扉の奥から現れたフローレンスが、エミリーの後ろに立つノアたちに気づいて軽く会釈をする。
 ローブより淡い緑色の髪がはらりと肩にかかった。透き通るような白い肌と、淡い緑の瞳が印象的だ。
 フローレンスは、肩で息をするデイビットとサラに気づいて、まずは中へどうぞと室内に四人を招きいれ、特に疲労の色が濃い二人へ優先的にソファを勧めた。
 ノアはぐるりと室内を見回してみる。内装はギルド長の執務室に近いだろうか。応接用のソファとテーブル、執務用のデスクが配置されている。
 違うところといえば、壁一面が書棚に囲まれていることと、さらに奥へと続く扉があることくらいだろうか。他の階と同じで大きな窓はなく、ギルド長の部屋のような吹き抜けも見当たらなかった。
 フローレンスは四人をソファに案内したあと、冷たい飲み物を用意してきますねと言い残して扉の奥へ消えていった。
「すごいね、フローレンスさん。僕たちと同い年くらいに見えるのに、館長さんなんだ」
「ノア、見た目でそういうこと言うのは失礼だよ」
「……ごめん」
「まあでも、おじいさんの後を継いでまだそんなに経ってないし、驚くのもわかるけどね」
 エミリーと話しているうちに、フローレンスがトレイを手に戻ってくる。四人の前にそれぞれグラスを置いて、自身もソファに座った。
「冷たいお茶です、どうぞ」
 ぶんぶんとうなずいてデイビットが手を伸ばし、サラもグラスにそっと口をつける。
「いきなりごめんね。下に人がいないみたいだったから、そのまま来ちゃった」
 エミリーが肩をすくめると、フローレンスはやはり寂しそうに笑った。
「受付のベルが昨日でやめてしまったの。魔力の影響で、ご家族の体調が思わしくないそうで……引き止めるわけにもいかなくて。いよいよ、わたし一人になっちゃった」
「そっか。ご家族の体調じゃ、仕方ないよね。レイリアが元に戻ったら、きっと帰ってきてくれるよ!」
 そうね、と笑うフローレンスの顔には疲れが見えた。
 一人、また一人と減っていく職員を見送りながら、館長として踏ん張ってきたのだろう。
 ノアは胸を締め付けられる気持ちになる。
「ところでエミリー、そちらの方々は?」
「紹介するね。この子はノア。私と同じ、ギルドの所属だよ。それからこっちはデイビットとサラ。魔道具工房の職人さんなんだ」
「よろしくお願いします。わたしはここの館長をしているフローレンス・レイリアと申します。エミリーのお友達でしたら、皆さんも気軽にフローレンスと呼んでくださいね」
 にっこりと笑うフローレンスに、ノアたちも笑顔を返す。
 デイビットだけはそれどころではないらしく、会釈なのか頭が揺れたのかわからない不思議な形で、そのまま背もたれにぐったりともたれかかってしまった。
「あの、そちらのデイビットさんでしたか……大丈夫ですか? 少し前までは自動昇降機が動いていましたけど、今はそれも止まってしまっていますから。慣れない方が十階まで来られるのは大変だったでしょう」
「大丈夫大丈夫。運動不足が身にしみただろうし、もう少し運動したほうがいいんじゃない? 放っておいたらいつまででも工房にこもりっきりなんだから。私も人のことは言えないけどさ」
 あっけらかんとした様子でサラが答え、笑いを誘う。
「フローレンスは、毎日十階まで上がってきてるの?」
「いえ、わたしはここで暮らしているので。各階の様子は毎日見て回っているので上り下りはしていますけどね」
 聞けば、フローレンスがお茶を持ってきた扉の奥には、お茶だけでなく料理をするスペースもあり、風呂トイレ完備、仮眠をとるベッドまで用意してあるのだという。
 一応は居住区画に自宅もあるらしいのだが、図書館で寝泊りすることの方が多いらしい。
 この部屋は執務用の館長室というよりも、一人暮らし用の部屋に近いようだ。
「それでねフローレンス、今日はちょっと試したいことがあってきたの。時間あるかな?」
「うん。閉めちゃうわけにはいかないから開けてあるけど、一人じゃ図書館は回しきれないし大丈夫だよ」
「ノアに、この図書館の魔力炉を見せてあげてほしいんだ」
 フローレンスは少し考えるようにして、ノアとエミリーへ順番に視線を移す。
「ギルドへの復旧依頼はいったん取り下げてあるはずだけど、個人的にってこと?」
「そうだね。上手くいけばまた自動昇降機とか、検索もできるようになるかも」
「横からごめん。自動昇降とか検索……っていうのは?」
 耳慣れない単語が続いたので、ノアは横から質問してしまった。
 古代遺物の一種なのだろうというあたりはついていたが、いまいちぴんとこない。
「検索っていうのはね、各階にある端末から、蔵書を見つけてくれる古代遺物だよ」
「そんなことができるの!?」
