「……も、もう終わりだ……何もかも……」

 彼は頭を抱え、絶望したように呟いた。
 不意に、私は諸麦さんの背後に何者かの気配を感じた。恐る恐る中を覗き込むと、そこには一人の少女が立っていた。彼女は鋭い視線をこちらに向けている。

「あの、諸麦さん……もしかして今、来客中でしたか?」

 私が尋ねると、諸麦さんは驚いたように目を見開く。
 そして、恐怖と困惑が入り混じったような表情でふるふると首を横に振った。

「え……? じゃあ、後ろにいる女の子は──」

 私と黒瀬さんは顔を見合わせた。
 諸麦さんはあまりの恐ろしさに振り返ることができないのか、俯いている。
 よく見てみれば、その少女は制服を着ていた。彼女は諸麦さんを見やると、口の端を吊り上げて冷たい笑みを浮かべた。
 その瞬間、私たちは全てを悟った。諸麦さんに取り憑いていたのは、宮野さんの生霊ではない。今、まさに彼の背後にいる少女だったのだ。

 恐らく、この霊はたった一回お祓いをした程度では除霊できないほど強い力を持っている。
 霊感がほとんどない私ですらそう感じるのだから、黒瀬さんが感じないはずはない。現に、彼女は固まったまま身動き一つ取れず、ガタガタと震えていた。

 ──そう、彼女はずっと諸麦さんのそばにいたのだ。
 供花や鷹の爪、そして御札で気配を感じなくなったり、除霊に成功したように見えたのは、きっと何か意図があって一時的に力を抑えていたからなのだろう。
 その事実に気づくと同時に、私は戦慄いた。そして、あの日自分がリアルタイムで見たツイートのことが頭によぎる。

(やっぱり……あの時、既に彼女は……)

 ふと、頭に六月七日に亡くなった彼女が霊となり、そのまま諸麦さんの家を目指して歩いていく姿が浮かんだ。
 そんなことを考えつつ、私はまるで何かに導かれるようにスマホを操作してMiraiのアカウントを見る。
 次の瞬間。まさに今、投稿されたであろうツイートが表示された。

『逃がさない』

 ──そこには、たった一言そう書かれていたのだった。


***


 気づけば、あの騒動から半年以上が経っていた。
 結局あの後、諸麦さんはすぐに謝罪文を投稿した。
 しかし、その謝罪文というのがあまりにも自己弁護に満ちたものだったので、世間からの非難はさらに過熱。結果、彼は引退を余儀なくされてしまった。
 Miraiについてもネット上で色々と議論されているようだったが、真偽を確かめる術は最早なかった。
 それから間もなくして、宮野さんが被害届を出し──その結果、諸麦さんは逮捕されることとなった。
 罪状は、未成年淫行と脅迫。なんでも、宮野さんと別れる際、自分との関係を世間にばらしたらただじゃおかないと脅していたそうだ。
 ──彼は今も尚、()()()()に囚われたままなのだろうか。

 そして私はと言えば、あのマンションから引っ越した。今は、霊や事件とは無縁の平穏な生活を送っている。
 黒瀬さんとは今でもたまに連絡を取り合っているけれど、お互い忙しいので直接会うことはほとんどない。
 彼女も今は大学生になり、講義に出たりバイトをしたりと充実した日々を送っているそうだ。


 最近、私は鈴音りりさんの配信をよく見ている。
 彼女は、騒動後も変わらずVTuberとして活動を続けているようだ。
 それもそのはず。世間からしたら、彼女は立派な被害者だ。特に非難される理由もないので、それをバネにますます活動に励んでいる──といったところなのだろう。
 しかしそんな中、気になる噂を耳にした。なんでも、鈴音さんはまだ諸麦さんとの交際を続けているらしいのだ。
 真偽の程は不明だが、ネットのゴシップ記事によると熱心に拘置所へ面会に行っているとのこと。しかも、彼が出所したらすぐに結婚するつもりなのではないかと書かれていた。
 当人たちが決めたことだから口を出す義理はないが、あんなことがあったのによく交際を続けられるものだと思った。


 そんなことを考えながら、私は今日も鈴音さんの配信を見る。
 ゲームをしながら雑談する彼女を見て、ふと私は違和感を覚えた。

「鈴音さん、最近なんだか雰囲気が変わったような……」

 思わず、独り言を呟く。口調もそうだし、何より以前のような明るさがなくなった気がするのだ。
 SNS上でも、やたらとメンヘラムーブが増えたと話題になっているし……。
 私は、PCの画面の中で微笑む鈴音さんをじっと見つめる。その瞬間、彼女と目が合ったような気がした。
 いや……相手はあくまで画面越しに見ているアバターなのだから、そう表現するのはおかしいかもしれないけれど。でも、確かに彼女に見つめられたような感覚があったのだ。
 そのまま動けずに硬直していると。彼女は突然雑談をやめて黙り込み、こちらに向かってふっと陰のある冷たい笑みを浮かべた。

(あれ……この表情、以前もどこかで見たことがあるような……)

 記憶を辿っていくうちに、ある人物が浮かび上がる。……が、すぐに軽く頭を振って自分の考えを否定した。

「まさか……ね」

 そう呟いて、私はブラウザをそっと閉じた。