ハーストン辺境伯家は、ドナート王国の中でも有数の力を持つ貴族家だ。
王都からは離れているものの広い領土を有し、とくにハーストン家が直轄している城下町は文化の発展が進んでおり各地から視察が訪れるほど。
しかし、その一つであるはずのクロレルシティはまさに今、崩壊への道を辿ろうとしていた。
自己顕示欲から、都市の名称を自分の名前に変えた男、ハーストン・クロレルの手によってだ。
今日も、その崩壊は止まらない。
「えっ……! また例の税金を、住民に課すのですか?」
「あぁ、何か問題があるか」
「失礼ながら、言っていることが少し前と正反対になっておりますが」
「ふん、新顔か。いいから、言うとおりにしろ。ここ数ヶ月の俺は血迷っていたんだ」
嫌がらせがてら、弟・アルバが追放されるのをわざわざハーストンシティまで見送りに行き、自らの管轄下であるクロレルシティへと戻ってきてすぐ――。
クロレルが一方的にこう突きつけた相手は、財務担当だった役人の一人、バーズ。
入れ替わりが起きていた際、弟のアルバにより採用された元学者である。
「し、しかしクロレル様! 市場の活性化計画はまだ途上です。今ここで方向転換などすれば、また街が混乱してしまいます!」
バーズの意見は、しごく真っ当なものであった。
そもそもクロレルの自分勝手な政策により、痛めつけられていた経済を救うための税軽減策だ。
やっと効果が現れ始めたところでやめるなど、もってのほかである。
「おいお前。今、俺に意見したか?」
しかしそれが正論だろうがなんだろうが、クロレルが苛立ちを覚えたのはその点だった。
苛立ちから、バーズを睨みつける。
「そ、それはクロレル様が何か思うことがあればなんでも言ってくれ、とおっしゃるから……!」
「うるさい、それももう終わりだ。これ以上口を開いたら命がないと思えよ。俺は貴族様だぞ」
彼はそう言うと、自分の手首を掲げて見せる。
そこにあるのは、魔法を使える証たる炎属性の紋だ。
それも、彼はハーストン家に伝わる特殊なスキル『威風堂々』を有している。相手を怖気づかせる魔圧|《まあつ》を発動できるのだ。
紋をちらつかせるだけでも、脅しには十分なはずであった。
実際、バーズは黙り込む。しかし、その目には反発する気持ちがあるのは、見て取れた。
自分を否定しようとするものすべてが、クロレルは許せなかった。
突発的な怒りから、剣を抜く。
だが、そこで一応手をかけることは思いとどまった。
その刃にオレンジの炎を纏わせ、バーズの首元に突き付ける。
「おい、お前。今日でクビだ。早く出ていけ」
「な、なにを……!」
「聞えなかったのか、愚か者め。もう一度言ってやる、クビだ。それとも、このまま串刺しにされたいか?」
ここまで言ってやっと、バーズは引いた。
形だけの謝辞を述べると、執務室を出ていく。
扉が閉まるのを見送るや、クロレルは執務室の椅子を蹴り飛ばす。たまりにたまったが、鬱憤が彼にそうさせたのだ。
「まったく、どいつもこいつも舐めやがって。やっぱ、アルバの無能が召し抱えた奴らはまるで使えないな。主様の意向を汲めない部下なんて、誰が欲しいんだ、まったく」
クロレルが、アルバの採用した部下を追放したのは、これがはじめてではなかった。
入れ替わりが元に戻り、この2週間ですでに5人目である。
全員、弟のアルバが採用してきた部下だ。
この3か月で、アルバはかなりの政治改革を行っていたのだ。
人事も例外ではなく、これまではクロレルの息のかかった者で固めていたのだが、それらの役人は全員辞めさせられ、ごっそりと入れ替わっていた。
「使えない奴の部下は、使えないってことか。ふん、道理は通るな」
クロレルは舌打ちをしながら、こう自分を納得させる。
――だが、実際には真逆であったことは言うまでもない。
彼らはたとえるならば、アルバが残していった財産だ。
そのまま雇用していれば、それだけで政治がうまく立ち回るような優秀な人材をアルバは選りすぐっていた。
だが、それをクロレルは私情だけでクビにした。
そんなまかり間違った独裁的政治に、未来があるわけもない。
……ないのだが、当の本人はその実態に気づかない。気づけない。
そして、そのあってはならない鈍感さは当然のごとく、求心力の低下を生む。
「失礼いたします。役人が5名、辞職届けを出しましたのでご報告にあがりました」
やってきたお付きの執事から渡された辞表には、
『少し前までは立派な領主になれそうだと思っていたが、また元通りになってしまった。もう、ついていけません』などと書かれている。
クロレルは苛立ちに任せて、それを破り炎魔法により燃やしてしまう。
「ちっ、そんな報告になんの意味がある! 勝手にしろ。代わりはいくらでもいるだろ」
「それと、申し上げにくいのですが……」
「なんだ、まだあると言うのか」
「ええ、それが。セレーナ様がハーストンシティでご失踪なされて数日が立ちましたが、目撃情報はいまだになく。捜索は難航しているとのことです」
「なんだ、まだ見つからぬのか! ちっ……」
「はい……。それと言えば、クロレル様がアルバ様の屋敷より連れてこられたメイドも、今日辞表を置いて去っていきました」
「……ちっ、くそ、どいつもこいつもふざけやがって!! もういい!! とりあえず下がってろ、うすのろ執事め」
もう、たぎる腹立たしさを抑えることはできなくなっていた。
怒鳴られた執事は、慌てて外へと出ていく。
その後クロレルは制御できなくなった魔力により、近くにあった書類を燃やしてしまった。
大事な公的文書なども混じっていたが、我を忘れた彼にそんな分別がつくはずもない。
なにより、こんな蛮行を咎めるものさえ、彼の周りにはいないのであった。
結論から言おう。
まじでめちゃくちゃ寝た。時間も気にせず、底まで寝た。
魔物の脅威は去り、腹もたっぷり膨れたうえでの睡眠だ。
たとえばベッドの弾力が少し物足りなかったからといって、関係ない。
俺は、ぼやぼやとしぼむ目を開け、しかし起き上がる気にはなれずに身体を横に向ける。
「あら、やっと起きたの。お寝坊さんね」
そこではセレーナがうつぶせで寝転がり本を読んでいたらしい。
寝巻き姿の彼女は、俺の顔を覗き込むように見て、くすりと笑う。
見れば、俺と同じ毛布を被っていた。
足元に目をやれば、光を弾いたみたいに白く形のいい脚が毛布の先で持ち上げられている。
爪の先まで芸術品かのよう、なんて息を呑んだところで、やっと正常な思考が帰ってきた。
俺は自分の顔を強く叩いて、飛び起きた。すぐにベッドから飛び降りる。
……おいおい、ちょっと待て。これは一体どういう状況だ……?
