そうして話もまとまり、ブリリオに走ってもらうこと1時間ほど。
俺たちは、目的地であるクロレルシティのすぐ近くまでたどり着いていた。
ただし諸事情で、正門からの正面突破はできない。
まず門からほど近い道に、例の役人たちを打ち捨ててから(丁寧に、罪状を記した紙を張り付けておいた)、さらに脇へと回り込んでいく。
クロレルシティは、横に4キロ、縦に6キロとかなりの大きさを誇る街だ。
その分、外周を囲む壁も同じだけの長さがあって、その一部は森林を削るようにして築かれていた。
そこまでくれば、人気は皆無だ。深い森の中に小屋が一つあるのみである。
「こんな場所があったなんて知らなかったわ。結構脇に逸れたわね」
「普通来るような場所じゃないからなー」
「それで、どうしてこんな場所に?」
「あの小屋に俺の知り合いが住んでるんだ。信頼のおける人間だから、安心していいよ」
俺はセレーナとブリリオを案内し、その小屋を訪ねる。
朝方9時頃だ。まだ家にいる時間帯だろうと思っていたが、思った通りだ。中からは生活音が聞こえてくる。
戸を叩くとすぐに野太い声で返事があって、中からは目つきの悪い大男が出てきた。
なりだけ見れば、例の悪徳役人よりよっぽど悪い。
「誰じゃおめえら、こんな場所になんの用……って。おいおい、アルバさんじゃねぇか! どうしたよ、急に!」
だが、これが存外に気さくで心を許せる友人なのだ。
向けられる笑顔はどうも暑苦しい感じもするが、そこに邪気は一つもない。
建築業を生業としている、ダイさん。
過去にはハーストンシティで、お屋敷の改築を担当してくれていて、俺が15の頃に出会い、『有形創成』による構築魔法の参考にするため色々と聞いているうちに親しくなった。
腕利きであり、今もひっぱりだこの彼だ。
お金は稼いでいるはずなのだが、彼曰く「親の代からここに住んでいたから」という理由で、ハーストンシティの外で暮らしている。
「で。まじでどうしたんだ、アルバさん。べっぴんさんに加えて、大きな犬まで連れて。あんたたしか、魔力を持ってなかったことの腹いせにハーストンシティで暴れて、追放されたんだろ?」
「まぁそうなんですけど、今日はどうしても街に用事があるんです。だからこの子を今日数時間だけ預かってほしいんですが……」
「はは、構わんよ。作業場にスペースだけはあるからな。にしても大きな犬だなぁ」
「実は狼なんです。サントウルフのブリリオです」
俺は思い切って言ってしまう。
一瞬ぴくと眉が動いたが、
「はは、そりゃあいいや。幻の存在を味方につけるなんて、実にアルバさんらしいじゃないか。今日はよろしくな、ブリリオ」
と、さっそく受け入れてくれたうえ、ブリリオとも交流をはかる。
うん、こういう人なんだよね、ダイさん。
ほぼまったく細かいことは気にしない、その一方で義理堅い。
実際すぐに作業場へと案内してくれて、ブリリオのごはんとして鶏肉やキャベツ、リンゴまで用意してくれる。
『うむ、快適である。では、ここでしばらく待たせてもらう』
その好待遇に、ブリリオも機嫌よさげに見えた。
そうして預かってもらったあと、俺とセレーナは家の中へとあげてもらう。
「あなたは、アルバさんのお嫁さんか?」
席に着くなり、こう切り出すから少し困った。
少なくとも、彼女は立場上はまだ兄・クロレルのお嫁さんだ。
正直心は痛むが、こればかりは彼にも言えないトップシークレットである。
さて、どう答えるのだろう。うまくごまかしてくれよ……! そう思いながら待っていたら、
「そう、アルバの妻です。セリと呼んでください」
さすがは、セレーナ。しっかりと対処をしてくれた。
『妻』という言葉にどきりとしたのは、また別の話だ。
「いやぁ実にお似合いのカップルだな、お二人は」
ダイさんも、あっさりとそれを受け入れる。
おもてなしを受けつつ、しばらくは昔話に花が咲いた。
そしてその後、
「そういえば、街の中はひどいことになってるんだが知ってるか?」
話はクロレルシティの現状へと移った。
正直、気になっていた案件だ。俺が3か月間、必死にクロレルでも政治を執れるようお膳立てしたのである。
その成果がどうなっているかは、ずっと気にかかっていた。
場合によってその出来は、俺のスローライフにも関わってくる。奴が立派な後継者になってくれれば、俺にそのお鉢は回ってこない。
「クロレルの奴、またとんでもない政策を始めたんだ。せっかく、いい兆しが見えたと思っていたのによ」
