正直に言えば、忘れられていたことはショックだった。
はじめてアルバに押し倒されたとき。
メリリはこれまでの人生で一番動揺した。が、昔からありったけの好意を注いできた相手であるから、当然、嬉しさも大きくてどうにも動けなかった。
たしかに、あの時期のアルバはかなり荒れていた。
その一環で気の迷いだったのかもしないが、彼が幼い頃から主人として慕い、弟の様にも恋人の様にも思ってきた相手からの行為だ。
あの瞬間を忘れられるわけがない。むしろ何回でも思い返される。
周囲との関係性だってある。
はじめは覚悟が決まらずに拒んだが、次にそういう雰囲気になったら今度こそ――。
そんなふうに心に決めていた矢先のことだ。
メリリに言い渡されたのは、クロレルの元への配置転換であった。
そのうえアルバは辺境に追放され、遠くへと行ってしまうのだから、目の前が真っ暗になる。
が、それでもメリリはアルバを諦めなかった。アルバという光を求めて、泥の中から抜け出した。
だから街で彼と再会したときには、運命を確信した。自分たちは引き寄せあっている、と思った。
そしてうっかり、きっとアルバも同じ気持ちでいてくれているのだと、思ってしまった。
セレーナに色々と食いかかってしまったのは、それが理由である。
見ないうちに、アルバの横にしっかりと定着し、あまつさえ同じ部屋で寝起きしている彼女が少し、いやかなり羨ましかったのだ。
「……あーあ、勝負下着だったのに」
アルバの家へと夜這いをかけ、失敗に終わったその翌日
メリリは今日も眠れず、思わず天井に向かって呟いていた。
眠気などはまったくなかった。ただ悶々と考え事だけが際限なく広がっていく。
挙句の果てには、セレーナとアルバが一緒になって寝ている光景なんかまで浮かんでくるのだからたちが悪い。
彼女は『高潔な薔薇』と評されていただけあって、そりゃあもう美しいのだ。
自分には発しえない、色気をむんむんと放っている。アルバがそれに魅了されていても、なにらおかしくない。
「あぁ、もうやめやめ。今のなし!」
なんて、このありもしないことの想像をいくらやっても無駄であることは、18年……いや、26年生きてきたら分かっていた。
「わざわざあぁ言ったんだから、めそめそしてないで明日からは年齢とか身分とか関係なく勝負よ、メリリ!」
だから、布団の下で拳を握ると、自分に言い聞かせる。
そうして眠りにつこうとした時、彼女は窓の外でがさりと音がしたのに気がついた。
どうせ眠れないこともあった。
メリリは布団から出て、窓を開けると、その下を覗きこむ。
「……なにでしょう、これ」
そこには、妙にきちんと包装された袋が置かれてある。
好奇心程度で中身を開けてみると、驚いた。そこに入っていたのは、化粧品や香水、口紅類といった小物、さらには絹でできた上等な寝間着。
どれも上物で、貴族のご令嬢が使うような代物ばかりだ。それこそ、メリリには手に入れられず、セレーナには手の届く代物。
さらには、こんなメモが添えてあった。
『これで、気品ある美人に。もっと綺麗になれば、狙った人も一撃』と。
なんとも魅力的な謳い文句であった。
セレーナへ感じている劣等感を取り除き、勇気を与える。今一番、心の響く言葉がつまり切っていた。
誰が置いていったのだろうか。
メリリは顔を振り周りを見渡す。
「誰かいるんですか。よかったら紅茶でもいれますよ……なんて」
と呼びかけるも、そこには誰もいない。
ただ魔導具類が転がる景色と、小屋で丸まっているサントウルフの家族の姿が目に入るだけだ。
目に入るだけでぎょっとするような大きさでいまだに慣れないが、たしか彼らは番犬のような役割を担ってくれているとアルバが言っていた。
「あの子たちが起きてないってことは、村の人でしょうか。はっ、まさか色々と察して、配慮してくれた? でも……」
いずれにしても、怪しさはぬぐえない。
怪しいのだけど、それ以上に魅力的な言葉がメリリの心を躍らせる。
いけないとは思いつつも、その自制心は乙女心に勝てなかった。
♦
クロレルが俺と入れ替わっているとき、メリリに手をつけようとしていた。
そんな恐ろしく衝撃的な事実が判明したものの、とりあえずは話がついた。
……そう思っていた翌日のこと。
「アルバぼっちゃま」
俺が目を覚ましたのは、またしても彼女に襲撃を受けたからであった。
「……メリリ」
俺は身体を起こす。
彼女は足音を立てないようゆっくり窓枠から降りると、ベッドのへりに腰掛けした。
またしても窓から入ってきた点はさておいて、昨日よりは数段落ち着いている。
少なくとも、そう感じた。
彼女をそう見せるのは、たぶん化粧と寝間着だ。
