「違いますよ、失敬な。アルバぼっちゃまが遠い遠いところまで飛ばされたことは噂で聞いていました。当然、すぐにでも行きたかった。十年以上も一緒にいたんです。ぼっちゃまは、あたしの生きがいだった。
でも、あたしは着の身着のまま屋敷から逃げ出したので、無一文だったんです」
「……じゃあもしかして、旅費を稼ぐために?」
「そのとーりです! だから仮小屋を建てて、ひっそりと営業していました。身元が割れたら、クロレルに処罰されるかもしれませんので、顔も見せずに営業していました」
「そんなことしてたら客は入らないでしょ」
「まぁそうですね、正直苦しかったですよ。それに、『特別警ら隊』はあたしのことも追ってる。まぁ、メイクとか変装は得意なんで今までバレたことはないんですけど、念には念を入れていました。こんなところで捕まって、ぼっちゃまのところに行けなくなるのは絶対避けたかったですから」
メリリは喉を詰めた声でそこまで言うと、カウンターのうえ拳をぎゅっと握る。
よく見れば、この店だけではない。
彼女の着ている服もエプロンも少し古っぽい。
もともとはおしゃれ好きで、頻繁に髪型を変えたり化粧をたしなんだりしていた彼女が、今や髪までぼさっと乱れている。
彼女が現在進行形で味わっているだろう苦労が、全身に見て取れた。
「でも、よかった。我慢してよかったです。想定していた形じゃないですけど、ぼっちゃまに会えました……!」
メリリは気丈に笑ってみせる。だが、そのすぐあとには涙がしたたり落ちる。
「あれ、嬉しいんですけどね。どうしてだろ……」
俺とセレーナは顔を見合わせたあと、彼女がとめどなく涙を流すのを見守る。
「料理人、見つかったわね。連れて帰りましょ」
俺がなにか言い出すより先、セレーナが言った。
「さっきまで、あんなにいがみ合ってたのに、いいのか」
「いいもなにも、あなたもそのつもりだったでしょ。顔に書いてあるわよ」
たしかに、図星だった。
思いがけず先回りされて虚をつかれた。
「それに、ここまで聞いておいて放ってはいけないわ。私は悪魔じゃないの。それに、これでマドレーヌも食べ放題になるしね」
わざわざ茶化して空気を穏やかにまでしてくれるのだから、さすがの器量だ。
本当に、彼女が一緒でよかったと改めて思う。
俺はセレーナに礼を言うと、今度はメリリの方へと目をやった。
「あのさ、よかったら俺たちと――」
セレーナの了承も得たことだ。
正式に、トルビス村にこないか尋ねようとしたのだが……
彼女はまだ服の袖に目元を押し当てていたので、そこで俺は言い止どまる。
「行きます、当たり前ですよ。ぼっちゃまに誘われて、断るメイドはいません」
そして、セレーナに続いてまた先回りされた。
というか、顔を上げたメリリの顔には涙の一粒さえ浮かんでいない。けろっと、満面の笑みだけが浮かんでいる。
「……いつからウソ泣きしてたんだよ!」
「それは秘密です♪」
とまぁそういうわけで、メリリも加わり俺たちは三人になった。
彼女に尋ねながら調味料類の買い足しを行うと、人目を気にしながら、侵入してきた壁の前まで帰ってくる。
「あぁ、ずるいですよ。セレーナ嬢。あたしが前でお姫様だっこされたかった!」
「……公正にじゃんけんで決めた結果でしょ」
「そうですけど、背中もいいんですけど、18の乙女としてはお姫様抱っこはあこがれてたんです~」
前にはセレーナを抱え、後ろにはメリリを背負う。しかも二人は食料や道具類など、大荷物まで持っている。
あまり人目につきたくなかったし、何往復もするのは面倒だ。
一回で済ませようと俺が横着した結果、こうなってしまった。手も足もかなりの重量が乗っかっている。
「ちょっと静かにしててくれよ、二人とも。ばれたら困るし、集中したいんだ」
重しをつけられているようなものだ。
魔力の質を高めなければ、この壁は超えられない。
俺は目を閉じて、肺から空気をすべて吐き出した。
魔力は心技体のすべてが揃ったとき、最大量を生み出すことができるとともに、その質が高まる。
だが正直、身体の疲れはほぼ限界に近かった。
その分は他で補うしかない。