「……そう、ですか。でも、かなり優秀な側近を雇ったと聞いていたんですが」
実際には俺が雇ったんだけど。
彼らがいれば、歯止めはきく。
そう思っていたのが甘かったようだ。
「いやそれが。自分から頭を下げて雇ったくせに3ヶ月で用無しだと追放したらしい。
追放された元役人が街で酔い潰れて愚痴っていたよ。聞きゃあ、意見しただけで殺されかけたみたいだ」
なんとも申し訳ない気持ちが生まれる。
彼らが意気揚々と、この街やひいては領土全体を変えようと取り組んでくれていたことを思うと、胸が痛い。
「あの野郎。街の財布を、自分のものだと思ってやがるんだ。また無駄な税金を取るし、使い込む。
極め付けは、今俺たちが着工させられている公営賭場や屋敷の改築だ。こんなのは、救護所の再建を取り止めてまでやることじゃねぇや」
想像のはるか上をいく無能っぷりだった。
セレーナも、元婚約者であるクロレルの失政の数々にはため息を漏らす。
俺は諦めと徒労感から言葉を失ってしまった。
あれだけなにもしなくても政治が回るように、勝手に評価が上がるようにお膳立てしてやったにも関わらず、これだ。
どうしても自分の思う通りに動かないと気が済まないらしい。
「ほんと、どうしようもないですね」
「まったくだ。おらぁ昔からあんたの方が次期領主になるべきだと思ってたんだがなぁ、アルバさんよ」
「なにを言ってるんですか。俺は俺でどうしょうもないですよ。なんなら犯罪者ですから」
「ハーストンシティで罪を犯して追放ってのは本当だったのか?」
「あぁ何の弁明もなく本当。まぎれもない事実だよ」
まぁそれもクロレルの仕業なんだけど、あえてそれを明かす必要もなかろう。
だというのに、
「はは、冗談だろ? アルバさんのことだ。自由になりたくて自ら嘘の罪でも被ったんじゃねぇか?」
核心とまではいかずとも、それに近いところを突かれるのだから驚いた。
これも親しき付き合いが生み出しうるものなのかもしれない。
「ご想像にお任せしますよ」
俺はこう言って、とりあえずその追及から逃れる。
最後にじっと目を射られこそしたが、彼はふっと口端を綻ばせた。
「そう言うなら、俺の考えたいように思っておくさ。いつか、あんたがトップに立つ日を待ってるぜ」
「いや、そんな日は来ないですから」
こうして、久しぶりの懇話は終わったのであった。
ダイさんに見送られ、俺たちが再び森の中へと出たのは昼頃であった。
その足で向かうは、正門からも西門からも遠い、壁の前だ。
高さ約30メートルほど。
それが街中を囲うように聳え立っているのだから、もはや要塞である。
「どうするつもりなの、アルバ。そうそう侵入なんてできないわよ、こんなの。
……って、分かっちゃったわ。もしかして、飛び越えて入るつもり?」
「え、そのつもりだけど?」
「…………やっぱりそうなのね、まぁアルバならできるかもしれないって思ったもの。でも、中から見られたりしないの? こんなところに上がったら目立つんじゃ」
「いいや、それなら大丈夫だよ。この街の警備隊たちは、この高すぎる壁を信用しきってる。壁の見張り兵なんて、一人もいないんだ」
それくらいのことは、このクロレルシティを統治していた時に把握済みだ。
試しに一度この壁を越えさせてもらったこともあるが、誰にも見られなかった。
「じゃあセレーナ、えっと、抱えさせてもらってもいいか?」
俺はセレーナに両手を開いて差し出す。
口に出してから、なんか恥ずかしくない、今の? と急に照れがのぼってきて顔が赤くなった。
セレーナがなにか答える前に引っ込めようかと思っていると、彼女は俺の方へと寄るとそこでくるりと反転する。
「じゃあお願いね」
そして、こう頭を胸に預けてきた。
さらには顔を上げて、下からのぞきこむ。
ここまで無防備に預けてもらって、勇気が出ないわけがない。
俺は態勢を低くすると、彼女の膝裏と背中を抱えて、いわゆるお姫様だっこ。
鼻をくすぐる甘い香りにどきりと胸を高鳴らせつつも、風魔法・『高跳躍』を発動した。
これは足に纏わせた魔力を、垂直方向に強く発することで、高跳びを可能にする魔法だ。
「高跳躍、ね。でも普通はどれだけ鍛え抜かれた人でも、せいぜい10メートルよね」
「まぁ、俺も20メートルぐらいが限界なんだけどな……っと」
俺は途中で壁にあったわずかな段差を蹴りあげ、そこからさらに上へと跳ねる。