昨日は年齢に似合わず子供っぽい仕立てだったのが、今日はシンプルな絹のガウン。サイズ感も彼女の背丈にぴったりで、谷間がのぞくあたり、普段にはなく煽情的な趣をしている。
そして、化粧の具合も違った。
元来の整った顔が、さらに引き立てられていたのだ。
月夜に映える白肌に、紫色に近い朱のリップなど、その印象はかなり変わっていた。
思わず見つめてしまっていると、彼女は俺の肩に頭を預ける。
いつもよりさらに甘い匂いに、頭がしびれた。
「な、なにをしにきたんだよ、昨日の今日で」
「……昨日言いましたよ、あたし。これからは本気でぼっちゃまを……、いえ、アルバ様を落としに行くと。なのでさっそく来たまでですよ」
十年来の呼び方が変わった。
それは、変化させたいという意志の表れなのだろう。そこに驚いていると、彼女は俺の髪をまとめるようにして、首裏へと手をやる。
「さぁ、あたしは覚悟できていますよ。逃げないなら、このままキスしますから」
まるで昨日と同じ展開だ。
メリリは目を閉じると、とんがらせた唇をそっとこちらへ寄せてくる。
そこで電流が走ったようにある記憶が頭を駆け巡った。
「この匂い、嗅いだことがある……」
「えっ」
たしか、俺がまだクロレルと入れ替わっている時のこと。
この香りを嗅いだのは、街で横行していた闇市を極秘視察に行ったときのこと。
そのとき出回っていた違法化粧品と同じ香りだ。
俺はすぐさま、枕元に置いていた魔導灯をつける。
「ちょ、アルバぼっちゃま。そんなことをしたらセレーナ嬢に……」
と、メリリは焦る。
実際、セレーナを起こしてしまったらしく
「……どうしたの、眩しい。というか、どうしてメリリが?」
彼女は寝ぼけまなこをこすりながら、首をかしげる。
だが、状況を説明している場合でもない。
「あとで言うよ。起こして悪い。とりあえず、だ。メリリ、顔をよく見せてくれ」
「うえぇっ!? そ、そういう趣味ですか。あえて見せつけてやる、とかそういう高度な趣味ですか、アルバ様……! って、ふえ?」
「違うよ、ちょっとだけ動かないでくれ」
「ひゃ、アルバ様……! は、はいぃ!!」
俺はぎゅっと目をつむるメリリの唇に親指をかける。
ぽつぽつと白く膨れているその特徴を見て、俺の嫌な予感は確信へと変わった。
「それ、毒ね。ジギタール、遅効性の毒よ」
横からセレーナもこう補足するのだから、間違いない。
ジギタールは、薄紅色の花を原料とする毒だ。その発色のよさから、化粧品に混ぜ込まれた粗悪品が前にクロレルシティでは出回っていた。
その言葉に、メリリは目を何度かまたたいたのち、言葉に詰まりながら問う。
「ど、毒? アルバ様、セレーナ様、それってどういう……」
「場合によってだけど放って置いたら、死ぬわ。それくらいの猛毒よ」
それを聞くや、あわあわと震えだして、勢いよく真後ろへと倒れこんだ。
「おい、メリリ!」
俺は彼女の腕を引いて身体を揺すり、すぐに声をかける。
が、さすがは鑑定士だ。セレーナは寝起きでも冷静だった。
「大丈夫。さっきも言ったけど、毒自体は遅効性。見たところ、塗ってからまだ大して経ってないわ。最初はそこまでの症状は出ない。これは……精神的ショックのせいよ、きっと」
「そ、そうか。メリリは態度に出やすいもんな。でも、どうすればいいんだ。遅効性と言ったって、そこまでの猶予はないだろ」
「そうね、あと1時間やそこらかしら。でも、危険なのは変わりないわ」
「とりあえず、俺は解毒ポーションを作る材料を探しに行く。たしか、アカザの葉が有効なんだったよな」
「そうよ。……どうしてそれを?」
「えっと、一般知識だよ」
本当は直接視察に行き、そこで聞いたわけなのだが、今はそんな弁明をしている場合ではない。
セレーナに見ていてもらって、すぐに家を飛び出す。
まず向かったのは、ブリリオとフスカのいる小屋だ。
『こんな時間にいかがした、アルバ殿』
「今すぐアカザの葉が欲しいんだ。葉の一部が赤い野草なんだが……どこにあるか分かるか」
『それならば、我らが知っている。案内してしんぜよう』
やみくもに探すよりは、この周囲の森のことを知り尽くしている彼らに頼む方が効率的なのは間違いなかった。
すぐに姿勢を低くかがめて、乗りやすい体勢を取ってくれていたブリリオに俺たちは乗せてもらう。
そうして、フスカともども森の中へと駆けだした。
彼らのおかげもあり、それはすぐに見つかった。
『ここらでは、あのあたりがもっとも群生している場所だ。ここを除けば、数はそう多くない。だが……』
「まったく。なんだって、あんなところに」