「な、なんでセレーナがここに? どうして同じベッドにいるんだ……!」
「急になに。耳が痛いわ。なんでって、昨日のこと忘れたの?」
も、もしかして俺はやってしまったのか。食欲を満たした次は性欲ってそういうことですか!?
だがしかし、俺にそんな記憶は全くない。呆然としつつ、ただただ首を横に振る。
「……そう。それは残念ね」
「いや、その、えっと……」
もし本当に、そういうことをしてしまっていたのなら。
覚えていないのは最低すぎる。俺が頭を下げかけたところで彼女は言う。
「よっぽど眠かったのね、きっと。あなた、家に入るなり藁でベッドを作って寝ちゃったじゃない? でもこの家には、これしかベッド台がなかったの。
だから、一緒に使っていいかって聞いたわ。そしたら、うんって。あれは寝言だったの?」
一気に体の硬直が解けた俺は逆に力が抜けて、枕へと崩れ込む。
とにかくよかった。あらぬ行為が行われていなくて本当によかった。
そんなある意味で刺激的だった寝起きを終え。
昨晩の残りであるクロツキノワの肉とセレーナ持参のマフィンを食べ終えた俺たちは、仕方なく家を出た。
時刻は太陽から察するに昼過ぎ。
本当はもう少し引きこもっていたかったが、そうはいかない事情があった。
「よくあんな環境で寝てたな、俺たち……」
「疲れてなければ難しかったでしょうね。隙間風もひどいし、カーテンもないような環境なんてこれまでで初めてよ」
ボロ屋がすぎてなにもかもがままならないのだ。
クロレルと入れ替わっていた時、かつて街でもっとも料金の安い宿屋を視察がてら訪れたことがあるが、そこの設備よりも数段劣る。
そのあたりをどうにか揃えていかなければ、いつまでも理想は程遠いところにあるままだ。
まだまだ先は長い。
一方で先が短いものといえば……
「一番はなによりトイレだな。さすがに、草むらでするのはない。まじでない。少なくとも俺のスローライフにおいては許されない」
「私はいいけどね」
「おいおい、ご令嬢がそんなこと言うものじゃないでしょうが」
おトイレ、これほんとに大切。お風呂は水浴びでしのげないこともないが、こればかりはないと生理的に厳しい。
簡易式の紙に包んで廃棄するものなら持っているが、とはいえ個数に限りもある。
「でも、トイレなんてどうやって作ろうって言うの」
「そこが問題だ。あんなものどうやって……」
理屈を知らないわけではない。
便器があってスイッチを押せば、タンクに貯められた水が流れる。流れた水は設置された管を通り、下水を処理する魔導装置へと流れつく。
そこで、肥料などになる固形物と液体とに分けられ、あとは川などに放出される。
「結構、高度な魔導具が必要ね。とくに、水と便とを分解する装置なんて簡単にはいかなさそうよ」
「そうだな……。っていうか、セレーナさん。あんまり便とか言わない方がいいんじゃ?」
「あら。もっと直接的な言い方がよかったかしら」
いやいや、そうじゃないし! そこで、顎に指をあてて上目になっても、気品は出ないからね?