そして、無事に壁の上に着地することができた。
「……いい景色ね。街が一望できる。あれが建築中の例の賭場かしら」
普通なら、この状況まずは怖がるところだけどね? 肝っ玉の座りようは、さすがの一言だ。
「うん。でも、景色を楽しむのはまた今度にしようか」
俺は次に、壁から飛び降りる。
ここでも使うのは、風属性魔法だ。足裏からの魔力をうまく扱いさえすれば……
「今、壁を歩いてるわね」
「あぁ、うん。変に音を立てないほうがばれないだろ」
こんな芸当もできる。
高さなら30メートルは相当だが、歩く距離としては短い。
最後は、真下にある廃墟のような路地裏に音を立てないようにゆっくり降り立てば、無事に潜入成功だ。
「まったく危なげなかったわね、ありがとアルバ」
セレーナが俺の腕の中から、こちらを見上げて言う。
そのパープルの瞳は、美しすぎた。近くで見ると宝石が砕いて散らされたかのよう。
彼女の熱が気づけば腕全体に伝わっていたこともあった。
ばくばくと跳ねる心臓に血を持っていかれたせいか、そこでくらりとする。
つまりなんというか。
一番危なかったのは、セレーナの色気だった。
街の中での目的は、食料を手に入れることと、『有形創成』にあたり必要となる材料を手に入れるため、という二つが主な物だった。
村人たちはこれまで、魔導具から得た部品などを遠方から来た商人などに売り、食料などに変えていたというが、まどろっこしい。
どうせ街に行くなら、一気に手に入れてこようと考えたのだ。
しかし、その元手となるべきお金はほとんど所持していない。
なぜなら、そんなものを持っていても現物でのやり取りしか行うことのできないトルビス村では意味がないからだ。
まずは手っ取り早く、お金を作るところから始めなければならない。
その点は、セレーナが準備をしてくれていた。
「これをくすねておいたのは大正解ね」
出店を催す、という形で。
彼女が得意げに掲げてみせるのは、出店権利書だ。
例の悪徳役人たちから頂戴してきたものである。もともと彼らは、薬草類の販売をなりわいの一部としていた。
街を訪れた際には、出店を開くこともあったのだろう。
この権利書を持っている人は誰でも、臨時店舗に空きがあれば一時的に店を設けることが許される。
身分確認は近くにいた人に代理をしてもらい、代わりにこれまた奴らからいただいた薬草を譲った。
出店するまでの方法は決して褒められたものではないが、門の検閲を受けずに壁を越えて侵入した時点で今さら気にすることはない。
むしろ、お金を手に入れるにはもってこいだ。
「それで、どんな店をやるんだ?」
「そうね。修繕屋兼鑑定所なんてどうかしら。あなたがものを直して、その裏では同時に魔導具やその人自身の鑑定も行う。これなら、私たちがベールをかぶってても不思議に思われない」
「なるほど、たしかにおかしくはないけど、近寄りがたくないか? 客0人で終わりたくはないな」
「その点は、一人来てもらえば解決するわよ。自信があるわ。あなたの腕も、私の腕も含めてね」
「……そういうことなら、最善を尽くすよ」
「ふふ、そうこなくちゃね」
二人、開店準備を進める。
近くで出店を開いていた人からは好奇の視線にさらされることとなったが、こういう時は意識しすぎないことが肝心だ。
妙に挙動不審になれば、逆に怪しまれる。
少しでもボロが出てしまえば、そこら中に張り巡らされた手配書の似顔絵から一発でばれかねないのだ。
堂々と営業するのがもっともいい。
『・修理一回 1000ウェル
・鑑定一回 1000ウェル
・セット 1500ウェル』
それを意識した結果、誰でも明確に値段の分かる価格表を掲示した。
ちなみに修理は安いところで2000ウェル、鑑定も同じくらいすることを考えれば破格の設定だ。
堂々と店を構えて待っていたら……
「あの、すまない。横の店のものなんだが、どうにも今日は魔導灯の調子が悪いんだ。
きた。
彼はそう言うと、魔道灯をカウンターに置く。
「なんだ、これくらいですか」
思わず、口走ってしまった。
捨てられるほどにはっきりと壊れたものばかりを見てきた俺にしてみれば、むしろ綺麗すぎるくらいに見える。
「これくらい、だと? そんなに簡単に直せるのか?」
「えぇ、問題ありませんよ。私に任せてください。すぐに取り掛かりますね。それと待ち時間はよろしければ、鑑定でも受けていきませんか?