――ただし、それがあったのはハチ型の魔物・グランペスパが巣をなしている真下である。
焼き払うのは簡単だが、普通のハチに比べてかなり体長が大きく、人間の顔ほどの全長をしているのがグランペスパだ。かなり大きな巣が、大樹から釣り下がっている。
本音を言えば、焼き払って駆除をしたいくらいだった。
性格はかなり攻撃的で、かつその毒はかなり強力。しかも、加速度的に数を増やすとされる厄介者なのだ。
だが暴れられることで、アカザに引火してしまったら本末転倒である。
慎重さは求められる。だが、そこまで悩んでいる時間もなかった。
「ここまできたら直感でやるしかねぇな」
詠唱なんかをしていたら間に合わない。
俺は土属性魔法により、その巣の周りに壁を錬成する。さらには、それを高く高くと天へ向けてのぼらせる。
壁の内側でさっそくグランペスパが羽音を立て始めるが、それより先に土壁に蓋をすることで、奴らを中へと閉じ込めた
そして、その天井から、火属性魔法・『火雨』(なんか火の粉ふらすやつ、と俺は覚えている)を見舞う。
「ふぅ、こんなもんか。よし急いで採取しよう」
『……一瞬の組み立てでここまでとは。天才であるな、アルバ殿は』
「いいや、俺一人ならどこにアカザが生えてるかすら分からなかったんだ。恩に着るよ」
俺は採取を終えると、グランペスパたちが全滅していることを確認したのち、すぐに引き返す。
そうして戻ってくると、メリリは、さきほどより少し顔が赤くなっているし唇の腫れもひどくなっていた。
俺はそれを横目に、セレーナに加工方法を尋ねながらポーションを用意すると、彼女の口元をぬぐう。
「アルバぼっちゃま、あれ、あたし……」
なんとか、処置は間に合ったようだった。
急いでいたため、逆にかかった時間のことを気にできていなかったのだが……
「早すぎよ、アルバ。余裕があったわ」
セレーナによるとまだ初期症状程度の段階で、とどめることができた。
初期症状の段階で治療を終えられたこともあり、メリリの体調はかなり早くに回復のきざしを見せた。
「アルバ様、すいません、あたし……。あたしのせいでこんな事態に。しかも、こんなにお手間をかけて……! 余計なことはしない、を至上主義にしてるぼっちゃまに!」
いつもの調子が戻る。ほっとしたいところであったが、俺はうっすらとそれを感じていた。
何者かが上にいる、と。
さっきまでは焦っていたせいで気づけなかったか、今は向こうが焦っているゆえに気配がわかるのか。
俺は、天井へとナイフを数本放り投げる。
すると、どうだ。
梁とともに崩れ落ちてきたのは、黒装束を見に纏った小柄な男であった。顔の半分以上が覆われており、人相を窺えない。
「な、なぜ、拙者の居場所が分かった……!」
男はすぐに態勢を立て直し、部屋の角へと逃れる。
どうやら貴族の血を引く者らしい。風属性魔法を使って高速で去ろうとするが、速さで劣ることはない。
俺は土属性魔法・『土づる』により、家から去ろうとする彼の手足を拘束していた。
「なっ、魔法までこういくつも使えるとは話が違う……! しかもこの強度……」
「さて、話を聞かせてもらおうか」
♦
黒装束の男は、状況を見るやすぐに観念したらしい。
隠し持っていたナイフや小刀などの武器(一部、お守りなんかも混じっていたが)を捨てて、その場に正座をする。
その素早い判断は、そうできるものじゃない。
こうして相対して感じる実力者の風格や、彼の身なり、起こった出来事から見るに、暗殺を請け負った仕事人なのだろう。
「……拙者の負けだ。煮るなり焼くなり好きにするといい」
それゆえに、覚悟も立派なものだった。
目を瞑り、正座をして首を前に突き出す。
だが、俺にはもう誰が依頼をかけたか見えていた。
仕事を受けた形のこの男に刑罰を加えたり、ましてや首を落としてやろうだなんて思いもしない。
「いや、煮ても焼いても食えそうにないから遠慮したいな。俺はただ話をしてくれればそれでいいんだけど」
「……それはできぬ。そういう契約だ」
男は頑なに、なにも答えようとはしない。
だから仕方なく相手の反応で確かめるため、勝手に推理を話してみることにする。
「まあ大方、クロレルとの契約で俺を殺しに来たんだろ。メリリはそれに利用された。彼女が俺を襲うように仕向けて、もろとも毒殺することを狙ったんだ。
理由もおおかた想像がつくよ。いい加減な政治ばかりして、クロレルの評判は地に落ちてる。だからあいつは、自分の代わりに家督を継ぐ可能性を残している俺を殺すことで地位の安定を狙った。そんなところだろ?」
と言って、暗殺を目論まれていることは予想外であった。
俺の存在など、クロレルの眼中からはとうに消えていると思っていたからだ。