俺は極度まで意識を集中させると、『高跳躍』を使う。
そうして無事に、壁の頂上まで上ることに成功していた。
「……今、アルバぼっちゃま跳んだ!? てっきり紐でもあるのかと思いましたよ!」
「そういえば、メリリにも秘密にしてたっけ」
「なにをです? あたしに秘密なんて」
「俺、実は魔法使えるんだよ」
えぇぇぇぇ!!!! という声を聴きながら、今度は壁の外、林の中へと着地する。
「死ぬかと思いました……、いや、いいんですけど。ぼっちゃまの背中で死ねるなら本望ですけど……!」
メリリは早口でつぶやき、まるで動物が木に登るときみたく俺に貼りつくが、大げさすぎる。
「早く降りてくれよ……」
彼女をどうにか引きはがした俺は、着地の際にできた足跡を消すため、土をならす。
その後はダイさんの住む小屋へと向かい、預けていたブリリオを引渡してもらいにいった。
そこで、彼らが林を駆けまわって遊んでいたときは驚いた。
いつのまにか、かなり懐いたらしい。
「もう、ダイさんもスカウトしたらどうかしら。しつけ役兼大工として」
セレーナの案は俺も名案だと思ったのだが、ダイさんはそれを固辞する。
「悪いな、アルバさん。俺は一応まだ雇われの身なんだ。クロレルに恩義も忠義もないが、俺が投げ出せば他の大工も苦しむ。すまない」
こうまで言われてしまっては、それ以上の説得はできなかった。
責任感の強いダイさんらしい。
「だが、いつかは必ずアルバ殿に力を貸そう」
「……ありがとう、ダイさん」
そんなわけで、未来の約束を交わしたのち彼に別れを告げた俺たちは、ブリリオに乗って三人で村まで引き返す。
すぐにでも眠るつもりだったのだけど、
「速い、すごい! 行けぇ、ブリリオちゃん~! うぉぉ、世界のどこかにいるお母さん!! メリリ、今、風になってるよ~!!」
なんて後ろでメリリがエキサイトしてしまってはそれもできない。
ほんと、どこから湧き出てくるのその活力。
もしかして俺たちから魔力でも吸い取ってる? 気のせいか、めちゃくちゃ疲れてくるんだが?
身体は重いが、目をつむっても寝られない。
瞼の裏側に浮かんでくるのは、ついさきほどまで見てきたクロレルシティの酷いありようだ。
「それにしても、クロレルときたら、めちゃくちゃやるよな」
「……ちょうど私もそれについて考えていたところよ。あんなのを統治とは言わない。遊ばれてるのよ、街全体がおもちゃにされてる」
まさかここまでとは考えてもみなかった。
俺が険しく眉間にしわを寄せていたら、セレーナが言う。
「兄のやったことだからって、あなたが責任を感じることではないわよ。アルバ」
たしかに、表面だけを見ればそうだ。
罪を着せられ辺境地へと流された俺に、あの街のことを心配したってどうしようもない。
俺はできるだけのことをしたが、あのクロレルがその予想を上回って無能かつ自分本位だっただけのことだ。
だが、俺は知っている。
三か月間だけとはいえ、彼らの生活を間近で見てきたのだ。
罪なき民がされたい放題に虐げられているのをただで見過ごすことはできない。それくらいの良心は持ち合わせている。
なおも顔をしかめていたら、前に座っていたセレーナがこちらを振り返っていた。
「あなたって、ほんと。結局優しいんだから。自分のことばかり気にしてるみたいに振る舞うけど結局誰かのことを考えてる」
「……余計なこと言わなくていいんだよ」
「ふふ、そうね。でも、抱えすぎはよくないわよ。だって考えても見て。村は村で課題山積よ。人が統治している街のことを考える余裕あるの?」
……そうだった。
あぁ、やること多すぎん? ほんと余計な仕事を増やしてくれるものだ、バカ兄め。
俺は頭を整理するため、ふーっと息を吐く。
が、思う様にはいかなかった。
結局どちらも諦めたくはない。
俺が理想とするスローライフは、その陰で誰かが苦しんで代償を負わされるようなものではないのだ。
そんなことになったら、素直に楽しめないしね。
「ぼっちゃま、見てください、あたし! やっぱり風になってる! あははっ」
……あぁ、メリリくらいなにも考えずに生きられたら楽だったのだけれど。