俺はセレーナの奔放な発言にあきれて頭を掻く。
「お、アルバさん、セレーナさん。こんにちは」
そこへ一人のご老人に声をかけられた。
「なにを探されているのですか。よかったらお手伝いしますぞ。なにせあなた方はわれわれの救世主――」
「いやいや、俺はただここに派遣されただけでそんな大層なものじゃないですって」
「はは、あまりご謙遜なされるな」
「そうよ、アルバ。手伝ってくれるって言ってるんだから、お願いしましょう」
まあ、昨日の今日で誤解は解けないか……。
俺はとりあえずは諦めて、そのご老人に事情を伝える。
「はぁ、トイレですか。それならば、ありますぞ」
すると、出てきたのはまさかの情報だった。
「え、あったのですか」
「えぇ、と言ってもまぁ……。見ていただいたほうが早いですな。どうぞ、こちらへ」
老人に連れて行かれた先にあったのは、たしかにトイレだった。
形は、都会で見慣れたそれと同じだ。
便器があって、便座があって、なんだか無性に座りたくなるというか気張りたくなる。
ただし、陶器は割れているし、水栓機能などもちろんのごとくない。
なにをとは言わないけど、すぐに漏れ出すね、これじゃあ。
つまりただのジャンク品だ。
「これも捨てられた魔導具ですか」
「そうでございます。これがトイレと聞いた時は驚きましたなぁ。
都会の人間はこんな立派なものを使って、しているんだとねぇ」
老人がしみじみと言う。
それに対して「では、ここではどんなものを? 椅子に座ってやるの? それとも草むらで……」などとセレーナが話を広げようとするから困った。
まじで令嬢じゃないよね、この子。
俺はわざとらしく咳払いをしたあと、話を切り替える。
「それで、このトイレは今残っている部分だけ捨てられていたんですか?」
「いやいや。元はもう少し色々とついていたが、そこは切り離して売ってしまったよ。ゴミから売れるものを集めるのは、この村の生業の一つですからのう」
だとすれば、ここに転がっているものはいわばトイレの残骸というわけだ。
「なら、修繕魔法じゃ効かないな……。あれは、その場に材料が残ってないとできないんだよ。昨日はたまたま切り崩された柵がそこに残っていたからできた……」
「あらそうなの。それでなくても、心配だから乱用はしてほしくないけれど」
「そう言われちゃったら余計にできないな」
できれば彼女には、無用な心配をかけずにやりたい。
考える時の癖、俺は付近をぐるぐると回る。
「ならば、アルバさんや。たとえば、この樽をトイレにしてしまうのはどうかの。とりあえず貯めて捨てに行けば済みますぞ!」
そこで、ご老人がこう提案されて、俺はふと立ち止まる。
「あ、あぁ申し訳ございません。貴族様に意見をするなど、あるまじき無礼を――」
「そうじゃない、そんなこと気にしませんから。むしろありがとうございます、ご老人!」
その意見のおかげで、迷路をさまよっていた俺の思考に一つの抜け道がはっきりと見えた。
そうだ。とっておきの魔法を一つ、俺は持っているじゃないか。
俺は地面を注視しながら、村を練り歩く。
まず拾い上げたのは昨日蹴とばしてしまった蛇口だ。
その後、壊れていた樽や、なにかの管、割れた磁器なんかを集めてトイレの前まで運ぶ。
「あ、アルバさんどうされましたかな? 片付けでございますか?」
「違うわよ、きっと。何か思いついたのね、アルバ」
「……あぁ、まぁな」
これがうまくいけば、トイレができるだけの騒ぎではない。
もっと色々なことにだって、応用が効く。
俺が使ったのは、再び土属性魔法だ。
その「構築」特性により今度は修繕ではなく、作成を行おうというわけである。
俺は片膝をつくと、手首に左手を添え、地面に右手をつく。
「ちょっとアルバ、それ昨日と同じじゃ……」
不安げに眉を落として俺を見守るセレーナだったが、俺は大丈夫だという意味で笑いかける。
「すべてを攫う風よ、創造の源たる大地よ。理を壊し、望みを創れ。有形創成!」
そして、詠唱により魔法を発動した。
昨日とは属性も異なるものだ。
魔法陣の外周からまずは煌々と輝く光が立ち上り、集めてきた魔導具の残骸たちの周りを覆っていく。
目を開けても、なにが起きているかは眩しくて見えはしない。
だが魔力に意識を済ませれば、創られているものの形はしっかりと把握できる。
しっかりと完成したことを確認してから、俺は右手首に添えた左手を軽く握り魔力の放出を止めた。
セレーナは俺がまたふらつくと思ったらしく、すぐにこちらへ近づこうとしてくる。
だが、俺は自分で立ち上がり、平気だとアピールするため両手を上げてみせた。
「だから大丈夫だよ。問題ない」
強がりではなく、本当に。
それでも不安なのかセレーナはその目を一度すがめ、俺の周りを一周して見回したあと、目をしばたいた。
「……あれ、ほんと。どうして? たしかあの魔法は魔力をかなり使うって話じゃ」
「まぁたしかに、これを全部俺の手で作ってたらそうなっただろうな。そこそこ大きな工作物だし。でも、そうじゃないから」
昨日は、村の半周を覆うくらいの広大な範囲に修繕魔法を使ったため、かなりの消費量を強いられた。
しかしその点、今回は勝手が違う。
なぜなら俺自身は大したことをしたわけじゃない。すでに形のあるものを随所に利用させてもらっただけなのだ。
「……おぉ、これが……! これが噂に聞く、都会の良民たちが使うというトイレですか! いやはや、全体で見るとこんな形なのですね」
さきほどのご老人はできあがったものを恍惚とした表情で見て、新鮮そうに言う。
が、それは少しばかり違った。
「いいえ、違うわ。これはなんと言ったらいいのかしら。……おトイレもどき?」
「うん、まあせいぜいそんなところだろうな。要するにつぎはぎだしな」
欠けていた便器は、村に落ちていた陶器のかけらを再構築することで元の形へと戻した。
貯水タンクの基礎は、大樽だ。中をくりぬき縦に重ね、周りを陶器により覆った。
そして、あの蛇口から水が流れ出ることにより便は管を通って、最後には便を貯めておく樽にたどり着く。
行きついたところには、フィルターがあり、水と便を分離する。
「でも、こんなのどうやって……。土属性だけじゃなくて、風属性も使ったの? 同時に?」
「うん、まぁそういうこと。風属性の魔力の特徴は、「破壊」だろ? そのあとに土属性で「構築」したんだよ。面倒だから同時にね」
「……うん、理屈は分かるわ。でも、そもそも普通1人で2つ以上も属性魔法使える人なんていないのよ。それを同時にやるなんて、ありえないのよ、本来。
神話に出てくる伝説の魔導士レベルよ」
「それはどう考えても言い過ぎだっての」
まぁたしかに前例がなかったので、この技も詠唱も、オリジナルのものだ。
何度も使ううちに、もっとも効率よく魔力の伝わるものを見つけ出した。
もちろん、例のメモ帳にもばっちり記してある。
「……あぁ、そうかしら?」
「ん。なんだよ、その興味のなさそうな返事は」
「そういうことじゃないわ。あまりにも異次元だから、驚く時間が長いの。驚きが持続してるの」
うーん、そんなことはないと思うんだけど。
俺にしてみれば別にすごい勉強をして、論理式を立ててやっているわけでもないしね。
実践するなかで、感覚を積み重ねただけだ。
「ま、そんなことはいいよ。なにより、これであとは囲いを作ればトイレができるな」
「……というか、アルバ。この分ならトイレどころか」
「セレーナも気づいたか? うん、これなら他のものだって作れるかもしれないな」
はじめに来たときは、ゴミの山に絶望したものだが……それは本質を見ていなかったからなのかもしれない。
この村には宝が転がっている。
それから約1週間ほど。
朝(といっても、例によって昼前だが)、俺が目を覚ましたのは外の扉が開く音でだった。
身体を起こしてみれば、そこには頭にタオルを巻いたセレーナの姿がある。
「あら、やっと起きたの」
うん、なんか毎朝同じことを言われている気がするなぁ、俺。
でも、彼女は決して咎めたりはしない。緊急でなければ、思うさま寝させてくれる。
あれ、もしかして女神?