が、奴の狡猾で捻くれた性格を思えば、念には念を入れて、俺の排除を目論むことはありえないことじゃない。
黒装束の男は、目を見開きそれを聞いていた。やがて詰まっていた息を吐きだして、ついに首を縦に振った。
やはり、推測通りだったらしい。
「……そこまで分かっているとは、噂に聞いていたのとはまるで違う。かなりの切れ者ですね、アルバ・ハーストン」
「そんな大したことじゃない。で、話す気にはなったか? というか、全て白状してくれ。さっきも言ったが、俺はお前を殺すつもりはない」
「……なぜだ。自分を狙っていた暗殺者だぞ?」
「お前を殺したところで、次の暗殺者が差し向けられるだけだよ。クロレルの陰険な性格はよく理解しているつもりだ。だから俺はお前を殺さない。それに……」
「まだ、なにか理由があるのですか?」
「一番大事なことだ。お前を殺して血が飛んだりしてみろ。俺の寝覚めが悪くなるだろ。悪夢を見るのは御免なんだよ」
「頭が切れるかと思ったら、なにを言うのでしょう、あなたは」
「応じるか応じないかだけ答えてくれればいい。まだ応じないというなら、死ねない程度の拷問にかける。どっちの選択が賢いかくらい分かるだろ?」
って、そんな方法を知っているわけでもないからただのハッタリなのだけど。
俺は嘘を悟られまいと、強い視線でもって黒装束の男を正面から見つめる。
「…………分かりました。応じましょう」
無事に、期待通りの回答を引き出すことに成功した。
とはいっても、黒装束の男が話した内容はほとんどが俺の推理と同じ内容であった。
やはり多額の報酬でクロレルの命を受けて、ここへ遣わされ、諜報役と暗殺の両方を担っていたという。
「ということは私がここにいることも、もうクロレルの耳に入ってるの?」
「はい、セレーナ様のおっしゃる通りです。それも依頼の一つでした。クロレルの婚約者だったセレーナ様、それに屋敷のメイドだったメリリ様、二人がここにいることは報告済みです」
「そう。面倒なことになる予感がするわね」
セレーナが苦々しく言うのに、
「あたしも……」
と、メリリは両の肩を抱える。
たしかに、あのクロレルのことだ。
婚約者であるセレーナはもちろん、俺の身体を使って勝手に関係を持とうとしたメリリのことも諦めてはいまい。
「……報酬額を3倍にするから、アルバ様を殺し、お二人を連れ帰るよう命を受けておりました。拙者が現時点で把握しているのはここまででございます」
事実として、そうだったようだ。
となると、クロレルは確実に今後も俺たちのことを狙ってくる。
対策を考えなければ、スローライフを堪能できる未来は到底やってきそうにもない。
人材不足、クロレルシティの惨状、暗殺計画――。
複合的な要素を鑑みて考えていると、俺の耳元でセレーナが囁く。
「一つ策があるかもしれないわ。聞く?」
俺は迷わず首を縦に振った。
彼女が優秀な人材だということは知っている。どんな提案であれ、自分一人だけで考えるよりはいいものが生まれるにちがいない。
実際そうして聞いた彼女の策は、この面倒な状況を一気に覆せるような手段であった。
俺は再び、黒装束の男を見やる。
それとともに足を拘束していた土属性魔法を解除してやった。
「あ、アルバ様……。拙者に逃げてもよいと申すのですか」
「いいや、そういうわけじゃない。ここからは取引をしたいんだ。だから、対等な立場で話を聞いてほしいと思った。妙な真似をすれば、再び拘束する」
「取引ですか」
「あぁ。端的に言おう。お前、俺たちの仲間になってくれないか」
この男をこちら側に引き抜き、逆に俺たちの諜報員として動いてもらう。
それこそがセレーナの提案であった。
「俺たちはあんたが仲間になってくれれば、逆にクロレルシティの情報を手に入れることができる。あんたが暗殺任務遂行中だと偽の報告をしてくれれば、しばらくは他の暗殺者が送られてくることもない。これだけでも十分なメリットだけど、まだ他にもお願いしたいことはある」
「というと……? クロレルの殺害ですか」
「まさか。そんな物騒なことは言わないさ」
というか死んでもらったら困る。あいつには最終的に更生してもらって、次期領主になってもらわなくてはならないのだし。
「簡単に言えば、人材の引き抜きだよ。クロレルシティから、うちの村に人を誘致したいんだ。だがあいにく俺たちは揃ってお尋ね者、気軽に街へ行けるような存在じゃない。そこで代わりに、その情報を市中に広めてきてほしいんだ」
これがうまくいけば、全ての問題が一挙に解決する。
人材不足はなくなり、街の人を救うこともできるうえ、俺たちは身の危険だって回避できるのだ。