物でも能力でも体調でも、見ることができますよ」
修理だけでなく、鑑定の売り込みも忘れてはいけない。
魔導灯を受け取りながら、提案する。
この二段構えで、より多くの利益を生めるようにするのが今回のコンセプトだ。
「しかし俺もお店が……」
「まぁまぁ、すぐ終わりますよ。鑑定士による査定がこの価格は特価ですし、セットなら大特価ですよ」
「そ、そういうことなら構わんが」
男性は迷いながらも、俺たちの思惑通り、セレーナに導かれて奥のテントの中へと入っていってくれる。
それを見届けてから、俺は後ろに設らえてあった作業台へと移った。
見たところ、どうも魔力の流れる線が切れていたらしい。
俺は修繕魔法を使い、それを元の状態へと戻す。
ボタンを押せば、無事にあかりが灯った。
あの盛大に壊れた魔除け柵を直したことを思えば、これくらいの破損は朝飯前だ。
一方テントの中、セレーナの鑑定はと言えば……
「この腕輪にそんなに価値があったなんて知らなかった……。親父の形見なんだ」
「魔法攻撃から身を守る仕組みもある魔導腕輪は貴重です。どうぞ、大切になされてください」
こちらも満足いただけたようであった。
頬を上気させて嬉しそうな顔をして出てきた彼に、俺は修繕した魔導灯を渡す。
彼は目を瞬いてそれをまじまじと見つめると、やがて興奮したように言う。
「え……。今のこの一瞬で、本当に直ってる……!? どうやって……」
「それくらい軽い破損だっただけですよ」
「それにしても、元より明かりが強くなる調整なんて出来ないだろ! 何者だ、あんた!?」
この質問が飛んでくることは、想像がついていた。
だから、返事も用意してある。
「ただの旅の修理屋ですよ」
少し恥ずかしかったが、うん。噛まずにナチュラルに言えた。
本当は、罪を着せられみんなに忌み嫌われる落ちぶれ貴族なんだけどね?
「だとしたら、すごい腕だ。
本当に助かった、いや助かりました! 今日の今日壊れたものだから、夜営業ができなくなって困っていたんです。
ただでさえ場所代にかかる税も厳しいですから……」
依頼主さんはそこで、はっと口をつぐむ。
辺りを見回したと思ったら、そそくさと代金を払って自分の屋台へと戻っていく。
ここにも、クロレルの悪政が影響を及ぼしていたようだ。
……街の経済が立ち直るまで、この屋台街の場所代は0にしたはずなんだけどなぁ。
だがお金を払わなければならないことがわかった以上は、しっかり稼ぐ必要もある。
それもこれも食料を買い込むため……! より質のいい藁を買ってベッドをグレードアップするため!
悲壮な決意で気を入れ直す俺だったが、見ればまた一人カウンターの前に並んでくれている。
そうなってからは、客足が途絶えなかった。
「たったそれだけの価格で直してくれるのなら、ぜひ! 鑑定もお願いしたい! 俺は貴族の端くれなんだが、どの程度魔法の才能があるか見てくれるか!?」
「うちもお願いします〜。ダンスの時にお気に入りのスカートが裂けちゃって。
凄腕の修理屋さんがいるって聞いて、家まで走って返って持ってきたんです!」
などなど。
要望は種だねあるが、すべてにきっちり応えていたら、やがて待ちの列はどんどんと伸びていく。
なんとかそれを捌ききると、カウンターに手をついて2人頭をもたげた。
かなり激しい労働だった。これは帰り道にブリリオの背中で寝ること間違いなしだ。
「みんな、もしかすると普通には修理屋に物を持ち込めないくらいお財布が厳しいのかもしれないわね。今回は、お安めの値段設定だったもの」
「……やっぱりクロレルの政策のせいか。ここも搾り取られる対象ってわけだな。そもそも低所得者向けの施策なのに。ひどいことするよ、まったく」
3ヶ月とはいえ、俺が統治していた街である。
今やなんの権力もないけれど、どうにか立て直しに貢献できないだろうか。
「そうだ、たとえばここの屋台を一新するとかっていうのはどうだろ――って、あれ」
思いつきを口にしたところで、違和感に気づいた。
どういうわけか周囲にざわめきが走っている。
「おいおい、まじかよ……、あいつ。近くに奴らがいるってのに、あんなにはっきりと……」
「ちょっとお前、やめとけって。お、俺は知らねぇからな!」
客足がどんどんと遠のく。屋台を営んでいた連中までもが店を放置して逃げ出してしまう。
そうして、人気がなくなっていく中心で俺はいまだに状況を掴めない。
「えっと、なにかあったのか? 俺か? もしかしてバレたか?」
セレーナに聞くが、彼女はこてんと首をひねった。
「さぁ? 気付かれるようなことはなかったと思うけど? でももしかすると、まずいこと言ったのかもしれないわね」