「おはよう、セレーナ。湯を浴びてきたんだな」
「そうよ。昔は朝から入るのが習慣だったの。それにせっかく、アルバが井戸を直して水まで引いて作ってくれた公衆シャワー。使わないのはもったいないもの」
にこっと笑いながら、彼女は髪をタオルでぬぐう。
そうして彼女用に新しく作ったベッドに腰掛けると、今度は魔導乾燥機を髪に当ててかわかしはじめた。
なんてことのない生活の一コマ、しかしそれがゆえにその美しさは際立つ。
彼女の髪から飛ばされる水滴さえ、きらめいて映るのだ。
あれ、やっぱり女神……?
「これも、作ってくれてありがたいわ」
「え、えっと、なんのこと」
「聞いてなかったの」
いや、そういうわけじゃないのだけど。
見とれて耳半分になっていたことは否定できない。
だがそれを直接言えるほど、俺はキザな人間でもなかった。
「この魔導乾燥機よ。きちんと髪もかわくし、うるおいも残る。こんなものがつかえる生活なんて、クロレルシティを出てきたときは考えもしなかったわ」
「あぁ、それのことか。俺もだよ。乾燥機の残骸が転がってて助かった」
「探せば、街で使ってる道具の大概はあるものね。全部壊れてるけど」
村に公衆トイレを作ってからというもの――。
俺は『有形創成』によりさまざまな生活用具を生み出していった。
といって、無限に魔力があるわけじゃないし、疲れるのは勘弁だ。
そのため、日々ちまちまと整備を進める。
その成果もあり、だんだんとながらトルビス村の生活環境は整いはじめていた。
まず取り組んだのは、衛生環境の整備だ。
大きな設備でいえば、シャワーを浴びる場所も作ったし、発生したゴミを燃やす炉も作った。
一つ一つを作るのにはそれなりに時間を要したが、これらがあるだけで、かなり生活は変わる。
清潔感のある生活が送れるようになり、精神的な負荷はかなり下がっていた。
その原材料が破棄されたゴミだというのは、少し面白い。
いずれは各家にトイレやシャワーを設けるぐらい充実をさせたいところだが、それはおいおいだ。
今はさきほどセレーナが使っていた乾燥機みたいな、「あったらいいな」の小道具を作りながら、住環境の整備を行っていく必要がある。
少なくとも俺は、そんなふうに計画を立てていた。
そんなわけで今日も、朝兼昼ご飯である干し肉(例のクロツキノワの肉が、まだなくならない!)と小麦を薄く焼いたパンを食らって、家を出る。
シャワーどころで顔を洗ったら、やっと一日のはじまりだ。
もう太陽はてっぺんを過ぎている。
「よし、今日もやるか……!」
「やる気満々って感じね。さっきまで、あんなに眠そうにしてたのに」
「いつか完璧なスローライフを手に入れる為なら、働くことだってやぶさかじゃないんだよ。ましにはなってきたけど、正直まだ村に毛が生えた程度だしな。……一日、4時間くらいなら働くさ」
「……短いわね。街の労働者の半分じゃない」
「まあ、なんだ、ほら。根を詰めてやって、途中で挫折するのが一番よくないしね」
俺はセレーナに、働きすぎないことがもたらす素晴らしい効能を語りながら、村を歩く。
向かったのは、集会所になっていた大きな建物だ。
「あ、アルバさんにセレーナさん! お疲れ様でございます!」
中に入ると、作業をしていた男衆から口々に挨拶が飛ぶ。
セレーナはともかく、まだ俺なにもしていないんだけどね。
こうして集まって仕事をしている彼らのほうがよほど、お疲れ様であろう。
「あ、うん。おはよう。いつから仕事をしていたんです?」
「朝からでございますよ。これくらいしか、俺たちにはできませんからね。せめても、救世主もといお二人の力になれればと思いまして……!」
待って、この人たち律儀過ぎない?