「意図は分かりましたが、しかし拙者でなくとも誰か別の者に依頼する方がよいのではありませんか。仕事とはいえ、拙者はあなた方を殺そうとした人間。釈放するばかりか、仲間になど普通は……」
たしかに、それが普通の考え方かもしれない。
暗殺に手を染めたものを仲間に引き入れることだって、普通ならば避けられるべきだろう。
だがそんな常識にとらわれて、みすみす逆転の一手を逃すのはもったいない。
「仕事だったんなら、もう済んだことだよ。それに、あんたの腕が立つことは見ればわかる。手を貸してくれ、そうしたらこれまでの罪も見逃してやる。
悪い話じゃないだろ? あんたはもう殺しをしなくてもよくなるんだ。したくて暗殺業をしているわけじゃないんだろ?」
「……なぜそれを」
「さっきあんたがそこに投げたお守りだよ。大事な人からもらったんじゃないのか? それに見たところ、あんたはかなりの手練れだ。だのに、毒殺しようとした。直接血を見たくなかったのかも、って思ったんだ」
黒装束の男は顔をうつむけると、笑い漏らす。
もしかすると、大ハズレだったのかもしれない。こればかりは、根拠のないただの予想でしかないのだ。
「えっと、違ったか……?」
「いいや、そういうことではありませんよ。むしろ、その通りです。拙者は没落貴族の出自。そのため、このような仕事で家族の食い扶持を繋いでいた……」
「じゃあなんで笑ったんだよ」
「あなたの器が大きすぎるからですよ。これまで、何人も国の要人たちと顔を合わせてきたが、あなたほどの器の大きい人を見たことがない。
そんなことまで見抜かれたら、あなたについていく以外の選択肢はなくなります。
……アルバ・ハーストン様。改めて、どうか拙者を配下に加えていただきたい」
黒装束の男はそう絞り出すかのように言うと、自ら顔を覆っていた布を取り払う。
その素顔は、殺人なんて似つかわしくないほど優しげなものだった。
彼はその後、片膝をついてこちらに頭を下げる。ぽたぽたと床には涙の粒が落ちているから、よほど感極まっているらしい。
そのしばらくののち、彼は持っていた紙になにやら書き記すと、刀で指先を切り印を押し、俺へと差し出す。
「拙者、名をコレバス・コレッリと申します。一度は死んでいた身。この身を賭して、忠義をお尽くしいたします」
「やめてくれよ。忠義とか、身を賭すとか、面倒だから。やることをやってくれればそれでいい。クロレルのところみたいにブラック労働させるのは嫌いなんだ」
「……そうでありますか。では。おおせの通りに」
「うん、よろしく頼むよコレバス。じゃあさっそく一つ目の任務だけど、さっきの作戦実行に移してくれるか? まずはクロレルシティに戻って、任務が難航していることを伝えるとともに状況をおしえてくれ」
「かしこまりました……! かならずやご期待に添えてみせましょう」
そう言い残すと、コレバスは荷物をまとめて、さっそく家の外へと去っていこうとする。
「少し休んでいってもいいと思うんだけど?」
「どうしても、すぐに動きたいんです。あなたのためになるのならば休んではいられません」
窓の外へと飛び出して行ってからは、かなりの速さだった。
風属性の魔法を使えることもあるのだろう。あの分なら、クロレルシティまでもそうはかかるまい。
まだ夜も深い時間帯だ。
平穏が帰ってきた部屋には、しんと静かな空気が流れる。
無事に危機は回避できたのだ。とりあえず今日はめちゃくちゃ寝よう、うん。果報を寝て待とう。
そう考えていた俺に、セレーナが思い出したようにメリリへと尋ねる。
「そういえば、どうしてメリリがこの家にいたのかしら。それも、アルバのベッドの上に」
「……えっと、そ、それは……! あたしは、その……アルバ様と今夜こそ愛の契りをかわそうと……!!」
「今夜? 過去にもあったの? どういうことか詳しく聞かせてもらえる?」
これぞ一難去ってまた一難だ。
セレーナの誤解をとくのにしばらくかかったため、結局眠りにつくことができたのは明け方ごろになってからのことであった。
クロレルの手先であったコレバスを味方へと引き入れて数日――。
その効果はさっそく現れていた。
クロレルシティ在住者だという数人が、さっそくトルビス村にやってきたのだ。
聞けば、住人を募集しているという噂を聞いて、移住できる環境かどうか下見に来たらしい。
聞いた限り、いろいろな職種の方が混じっていた。一応、荷物検査だけさせてもらってから村の中へと招き入れる。
「……噂に聞いていた話では、もっとゴミであふれて寂れた場所だということでしたが。思いのほか、活気があるのですね」