「そんなこと言った覚えはないんだけどな」
自らの発言を振り返ってみる。
やっぱり思い当たることがなくて眉間に皺を寄せていたところ、こちらに向かってくる集団があった。
彼らが横を通ると、逃げていた人々は一斉に道を開ける。その中をふんぞりかえって、睨みを効かせながら歩いてくるのだから、穏やかではない。
そして、その集団は俺たちの屋台の前で立ち止まる。
「そこの二人。これから身柄を拘束させてもらう。罪状くらいわかるな?」
「……いいや、分からないな。女心くらいわからない。俺たちがなにしたって言うんだよ。そもそも、お前たちにそんな権限があるのか?」
「けっ、私たちを知らねぇとは、よそものか? 運が悪いな、お前ら。まぁ知らないなら教えてやろう。私たちは『特別警ら隊』だよ」
耳慣れない名前だ。
少なくとも俺がクロレルと入れ替わっていた頃は、そんな部隊はなかった。
だが今の彼らは、大よく見れば肩口にハーストン家の家紋である六角形の紋が刺繍された羽織を着ている。
少なくとも、ハッタリや嘘ではないと見えた。
「……いったいなにが任務なんだ」
「簡単なことさ。万が一この街の治安を守るため、クロレル御大将の悪い噂をする者は処罰していい。その権限を与えられた直属部隊隊だよ」
彼らのリーダー格だろう男が高らかに宣言する。
その存在意義の非道っぷりに、俺は呆れるほかなかった。
私腹を肥やすため民から税金を巻きあげることはおろか、よもや批判をした人間を逮捕しようだなんて、その人間性はいっそ感心するくらいねじ曲がっているらしい。
つい、ため息が出た。
「なんだ、その態度は? 特別に見逃してやろうと思ったのに」
ただし、見逃してくれるというなら話は変わってくる。
俺たちが今やるべきはなによりも、身元がばれないようにすることだ。
「いやいや、さっきのため息はちょっと疲れただけですよ。俺たちはなにもクロレル様に仇なす気はありません」
俺はへらっと笑って頭をかく。そんな俺の芝居に、
「いいえ、あるわ。不満しかないわ」
横槍が入った。それも、身内から。
いやいやセレーナさん? 身元がばれたら一番困るのあなたですよ?
って、今さら言ってもしょうがないのだけれど。
いつもは冷静な判断をする彼女だが……
どうやら今回ばかりは、よほどクロレルへの怒りが収まらなかったらしい。まぁ気持ちはわかるけどね、うん。
「なんだと、女ぁ。もう一度だけ聞いてやろう。今、なんと言った?」
「不満があるといったのよ。馬鹿な政策を連発するクロレルにも、そんな奴に権力を与えられて粋がっているあなた方にもね」
「貴様ら、言わせておけば……!!!」
そうして言い合いは、どんどんとヒートアップしていった。
ぴりぴりと肌を打つ一触即発の空気の中、俺はどうしたものかと思案する。止めに入るべきか、いっそ戦ってしまうべきか。
「お前ら、バカなことを!! 有り金全部さしだすのならば見逃してやろうと思っていたというのに」
揺れる俺の決め手となったのは、連中のこの一言だ。
数時間とはいえ、食料や道具を仕入れるため必死に労働した対価(しかも寝不足だと言うのに!)である。
最初から金をとるつもりだったのならば、うん、もうやるしかない。
お金の恨みは、重いのだ。
「おい、お前たち! こいつらは俺たち『特別警ら隊』に盾突いたんだ。もうやっちまっていい。牢屋なんて生ぬるい場所じゃなく、地獄に送ってやるとしようぜ!」
リーダー格らしい男の号令で、赤い服を着た5人組はそれぞれ武器を抜いて俺たちの営んでいた屋台の周りを囲む。
俺は後ろの壁に背中をつけるとすぐにナイフを抜き、セレーナをかばうように腕を広げた。
「私が招いたことだもの。私もやるわよ」
が、彼女は守られてばかりいることをよしとするお姫様ではない。
護身用の短刀を抜いて、やる気は十分と見えた。
この連中をまとめて倒すこと自体は難しくなさそうだったが……彼女の気持ちを汲んでもやりたかった。
俺は両手でナイフを持つと、まっすぐに構える。
「そう言うなら、手伝いをお願いするよ」
「うん、任せて」
「おいお前ら。びびるな、どうせ二人じゃなにもできやしないんだ!! まずは女から崩せ!!」
特別警ら隊の連中は、ただのごろつきではないらしい。
弱点を突くためだろう、迷わずセレーナの首を狙ってくる。
……が、やはり致命的に遅い。誰が、とかではなく全員だ。
俺はそいつらの動きをよく見極め、ひと薙ぎでそれらをいっぺんに切り落とす。
込めたのは風魔法、ナイフの長さを『縮突』により伸ばし切れ味も上げた。
そうすれば、たとえ鉄でも簡単に砕ける。
彼らは己の得物が壊れたことにも気づかないままそれを振り下ろす。