ブリリオの背で立ちあがって、手を広げる暴挙に出るメイドを見て俺は遠い目になる。
が、彼女を見ていて思いついた。
「そうか……。別にあの街自体を救わなくてもいいのか」
「なにを言ってるのよ、アルバ」
「思いついたんだよ、同時にうまくやる方法。
トルビス村はまだまだ発展途上、これから片付けと開発を進めていくにはかなりの人手が必要だろ? 逆にクロレルシティは、あの状況だ。失業者だって多い。なら、うちに来てもいいっていう人たちがいれば、誘致すればいいんだよ。
今メリリが料理人として、トルビスに向かっているみたいに」
そうすれば、人手不足は解消するし、街の失業者たちを救うことにもなる。
まさに一石二鳥だ。
「……たしかに、いいわね、それ。トルビス村の周りは自然環境も豊かだし、村の周りを含めれば開発しがいのある土地だもの」
「だろ? なにも、それを今いる人たちだけでやる必要はないよ」
もちろん、こんな話を持ち掛けたところで応じない人の方が多いだろうとは思う。
なにせ街の中に入れる人間は『良民』で、それ以外は『下民』と見られている。その差別意識は根強い。
だが、そんな下らない選民意識を捨てて、トルビス村に来たいと思ってくれる人たちならば、きっといい人材になる。ともに暮らしていけるよき隣人になる。
「やりましょうか、それ。私だって、あの街の人々を放っておきたかったわけじゃないもの。それで、具体的にどうやって勧誘するの。
私たちが表立ってやるわけにはいかないし、そんな勧誘行為をすれば特別警ら隊も狙ってくるわよ」
「…………それは、だな。うん、これから考える」
希望の光は見えた。
名付けるならば、大移住誘致作戦!
俺はさっそくその方法を考えるのだが、難しいことに頭をひねったせいだろう。さっきまでは訪れる気配のなかった眠気が襲い来る。
こうなれば、どんな騒音でも関係ない。
『眠ったか、アルバ殿。よいことだ、よく休むがいい』
ブリリオのこんな声を聴きながら眠りに落ちたのだった。
――アルバたちがクロレルシティを極秘で訪問してから数日。
クロレルの悪政により崩壊への一途をたどっていたクロレルシティでは、ついに暴動が起きていた。
そのわけは、『特別警ら隊』の崩壊にある。
アルバが氷漬けにした隊員らが見つかると、そのやられように恐れをなした隊員の一部が去っていったのだ。
そのうえ、情けない姿をさらしたこともあり、一部の住民はついにクロレルに対して反旗をひるがえしたのだ。
『圧政反対、理不尽な税金反対』。
そんなことを謳った旗が街中の各所で揺れる。
状況確認のため、街へと降りてきていたクロレルは間近で見たそれを、苛立ちから焼き払う。
しかし、きりがない。
すぐ近くに立っていた魔導灯を見ると、
『能無し領主を追い出せ! 署名を集めて、ハーストン辺境伯へ提出しよう!』
だなんて紙が貼られてあり、クロレルの怒りを助長する。
歯ぎしりをしながらそれを引きちぎって裏を見ると、
『次期領主は弟アルバ様の方がいいのかもしれないぞ、もはや』
『でも犯罪者なんだろ?』
『犯罪者の方がましってことだよ』
今度見つけたのはこんな書き込みだ。
冷静さを失い収まりのつかない感情に襲われた彼は、怒りの咆哮をあげて、その魔導灯に拳をたたきつけた。
「ふ、ふざけるなよ……!!! あのカスが、あそこまで落としてやったあのカスのどこがいいんだ!!!!」
それは、もっとも恐れていたことであった。
認めたくはなかったが、端的に言えばクロレルはアルバの存在が怖かったのだ。
もちろん無能と見下し続けてこそきたが、アルバもハーストン家の血を引く者で、家督を継ぐ資格はある。
そのため、絶対に万が一がないよう、わざわざ悪行を着せて追放までさせた。
ようやっと自分の地位が安泰になったところで、足元が揺らぎ始めたわけだ。
「なんで、こうも思い通りにいかない……!」
このまま街にいては、怒りが収まりそうにもなかった。
クロレルは、憤慨しながら屋敷の執務室へと引き返す。
そこに肩をすぼめて待っていたのは、一人の役人だ。
「クロレル様、再雇用のお声がけをしたバーズ様ですが……」
どうやら人事の報告のようだった。