高いところに屋敷を構えてふんぞり返ってる貴族たちよりよっぽどいい人たちだと言える。
ちなみにだが、救世主呼ばわりされることにはもう慣れてしまった。
はじめは決め台詞みたいに、
『俺はスローライフがしたいだけなんです、俺の俺による俺とセレーナのためのスローライフが!』
こう言っていたが、村人らはそれでも聞き入れてくれなかった。
『アルバさんは自分とセレーナさんのためだと言いつつ、ここまで村を改善してくれた……。本当に謙虚な方だよ』
『うふ、それを言うなら謙虚というより照れ屋さんって感じ。本当はアルバさんが村全体のことを考えて日々仕事に励んでくれていることを知っているのにね』
ある日、村の女性たちがこんなふうに噂していたのを耳にしちゃった時にはずっこけたね。
だって俺の発言は、謙虚なのでも照れ屋なのでもなく本音だ。
たとえば俺だけの家が綺麗になったって、村の環境全体が改善されないままだと、公共での生活が改善されないから俺は整備を行っている。
それに自分たちだけ裕福になって、村八分に合うのも怖いしね。
「それで、進捗はどうです? 進んでいますか、魔導具たちの仕分けは」
俺は、この仕事場をまとめている例のご老人に尋ねる。
すると、ご老人はにこやかに笑って答えた。
「少しずつ要領も分かってきましたからのう。それも、この磁器をもった探知魔導具のおかげじゃ。すぐれものですな、これは」
「まぁそれももとはゴミなんですけどね」
彼らにお願いしていたのは、棄てられたゴミたちを種類別に分ける仕事だ。
もともとは山ほどあるゴミ山から、毎回適した道具を見つけてきては「有形創成」を利用していたが、さすがに非効率がすぎた。
そこで、村人たちにこうして仕事を振ったのだ。
「それで、セレーナさん。判別のつかない材料も数がたまってきましたから、鑑定をお願いしてもよろしいですかな」
「えぇ、構わないわ」
それを、セレーナも鑑定という形で手伝ってくれている。
元の形がわからないほどに壊れてしまったものであっても、少なくともそれがもともとどんな道具であったかの鑑定はできるらしい。
彼女は魔導具の山の前にしゃがむと、まずは腰に差した巻物を取り出す。
それを地面に広げると、瞑目した。
「世の知をすべる賢者に、その存在の本質を問う。魔導鑑定……!」
そして、詠唱を行うとどうだ。
巻物に光が灯り、字がつむがれていく。
「セレーナさん。なんじゃったのかな、わしら字が読めないんじゃが」
「これは、もともと荷車を運ぶレールだったみたいね。材料は木材、樫木だから丈夫な素材よ」
やっぱ、すごいね鑑定魔法。
自分の知識外のことでも、判別が行える点が本当にずばぬけて優秀だ。
だが、憧れても血統スキルばかりは俺には使えない。
おとなしく、なにか作れる魔導具はないかと吟味をはじめるのであった。
……そうやって、村の放置された魔導具たちの整理を進めていたときだ。
その事件は起きた。
「た、大変でさぁ! アルバさん! ゴミ山のなかになにかワーウルフのような生き物が……! 姉さんが!」
もしかしたら、魔物かもしれない。
俺とセレーナは集会所を、焦る村人について、現場へと急行する。
しかし、そこで見たものは見たこともないもので……。
たしかにワーウルフみたくしっぽは長いが、その特徴である長い角は生えておらず、赤いはずの目は水色、つぶらにさえ見えて少なくとも違う生き物だとは分かる。
そして、心配していたチャコさんは食べられるどころか、「くぅん」と鳴き声をあげるその生き物を心配してさえいた。
「なんだ、この生き物……。知らないぞ、俺」
俺は首をひねるが、横でセレーナが言う。
「……狼ね。これは、その子供よ」
と。
……はい?
「サントウルフ。エメラルド色の毛並みに、一筋だけ入った白の模様。間違いないわ、数百年生きると言われてる幻の聖獣よ。これはその子供のオスね」
セレーナがすぐに鑑定をかけると、実際にそうだったらしい。
その名は、勉強嫌いの俺でも知っていた。
この世界には、瘴気を帯びる魔物もいれば、逆に光属性の魔力を帯びる聖獣もいる。
その中でもかつては人と共存し、繁栄したとされるのがサントウルフだ。
しかしある時からはその立派な毛皮を目当てに狩りがされるようになり、その数を大きく減らした。今や狩猟を禁じられているほど貴重な存在だ。
「昔は人間とコミュニケーションが取れたなんて伝承もあるそうだけど、今のサントウルフは敵意をむき出しにするそうよ。人間が自分たちに害をなす存在だって分かってるの。賢い生き物ね」
「うーん、それにしてはおとなしくないか? 誰かが飼い慣らしてたのかな」
「その線は薄いと思うわよ。せっかく見張り番にもなるのに、わざわざこんなゴミの下で飼う必要がないもの」
「となると、ちょうどいい寝床だったのかも」
なるほど、賢いと評されるのも頷ける。
これまで捨てられては積み上げられる一方だった魔導具の山である。
その下を住処にすれば、たいていの脅威を凌ぐことはできよう。
だとすれば、無粋な侵入者は俺たちの方だ。
なにより相手が狼といえど、俺はその眠りを妨げてしまった。
自分がされるとなったら、たぶんかなり不機嫌になってるね、うん。
「えっと、とりあえず……まだ余ってたよな? クロツキノワの干し肉」
「えぇ、あまりすぎて困っていたくらいよ」
「じゃあ、寝床を作って餌をおいて、そっとしておこうか。暴れられても困るし、大カゴの中にいてもらうとしよう」