「水よ、生命を与える水よ。その清き力でこの身を守れ。『守水陣|《しゅすいじん》』!」
そして棒切れになったそれが、セレーナの張った水の防御壁に簡単に阻まれた。
「な、なんだと、水属性の魔法!? まさか、お前たち貴族出身!? しかも、なんだ、どうして武器が……!!」
連中たちは茫然と、使い物にならなくなった己の得物を見つめる。そんななか、一人諦めていないのはリーダー格の男だった。
「ははっ、面白い! だが私とて貴族のはしくれ! 俺の土でお前の水くらい砕いてやるっ!!」
土属性魔法を纏わせた剣で放つのは、『土波動|《つちはどう》』。一点集中の勢いで、水の盾を貫こうとするが、そこは俺に秘策があった。
守水陣の横手へと俺は、風の魔力を加える。
「な、なんだと……!? 氷……!?」
これにより、互いの魔力が反応し、守水陣は凍り付いていた。
冷気となった魔力は、男の使った『土波動』を伝って、男の全身をも凍り付かせた。ここまで、ものの数秒の出来事だ。
「水と風の反応でできる氷魔法ね……。たしかほとんど同じ割合で魔力を混ぜないと不安定になるのよね」
「うん、だからセレーナに合わせたんだ」
「簡単に言うけどそれ、天才にしかできないことなんだけれど?」
「氷魔法の特性は『維持』。質の高い魔力で食らわせた以上、こいつの氷はそうそう溶けない。さて、と」
俺は、腰を抜かして崩れこんでいた他の隊員に目をやった。
氷の範囲はみるみるうちに広がり、彼らの足元にまで到達する。
「ひ、ひっ……! 助けてくれ、第2部隊……」
あげかけた悲鳴が、そこで途切れた。
全員が、その場で凍り付いたのだ。
これにて一件落着、ほっと息をつけるかというと……それほど単純ではないことは、承知していた。
「応援が来る前にとっととここから逃げようか」
「……結局こうなるのね。まるで犯罪者ね」
「まあクロレルのバカの作った悪法の下じゃ、実際そうらしいからな」
「そうね、あの大バカ者のクロレルね」
「言えるようになったら、めちゃくちゃ言うなぁおい」
俺たちはそうこう話しながら、急いで荷物や売上金をまとめる。
最後に一応、いくつかの屋台を『有形生成』で綺麗に整備してから、屋台街を後にした。
せめてもの詫びがわりだ。
「あなたって実はお人よしよね」
「実は、ってのが余計だよ」
「誉めてるんだからいいじゃない。それより、早くお買い物行きましょ」
顔を見られていないとはいえ、姿格好は割れてしまった。
もし買い物客や店主たちがあの連中に脅迫されて、俺たちの特徴を吐けば、また面倒ごとに巻き込まれる危険性もある。
そのため俺たちは中心通りへと向かうと、まずは衣服屋へと入った。
とりあえず、着替えを行うことにしたのだ。
貴族の子息として訪れていた時は街で買い物をしても、財布を気にすることはなかったが……今は事情が違う。
まず目をやったのは、値札だった。二人、ほっと安堵の息をつく。
「どちらかと言えば、庶民派のお店ね。値段が良心的よ」
「うん。これなら手が届くな。……でも、お嬢様としてはもっといい服がいいか?」
「いいえ、私はどちらかと言えばドレスは嫌いよ。うっとうしいもの」
彼女はそう言い切り、店を一周すると、すぐに衣服を決める。
このあたりも、もしかしたら例の『勘』がびびっと働いたのかもしれない。
むしろ俺よりも早い。
試着室から出てくると、あら不思議。もはや別人の風貌になっていた。
チェック柄を基調としたブレザーに、スカート。腰のところには飾りのベルトがついた、少し学生風の服だ。顔が隠れるように、つばの長い帽子をかぶっている。
「どうかしら。これなら、馴染めそうでしょ」
セレーナは帽子を少し深めにして、ふふっと得意げに鼻を鳴らす。
分かっていたことだけれど、どうしても馴染めそうにない。なにをやっても、図抜けて美しいのだ。
横から俺たちを見ていた女性店員さんも、「わぁ」と声を上げて頬を染めている。
「いや、まぁその辺を歩いてたら確実に目立つわ、うん」
「……あら、そうかしら」
「とりあえず、上からコート着てた方がいいよ」
「そう言うなら、そうするわ。じゃあ、次はあなたの分ね。私に任せて」
セレーナは、買い物ができたことで上機嫌になったのか、うきうきとした様子でさっそく店内を歩きだす。
「ちょ、俺はなに着たって変わらないからいいよ、自分で選ぶし」
なにせ、いつも平凡な見た目だと揶揄されてきたのだ。服くらいで変わるわけもない。
だというのに、セレーナはもう止まってくれない。
「いいじゃないの。こういうデート、ずっと憧れてたの」
「で、デートって……」
「デートでしょ、どう見ても。私はそう思いたいけど、だめかしら」