さしものクロレルとて、この状況が相当にまずいことは肌で感じていた。
ならば、一時的にでも他人に頼って巻き返しをはかればいい。
そうすれば人望も戻り、権力もこの手に落ちてくる。
そう考えて、前にアルバが雇い、クロレルが追放した財務担当の役人・バーズを探してもらっていたのだ。
アルバの時とは比べ物にならない給料を提示したうえ、経済に関しては完全に任せるという特約もつけた。
これならば、間違いなく帰ってくる。
クロレルはそう確信していた。
「バーズ様はどうしても、戻りたくないと」
その見立てはしかし、甘すぎたらしい。
「なんだと? これだけの好条件を与えてやったのにもかかわらずか。お前、ちゃんと条件を伝えたんだろうな」
「は、はい……! しかし、もうクロレル様にお仕えすることはない、と断言されてしまいました」
それは当然の報いであった。
一度自分の私利私欲のため斬り捨てた人間だ。ちょっといい餌を垂らしたところで、戻ってきやしない。
考えればわかるような話だったが、頭に血ののぼったクロレルにはそれができなかった。
まったく思い通りにはならない展開に、クロレルは再び苛立つ。
その矛先が向いたのは、窓の外だ。
「だいたい、てめえらがろくに税金を収めないのが悪いんだろうが。だから税金上げてんだぞ、この愚民どもが!!」
お門違いも甚だしい。
圧政により経済が回らなくなれば、税収も減る。
その中で税収を維持しようと思えば、さらに搾り取るしかなくなり、それでも足りなければ街として借金をするほかない。
そして、今度はその返済にお金がかかる。
その悪循環の内側で経済はどんどんと委縮し、金銭的に余裕のある人々はとっくに街を出て行ってしまった。
そうして入ってくるお金が少なくなれば、まともな施作も打てなくなる。
そんな中、クロレルの肝煎りで再開した賭場の工事も、業者による中抜きや不正などにより資金が足りなくなって、中止に追い込まれかかっていた。
この最悪の状況を生んだのは、民ではない。間違いなく、クロレルのめちゃくちゃな政策のせいである。
もう、どうにもならないところまで来ていた。今のクロレルシティは、沈むのを待つだけの泥船状態だ。
剣を抜いて窓を割るなど、荒れ狂うクロレル。
そこへ、扉の外から新たな訪問者があった。
「クロレル様、そう苛立たなくてもよいですよぉ」
にこにこと笑う背丈の低いその男は、クロレルにそう投げかける。
彼は、人手不足から新たに雇った役人の一人だった。
常に笑みをたたえているのが、不気味な男だ。彼はゆっくりと唇を弾いて喋る。
「あなた様が不安になるのは分かります」
「お前ごときになにがわかるのだ、下っ端」
「あなたは、弟のアルバに家督が与えられることを心配しているのでしょう? この街がどうなるかより、それを危惧している」
「……それがどうした」
「だったら、僕らにいい策がありますよ。伸るか反るかはあなた次第ですが」
訳の分からない連中による、都合のいい話だ。
普通は疑ってかかるべきで、その場で断るべきだろう。
そんなことは権力者ならば誰でもわかることだ。
「…………話を聞こうじゃないか」
だがクロレルは、その甘い響きに耳を傾けてしまった。
それくらいまで、彼は追い込まれていたのだ。
沈みゆく泥船にわざわざ乗り込むような連中に、ろくな奴がいないことも知らずに。
かくしてクロレルはさらに沈みゆくのだった。
クロレルシティを極秘訪問してから数日。
新たにメリリが仲間に加わったことにより俺たちの食事は、そりゃあもうかなり改善された。
「はーい、ぼっちゃま。……ついでに、セレーナ嬢。メリリがお給仕にあがりましたよ~」
朝からばっちりメイド服を着こんだメリリにより運ばれてきたのは、ベーグルサンドを中心としたセットメニューだった。
ベーグルの間に挟まれているのは、玉子やベーコン、レタスなどの野菜と、自家製だというサウザンドソースだ。
「パン生地もあたしの手ごねですから、ぼっちゃんが昔食べていたものと同じ味のはずです。たまごスープもご用意しましたよ。後入れクルトンで食感の変化もお楽しみください♡