「そうでしょう? 捨てられているゴミもだんだんと整理を開始していますし、俺がここの領主になってからはゴミが捨てられることもなくなりましたから。
どうです、家もかなり整備したんです。住むには十分そうでしょう?」
俺は彼らに対して、村の案内を行う。
まず見てもらったのは、住環境だ。
移民を受け入れるにあたって必要だろうと、一般的な構造の家を建てて用意していた。
いいところばかりを見せても仕方がないので、村のある家々と同じ造りの簡素なものだ。
街にある見た目に美しいものではないが、住空間には自信があった。
「……リビングに、寝室。それに仕事部屋や炊事場……。どれも、街で暮らしていた頃と大差ない……。それどころか必要な物は、なんでもあるのですね……」
「はい、そこは一通り取り揃えています。共用ですが、シャワーやトイレも完備していますよ」
「な、なんと。街も外に出ればそんな設備はまったくないものとばかり……!」
まずは、かなりの好感触。つかみは上々と言えた。
となれば、畳みかけるほかない。
続いて俺が移住希望者を連れて向かったのは、例の工場だ。
といって、作業を見せるだけでは味気ない。俺は、部品を分解したものから作った魔導具の一部をそこに展示していた。
一人の男が手にしたのは、魔石からの力を利用することでゴミなどを吸引する掃除用品だ。
「見た目は、あまりよくないな……」
まぁね? もともとは部品の寄せ集めに過ぎない。
しかし、起動させるや否やその反応が変わった。少し近づけるだけで、埃などをあっと言う間に吸い取ってしまったのだ。
「すごい、これは商品化できるくらいの吸引力です。いや、既存製品以上の出来だ。これが代用品……。というか、捨てられたゴミからできたって本当ですか」
「えぇ、まぎれもない事実ですよ。一部の魔導具は、ここで組み立ても行っています」
「おぉ、それはいい! ここに移ったら、外へ向けた商売をするのも面白いかもしれませんね」
他にもいくつかの魔導具を紹介して、工場をあとにする。
その時にはもう、彼らの気持ちが移住に傾いていることは見えていた。
となれば、あと一押し……なのだけど、俺がそこで彼らを連れていったのは開墾したばかりでまだなにも植わっていない畑だ。
今は住人らにお願いして、土にたい肥を混ぜるなどの作業をしてもらっている。
「……ここは」
これには移住希望者らに、戸惑いの表情が浮かぶ。
想定済みのことだった。
都会で生きてきた彼らにとってみれば、泥臭い畑作業自体がそもそも見慣れない光景だろう。
だが、いいところばかり見せていざ移住してみたら思っていた生活と違った、というのではお互いによくない。
ならば、発展途上であるという現状をその目で見てもらおうと思ったのだ。
俺は努めて声を落として、語り始める。
「この村はまだまだこれから。発展の途上にあります。畑の面積は少なく、育てるノウハウも多くないうえ、周りには魔物の脅威もある。道の整備だって完ぺきではないし、医療施設が整い切っているわけでもない……。
だからこそ、みなさんの力を貸してほしいんです。あの街にいて、虐げられて家に籠るくらいならば、俺たちと一緒にこの村を盛り立ててほしい。下民だとか良民だとか、そういうのは、ここでは通用しない。みな平等に力になってほしいんです」
脅しではなく、すべて嘘偽りのない本音だ。
これで移住をやめると言うならば、それはそれだ。
興味本位で話だけ聞きに来たような人や、クロレルシティより快適に暮らせるからという目的だけで、ここへ来てもらっても困る。
この村に、それを受け入れるだけの余裕はない。
……そもそも俺の負担を軽減するため、って言う個人的な目的もあるしね。
果たして、どう受け取られただろうか。俺は息を呑んで彼らの反応を窺う。
「……私はここに住むよ。もうあの街にいて、ただ怯える生活はしたくない」
「俺もそうする。なんだか情けなく思えてきたよ、これまでの自分が。良民だとか下民だとか、関係ねぇよな。
この村の人は、こんなに頑張ってるんだ」
「あぁ分かるよ、その気持ち。わしも、この村の力になりたい……!」
そう言うと彼らの一部は自ら進んで、脇に立てかけていた鍬を手にすると、畑の中へと入っていく。
村人らと少し言葉を交わすと、おのずと作業を始めていく。
俺がクロレルとして統治していた時の住人と同じだ。
彼らは、何も変わっていない。
クロレルシティは崩壊へと向かい、街から活気が消えても、住人らの内側にはまだこれだけの情熱が残っている。
もともとあの街が発展した一番の原動力は、彼ら住民の力なのだ。
「ではお待ちしていますよ、みなさん。ご家族さまが暮らせる環境も整備する予定ですから安心して、お越しください」
