
「これは……なんと素晴らしい……!」
 振り返ると、完全に仰向けになって息を荒くしていたデイビットが、四つん這いのままでずりずりと部屋に入ってくるところだった。
 視線は巨大な魔力炉に固定されており、瞳がぎらぎら輝いている。
「あー……念のため、デイビットは私が押さえておくね。ほら、工房のときみたいになっちゃうと、ね?」
 エミリーが苦い顔をして、デイビットのところまで下がる。
 魔力炉にしがみついてむせび泣き、危うく失明しかけたデイビットを思い出す。
 この大きさの炉に、工房のものと同じ輝きを取り戻せるかどうかはわからない。
 わからないが、もしできたときにデイビットが飛び出してしまったら、今度こそまずそうだ。
「サラも、デイビットさんについていてあげてくれる?」
 念には念を入れて、ノアがサラを呼ぶと、サラもため息混じりでうなずき、デイビットの前に立つようにして腕組みをした。
「父さんはそこから一歩も動かないこと」
「這っていくのは?」
「駄目に決まってます! ここにきた目的覚えてる? 追い出されたいの?」
 不穏なやりとりを不安そうに見ていたフローレンスが、「大丈夫なの?」とノアにそっと聞いてくる。
 ノアは務めて冷静に、「大丈夫、念のための安全確保みたいなものだから」と答えておく。
「それじゃあ、頑張ってみようかな。始めていい?」
 フローレンスの許可を得ると、ノアは炉の前にゆっくりと立った。