彼女は少し腰をかがめると、下から俺を覗きこみじっと目を見つめてくる。
その時点で負けであった。
「……いいけど」
なかば答えさせられるみたいに、言ってしまう。
そうしてセレーナに腕を引かれながらの、衣装選びが始まった。
「この腕輪とかもいいわね」
……そもそもの目立たないって趣旨忘れてない? そう思いこそしたが、純粋に楽しそうに振る舞う彼女を見れば言えない。
「あ、このマフラーを巻けば顔も隠せるんじゃないかしら」
それに一応、忘れているわけではないらしいのでよしとする。
むしろ問題は――
「これ、格好いい腕輪ね。お揃いでつけるのはどうかしら」
「……でもお高いんでしょう? 財布には優しくないんでしょう?」
「まぁたしかに、そこそこ値が張るわね。魔力の勢いを強める魔石も埋め込まれているみたいだから」
お金のほうだ。こちらばかりは許容できない。
元来の目的は、食料と魔導具の原材料を手に入れることなのだ。
「……そうね、これは諦めようかしら」
それまで、にこにこと明るい表情をしていたセレーナの表情に少し陰りがさす。短めの紫の髪で目元が隠れると、結構落ち込んでいるように見えた。
だが、こればっかりはどうにもならない。
そう思っていたところに、その救いの手は差し伸べられた。
「お値引きしちゃいますよ!! めっちゃ割り引いちゃいますよ!!」
と、さきほどセレーナの姿に頬を染めていた女性店員が申し出てくれたのだ。
「え、いや、でもなんで? いいんですか、そんなの」
「いいんですよ、だって最近はどうせ売れてませんし」
たぶんクロレルの悪政の影響だろう。俺が眉をしかめていると、それに、と彼女は続ける。
「なによりも私癒されちゃいましたから。お二人の関係性に!」
「……え」
「だって、仲睦まじいことがすごく伝わってきます。彼氏さんのために一生懸命な彼女さんも、彼女さんの希望を聞いてあげようとする彼氏さんも、もう最高!
お金がなくても、変わらぬ愛って感じでいいです、とても」
……どうやら、少し変わった人らしい。
早口で喋る彼女の様子に、俺はかつて屋敷に勤めていたメイドのことを思い出す。
似ている、すごく似ている。
ベクトルこそ違うが、彼女も思い立ったら一直線であった。
俺が勝手に少し懐かしく思っているうち、セレーナが割引購入の話を進めていた。
まぁ理由はどうあれ、安くなるなら金欠の俺たちにはありがたい話だ。
そうしてセレーナによる、衣服選びは再開となる。
結果として、彼女が選んだものと同じ少し制服テイストの入ったものだった
「似合ってるわよ、すごく」
セレーナがにっこりと笑顔になってこう褒めてくれる。
「俺としては、着こなせてないと思うけど?」
「いいの。私が似合うと言ったら、似合うの。格好いいわよ」
いつもクロレルと比較され、平凡だとか庶民ヅラだとか揶揄されてきた俺だ。
見た目を褒められて慣れていないので、かなり照れくさかった。
返事が思いつかず、こめかみを掻く。
「お二人とも、とってもお似合いです!! もう最高です、最高のカップルですよ!!」
……そんな様子に、一連のやり取りを見ていたらしい店員さんが、なぜか一番興奮していた。
まじで、なぜ。
「ていうか、カップルじゃないけどいいの」
「いいの。実質それ以上でしょ。毎日一緒に寝てるんだから」
「こら誤解を招く言い方はやめなさい」
とにもかくにも、無事に新しい服を購入することができたのであった。
服も新たになって、俺たちは堂々と街の大通りを歩く。
この街の中心に値する地域だ。
俺がクロレルとして統治していた頃は、新しい店が割拠して、先が見えないくらい人が通っていることもあった場所だが、今は閑散としていた。
人足はまばらで、据え置き型の店舗の中には閉まっているところも多い。
大勢の中にまぎれれば、例の特別警ら隊にも見つかりにくいと思ったが、そうはいかないようだ。
俺たちは通りを早足で歩いて、営業をしていた道具屋へと入る。
必要な部品や道具をいくつか手に入れたら、その流れで食料品の買い出しへと移った。
「トルビス村にはないものがいいわね。たとえば香辛料とか」
「そうだな。じゃあ、塩と胡椒と砂糖……って、俺、料理とかまったく分からないんだけど。そもそも、これが香辛料に含まれるかすら分からん」
「ちなみに私もよ。分かるのは、そうね。塩と胡椒、砂糖ね」
「……そういうところは令嬢さんなんだな」
「調味料がなくても、ごはんは食べられるもの。……マフィンの作り方だけは覚えたいけれど」
マフィンは、セレーナの好物だ。
そういえば、トルビス村へと下るときにも大量に持ってきて、真空状態を作り出す魔導袋に入れていたっけ。