彼らの帰り際、俺は一人一人と握手を交わす。
全員が充実をした表情で移住を約束してくれたのだから、間違いなく人手が増えてくれそうだった。
コレバスがもたらしてくれたのは、むろん人手の増加だけではない。
クロレル側も、まさか自分の差し向けた仕事人が逆に諜報に利用されているとは考えもしなかったようだ。
彼の置かれている状況が、次々と伝えられる。
今日もコレバスが俺の家へと報告に訪れていた。
わざわざ身に着けていた武器の全てを外して、片膝をつく。たっぷり5秒以上、その姿勢で頭を下げるのだから律儀すぎる。
なんだかとんでもなく偉い人間になった気分にさせられた。根からお嬢様であるセレーナは気にしていないようだったが、俺には落ち着かない。
「お時間をいただき恐縮です。アルバ様、セレーナ様」
「……いや、固いって。そこまでしなくていいんだよ」
俺は柔和に笑って促すのだけど、彼はあくまで姿勢を変えない。
そのまま、状況報告を始める。
「まずは、街の状況についてです。クロレルの失政の数々に愛想を尽かした住民たちの一部が暴動に出ていましたが、ほぼ鎮静化されました。
これまでは衛兵団を維持する金もなく対処に苦労していたようですが、どこからか人を集めてきたようですね」
「どこからか……。どうやって人を集めたかが問題だな。あの街に、それだけの人数を雇えるお金はないだろうし」
俺は疑問をそのまま口にする。
「さすがはアルバ様だ。お察しが早い……!」
それだけで、目を輝かせるのだからおかしい。
ちょっと過大評価されすぎてない? と思う俺をよそに彼は恍惚とした表情で話を続ける。
「どうやら、バックに妙な連中がついたようです。その連中がクロレルを動かしているとみて、ほぼ間違いありません。
はじめに拙者が雇われたのも、その集団からの入れ知恵だったようです。調べてはみたのですが、とんと素性のしれない団体で……。
その目的まではまだ見つけられておりません」
呆れたとしか言えない転がり落ち方だ。
優秀な人材を軒並み解雇した代わりが、わけのわからない集団で、その傀儡人形になるいというのだから救いがない。
「それとアルバ様の暗殺計画についてですが、「準備を整えている段階だ」という虚偽の報告を続けていたところ、こたび正式に取りやめることになったようです」
「……やけに諦めが早いわね。執着心の強いクロレルらしくもない」
「セレーナ様もそう思われますか。どうやら状況が変わったようなのです」
その作戦内容についても、コレバスは教えてくれる。
それはまったく寝耳に水の話で、俺は椅子から崩れ落ちそうになった。
そうくるか、と思った。
クロレルのことは考慮に入れていたけれど、そちら側のことはすっかり頭から抜け落ちていた。
「親父が俺たち兄弟を近々、ハーストンシティに招集する……だって? なんだってそんなことを」
「まぁ想像できたことね。過ちを犯したとはいえ、それ以降は安定的に村を統治していて悪い噂も立たなくなったアルバ。一方で、支離滅裂な政治で街の秩序を壊したクロレル……。
強いてどちらを次の領主にしたいかと考えたら……」
セレーナがそこで言いよどんだことで、俺の背中にはぞっと寒気が走る。
その先は、もう聞きたくなかった。
てっきり完全にそのコースからは外れたと思ってまったく考えていなかっただけに、今突き付けられたら受け入れられる気がしない。
が、そこはセレーナだ。はっきりと言い切る。
「あなたを次期領主にする方向で考え直すのかも」
……あぁ、神よ。見放したもうたか。
いや、そもそもろくに信じちゃいないが、さすがにこれは呪われている気さえしてきた。
魂の抜けた俺が空笑いを続けていると、隣からセレーナが頭をよしよしと撫でてくれる。それでも、簡単には立ち直れない。
「奴らは、その場で逆転するシナリオを考えているのでしょう。そこから先は極秘情報として厳重に扱われ、触れることができませんでした」
「……あぁ、そう。いろいろありがとうね」
「いえ、お褒めにあずかるほどのことではありません。拙者の任務ゆえ。それにしても、ハーストン辺境伯は見る目があられますね。拙者の目から見ても、どちらがその器にふさわしいかは明白!」
俺が評価されていることを嬉しそうに語るコレバス。
そんな彼に対して、俺はもはや生気の抜けた返事しかできなくなる。
「ご苦労様だったわね。次は、ハーストンシティの状況調査をしてもらえる? もちろん休んでからでいいわ」
「かしこまりました」
セレーナが代わりに次の指令を出すことで、コレバスはさっそく動き出す。
一方の俺はといえば、まだうなだれていた。