俺は集会所へと戻ると、すぐに鉄製のカゴを『有形創成』によって生成する。
サボりばかりを極めてろくに特訓してこなかった俺だが、実践する中でだんだんと慣れてきていた。
単純な構造である鉄柵くらいなら、あっさりだ。
なんなら、落ちていた錠をそのまま利用して扉を作る余裕もあった。
だがそれを引きずってサントウルフのところへ戻ると、どうも様子が変だ。
「寝てたわけじゃないみたいよ。調子が悪いみたい。ずっと小さくうめいてたもの。ほら、目も一応開いてるわ」
「……弱ってるってことか」
「うん。『状態鑑定』もしてみたけど、間違いないわね。原因は、ほらこれ」
セレーナはサントウルフの両足に手をかけ、仰向けに返す。
すると、お腹が凸凹に出っぱっていた。
立派に生えた柔らかな毛の上から触ってみれば、ゴリっと固い。
「魔導具のなにかを食べたんだな」
「そうね、魔導灯みたいよ。下手に動かせないわね、もし割れた破片が中で刺さっていたら、大変だもの」
セレーナの的確な分析により、その場にいた数人の間に落胆の空気が流れる。
そんななか俺は一人、合理的判断と自分の思いとを天秤にかけていた。
本来なら、その強靭な手足や牙でもって、人を襲うほど凶暴性のあるサントウルフだ。下手に助けて暴れられたら敵わない。
判断に迷っていると、
「くぅ…………」
サントウルフがか細く鳴いた。
そのつぶらな輝きを持つ瞳で俺を懸命に覗き込んでくる。
はたして、これが決定打であった。
後先考えるのはやめだ。なにか起きたら、あとで責任を取ればいい。
俺は鉄カゴを脇に置いて、一歩前へと出る。
「まさかヒールスキルでも使えるの?」
「いいや、俺はスキルの類は何にも持ってないよ。こんな状態に使える薬草も今はないし」
でもその分、属性魔法なら有意に操れる。
俺はぐったり横たわるサントウルフの前に屈むと、その腹部分に手を当てた。
そこへ加えていくのは、『風』の魔力だ。
俺はそれをじっくりとサントウルフの体内へと浸透させていく。
魔力の先に意識を向ければ、それが触れているものの全容がだんだんと分かる。
一部が欠けた魔道灯を見つけた俺は、そこに魔力を集中する。
少しもサントウルフにダメージを与えないためだ。
そして万全の準備ができたのを確認したら、拳を握ることをキーに、風属性魔法を発動した。
胃の中から鈍い音がする。
同時に大きく膨れでていた腹が、だんだんと収縮していく。
少なくとも、やりたいことはできたようだ。
「な、なにをやったのですか。まさか殺して……」
村人さんが怯えたように言う。
魔法がわからない人から見たら、確かにそう思えるかもしれない。
「いいえ、違いますよ。身体の中の魔道灯にだけ魔力を伝わせて、一気に破壊したんです。粉々にしておきましたから、これで詰まりは、解消されますよ」
「……胃の中の見えない道具を破壊……? 魔法って、そんなことまでできるのですか」
「ちょっとした応用ですよ。それに、セレーナの鑑定のおかげで、場所が大体掴めてましたから」
俺たちは、その後もしばらくサントウルフを見守った。
念のため、鉄カゴに入れたうえで、だ。
すると、彼はやがて立ち上がって近くに置いていた餌がわりのクロツキノワの肉を食らい、水をがぶがぶと飲む。
よほど飢えていたようだった。
それこそ、ガラスの魔導具を食べようと思うくらいには限界だったのだろう。
でも、あれが消化されれば粉塵となった魔導具も一緒に出てきてくれるに違いない。
「今のところ、襲ってくる気配はないな」
「うん。やっぱり賢いって言われてるだけのことはあるわね。あなたを恩人だと認識したのかも」
「そうか? ただ腹が減って喉が渇いてただけじゃ…………」
「検証してみたらいいわよ。そこから手、入れてみて」
いや、噛みつかれたりしない? 俺も餌だと思ってたりしない?
懐疑的に思いつつも、俺は何の気なしに柵の隙間から試しに手を差し出してみる。
すると、どうだ。サントウルフは、ゆっくりこちらに近づいてくる。
獲物を見定めていたりして、と内心少し恐れていたら、彼は前足をとんと俺の手のひらに置いた。
ふにっと独特の柔らかな感触が指先を包んだ。
引っ掻いたり噛んだりはしない。
もう片手を出すと、今度は柵の隙間から捻り出すように顎先を乗せてきた。
「ほら、大丈夫じゃない。ふふ、初めて見た。聖獣がこんなにも甘えてるところ」
とは、セレーナ。
俺はそれを片耳で聴きながら、サントウルフの頭を撫でる。
気持ち良さげにその目を細める姿には、強く心を揺さぶられる。
「……決めたよ、俺」
「あら、なにを?」
「こいつ、飼おう。名前は、この立派な毛から取って『モフ』だ」
「ふふ。可愛らしいわね。私的には青の旋風で『ブルーブラスカ』とかどうかと思ったのだけど」
うん、方向性が違いすぎるね。真逆と言っていい。
少し議論をしたのち間をとって、名前は『フスカ』に決まる。そこで、ふと思った。
「あれ、そういえばフスカが俺を噛まないってなんで分かったの。そんなことも鑑定できるのか?」
「勘よ」
結局かい。
村人たちは、フスカを飼うことを快く受け入れてくれた。
なついてくれさえすれば、サントウルフは実に頼もしい護衛になる。
そんな打算もあっただろうが、なによりみんな、その愛くるしい見た目に心を掴まれたらしい。
代わる代わるモフったり遊んでやったりして過ごす。