ちなみに今回も、すでに菓子店には寄って、マフィンは手に入れてきた。この機会に村人たちにも食べてもらうのだ、とかなりの量を買ってある。
作れる人がいれば、ここまで荷物を抱えることもなかったかもしれない。
「欲しいなぁ、料理人。料理人も仕入れていきたい……」
「なに、私のご飯じゃ不満?」
「そうじゃないけど、なんというか、セレーナの作る料理は豪快だろ。俺もなにもできないんだけどな」
クロツキノワの肉の調理方法がいい例だ。
焼いたもの、揚げたもの、塩漬けにしたもの――。
ほとんどこれだけで、セレーナの料理のローテーションは回っている。
俺が手伝おうにも、焦がしたり燃やしたり爆発させたり散々だ。
村人たちはといえば、そもそも調味料が塩のみの生活を基本としているから、そのレパートリーは多くない。
最終的な俺の理想は、悠々自適で思い通りの暮らしである。
そのためには、料理の底上げは必須課題の一つだ。
「まさか。いよいよ人さらいにまで、手をつけるつもり?」
「……あほ言えよ。やるか、そんなこと」
「でも、そうでもしないとトルビス村に来てくれるもの好きはいないと思うけど?」
それは、そのとおりだ。なんの否定もできない。
ただ諦めきれずにいたら、そのいい匂いは漂ってきた。
ちょうどお腹がすく時間という事もあった。あれよのうち、身体が勝手にそちらへ流れていってしまう。
「なぁセレーナ。お金はどれくらい余ってるんだっけ?」
「ふふ、分かりやすい。普通にお昼くらいなら食べられるわよ」
「よし、なら食べていこうか。これは、そう、あくまで料理のレパートリーを増やすための情報収集と、料理人を捕まえるためだ、うん」
「そういうことにしておきましょうか」
追手にばれさえしなければ、問題はないだろう。
そう都合よく考えることにして、俺たちはその匂いを漂わせる料理屋へと向かう。
その店は、路地裏にぽつんと立っていた。見たところ、ほとんど屋台と変わらない掘っ建て小屋である。
入るのに躊躇うくらいの見た目だったが、とりあえずは扉を開けて中に入る。
そこはカウンターのみ5席程度の小さな空間があるだけだった。
驚いたことに人気はまったくない。カウンター席はあるが、厨房の奥は完全に黒い布で覆われており中は窺えない。
お客さんどころか店員さんすら出てこないが、入ったところにあるカウンターには大きく張り紙がしてあった。
「……席が空いていたら勝手に座っていい、ってさ」
「不思議なところね」
「というか気味が悪いだろ、これは」
セレーナは、相変わらず肝が据わっている。
彼女は何の気なしに、その張り紙どおり席につく。
すると、今度は
『注文が決まったら紙に書いて、カウンターの下から差し出してください』
との但し書きが、これは席正面の壁に書かれてあった。
俺たちは置かれていたメニュー表をそれぞれ開く。
「どれもお手ごろな価格ね。一番高くても1500ウェルなんて。……久しぶりに魚が食べたい。白身魚のハーブ蒸しにするわ」
セレーナはいつもの決断力で、すぐに決める。
一方の俺はといえばメニュー表を何度もめくり、また最初のページから見直す。それを繰り返していた。
「ゆっくり決めていいわよ」
とセレーナが言ってくれるが、迷っているわけではない。
ページを見返すたびに蘇るある記憶を思い返していたのだ。
結論から言えば、俺はそこに書かれていたどの料理も口にしたことがあった。とくに覚えているのは、「鶏、豚、牛の三種肉チーズ丼」なるメニュー。
これは俺がまだ10歳くらいだった幼い頃にわがままを言って、作ってもらった超お子様願望の詰まったメニュー。
――作ってくれたのは、俺がトルビス村へと追放される少し前まで専属でついてくれていた担当メイドだ。
「もしかして、メリリ……?」
確信していたわけではないので、俺は少し控えめな声で黒い布の貼られたカウンターの奥へと尋ねる。
しばらく、返事はなかった。
「あら、もしかして知り合い?」
と、セレーナが口にしたときだ。突然にその黒の幕が取り払われる。
カウンターの奥から誰かが身を乗り出してきたと思えば、むにゅという感触に肩が包まれる。
そのやたらと強い抱きしめる際の力からして、間違いない。
「声でもしや、とは思ってましたが、この抱き心地間違いありません! あ、あぁ、アルバぼっちゃま! ほんとにアルバぼっちゃま!! ついに会えましたっ!! あぁどれだけ再会できるこの日を待ち望んだことかっ! メリリは、メリリは……!! あぁ、ほんとにアルバぼっちゃまの匂いですっ!!」
「ちょ、そろそろ痛いんだけど……!?」
蚊帳の外にされたセレーナから注がれるジトっとした視線も含めて、いろいろと痛い。