「うん。一応、どこにどんな本があるとか、階ごとにカテゴリは分けてあるんだけど、それでも膨大な数だから……目当ての本を探すのって大変でしょ? 本か作者の名前の一部から一覧を出してくれるの。本に書いてある文章の一節からでも探せたはずだけど、たくさん出てきすぎちゃって使い勝手は微妙かも」
「……すごいんだね」
「今は動かなくなっちゃってるけど、知恵の都は伊達じゃないってこと! それから自動昇降は、好きな階にあっという間に行けちゃうの。ほら、この図書館って真ん中に太い柱があるでしょ? 一階のカウンターのちょうど裏側から柱の中に入る扉があって、柱の中を通って各階を移動するの。この階なら館長室を出てすぐの扉がそれだよ」
 エミリーが得意げに説明してくれる。
「そんなものがあるのなら、早く言ってほしかったよ……」
 背もたれに頭ごと預けたまま、デイビットがかすれた声を出す。
「今は動いてないんだってば。仕組みが複雑な分、図書館の遺物はかなりの魔力を溜めておかないと動かないからね」
「んふふふ、それは残念。ノアくんに直してもらってからくればよかった……」
「父さん、ノアの限界を測るためについてきたんでしょ? それじゃ順番がおかしくなっちゃうって」
 サラが、デイビットの肩をこづくが、デイビットはすでに上の空だ。
「限界を測るって?」
 首をかしげるフローレンスに、エミリーが説明を引き継ぐ。
「そうそう、それで魔力炉の話に戻ってくるんだけどね。ノアに魔力の補充を試させてほしいんだ」
「ギルドの皆さんにお願いしても、全然駄目だったのに、その……お一人で、ですか?」
「ノアはすごいんだよ。デイビットたちの工房にある中型の炉も、一人で完全復活させちゃうくらい」
「工房なら据え付けタイプでしょう? ダイレクトに魔力流の影響も受けそうなのに……すごい!」
「でしょ? それとは別に腕試しも兼ねてる感じなんだけど、どうかな? 試してみてもいい?」
 エミリーが、ノアのロッドとデイビットたちについても説明してくれる。
 驚きながらも、嬉しそうに話を聞いていたフローレンスが、ノアに向き直って大きくうなずく。
「わかりました、ご案内します。もし駄目でも、炉に危険はなさそうですし、成功すればお互いに助かりますもんね」
「ついでに、成功したらでいいんだけど、フローレンスにお願いもあってさ」
 エミリーがにやりと笑う。
 図書館に頼みたいことがあるという話は、ノアも聞いていない。
 なんだっけ、と思い出そうとしていると、エミリーがさもノアと認識をあわせてあったかのように続ける。
「ノアはね、今よりもっと成長するために、魔法の詠唱について書かれた本を探してるんだよね。検索機能が戻ったら、それを優先的に探してあげてくれないかな? 詠唱の基礎とか、もしあれば詠唱速度をあげる魔法の魔導書とか」
「工房の炉を一人でいっぱいにしてしまう魔力をお持ちの上に、さらなる向上心もお持ちとは、すばらしいですね! わかりました、そちらもわたしが責任をもってお手伝いします」
「ちょっとエミリー、フローレンスも館長さんとして忙しいでしょ? 検索ができるようになるなら自分で探すから大丈夫だよ」
 フローレンス・レイリアの名が示すとおり、フローレンスははるか昔にレイリアを作った一族の末裔だ。
 一族全員がレイリアを離れるわけにも、図書館の館長をまったくの他人に任せるわけにもいかず、幼い頃からもっとも長い時間を図書館に通いつめ、知識が豊富だったフローレンスが館長として任命された。
 居住区画にある実家で定期的に家族と会ったりはしているらしいが、ほとんどの時間を図書館で過ごし、最上階に寝泊りするほど、フローレンスは忙しい。
 そんな若き館長の時間を自分だけのために取らせてしまうことに、ノアとしては抵抗があった。
「構いません。ギルドへの正式な依頼は一度取り下げてしまっていますので、もし成功してもそれに見合う報酬を公式にお渡しすることができませんし……もし上手くいったら、それくらいは力にならせてください」
 にっこりと笑うフローレンスとエミリーに根負けして、ノアはわかりましたとうなずいた。
「それじゃあ早速、炉のところへ案内していただけますか?」
「そうですね……ですが、大丈夫でしょうか?」
 ここで、フローレンスがなぜか表情を曇らせる。
「大丈夫って、どういう意味でしょうか?」
 ノアがおそるおそる聞き返すと、フローレンスはちらりとデイビットに視線を移した。
「炉に行くには、自動昇降機で特別な手順を踏むか、奥の扉から職員専用の階段を使うんですけど……」
 言いにくそうにするフローレンスと、「あ……そっか」と何かに気づいて顔をゆがませるエミリー。なんとなく嫌な予感をひしひしと感じつつ、ノアは「その、炉は何階にあるんでしょうか?」と聞くしかない。
「ええと、ですね。魔力炉があるのは、地下十階……です」
 んほほふふふふふ。
 ほとんど白目を剥いてしまったデイビットの断末魔の笑い声が、館長室に響きわたった。