そのうちに破壊した魔導灯の屑も無事に排出されて、平和で穏やかな夜を迎えた……はずだった。
それを切り裂いたのは、甲高い遠吠えだ。
最低限の防音性しかない家に、その声は響き渡る。
「……なにかしら」
「分からないけど、見にいくしかないか」
もうベッドに入り布団をかぶって寝る準備万端だったが、仕方ない。可愛いフスカのためなら、寝る時間が少々遅れるくらいやぶさかではない。
そうして外へと出て、目の前の光景に驚かされた。
村の空き地でサントウルフが暴れているのだ。
「フスカじゃなさそうだな……」
なにせ彼よりも、かなり大きい。
俺の身長の二倍近くの体長があるうえに、毛の色は灰がかっている。
どういうわけか、血だらけだった。
それを振り撒きながらも、サントウルフは鉤爪でフスカのはいったカゴを何度も打ち鳴らす。
「もしかしたら父親なのかもしれないわ」
たしかに、我が子が捕らわれたように見えれば荒れるのも仕方がないのかもしれない。
が、これ以上暴れられれば村はただでは済まない。
実際に近くの倉庫は、壊れてしまっている。
「このままじゃあの子も危険よ」
「……痛みがわからなくなってるらしい。いつ血が足りなくなって倒れてもおかしくないな」
間近で見る迫力のある光景に、眠気はもう消え去っていた。
俺はサントウルフがこれ以上暴れないよう、彼の周りを囲うように地面を土属性魔法・地起こしで盛り上げて壁をなす。
それにより、サントウルフはぴたりと動きを止めた。
しかし落ち着いたわけではなく、身体全体で土壁を打ち壊し、こちらを振り返る。
フシューと息を荒くしながら身を低く沈め、睨みつけてきたと思ったら、こちらへ走り出した。
「水よ、穏やかなる水よ。永遠なる静寂を紡げ。水紋波動……!」
セレーナが水属性の魔法により、シールドを張る。
その技を一目みて、使えると思った。
「――――水紋波動!」
そのまま真似をしてシールドを後ろから重ねる。
そこへ、サントウルフは助走の勢いそのままに飛び込んできた。
大きな身体もあいまって、かなりの衝撃が魔力を通して伝わってくる。
「頼む、止まってくれ。俺はこの子を捕えてどこかに売り渡そうなんてつもりはないんだ!」
そうは言えど、彼は弾かれただけでは諦めてくれない。
何度も何度も攻撃を試みるサントウルフだったが、俺たちがシールドを張り続けていたらその勢いはやがて収まってくる。
それでもなお立ち上がってこようとするから、俺は一瞬の隙をついてフスカのカゴを開けにいった。
「これなら信用してくれるか……!?」
より興奮させる可能性もあったから、いちかばちかの賭けだった。
中から出てきたフスカは、いまだ戦おうとするサントウルフへと寄り添う。なにやら鳴き声でやり取りを交わしあうと、やっと落ち着いたようで、彼は大きな体をその場に伏せた。
ほっと漏らした息が、セレーナと重なる。
「…………私だけじゃ、とても押さえ込めなかったわ。それにフスカで落ち着かせるなんて思いつかなかった。さすがね、アルバ」
「いいや。あそこで水属性魔法を使おうって考えついたのは、セレーナのおかげだよ」
「水属性の魔力の特徴は、『緩和』だもの。使えるかと思ったの」
俺たちはこう会話を交わしながら、ひとまずサントウルフの元へと歩み寄る。
後ろからは、騒ぎに起き出したのだろう住人たちもこちらを伺っているようだった。
「……ひどい怪我だな。ポーションでもあれば、ってここにはないよな」
「アルバ。この傷、自然にできたものじゃないわ」
「さしずめ、誰かに狩られそうにでもなったんだろうな」
「密猟ってことね」
「あぁ。前に闇市の極秘視察に行った時、高値で取引されてるのを見たことがある」
禁止されたから、とそれをただ受け入れるような優等生だけではない。
今でもその滑らかな手触りを誇る毛皮を欲しがるものは多く、ある筋では、むしろ希少価値があがっているのだ。
人の私利私欲により痛ましい姿で横たわるサントウルフに、俺は目を落とす。
「あら。アルバも闇市の視察に行ったのね。私も前にクロレルと行ったわ。もっとも彼がいい人間だった時の話だけど」
失言に気づいたのは、セレーナが返事をくれたときだ。
そうだ、あの時の俺はクロレルと入れ替わってセレーナと視察に行ったのだった。
「あ、いや、まぁな。俺のは、ちょっと前の話だよ。それより、とりあえずはこいつのカゴも作ろう。それから、この対処は考えようか!」
焦った俺は有耶無耶にしようと、一気にごまかしにかかる。
「待って、アルバ」
が、それを止められてしまうものだから声がひっくり返る。
「な、なに? なにかまずいことでも!? 嘘じゃないって、俺だってマジで視察に――」
「そうじゃない。この傷口。一緒よ」
「…………なんのこと?」
「前に壊されていた魔除けの柵と同じ切り口よ。ほら、見て」
バレなかったことに内心ホッとしつつ、覗き込む。
だが、俺には同意を求められてもさっぱり分からない。
ただ彼女の洞察力は、鑑定スキルを抜きにしても信用していた。
俺は背後を振り返る。
すると、そこにいた村人はおびえたように目を逸らした。
「なにか知っているんですか?」
「わ、悪い。アルバさん。それだけは……他言しないよう言いつけられてるんだ」
思えば柵を壊した犯人を尋ねた時も、はぐらかされている。
どうも、よっぽど言えない相手のようだ。
ならば被害者である彼らを無理に問い詰めてもしょうがない。
俺はサントウルフの方へと向き直る。