それとセレーナ嬢にはご所望のマドレーヌも焼きましたよー、仕方なく」
俺とセレーナへの態度の差はもはや気にしないこととして。
ここまで手が込んだ朝ごはんにありつけるのは、ありがたい限りであった。
干した肉を焼いて、そのまま口にしてきた日々を考えればもはや泣けてくる。
俺たちが口々に「美味しい」と口にすると、彼女はにこにこと笑顔を浮かべて今度は紅茶を淹れてくれたり空いた皿を下げてくれるなど、せっせと働く。
「……さすがは元メイドね。まるでお屋敷の中に帰ってきたみたいよ」
「だな、分かるよその感覚」
ついつい全てを任せてしまっていた。
だが、今の俺は別にもう世話をされるような立場の人間ではない。それに、屋敷勤めのメイドみたく高い給金を払えるわけでもないのだ。
「えっと、なにか手伝おうか」
俺はこう申し出るのだが、彼女は首を横に振る。
「ぼっちゃまらしくないことを言いますね? 気を遣わないでくださいな。これがあたしのお仕事で、生きがいですから!」
どうやら元メイドとしての意地があるらしい。
心底楽しそうにてきぱきと仕事をこなし、作業が落ち着いたらお盆を胸に抱えて扉の脇で待機をする。
そこまでされれば、もうなにも言えない。
俺もセレーナも黙って食事を再開するのだけど……、どういうわけか、ちらちらと視線を感じる。
すまし顔で立っているのだが、たしかにもの言いたげな雰囲気が伝わってくるのだ。
「……メリリ、どうした?」
俺はスープをすくっていたスプーンを止めて尋ねる。
すると、彼女は途端にあわあわしはじめて、お盆を落とすのだから分かりやすい。
「うえっ、なんにもないですよ!? アルバぼっちゃまと二人で食事なんて妬ましいとか恨めしいとか羨ましいとか、あたしもぼっちゃまと食事したいとか、あーんってしてさしあげたいとか、そんなことはこれっぽっちも考えていません! メイドですので!!」
メリリは早口でここまで喋る間に、お盆を拾いなおしてその後ろに顔を隠す。
「忘れてくださいませ!!」
こうお茶を濁そうとするが、もう遅い。あまりに本音というか欲望が、駄々洩れだった。
なおも取り乱すメリリに対して、
「まるで一人寸劇ね」
セレーナの反応はこれだけだった。
あくまで優雅な朝を崩すつもりはないらしい。まるで本当にお屋敷の中にいるかのごとく、目を瞑りながら優雅に紅茶のカップを傾ける。
このあたりは、何者にも靡かない令嬢と呼ばれていただけのことはある。
一方の俺はといえば、ここまで本音を聞いてしまった以上そうもいかない。
「なぁセレーナ」
話を切り出そうと、声をかける。すると、怜悧な紫色の瞳が片方だけぱちりと開いた。
「……別にいいんじゃないかしら。アルバの前の席は譲れないけれど、三人で食べること自体はいいと思うわ」
どうやら先のセリフを読まれていたらしい。完全に先回りされてしまった。
これも、例の『勘』というやつなのだろうか。
虚をつかれつつも、俺はメリリの方へと目を向ける。
「あぁん、いいんですかセレーナ嬢!? さっきは色々言ってすいません、ご相伴にあずからせてくださいませ~!!!」
やっぱり彼女は色々と忙しい。
半分泣きながらそそくさと自分の皿を準備して、俺の横手に椅子を持ってくる。
どういうわけか、その距離は微妙に近かった。
少し遠ざけてみると、また近づいてくる。
「な、なんだよ」
「そりゃあこれですよ。遠いとやりにくいじゃないですか」
彼女は頬を朱色に染めながら、スプーンでスープをすくった。
かと思えば、
「アルバぼっちゃま、あーん」
これだ。俺が身体をよじってそれを拒むと、彼女は不満げに頬を膨らませる。
「なんでですか~! 『あーん』もしていいって話じゃないんですか!?」
「そうとは言ってない!!」
「えぇ、言ってないわね。許可してない」
「いつから許可制なんですか!!?!? いいじゃないですかぁ!!」
食事だけではない、メリリが加わることで、これまでのセレーナとの静謐な朝が一変していた。
メリリのいる賑やかしい朝も、まぁ悪くはない。
そしてメリリが加わった効果は、なにも食に限ったことではなかった。
