「どうして、あんなことをしていたのか教えてくれませんか?」

「……わかりました。全てお話ししますから、中に入ってください」

 黒瀬さんはそう言って、家の中に招き入れてくれた。
 リビングに通されると、ソファに腰掛けるよう促されたので、私たちはお言葉に甘えて座らせてもらうことにした。
 やがて彼女はキッチンの方へと向かうと、二人分のコーヒーを用意して戻ってきた。

「どうぞ。インスタントで申し訳ないですが……」

「いえ、ありがとうございます」

「では、改めて自己紹介させていただきますね。私は黒瀬(くろせ)(あや)と申します。その……一応、高校生ですが、事情があって今は学校に行っていません」

 黒瀬さんは言いづらそうにしながらも、簡単な自己紹介をしてくれた。

「わざわざ、丁寧にありがとうございます。それで、あの……さっきの話の続きなんですけど、黒瀬さんはなぜ諸麦さんの部屋の前に花束を置いていたんですか?」

「あれは……」

 黒瀬さんは一瞬口籠ったが、決心したような面持ちで語り始めた。

「あれは、お供え物みたいなものです」

「お、お供え物……? もしかして、亡くなった方のために……ということですか……?」

 恐る恐る訊ねると、彼女は静かに首肯する。そして、困惑しつつもこう続けた。

「はい。実は私、昔から霊感が強いんです。それで、ある日を堺に上の階から何か嫌な気配がするようになったから、恐る恐る見に行ったんです。そしたら、どうもその原因が諸麦さんが住んでいる601号室だったみたいで……」

「え……?」

 私は絶句する。いや、でも……もし、黒瀬さんの言い分が正しいのなら、郵便ポストに入っていた手紙や鷹の爪の飾りに関しては説明がつかない。
 私は、諸麦さんと顔を合わせる。どうやら、彼も同じことを考えているようだ。

「で、でも……他にも郵便ポストに手紙を入れたり、鷹の爪の飾りを置いたりしていましたよね? それも、全部お供物なんですか?」

 私が疑問をぶつけると、彼女は困ったように眉根を寄せた。

「確かに……私は、諸麦さんの部屋の前にお花の他にも鷹の爪の飾りを置きました。それまでは、生花を置くことでどうにか霊が活発化するのを防いでいたんですが……ある日を境に、花をお供えするだけでは抑えきれなくなってきたんです。このままでは、あの部屋に取り憑いている霊が悪さをしかねない──私はそう確信しました。だからあの日、鷹の爪の飾りを601号室の前に置いたんです。その……鷹の爪には、強い魔除けの効果があるので」

「あの飾りに、魔除けの効果が……?」

「ええ。でも……手紙に関しては、本当に何も知りません! 信じて下さい!」

 黒瀬さんは必死にそう訴えかけてきた。
 演技をしているようには見えないし、恐らく彼女は本当のことを言っているのだろう。

(と、とにかく……今は、黒瀬さんの言葉を信じよう)

「なるほど……よくわかりました。ごめんなさい、急に押しかけたうえに変なことを聞いてしまって……」

 私が頭を下げると、黒瀬さんは大きくかぶりを振る。

「い、いえ……! こちらこそ、勝手な真似をしてすみませんでした! ちゃんと、事情を話せばよかったですね。でも、話したところで信じてもらえるかどうかわからなくて……」

 彼女はそう言うと、申し訳なさそうな顔をして俯いた。

「とりあえず、黒瀬さんの誤解は解けましたけど……また、新たな問題が発生してしまいましたね……」

 そう言いながら、諸麦さんのほうを見やる。すると、彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

「そう、ですね……。どうしようかなぁ……そっか……今度は幽霊か……」

 諸麦さんはどこか遠い目をしながら、独り言のように呟く。

「もしかして、601号室って事故物件なんでしょうか? その……勘違いかもしれないんですけど、実は私も諸麦さんが配信している時に一度背後に人影のようなものを目撃したんですよ」

 私が尋ねると、諸麦さんの顔はみるみると青ざめていった。
 そして、「うぇっ!?」と素頓狂な声を上げながら目を泳がせる。

「な、なんでそれをもっと早く教えてくれなかったんですか!? めちゃくちゃ大事なことじゃないですか!」

「いや、その……最初はストーカーが忍び込んでいるのかもしれないって思ったんですよ。でも、直接会ってお話した時にお付き合いされている方がいると仰っていたので、てっきりその方が家に遊びに来ているのかなと思って……」

「な、なるほど……とりあえず、ここ一ヶ月は部屋の前に置いてある花のこともあったし、彼女は家に呼んでいませんよ」

「そうだったんですね……。でも、ということは……あの人影は霊の可能性が高いってことですよね……」

「俺、なんだかあの家に帰るのが怖くなってきましたよ……。とりあえず、不動産屋からは特にこれといった話は聞いていないから、事故物件ではないはずですよ」

「そうなんですね。でも、なんか不安に駆られませんか? ほら、家賃が安く設定されていたとか……」

「いや、それはないですよ。俺、ここに越してきたのはまだゲーム実況者として人気が出る前だったんです。だから、寧ろ高いなと思っていたくらいで……」

 諸麦さんは苦笑しつつもそう答える。

「でも……もしかしたら、見落としていることがあるのかもしれません。念のため、今度不動産屋に確認を取ってみますか?」

「そ、そうですね……」

 諸麦さんは何とも言えない微妙な面持ちをしていた。
 まあ、気持ちはわかる。私だってこんな話を聞いたあとに自分の家で何かおかしな現象が起こったりしたら……正直言って、気が気でない。

「とりあえず、当面の間は大丈夫だと思いますよ。あの鷹の爪の飾り、まだ家にありますよね?」

 黒瀬さんにそう訊かれると、諸麦さんは彼女を見やった。

「ええ、ありますよ。まさか、あれに魔除けの効果があるなんて知らなかったですけど……」

「私自身、ここ最近ずっと上の階から嫌な気配を感じていて気分が悪かったのですが……お守り代わりに鷹の爪を部屋に飾ったら、嫌な感じが消え去ったんです。だから、安心してください。もし不安なら、御札も持っていきますか? 沢山ありますよ」

 黒瀬さんが明るい調子で言うと、諸麦さんは徐々に落ち着きを取り戻してきたのか、「いいんですか? じゃあ、それもください」と返した。

「わかりました。御札が置いてある部屋に案内しますね」

 そんな会話をしながら、黒瀬さんと諸麦さんは別室へと移動する。


 二人が戻ってくるまでの間、私はMiraiのSNSアカウントに何か動きがないか確認してみることにした。
 SNSアプリを立ち上げてMiraiのアイコンをタップし、タイムラインを開く。すると──

『どうして、邪魔をするの?』

 たった一言、そんな投稿があった。しかも、その文章が投稿されたのはたった今。まさに、私がMiraiのアカウントを確認したその瞬間なのである。
 偶然にしては、あまりにもタイミングが良すぎる。彼女に行動を見張られているような気がして、私は戦慄した。

(え……?)

 動揺のあまり手が小刻みに震え、心臓が早鐘を打つ。そんな中、私はどうにかスマホを操作した。