活力のすべてをもっていかれた気分だ。
「もうアルバったら。私だって、あなたの方がよっぽどクロレルより次期領主にふさわしいと思っているわよ」
「それ、慰めにならないからな?」
「そのつもりはないわ。ただ感想を述べただけだもの。私は、あなたの目標を応援してるわ。でも同時にあなたが評価されるのも嬉しいの」
彼女はなおも慈しむように俺の頭を撫で続ける。
その言葉と温もりのおかげで、一応は正気を取り戻すことができたのであった。
迎えの馬車に揺られながら、俺は窓の外に目をやった。
夏も盛りに近づく季節だ。
道の脇にある雑木林では青々とした草木がまるで競争でもするかのように勢いよく生い茂っており、虫たちの鳴き声もわんさかと聞こえてくる。
上を見上げてみれば、透き通るような快晴だった。
深呼吸をするとまるで自分の中にたまった膿がすべて洗い出されるかのよう――……なんてことはなかった。
いくら自然の雄大さに思いを馳せても、逃れられない現実がそこには横たわっている。
俺は改めて手に握っていた招集通知を読み返す。
「『アルバ・ハーストン、月末にハーストンシティに来たるべし。今一度、次期ハーストン家当主に兄弟どちらがふさわしいか、総合的な判断を行うための場を設ける』……って、はぁ。これまじ? 逃げ出すなとか、もう来るなとか言ってたのに?」
「何回読み直しても内容は変わらないわよ。もう出発しているんだから」
横からセレーナに入れられた冷静な指摘は、至極もっともだ。
そんなことは分かったうえで、もしかしたら解釈間違いだったりしないかなぁ……と期待してしまっただけのことである。
「というか、セレーナは動じないんだな。呼びだされたのは、セレーナも一緒だろ?
婚約者であるクロレルの元を離れて、俺のところにいたことが情報として父に漏れてるんだ。たぶんクロレルが漏らしたんだろうな。
それを考えたら、裏切りだとか婚約違反だとか、難癖つけられる可能性もあるだろ」
「そうね。でも、大丈夫よ」
「……また根拠のない勘か?」:
「今回は違うわ。そうなったときは、潔く婚約破棄するまでよ。別に立場なんて私いらないもの。その時は拾ってくれる?」
つ、強い……! 俺なんかよりよっぽど肝が据わっている。
はっきりと言い切れるセレーナには、感嘆せざるをえない。
投げかけられた憂いを帯びた視線にどきりとしつつも、俺はこくりと頷く。
「ありがと、アルバ。好きよ、そういうところ」
「……なっ」
なんてやっていると、そこへ手が割り入ってきた。
「はいはいそこまでですよ!! なに二人きりみたいな雰囲気出してるんですか!! メリリもいますよ。それと、あたしはアルバ様のダメなところも全部受け入れられますよ!」
「あら。じゃあ、私も含めて受け入れることね。アルバの一部のようなものよ」
「な、なにを~~!? それを言うなら、10の頃からずっとアルバ様とともにあるあたしのほうがよっぽど……! というかもはや一心同体、みたいな?」
馬車の内部が一挙に騒がしくなる。
こうしていると、何気ない日常にいるのと変わらない。
だがその一歩ごとに俺は、運命の裁きが待つハーストンシティへと近づいているのだ。
俺は、懐に忍ばせていたもう一枚の便箋に手をやった。
そこに書かれているのは、コレバスからの追加報告である。
彼によると、どうやらクロレルはハーストンシティにて俺に決闘を挑む算段らしい。
「普通に公開決議だけで決めるなら、失政を繰り返したクロレルの方が不利になるかもしれない。だから決闘を有観客の中で大々的に行い、その結果をあたかも次期領主争いの結果かのように置き換える……。なかなか考えたものだな」
厄介な連中がバックについたものだ。
こんな作戦は、クロレル一人じゃまず考えつかないだろう。
だが、これは俺にとっても好機とも考えられた。
この決闘でクロレルに花を持たせて勝たせてやれば、俺が次期領主の座につかされることもない……!
俺の目標は、あくまで悠々自適なスローライフただ一つだ。
そのためにもクロレルには、領主としての教育プログラムでも受けてぜひ更生を果たしていただきたい。
「なぁ。どうやったら自然と負けられるかな」
「ふふ、相変わらずそんなことばっかり考えてるのね、あなたときたら」
「次期領主になる気満々の方が格好良く見えるか?」
「いえ。なにか変なものでも食べたのかと疑うわ」
「そうですね。アルバ様、昔からなにか考えてると思ったらサボりのことばっかりでしたし」
馬車は進む。
どんな未来へ向かってかは、今のところ分からないが、きっとうまくいく。なるようになるはずだ。
彼女たちが隣にいてくれるなら。