ハウスメイドだった彼女は掃除や洗濯にもたけており、あらゆる面で俺とセレーナにないものを持っていた。
せっかくの技術である。俺たちだけで独占していても、もったいない。
そこでメリリには空いた時間は、村で家事を担ってくれている方々へ指導をお願いすることとした。
「あ、違いますよ。服についた汚れはこすったらダメです。叩きましょう、とんとんと!」
「えっと、メリリさん。もう一度お願いします」
「だから、とんとんです」
……だいぶ感覚的な気もするが、少なくとも和気あいあいとして雰囲気はいい。
彼女の明るい声に導かれるようにして、村全体が活気づいているようにも感じた。
集会所を覗けば、セレーナは今日も鑑定にいそしんでいる。
最近では、たとえば農具などの簡単に作れるものの製造も始めたため、こちらの活気も上々だ。
そんな中、俺が一人向かったのは村の外れにある雑木林だ。
やりたいことは決まっていたし、場所も前々から見繕ってきた。
俺はまずその中へと入り、一部の場所に魔力伝導機能のある杭を打つ。これは、そこへ魔力を流せば、他の杭も反応して結界を作れる代物だ。
この間、クロレルシティで仕入れてきていた。
「全てをさらう風よ、無に帰せ。滅風旋回!」
準備が整ったのち、俺は風属性魔法を発動する。
しばらくすると、杭で囲んだ範囲にのみ強い風が発生する。
やはり、だんだんと魔力量が増えている気がする。少し前まではここまでの威力は出せなかった。
もしかするとメリリがきたことで、栄養バランスの整った食事をとれていることもあるのかもしれない。
強い風に耐えながらも、俺は魔力を流し続ける。
一定時間ののちに確認すれば、そこは更地と化していた。脇を見れば、切った木々が積み重なっている。
「……おっと」
木々を無駄にしないための技の調整といい、範囲の広さといい、さすがに負荷が高かったらしい。俺はふらっとしかけるが、倒れこんでは行かない。
またセレーナが支えてくれていたのだ。
……というか、見れば村人が何人も見に来ている。かなりの轟音だったから、なにが起きたのか気になったのだろう。
セレーナは、抱え込むようにしていた俺の頭を軽くはたく。
「また無茶したわね、やりすぎよ」
「悪い。飯もよく食べたから、ちょっとはりきりすぎたな」
「……で。これ、まさか農地を増やすために?」
「さすがだな、セレーナは。だから前に、土の質を鑑定してもらったんだ。土砂が崩れないかの確認もお願いしただろ?」
だいぶ生活環境がましになってきたとはいえ、農地が整備されない限り、食料の供給が安定することはない。
そのためには農地を増やす必要があるが、山の中にぽつんとあるこの村では土地が足りない。
その時、目をつけたのがこの場所であった。
森の開発は、場合によっては洪水の原因になったりもする。無限に開発するわけにはいかないが、ある程度はよかろう。
「あとはここを耕してくれる人さえいれば、完璧なんだけどなぁ。全部俺がやるとか、まじで勘弁してほしいし。正直こんな大技毎日はできないぞ、というか無理。そんなの絶対嫌だ」
「そうね、よくないわね」
村人たちが、突然に増えた村の敷地に唖然としている中、俺とセレーナはここ数日で何度も考えてきた問いを再考する。
「ぼ、ぼっちゃま~~!!」
そこへ、メリリも遅れてやってきた。
小さな体と大きな胸をたゆませながら、息を切らして走ってくる。心配してくれたのかと思えば、彼女はこちらに掛けつけるなり、俺の頭をセレーナの方から自分の方へ、しかも胸へと引き寄せる。
俺を掻き抱いて言うには……
「ぼっちゃま、あたしの胸でよく休んでください♡ こっちのがずーっと柔らかいですよ」
というもの。
やっぱり、明らかにずれすぎだ。そして、村人の手前だったからかなり恥ずかしいったらなかった。顔に血が上ってくる。
「……あなた。そういう問題じゃないと思うのだけど?」
「そういう問題です。ぼっちゃまは、ここで大きくなられたんですから。ここで休むのが一番です♡」
いや、なってないよ? しかも、捉えようによってはよくない誤解を招く言い方だ。
あと、もうそれ以上は本当に恥ずかしいからやめてくれない!?
