「それじゃあお姉様に襲われたお兄様は、殺された侍女の身体を使って生成した身体に魂を移した――そういうことですか?」
「ああ。端的に言えばそうなる」

 燃える屋敷から場所を移し、人目の付かない木の陰でトゥールがこれまでの経緯を説明した。
 ドロシーは話を理解しようと必死に耳を傾けてくれたが、やはりその表情には疑問の色が濃くあった。

「『人体生成』――そんな魔術があるのも驚きですが、さらに『魂魄流転』だなんて……今まで聞いたこともないですよ?」
「そうだろうな。どちらも解読が必要な古い禁術書に記されていたから。そしてそれらの貴重な書物も……」

 トゥールは遠くに見える、未だ燃え続ける屋敷へと視線を移す。

「残念ながらすべて灰だ」
「レンアお姉様が燃やしてしまわれたのですね。興味がないとは言えませんが、あくまでも普通に生きる上では必要のない魔法なのでよいとしましょう。問題はお父様がお兄様を殺そうとした事実です」

 拳を握りしめ、震えた声を出したドロシーは、以前とはまったく違う姿になった兄へと抱き着いた。

「ど、ドリー?」
「よかったです……お兄様が生きていて本当によかった……」

 抱きしめられたまま耳元で聞くドロシーの声は涙交じりで、彼女がどれだけ自分のことを心配してくれていたのかが痛いほど解った。
 けれど同時に、トゥールには自分が生きているだけでは許せない心が存在していることにも気づく。

「……ウェルナは、僕を庇って死んだ」
「その身体の素材として使用した侍女のことですね?」
「やさ、しい、優しい娘だったんだ……僕なんかのために、死んでいい娘じゃなかったのに――」

 ウェルナの顔を、ウェルナとの日々を思い出せば自然と涙が込み上げてくる。
 彼女の笑顔と振る舞いに、どれだけトゥールは支えられ助けられてきただろう。彼女がいてくれたからこそ、トゥールは屋敷の中で腐ることなく魔法の勉強を続けられたのだ。

「僕は、僕はブラバース家を許すことはできない。レンア姉様も父上も、目の前にいれば殺してやりたいくらいに腸が煮えくり返っているんだ」
「お、お兄様、それは……」

 トゥールの身体から身を離して言葉を諫めようとしたドロシーは、しかしトゥールの涙の滲む瞳を目の当たりにして言葉を呑み込んだようだった。
 トゥールの本気を、彼女なりに察したのだろう。

「もう、家には戻られないのですね?」

 だからこそドロシーは、確認を取るようにそんなことを聞いてきたのだ。
 今なら――魔法が使える今ならば、ブラバース家で認められることも可能だろう。再び『魂魄流転』を行い、今度こそ生成した男の身体へ魂を移せば、問題なくブラバース家の長男として認めれる。きっとドロシーは、そう言いたいのだ。
 
 正直なところ、トゥールにだってその考えは一瞬だけ脳裏に過ぎった。
 ずっと渇望していたブラバース家での居場所が、父の寵愛が手に入る最後の好機なのだ。一度殺されかけたところで、それを考えないはずがない。

 それでもトゥールは、確固たる信念をもってゆっくりと首を横に振った。
 
「僕は今日、ブラバースを捨てた」
「――っ」
「いや最初から、十年前に追放されたあの日から、僕はブラバースの名を剥奪されていたんだ。今さら拾うつもりはないよ」
「お兄様……」
「もう家には戻らないし、ドリー以外を家族とも思わない。ドリー以外のブラバース家の人間とは会うこともないだろう」
「――意志は、固いのですね」

 片膝をついてトゥールと視線を合わせたドロシーは、形ある物を吐き出すように重々しく嘆息した。
 そして燃え盛る屋敷へと視線を移して呟く。

「今日、トゥール・ブラバースは死んだ。私もそう思うことにいたします」
「ああ、頼むよ」
「けれどお兄様は、たとえどのような姿になっても私の――」
「……えっ?」

 今まで見たことのない表情で何事かを呟いたドロシーの声は、しかし強く吹いた一陣の風に巻き上げられて消えてしまった。
 強い風に煽られた外套を抑えつけてトゥールが改めて聞き返せば、ドロシーは柔らかな笑みを浮かべてただ首を横に振る。

「いいえ、何でもありませんわ。それよりも、これからお兄様は何をなさるおつもりですか? これからどちらへ行くおつもりですか?」
「これからだって? そうだな……」

 ドロシーの問い掛けに、トゥールは腕を組んで首を捻った。

 家を捨てた以上は、もうブラバース家には戻れない。屋敷が燃えた以上は、住処や居場所を新たに見つけなければならないのだ。

「まだ何もすることが決まっていないのであれば、知り合いのいる私立の魔法学園を紹介できると思いますけど? 皇国立の魔法学園と違い、お父様やお姉様と拘わることはないでしょうし」
「……私立の魔法学園か」

 その提案は悪くないものと思えた。
 魔法学園であれば住む場所、つまり寮も完備されているはずだ。また将来的に軍属や国家直属になることがほとんど決まっている皇国立とは違い、私立であれば身の振り方にも融通が利く。
 屋敷での軟禁生活に辟易としていたトゥールにとって、自由と呼べるその環境は非常に魅力的だった。

(――魔法(・・)学園、か)
 
 しかしトゥールは暫く思案した後、やがて首を横に振った。

「悪いな、ドリー。一応、やりたいことは決まっているんだ」
「えっ? あ、そうなのですか。しかしそれは、魔法学園ではできないことなのですか?」

 トゥールが提案を受け入れると思っていたのか、ドロシーは戸惑ったように瞬きをする。そんな彼女に「ああ」と頷きを返し、トゥールは今朝に見た夢の内容を強く思い出していた。

 七歳の頃に見た剣闘士たちの戦いを強く、強く――思い出していた。

「ドリー。僕は剣士に――魔剣士になりたいんだ」
「――っ! それは……」
「ただ魔剣士になりたいんじゃない。誰よりも強い、どんな魔法使いだって相手にならないような魔剣士になりたいんだ。剣士や魔剣士を見下し、魔法使いこそが最強だと酔いしれる父上が歯噛みするような――そんな魔剣士になりたいんだ」

 強く言い切ったトゥールに、ドロシーは呆然としたまま固まった。やがて納得したように頷くと、
「なるほど……それがお兄様なりのお父様への復讐なのですね? 優れた魔法使いを輩出してきたブラバース家の誇りを――お父様の誇りを傷つけたい……そういうことですね」

 視線を地面に落として小さな息を吐いた。

「たしかに魔法学園では、魔剣士としての戦い方は教えていませんね」
「そうなんだ。だから、せっかく提案してくれたのに悪いけど、僕は魔法学園に行くつもりはないよ。どこかで剣の師匠を得て、まずは剣術の基礎から学ぼうと思うんだ。なにせ、僕はまだ剣すら握ったことがないから」

 トゥールが自嘲すれば、今まで片膝をついて目線を合わせていたドロシーがゆっくりと立ち上がる。
 そしてトゥールを見下ろし、なにやら勿体ぶるように笑みを浮かべた。

「ふふ、お兄様。剣を学びたいのでしたら、それこそ相応しい場所をご紹介できるかと思います」
「えっ? どこだ?」
「そこでは剣だけではなく魔法も教わるはずなので、おそらくは魔剣士も養成しているものと思われます」
「そうなのか? で、だからその場所ってどこなんだ?」

 じれったくなっていつもより高くなった声をさらに高くして催促すれば、ドロシーは胸を張りながらはっきりと答えた。

「はい、冒険者学園です!」