「この傷、まだできて間もない。ということは、この山の暗闇にその悪党が潜んでるってことになるよな」
「そうなるわね。それも、かなり近いわよ」
「……じゃあ探しに行こうか、そいつら」
「あら、珍しい。あなたがこんな夜中に動く気になるなんて」
「今ここで捕まえて、すべて終わらせたいだけだよ。だらだら引きずる方が面倒くさいだろ?」
怪我を負ったサントウルフの手当を村人たちに任せ、俺とセレーナは真っ暗闇の中へと繰り出した。
ただし今回は二人だけではない。
フスカも連れてきた。……というか村を出ようとしたら、ついてきたのだ。
「もしかしたら、親父の敵討ちをするつもりかも。やっぱりかしこいわね」
「だな。親孝行なもんだよ」
「どこかの誰かは犯罪を重ねたうえに追放されてるけどね」
「改めて言わなくてもいいだろ、それ」
冗談を言い合いつつも、一応声をひそめながら俺たちは進む。
狼に出会う日としてはふさわしい、雲一つない満月の夜であった。比較的足元は見やすかった。
体長は人間3人分と、身体の大きなサントウルフだ。
注意して見ていると、その足跡は山肌にたしかに残っている。
それを伝うようにして歩いていくと、少し開けた場所に出る。そこには、サントウルフらしき血の跡が一帯に散らばっていた。
どうやら、ここで一戦を交えたらしい。
「相手の血も残ってるかもしれないわね」
セレーナが鑑定魔法により、現場の鑑定を行う。
そうして見つけた敵の匂いをフスカにかがせると、彼は俺たちを誘導するように森の中を進んでいった。
険しい道を上り下りするなか、時には魔物にも遭遇した。
しかし、音を立てて大本命である悪党たちに逃げられたら話にならない。
そのため、もっとも目立たない風属性魔法・『縮突』や距離を一気に詰める技・『縮地』と腰に差したナイフを使い、最低限の力で倒していく。
これくらいの魔法ならば、無詠唱で発動することができた。
そうしてしばらく、フスカの足がぴたりと止まる。なにかと思って草陰からその先を見ると、崖地になった地点の下に立ち並ぶのは家々だ。
どうやら隣村まで抜けてきたらしい。
「ちっ、また取り逃がしちまったぜ」
通りから不意に声が聞えてきたので、俺とセレーナは目を合わせ息をひそめる。
「あのサントウルフ、すばしっこいな。しかも、よりにもよってトルビス村に逃げ込みやがった」
「あそこはもう手を出せなくなっちまったからなぁ。たしか、アルバとかいう馬鹿息子が村に赴任してきたんだろ?」
「あぁそうだ。たしか暴行罪やらを犯して追放されたぼっちゃんだ。そんな奴が貴族だなんて世も末だよな、まったく」
「はは、だったら俺たちみたいな連中が役人やってるのも同じだがな。とっとと薬草の押し売りなんてせせこましいことはやめて、サントウルフで一発当ててぇな」
……俺がクロレルの悪行のせいで、散々に言われているのはともかくとして。
村の柵を壊したのも、サントウルフの密猟をしようとしていたのも、どうやら役人だったようだ。
村人たちが口を割らなかった理由も、これで納得がいく。もし口外すれば、危害を加えるよう脅されていたのかもしれない。
そこまで考えたところで、よもやのことが起きた。
俺とセレーナの間を抜けて、フスカが大跳躍とともに彼らへと跳びかかっていったのだ。
「待て、おい……!」
と、止めるがとっくに遅い。
「おいおい、幸運かもしれないぜ俺たちよ!」
「へへへ、まったくだ。獲物の方から出向いてくれるんだから。若い狼の毛皮は飛ぶように売れるぜ」
すでに着地し、真っ向から対峙してしまっている。
それは、あまりに無謀な突撃だった。彼らは、フスカより二回り以上大きい彼の父親でさえ倒すことはできなかった相手なのだ。
しかもどちらも役人であり、魔法が使える。
実際、その土魔法によりすぐに彼は足を拘束されてしまっていた。
「アルバ、どうしようあれ」
「本当はもっと静かにやるつもりだったけど……しょうがないな」
迷っている時間はなかった。
「ははは!! 俺の風魔法は貴族の中でも相当だぜ? 切り裂いて、毛皮にしてやるよ!! 風よ、速き風よ! 我が斬撃に高速の――」
フスカへと大槍が振り下ろされる。
「風よ、彗星がごとき推進力を。縮地活歩……!」
その直前、俺は詠唱とともに両足へと貯めた魔力を風属性魔法へ変換した。
これはただの『縮地』とはわけが違う。より速さを追求し、魔力を漲らせた技の一つだ。
正直、大槍をふりかざした男の動きはほとんど止まって見えた。少なくとも、高速を名乗るにはまったくふさわしくない。
俺は一足飛びに、敵とフスカの間に割って入る。
さらには、右手に握ったナイフを裏手で、その首元に突きつけた。
……一応、刃のついていない裏側で。
こんな腐った人間を殺した罪でまた悪名を着せられるのはごめんだ。
ばたりと、槍を握っていた男が倒れる
「な、な、な、お前! どこから現れた……! この一瞬でどうやって!」
「質問が多すぎるだろうよ」
「というか、何者だ!?」
もう一人は恐れおののいて、じりじり後ろへと下がっていく。
集中が切れたのだろう。彼がフスカを捕えていた土属性の魔法はすっかり解けていた。
俺はその脳天に、ナイフを投げつける(これも一応、裏側で)。
それだけで、ばたりと倒れた。
せっかく寝る時間を惜しんできてやったのに、あっけない。
もう聞いてはいないだろうが、一応質問に答えておく。
「そうだなぁ。あえていうなら、こいつの飼い主だよ」