こうなったらば、しょうがない。
秘技として、俺はメリリの胸にあえて顔を強く押し付ける。
「あっ、ぼっちゃまったら♡」
そうして力強くホールドされていた腕と胸に隙間を作ったのち、下をくぐるようにして、どうにか逃れたのだった。
……しかし、まぁとんだ災難だった。
「メリリの奴、なんてことするんだ。あのあとセレーナにもじとっとした目で見られるし……」
その夜、俺はベッドに入り目を瞑ってこそいるが、眠れない。
隣のベッドで眠るセレーナの浅い寝息を聞きながら、いまだに残る恥ずかしさにもだえていた。
だが、これは今に始まったことではない。
思えば再会してからの彼女は、ずっと様子がおかしいのだ。
これまで彼女が俺に仕えてきた10年近くも今にして思えば大概だったとはいえ、ここまでになると行き過ぎている。
会わずにいた期間が彼女をそうさせたのだろうか。
俺がその理由を考えつつも、どうにか眠りにつこうと目を瞑っていたときのことだ。
ふと、毛布の内側に風が吹き込んでくるのを感じた。
窓は締めたはずだから、なにかがおかしい。
もしかしたら侵入者の可能性もある。
俺はベッドのすぐに毛布から頭を出しベッドの頭に置いたナイフを手繰り寄せるのだが、そこで見たのはその手足を目いっぱいベッドの端に張って、俺を覗きこむメリリの姿だった。
この家は、三人で暮らすには手狭だ。
メリリには、脇に作った別棟で生活してもらっていたから、窓を開けたのも侵入者も彼女だろう。
「……なっ」
下からのぞき込むというのは、まぁとんでもないアングルだった。
薄手の寝間着は子供っぽく犬のワッペンなんかが縫い付けられているのに、こぼれんばかりの胸が強調されるばかりかこぼれそうにすらなっている。
彼女の長い髪は俺の鼻先までかかって、いい香りをさせた。
驚きもあって、心臓はばくばくとなっていたが、今この状況でセレーナを起こしてしまったら、いよいよどう思われるか。
「なにをしてるんだ」
俺はなんとか声を押さえて尋ねる。
彼女はそれに、ふふと小さく笑い漏らしてから答える。
「ちょっとお邪魔しにきました。ぼっちゃまとお話がしたくて」
「……その姿勢で? 腕、震えてるけど?」
「じゃあ、ぼっちゃまが降ろしてください。そのまま抱きしめて、毛布の中にあたしを引き込んでくれれば、あたしはそれでいいんです」
「な、なにを言うんだよ」
「冗談じゃないですよ。あたしだって、あたしだって、色々と覚悟を決めてここに来たんです。だから、だから、今夜はあたしと――」
メリリはそこまで言ったところで、力尽きるように俺の上へと落ちてくる。
その重みでベッドが沈み込み、身体が密着する。そうなると、あらゆる部位の形が伝わってくるうえに、熱い体温が伝わってきた。
少し荒くなった生ぬるい息が顔に吹きかかるのが、こそばゆい。
そのうえ、耳たぶを優しく触られたりなんかすれば、危うく声が出かける。
「ふふ、可愛いぼっちゃま」
そのうえ耳元に口を寄せて、こんなことを言ってくるのだから、耐えるのが精一杯になる。
それをどう捉えたのか、メリリは今度、人差し指を俺の顔に這わせて、唇まで持ってくる。
そうして今度はゆっくりと唇を当てがおうとしてくるのだが……
「待った、どうしたんだよ本当に」
俺はそこで彼女を留めた。
本能とのぎりぎりのせめぎあいに、どうにか勝利したのだ。
なにより、キスやその先なんてものは、こんなふうにわけも分からずすることではない。
セレーナが起きていないことを確かめてから、ほっと息をつく。
俺の腰上に座ったまま俯くメリリの表情は、どうも少し浮かなかった。
そんな顔をされては、なにも理由がなくこんな暴挙ともいえる行為に及んだとは思えない。
俺は事情を聴くため、彼女を外へと連れ出した。
村の外れに作っていたベンチに腰掛けて横並びになる。
「だって、ぼっちゃまが悪いんですよ」
まずメリリは、こう切り出した。
うん、当然ながら訳が分からない。俺は自分を指さして、尋ねる。
「えっと、俺が……? なにかした覚えがないんだけど」
「……それ、本当に言ってます?」
「え、あぁ、本当だけど。悪い、なにをしたか教えてくれないか」
なにか勘違いされることでも言っただろうか。
それとも、セレーナとの関係が原因?
頭をめぐらせる俺に対して、メリリはここでうつむく。
夜の空気に溶かすような細い声で、言った。
「アルバぼっちゃまが、先にあたしを押し倒したんですよ? あたしは忘れもしません。まだ、ぼっちゃまの専属メイドとして働いていた頃。半年ほど前のことです」
かなり照れ臭かったらしく、彼女はそこまで言うと、膝を持ち上げ抱え込む。元から小さい彼女が今はより小さく見えた。
俺はといえば、逆に天を見上げるしかない。
冷静になろうと、夜空にため息を吐くとともに、心の中で叫ぶしかない。
クロレルの野郎、うちのメイド様になにしてくれてるんだ!!! と。
半年前といえば、まだ入れ替わっている最中だ。
クロレルの奴。
犯罪に手を染めたり、遊女と楽しむのみならず、こんなに身近な存在にまで手を出そうとしていたなんて。
あの屑ときたら、とんだ変態でもあるらしい。
入れ替わりが終わったあと、メリリを唐突に自分の屋敷に呼び寄せたことを考えても間違いない。
彼女の態度がおかしかった理由はこれに違いなかった。
メリリの立場になって考えれば、たしかに俺の行動は訳が分からないかもしれない。
押し倒しておきながら久々に再会したら、セレーナと一緒に住んでいて、かつ自分には元に戻ったように接してくるのだから。
「その時は、あんまり突然だったので断ったんです。そりゃ、ぼっちゃまのことは大好きですけど、ぼっちゃまとメイドがそういうの、よくないですし……」
とりあえず、結果的に既成事実ができていなかった点は不幸中の幸いだろうか。
「本当に覚えてないんですか、アルバぼっちゃま」
「えっと、あれはその……」
俺は返答に窮して、目線を上にやる。
だって、どう言い訳しようにも俺にその時の記憶はない。
クロレルとして、真面目に領地の改革を行っていた頃だ。
どういう場面で押し倒したのかが定かでないから、具体的な光景が浮かんでこないのだ。
だからと言って、正直に話すわけにもいかないし、言ったって普通は信じられない。どうしようもない言い訳にしか聞こえないだろう。
「……えっと、悪い。あれはなんというか、その」
「いいですよ、覚えていないなら」
メリリはそう言うと、ベンチから勢いよく立ちあがる。ぐーっと伸びをして、俺の方へと向き直った。
「どうせ、あのことがあってもなくても、あたしはアルバぼっちゃまが大事なのは変わりません。どうせ、あなたを探しにこの村まで来ていた。だから、いいんです」
ありがたい助け船だった。
だが、それと同時に、気軽に乗っていいものかと躊躇もする。
メリリはこれまで数か月の間、俺とのことでずっと悩み続けてきたはずだ。
ここで彼女のこの言葉を素直に受け入れることは、その時間を無駄にしてしまうことにならないだろうか。
その心にできた傷をみて見ぬふりをすることにはならないだろうか。
言葉に詰まる俺に、彼女はいつものオーバーリアクション。拳を握りしめて、ベンチに足をついて宣言する。
「その代わり、覚悟してください。今度は、あたしの方からぼっちゃまを落としちゃいますから。今答えは聞きませんよ。とりあえず、明日から! ……あ。今、20後半にもなって必死すぎ笑えるわーって思いました!? 違いますよ!? あたし、18! 永遠ですよ、ぼっちゃまがお誕生日を迎えても18!」
こっちは真面目に考えていたのに、これだ。
もはや、つっこむ気力さえ起らなくなる。
だがもし、茶化すところまで含めて彼女の計算の上だとしたら。
若く見られたいメリリとしては不本意かもしれないが、年上の包容力や余裕を感じないでもなかった。